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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信しています。
今日は、羅生門の私の授業作りについて語ってみたいと思います。
羅生門は、本当に高校1年生の定番小説で、私も何度も何度も教えてきました。
なので、私が実際どういうふうなことを考えて、どういうふうに授業作りをしているかということを、何回かに分けてお話しする予定です。
まず最初に、今日は、羅生門の目標設定といいますか、そういったものについて語っていきたいと思います。
羅生門は、いわずと知れた芥川龍之介の小説です。平安時代に極限状況に陥った下人が、盗みを働くこともできずに、羅生門でうろうろして夜を明かそうとしていたところ、
羅生門の上で、死人の髪の毛を抜く老婆の話を聞いて、自分を正当化し、そのまま盗みを働く世界に身を投じる、といった有名な小説になりまして、
これは、高校1年生の1学期または2学期に教える定番教材になっています。
私は、この羅生門を通じて、生徒に一体どういうものをつかませたいかというのを、いろいろ考えてきました。
やっぱり指導書には、人間のエゴイズムというふうに書いてあるんですね。
なので、よくありがちなのは、エゴイズムという言葉を、利己主義という言葉をそこで落とし込んで、生徒に教えていく授業、
いわば指導書に書いてある、授業者のもしくは指導者の読解をそのまま生徒にペタッと押し付けていくような、そういう授業が従来行われていたように思います。
私も、いろいろエゴイズムで落とし込んでいた時も、若かりし頃はありまして、ただ、生徒にエゴイズムと言ってもピンときていないわけですよ。
エゴイズムの一人歩き状態と言いますか、ただ言葉だけ学んで、小説の世界と、それから自分の生活と、それからエゴイズムというのが全然つながっていないような状況で終わったので、
私自身もこれいいのかなってずっと思っていて、どうにかしたいと思い続けていました。
で、いろんな本を読んでいくと、新しい解釈というものも出てきていて、これは青年のイニシエーション、通過儀礼ではないかというふうに言われる、そういう著書もあるんですよね。
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少年から青年に育っていくと言いますか、成長していく、その中で悪を働くという、大人になっていく、そういう通過儀礼ではないかという読みもあったりして、
イニシエーションと言われても社会学すぎるかなと思って、これまた生徒と、現実の生徒の生活と、それから小説世界と、それからイニシエーションとが非常にアンバランスというか、そういう印象があるし、私の中でイニシエーションはしっくりきてなかったんですね。
よくあるのが、最終的に生徒は、教えたのはいいにも関わらず、悪いことをしちゃいけないという道徳的な読みに陥りやすいという空転した事業になってしまうこともあって、打証文というものに何をつかませるか、生徒の認識変革をどう迫るかというのが、とても難しかった、私の震災時代と言いますかね、若かりし頃です。
これはどうにかね、生徒主体の小説世界と生徒の生活と、そしてこれから読み取っていく認識変革とが、ちゃんとバランスよく有機的につながる方法はないかなと、ずっと思ってきたわけですけど、やっぱり最初は、生徒自身の疑問や感想からスタートするのが一番、生徒自身にはしっくりきてたかなと思います。
なので私は、最初に初発の感想を書かせて、それをまとめるということをよくやっておりました。
よくあるのが、根弱物語という原点との比較によって、作者の意図を浮き彫りにするというふうな取り組みをする人もいらっしゃると思うんですよ。
芥川龍之介が描きたかった主体と、それから下地の根弱物語と比較して、それを分析して答えるというのもよく言われていると思うんですけど、私一回もやったことありません。
何故か理由を考えてみたんですけど、まず根弱物語という複数テキストを魅力を感じるんだけど、時間が足りないし、労力的にも負荷が生徒に高いですよね。
なので時間が足りなくなって、生徒にしっかり考えさせる時間がなくなってしまうのではないかという、そういう器具があったので、根弱物語を扱うことをしてなかったというのもあるし、
生徒が何で根弱物語をここで読むんだろうというような、あまり必然性を感じないんじゃないかなと思ったんですよね。
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なので、別に根弱物語なくても自分の目標とする認識変革に到達するんじゃないかなというのがありまして、根弱物語の比較読みというのを私はやったことがない。
時間的に言うと、それ層の学力があったらちょっと面白いなとは思うんだけど、今現在やったことはなくて、生徒自身の初発の疑問点や感想からスタートすると、こういうふうなやり方でスタートすることにしています。
ところが、問い作りをさせたら、大量の疑問点が出るわけですね。
それも、ビッグクエスチョンというよりは、ものすごい大量の雑多な、しょうもない、例えば、何でカツラにするんだろうとか、調べればわかる、ラショウモンってどこにあるんだとか、そういった雑多な、調べればわかるような質問とか疑問がバーッと出るわけですよね。
それから、問いのレベルも、やっぱり授業で勉強すればわかるような、ちょっと読みを深めればわかるような問題もあるわけですね。
その中に、最終的に課題として扱うようなビッグクエスチョンも混じっているわけですよ。
なので、問いを出させる、疑問点を出させるという取り組みについては、ものすごい大量の疑問をどうやって裁くかという問題が発生してきて、私も最初は戸惑ったけど、大体このようにしています。
私自身で調べればわかる質問、授業通りに解決したい質問、そして最終的に解決したい質問というふうに分けて、それからスタートするというふうにやったら、結構うまくいってました。
最近は調べたらわかる質問というのは、生徒がネットで検索すればわかるので、調べればわかる質問はこれだけだよ、ネットで検索して各自疑問点を自分の時間で解決してごらんという感じにして、
あとは授業中でこういう問題は扱うことにするねというふうにして、最終的にみんなで考えたいというビッグクエスチョンはこれになるよねという感じで生徒に提示することにしています。そうすると結構すっきりするんですよね。
で、結局ビッグクエスチョンはこんな感じになります。下人は最終的に何で羅生門を出て夜の濃く尖々たる闇に行ったのか、その後何をしているんだろうかというラストシーンの意味について知りたいという、そういう問いが大体多いです。
何で下人は盗みを働いたのか、最後どこに行ったのか、結局これに集約されるので、じゃあこれを解決していこうねということで授業をスタートすることにしています。
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で、授業をその後どうやって展開するかということなんですけど、グループ学習をしてもいいなと思うんだけど、グループ学習をするときの欠点はですね、グループで話し合うときに個人の突出した意見を、面白いね、ちょっと外れた意見を言う子がそれを控えて忖度して平均的な意見とか、
みんなに合わせた無難な意見でまとまってしまうというグループ学習の欠点がちょっと私見え隠れしまして、グループで考えてグループで発表するっていうのを小説でやめました。
その代わり、個人で書かせてそれをGoogleフォームで回収して、突出した意見とか鋭い指摘っていうのは私が取り上げて、次の時間フィードバックするっていう風にやるようにしています。
ということで、ラショーマンのスタートは問いづくりと、それからグループ学習をやめて個人個人の意見をGoogleフォームで回収してフィードバックっていう方式を取るということでスタートしました。
ということで、ラショーマンについての第1回目は以上のようになります。
今日はちょっと短めでいきましたけれど、次回はいよいよどうやって展開していくかっていうことですね。
次回の続きもお楽しみください。
それでは聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。