2025-08-18 07:39

319 読解方略との付き合い方

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国語教育で注目される「読解方略」。文章を論理的に読む技術は大切ですが、どこかもやもやしませんか? 本来の「人間理解」という読書の目的と、方略指導のバランス。生徒の興味を削がずに、どう読解力を深める? 国語教師の視点から、その本音を語ります。

 

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サマリー

国語教育における読解方略の重要性や、その習得への抵抗感について話されています。特に、生徒の興味を失うことなく読解力を深めるためのアプローチが探求されています。

読解方略の重要性
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、
多様な教育現場に長年勤めてきたオールラウンドな教員、黒瀬直美がゆるっと語っています。
さて、今日のテーマは、国語教育に関わる方なら一度は考えたことがあるかもしれない、
読解方略との付き合い方、というテーマでお話ししたいと思います。
国語教育では読解方略という言葉を、ここ5、6年ぐらい前から耳にすることが増えました。
文章を論理的かつメソッド的、方略的に読むための読み方の技術のことを読解方略と言うんですけれども、
もちろんこれはとても大切なことだと思う一方、私自身もやもやを感じていたこともありました。
今日はちょっとそのもやもやを語ってみたいと思います。
まず読解方略というのは、例えば要約するとか、登場人物の心情を読み取りましょうとか、
比喩表現に注目してみようといったように、文章を理解するための具体的な方法、アプローチのことです。
生徒たちから、先生、この文章をどうやって読んだらいいの?と聞かれたときに、
具体的な方法を示すということは、とても効果的だったり重要だったりしますね。
でも私が感じるもやもや感は、読むということを読解方略を習得するための手段になってしまいがちなんじゃないかということの抵抗感なんですよね。
特に小説教材なんかは、人間を理解して登場人物の中に自分を投影したり他者を投影したりすることによって、
喜びや悲しみ、葛藤を感じて、それから他者を理解し、自分自身を理解する。
その中で社会の問題を発見して解決しようと主体的に学ぶんじゃないかなというふうに思っているわけなんだけれども、
本来はそうやって自分に同化したりしながら読んでいくものなのに、方略っていうことの習得が前面に出すぎてしまうと、
そういったことが後ろに行ってしまって、本当の意味での読むことの豊かさや奥深さっていうのが失われてしまうんじゃないかなっていうふうに感じてしまうっていうのがこのもやもや感の正体だと思います。
とはいえですよ、とはいえ、そんなふうに文学教育とか小説の読みがあれもあるよ、これもあるよみたいな相対的な読みにとっちらかってしまうっていう、
そういう状態になってしまうとよく国語で何を学んだかわからないっていうふうに批判を受けたりするっていうのもあるんですよね。
だから方略を全く教えないっていうこともまた問題だなと思ってるんだけども、
どうしたら生徒の興味や関心、感動とか共感とかそういったことをそがずに読解力を深められるんだろうかと、
こういうふうにいつも自問自答しているんです。
私の経験上、学習に困難を感じる生徒が多い学校で教えてたときは、
いつも生徒の班のメインに授業を展開することが多くて、
多分ね、こういう予約っていう方法だと理解が深まるから次は予約しましょうみたいな感じで、
いちいち読解方略を振りかざして授業を行っていると、
生徒の興味関心はすぐそがれていってしまって、
本当に授業に前向きにならないっていうことはよく経験してきたし、
大いに予想されるんですよ。
それじゃあいかんだろうということで、
まずは面白がって読むっていうことをいつもメインにしてきたので、
どっちかというと読解方略っていうのは二の次の状態に置かれていたっていうのが私の授業のスタンスですね。
生徒の興味を深めるアプローチ
だからまず面白く読んで、楽しく読んで、わーわー友達と対話しながら読んで、
読みが深まったなって感じたときに、
じゃあどうしてこんな風に面白くなったんだと思う?あるいは深く読めたんだと思う?って聞いたときに、
こういう風に捉えたからとか、こういう風に読んだからとか、こういうところに注目したからって生徒は言うんですよね。
そうしたときにそれはこういう読み方、つまり読解の方法になるよね。
こういう方法も次に読むとき使えたらいいねっていうように後付けで落とし込ませるようにしていました。
そうするとね、クラスの何人かはやっぱりちょっとそれは賢い子だったり、ひらめきのいい子だったりするんだけど、
先生、前に習ったときのコークをこういう風に注目して読んだらこういうことがわかったよっていうようなことを言うようになるんですよね。
でもね、読解法略っていうのをもう少しきちっと教えたいなっていう風な思いもあって、
その読解法略を表にして、法略カードっていうのを読みの過程で置いていくカードゲームみたいなことをしてもいいかなっていう風に思いついたりなんかするんだけれども、
結局生徒が文章を読んで感想を言ったりこっちとやりとりしたりっていう対話の方をメインにやっていると、それがどっかに行ってしまうんですよね。
結局読解法略を教えるっていうことの目的は、結局読んでいるときに生徒がそれを自覚的に使えるようになることが手段であって、
やっぱりその文章に物語の世界だったりその文章構造に没入していくっていうことが先にないと、
後で自覚的になる、その方法について冷静になって捉えることができるっていうのがついてこないと思うので、
楽しみながらやっていくうちに読み方について自覚的になるっていうそういう風なアプローチで私は付き合っていきたいと思います。
この読解法略の指導っていうのは小学校、中学校、高等学校と繰り返しスパイラルに教えていかないといけない分野で、
本当に定着しにくい分野だと思うので、もう小中高、常にスパイラルで教えていくっていうことが求められるなっていう風に思ってはいるんだけれども、
実は私自身がそういった読みに自覚的になるっていう教育を体系的に受けていない世代なんで、
これはICTの浸透も同じことだと思うんだけども、教育現場全体にICTなり読解法略なりが浸透するには数多くの時間がかかる問題だと私は思っています。
だけど最初に取り掛かる人は、例えば明治維新の時代に袴着てても洋風のブーツを履いて写真を撮っていた坂本龍馬みたいに、
最初はちょっとくすっと笑えるようなちぐはぐな欠帯な格好に見えるかもしれないんだけれども、
少しずつ試行錯誤を重ねていって、こなれた着こなしになるまで自分自身の実力を磨いていかなければならない、
そういった時間が必要なんではないかなというふうに思っています。
それでは今日は、読解法略との付き合い方というテーマでお話ししました。
それでは皆さん、今日の配信はここまでです。
聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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