1. 小松正史『耳の保養』
  2. 音楽活動再開まで秒読み段階!..
2025-10-25 13:07

音楽活動再開まで秒読み段階!の話。

小松の音楽活動の再開まで秒読み段階にきました。モノゴトは急いてもよくありません。ことを仕損じないために、しかるべきタイミングまで待って、じっくり再開!
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サマリー

音楽活動の再開を目指して、最近の忙しさや心理的な状況が影響していることについて語っています。また、即興演奏や生放送から得られた開放感や演奏の重要性を再確認し、自身の音楽的な変化についても触れています。

音楽活動の再開
お疲れ様です、小松でございます。
今日はね、今からというか、音楽をね、これからどんな風にして作っていこうかなみたいな、そんな話をしてみたいなというふうに思っています。
で、この2ヶ月くらいは特に、あまり人前で演奏することがなかったりとかですね、ちょこちょこあるんですけど、
曲作りも含めてですね、なかなか本部の仕事が忙しいということもあって、なかなか作る機会がなかなか遠ざかっているようなところがあるんですけれども、
まあちょっとずつですね、それでも今までずっとインプットだけじゃなくてアウトプットをずっとしてきたので、なかなかこの体のバランスっていうのがね、少しちょっと違和感というか、やっぱり出していかないと循環しないなっていうのをちょっと感じるようになってきましたね。
それで、相変わらずね、いつも曲はいろいろなところで聴いたりとか、人の曲を聴いたりはもちろんしてるんですけど、だんだんと人の曲を弾いてて、あれ、自分でもちょっと弾いてみたいなとかですね、ちょっと調整してみたいなというところが出てきてですね、
これいよいよ変換というか、ちょっと作ってみようかなっていうね、そういう兆しが出てきたという感じですね。
それをね、やっぱり忙しかったり、やっぱりすごく1年ぐらいまともに練習をしてないというのは過去にない。
たぶんね、浪人時代はこんな感じだったと思うんですよね。
実家から離れて浪人、19歳、18歳の時か、浪人してたんですけど、その時はね、知り合いのね、友達のお家に転がり込んでですね、アップライトピアノがありまして、浪人している予備校でね、1年勉強していたんですけれども、
ちょっとやっぱり溜まっていくんですよね、うーっていうストレスがね、受験勉強だと。
するとね、たぶん2ヶ月に1回ぐらいかな、予備校の校舎の隣に友達のお家があったんで、本当に無理って申し訳ないなって感じだけど、ちょっとお願いしますみたいな感じで弾かせてくださいとかって言ったらね、もう本当にいい方で、
今でもね、友達とはよくやりとりしてるんですけどね、で、いいよって感じで、半日ぐらいかな、ずっとアップライトを弾いたりとか、ちょこちょこちょこちょこね、月1回ぐらいは行ってたかな、そんな感じで、やっぱりそういうときに開放されるんですよね。
なんかね、ふーっと自分の言葉とか身体を動かすっていうところの次元とは違う、開放感っていうのはね、やっぱり演奏してるとありますよね。
そういう意味ではね、曲聴くのもいいけどね、弾くっていうのは、まあ次元の違うその行いなんだっていうのはね、ものすごく感じますね。
それで結局、家にはピアノがあったりは現在するわけですけど、弾く時間がなかったりするんですよね。
弾く時間はちょっとはあるんですよ、でもね。あるんだけど、弾こうっていう気になるっていう状態って結構ね、割と最近ないんだよね。
で、その大きな特徴というか、心理的な状態っていうのを言語化してみると、次から次へとすべき案件とかタスクみたいなのが降りかかってくるというか、
降りかかるというよりも、受け終え仕事とか受け身仕事、これやっとけばいいんでしょうみたいな、すぐ返せる仕事ってあるわけですよね、組織の中で。
あまり上の方じゃなくて、特に変な人だけど、スタッパの頃はね、これやっとけ、はいわかりました、はい終わりました、みたいな。
で、ボールを投げた後は時間があるんですよね。とりあえず時間というか、考えなくていい。
そのすべき案件の部分を考えなくていいんで、その間仕事ができるんですよね。
ただね、主任とか中間管理職にやって思うのは、実質的に仕事をしていない時間っていうのも、やっぱり仕事してるわけですよね。
むしろそっちの方がね、頭の認知資源をかなり使うわけですよ。すごく使って。
で、結果的に空回りじゃないけど、空運転みたいな感じかな。
頭の中で常に、次はあれしよう、これしようという、すべきみたいな状態がずっと続いてですね。
それも普通じゃない仕事のフェーズがありましてですね、多分10個ぐらいを同時運行にやってるっていうのは、別に大げさな話じゃないんですけど。
それをやってるとね、やっぱり頭がですね、ワーキングメモリーをそっちに持っていかれるわけですよね。
ちなみにワーキングメモリーってね、5プラスマイナス2っていう数字があるんですよね。
これ何かというと、普段大体抱えることのできる記憶量というか、これを仕事の数っていうふうにみなすこともできるかもしれないけど。
5が割と多いと。
人によっては能力のある人は7いくし、もうちょっとマルチタスクが難しい人っていうのは3だよなっていう理論なんだよね。
僕の場合はですね、別に確信してるわけじゃないけど、7ぐらいいけるかなと思うんだけど、今ね、実際に見てみると10ぐらいあるわけですよね。
とすると、もう当然脳科学的にはワーキングメモリーがないわけよ。
すると、目の前の仕事はね、もうすぐやってるけどね、それ以外のバックグラウンドタスクのところでやるべきことがあるっていうことは、もうそこで一杯一杯になるわけなんですよね。
だからね、それがあって、やろうという気にならないんですよ、音楽をね。
こういうふうにして人はね、敗人になっていくんだなっていうね。
僕はもうほとんど敗人ですけど、もう取り返しのつかない敗人、もうやめようかなっていう感じなんだよなってね。
それは脳科学的には証明したいというわけですよね。
演奏の重要性
証明というか、実際にね、同時並行のタスクはとても多いっていうことだけど、そういうところがあって、やっぱりね、引こうと思わないんだよね。
これ明らかに人災っていうことはわかってるので、これ何とかしようということで、いろいろな人にお仕事をシェアしたりとかしながら、ほぼほぼ目とかついてきたんですけど、相変わらず仕事は多いんですよ。
めちゃくちゃ多くて、これやったらあれする、他に探すんですよね。
やっぱり危機感があるんで、これ逃すと次動かないなとかね。
僕だけのせいじゃなくて、組織が止まっちゃうから、これやりやというふうに思うわけですよね。
そういうようなところはあるので、ずっと仕事のことを無意識のうちに、全意識の中でこう思ってるというか、感じるというかね、そういうところがあるわけですよね。
簡単に言ったら、自分のキャバ越えてるってことですよね。
そうとはいえ、ある程度の目処がもうじきつくので、やっぱり引いてみようかなと思ったのかもしれないよね。
ただね、すぐにそれは直らないと思うので、まあどうだろう、そうだな。
11月の終わり、12月ぐらいに、年内に引こうかなと思ったらいいんじゃないですかね。
ちょっとそれぐらいな感じの、あと1ヶ月半ぐらいのスパンかなと思うんですけども。
昨日、たまたまなんですけどね、大瀬配信でピアノの即興の生放送をしました。
めちゃくちゃ生放送してやったんですけど、すごいね、むちゃくちゃ弾いたんだけど、いいね。
やっぱり開放感、何かすべきなところもあるんだけど、ちょっと見通しがついたっていうところでね、
鍵盤を触ると、いや、いいな、みたいな感じで、すごく弾きたい欲が出てきた感じですね。
とはいっても、これね、人から見たら贅沢かもしれないよね。
前の大瀬配信でも伝えたところなんですけど、僕がね、いつも昔から聴いているピアニスト兼作曲家の方が、
右手がですね、痺れとか痙攣とか、ちょっとね、ブヨブヨしている状態になって、
弾けないことがね、もうほんと数ヶ月続いてもうライブキャンセルになってるっていう方がいらっしゃるんだけど、
それって弾きたいのに身体が動かないっていうね、めちゃくちゃ致命的な障害じゃないですか。
僕の場合は弾けるんですよ、別に手で。試しにちょっと弾くとね、たまーに弾くんだけど、別に弾けるんですよ、曲。
当然ね、ずっと数十年、四十年ぐらいやってきたから、すぐ弾けるっていう良さがあって、物理的には支障ないんですよね。
なので、そういうところで弾けるっていうところは本当にありがたいと思うんだけど、気持ちがね、シフトと言うかね、入らないんですよね。
これもまたね、ピアニストと同じようなことにはならないとは思うんですけど、違う障害ですよね。
そういうことがね、人生にあるんだっていうのは、すごい経験だし、
たぶんね、これから弾く曲みたいなものは、おそらくね、変わると思うな。
昨日のね、配信というか、たまたま聴いてくださった方、生放送ね。
ちなみに僕は生放送でピアノ弾く場合ね、アーカイブは全部ね、ボイシープレミアムにしてるので、
あとはプレミアムにね、皆さんのためにちょっと、今回というか毎回弾いてる即興の解説みたいなこともしてるんですよ。
だからね、どういうふうな気持ちで弾いたのかっていうのをね、すぐに言語化するので、なかなか絵がたいアーカイブになってると思うんですけど。
音楽の変化
そんなふうに弾くことによってですね、ちょっと弾きが高まってきたなっていう感じなんですよね。
具体的にどう変わったかというと、ちょっと内緒、これは言えないよね。
別に人に言うことじゃない、自分の内面に関わることなので別に言ってね。
まあ、前と違うってことだよね。何が違うか、それはね、年を取ってくる、そして弾くことっていうのが意外と普通じゃない、当たり前じゃないっていうことを考えた中で、
まあ、言っちゃおうかな。自分さえ弾けりゃいいというかね、自分の音を出しとりゃいいっていうこととね。
あとはね、もう言っちゃおうかなね。ひねくれてる感じよね。綺麗な曲、聴きたくないって感じだよね。
綺麗な曲、人に迎合する曲じゃないよね。綺麗なのが迎合とは言えないけど、やっぱり近いものがあるでしょ、迎合みたいなもんですよ。
それをね、ちょっとね、感じたらね、ちょっと演奏を聞いた時にあれ?って思われるかもしれないけど、そこだよね。
そんなふうにしてね、まだもうちょっと助奏がいるけれども、少しですね、本格的に指導する前の助奏ということで、また聴いていただけたら嬉しいなと思います。
むしろんだよね。聴くなと言いながら聴けみたいなね。すいません、本当にね。だからもどんどんと聴く人が減るんだよねということですけど、まあいいや。じゃあこれで終わります。
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