00:00
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、
多様な教育現場に長年勤めてきたオールラウンダーな教員、黒瀬直美が緩やかに語っています。
手書きの意義
今日は、311 今のところ、手書きさせる場合はどういう基準でやっているんだろうと考えてみた、
というタイトルでお届けしたいと思います。
先日、7月29日、四国中央市のロイロノートイベントで登壇いたしまして、ある人が質問に来られました。
先生は手書きを結構されているようですけれど、いつ手書きをさせて、いつデジタル入力させているんですか、という内容でした。
私の中で、まあまあ基準があるわけなんですけれど、その時はそれをお話ししました。
今日はそのことをもう少し広げてお話ししたいと思います。
まず、私はまだ結構手書きをさせているんですけど、手書きにこだわる理由はまず、身体性ですね。
鉛筆を持って紙にこすりながら書くというその摩擦を手元に感じながら、脳に指令が行くわけですけれども、
人間は身体性を伴って思考する動物だということなので、これどこかの本で読んだんですけれど、
身体性を伴った方が脳も活性化していいものが書けるんじゃないだろうかという私なりの仮説です。
それから2番目としては、情報量が豊富、私が見取るという場合ですけれど、
生徒の個性、それから生徒のその日の感情、気分、集中力、そういったものが紙で見るとなんとなく伝わってきたり、
生徒の思いの深さとか考えた後とか、そういった様々な情報がその紙を見ただけで見取ることができるというふうに私は思っています。
これも私の勝手な仮説かもしれませんけれど、デジタルの文字もいいんだけれども、やっぱり紙に書いた字、
きれいに書く子もいれば、ちょっと雑な子もいたりなんかして、雑だったら読みにくいこともあるわけですけれども、
生徒の成長を見取るということも大事だなと思っているので、結構手書きで書かせることは多いですね。
それから3番目に、受験とかそういったものがまだ手書きですよね。
高校受験とか大学受験とか、手書きの場合が多かったりしますので、紙で受験するということはやっぱり手書き、
これに慣れておいた方が絶対有利だという私自身の考えがあります。
この3つの考えで結構手書きのシーンを多く撮っています。
手書きを必要とする場面
じゃあ具体的にどういった場面で手書きをさせているのかと言いますと、
まず書読の場面では結構手書きで書かせますね。デジタルのこともあります。
手書きで書かせる理由は、書読の時の感動とか気づきとか、そういったものをすかさず記録してほしい。
そういうふうな意味があって手書きにこだわっています。
それから授業を展開する際のワークシートあるいはノート、これも手書きで書かせるようにしています。
それから授業の進行の途中で、例えば思考ツールを使いたくなったりとか、図式化したり構造化したりさせたくなった時はデジタルを使うような、そういうことが多いです。
それから途中で気づきやコメントを求めたいなという時は、場合によるけど手書き。
もしくは集計を取りたいとか、すぐにAIにデジタルで取り組みたいという時はデジタル。
それから最終的なパフォーマンス課題とか最後のまとめ課題という時はデジタルというふうにしています。
これは最後はやっぱり試行錯誤というか何回も書いたり消したりが楽になるので、やっぱり生徒にいろいろと考えて消しては書き、消しては書きしながらまとめてもらいたいなということで、最後のまとめの課題はデジタルで書かせることが多いです。
ただ時と場合によるかな、時間を見て難しかったら手書きでさっと終わらせることもあります。
というように大体法則的に言うと時間がない時はすぐに生徒も取り組むことができる手書きにしたり、めちゃくちゃ集中させたいという時は手書きにします。
なぜかというとiPadとか開いちゃうといらないものを見て生徒の書いたものの内容の質が下がるんですね。
デジタルとのバランス
これは多分高校生だったら大丈夫だと思うんだけど、中学生は途中でいらないものを見て気が散っちゃって考えをまとめようとせずにアウトプットの質が下がってしまいます。
私高校生の特別進学コースを持っているんだけど特別進学コースの子はそういうことはないんですよね。
だからやっぱり学力とか年齢とかそういったものに応じて使い分ける必要があるんじゃないかなと思います。
それから手元の紙を見てデジタル入力させたり、デジタルを見て手書きで書かせるというように何かを見て何かをっていう時には変えますね。
というのもiPad1画面で分割してやることもできるんだけど、その操作にまだ慣れてなかったりするということもあります。
だから何を見てどうするかということを考えてどちらかをデジタルにし、どちらかを手書きにするというように配分を考えて設定するという風にしています。
いずれにせよ生徒の実態を見てその時その時で切り替えているという風なのが実情だと思いますけど、
私の中では今お話したような原則でもって判断し、その時その時の場に応じて臨機応変に変えるという風にしています。
ということでオールデジタルの人もいらっしゃるようですけど、私は今の現実の生徒を目の前にしてオールデジタルということにはちょっと賛成しかねるかなというのが私の立ち位置です。
その理由は冒頭部分でお話ししたように、人間は身体性でもって考える動物であったりとか、生徒が書いたものの情報量を手書きだったら豊富に見取ることができると。
でもデジタルで処理するということはやっぱり共有化したりフィードバックしたりというのは本当に簡単なので、適所適材でそういうことを使い分けているというのが現実になります。
でも最近手書き文字をデジタル化してくれるというAIもいっぱい出ているみたいなので、手書き文字を上手にデジタル化してくれるんだったら、それもまたいろいろ考えながらやっていきたいと思いますけど、
時代が進むにつれておそらくデジタルが主流になってくるに違いありません。そうしたときはやっぱりタイピングを鍛える時間をとって、ちゃんと思考とタイプが連動するように、そういう風な生徒を少しずつ鍛えていかないといけないなと思っています。
皆さんはデジタルと手書き、どういうふうに使い分けをしていらっしゃるでしょうか。先日、新聞記事なんかで大きくデジタルを使っていると能力が低下しているのではないかという、デジタル化に偏りすぎている、そういった継承ならす記事を拝見しましたけれども、やっぱり要するに最終的にはデジタルと手書きというのもバランスの問題なのかなと思います。
デジタルで書かせた方が最も能が活性化する、手書きで書かせた方が最も能が活性化する、それを見取ることができるのは生徒に相対している実践者ならではなんじゃないかなと思っています。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。