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2025-05-18 11:55

【創作論】情報過多の時代にクリエイターが意識すべきこと。

他人と比較したり、質の高い作品を浴び続けると、クリエイターとしての自信をなくしたり、自分が作らなくても他者の作品に満足することがあります。そんな危機はどう乗り越えたらいいのでしょうか?
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サマリー

情報過多の時代において、クリエイターは独自の音楽や表現を追求することの重要性を語っている。新しい音楽が溢れる中で、彼は自身の音楽制作への興味が薄れていることを認めつつ、リスナーとしての楽しみを大切に感じている。

創作への疑問
おはようございます。小松でございます。いかがお過ごしでしょうか。
今日歩きながらいつもの配信をしておりますね。歩くとやっぱりいいよね。何なんだろう。
やっぱりずっとね、家にこもったりとか、皆さんもそうじゃないですか、ずっと同じ場所にいるとかね、そういうところでいるとね、発想出てこないよね。
歩いたりとか、五感から受ける刺激っていうのはすごく大事って日々、ここのラジオで伝えてますけど、
それがないとね、やっぱり生きてる意味ないなっていう気がするよね。もう本当にね、画面とかね、限られたところでずっと固定して同じことをやるっていうか、
何かのモルモットになってるんじゃないですか、現代人ってっていうね。そこはもう本当に、ちゃんと客観的に物を見ないと、
巻かれるだけっていう人生ですからね。気をつけてくださいねという。今日はそんな感じで、ちょっとね、ちょっとこう、なんかドック入りみたいな感じの月曜日でございますけれども、
今日は何喋ろうかなと思ったんですけど、なんかね、正直言うと最近あんま音楽作りたくないんですよね。なんかあんま興味がなくなったというか、
いや本当ね、僕は正直で作りたいときはめちゃ作りたいんだけど、なんかね、ピントというかね、アンテナがうまくいかないときはもうしないんですよ、本当に。
自分に正直じゃないとね、意味ないんで。その原因がやっぱあるのかなと思って、そこなんですよ、今日伝えたいのは。
で、それはね、結論言うと、似たような曲とか、なんかアンビエントとかピアノとかね、腐るほどあるんですよね、本当にね。
それがね、あって、じゃあ自分が作る意味って何なのかっていうことなんですよ。
僕は常にですね、なんかこう、自分が本当に好きでやる音っていうのがやっぱあって、それはね、皆さんの前で別に弾くこともそんなないんですよね。
流行と比較
これ何かというと、自分のためだけに演奏するっていうやっぱモードがあって、それはもうね、誰一人その音はね、聴かないぐらいでも全然いいかなっていうのでやってるんですけど、
で、その一方でね、YouTubeとか、アルバム作るとか、そういうのはやっぱ他の方が聴かれてることを前提に作ってるわけじゃないですか。
これボイシーとかね、スタンドFMとか、YouTubeとかね、そういう配信するときはね、これ一人で弾いてるんじゃなくって、聴かれる人を前提に弾くってのは当然な話なんですよね。
そこで考えていくと、なんかね、割とどういうのかな、似たような曲があるというかね、そういうのが結構あるので、なんかね、やる意味ないんじゃないかなって思うんですよね。
僕はやる意味ないかなっていう。それ何かというとですね、やっぱ似たような曲がどんどん増えてくるっていう、いわゆるそうした音がメジャーになってる。
もっと具体的に言うとですね、アンビエントでパッとっていうのかな、シンセでずっとワーっていうような感じでね、流れるような音楽とか、あとあのピアノでもね、繰り返しながらこう、背景として溶け込むような曲ってすごく増えてきてますよね。
で、僕はそういうのも好きで聴くんだけど、明らかに僕より上手いなって思うんですよね。いや、若い方の感性ってすっごいOSだと思いますよ。
本当にね、割に僕はSpotifyで色々曲を聴く場合が多いんですけど、するとね、レコメンドで別の曲もかかるじゃないですか。で聴くと、あれこれめっちゃいいやんみたいな感じになるんだけど、それを見ると、あれこれ知らないアーティストやなとか、意外といいじゃんとかね、これめちゃくちゃいいじゃんっていうのがあるんですよね。
自分がこういう音ができたらいいなあっていうような感じのね、あのそういう音をもうね、多分こう、お若い状態でね、あの出すんですよね。すごいよね、20代とかでそんな音を出せるんだみたいな感じで、するとね、聴くだけでいいっていうか、リスナーなんですよ、リスナーね。
リスナーで聴くのいいじゃないですか、本当に手放しで聴くのね。別に作らなくてもいいじゃんってすっごく思うんですよね。これが正直ね、あんまり作りたくなくなった原因だという感じでね。あの一人で弾く場合は弾くんですよ。好きな曲とかね、自分の好きなメロディーとかやるんだけど、別にそれって人に聴かせなくてもいいじゃんみたいなことをすごく思って。
うーん、まあそれも含めて、ある一方でその、あのバカ図を踏んでね、あの配信を続けていく、そういうのでやっていくっていうことで、やってもいいんだけども、なんかね、それもどういうのかなあ、なんかフォロワーさんが増えるとか、もちろんね、やればやるほど増えるんですよ、それは全然ね。
びっくりすると、たまにやるときに、5人とか10人とか増える域にびっくりみたいな、あるんですけど、そこを狙うために弾くってね、やっぱ本末転倒じゃないですか。
自分のこう、もともと持ってるものとか、弾きたいなあっていう気持ちがあった上で弾かないと、僕はあんまりこう、やる意味がないというかね、やっぱり危ないのはねじれですよね。
なんか逆に触れるっていうこともあるけど、自分が本当はある方向性で演奏したいんだけど、それに別の目的が乗っかってくるとね、ある程度いいんですけど、やっぱ長期で僕ものを考えててですね、
短期だとそれで人気になるとかフォロワー増えるとかそういうのがあって、形にして数字ってやっぱ強いからね、それで満足するようなところもあるかもしれないけど、長期で見るとそれってね、どうかなっていうかね、と思うんですよね。そこなんですよね。
で、それもあるし、最近の業務の忙しさもあるし、今は曲というよりかテキスト作ったりしてるんですよね。今、教科書、来年用に使う教科書を作ってて、これに結構集中没頭しちゃってですね、ものすごくいい感じで出来つつあるんですよね。
そういうのもあるし、なんか全部が複合してるんでしょうね。だからその結果、曲なぁ、ええ、曲みたいな感じになってるのだなっていうね。あの、弾くのを忘れはしないんだけど、これでね、今書いてる本がそうなんだけど、妙にですね、そこで弾かなければ、週に一回何かしなければ、毎日反応も弾かなければっていうふうに思うとね、ドツボなんですよ。
情報過多と自由
これ自分縛りっていう言葉がね、あったりね、マインドブロックという言葉があるけど、そこなんだよなぁ。それを、やっぱり結構感じるんですよね。これ、あの、このムドこのマッスルに関わらず、マインドブロックしてるなとかね、そういうとこにはめちゃくちゃ敏感なんですよね。
やっぱりね、常にこう、いろいろ波はあるよ、波はあるんだけど、浮き沈みあるんですけど、やっぱりある程度自分の自由な部分っていうのは、やっぱりできるだけ多く持ちたいなというふうに思ってますので、これがね、このムドこのマザルに関わらず、現代社会ってね、同調圧力、見えないものの力ってすごく、SNSがね、その大きな原因の一つですけど、
すごくね、そういうのがあんまり直接的に見えない分ですね、あの、はびこってるんですよ。これ、あの、学生と話してても、周りのね、あの、方と話をしてても、それ思うんですけど、まあ、そういう時代なんで、そこからやっぱりできるだけ、まあ、逃れるというか、離れるというかね、それをしないとね、今歩いてますけどね、あの、こうして山上通りを、やっぱり外を見て、今曇りなんですけど、雲のね、切れ間からちょっとね、
ちょっと別の雲が見えたりとかして、で、遠くには東山がね、パーッと今見えるんですけど、そういう風景も、これいいなーとか、こんな風景すごく落ち着くなーとかね、そういうのを見ないでね、周りの方、まあ、割と多くが耳にね、あの、イヤホンでなんか聞かれたりとか、えっと、常にですね、あの、スマホの画面をご覧になられていたりとかですね、そういうことが結構多いので、
という僕もあれですよね、今、こうして喋ってるので、あの、人のこと言えないですよ、そりゃね、言えないんだけど、なんかね、なんか一つのことに絡めとられてる感じがするんだよね、んー、まさかね、これ、あの、iPhone、2007年にこれ日本にね、来て、今で言うともうね、今17だから2、10、13、4年経ってますよね、これ、できてから、
いや、ここまで人の心を足掴みにするとは思いもしなかったですよね、そんなものをね、やっぱり相当きつい、ある種ドラッグだと思うんだけど、そこがね、何か、こうして自由に物事をするとかね、言うことのね、あの、圧縮化性になってるんじゃないかという気がしますね、まあ、それで、まあ、結論だけど、僕がこう、曲作らなくなったぐらいなところまでの強さがあるでしょ、
人の曲いいなとかね、まさに僕、あの、このネットで人の曲聴いてすごくいいなと思って、比較してるわけですよね、それでまあ、まあまあ、当面弾かなくてもいいかぐらいまでなるっていうのは恐ろしいものですよね、
うーん、まあ、そこまで僕の場合はこう、どうしても弾きたいとかね、そういう、あの、熱量が意外とないのかもしれないっていうか、いや、それもちゃんと認めてあげないと、ピアニストだ、そりゃ環境音楽家だって感じで、あの、弾くのがね、前提でって言ったらね、不幸になっちゃうので、ちょっとね、カッコにくくって、演奏はしますけどね、なんか、身が入らないなっていう、ことをね、ちょっとここで、
なんでそのあたりがそうなのかっていうのはね、ちょっとプレミアムで結構喋ってるんですけど、まあ、ここのね、あの、通常回でお届けするのは、こんな感じかなっていう感じがしますね、ね、なんか通常回というかね、あの、プレミアムの方じゃない方で聴いていただいてる方、本当ありがたいんですけど、あの、なんで小松最近弾かないのかなっていうのはね、ちょっと思っていらっしゃると思いますよ、うーん、ね、ちょっと意図とは違うなとかね、まあ、それはね、実はこういう範囲、原因がね、
あったっていうことで、あの、理解いただけたらとてもありがたいなっていうふうにね、思っております、ということで、今日はね、結論的には何だろう、うーん、まあ、比較、いろんなものを比較するっていうのは結構、うーん、かなりこう、生きるだけでも割とクリエイターさん、ね、あの、制作者さんにとっては、やっぱちょっと難しい時代になってるのか、ただでもそれを、
うーん、弾けなくなったからもうダメというよりも、ちょっと観察してみてあげようっていうね、そこですよね、うーん、まあ、状況はどんどん変わっていくので、これが全てっていうわけじゃないですから、まあ、ちゃんとそこはね、心身向き合って、さあ、これからどうなるんだろうっていうのはね、うーん、リスナーさんもちょっと、あの、気にしていただけたらいいかなというふうに思っております。それでは、この辺で失礼いたします。
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