1. 今日も明日も授業道~国語教育をゆるっと語る~
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2024-10-06 33:44

036 なんばむっとさんと初コラボ!なんちゃってパフォーマンス課題について語ろう

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なんばむっと。さんとの初対談!

https://listen.style/p/namba_mutto

現行の学習指導要領から盛んに現場で取り入れられているパフォーマンス課題。

真正のパフォーマンス課題はがちすぎて・・・なんちゃってパフォーマンス課題になっているのですが、それでもいいのでは?という話になっております。

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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は特別にゲストを迎えして対談をしております。それではよろしくお願いします。
よろしくお願いします。高校高校について話すラジオでパーソナリティを務めています。ナンバムットと申します。現在、関東の方の高校の国語科教員として今働いています。経歴は今6年目、ずっと公立高校に勤務しているものです。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。ずっとポストキャストで、ホットキャストでちょっと息統合して、コラボやろうということになったので、今日は特別にお願いしてコラボすることになりました。テーマは、なんちゃってパフォーマンス課題について語ろうというテーマでお送りしたいと思います。よろしくお願いします。
ちなみにナンバムットさんはパフォーマンス課題は授業で取り入れられて、しょっちゅう取り入れられている感じですか?
今の勤務校はちょっとなかなか実施ができなかったんですけど、前回のところはそれもなんちゃってパフォーマンス課題は結構単元ごとに入れていけたかなと思っています。
私もできるだけパフォーマンス課題を単元のね、最後にまとめの意味で学習課題として生徒に事前に提示して、今回はこれを目指してやろうねということでやるようにしてるんですけど、やっぱり学校の実態でできにくかったり、時間の都合でできにくかったりというのはすごいあるわけなんですけど、今日はそういうパフォーマンス課題について話をしたいと思います。
パフォーマンス課題というのはそもそも知識やスキル、学んだものを使って生徒に問題解決、課題解決をして、そういう活動を仕組んで行わせる指導なんですけど、やっぱりパフォーマンス課題は現場においていろいろとね、されてる方、されてない方、いろいろいらっしゃるんですけど、
そもそも、じゃあ学校現場でパフォーマンス課題に取り組んでいる現状について、ナンバムットさんの方から、周囲の先生とか今までの学校の様子とかでどんなふうに現場で取り組まれているか、ちょっと情報を教えていただきたいなと思います。
はい、やっぱりそのパフォーマンス課題、僕もそうなんですけど、一番最初にやっぱり入れようというか、必要ってなったのはやっぱり観点別評価が入ってきて、思考判断表現のところをどう見取っていくのっていうのが、僕自身も問題意識としてありましたし、注意もどうしていいかわからないっていう。やっぱり定期考査とかの問題を無理やり分けて、なんかそれっぽくしてるけど本当にいいのかなっていうのがやっぱり紛失してたような段階でした。
で、その中で一応こういうものがあって、パフォーマンス課題英語とかはよくやっているので、それを国語でもやってみたらどうなんだろうかっていうので、一番最初にやっぱり提案したっていうのがまず導入のところですね。
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ママの先生からは、若い先生は結構大学の時にもパフォーマンス課題とかっていうワードを聞いていたようで、そこに対してあまり違和感はなかったんですけど、やっぱり中堅からベテランの先生はこれをやっても受験に行けるのとか、そういったところで最初は否定的だったかなと思います。
ただやってみて、その成果物を結構共有をしたんですけど、その時にこれは面白そうだって言って、中堅の先生とかベテランの先生が結構いいねっていうふうに受け入れてはくれました。ただ、その先生方がじゃあ自分のパフォーマンス課題やろうっていうところにはなかなか重くて、そこまでなかなかできなかったかなっていうのがもう実際のところです。
なるほどね。やっぱり具体的に言ったらパフォーマンス課題って新学習指導要領が入ってきてから、盛んに現場では観点別評価があるし、やらないといけないなっていう感じですよね。
そうですよね。私なんかも大学で結局パフォーマンス課題っていう名前じゃないんですけど、学習課題とかまとめの課題っていう形で勉強してきてるので、もうそれやるもんだって脅威になったんだけど、実際現場ではそういうようなことされている先生がいらっしゃらなくて、生徒の方が先生の授業変わってるねって言ったぐらいで。
確かにナバムットさんおっしゃったように、ベテランの先生とかは全然そういうことされてなくて、私一人で何かやってるなっていう感じがありましたね。でもやっぱり若い先生はそうやって勉強してきて現場に来てらっしゃるので、最近は本当に非常にやりやすくなったと言いますか、動詞が増えたって言いますか、そんな形だと思います。
本当によく見るようになりましたよね。結構面白いものを考えられてる人も多くて、やっぱりアイディアでいろんなものもできそうだなと思った。でもそんな中、オーセンティックなパフォーマンス課題を設定しないといけないって、いわゆる自治体の研修とかでよく言われません?
どんな感じで言われるのか、オーセンティックな、いわゆる新生のパフォーマンス課題っていうふうな名前で、ちゃんと生徒がリアルで本当に活動として問題解決できるようなリアルの場を設定しましょう、みたいに言われると思うんですけど、どんなふうに研修会で言われます?
でも自治体の研修だと、そこのパフォーマンス課題って即したような課題とか、総合的に働くような力を表現できるような課題を設定しましょうっていう大枠しか言われなくて、じゃあ実際にどういうものがあるんですかっていうと、やっぱり僕の今まで出会った方っていうか、行政の方にいる方はそこはやっぱり口をつぶす。
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口をもって調べてください、みたいな感じで終わっちゃうんですよね。
なるほどね。私なんか社会の先生、社会科のパフォーマンス課題の例として出されるのが、あなたはフランシスコ・ザビエルですと。日本に布教しに来たと。で、あなたがザビエルだったらどういうところに着目して布教活動しますか、みたいな。
そんなことを最後にやるから、いわゆる布教のキリスト教の断言やりましょう、みたいな話になってて。私はちょっと社会は詳しくないんですけど、自分が生徒だったらフランシスコ・ザビエルで自分がなるのって言われて。ちょっとそれ面白いけど、実際それが本当にオーセンティックなパフォーマンス課題かって言われたらちょっと疑問になるところがあって。
それと似たようなところで国語科でも、あなたは外国の人に日本の文化を紹介する新聞記者ですとか。ありますね。それであなたが外国の人に日本を紹介するために雑誌のレポートを書いてください、みたいな課題も具体例として挙がってたんですよ。
それも楽しそうだけど、ん?なんかリアルじゃないなって思ったりなんかして。そういうこともあったりして、どうもオーセンティックなパフォーマンス課題ってどんなのなんだろうってちょっと考えるところがあるんですけど。そのあたりいかがですか。
ちょっと今僕の資料を見漁ってて、この要件がこういうのがあるといいよっていうのを聞きました。もう少し多分時間が経たないと見つけられると思うので、途中で多分お話になるかなと思うんですけど。ちょっとこれお答えじゃなくて多分新たな話題になっちゃうんですけど、特に実際のこの文脈に即すってなったときに、話す聞くとか書くって結構国語科の領域だとやりやすいかなって思うんですね。
実際にこう書籍とかで紹介されているものを見たところも、結構話すとかは社会プレゼンテーションやるよとか、書くも何かを投稿するとかっていう文脈で結構出されるんですけど、読む領域だけはやっぱり実際のその文脈っていうかその設定ですか。
結構そんなんでいいの?みたいな。これって本当に実の場の文脈なの?っていうのが怪しいときがあって、例えば今、僕高等学校教科と単級の新しい学級評価っていうのを見てるんですけど、そのときにも水玉切りとかをあったときに、パフォーマンス課題は教材選定をしよう。
内容は、あなたは高校の国語教師です。2年生の教材を選ぶ会議があり、川上博美の水玉切りと神様のどちらが良いか問われました。あなたは生徒に国語力をつける目的意識からこれに答えようとします。生徒の顔を思い浮かべながら選択の理由もつけて書きなさい。なお、両方使うやどちらも使わないという答えもあります。
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というのが課題になってて、学校文脈とかだとできるけど、本当にそれってあるのかな?みたいな。絵自体がちょっと浮いちゃわないかな?っていうのが、やっぱり読むことの領域だと、結構無理やり感になっちゃうんじゃないかな?
そうなんですよね。そこに行くと、この間おっしゃってた羅正門の配信されてたと思うんですけど、羅正門でも例えば芸人や老婆の立場になってリライトしようみたいなのがありますよね。あれっていうのもどっちかというとそっちに似ていて、一回何かに架空になってみて、これで何かを書こうっていう風なのが、どうしても各領域だとちょっと増えてくるのかな?というか、ならざるを得ないところがあるのかな?っていうふうに思います。
そういう感想は私は持っているんですよね。だからちょっとやっぱりパフォーマンス課題が、いわゆるなんちゃってパフォーマンス課題になりがちなものも含んでるなぁと思ってて。今の架空のキャラクターやフィクションの設定で何か書かせるっていうのに、ちょっとどうしてもなりがちかなと思うんですけど。
じゃあ、片方本当にオーセンティックな新生のパフォーマンス課題って一体どんなものがあるのかなっていう話題に移りたいと思うんですけど。
パフォーマンス課題は6要素を挙げられていて、まず目的が必要。あなたの課題は○○です。例えば、綿織物についた3つの異なる種類の汚れを最も効果的に落とす、決めるための実験計画を立てることですとか、まず目的が必要だよ。
パフォーマンス課題の次の要素は役割は絶対必要みたいなんですね。調査のグループの科学者だよとか。その次はオーディエンスが絶対必要になるみたいで、最初となる相手はどういう人なのか。
その後に僕たちがよく言う状況、どんな設定なのかっていうのと、あと完成作品とか実演する時の意図も含めて、どういうものを作って、どういうものを意図するのか。最後は成功を評価する基準をどうするのか。どういう風に見とるのかっていうのが要素として出てくるっていう風に一応挙げられてるかなと思います。
役割とかに目を向いちゃいますけど、個人的にやっぱりこれ先ほどの話になっちゃうんですけど、パフォーマンス課題とか逆向き設計で一番最初にやらなきゃいけないのは、
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一番最初に目標を定めて、先にどんなような成果物でどんな風に見とるかというか評価を決めていくっていうのが最初にあるので、だからどっちかというと役割とか、僕たちそっちの設定の方に目を向いちゃうんですけど、
その目標を抽象化して、結局どういう風なものでどう見とるのっていうのが定まった後に、じゃあ落としていくっていうところで言うと、なんかちょっとまだ捉えは変わるのかなと。
なるほどね。なんちゃってパフォーマンス課題、すごく架空のフィクションの設定すぎるパフォーマンス課題であっても、やっぱり目的と評価基準がはっきりしていたら教育的なことをする意味はあるのかなっていう意味ですよね。
ありがとうございます。
学校に向けて取材を開始して、記事を書いて新聞記事にして発行しようというプロジェクトとかが紹介、一応紹介されてたりするんですけど、取り組み報告で本当にガチの取材編集デザイン、それから実際の社会に向けてそれをリリースするっていう。
そういったパフォーマンス課題になると本当に労力もかかるし、私たちの時間をすごく削るし、大変になってくるんで、やっぱりさっき言われたなんちゃってパフォーマンス課題でも目的と、
ルーブリックという評価基準がききっとしていれば、それなりの効果があるんじゃないかなっていうのが、今のところのスタンスですかね。
そうですよね。さっきの新聞を発行しようとかも、結構探究的な学びになっていくじゃないですか。絵化も含めて。でも、この寄せっけんの中だと、本質的な取りとかを設定していくことはもう探究的な学びなんだって。
国語化領域と多境域の領域のなんていうんですか、そこら辺も結構ちょっと、それって国語化なのって言う人とかも出てくるんだろうなっていう。
なるほどね。確かにそうやって深く深く探究的に社会と接続になると、ちょっと国語化の領域を出るような、そういう実践が少し増えてくる感じがしますよね。
例えば、私はコロナ時代を生きるっていう、そういう単元をやったことあるんですけど、やっぱり結局のところ、探究的になって、社会化との接続が必要になったりとかして、ちょっと国語と離れるけど、まあいいかなっていう感じでやったんですけど。
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でもそういう点でいくと、いかさんがやられたビッグヨーバトル。シェア型の。そうそうそうそう。なんか書店に飾ってもらうっていう目的。あれはまさにオーセンティックなパフォーマンス課題になってたと思うんですよね。
でもその、つながりを開拓する。超労力かかりますよね、あれ。すごいなと思って。だから毎回毎回はね、ちょっとできないかなと思うし。なんかナンバーモットーさんはされたことあります?そういう、いわゆるガチ系のオーセンティックなパフォーマンス課題。
パフォーマンス課題で外部と接続っていうよりも、資料の中で外部の人を呼んでやったとか。それなんか多分前のポッドキャットのどっかで喋ったんですけど、ポッドキャットかな?違う、ブログか。
よく水の東西とか、最初の現代の国語の入門教材でよく対比的な説明がされると思うんですけど、現代の国語だったので話す聞きとかそっちに向けたいなと思って。その対比的なものから何かを説明するときには対比というレトリックがある。
パワポの作り方とかを思ったときに、伝わるデザインっていうホームページとかがあるんですけど、その人を呼んで、パワポの作り方、情報量を減らすとか、そういったものを講演してもらって、それを踏まえて最終的にパフォーマンス課題は
学校説明会で、体育館で中学生に向けて学校の良いところを説明します。こちらがちょっとスライド5つぐらい提示をして、見てみて、この情報の中で改善した方がいいところをいくつ指摘しなさい、その理由を述べなさいという小論文にしたっていうのがあるんですけど、出口はちょっと難しいなぁ。先生とかもやりました?
私はやっぱり探求の時間にそういうふうなことをどうしても、国語の時間だけでやるのはすごく難しかったので、探求でやっぱり地域の人とつながって公民館で発表するからスライドを作りましょうっていう、やっぱりちょっと教科横断のような形になるんですけど、でもやっぱり生徒が本気になるなと思ったのは、外部の人に発表するとか自分たちの作ったものを出すっていうことになると、生徒は一生懸命やったりとか、
甘えないというか、外の人に恥ずかしくないようにっていうのにはなると思うんですよね。
でもやっぱりそれだけの手間暇をかける。
なのでやっぱりなんちゃってパフォーマンス課題で、勝負するしかないなぁと思ってやってるわけですけど、じゃあそのなんちゃってパフォーマンス課題の話に移りましょうか。
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やっぱりいわゆるオーセンティックな新生のパフォーマンス課題は手間暇がかかるので、自分たちの身の丈にあったパフォーマンス課題をするっていうことになると、私なんかがよくやるのは、
クラスの人に発表する。その手で何々についてっていうテーマでクラスの人にプレゼンしましょうとかいうのを簡単にやるのが一番いいなと思ってて。
失敗したのは、次の入ってくる新入生に向けて竹取物語の紹介パンフレットを作りましょうっていうのをやったんですけど、
次に入ってくる人ってわからないじゃないですか。本当に核なんですよね、まだまだ。その時よりもやっぱり友達に見せようっていう。
そういうふうに設定した方が生徒は本当に真面目に取り組んだので、なんちゃってパフォーマンス課題であっても、
今いる仲間たち、その人たち、今一生懸命勉強している仲間たちに見せるっていうのは本当に大きな動機づけになるなって思いました。
それで言うとやっぱり、僕たちが昔からやっている国語科の実際に友達に向けてとかは、いろいろ力を発揮すると思う反面、
それは僕たちが彼らにどんなことをやっぱりできるようになってほしいかというか、そこの目的設定なのかなと思っていて、それを逆向き設計とかだと専門家でとか、
ちょっと複雑な思考を、立場を変えて考えてもらうことで、その友達に発表するとまた違うちょっとレベルが高い思考まで求めるってなると、やっぱり状況設定が必要なのかな。
でも別にそうじゃなくて、ちゃんとプレゼンがいわゆるプレゼンができるとか、ちょっと想定してできるぐらいだったら、わざわざガチガチなパフォーマンスよりも、
本当に目の前の友達に向かってやるとか、それでもなんかいいんじゃないかなって本音では思っています。
でも、もし外部の人にするとなったら、それこそせいぜい先生ぐらいですよ。
いや、本当にそうですね。
先生ぐらいで、やっぱりその人を呼ばないといけないじゃないですか。
だからどうしても私は身近な友達、クラスの仲間、せいぜい学年で、その人たちに聞いてもらって、フィードバックもらえるっていう、そこにどうしても収まってしまうんですよね。
そこがちょっと限界っていうか、それでもう行くしかないなっていう思いで今やってるので。
この間やった三月記もクラスの友達とその三月記のまとめ。
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まとめって言っても結局は事故はどう作られるのかっていう単元だったので、そのまとめを三月記を踏まえて書くっていう、そういうスタイルだったんですけど。
でもやっぱり見てもらう相手は仲間たちになるんですよね。
なのでどうしてもそこから脱却できないなっていうのがあるんですけど。
なんかこうちょっとね、これは面白かったっていうパフォーマンス課題はあります?
僕でも多強化でもいいですか?
えっとこれ歴史、世界史なんですけど、画面共有しながら、ちょっとごめんなさい、聞いてる方は全然画面共有。
画面の字もないんですけど、共有だけ。すいません、させてください。
これでいけるかな。
ちょっと待ってくださいね。
はい、画面共有してます。
パフォーマンス課題とルーブリックの意義と書いてありますけど。
これですね。
パフォーマンス課題、これ社会科なんかの取り組み?
社会とか、これ清泉女子大学で大学の教員向けにちょっと行われたパフォーマンス課題なんですけど、ごめんなさい、すごいちっちゃくなっちゃってるんですけど。
それでパフォーマンス課題ってこういうもんだよみたいなものがいくつか挙げられているものの一つなんですけど、すいません、多分黒瀬先生も結構ちっちゃくなっちゃってるんですけど、読みます?
見えますね、私ディスプレイが大きいんで。
一応課題で世界史のこの例とか面白くて、ごめんなさい、リスナーの方にはちょっと説明するんですけど、世界史で地中海世界の形成とオリエントとの融合っていうので、本質的な問いっていう
主張的なところでは、歴史においてある国家や社会の精髄に影響を及ぶ所有員は何であったかっていうのが本質的な問い。
永続的理解って聞き慣れない言葉なんですけど、この本質的な問いを考える上で、学習者たちにどんなことをわかってほしいかって、いわゆる教員の思いなんですけど、
国内情勢、対外情勢、経済、文化などの所有員がそれぞれ密接に関連しながら国家や社会の精髄に影響を与えてきた。
いろんなことが関連して精髄に与えてきたよっていうのがわかってほしいこと。
パフォーマンス課題なんですけど、あなたは古代地中海世界を研究する歴史学者です。ローマは都市国家から発展しました。
同じく都市国家から発展したアテネやスパルタなどのギリシア諸ポリスの派遣は地中海沿岸に留まったにもかかわらず、ローマは帝国化し、その派遣は地中海周辺の広大な地域まで広がりました。
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このような史実がありながら、なぜローマ帝国はギリシアのポリスとは異なり、広大な地域にまで拡大したのかという問題については、いまだ諸説あり、明らかになっていません。
歴史学者としてこの問題を考えるとき、あなたはどのような説を唱えますか?っていうのがあって。
すごいこれイメージついたんですけど、でもなんかこのパフォーマンス課題をやるときに、今までの知識がやっぱりここに集約されていきそうで、こんな事実があるけどあなたはどう考えているの?っていうところで、
なんかすごく面白い課題だなって思って結構これを僕紹介するんですけど。
なんかこういうような課題が国語科の中でもできたら生徒たち面白いんだろうなって思うんですけど、先生どうですかね。
私もパフォーマンス課題を出すときに、結局今までの勉強が生きているような形をどうしても設定してませんか。してますよね。
だから、例えば3月期で今、今度は自分のオンライン交流会で報告する実践報告なんかは、複数テキストを読み合わせて、それで勉強してきたことを出すんだけど、
必ずその複数のテキストを用いてまとめるという形式を課題にしてて、その上で自分の論を3月期っていう虚構の世界を例にちゃんと挙げてまとめるみたいなそういう題材だったんで、
今まで勉強してきたことを活かした課題にするっていうのは、引いてはやっぱり指導者がスタートさせるときに目標をちゃんと定めて、それに見合ったパフォーマンス課題を設定して、その目標に照らし合わせて評価するっていう風に心がけてはいるんですけど。
それが大事な、パフォーマンス課題とかに目が向きがちですけど、それが一番大事ですよね、授業の作り方といった。
だからパフォーマンス課題って言われたら、そういうすごいことをしなきゃいけないっていうイメージにどうしてもなるんだけど、学習活動であるとか、学習課題っていう風にもう少しライトに考えて、
先生の目標にしっかり合わせた課題を設定するっていうだけでも大きな意味があるんじゃないかと思うし、今まで取り組んでらっしゃらなかった先生が多いと思いません?
いやーわかります、わかります。
そういう人にいきなりオーセンティックなパフォーマンス課題って言ってももう全然イメージできないので、やっぱり学習課題でいいんじゃないかと思うんですけど。
いやでもそうですよね、もともとやっぱり海外から入ってきた概念だったので、何か聞かなくていいのかなって。
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もうちょっと気軽に、私たちのこの忙しい現場でも気軽にできる学習課題をどんどん連発して、パフォーマンス課題って目を打たない方が、私は手軽にできていいんじゃないかと思うんですけどね。
そうですよね、例えばでもその学習課題の作り方みたいなのがちょっとどっかに手持ちだと結構綺麗に整理されているものがなかったりするので、これ見るとさっきのオーディエンスの設定とかっていうのは学習課題を作るときに大切な概念というか観点だと思いますね。
でもオーディエンスって結局生徒になるんですよね。さっきのライトな学習課題になるとオーディエンスは生徒ってことになるんですよね。だから目的は普通に、いわゆる普通の私たちが教材を立てる時の目的で、役割はどうなるんですかね。
役割は例えば課題の出家あるじゃないですか。友人がやろうとしてたのは、あなた新聞記者ですと。2つの語り口からこういうテキストがある。で、あなたはどういう風な目線でいますかみたいな、そういうようなあれをしていて、実際にそれを新聞記者って言うようにすると、やっぱり5W1Hとかを丁寧に書いていく。
観点によく目が向くってなると、やっぱりそちらが大事だなぁと思うんですよ。
まあいわゆる表現方法としてどういう手段を取るかみたいなところと関わるっていう感じですかね。そしたら役割。
表現するものの方向性が結構役割によって求めるレベルも違うんじゃないかなと思って。
じゃあ、いかさんとかがされた書店に何かポップ広告とかを置くって言うんだったら、そういう宣伝をする人とか編集者とか、本を売る人っていうことになるんでしょうね。
書店員がいるのと、何かを宣伝する人がいるのと、選ぶ方法もちょっと変わるんだろうなと思うんですよね。
なるほどね。私なんか結構、教室の中で完結するようなパフォーマンス課題、学習課題を出すことが多いんで、
ちょっとこれから広がりを持たせようと思ったら、役割をできるだけ社会の課題解決に向けた役割に似たように寄せていくっていう方法がちょっと考えられそうですね。
そうですね、確かに。そうすると、こうしなきゃいけないっていう概念っていうか、ワークも外れますよね。これでいいんだなって。
じゃあ、これでちょっとずつパフォーマンス課題を重苦しく考えずに、なんちゃってパフォーマンス課題をやりながら、
いや、本当に思います。
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ちょっとずつ進化させていくっていう。それにはやっぱり職場の人と語り合う時間が必要だと思ってるんですけど。
めちゃくちゃ大事ですよね。それがパフォーマンス課題とかやるにあがって。
やっぱりナンバーモードさん結構話をしてらっしゃるんですよね。職場の人と。
かなりしてます。クロス先生もそう思うんですけど、僕は単元やる前に、何時間かわかんない。
連日授業作りっていうか、こういう思いがあってこういうことをやりたい、こういう学習活動をこの時間でやりたい、最後はこうやってこう見とりたいんですけど、みたいなことを言って、
他の先生もこれがいいとかっていう授業作りとか教材館とか指導館のいろいろ話がして、やっと課題ができるみたいな。その時間がないとできないですね。
やっぱり最後はどうしても観点別評価しないといけないから、きちっと話をして学習課題についても揃えておかないといけないですしね。
同じ学習課題っていうのはやっぱり求めてるレベルが違うと結構出来も違いますよね。
確かに確かに。そういった意味ではもう教科館の話し合いというか意思疎通がすごい大事になってくるっていう、そういうものでもあるんですよね。
パフォーマンス課題で嫌がられるのはむしろパフォーマンス課題作りというよりも合意形成の面で実は高校の高校科の先生は頭を抱えてるんじゃないかなって思ってます。
そうですね。今までやったことのない人にとってはなかなか慣れないことをやるし、みんなでなかなか揃えるって難しいですからね。
いや難しいですよね。
まあそれでもね、新学習指導要領も走っちゃってるんで、パフォーマンス課題は絶対に評価の中に入れていくっていうことになってるので、現場の方も一生懸命されてると思うので、ぜひぜひ皆さんの情報も収集したいなと思ってるんですけど。
でもこのポッドキャストパフォーマンス課題にしたら結構いいんじゃないかなと思う。
結構いいっすよね、これ。
今までのことが結構社会に向けてもすぐ発信できるし、なんか結構今のこのSNS活用にも通じるし、本当に社会に向けて必要なスキルを養成するということで、
ポッドキャストをパフォーマンス課題にする時代が来たらいいなぁと。
笠原先生が泣いて喜び。
笠原先生の悲願。
ということで、やっぱり戻ってきたのは笠原先生の悲願に。
そうですね。
ぜひ教科書にポッドキャストの載る日を、学習活動としてポッドキャストが載る日を待ち望もうということで、締めくくりにしたいと思います。
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笠原先生聞いてますでしょうか。
また色々とこれから配信していくと思うんですけど、ぜひぜひナンバムットさんの配信も楽しんでおりますので、無理のない範囲で。なんかお忙しいですよね。
まあまあそんなでもないですけど。
無理のない範囲で楽しい配信を待っておりますので、今後ともよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
あー、子供さんの声が聞こえる。
じゃあ一応これで配信を終わりにしたいと思います。皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
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このエピソードに言及しているエピソード

コメント

配信を課題にする、動画でもいいんでしょうがどうしても予想外のところからの身バレリスクがありますからね。わたしも個人的には学生さんにはまずポッドキャストなど音声配信から入って欲しいと思っています。

音声データとサムネイルだけ作成して、あとはPadletというアプリであげればPodcastできそうです。問題はしゃべれない子の手立てですが、これも字幕つければ良さそうですね

高見知英

どうも、オチ担当です。 ポッドキャストかオーセンティックな課題として分かりやすいと思うのは、「誰か」に声を届けることが、国語らしい国語だからだと思うのですよね。 難しいことを持ち出さなくても、声を届けるということ、誰かに自分の声が届いたら嬉しいという経験が、学びに向かうことを支えると思うのです。 割とポッドキャストは先に真正性があるのではなくて、声を演じているうちに真正性にならざる得なくなると思うのです。

すごくいいオチになりました(笑) なるほど表現すること自体が相手意識となりますね。 結局は大村はま先生の自然な必然の場ということに尽きるんじゃないかと思います。 難しい理論よりそっちの方が取り組みやすいです(笑)

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