忘れ去られたい願望
おはようございます、小松でございます。
今日はですね、自分の立ち位置について、またちょっと話してみたいんですけど、
なんかね、皆から忘れ去られたいという願望があるんですよね。
透明になりたいっていうのかな。
それがね、やっぱり小さい頃からもあるし、今も変わらず存在しているっていうのがあって、
これが結局僕がね、サウンドスケープという音を聞く活動とかね、
あとアンビエントミュージック、環境音楽を作っているんですけどね。
そのあたりの作り方にすごく強く影響を与えているなというふうに思って、
さらに言うと、この音声配信で最近よく伝えているけど、SNSで広げるのは嫌だっていうふうにね、
個別個別でやりとりするっていうことが、アルファ世代も含めて流行っているというか、
そういう価値観を持っている方が多くなってますけど、そこにもやっぱり繋がる話なのかなというふうに思って、
そのあたりをちょっとね、まとまりのない話だけどね、やっていこうかなというふうに思います。
音楽制作の影響
それで、皆から忘れ去られたいってどういうことかというと、
完全に忘れ去られるというのは嫌なんだけど、これもわがままなんですけどね。
別にチヤホヤっていうことをされているわけじゃないんですけど、
やっぱね、すごく地面の下にくぐもって、そこで周りを客観的にというか、
メタ認知的に距離を持って観察したいという気持ちが常にあって、
さまざまな反応みたいなものはね、僕にとっては究極で言うとノイズなのかもしれないですよね。
それは人によるっていうことはもちろんあると思います。
別に人の話とか人の反応があったら、うん、へーっていうスルーできる人もいるだろうし、
僕はこういう人間ですから、いろんな感覚、アンテナはすごく敏感なんですよね、すごく敏感なので、
そういう話があるとすごく反応しちゃうというか、受け止めてしまうんですよね。
HSP的なものがあると思います。Higher Sensitive Personっていうのかな。
繊細さんですね。僕も結構繊細さんで、最近でこそそれをうまく感度を鈍くしたりとか、
スイッチを切ったりすることができるかもしれないけど、
基本的にニュートラルに無防備にしてるとやっぱりHSPっぽいんですよね。
そうなった途端ね、何かこう活動する、いろいろやっていくっていうことはできるんだけども、
結局後で気づいてみるとですね、そこに認知資源を取られたりエネルギーを取られたりとか、
脳がかなり活動しまくってるなと思うんですよね。
だからね、自分のペースで本当にわがままというか極端なまでに、
インプットする情報をなるべく減らしてやっていくっていう。
全部減らすわけじゃないんですけどね。
気に入った場所とか気に入ったモードになるとそこは全開にするんだけど、
それ以外は閉じとくっていうことがね、やっぱり現代社会ではどうしてもいるんですよね。
僕は今現代社会に生きてるけど、生まれてくる時代が違ったかもしれないって僕は思いますね。
もっと静かな時代、江戸時代とか明治時代でもいいと思うんだけど、
そこにポツンといるような状態が幸せだったのかもしれないよね。
今ってよっぽど情報をうまく整理したりとか、自分なりにアレンジして取り組んでいかないと、
やっぱり不幸になること多いですからね。余計なものばっかり来るからね。
僕は携帯電話持ってないんですけど、これも電磁波が僕感じられやすいので、
なるべくオフにしてるし、僕持ってないからね、周りにもオフにしてって言ってるんだけど。
そうなんですよね。電磁波、ただ携帯あるだけであかんのですよね。
全部切らないと、微電力っていうのかね、微放電、微小な電波出してるんですよ、今。
iPhoneとか何でもね。しかも今4Gとか5Gとかになるでしょ、5Gっていうのかな。
すさまじいこの電磁波なんですよね。だからね、それを間に受けちゃうと、
ちっちゃい微量であっても、結果的にそれが檻のように溜まっていくとですね、
結構ね、大きな影響力を人に与えるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
だからね、そういう余計なノイズを受けないように何をしてるかというと、
自分がこう、ひっそりしておくっていうことなんですよね。だから見ながら忘れされたいという願望っていうのはね、
やっぱすごくあって、それは携帯電話がガラ系の頃だけど、その辺りでみんなが持ち始めてね、
クラスメイトが持って、これ何?みたいなね。携帯どこでも喋れるの?ちょっと貸してとかって言うんだけど。
あれ?ちょっとこう耳につけるとね、なんかなんじょかなこう、歯が浮くみたいな感じのね、
なんか銀紙をね、歯でグーッと噛むみたいな、変な感じの雰囲気になったんで、
これも僕は持たない、一生持たないでおこうと思ったんだけど、未だに持ってませんのでね。
携帯は本当、携帯、非携帯にしてるみたいなね、そういう感じですよね。
そういうことにね、そういう感覚っていうのはやっぱり、結局ネガティブなね、隠ぺい願望じゃないんですよね。
結果的に僕そこをどういうふうに消化してるかというと、自分自身がね、極上の環境音楽のような存在であるっていう、
そういうことにつながっていくかなと思うんですよね。
これ矛盾かもしれないけど、音楽流すってやっぱり人に影響を与えるし、気づいてもらってしまうっていうことになりかねないんですよね。
ライブだとそうですよ。ライブってこう人に聞いてとか、認識されて、そして、
感受性と情報整理
あ、あの人弾いてるっていう状況で弾いてるわけですからね。
そうなると、ライブもするけど、それは環境音楽を作ってる人ですけど、
ライブでは環境音楽じゃないですよね、完全に。やっぱり聴かせる音楽にどうしてもなってくるわけで。
そうしていくと、僕の究極な環境音楽の作り方は何かというとですね、
やっぱりひっそりと自分でちまちま弾いてる状態、それを収録して、
そして僕のね、預かり知れぬところでね、録音したもの、録音のデータでもいいしね、
今はもうほとんど捨たれてしまいましたけどCDでもいいですし、
そこにメディアにそれを記録して、それで好きな時に流してもらったらいいんじゃないですかっていうね、
まさにグレングールドみたいな言い方になってますけどね、
演奏というよりも編集した自分の切り取った収録したメディアを聞いてっていう風に彼は言ってるわけで、
そこに近いよね、そういうことをやるのが一番いいと思うし、
さっき言ったようなね、忘れされたいというところの人が音楽をやるとそうなるっていうか、
音楽っていろんなモードがあると思います。
自分の感情がある、自分のなんか言葉にはできないものを聞いてほしいっていうね、
そういうのはあって、メロディーに歌詞をつけたいとかね、強いメッセージをつけて演奏される方ってめちゃくちゃ多いと思うんですけど、
僕はボーカルでね、君のことがーみたいなことは言わないし、もちろんしないしね、
そういう演奏したこともないですけど、音楽でこうなんとなくなってるなっていうような感じだし、
ライブで言うと没入感をもたらすような演奏が好きだよね、自分がとにかくもたらしたい、
人のことなんかどうでもいいからやっていくってタイプだよね、
そこのあたりでやっぱり人に迎合しないよね、全然ね、迎合してるように聞かれるかもしれないけど、
自分の好きなように弾くっていうところが僕の究極なところですよね、
だから聞かれなくても全然OKっていう弾き方してると思いますね、
そこが僕の願望なのかなっていうかね、そういうのがあるからやっぱね、環境音楽作れてるんだと思いますよ、
これが究極の到達点というかなのかなと思うし、
そういう境地の中からよりキメのある、キメというのは肌触りね、
耳触りを独特の耳触りとして感じられる曲ができたらいいかなと思うし、
とにかく楽器様って自分の曲を弾いて何が一番大事かというと、自分が一番喜ぶっていうことが好きだし、
そこが一番基準となるんじゃないですか、
だから自分が喜びたいなと思うまで僕ピアノ弾かないからね、
これっていうのをやるときに発信するかもしれない、
ちょこちょこ最近はね、人の曲だけどね、自分で弾いて自分で奥添えんでるんですよ、
そこがやっぱり一番大事じゃないですか、
自分のための音だからね、それが結果的に何か人様に聞いていただけるような合点というのかな、
覚悟でもないな、何だろう、納得やね、
納得がいったら配信したりするかもしれないし、YouTube再開するかもしれないしね、
矛盾だけどそこの辺りをちょっとまだ様子見てるかなっていう感じですね。
はい、ということで、みなから忘れ去られたいという願望のもとで音楽をやってるよというお話でした。