1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
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2025-12-25 16:04

#108 僧侶と映像のお仕事の軸は「自分のできる範囲で人の心をほぐす」|ゲスト: 内田寛崇さん

【今月のゲスト】

大満寺副住職 兼 映像クリエイター 内田寛崇さん


【今回のトークテーマ】

・クリスマスもお正月も馴染む日本の宗教観について

・僧侶と映像のお仕事の軸は「自分のできる範囲で人の心をほぐす」


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。

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サマリー

内田寛崇さんは、僧侶としての経験を通じて死に向き合う必要性や宗教の役割について深く考察しています。彼は、人々が抱える死への不安や日常の忙しさから離れる中で、心の支えとなる場を創りたいと考えています。このエピソードでは、内田寛崇さんが僧侶としての活動や映像制作について話し、心をほぐすことを目的としたコミュニケーションの重要性について論じています。また、彼の好きな言葉「諸行無常」と「一切皆苦」を通じて、人生の無常や苦しみを受け入れることの大切さを伝えています。

00:06
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT。
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
今月のゲスト、大万寺福住職権映像クリエイターの内田寛崇さんをお迎えした会。
こちらももう最終週になりました。どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
宗教観と死のタイミング
ここでですね、ずっといろんな話を伺っていたんですけれども、内田さん自身の宗教観というんですかね。
僧侶されていての軸みたいな話を伺っていきたいんですけれども、どうですか。
宗教観って、我々素人は一言で言うんですけど、お坊様としてはどういう捉え方をしているんですか。
やはりこの宗教というのは、向き合うタイミングというのは、やはり一番は死のタイミングなのかなと思っておりまして、
やはり誰しも生まれておいて死に行く立場じゃないですか。
なので、死というものと向き合った時に焦りとか不安とか、亡くなった時に自分はどこへ行くんだろうか、
魂はどうなるんだろうかっていうのを不安に思われる方がほとんどだと思うんですよ。
そんな時にやっぱりこの宗教っていうのは必要になってくるんじゃないかなと思っておりまして、
そこの本当にそっと手を差し伸べられるような、そんな場所にいたいなと思っております。
なるほどね。
だから日本人無宗教の人が多いとかね、それからクリスマスやって年が明けると神社に行ってとかね、
そういうふうに非常に言われるんだけれども、
そういう日本人でも当然死は誰にでも平等に訪れるわけで、
やっぱり今の日本人ってそういう意味では死というものからちょっと遠いんですかね。
それは感じてますね。
なかなか各家族にも進んでいて、
なかなか代々おばあちゃんからとかひいおばあちゃんからとか教える人もなかなか近くにいなかったりとか、
お墓参りなかなか行かないよねとかそういうのが進んできて、
今ある意味何を信じたらいいのかっていうのも選択肢がなくなってきているのかなっていう。
いろんなSNSとかで発信もされているので、さまざま頼るところはそれぞれあると思うんですけれども。
もう本当に生けとし生けるものの全ての頂点が人間っていうんだけど、
そういう意味では我々がおいしいとか差しが入っているとか言いながら肉を食べている、
そういうものも動物の死というものと引き換えに我々は享受できているわけで。
だから自分自身の死っていうだけじゃなくて、
そういうしかも人間だけでもない他者に対する死っていうものへの考えみたいなものも、
気迫になっちゃうとちょっといろんなことが間違ってきちゃうのかなっていうのが漠然と怖い感じがしますよね。
そうですね。
命の大切さと教え
修行とかでご飯を食べる時に食善感っていうのをやるんですけれども、ご飯を食べる前に。
その時の最後の言葉が略すと、
仏の恵み、命の糧を心静かにいただきますという言葉を言ってから食べるんですけれども、
そういった自分以外の命にありがたく命をいただきますということを教えられるんですけど、
そういったところも普通に教えるとか伝えるありがたさみたいなのをしっかり伝える場がなくなってきているのかなと思いますね。
スーパーに行けばお魚にしてもお肉にしても、
本当に加工された食べ物になって提供されているだけで、
ピチピチ跳ねているお魚でもないし、
その辺をコケコッコって駆けずり回っていた鳥がちょんと首を跳ねられているというわけでもないし、
やっぱりそういうところをどういうふうに埋めていかなきゃいけないのかというのは、
すごい大きな問題というか、
日頃僕らも含めて忙しい毎日を送っていると、
よそにやりがちなことなんだけど、
宗教家には考えてもらわないといけないかもしれないね。
改めて伝えられる場を日曜に設けたいですね。
前週までの間にご相談ごとを受けたというお話がありましたけれども、
何か死について悩んでいるというか、
例えば重い病気で宣告されてとか、
そういうご相談とかっていうのもあるの?
ありますね。やはりちょっとがんになってしまって、
病の取れない苦しみで、
そこからどう自分のモチベーションでこれから生きていけばいいのか、
病に蝕まれていく中どう生きるのかみたいなのを相談されたりしますね。
でもさ、それって内田さん自身の体験だけだったらさ、
もう元気だし健康だし、
何かを言っても決して寄り添ってくれているというふうに、
なかなか思ってもらえないんじゃないかとかあるじゃないですか。
そうなんですよね。
そこはどうやって埋めるものですか?
日々いろんな方のお話を入れていって、
この方はこういうふうにされていましたとか、
あとは本でこういうの、
例えばがんの方だったら100万回ありがとうって自分の細胞に聞かせた人が感知したとか、
そういうのがあるんですよ。
そういう話を持っていって、そこから仏教のこういう考え方もあって、
人はもう生まれておいて病になって亡くなっていくという順番が、
そういう苦しみがあるのが当たり前の世の中で、
そっちから繋げていきつつ、
ただ自分の年齢というのがまだ引っかかってはいるんですよ。
なのであまり失礼にないように気をつけながら、
たくさんの視点からというのが大事かなと思ってますね。
俗にね、葬式仏教という言葉があって、
世の中ではあまりそういうことにお坊さんたち向き合ってないんじゃないかという、
ちょっと揶揄したような話はありますけど、
内田さんの話を聞いていると、極めて気真面目に、
本当に私も自身も救いを求めたくなるように、
真面目に取り組んでおられるよね。
ありがとうございます。
努力です。
どたん場でかもしれないですけれども、
たくさんの方に苦しみを取ってもらいたいので。
若者と寺の関係
若い世代がね、
我々の頃は要するにお墓参りに行きますとか、
例えばお盆で迎え火しますとか、
そういうようなことって、
当たり前にやってきたけど、
そういうことをやらなくなっているから、
お寺とかが、主にお寺でしょうな。
お寺が若者から遠い存在になりつつあると聞くじゃないですか。
初参りも神社はすげえ列になっているんだけど、
お寺はあまり並んでないですか。
そうなんですよね。
これって解決すべきことだと思いますか。
お正月に関してはそれぞれのお考えでというかたちで、
ちょっと寂しい気持ちはありますけれども。
それは若者って一袋にしたっていろんな人がいるからね。
それをこうしたらうまく近づけますってなかなかないと思うんだけど、
そこでだよね。
今回、内田さん。
渋沢くんFMでお手ラジオ。
またダジャレで。
これどういう番組にしていこうと思っているんですか。
これはですね。
自分のYouTubeチャンネルがございました。
カンシューというチャンネルなんですけど、
そこでラジオをやっておりまして、
そこで仏教を勉強するコーナーだったり、
そういうのがあるんですけど、
そこをぜひ渋沢くんFMでということで、
お声掛けいただいたんですけれども、
その時にそのまま自分のラジオ持っていっても、
地域の発信のFM、もったいないと思いまして、
僧侶としての活動
帰宅の自社仏閣の行事やイベントやお寺自身を紹介して、
地域のお寺とかの発信プラットフォームにもなれたらなと思いまして、
皆さんのお悩みだったりとか、
そういったのを聞いていただけたらなという番組を作りました。
さっきYouTubeの話出ましたけども、
修行Vlogとか、108日後に悟る僧侶とか。
そうですね。
結構これ再生されてるじゃないですか。
そうですね。言ってもらって2万回とか。
立派だよね。2万回言ってるのなかなか大したもんで。
これは言葉の上での反応もあるの?
ありましたね。
こういったものがバズるんじゃないかとか、
もっとやってほしいとかいった意見もあったんですけど、
反対に日本の仏教終わったなとか、
そういったコメントとかもあってですね。
よくこんな住職許してくれるなとか、
そういうコメントもあったんですけど。
でも自分の中では一つ心があってやってるので、
温かいコメントだと受け取っておりますけれどもね。
確かにそう言ってみられる方もいるよなと思って。
どこまでいろんなことが分かってる人が、
そういう批判的なことを言うのかってのは、
分からないのがSNSですけどね。
どうですか。
めげずに頑張っていただきたいと思いますけども。
ありがとうございます。
さてお時間もいろいろ迫ってきたわけなんですけれども、
僧侶としてね、
これは自分の中の軸だというふうに思われるような、
言葉とか教えとかってありますか。
自分の言葉にはなってしまうんですけれども、
自分のできる範囲で関わる、
全ての人の心をほぐしたいって思ってます。
それを今軸に僧侶と映像をやっております。
なるほどね。
さすがやっぱりそれを一言を聞くと、
全てのことが形を変えて、
いろんなことでやっているみたいな。
今僕のパッとね、
頭の中にはね、
マンダラが思い浮かんで、
その全てが内田さんで、
その全ての内田さんが、
全部違うことをやっているみたいな。
そういう映画が今パッと浮かんできましたけどね。
本当ですか。
そういうの大事だよね。
だから美容によってはさっきの評価じゃないけど、
何それっていうのもあるかもしれないけど、
そのトータルで見ていただいたときに、
そのことも光ってくるみたいなね。
今さ、誰かが何かやると、
全体像を見ないで、
この言葉使いが海外マナーに違反しているとかさ、
自分の得意なところで、
追求してくるような人が多くてさ、
何も言えねえなみたいな感じになっちゃうんだけど、
ぜひマンダラ的に捉えて、
ありがたいことがいただきました。
人生の教え
ぜひやっていただければと思いますね。
さて、今度は我々一般人というか、
悩める高齢者でもいいんだけども、
日常的にこういう思いを持っていると、
日々心軽く生きられるんじゃないですかと、
教えがあったら教えていただけますか。
私好きな言葉が2つありまして、
1つが諸行無常ということですね。
これは平家物語の冒頭に出てくる言葉ですけれども、
これはあらゆるこの世にあるものは、
常に移ろいゆくもので、
常に同じ状態に留まらないよという言葉なんですけれども、
いろんなものはやっぱり口で置いていくという、
その変化がまた生きる力になったり、
いろいろ考えさせられるよねという言葉で、
もう1つが一切皆行くという言葉がございまして、
これがあらゆることは思い通りに。
一切というのは一に切るという字に、
みんなという字に苦しい書きますね。
一切すべてのものは思い通りにならないよ。
様々なことに苦しみが入ってるよという、
それが当たり前なんだよっていう、
そこがベースだよっていうのをおっしゃってるんですよ。
お釈迦様が。
これっていうのはもう本当に生きること、老いること、
病になること、亡くなること、
そして愛する人と別れること、
憎しみを持った人に会わなければいけないとか、
あとは求めてるものが得られない、
あとはそういった煩悩を抱えてしまう心体、
すべて思い通りにならないよねっていうことを
お釈迦様が説いていて、
それがベースにあるって思ったら、
今、自分が苦しいことって何かにチャレンジしてたりとか、
改善したいから苦しいんだっていう、
一つの土台になると思うんですよね。
その二つが私の好きな言葉でして。
諸行無常、一切皆苦。
一切皆苦です。
覚えましたか?
はい。
覚えました。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
元気で頑張ってください。
ありがとうございます。
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