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2024-09-28 16:57

30.教材について語る①〜漁夫の利〜

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漁夫の利についてあれこれ話してます

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第30回、高校国語について話すラジオの時間となりました。
この番組では、高校の国語科教員であるなんばが、
普段の授業の話や研究の話などをして、国語科の先生のみならず、
いろんな先生に授業や教科について考えてもらうことを目的としたラジオです。
みなさん、こんにちは。アースマリティを進めます。なんばむっとです。よろしくお願いします。
前回29回では、書籍題についてお話しさせあげたかと思います。
本日、第30回では、漢文について少しお話ししたいなと思います。
漢文っていう風なものになってしまうと、少し専門的になってしまうかもしれませんが、
ちょっと僕の勤務校で、最近模試があって、その中で生徒と話していたところで、
え、そうなの?みたいなところもありましたので、その話を共有していきたいと思います。
本校、模試がすごく多くてですね、年間に何回やるんだろう?
7?もっとやってるのかな?っていうような、結構模試してる学校なんですね。
高校3年生になると、普段の授業とか大学入試演習の授業がほとんどになってしまうので、
日頃から問題を解いているみたいな、そんなような形になります。
最近も模試があって、生徒と話す中で、今回の模試、古文も漢文も読みやすかったよね、みたいな話をこちらがすると、
いや、先生は読みやすいですけど…みたいな。
あ、そっか、そうなんだ、みたいな。
その時に何で僕が読みやすかったかっていうと、古文の方は結構出来事ベースで、
序字的に語られているような文章で、内面というものが複雑ではないというか、
心情面も複雑に語られて、なんで?っていうような因果が見にくくないんですよ。
結構見えやすくて、ああ、そうなんだ、そうなんだ、なるほどねっていうように、すごく腑に落ちたような物語系だったので、
やってる中でも、むしろ今回古文とかは簡単だったなって。
漢文の方も見てみると、語順がはっきりしていて、すごく読みやすかったなっていう。
入れ子の構造にこうなってたりだとか、兼語文みたいな物が少なくって、
ああ、スマートに読めるかな、みたいな。
そんなような感じの文章だったんですね。
で、生徒とそんな話をして、漢文って結構解きやすいよね、俺好きなんだよね、みたいな話をしたところ、
生徒から、え?みたいな。漢文難しくないですか?みたいな。
おそらく生徒たちは、そもそも語句の難しさだとか、
あとはなかなか手が回っていないっていう、他の古文だとか英語だとか、
それこそ、記録関係の科目とかに時間が割かれてしまっていて、
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手が回っていないから、句法とかもなかなか把握できていない。
で、結果読めない、難しい、みたいなところがあると思うんですけど、
やっぱり一番抜けてんなって思ったのは、語順の指導がしっかり入っていないかな、
っていうところがすごく生徒の話の中で浮かび上がってきたことなんですよね。
で、漢文を読解する上で、語順を把握していないと、
そもそも僕とかは、語順やらないなら漢文やる必要ないだろうって思うぐらい、
漢文の基本の文の成り立ちを把握していくことが、英語学習にもつながると思うし、
現在の日本語の母語の学習にもつながると思っているんです。
なので、そこの指導がうまく入っていない。
だから、句法を覚えても読解なんかできるわけがないと思うんですよ。
送り仮名があれば、何とか和でこれ主語かなとかで追っていくことができるんですけど、
よくあるような送り仮名を送って、帰り店とかを送りなさいみたいなものがあると思うんですが、
そういうような問題も解けないだろうし、
なんか読んでて楽しくないなーって思ってしまうんではないかなと思います。
なので、言語文化で1年生でなかなか時間がないのはわかっているんですけれども、
やはりその漢文は語順こそやりたいよねっていうことを、声を大にして言いたいなと思っています。
なかなか僕も漢文を扱う時間が少ないので、
今、言語文化は上代の文章から近現代のところまで幅広く、
言語が文化としてつながってきたっていうことを実感させる科目という位置づけで、
高校1年生に設置されているというか、新たに出てきたと思うんですが、
やはりそういうふうに何かのテーマとかで、
言・語・漢っていうふうに文章とか教材をつなげて学習できるとすごくいいんだろうなと思います。
その時に漢文はどういうふうなところでできるのかって、
もちろん思想とかのところで学習することもできるでしょうが、
例えば入門期だったら、
個人生語とかを扱いたいところですよね。
文章も短くて、気象転結ではないですけれども構成もはっきりしていて、
というところであると思うんですが、
僕も前に友人たちと研究会をしているときに、
どういうふうに扱っていこうかっていう話をしていたので、
ちょっとその話を派生して、
漁夫乗りっていう個人生語があると思うんですけど、
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結局2人がいさかいをしていると第3者が利益を貸されてしまう、
そんなようなものが漁夫乗りなんですが、
やっぱりあれ個人生語、教材だと、
実際に漁夫乗りの文章が載っていて、
何かそういうような話なんだっていうところがあるんですけど、
やっぱりその漁夫乗りが、
当時どういう文脈でやっぱり用いられたのか、
っていうことを見てもらうと、
他の教材との関連性とかを見つけやすいのかなと思います。
例えば漁夫乗りだったら、
ある王国が、ある王国というか国が、
他の国を侵攻しようとしている、
攻め立てようとしているわけです。
で、その時に、
親家だったかな、親家だったか、
賢者だったか忘れてしまいましたけど、
が、王様に対して漁夫乗りの文章で、
教訓的に伝えるわけなんです。
それで結局、
王様は侵攻は確かやめるんだったと思うんですけど、
その時に、やっぱりどこに着目するかだと思うんですが、
僕とかは例えば、
モチーフっていうところで着目をしても面白いかな、
なぜわざわざあれを、
ドブ街とかっていうふうにしたのかっていう、
国と国で、
結局2つの国をとかっていうような話と、
第3の国をっていうので、
結局、
ドブ街って詐欺でしたっけ、
ちょっとごめんなさい、
鳥の名前忘れちゃったんですけど、
っていうものにまず2国を
比喩するわけなんですよね。
でも普通に考えたら、
ドブ街って、
国を比喩する適当かなって、
もちろん動物だからいいと思うんですけど、
なぜそこにその2つのモチーフが
用いられていたのかっていうところは、
やっぱり気になるところですよね。
ってなると、
動物をモチーフにすることは、
どういうような意味があるんだろう、
っていう言語の文化が出てくるかなと思います。
往々にしてありますよね。
動物をモチーフにして何かを語る。
それは現代文の領域で言うと、
例えば三月季とかも、
動物がね、
リチョウがトラ、
リチョウどう言われるかわからないですけど、
トラになるっていうようなところで話しているし、
例えば、
子供が今トラックに反応してます。
ヒーっていうところで言えば、
日本とかでも、
動物のヒーがされていますよね。
っていう風に、
それだけ取っても、
いろんなところにやっぱり派生できるから、
そういうのモチーフを考えさせるみたいなことでも、
面白いかなと思ったりします。
あとは例えば、
あれは説得のための例えなんですよね。
説得のために、
あの節字の引用というか、
教訓を話すわけです。
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って考えると、
説得する、
節字するっていう場合、
しかも目下が目上のものを節字するっていう場合に、
時代とか国の違いはあったのかとか、
そういうのを複数読んで、
その節字とかの方法を考え、
みたいなものも面白いかなと思います。
相手に何かを伝えて、
相手を納得させてね、
行動の変容を流したい時に、
やはり直接的に言うのではなくて、
そういうような教訓めいた話とかを入れていく。
プログラムのマスターかなっていう、
古代ローマか何かの話にも、
多分通じるかなと思います。
で、そうなってくると、
じゃあ一年生でどんな学習が
構想できるかなって、
もちろん目的がありつつもなんですけど、
例えば現代の国語で何かを説明するとか、
プレゼンテーションするみたいな学習活動を、
例えばクラス開きじゃないかな、
もう少しクラスが経った夏、
秋ぐらいにやるとしたら、
夏前ぐらいにちょっとそういうような、
説得するとは何なのかとか、
比喩というものは何なのかとかっていう風に、
漁夫のりとかね、
そういうような文章を含めてやった後に、
現代の国語の方でそういうようなプレゼントか、
誰かを説得するだとか、
っていうような学習活動が入ってくると、
1年生の2つの科目間の連携とかも、
面白くなるんではないかなと思ってます。
学校によってね、
言語文化と現代の国語の科目担当者が、
全然違うっていうことは、
やっぱり往々にしてあると思うんですけど、
僕個人としては、
もちろん負担は増えてしまうけれども、
現代の国語と言語文化は、
ぜひ同じ担当者が持った方がいいんだろうな、
と思ってます。
全員が全員同じではなくてもいいと思うんですけど、
誰か一人は中心というか、
核となるべき人が両方持っていて、
両方の科目の進行具合が分かり、
授業とかが構成できると、
生徒も、
なんか混乱づいてるぞ、
みたいなことを考えるし、
こちら側としても、
あっちの方でこういうことを学習したよね、
だからこっちだとこうするよ、
みたいな、
どんどん学びが繋がっていくような、
そんなような形でできるんじゃないかな、
と思います。
例えば国語総合のほうが良かった、
という話がよくあると思うんです。
その中で自由にできるって。
でもやっぱり、
一個利点として今思いついたことは、
科目が違うからこそ、
学習の繋がりって意識できるんじゃないかな、
って思う足もあって、
国語総合の中でやると、
もちろんいいんですよ、
やりやすいとは思うし、
そこに対しては全然否定もしないんですけど、
前これやったよね、
っていうような話が多分出てくると思うんです。
それってどれほどの学習者にとって、
価値があるんだろうというか、
学びが繋がっていくときに、
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一見繋がらないって思っていたようなものが、
実は繋がっているんだ、
みたいなのを、
生徒たちが感じられるといいなって。
その時には、
4時間だと、
流れでやって時間数も多いので、
やっぱりこなす量とか情報量、
情報量も増えてしまうので、
なかなかうまく消化がしきれない気もするんですが、
科目が2つに分かれていると、
同時並行的にできたりとか、
生徒たちも違うものっていうような扱いをするので、
そうなってくると、
実は他の科目と繋がっているんだ、
国語すごいじゃんっていうように、
なりやすいのかなと思います。
もちろん4時間ワンパッケージの国語総合の方が、
いろんな自由度がありますよね。
2、2で分けないとか、
そもそもある時期には週4で現代文化関係をやって、
ある時期には古文関係をやって、
みたいな柔軟性とかもあるんですけど、
今まで僕も国語総合をやってきた中では、
大体国語総合と言いながら、
有名どころの小説教材を扱い、
あとは古文、漢文の学習みたいな、
っていうようなイメージが強いかなと思います。
それはよくもあれ、悪くもあれ、
でも今思うと猛羅主義だったなと思います。
石井てるまさとか、
西岡かなえとかが言っている、
教授って付けた方がいいか。
逆向き設計、マクタイズとかの逆向き設計っていう文章の中にも、
2つの大きな過ちがあると、学習には、授業には。
1個目が猛羅主義と言われる、
教科書を端から端までやらねばならない、
っていうような考え方。
社会とかにも多いですよね。
もう1つは活動主義で、
知的な学びになっていない、
つながっていない、
そういう活動だけがされているみたいな。
これ前笠原先生のノートかなんかでも、
本当にみたいな、
笠原先生がリポストしたやつか、
総合探究のところで、
相まる活動主義の例で、
逆向き設計のものが実は中に取り上げられていたんですけど、
そういうところもあると。
もちろん学びの中で活動だけ、
知的のつながり、
学びにつながっていないから活動ダメとかっていうのは、
現場レベルで言うと、
そうじゃないよねっていうか、
難しいよねっていうことは、
往々にしてあるわけなんですけど、
それを分かった上でやっているとか、
分かっていない上でやるとか、
全然違うと思うので、
そういうようなところとかを、
やっぱり考えていきたいですよね。
もちろん知的な学びに、
つながるんだ、つながるんだ、
うおーってなっちゃうと、
それはそれでもしかしたら窮屈かもしれないですよね。
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でも別にいいんじゃないですかね。
窮屈ですよねっていうか、
時代の流れの中で、
昔は結局言い方悪いと、
活動やって学びなしみたいなことが言われていて、
そういうのも受けて、
結局は学びにつなげましょうっていうような、
論明かなと思いますので、
それはすごく必要なことだろうなと思います。
だからある程度経験なさっている先生とか、
こういう活動したらこういうような感想で、
こういうような学びが経てっていうところで、
すごく指導の系統性とか見通しとかも、
明確に分かると思うんですけど、
なかなか僕も含めて若手の方は、
何のためにやるのかっていう位置設定、
位置づけがもしかしたら不安定なこともあるので、
最大公約数的にというわけではないですけれども、
そういうことをしっかりと考えようねっていう風なスタンスは、
やっぱり大事かなと思いますし、
僕が今後実習生とか、
初任者とかそんなような人と関わる立場になったら、
やっぱりそこは大切にしていきたいかなと思います。
なのでちょっと最初の話に戻りますけど、
漢文で比較教材とかを扱って、
何かをしなきゃいけないとかではないですけれども、
なぜその文章を扱う価値があるのか、
その漢文を扱う必要があるのかっていうところは、
常に注意をしながらやっていきたいなと思います。
僕は全然漢文が得意ということではないですけれども、
そういう風な教材の探し方とかすると、
見え方が変わるんじゃないですかっていうことで、
今回のポツキャストになっています。
ベテラン先生はもっといろんな方法値があると思いますので、
ぜひ教えてください。
ということで、リスナーの皆様、
あらためてまなの皆様、
いつもいつもありがとうございます。
では今後の放送をお楽しみに。
ありがとうございました。
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