板書の重要性
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は396回、板書は古い?教室の思考を可視化する装置としての黒板、というタイトルでお届けしたいと思います。
先日、1月10日土曜日、大阪の大正学園中高等学校で、国語科のロイロノートイベントのパネリストとして登壇したという話は先日したと思います。
この時に、小学校の国語の先生で有名な樋口綾香先生と初めて対面して、お話をする機会を得ました。
その中で、樋口先生とは大変意気投合したわけですけれども、私と同じで、板書を非常に大切にしていらっしゃると、そういうふうにおっしゃっていました。
でもね、最近板書っていうのは、前世代の象徴だよね、とか、チョーク&トークの産物でしょ、というふうに言われがちです。
それから、先日11月23日、広島の同志の先生たちと開催したICTイベント、コネクト&クリエイトというのでは、最後にグループで対話会を行って、その様子を毛曽司にマジックでまとめて発表してもらうという、そういう取り組みがあったんですけれども、
この時にも、デジタル時代なのにあえての手書きなんて、というような若干批判めいた声も聞かれました。
今日はこれらについて、私が引っかかったことをまとめて皆さんにお話ししたいと思っています。
まず、デジタル通信派の人たちは、板書っていうものについてどういう意見を持っているのか、ちょっと私なりに整理してみたいと思います。
だいたい、こんな潜入感から来ていると思うんですね。
黒板の前に教師が立って板書して、それを生徒が写す。
しかも、授業の主導権が板書イコール教員に偏りやすい。
だから、チョーク&トークイコール、キュライ型の授業の象徴というように、板書イコール教師イコール、それによって授業が駆動されていくので、教師主体の授業になると。
こういうふうな潜入感だと思うんですよね。
おまけに、デジタルだったら配布も共有化も早いし、記録も残るし、拡大縮小検索もできると。
写す時間を削って考える時間や調べる時間、対話に回したほうがいい。
っていうのが、だいたいデジタル推進派の意見のベースなんじゃないかなって思います。
私もそういうところ一部わかると言えばわかるわけなんですけれども、板書が先生の授業の台本扱いになっているっていう、そういう捉え方なんですよね。
この場合ね。やっぱりデジタルでやったほうが効率がいいっていうのもわかるんですね。
だけど問題点というか捉え方はちょっと一面的かなと思います。
私は板書を先生が主導となって授業を引っ張る完成品というふうには思っていません。
もっとズバッと言えば、教室の思考を可視化する場所で、それを共有して位置づけて構造化すると、そういうふうな場所だと思っているんです。
もう一回言いますね。板書は教室での生徒の思考を可視化し、共有化し、構造化する場所だと思っているんです。
デジタルは確かに便利なんですけれども、ちゃんと準備して生徒の意見とかね、生徒の考えとかをある意味パワーポイントなんかにして準備してきて予定調和になりやすいじゃないですか。
対話の促進
でもね、やっぱり板書はその場で位置づけができる。これは大きいアドバンテージだと思います。
出た瞬間、意見が出た瞬間、この意見をどこに位置づけようかとか、この意見はさっき出た誰かの意見との繋がりがあるのか、対立しているのか、補い合っているのかっていうその場その場での編集能力が求められるので、予定調和になりにくいのはやっぱり黒板だと思うんですよね。
ちょっと具体的に言うと、教材は何でもいいんですけれども、登場人物についてどう思うかっていうそういう意見が多様に出る場面を想像してください。
例えば主人公は正しいとか正しくないとかね、優しいとか自分勝手とか、そんな風に意見が分かれるテーマで、やっぱり板書では軸を出しますよね。
こっちが肯定派とか否定派とか共感とか違和感とか、二項対立的になってきた意見を二項対立で書きます。
そして生徒が答えを言う時に、あなたの意見ってどっち側とか、根拠はとか、そんな風に生徒に対話をしながら黒板にどこに位置づけるかっていうのを確かめながら授業できます。
これはやっぱり対話をより豊かにするっていうことにつながります。
そしてその意見を板書で位置づけることによって生徒は自分の意見が教室でしっかりと受け止められたっていう実感を持ちますよね。
しかも自分が言った言葉そのものがそこに書かれてあるということで非常に自己肯定感を持つと思うんです。
それだけでは終わりません。
意見が増えてきたら似た意見は近くにあえて書いたり、それから根拠が同じだったら根拠をその場でチョークで引っ張ってきたり、対立していたら矢印を反対側に置いて対立関係を示したり、
っていうようにいろんな展開ができるのが、しかもその場でできるのが黒板の強みだと思うんですよね。
私だけじゃなくてこうやって黒板を構造化していくと生徒の方も変わります。
自分が発言するときに、あ、ここの空間空いてる、なんか他には考えられないかなとか、自分の意見はここに差し込まれるんじゃないだろうかとか考え始めると思うんですよ。
だから自分の意見が思いつきで言ったものではなくて、より構造化した形で意見を出そうとするという、そういうふうに生徒の思考もバージョンアップしていくと思うんです。
で、この教室の中では自分の解釈、それから友達の解釈、これによって揺さぶられながら次第次第に深まっていくと、こういう様子が版書を形作っていくにつれて見られると思います。
なので、まあやっぱり対話を形作るのが版書の大きな役目で、しかもその場その場で生徒の意見を拾うことができるという大きな強みがあります。
デジタルとの関係
ということで、私は版書の強みについてお話ししましたけれども、ここで反論も来ると思うんですよね。
それって先生がコントロールしてるんじゃないとか、結局黒板は先生が書くから先生の意図によりますよねっていうふうな意見もあります。
でもこれはまさにそうだと思うんだけども、やっぱり先生が結局はファシリテイトするんだからそうなるじゃないですか。
だからこそ先生には技術が必要。
なので版書は決して台本ではないし、正解を書くものではないし、先生は生徒の意見を拾って位置づけて、そして生徒の意見を構造化して生徒に志向を迫って、そして教室を一体化してくれるものだと思っています。
だから版書が古いんじゃなくて、使い方がチョーク&トークの写すだけのものになりがちなので、黒板を対話的な授業を成立させる装置として使えば、版書はかなり強いツールになると思っています。
私はデジタル否定派ではなくて、むしろデジタル超推進派です。
結構デジタルを使うし、やっぱり自分はデジタルアナログ両方できて、その場その場で最適な答えを出すことができる、最適な活用を出すことができるというのが一番強いと思っているんですね。
その中でやっぱり版書はすごい魅力的なのは、生徒の出してきた意見をその場で可視化、共有化、構造化できる、その場でできる、予定調和ではないっていう、そういう強みがあるのが版書だと思います。
だから版書はまだまだ現役です。むしろ国語では進化を発揮する、そういうふうに思っています。
そして最後に、私だけの感覚かもしれませんが、黒板を使うと生徒と目線を視線を合わせる回数が多くなると思っています。
これも一回ICTにべったりやってみて思ったことです。
生徒と目と目が合う回数が圧倒的に多いのも黒板だと思うんですけど、皆さんいかがでしょう。
ということで、今日の私のこのお話が版書が古いか新しいかではなくて、版書をどのように対話的な授業に使うかということを活用の仕方について考えるきっかけになれば大変嬉しく思います。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
