子供の交友関係の変化
おはようございます、小松正史です。 今日はですね、子供の交友関係みたいな話をね、ちょっとしてみたいと思うんですけど、これあの
昨日に続くね、ハッシュタグなんですけど、いやもうね、僕が小学校の時、今からね、もう50年近く、40年以上前の話かな。
それとですね、あの
僕の息子です。今、高校1年生なんですけど、あのその交友関係ね、いやまるっきり違うなーっていうふうにね、その違いの差分は何なんだろうみたいなね、そういうとこなんですけど、
いやね、あの想像絶するような、交友関係ありますね。 これって結局、あの
孫楽共同体みたいな話で、かつてね、あのもう小学校の時代だから、3,4,50年ぐらい前はですね、
自分の近所とか、近い地域の人と関わることがほとんどだったんですよね。あの小学校同じクラス。僕のところ小学校はね、
もう一つのクラスだけしかなかったので、男子が15人、女子が20人ぐらい、25人だったかな。
そんな感じだったので、すごく狭いところというか、地域が田舎だったこともあったので、もう関わる方ってね、本当にもう
もう本当に、下手したら10本の指ぐらいに収まるぐらいなんですよね。
たまに、夏休みとか冬休みになると、親戚の、親類に、親族に会うっていうことがあって、親族もね、僕結構仲良かったので、
僕鉄道が好きだったので、あの鉄道のね、写真とか一緒に撮りに行くいとこのね、同級生もいましたし、
いろんなことを語り合ったっていうね、それはすごくいいなぁとは思うんだけど、せいぜい親の親族とか地域社会ね、
孫楽社会の中での関わりに過ぎなかったんですよね。それが今の子供ね、僕の子供だけじゃないんですけど、
まああの咲いたるものがネットですよね。あとあのSNSで
つながっててですね、趣味、いろんな趣味、今ってたくさん持ってます。僕の子供のみならず、学生、僕大学で働いてるんですけど、
学生をね、駆使していてもすごく好きな趣味で、例えばゲームが好きだ、
アーティストが好きだ、推しの不安があるみたいなね、そういう感じで対応化しながらでも自分の好きな、
推しとか好きなものがあるわけですよね。それで、SNSとか、あとは
ディスコードみたいなチャット系があるので、まあツイッターかな、子供の趣味でいうとツイッターですね。
ツイッターでつながる趣味が、そういう趣味を共にした、
それに近いメンバーがフォローし合っているので、ツイッター使ってですね、DMやったりとかして、結果ですね、
ものすごいですよね、とある趣味をしてるんですけど、世代を超えて、しかも地域を超えて、
まあ移動したりね、この連休もですね、実は関東の方に行くんですけどね、子供がね、すごいですよね、そんな感じで、
親もね、いろいろ見守ってはいますけど、行くんだとかね、東京のあの人に出会うんだ、みたいな感じで、まあいいことだと思うんですよね。
そういうふうに、京都圏外の世代を超えた大人と出会うって言ってるんですからね、すごいですよね。
そういう仲間、そしてもちろんね、同級生もいるんだけど、同級生よりもね、むしろね、ちょっと距離のある仲間というかね、同じ趣味を共にする方が、
割と長続きしてるというか、興味深く活動してるって感じがしますね。同じクラスメイトってそれほど多くね、
親の不安と多様性の重要性
関わるってこと、それほどしてない感じがするので、ネットを使って自分の好きな趣味を元に動いていくっていうような、そんな違いはですね、あるかもしれない。
それでどっちがいいか、どっちが悪いかっていう話じゃないんですけど、
まあすごくあの、フラットというかね、僕の時はもう限られた空間の中で関わってるっていうことで、
多様性はすごく少ないなぁと思うんですよね。地域の村落の話で言うとですね、同じ環境、ほとんど同じ環境と同じ文化圏ね。
多分その層ね、
浮遊層とかね、いろいろありますよね。まあまあそういう層にしても、中流ぐらいかな。
まあそういう、ほとんど同じような層のメンバーが集まっているので、
まあそれほど何か多様性があるというよりも、なんとなくわかってくる、わかってるよみたいな、そういう関わりが結構あったと思うんですよね。
まあそれはですね、今はね、働いている人と高校生と出会うとか、
すごくバックグラウンドの違う人間同士が、割とその趣味とか好きなものを軸に、フラットに出会うっていうことが、ものすごく違うと思うんですね。
まあそれによってね、親としてはトラブルに巻き込まれるんじゃないかとか、
あと犯罪に巻き込まれるんじゃないかとかね、そういう心配をする親がいて、SNSを通じた繋がりはもってのほかだ、みたいな感じで、
まあそういう価値観で過ごしているというかね、育児しておられる方もいらっしゃると思うんですよね。まあそれはそれで当然、
そういう危険はね、事前によく必要があると思うし、これは子供にもしっかりは伝えてるんですけど、特にでも男の子と女の子でも違いますよね。
まあそういうところで、心配事っていうのは、絶対これが正解だっていうことはないんだけど、
危険な部分をね、なるべく回避して、安全圏で考えるならばですね、
やはり、あまり限定していく、昔のね、孫楽社会だけとか同級生だけとかね、そういうんじゃなくて、多様な人と繋がったり、接したり、行ったりするってことはね、僕はすごくね、
あの社会の本質を把握することにもなるし、今ってね、矛盾な話ですけど、同世代としか話さない、リアルな空間で話さない人って結構多いんですよね。
学生とよく話してると、世代の違う大人と話したのは、家族以外は先生ぐらいしかないとかね、すごいなんかね、限られてるんですよね、ピンポイントで。
いや僕の時代は孫楽にはいたけど、もうちょっといろんな人の先輩と話すとか、あとちょっとお隣でも大人の人と話すことはあったんですけど、
そういうことが意外とないっていうのがあって、そのあたりをね、趣味があったり、自分が繋がりたい趣味のメンバーがあったとしたら、そこで繋がれるっていうのは多様性があって、今はいいと思うので、
そういうところをね、いろんな道具で、いろんなツールがあるので、あまり何か限定、潜入感でもって否定するんじゃなくて、あるもので活用していく、そんな感じで見ていった方がすごくいいんじゃないかなっていうふうに思いますね。
いやそれにしてもすごい器用ですよね。どこからそのメンバーを知ったのかとかね、やっぱ好きな対象があるとそこから繋がれるっていうのはね、やっぱあると思うので、なかなかいい傾向だなというふうに思ったりしましたね。
ということで、今日は子育てというかね、多様性のある子どもがどんどん育っていってるんだな、それをちゃんと見守っていくのが大事だなっていう、そんなお話をしてみました。