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  2. #012 "わからない"という入り口
2021-09-08 22:00

#012 "わからない"という入り口

#わからないフェス ありがとうございました! / 近況報告、来月以降の告知 / "わからない" から始まるもの


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サマリー

合唱指揮者の柳島幸太さんは、わからないフェスの終了とその他の活動について語っています。また、新たなチャレンジや衣装作成についても触れています。彼は「わからない」という言葉を通じて、感覚的なものを伝えることや自分の感じるものを信じることの難しさについて話しています。

わからないフェスの終了
こんばんは、合唱指揮者のKota Yanagishimaです。 合唱指揮者のPodcast、
今回も先週に引き続きお送りします。 いつもこれ、初めにこんばんはって言ってるんですけど、実際本当にこう真夜中に録音することが多いので、
こんばんはで始めて、おやすみなさいで終わるということにしてるんですけど、
今日はこれを撮っているのがお昼過ぎなので、あまりこんばんはって感じではないんですが、
まあでもなんかこのPodcastは結構雰囲気的にこんばんは感があるような気が勝手にしていますので、
今日もいつもと同じようにこんばんはと言わせていただきました。 先週のPodcastでお話をしたあのわからないフェス、
ハッシュタグわからないフェスというのが正式な題名のイベントなんですけれども、無事に終了することができました。
2部構成で全部で4時間、間のお休み挟んだら5時間にわたる大変長大なフェスでしたけれども、
無事に終演することができました。ご来場いただいた皆さん、そしてアーカイブ配信チケットというのを販売していたんですけれども、
それを購入して応援してくださった皆さん、まずは本当にありがとうございました。
このご時世のこともあるので、いわゆるその演奏会が終わってから2週間経たないと本当に、その経過観察を経ないと本当に終わったという気持ちにもなれないし、
まだいわゆる残無処理がまだ山のように残っていますので、まだ本当に終わったという感じでは実はないんですけれども、それでも無事にコンサート自体は終了することができました。
ここまでこれたのも応援してくださった皆様のおかげに他ならないので本当に感謝しています。どうもありがとうございました。
この企画はイニツエムオーディトリウムという動画配信サイトに出てきてくれるアーティストたち、そのオーディトリウムというサイトはここからわからないよ旅しようというキャッチコピーを持って活動してきています。
そのあるわからない系というんですかね、最初に言語化されてしまうようなわかりやすさを持たずにあえてそのアーティストたちが本当にそれを面白いと自分の内側から思っているような事柄を存分に出してもらうということですね。
それをそういう風な形で集まってもらったオーディトリウムのアーティストたちを実際のライブ会場、今回は府中のウィンホールなのでライブ会場というよりはコンサートホールですけれども、実際のリアルの場所に集めて演奏してもらったらどうなるかというところで企画したものでした。
なのできっと面白いことになるだろうなという予感はもちろんしていたんですけど、やっぱり実際にこのリハーサルで集まってもらった皆さんの演奏を順々に聞く中でこんなに面白くなるとはとはちょっとなんかある種想像を超えたような驚きがありました。
クラシックの生演奏とエレクトロニクスの組み合わせ
今回なんですけれども、いわゆるクラシックの生演奏ももちろんたくさんあったんですが、それだけじゃなくて今回マスタヨシキさんというライブエレクトロニクスとかPA音響の専門の方に入っていただいて、その彼に監修してもらって全体の音響作りにも注力したライブになりました。
そういうチャンスがあるので結構アーティストの皆さん、普段は生演奏一本派の人たちがエレクトロニクスを使った演奏にチャレンジされるようなことも何個かありまして、そういった形でも非常に面白いものをお聞かせすることができたかなと思います。
最終的に動画サイトにまたこれはあの演奏が動画が上がりますので、またそのアーティストごとにこの人のステージは単品でいくらみたいな感じで販売されるので、またその公開の時期になりましたらご覧いただければなと思います。
最近若手でこれ最近来てるよみたいなクラシックの演奏家の皆さんも勢揃いですけど、その演奏する作品の内容は他じゃ聞けないようなオーディトリウムでわからないっていうタイトルつけてあえてここならやってもいいんだみたいな感じで出してくださっている素晴らしい面白い唯一無二の内容が揃っているんじゃないかなと思います。
ぜひ楽しみにしていただければなと思います。
僕自身は第2部でボーカルコンソートイニチュームという僕が主催している合唱団がありますけれども、その人たちとそしてピアノのうすきさん、あずまさんというデュオとナレーションのバリトンの松平たかしさんと一緒にシェンベルクのワルシャワーの生き残り、松平さんご本人によるピアノ二大版編曲バージョン、
もちろんパーカッションに柳沢さんという方がいてそういうメンバーで演奏しました。
それとあとボーカルコンソートイニチューム単品でウーヴァーマールムラフトマスタリス、トマスタリスへの上乗り作曲はブルクハルトキンツラーという方の作品で演奏しました。
生演奏もある種、先々週ブラームスとストラウィンスキーのコアシンフォニーを同じ場所で演奏しましたけど、先週もそんな形でイニチュームと生演奏を楽しむことができました。
もちろんこれを開催するというところにたくさんの苦労があったわけですけど、やっぱりこういう生演奏が行えたということ自体、それに関してはやっぱりすごく幸せなことなんだなということを改めて感じている次第です。
そしてですね、これが終わってしまったわけで、これから本格的なスゴモリ時期に私は入っていくことになります。私が今担当している合唱団はほぼ全部オンラインの方に移行しました。
少なくとも今月中はもうそれしかないので、対面で合唱を指導する、あるいは演奏会をするみたいなのはすごく先の話になっています。
それはそれでポジティブに捉えて、こういうやり方でないとできないことということを考えるということにもちろんなってきますよね。
もはや良いのか悪いのかわからないですが、この世の中の状況にぶんぶん振り回されながら、色々なやり方を変えながら時間を過ごしていくということ、それ自体にはかなり慣れたし、ある種タフになった自分がいるのかなという気もしております。
ただ、毎回同じことをやって、ただZoomになったとか、ただYouTubeで配信になったとか、そういう形の変化だけでは面白くないなというか、それを変えるだけのことには正直なところ飽き果てているので、
また内容の中でちょっと新しいことを取り入れていったり、あるいはこのやり方でもこういうところまで突っ込んでいけるんだみたいなことを今ちょっと色々イメージしているんですけれども、色々準備もしているんですけれども、
新たなチャレンジと衣装作成
そういうことを実践してみて、今こんな感じだよみたいなのを多分次回のポッドキャストでお話しできるかなと思っています。結構いろんな計画があります。
あとは、今度これから僕自身にとってですけれども始まる大変新しいこととしては、指揮者ではなくて歌い手側の活動として、来月の10月22日金曜日が公演なんですけれども、
ボーカルアンサンブルカペラというプロフェッショナルのルネサンス音楽をメインの取り組み対象とするボーカルアンサンブルですね。そこのメンバーの一人に今回入れてもらって乗ることになりました。
10月22日に東京カテドラル大聖堂で演奏します。ジョス・カンデプレのモテットをたくさんたくさん演奏します。もちろん知っている作品と、もちろん知ってはいるけどそんなに馴染みのないなというふうなイメージでいる作品と色々あるんですけれども、
まだ音にしたことがない作品も指揮者としても歌い手としても僕の中ではいくつかあって、今回まさか最初の音出しがカペラの皆さんとできるのだというふうに思うと大変贅沢でありがたいことなんだなと思っています。
そのプローベが来週からいよいよ始まってくるので、今楽譜がもちろん全部いわゆるクワイヤブックの定量寄付法の楽譜ですので、それをじっくり眺めながらどうしたものかと思いながら頑張っています。
僕もいきなりここに参加するってなると、自分の準備だけじゃどうにもならないので今ちょっとこっそりですね、色々な複数のこちらの道を行っている先生に教えをこいながら挑戦をしているというような状況です。
なんかそれがすごく、僕にとってはすごく何かこの日々の、自分が望むと望まないとにかかわらず進んでいってしまう生活においてすごくありがたい時間だなと感じています。
というのも、やらねばならないこととか、自分の中にあるものをただ外に出していくだけではなくて、状況が変わった、こういう新しいことがあり得る、これには自分はどれだけ足りないんだということを改めて認識して、
その足りなさをぶちまけられた脳症を集めるためではなくて、ある程度やはり導いてくださる、先に行っているまさに文字通り先生という人たちがいて、その人たちと自分の目線と改めて付き合わせながら、またちょっと歩みを進める気になるというか、
今日すごいぼやっとした話になって恐縮ですけれども、そういうことが今はとても忠実の一つの礎になっているなということを感じております。
あとはそうですね、ちょっと先につながる話をしたいなと思っているんですけど、あと来月ですね、今度このわからないフェスというところで、川切に最初の第1番伝送してくださった常民一座ビッキンダーズというかっこいい民謡の3人組がいるんですけど、彼らの新作の撮影にまた同行することになりまして、
それを来月の末ぐらいにまたちょっと、前回は山の奥に行って撮影と録音を一緒にやったんですけど、今回は海の方に行ってまたいろいろやっていくということになっていますので、それもどこでお披露目できるかとかまだ全然未発表なんですけれども、ぜひ楽しみにしていただければなと思っています。
あとすごい、僕的に完全に私的に大切な出来事としては、ついに色紙の衣装をちゃんと作ることにしました。これまで普通の紳士服店で買ったジャケットなりズボンなりで出てたんですけど、最近体のサイズがすごく減ってきていることもあって、
ずっとかねてから、やっぱり自分の体にフィットした腕動きをある程度許容してくれるような衣装が多分指揮者にとって大事なんだなということを僕自身も思うし、いろんな先輩方がアドバイスしてくださったのでちょっと衣装を作ることにして、その先輩のツテを頼ってですね、この前打ち合わせに行ってきました。
わからないという言葉の意味
すごい多分なんか自分が思っていたよりめちゃめちゃ楽しみだし、なんかそのなんか自分が身につけているもののなんて言うんでしょうね、何か何かここにこんなのこんなの夢がつくよとかこんなのができるよみたいなことを考えてワクワクしたことなかったのですごい面白い経験だなと思いました。
それはね、それは来月か再来月かな11月だったかなぐらいに完成品がおそらく見えるだろうということで、運が良ければですね、今年の年末12月の最初に実は愛知県で客演する話がありまして、そこでうまくいけば最初の衣装のお披露目ができるのかななんて思ったりしています。
それがなんかすごい僕的にワクワクしていることです。めっちゃ個人的な話ですいません。まあいいですよね、個人的なボットキャストなんで。
はい、とりあえずそんなところですかね。
マシュマロ、あの来ていためっちゃ短いメッセージなんですけど、ハッシュタグわからないフェスすごかったというコメントをいただきました。ありがとうございます。
なんか結構本当にありがとうございます。お客さんの反応ね、今回の演奏会のタイトルをハッシュタグにしたことでみんな嫌悪なしにハッシュタグで投稿してくれたので結構反響が広いて、いい作戦だったなとちょっと思ったんですけど、結構いい反響があって、
なんかやっぱりわからないものを伝えるっていうのは大変難しいことですよね。なんかわからない、わからないっていう言葉自体がある種、捉え方によってはすごくネガティブなものなんじゃないかなと思うんですけど、だからわからないっていうのはわかる状態でないっていうことだと思ってしまうので、
なのでなかなかそれそのものを魅力と感じることって難しいんだけれども、あえて私たちは回り道せずにわからないをそのままタイトルに置いてみたんですけど、ある程度伝わったのかなっていうような印象を得ています。
わかんないっていう時に、例えばめちゃめちゃ味が複雑な料理とか、めちゃめちゃ絶妙なバランスのスパイスの調合でできているカレーとか、そういう時ってわかんないですね。わかんないとあと同時に感覚的に今何を感じているだろうっていうことは実はなんか別にあるわけですよね。
逆に言うとわかるっていうことになった時に自分の感覚に対してはそんなに鋭さがなくても大丈夫になる、わかるという状態に浸っていれば何かが言える気がするみたいなところがあると思うんですけど、本当にわかんなくなっちゃうと自分が感じているものを信じるしかないんですよね、まず最初には。
その後、その経験って何だったんだろうかということでいろいろアナライズして何か原稿化できるものが生まれたり生まれなかったりすると思うんですけど、その感覚を起動する何か一つのトリガーとしてわからないっていうことがあり得て、それが僕は割とそのことを感じられるっていうことにすごく幸せを感じるので、
それを共有できたらなあっていう思いでいて、その一端は今回のフェスとかオーディトリウムの活動として担えているんじゃないかなと思っています。皆さんいかがでしたでしょうか。
感覚的なものの伝え方
分からないっていうことを始まるきっかけなんですよね。これもどなたかが感想で書いてくださったと思うんですけど、何かを語るときに分かる分からないって話にするんじゃないよねみたいな話があって、確かに分かる分からないは入り口なんですよね。
その後何を言うかが全てというか、その後に起きる諸々のことの入り口なんですよね。で、分かるっていう時にはある種分かるっていうことを共有できる人々が周りにいて、その空間である種共有されているコードみたいのがあって、その上でこれは今回のはこうこうこうでこうだよねみたいな感じになっていくわけですよね。
分からない時には何も共有されていない。さあどうしよう。今自分のパレットには何が残っているんだろうとか、今受け止めたものは何だったんだろう。さあどうしよう。で、みんなで開示してみようって開いてみて、やっぱり分からなかったねみたいなのはすごくいいですよね。
その一回発散する状態になって、いろいろ見直してみるっていうことが一つの良い思考の再構成みたいな感じがするので。
僕はある種、日常でずっとそういうことをやっていると病んでいく可能性もなきにしもあらずなので、本当はずっと僕はそれをやっていたいと思っている人間ではあるんですけど、それでもね、たぶんバンニングはそれを求めないだろうということもよくわかっているので、そんな感じなんですけど。
分からないという状態に身を置いて、その後にいろんなものに開いていけるっていうことを何か感じていただけたならありがたいかなって思います。
で、そうですね。これは批判するわけじゃないんだけど、例えばね、年末の大工っていうのはすごい定番ですよね。
で、大工について人々が語るときに、わかっていすぎてしまうと最終的にみんな演奏が何分だったとかそういう話をしだすわけですよね。
今回は快速な60分の演奏だったみたいな。85分、これは本来のカラヤンのテンポのCDの基準になった何分には収まらないものすごく広がりのある遅い演奏みたいな。
なんか多分大事なのはそこじゃないんですよ。例えばベートベーの大工について考えるときも。
っていうことをどうしてもやっぱりわかっているセットが増えてくると忘れてしまうんですよね。
そういうのをどうにかリセットして、いかにありのままに音楽を聴くかっていうことを問い直す。
もちろんテキストを理解しないと入っていきようがない音楽とか芸術というのはまあまあありますよね。
西洋の芸術というのはそういうもんだと思うんですけど。
そうだとしてもそこを横置きして自分がありのままに感じるっていうのはどういうことかっていうのを忘れないようにしていないとそれすらもう歪んだ眼鏡になってしまうということですよね。
そんなことを一夜で表現するのはすごく難しいのかなって思うんですが、
常に僕は音楽活動、それはオディトリウムの主催とかではなくて音楽家として取り組むときにはいつも考えていることかなって思います。
そういうことがまたアウトプットできるようになるようにまたこの凄盛期間は一生懸命インプットに色々努めていきたいかなと思っています。
今日はこんなところにしましょう。柳島剛太でした。おやすみなさい。
22:00

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