1. 小松正史『耳の保養』
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2026-01-11 12:28

【悟り】やる事は同じ。淡々と生きるのが「最強」な理由

悟りを開いても劇的な変化はない。結局は「目の前のことを淡々とやる」姿勢こそが最強の武器。平凡な日常に潜む真理について語ります。

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サマリー

このエピソードでは、淡々とした生活の重要性と禅の教えである「悟り」について語られています。変化があっても基本的な生活習慣を維持することで、より効率的に物事を進めることができるという考えが強調されています。また、淡々と生きることの重要性とその中で得られる感謝の気持ちについても触れられています。悟りに至った後でも、日常生活の基本的な活動は変わらず、シンプルな行動が最も難しいというメッセージが伝えられています。

淡々とした生活の維持
おはようございます、小松でございます。お正月もね、もう過ぎてだいぶね、もう2週間以上ぐらい経ちつつありますけれども、いかがお過ごしでしょうか。
僕はですね、正月明けから大学の仕事、そして日々のクリエイト、そしてまたね、いろいろな変化のある年でもあるので、
日頃の中で言うとどういうのかな、あんま変わってないことは変わってないんですけど、淡々とやってる感じですかね。
日頃のことをずっとこう、変わらずやっていくっていうような、そこは本当に変わらないですね。正月であろうと、忙しかろうとね、ちょっと時間の余裕がある時であろうとね。
最近そういうことはあんまないんですけど、あんま変わらずやってるっていうことをね、ちょっと今日は話してみたいなというふうに思います。
それでですね、最近ちょっと知った言葉がありまして、禅語の紹介なんですね。禅の世界で悟りの前、木を切り水を運ぶ。
悟りの後、木を切り水を運ぶというね、この禅の言葉の紹介っていうのをちょっとね、したいんですけども。
別に僕は悟ってるわけじゃないんですけど、禅の偉いお坊さんにしてもですね、もう悟る禅語で全く変わらないっていう、こういう同じ仕組みで動いていく、生活していくっていうことがめちゃくちゃ大事なんじゃないかなというふうにね、常に僕は思ってまして。
ほんと変わらないですね。どうだろう。若い頃はそうはいかずにね、朝起きる時間も変わったりとか、深夜遅くまでね、何か夜更かししたりとか、まあいろいろやりましたけれども、もう最近はですね、夜だったら12時前後には寝て、そして朝6時過ぎには起きてみたいな。
起きたらまあ淡々とね、ここの音声でも伝えたように、朝のルーティンがありますよね。寝床でやる、このももあげとか、そしてロングブレスとか、ヨガとかね、呼吸法とかね、ずっとやりながら、耳トレももちろんやりますよ。僕が作った耳トレですからね。
まあそういうのやってて、まあほんと一緒だなっていう感じだよね。で、その中でね、やっぱ思うのは、もう結局別に効率を求めるとかそんな関係なしにですね、やっぱりずっとやってるとそれが一番効率が良いっていうことがね、本当に感じられるんですよね。
で、人って、なんか状況がね、良くなったり好転したらね、生活をガラッと変える人もいたりしますよね。特にまあ、あの、給料がアップしたりとかね、なんかお金が入ったりしてきたりすると、まあ派手なことをね、まあしたくなるっていうことは常にあって、まあそのためにね、高いブランドのものとかいろんなものを売ってるわけで、普段だったらとても買おうかなとも思わないんだけど、
知覚と観察の重要性
まあ、歯振りがね、良くなったらパーッと買っちゃう方いらっしゃいますよね。で、こういうことって、やっぱ変動が大きいんですよね。で、僕が一番避けたいのは変動なんですよね。あの、えっと、これ誤解してほしくないのはですね、音楽とか表現についてはですね、もう様々な変動、心がより、あのね、素直な状態に行くっていうのはとても大事なんだけど、まあそれを支えてる基盤なんですよね。
基盤を派手なことしたりするとこう変動したりとかってするともうね、長続きしないんですよね。継続性がなくなっちゃうので、もう常に淡々と同じその容器というかね、器を保ったままで、その中身ね、コンテンツの中身だけでこう変動するっていうのは僕、絶対ありだと思うんですよね。でもね、今日伝えたいのはそのずっとね、悟りの今の話で言うとですね、あの、自分の体であるとかマインドですよね。
そんなあたりはずっとこう、保っていくようなデザインというかですね、調律をした方が、まあどういうのかね、人によって知り合わせっていうのは色々あるのも違うと思うんだけど、僕はあの、いきやすいかなっていうふうに思うんですよね。
でまあね、僕も色々なタイミングで変化したりとかね、大学だとね、どんどん仕事が増えるとか、まあ出世というかね、はじめは講師で入りましたけど、準教授、教授みたいな、まあそういうふうな変化があって、変化はあるんだけど全く僕変わらないんですよね。
で、周りから色んなことをね、自分が思う以上にこう、どういうのかな、先生とかね、なんかすごい人って僕は全然思わないけど、周りは思ってる人いるかもしれないですよね。そういう時にこう、距離感というかね、なんかこう、あがめ立てまつられると、距離がやっぱ見えるわけですよね、普段の定点的にいるとね。
だからそういうようなところが、まあいわゆるコミみたいなものもあったりかなんかして、いや別にいいじゃんっていうような、人間として接してるのでね、はい、そういうところがあってね、距離感が人それぞれ近すぎたり遠すぎたりっていうところもやっぱ不自然だなと思うので、あんまそういうふうになるとちょっとめんどくさいので僕は話さないっていうか、特にあんまりスルーな感じでね、やっちゃったりしてることありますけれども。
まあそういうところでね、まあ今はいろんな変動もあるけれども、まあ一つのパターンには入ったなっていう感じなんですね。やってることって言ったらね、こういうふうに今ね、毎日マイクに向かってね、好きなこと喋ってますし、時間があったら音楽を作ったりすることが、今はちょっと忙しいので数ヶ月、数年やってないですけどね、そういうの作ったりとか、
まあいろいろな今の大学のね、さまざまな仕事をね、まあ淡々と観察しているだけみたいな、まあこういうことなんですよね。で、これが結局なんていうのかな、得とは言わないけど、得積むっていう言葉ありますけれども、
その得を積んだから世界が良くなったとか変わったのかっていうことは全くないっていう感じなんですよね。ただ観察してるだけっていう感じ、本当に。家の中でも観察している、そして外に出ても観察している。大学のお仕事をしてても観察している。
まあライブ最近やってませんですけどね、ライブをやったりする前後でも観察しているっていう、すごくね、マニュピレーションっていう言葉が音楽であるんですけどね、操作するという音色のマニュピレーションとか、あの音楽のその楽器のね、あのコンディションを整えたり、まあライブ中に機械を使うときに装置を切り替えたりね、用意したりする人をマニュピレーションって言うんですけど、
まあマニュピレーターみたいなことをずっとやってる感じなんですよね。で感情的には、それは喋り方とかね、変動は多少あるけれども、かなりあの弾いて物事を見ていることが多いですよね。常にこれ自分ってこれ今どういう状態で存在しているのかなとかね、
これ疲れてるからちょっとこう判断力が鈍くなっていってるんじゃないかなとかね、そういうことはね、常にね、こう結構自分で認識することは割とありますよね。だから結局やってることっていうのは変わらないんですよね。ただ単にこう自分っていう仮のね、容器、まあいずれ死んでいくわけですけれども、まあ仮の容器があってですね、まあ仮物だと思うんですよね、体とかそのあたりはね。
淡々とした生き方の重要性
それがあの今日もね、ありがたく何とか健康に動いていただけてるという、自分に関してね、リスペクトっていうのが一番大事ですから、まあ自分が何とか生きてるなとかね、ありがたいことですよね。そしてある程度冷静に物事が判断できるなっていうこともすごくありがたいことですし、そういうのをね、あの観察してるということなんですよね。
で、さまざまなことがね、外界からやってきます。人がやってきたり物がやってきたりね、いろいろなものがこうやってくるんだけれども、それは基本スルーというか観察なんですよね。あんまり感情が動くっていうことがほぼないというか、表面的な感情はありますよね。
気度愛楽は人間生きてる限りあるし、僕もすごくありますし。でもそのね、もうちょっと核というか芯のところっていうのは、あんま変わんないですよね。変わりようがないんだっていうところがするんですね。まあそういう中でね、ちょっとトラブルがね、あったとしても、このトラブルはね、今日も同じようなパターン、昨日もこれあったよなとかね、数ヶ月前にこれあったからこういうふうに解決していこうかなっていうのを淡々としていくっていうことをすることもあるし、
あとは見返りっていうことも僕全然ないんですよね。様々な人がね、質問したりね、助けてって来たりしたりする場合もですね、誰かのために人がですね、音楽を作りたいな、音楽を欲しいなっていった場合も淡々とその要望にお答えしたりとかね、しているというか、
まあそういうことを淡々とやっていって、ただまあ自分でね、仕事というか、人はもちろん選択しますよ、選択するんですけども、まあそれをただ淡々とやっていって、結局自分がご機嫌な状態で楽しくやっていくっていうことをね、していくと、いつの間にかですね、
生のスパイラルみたいなものにだんだん入っていくというか、まあその感じですよね。それが生のスパイラルで嬉しいっていうこともないんですよね。ただ淡々といるっていうような、別に僕は高尚な人間でどうだっていうことじゃないんだけど、全くないです、それはないです。
ただそういうふうにね、だんだんこう、もうじき誕生日になりますけど、1月14日に、なんかそういう純度が高まっていってるなっていうような感じがするんですよね。だからまあ普段の、お腹が空いたらちょっとコンビニでおやつ買うときもあるけれどね、その300円のおやつとかがあったとしても、もうそれがね、本当それだけでもありがたいっていうか、
美味しいですよね、なんでもかんでも。ご飯も美味しいよね、なんか。そして寝る前にね、いろんな仕事があったにしても忙しかったりね、ちょっとこう、あの、圧かかったりはしますけれども、寝るときは瞬間で寝たりしますよね。あれ朝か、みたいなね。
まあそういう感じで、自分のその淡々としている状態を積んでみたりとかね、そこで得があったら得積んでもいいと思うんですけども、まあそういうときにね、まあそれを続けていくと、あれ、なんか生きるため、生きることがなんか楽になったなっていうような、まあそういう状態になると思うんですね。
それが多分、あのまあボーナストラックって言ったら大げさかもしれないですけれども、そういうものに巡り合えたとしたら、まあ自分の皆さんの好きなというかライフワークが、まあより充実していくんじゃないかなと思います。僕はまあその音楽をね、奏でるっていうことがね、すごくライフワークでね、やっていってることなので、まあそこにやっぱ修練していくんじゃないかなっていうふうにね、思います。
だからそういう淡々と過ごすこと、悟りのね、あの禅の言葉としては、最後繰り返しますけれども、まあ悟りの前、木を切り水を運ぶと、悟りの後、木を切り水を運ぶっていう、まあそれだけっていうだけの、それが一番ね、やっぱ当たり前の普通ってめちゃくちゃ難しいって糸井重里さんも言っていらっしゃいましたけど、ね、普通が難しいんだよねっていうお話でした。
ありがとうございました。
12:28

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