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2026-11-06 35:49

5/188 【ネタバレ&老害注意⚠️】真面目に「ゴジラ-0.0」批判

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【この作品が好きな方で批判を聞きたくない方は聞かないで下さい】

高評価ばかりで、かつ「反核・反戦映画」とも捉えられている風潮に不安を感じています。ただのエンタメ映画ならよかったのに…

感想

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00:10
はい、11月6日、金曜日です。 ながらcastを始めます。おはようございまーす。
はい、今日は青空で、日も結構暖かいですね。 ここ2日、3日、冷え込ん、2日ぐらい冷え込んだんですけどね。
今日は日差しがポカポカという感じですが、 24世紀72項の方では、
もう既に月曜日からかな、 モミジ、ツタ、キナリという項に入っています。
まあその通り、モミジやツタが黄色くなる、 なり始める頃という季節に移ってきております。
先日ね、ケイセン、タテシナガーデンに行った時も、 もうかなり紅葉が進んでまして、
モミジ、 ツタがね、ほんと赤くなってましたね。
まだね、静岡、ここ静岡はそこまで進んでませんが、 ちょっとやっぱり紅葉してますね、いろんなものがね。
はい、そんな秋深まる中、ながらキャストスタートです。 この番組は自分大好きな62歳、私笹雪の声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、 息がハァハァ上がったり、周りの雑音騒音、風切音などが入ったりしますが、
何卒ご容赦ください。
ということでですね、 昨日に続いてゴジラマイナスゼロについて、もう一度ちゃんと語ろうと思います。
昨日どうもね、あの言いたいことまでたどり着いてなかったんですよ。 なので改めてお話しようと思いますが、
僕の見た感想は、
怪獣映画、エンタメ映画、 映像表現みたいなところではもう大満足。
音響もめちゃくちゃ良くて、すごい迫力で良かった。
ただ、その裏に流れている
ものっていうのが、 本当に俺これ、
老害だと言われるかもしれないし、考えすぎって言われるかもしれないんだけど、 これは本当に良くない。
03:05
警鐘を鳴らしておかないといけないっていう思いで今日はお話をします。 ゴジラマイナス1の時にもそのことを
すごく感じていたんですけど、 改めて
ちょっと自分なりにね、ちょっと難しいけど整理してお話ししようと思います。
最初に僕の言いたいことは、 これ反核、反戦映画って言ってる向きもあるけど、
ゴジラマイナス1の時に、 反戦じゃなくてこれ抗戦じゃね?って思ったのね。
今回も見て、
さらにその思いは強くなりました。 抗戦、
でも、本当に一言で言うと抗戦的なんだよね。 逆に言うと反、反戦、
とも言えるんだけど、 ものすごくね、やっぱり
先の対戦のことを批判的に言うことで、それを免罪符にしながらやってることとか、
精神的な動き、メンタリティーみたいなものは、
戦時中と変わってない、 なっているふうに思います。
ただそれがあまりにも巧みに隠されて、 巧妙なんですよ。
本当にこれね、
俺、山崎監督って、
俺怖い人だなって思ってます。そういう意味では。
なんかね、
こういう熱い人間ドラマ、
絆は言ってないけどさ、要は、
顔の見える関係の中で動く人たち、
今回も前作の流れの人間関係がベースにある中で、
野田に呼ばれていく、野田のために、あるいは家族のためにでも何でもいいんだけど、
身近な誰かのために命を懸けるっていう図式にしてるので、
見てる方はそこまでアレルギー、拒否反応は起きないんですけども、
起きないように作ってる結果がこれだと思っているので、
そこのところをよくよく注意してみないと、
本当に戦時中とかそういった時の日本人のメンタリティを、
これね、補強、強化して、
真相的なところの心に、
06:02
なんかね、上手く網を張ってきてる。
本当に危険じゃないかって、
これ考えすぎかなと思うんだけど、
本当これ怖いなと思っています。
もうちょっと次から詳しく話そうかな。
前作では和田積み作戦をやる前に、
なんかみんなが一つところに集まって話をする時に、
なんだろう、かつての軍を批判するような意見を言っていたり、
あるいは佐々木龍之介さんだっけ、
黒之介さんも船に乗りながらそういう軍部を批判するみたいなことを言ってましたよね。
ただそれってね、俺本当に免罪婦だと思っていて、
そういう視点を持ってますよ、批判的な視点を持ってますよっていうところを見せることで、
ちょっとはぐらかしている。
これ反戦じゃんって思えるじゃんね、そこだけ見てると。
今回は特に思ったのが、結局みんな死地に赴くんだよね。
命を懸けるような作戦に主人公たちみんな突っ込んでいくっていう。
結果的にそれがいいことだ、素晴らしいことだ、かっこいいことだ。
それができない奴、逃げる奴はクズだって俺は言ってるようにしか見えなかったんですよ。
これ極論でごめんなさいね。
今回で言えば、鳴神作戦のために志願してきたパイロットたちを前に野田が説明するときに、
なんだ命の危険があるんじゃないかって言って文句が出ますよね。
その時に、いや俺はそんなことだったら参加したくない、俺は帰るとか、
そういう、そこで死を選ばない人を描きはしないんですよ。
文句は言うんだけど、結局その場では浮き入れて、
次回の作戦会議の時には人が減ってるっていうだけで、
その消えてった人たちは描かないんだよね。
残った人たちが今度は四季島のアドバイス、経験者としてのアドバイスに対して、
またイチャモンつけるやつが出てきたりするんだけども、
結局のところ、命を懸けて作戦に行くやつの物語になってるんですよね。
結局ブルブル震えている、二つ理由があると思うんだけど、四季島が四季島に赴いたのは。
でもいずれにしてもあそこで描かれてるのって、
09:04
危険なところへ行かないっていう選択をした人は描かれてないっていうことをすごく俺は気にしてるんですよ。
本来そっちを描くことが俺は反戦だと思ってるんだよね。
そういう戦いそのものを拒否するっていうことの尊さ、
日常の平和を大事にすることの尊さみたいなものを全くと言っていいほど描かずに、
それの象徴として描かれているはずの四季島系、
もう結局アキコのためって言いながら危険な市地に赴くような任務に自ら進んで突っ込んでいく。
それっていいよねっていうもう隠れたメッセージがあるんですよ。
俺はね、ごめんちょっと話急に飛びすぎてついてこれない人がいたら申し訳ないんだけども、
ただあれとは違う、戦争の時とは違うっていうのがこの映画の巧みさで、
誰にも命令されてないんですよ。
本来なら軍とか自衛隊が動くべきところを動けない、GHQも動けないっていうすごい無理矢理な設定を作って、
しょうがないから民間人がやるっていうのはマイナス版だったんだけど、
今回はそこの大災害、災害探索本部の野田みたいなところを中心に動いていって、
国家感ってでも消えてますよね。
これ本当に巧みで、何で戦後の日本を舞台にしたかっていうと、
山崎監督もこのためなんだよなって俺は思ってます。
確信してるっていうか、通常の時代であったら民間人が主体になって動くっていうことはありえないんですよ。
ただ戦後の混乱期だから、ソビエトと冷戦状態だから、そういうことを言って、
軍、国家、自衛隊みたいなものを、そういう匂いを全くさせずに、
まるでボランティアみたいな感じで、
熱い志に共鳴した熱い奴らがそこに募って、
命がけの作戦を繰り広げるっていう、本当にめちゃくちゃなフィクション、
めちゃくちゃなファンタジーみたいなものを、
それをリアリティある映像で見せてくるわけなんですけども、
結局のとこね、どんどん言わなきゃいけないんだけど、
12:03
山崎さんの考える戦争批判って、システムの批判、軍が悪かった、俺たちは悪くないっていうことを、
すごい繰り返し言ってるんだよね。
もちろんそうですよ。コマとして使われた市民、兵士たちに責任が本当にあるのかって言うと、
そうじゃなくて、国家なり軍なり政治家なりっていう上の人たちが悪かったっていうのは、
僕もその通りだと思うんだけど、
じゃあ、あなたたちには何も責任なかったのかっていう視点がないんですよね。
これはなんて言ったらいいのかな。
結局ね、俺一番言いたいのは同調圧力っていうことを言いたくて、
戦時中もそうだったと思うんだけど、隣組とかそういったお互いに監視し合うような中で拒否できないとか、
あるいは軍の中でもそうだと思うんだけど、強烈な同調圧力の中で死を選ばなさるを得なかった。
特攻の本なんかを見てても、読んでてもそういうシーンが実際あったんだけど、拒否できないっていう、
みんなが志願するっていう流れになっていく中で、
お前も行くよな、みたいな。お前も行くよな、逃げないよな、みたいな。
そういうものに対して拒否できないっていうことが、実は悲劇の原因って言うと変なんだけど、
それって本当に俺大事なことだと思っていて、
システムのせいにして自分たちは責任はないっていうのは、ちょっと楽観的すぎるって思ってるんだよね。
そうじゃなくてっていうところを、実はこの映画では結局のところ、
同調圧力みたいなものでみんなが動いているような映像がいっぱい出てくる。
片谷、マイナスワンの時の水島だっけ、あの若い船員。
彼はそのワダツミ作戦に参加できずに置いてかれるんだよね。
お前はまだ未来があるから残れ、みたいな。
これって本当に戦争の時と一緒で、残され、それでさ、上の人たちはいいことやった、みたいな感じの雰囲気で、
ヒューマンドラマみたいな、いいシーンみたいにもなっているんだけど、
そこで描かれているのって、実は残された水島は犯人前で使い物にならないやつなんだってことなんですよ、メッセージとしては。
15:06
それを水島は体現しているんだよね。
すごい自分は劣等感を持っているというか、参加できないことが自分の未熟さを証明しちゃっている形になるから、
だからマイナスワンの最後の方で船に乗って助けに行くみたいなシーンで、
彼としては一人前になったみたいな感じのシーンがあるんだけど、
それも含めて、要は戦地に行かない奴は犯人前、逃げる奴は、クズって言うとちょっと強い言葉だけど、逃げる奴は根性なしだと。
みんな行くよな、おい行くよなっていう、そういうちょっとマッチョな、待ち相撲的な部分。
そういうものがずっとこの映画のマイナスワンもそうだし、今回のマイナスゼロもそうなんだけど、そういうのを感じるんですよね。
だから家族のために、秋子のためにって言いながら戦地に赴くのって、戦時中と変わらないじゃないですか。
もちろん命令で赤髪で行くっていう強制力っていうのはあったんだけども、
結局個人としては、一兵士としては、おはようございます、お国のためにっていう大義名分はあるだろうけども、
一番の心の支えになってたのは、自分の母親を守りたいとか、自分の妻や子供を守りたいっていうところに結局のところは修練していくっていうのかな。
だからメンタリティ的には俺は同じように見えるんですよ。
もう一つは、かつての戦争においては必ず死ぬような作戦だったけど、今回の作戦はそうじゃない、希望があるみたいなことで、
前の戦争の戦地に行くのは必ず死ぬっていう言い方をしてたんだけど、それもなんか俺の感覚はずれていて、
みんな必ず死ぬと思ってたのが特攻兵で、部隊として参戦していた人たちは生きて帰るつもりで行ってたはずなんですよ。
だからそこって結局ゴジラの作戦に参加する人たちも同じだと思うんだよね。
生きて帰るぞ、必ず帰ってくるっていう思いで行ってるわけで、そこを特攻と他の兵士たちを意図的に回せてるんだよな。
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だから一生懸命先の対戦とは違う自由意志で、自分の選択でこの作戦に参加して、
国の命令ではなく、愛する人のために、自分の家族のためにっていう動機で行ってるんだから違うっていうふうに山崎監督は言いたいんだろうけど、
俺には本当に同じに見える。
あの物語、あのドラマ、あの感動的なエピソードみたいなものを僕らは見させられている中で、やっぱり今言ったような無言の圧力、同調圧力みたいなものを肯定している。
行かない奴は弱虫、臆病者っていうもの、そういう価値観をね、俺ね、ステルスすり込みっていうのかな、そういう感じがしてならないので、こうやってね、皆さんが聞きたくないようなことをあえて言っております。
まあいろいろ言うてますが、広島のね、つまり原爆が落ちた直後の広島の惨状を描いたっていうことに関しては、一定評価できるなとは思います。
そうやって言ってる方もそれなりにいるんじゃないかなと思います。
ただですね、これについても俺はちょっと残念だなって思う部分があるんですね。
あそこでその惨状に立ち会った村上教授ですよね。村上さんが、自分の孫や子供が死んでしまったところが描かれるわけなんですけど。
あれってあのシーンを多分2回見せたのかな、3回かな、2、3回確か見せた。
そこで深い傷を負ったという表現をしてるんですけども。
あれがリアルなのかっていう疑問をね、昨日私はちょっと疑問に思ったっていう話をしたんですけども。
それはさておいて、ただただ、俺はまたさらに突っ込みたいと思います。
21:04
あのシーンだけなんですよね。
広島の惨状を描いたものって、あれで伝わるんだろうかっていう疑問があります。
これで世界に向けて、その広島の原爆の無誤さみたいなものが伝わるのかっていうのがですね、ちょっと弱いんじゃないかな。
もちろんそれがメインのトピックではないんだけども、結局あの人が普通すぎちゃうんだよ、村上さんが。
もちろんそこまでやれって言うとね、大変になっちゃうと思うんだけど、
村山さんに何の傷もないっていうのが俺は、心の傷はあったとしても、目に見える身体的な傷がないっていうのがちょっと物足りない。
っていうのはゴジラの、ゴジラキンだっけ、ゴジラの人たちはすごくちょっとグロテックスな感じで描いてたじゃないかね。
はい、そんなわけで今日はゴジラマイナスゼロについて、やっぱりどうしても気になるし、
どうしてもこれは老害だと言われると思うんだけども、これをそのままただの円溜めって言って見過ごすっていうことがやっぱり怖いんですよね、僕は。
だからどうしても言いたいことを今言ってます。
最後に話してた村上教授についてはちょっとイチャモン的な感じになっちゃって、自分でもそれは自覚してますけども、
もし原爆を描くんであれば、やっぱり放射能を描かないといけない、もちろん強烈な爆発っていうか熱とか風とかっていったものの悲惨さもそうだけど、
その後に残る放射能の被害もやっぱり描いてほしかったと思う。
ただこのゴジラっていう中で描くのは難しかったのかもしれないから、本当にこれはイチャモンになってるかもしれないんだけど、
ただ村上教授に例えば被爆直後の広島に入ったんであれば、何らかの後遺症があったっておかしくはない。
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それ描かれてたのかな、いやちょっとわかんない。
俺は描かれてなかったと思うんですよ。
でもそういったものを描くことはできなかったのかとも思います。
なんとなく俺は、まあわかんないよ、それは山崎監督なりにいろいろ考えて、強い思いを持ってあのシーンを入れたと思うんだけども、
どこかで物語を動かすためのトリガーというか装置に見えちゃう。
つまりアメリカにゴジラがやってくるみたいな映像、ショッキングな映像を導き出すためにあれがあったんじゃないかぐらいにかんぐっちゃう。
これは俺が性格悪いだけ、それを露呈しているだけなのかもしれないんだけど、
もう一歩踏み込めなかったのかっていうのが俺の残念だなと思っている部分です。
もしかすると脚本にはあったけどカットされたのかもしれませんよね、全世界公開っていう中で。
それは俺にはわからないんだけども、あれだけじゃって思う。
本当にこんなこと言うと失礼だとは思うんだけど浅いんじゃないかと。
原爆っていうものを語るには、そんなことはわかってますよって言われるのかもしれない。
でもそれでもここまでやったんですよ、私はって言われたらすいませんっていうしかないんですけどね。
今回どうしても私言いたかったことはほぼ言い尽くしてはいるんですけども、
決して反戦映画ではないなっていうことをやっぱり言いたくてこの話をしてます。
むしろその戦時中の日本人のメンタリティ、心同調圧力を含め、
見事に同じことを繰り返しているっていうことに対して無自覚や自覚的にやっているようにも思うんですけども、
戦争を批判しつつも、でもその時のメンタリティ、日本人の仲間外れが怖いとか、
27:06
みんなから指差されるとか、あるいはもしかしたらもっとひどい目に遭うとかっていうのが怖くて、
反対できなかった、あるいは拒否できなかったみたいなものをもう一回見せられてるんだよな。
だからその怖さなんですよね。
結果的にやっぱり立ち向かう人たちはかっこいいっていう、そういう図式を見せられている気がして、
ちょっと繰り返しになっちゃうかもしれないけど、最初の鳴神作戦で震えていた彼、
彼のためにも多分四季島は自ら飛んだと思うんだけど、でも結局彼は飛ぶし死ぬんだよね。
そこのところは大して絵描きもしないっていう、本当に都合よく人が死ぬなって思うんだけどさ、
あれが逆にリアリティがあっていいっていう見方もできるんだけど、
本当にそういうののための道具として彼らも使われている。
もう一人のイチャモンつけるパイロットもそうだし、別にそれはそれで仕方ないのかもしれないんだけど、
全てが四季島を動かすためにこいつらが存在しているとかさ、
なんか本当にさ、最後の乗り子に四季島が一緒に四季大帝に乗って作戦を遂行するためにこういうプロットがあるみたいな感じに。
これはでも物語の組み方の話だから、その話は今日はする気はあんまりないんだ。ごめんなさい。
そういう見方を俺はしたいんじゃなくて、あくまでも敵と戦うために命がけで行くっていうことを全肯定しているっていうことばかりを描いていて、
そうでない選択肢みたいなものを全く描いてない、描かれてない。結果的には僕らの心のどこかにはこれが残っちゃうんじゃないかっていうのがあって、
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どこかに俺もあるんですよ、そういう気持ちが。だから怖いのよ。つまり前作のマイナスワンで、四季島は自らの意思で特攻へ出撃する中抜け出しちゃったね。
故障しましたっていう嘘をついて、富士着じゃないんだけど大乙島に着陸するわけじゃんね。残った連中はどうなったのか。多くは死んだんじゃないかと思うんですけども。
っていうふうになった時に、俺の中で四季島に対してこいつは逃げたやつだっていう非難する気持ちがあるんですよ。
本当にこれはみんなは覚悟を決めて死んだのに、お前はなんですこすことさ、逃げ出すんだっていう非難したい気持ちが拭えないのね。
だから裏を返せば自分がああいう場所に放り込まれた時にやっぱり拒否できない。自分もその中の一員として振る舞っちゃうじゃないかっていう本当に恐れでもあり、多分そうなるだろうっていう。
確信とまではいかないけど、だろうなっていう気持ちがずっとあるんですね。そこまで俺は自分を信用できない。俺だけがそれを拒否してっていうことができるのかっていうと、いやできないだろうなっていうふうに思
う。
だからこそそういう状況にならないようにしたいなっていうふうに思うんですよね。
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いやできないよな、じゃあ一緒にやろうっていうこの圧力のものを客観視というか客体化というか、それが全てじゃないんだっていうものを見せていかなきゃいけない。
それが全てじゃないんだっていうのが全くそういう視点がここにはないっていうことが怖い。
もう終わりますけど最後にもう一個だけ、これ山崎監督の問題なのかわかんないんだけど、本当に自分たちは被害者だ、被害者だっていう話を延々しているように見えるんですよ。
戦争で駒のように扱われたとか、広島もそうなんだけど、ただ自分たち自身の責任、さっき言ったような自分たちもそれを受け入れてそこに乗っかってやってたっていう自分たち自身を振り返る部分の欠如もあるし、
あと自分たち若返しだったっていうことは全く今回触れてませんよね。もちろんそれ触れる必要があるかっていうのはないんだけどね。
ただその視点が完全に欠如しているっていうことに対してもやっぱり危機感というか、まあ大丈夫かなって思っちゃう。
なんかそれを書かなきゃいけないっていうのはちょっとそれはまあ俺はそんなことは言わないんだけども、ただそういうなんか視点みたいなものがあったときに物語ってやっぱり見え方が変わってくるし、映像としてもや
っぱり脚本としても変わってくるような気がするんだよね。
まあゴサゴサ言っちゃいましたが、世の中あまりにもゴジラを評価する話しか聞こえてこないんで、この怖さをどうしても吐き出したくて今日また話しちゃいました。最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました。ではまたね。チュース。
35:49

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