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2026-03-14 11:04

419_評価用紙が「聴くこと」を邪魔していないか? ― 教室の相互評価に潜む落とし穴

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発表中に生徒たちが評価用紙に夢中になる姿、これって本当に『聴くこと』につながっているのでしょうか?実は、良かれと思ってやっている相互評価が、学びの質を下げているかもしれません。今回は、教室での評価のあり方を問い直し、『励まし』に変える具体的な提案をします。先生方の授業改善のヒントになれば嬉しいです。

#教育 #相互評価 #パフォーマンス課題 #授業改善 #先生の悩み

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みなさん、こんにちは。今日も明日も授業道ス黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は419回、評価用紙が聴くことを邪魔していないか、教室の相互評価に潜む落とし穴というタイトルでお届けしたいと思います。
今年度もいろいろパフォーマンス課題をやりました。特に話す指導では、その子の発表を聞き浸るということに専念しました。あえて評価用紙は使いませんでした。
その理由は、過去勤務していた公立の高等学校時代の経験からです。
評価用紙を配布して、相互評価をさせていた発表時間で、生徒たちは一生懸命に発表しているという光景を後ろから眺めていました。
そこでふとある種違和感を覚えたんですね。それは発表者が一生懸命熱を込めて発表している最中に、クラスメイトほとんどの子が下を向いて必死に相互評価用紙を書いているという光景でした。
この良かれと思ってやっている相互評価が、実は学びの質を下げているんじゃないか。
現行の学習指導要領になって、パフォーマンス課題ということが非常に重要視されるようになってきましたよね。
よく授業では発表中に生徒に、特に聞く側の生徒に評価用紙を持たせて相互評価をするということがよくあります。
私も公立高等学校義務時代は他校によく研究授業に参加しに行って、発表のシーンなんかがあると必ず先生方は評価用紙を配って、生徒がそれに記入しているという研究授業をたくさん見てきました。
また助言者の先生や指導主事の先生も、やはりそこで評価をして生徒の活動を見取る、そういうことが大事ということをよくおっしゃる。
私も他校の研究授業に習って、生徒に評価用紙を配って評価をさせるということを1年間ぐらい、特に重点的にやってみたことがありました。
しかしやっぱり気づいたんですよね。評価項目をルーブリックによって3観点とか4観点とかでABCをつけるということになると、その生徒の話を十分に受け止めてないっていう感じが聞きながら私自身がしたんです。
話半分評価半分。話す方は聞いている人が常に評価しているわけで、それって本当に心から話したいと思える状況なのかなっていうのがすごく疑問になってきました。
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私が生徒だったら評価されるって思えばもうちょっと気が散っちゃって伝えたいっていうふうに思う気持ちがダウンしてしまうと思うんですよね。
それだけで話すっていうことのパフォーマンスが落ちちゃう。
言語活動能力がある程度ある私でも評価するのに忙しいのに、それを聞いている生徒に評価させるっていうのは負荷が高すぎるんじゃないかと思いました。
生徒たちが評価用紙を書くことに必死になればなるほど発表者と目線を合わせるっていうことが消えてしまって、教室から心と心を通い合わせながら話す、そして聞き浸るっていうことが失われていくんじゃないかと思ったんですね。
ということで聞き手が評価者になった瞬間、そこにあったはずの温かな言葉のやり取りがどこか冷たい事務的な場所に変わってしまうようなそういう違和感を思いました。
今実際中学生教えているんですけど、もう中学校3年生ですけど、聞くとか書くを同時に行うっていうのは脳のキャパを相当使っちゃって適切に色々と聞くとか書くができなくなってしまう。
その結果どういうことが起きちゃったかっていうと、声が大きくてよかったですとか、資料が見やすかったですといったテンプレート通りの表面的な言葉の羅列だったり、目の前の言葉をメモするっていうことを必死で発表全体をちゃんと聞いていないっていう思考の断片化が起こるというそういう現象です。
これってやっぱり評価のために評価するみたいな感じになっちゃって、発表者の成長にも聞き手の成長にもつながりにくいんじゃないかとそういうふうな思いを抱くようになりました。
そして、最近はオンラインでの勉強会に参加したり、こちらが開いたりということがよくあるんですけど、そういう場面では評価をどうするんですか、評価をどうするんですかといった言葉が実践提案をするときに反で押されたように聞かれるようになりました。
もううんざりしていますね、はっきり言ってね。
やっぱりそれぞれの活動には目的があって、目的がある以上には評価をしてそれを見取るということをやらなくちゃならないんだけれども、一生懸命夢中になってすごく活発に話し合い活動や書く活動をしているときに、
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常にルーブリックと照らし合わせながら、評価がもらえるって思いながら文章を続いたり話したりするっていうのは本当に生きて働く言葉の力になるのかなと、そういう疑問が湧きません。私だけですかね。
私だったら話すことに集中したいし、相手に伝えることに集中したいし、自分の脳の中で思考するっていうことに集中したいし、
その集中する中で言葉をどんどん紡ぎ出すっていうことの喜びとか楽しさを集中して全身で味わいたいと思うんですね。
実際に社会に出ても、相手に心の底からこんな風に伝えたいって思う気持ちで話すわけで、その話すためにはどう効果的にしたらいいんだろうかって、そうやって工夫しながら話すっていうのが本当の話す場面で使われることだと思うんですね。
だけど測りすぎの評価っていうのは主体性を奪ってしまうのではないかと、そういう危険性をはらんでいるのではないかというふうに思い始めてきました。
なので実践提案するとき、評価はどうするんですか、評価はどうするんですかと、一つ一つの活動に全部物差しを当てるっていうことがどうなのかなっていうふうに質問があまりにも多くて思うようになりました。
なのでここの活動は思い切り生徒が評価とか関係なく集中してほしいとか、友達と一生懸命に語り合って考えを出すことに集中してほしいとか、そういったことを第一に考えて評価はなくてもいいっていう場面っていうのを必要なんじゃないかなっていうふうに思うんですね。
で私はある先生から評価っていう言葉をこういうふうに言い換えるといいんじゃないかという、そういう言葉をいただいてその言葉をずっと大事にしています。
それは評価を励ましという言葉ですね。評価を測るためにやるんじゃなくて、上下つけるためにやるんではなくて、優劣をつけるためにやるんではなくて、次のステップへの励ましっていう意味です。
それこそが学ぶ意欲をかきたてるということだし、評価を励ましって捉えるんであれば、次のような工夫をしていきたいというふうに思っています。
まず一番、書くっていうことと聞くっていうことをしっかり分ける。
これシンプルにできるんだけど、発表中はペンを持たない。
今はちゃんと目と耳で相手の話を受け止めましょうっていうふうに伝えて、発表が終わった後の1分間を記録の時間とする。
こうすると聞き浸るっていうことができると思います。
それから二番目に、細かいルーブリックを渡さずにポイントを一つだけに絞る。評価項目を一点に絞り込む。
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そういう最小限で済ませるっていう工夫も必要だと思います。
それから三番目に、ICTやAIを使って話し言葉を記録する。
デジタルで録音して聞いて、後でゆっくり聞いて自分自身が自己評価する。
あるいは上手な友達の録音を聞いてどんな工夫がされているのかを自分で分析する。
といったデジタルを活用しての自己評価・相互評価です。
これは相当自分自身をメタ認知することができるし、繰り返し聞くので
色々と分析も深まるし、それから上手な友達の話し方を聞いて本当に刺激的になると思うんですね。
もっとよりよく話そうという気持ちが高まるというふうに、上手な話し方へのモチベーションが高まると思うんですよ。
ということで、評価というのは測りすぎちゃうと振り回されてしまう。
だから評価を励ましというふうに捉え直して、測りすぎには注意していく。
そのためにも評価というものについては物理的に分けるとか、評価を絞るとか、
デジタルの力を借りて自己評価と達者評価を効果的に行うというこの3つを、
次年度そういったパフォーマンス課題とかがあればやってみたいなって思っています。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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