「氷山の一角」という比喩との出会い
おはようございます。小松でございます。 また路上から歩きながら配信をしている感じなんですけれども、
今日は、氷山の一角を耕すという話をしていきたいなと思います。 これは、目に見える部分よりも、目に見えないところの努力とか、
存在がすごく大事だという比喩で、 氷山をよく使うことが多いと思うんですけど、これね、いつ僕はその話を
知ったかというと、小学校6年生の時なんですよ。 その時に卒業手前、今頃ぐらいだったかな、2月頃に
みんなで、一人一人が描いた、 老いたちの木みたいな、今までね、12歳ぐらいまででどんなことがあって、
どういう気づきがあって、どんな経験をして、どんなことをこれからしたいのかみたいな、 そういうスケッチブックにね、いろんな出来事を書いたみたいな、
そういう絵を描きながら、そういうのを描くような、そういうところがあったんですね。 最後に家族からの
コメントを書くところがあって、祖母とか母とかね、父とかが書いた記憶があるんですけどね。 僕はね、そこで父親の
書いたところがね、氷山の一角みたいな、 そういう絵なんですよね。なんかね、海面を描いて上の方にこれは見える部分、
そして下はね、その見えない部分っていうのがあって、 見えない部分を耕すのはめちゃ大事みたいな、そういうよくある話なのかもしれないですけど、
承認欲求と目立たないことへの価値観
僕はあんまね、正直普段目立つというか、承認欲求がほとんどないんですよね。 なんかできればね、人目に触れないで自分でひっそりと
生活していくっていうのは、すごくね、承認あってるって感じなんですよね。 普段なかなかそういうふうに思うことが結構多くてですね。
あんまこういう音声とか、SNSとか、メディアとかにね、よく出てるというか、そういうことはあるんだけど、
なんかどっちかと言ったら、そういうことはしますけど、 見えないところでひそひそやるっていうのがすごく好きで、
別にネガティブな意味じゃないんですけど。 でね、そういう時にね、
SNS時代の「見える部分」へのリソース配分
やっぱりよっぽど人ってこう、最近はね、 こういうプラットフォームがあるから、承認欲求に出すための装置じゃないですか。
これ氷山の一角で言ったら、目に見える部分だと思うんですけど、 そこら辺を耕しまくってしていくとですね、
なんかこう書いてる時間も、何を投稿したいのかなみたいな、 それ思う時間もですね、1日はやっぱり24時間しかないから、
まあそこで、リソースを割かれてしまうわけですよね。
音声配信における「考える時間」の捉え方
このボイシーとかね、音声配信もね、僕は全然決めてないというか、
直前で今日何話そうかなみたいな。 ほとんど歩きながらですから、
全然言語もないしね、頭に思ったことを、 口で喋ってるだけっていうようなね、
そういう時間だと思うんですけども、時間かけないんですよね。
喋ってる時間が考える時間で、考える時間っていうのが、
イコール、歩きながら今いる時間なんですよ。 だからね、全然考えてないって言ったら、
コンテンツとして練られてないから、もうそんなの意味ないじゃんっていう、 そういう解釈もあるかもしれないし、
綿密に作られたコンテンツとの比較
あるいはね、音声配信とかいろんなのを聞いてると、 やっぱりすごくね、綿密に
選んでというかね、考えて、しかも編集しまくってですよ。
さっき僕は、うーんとか言ったじゃないですか、 うーんみたいな。そうじゃなくって、本当綺麗にね、
作るというかね、仕立てる方が、割とやっぱりね、 ボイシーだったら特に割とこう、
晴れ舞台のプラットフォームじゃないですかね。 ましてやそんなもん、うーんとかね。
こういうあの、車の通貫音とかね、そんなノイズじゃんみたいな感じで、 いや本当にコンテンツとしてはどっちが良い悪いかっていうよりも、
時間的制約と音声配信の利便性
とにかく時間かけてないんですよね。 それはね、すごくそれを手を抜くとかっていう意味じゃないんですよね。
だから取手出しがやっぱ音声はやっぱりやりやすいし、僕もね、ちょっとどうしても今ね、 本当余裕の時間がないから、移動ぐらいですよね。
あとはもう家に帰ってご飯食べるか、家事をするか、 仕事をするか、まぁちょっと作っているね、制作の何かが
あったらやるかとかね、大学の仕事があるかとかね、 だからそこでちょっとホッとする時間とかね、そういうのはやっぱないんですよね。
テキストベースコミュニケーションと声に出すこと
で、人にねコミュニケーションを伝える場合も、 今ってこうほとんどテキストベースが多いじゃないですかね。
チャット系っていうのかな、ディスコートとかスラックとかね、 メールもあると思うんですけど、そうするとね、声を出して喋っていって人に伝えるっていうのは、
授業でもやってるし、家族ともそういうね、喋りはするけれども、 割と人事、独り言が独り言を
自分で思ったことをですね、別に頭にチャッターというか独り言で、 声に出さないで、別にそれをやっていくのもいいと思うし、
音声配信による思考の整理と「氷山の内側」
僕はね、ちょっとやっぱこう音声配信5年近くやってきて、 声に出すことによって、なんかね自分がそれを一番よく聞いてるんですよね。
自分の声をやっぱ聞きながら今歩いてますけど、 それで何かね、なんかモヤッとした何か考えとかね、まだまとまってない、
全くまとまってない考え方ってありますよね。 それがちょっとだけまとまりの根っこぐらいかな。
そういうものが出てくるというか、生み出されるっていうのがね、ほぼ自動的に。 それがね、今喋ってる音声の状態なんですよね。
だから僕にとっては、まあ氷山の一角とすればね、 氷山には出てるけれども、この音声配信自体がやっぱりね、
人に聞かれたらそれは当たり前だけど、 公開になってるからね、そうなんだけど、僕はね氷山の内側をね、旅してる感じなんですよね。
反芻(はんすう)時間の重要性
そういうのをやっぱ常々移動するときも別に、 音声配信をずっとして移動してるわけじゃないけどね、
考えたりとか、反数したりとか、
曲でも文章でも作る手前の寝てる時間っていうのかな、 スループットって言いますけど、その反数時間すごくやっぱり大事にしてるんですよね。
でその反数時間っていうのがやっぱりこう、 氷山の一角の奥の部分なんですよ。
見えない部分の耕しと表現の質
そこの耕しなくして、氷山の上に出てきた表現とかね、 人様に触れるものっていうのは、
まあ、 良いもの悪いものっていう
あの 言い方でもないんだけど、何だろう、
寝られてないものっていうか、
まあ、手抜きだよね。 手を抜いているものに近くなるのかなって思うんですよね。
AI活用と自己の本質の発見
だからねやっぱりこういう時間っていうのは、 僕のときは外に出している手前の氷山の中の時間なので、それで例えば同じことをこのねあの
配信でも結構喋ってるじゃないですか。 似たようなこと、やっぱり人間同じね、人間が喋ると近いものが出るから、
そこをちょっと角度を変えて喋ってみたりとかなんかして、 あるいは今ってこう文字起こしできるので、それ見ながらAI使って
自分のエッセンスを文字化するじゃないですか。 効率よくすると
なんかね、やっぱり見えてくるんですよね。 ここが自分の心なのか、氷山の中のこの部分なのかっていうのが見えてくるんです。
まあ種とかね、軸みたいなもんですよね。 それでその軸なものが出てきた後で、ようやくなんかこう他の表現ね。
表現への経路と目に見えるものへの変化
の、あの えっとその
経路というかフェイズというか、 そこと触れたときにあの
目に見えるものというかね、人が見てわかるものに変わっていくんじゃないかなと思うんですよ。
日々の積み重ねと見えないものの価値
まあそのためのその仕組みとしてはやっぱりね、いきなりそういうものはできないのでね、氷山の上のとこ。
僕はやっぱりね、ちょっとずつこういう、まあね、あの些細な話かもしれないけど、
まあ自分でね、日々考えたことをこうして喋っていって、それをストックしていくというかね、そういうのがすごく大事で、それがやっぱりね、氷山の
一角を耕すことにつながるんじゃないかなっていうことで、そういう目に見えないもの、表に現れないものの価値みたいな、そんな感じの今日ねお話をしてみました。