サマリー
現在の親が子供を叱らないというテーマについて、従来のしつけと現在の親子関係の変化を考察しています。特に、地域社会や親戚の関わりが減少したことが、現在の育児スタイルにどのように影響しているかに焦点を当てています。現代の親は子育てにおいて孤独を感じており、叱ることが少なくなっています。このため、親子の距離は近いものの、他の大人との関わりが不足しているとされています。
叱らない親の論点
はい、こんにちは、マナミです。3人の子供たちを育てながら、SNS発信やコンテンツ制作を中心にお仕事をしているママフリーランスです。
今日は祝日ですね。なので、んー、どうしようかな、何の話しようかな、というふうに思ったときに、最近SNS見てて感じた子育ての話をちょっとしようかなというふうに思います。
今の親は叱らない論にちょっと言いたい、というテーマです。SNS見てるとって、これどれを言ってるのかっていうと、まあ主にスレッツかな。
私結構ね、スレッツだらだら見てること多くて、なんならショート動画よりもスレッツの方が時間とかすなぁと思って、えーと、結構ね、気をつけなきゃいけないなって感じで、それぐらい結構スレッツ見てるんですけど、やっぱりね、今の親叱らなすぎみたいなのがすごい流れてくる。
まあ私がそういうのを見るからオススメに流れてくるっていうのはあるんですけど、なんか結構あのイオンのフードコートでこういう親を見たとか、結構飲食店で見た親子に対する、あのー、なんか今の親ってちょっとありえないよね、みたいなそういうのがめっちゃ多い。
まあ今夏休みの期間だから余計なのかなーって思うんですけど、そういうのがすごく多くて、やっぱり飲食店に子供を連れてくるなーとか、あとフードコートで子供のこと放置してる親ありえないみたいなとかね、すごい書いてあります。
まあもちろんね、あの常識的な範囲っていうのはやっぱりあるから、ちゃんと子供見てなよっていうのはね、あるんですけれども、やっぱりね、そこに何かくっついてくる今の親って全然叱らないよねとか、子供が甘やかしすぎだよね論が結構なんか激しくなっていて。
で、それに対して、あのー、なんかそうだそうだっていう人もいるし、で、あのー、で、ちっちゃい子いる親は大きくなるまで外食に行っちゃいけないんですか?とかいうつっかかる人もいて、その大きくなるまでって何歳までがそうなんだ?とかいう話になって、いやいや気すぎたら、あのー、いやいや気すぎるぐらいまでは飲食店控えてましたみたいな人もいれば、小学生ぐらいになっても大変な子は大変だみたいな話になってたりとかね。
まあいろんな方向であの燃えてるなぁと思いながらね、いつも見てるわけですね。んで、なんかその、まあ私が普通に今ね、子育てをしていて、もうすぐ1歳になることを、えー、4歳と2歳か、4,2と4,2,0歳を育てていて、まあそのー、なんだろう、そういうのを見ると、ああまあこういう時にこういうことをしてないかちょっと気をつけようみたいに、まあちょっとちらっとは思うわけですね。
なんか食事の後に、なんか例えば机の上をちゃんと綺麗にしてるかどうかとかね。
うん、私はね、もともと割と、なんだろう、店員さんの気持ちになって結構お皿揃えたりとか、あのー、机の下のゴミとか拾いたいタイプなんですけど、なんか私の夫は、なんかそれがダメとかじゃなくて結構それが不思議だったみたいで、店員さんがいるのにそんなにやらなくていいんじゃない?みたいなことをちら、あのー、結構言う人でした。
あの、全然悪気なくね。で、私は、うんと、いや、あの子供たちが、結構食べこぼしとか激しいじゃないですか、別の、あのー、一般のね、お客さんよりもね、ちっちゃい子たちで。だからやっぱり床に落ちたものとかをパパパッと拾ったり、机の上のものを重ねたりとかするっていうのが、まあ子供たちもそれを見てるし、で、うちの夫も結局するようになったかな、それを見て、あ、ここ落ちてるとかサササとかって、あのー、今は少し綺麗にして帰ってくる、あのー、帰るようになりましたけどね、うん。
例えば、そういうのとかも、なんか、あのー、今の親ってっていうので結構言われたりとかするような要因になったりとかしますよね。なんかそれも、なんか、私は前からそんなに散らかして帰らないように気をつけてたけど、なんかスレツとか見てからやっぱり他の人の目線というか、なんか親子に対する目線みたいなのをなんか気にするようになりましたね。でもそれは良くも悪くもかな、みたいな感じがしています。
で、その今の親は叱らないっていう話で言うと、なんかその、昔のなんていうかな、言い方変えると、なんかその、うんと、私からするとね、じゃあ昔ってそんなに子供のしつけ厳しかったんっていうのをすごい思うんですよ。
で、昔の方が、昔とか今とかが、それは大体何年ぐらいのことを言うんだとかなんだとか、そういうのは差し置いておいて、で、なんかね、よく、昔のしつけと今のしつけの違いみたいなことで言うと、例えば学校とか保育園とかの指導が、給食を全部食べるような間食指導っていうのが、今はね、もうなくなったりとか、それから、これは当たり前ですけど、大罰みたいなのがもうなくなったりとかね、
あの、言うこと聞かなかったら叩くとか、えーと、何か、うんと、どっかお部屋に閉じ込めるみたいなことをすると、不適切保育だったり大罰っていうふうに言われて厳しくなったりとか、うん、そういう、まあそれは正しい方向だと思うんですよね、そういうのもあるんですけど、なんかやっぱりそういういろんな流れを受けて、やっぱり今の子って甘やかされてるよねとか、あとまあゆとり世代が親になったとかもすごい言われますね。
うーんっていうのも言われるけど、なんかやっぱり私は、そんなに昔って、その一人の親が自分の子供に対するしつけて、そんなにレベル高かったんっていつも私は思うんですね。で、ちょっとまりくどい言い方にはなっちゃいましたけど、私が思うのは、昔の方が多分一人の子供に対して関わってる親の数がすごい多いんですよ。
それは親戚のつながりだったりとか、地域のつながりだったりとか、いろいろあると思うんですけど、で、その中で子供って、あのやっちゃいけないこととか、これはしたら褒められるとか、そういう社会的なことを身につけてたんじゃないかなって思うんですね。
で、今ってやっぱり一人のその親子が結構べったりしすぎ問題っていうのが私はあると思っていて、我が子を自分の手でどうにかしなきゃいけなくて、我が子に関する責任が全部その親にあるっていうのが、なんかすごく違和感あるんですね。これって結構人間の歴史上っていう壮大な話から言うとめちゃくちゃ不自然な話で。
だって、あの、まあそれもうなんか縄文時代とかそういう時代とか、もうなんかえっと、貝塚とかああいう歴史の話とか言ったら、言ったらそうなんですけど。そう、なんか私昔職域の勉強とかしていて、そこで勉強したんですけど、昔って家族の単位がはっきりしてなくって、同じ釜の飯を食うって言葉ありますけど、同じご飯を一緒に食べてる人が家族だったらしいんですね。
家族っていう言い方じゃなかったかもしれない。共同体みたいな、コミュニティみたいなね、そういうのだったらしいんですよ。同じご飯を食べてる者同士が家族で、そのグループで動いてた。その中に大人も子供もいたっていう感じなんですよね。で、あの、そういう、そこからまあだんだん何々家とかっていう家族とかにはなっていくんですけど、もっとなんか親と、親子の関係ってもっとライトだったと思うんですよね。
で、えっと、それは、えっと、なんだろう、だんだんだんだんそれがね、あの、一緒にご飯を食べている仲間から何々家っていう家族になっていってっていう風になっていったけど、少なくとも私が子供の時代ぐらいまで結構私もいろんな大人と関わらせてもらったなっていう記憶があるんですよね。それは地域だったり、今私の場合は教会だったりっていうのがあったんですけど。
で、その中で、こういうことすると褒められるんだなとか、こういうことしちゃいけないんだなっていうことを、別に親が全て私に教えてくれたというよりかは、結構他の子見て学んでたっていう要素多かったんですよね。なんか他の子が何かやっちゃいけないことをして、他の大人に叱られてるのを見て、あ、やべえなって思うじゃないですか。
あ、やってやったら原稿作らうんだみたいな、原稿作らうまではないけど、なんかそういうのを見て覚えてたんですよね。とか、やっぱり他の子が何かして褒められてたときに、あ、あれはいい行為なんだっていう風に学ぶとかね。必ずしも自分の親が全て、私の親もちゃんと常識的な範囲で、こういうことはしてはいけないとか、こういうことしたら喜ばれるよねってちゃんと伝えてくれたっていうのは覚えてるんですけど、
必ずしもそれだけじゃなかったなっていうのをめっちゃ覚えてるんですね。
コミュニティの役割
そう、だからなんかそういうことを考えてると、なんか我が子のしつけって、多分親がもちろん責任を持ってちゃんとやらなくちゃいけないんだけど、やっぱりいろんな大人と関わらしたり、いろんな子供と関わる中で学んでいく要素っていうのも本当は結構あると思っていて、その部分を親である私がどういう風にしてあげたらいいかっていうのことを考えるのも込みで子育てだなっていう風に思ってるんですよね。
だから、今の親は、親子っていう親子は子育ては結構孤独の中で、とにかくだってワンオペって言葉が出てきたのってここ5年ぐらいじゃないですか。
コロナ以降、特に激しくなったと思うんですけど、その言葉がね。
だからそのワンオペで、自分の親が自分の子をちゃんと育てなければいけないというプレッシャーがちょっと強すぎ、各家族が進んだっていうこともあるけれど、
やっぱりね、それって本来の姿じゃないっていうか、本来の家族とか親子の姿っていうのを歴史から見ても、やっぱり今の親子はすごく距離が近すぎていて、
なんかもっといろんな人の中で子供が育てられるのが一番いいんだよねっていうのは私は思っています。
現代なかなかそれを作るのが難しいので、私はそれをどういうふうなところで経験できるかなっていうのをいろいろと考えたりするわけです。
今はねちょっとちょうどね、お盆休みみたいな時期なので、皆さんも結構親戚の集まりだったり地域のいろんな行事とかイベントとかにいろいろと顔を出すこともあると思うんですけど、やっぱりそういう経験がすごくいいんですよね。
単純にしつけとか叱る叱らないっていう話だけじゃなくて、いろんな大人といろんな子供が一緒に関わっていることが自然であるっていう意識をちょっと持っておくだけで、子供の経験とか体験ってちょっと工夫できるかなって私は思っていて、結構子育ての中でこれ意識しているポイントです。
ただその場面その場面その場面とか場所によっていろんなルールは違うので、この場面ではこのルールで動こうねとかね決まりとかがあるわけで、それをやっぱり子供の年齢に合わせてその子供個人に合わせて伝えていくっていうのが結構難しいところでもあるんですけど、私なりにもちょっとちゃんとやっていこうかなというふうに思ったりしています。
今ねやっぱり4歳と2歳結構やんちゃうなんでね今私の近くにいますけどね、結構規制がねプレッシャーというかなんか折り交差にできるんかなみたいなことをねたまにねちょっとプレッシャーに思うことがあって今週水曜日から行くんですけど、いろんなところに泊まったりとか
あとは親戚の集まりの中に行ったりするので、やっぱり私の中ですごいプレッシャーだなってドキドキして、なんかやらかさんかなと思っててのも思うし、やっぱり私自身がどんなふうに見られるかっていうのもやっぱりすごく私も緊張したりするところではあります。
まあそうですね、私の場合は、うちの場合はですね命の危険がある場合はとにかく一番土着差起こるっていうのをやっていて、それ以外は事前に子どもたちにちゃんと分かる分からないとかをこっちが判断しないでちゃんと説明するっていうこと。
あとその、行けると思ったけどダメな時ってありますよね。この飲食店、この年齢ならこの子たちなら行けると思ってもわわ騒いでしょうがなかったり他の人に迷惑をかけそうな時はなるべく早速さと店を出るとかね、プランBをちゃんと練っておくとかね、そういう仕組みでどうできないかなとかっていうのも考えながら、まあこの旅行とか帰省とかもね、行っていきたいなというふうに思ってます。
とにかくね、ちょっといろんな話にはなりますけど、今の親は叱らない論はちょっとどうなんだろうっていうふうに思ってるタイプです。
とか、叱り方が分からないパターンだってありますからね。なんか親としてもやっぱり他の大人が他の子どもを叱ってる時に、ああそうかこういう場面でこういうふうに教えればいいんだとかっていうふうに見たりとかして、親を学んだりとかしてますからね。
だから今の親は叱らないんじゃなくて、子どもが叱られたりとか親が叱ったりするような場面が減っているわけじゃなくて、やっぱりいろんな大人といろんな子どもが一緒にその集団で動いているっていうことが、過ごすっていうことが割と人間は自然なのに今そうじゃなくて、親と子が近すぎっていうのと、我が子のしつけとか、我が子に伝えなければいけないことの責任がその親にだけにひどい。
それだけに批准が高まりすぎている、批准起きすぎ問題っていうのがあるかなというふうに思っていて、このあたりを解決していくことも大事だよねっていうのもちょっと思ったりしているところです。
まあ難しいですけど、現在なかなか難しいですけど、ものすごく子育てが大変な時代に我々生きてるなというふうに思います。
なのでたまにはちょっとこんな子育ての話なんかもねしていきたいと思います。
今日は私は私で教会のいろいろなちょっと行事がありまして、子どもたちを教会にちょっと連れて行くんですけど、私もちょっと役目がいろいろあるんですけど、子どもたちにとってもいろんな大人と関わる機会になるので、またちょっとこんなことも考えたので、今日はちょっとシェアしてみました。
では皆さんの意見とかもぜひコメントとかで教えてくれると嬉しいです。
今日も一日頑張っていきましょう。ありがとうございました。
13:13
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