音の重要性の探求
はい、小松でございます。この音ってすごいね。の電子書籍化の一番最後のところにですね、
変化として書くというような、そこのネタ出しとしてちょっと喋っているわけですけど、今日8回目ですね、最後のところで。
それほど長くはならないんですけど、後書きへの最後の問いということなんですが、
究極の問いをね、ちょっと投げかけられている状態なんですね。この本で捻られた21年前の探求と、それに応える現在の試作をね、ずっとやってきました。
7回分やってきたかな。で、ある程度見えたところがあるんですけども、そのすべてを総括した今の状態で、この情報とノイズの本流の時代に、
私たちが本当に豊かな人生と社会を築くために、音を聴くという行為を通して、見つけ出すべきたった一つの最も大切なことは何でしょうかというね。
たった一つっていうのは結構難しいよね。たった一つか、たくさんあるような気がするけど、やっぱり優先順位を最後持ってくることですよね。
やっぱり今生きている実感じゃないですかね。今生きている実感。で、糸井重里さんに僕この本ね、あの素敵な帯いただいたんですよね。帯文をね。
終字で書いておりますよね。気持ちよく生きるためにっていう言葉。気持ちよく生きるためにね。
まあそこをやっぱり人って求めてるんじゃないでしょうかね。まあ究極を言えばね。理想を言えば。
逆に言えば気持ちよく生きられないことがあまりにも多すぎるわけですよね。今特に21年前と比べるとやっぱりすごくいろんな社会情勢とか経済的なもの、文化的なものすべてがこういい方向にも行ってるよ。
もちろん行ってるんだけれども、それが必ずしもやっぱりね、あのまあ良偽性というか人をね、あの幸せにしているだけではないっていうところがありますよね。
しかもあの感覚世界に対してすごくいろいろな刺激を投げかけられる現代社会なんです。これあのメディアによってね、デジタルメディアによってそういう状況になってきますけれども。
その中でやっぱりあのやっぱりすごく大事なのはですね、まあ音を聞くこと。どんな音でもいいと思うんだけども、今生きている実感というものがやっぱりすごく少なくなってるんじゃないかな。
情報に押し寄せられているのが1点目と、あとはあの周りの環境を聞く機会がほとんどないですよね。
あのメディアによってバーチャルに音を聞いているっていうことがほとんどなので、まあそのあたりをどういうふうにこう自分ごととして客観化できるかというか、人の作ったものに踊らされているだけっていうところがあるからね。
それをやっぱりあんまり刺激のない、一見お金にはならない、お金にする必要僕はないと思うんだけども、あの目の前にある当たり前のものっていう価値を、あのすごく希薄になっている状態が多いですよね。
それをもう一回価値を見出していって、それに対して全身全霊そこにつぎ込んでいけっていうことは言わないけど、ちょっとそこをね、あの自分ごととしてしっかり吸い込んでみるっていうか、良い音とかね、すごく魂に良い響きがあったとしたら、そこをちょっとじっくりとしたためるというか、そういうことが大事なんじゃないかな。
それによって何か出てくるものといったら、まあ多様にある人はすごくあるけれど、僕は第一に思うのは、やっぱり生きるための力を得るというか、もっと言うと気持ちよく生きるために得るものをいただくっていうことですね。気持ちよく生きるためのエネルギーをもらえるんじゃないかなと思うんですね。
そこの一点にかかる。でまあ派生的に言うとね、音を聞くことによって自分が客観ができるとか、自分の立ち位置を知るとかね、ちょっとビーからドゥになりますよね。やっぱりビーとして考えるならば、やっぱり聞くことによるエネルギーのね、生きてる幸せというか、まあそこですよね、今ここというマインドフルネスに近いんでね、そんな話になっちゃうけど、そこですよね。
過去との対話と自己尊重
それがあって、あとはいろんな効用効果があると思うんだけど、それはね、ドゥなんだよね、所詮はね。悪くはないんですけど、そのドゥのあたりをどんどんそういうのが出てきて、それはもう人それぞれ自由にしたらいいんじゃないですか。こんなたくさん喋ったし、こんなたくさん21年前から書いてるわけですからね。まあそんなことが感じられたなというふうに思いますね。
そしてまあ僕は総括するとですね、この21年前の自分、まあちょっとこう自我根として天才というか、もともと持っているものがやっぱりちゃんと出てるなと思うんですよね。
で、その21年間にまあいろんな仕事とか忙しさがあったりとかっていうのは言いましたけれども、そういうのがあるけれども、その埃をね、塵をね、邪気を取ったところで感じるのはやっぱり変わらないものがある。もうすでにそれが21年前に言語化されてるってことですよね。
そこがやっぱ先見の明があるというか、まあ先見の明というより自分の価値が変わらずそこにあるっていうことなんですよね。まあそのあたりをね、あの21年前の自分にはもう出会えないですけど、まあ一応体的にはね、共通したものがあるとはいえね、半年にでもあの全部自分の細胞があの全部変わっていくから、自分の21年前じゃないけどね。
それを対話できるっていうのは、その時の音声は撮ってないけど、やっぱり言語というか文字としてやっぱり書いてあるから、そこを見ながら対話してたんですよね。
あのすごく6章分ね、プラス2章分というか、エピローグ、プロローグで喋って8章分ですけど、そこでやっぱりね、先見の明があるなと思ったりとか、あのすごく今でも使える、いや今でこそ時代が追いついてきたなっていうね、あのマスキングの話なんかオフィスで今盛に将棋法化されてるじゃないですか。
そういうのがあったりとか、あのP君の話なんかね、あのもう自分で共存していくってこれ認知良好に近い話ですよね。そういうのもちゃんと伝えてるし、表現にしてもやっぱりあの変わらず僕はずっと続けられてるっていうのは、頭で考えず体で感じながら演奏したりとか喋ったりするっていうのも変わんないし、もう自我根ができてるんですよね。
だから時を経ても色褪せない自分の核っていうのをやっぱり感じることができたし、当時ね、未来を見通していたとは言えないけれども、やっぱりそのそういうものを知ってたんでしょうね。
だからあのちょっと今忙しい状況とかそういうので疲弊しまくってますけど、いやあの全然自我根は衰えてないどころかより強くなってるなっていうのがあって、これぞ自分でリスペクト、自分自身でリスペクトしてるなっていうところですね。
そしてやっぱりBのあたりを、やっぱりBとは当時言ってないですけど、ずーばっかりなってきてる時代においてですね、まあそれがあのお役目としてね、そのあたりとBとやっぱり並存していく、何ならBだけで生きていくっていうような、そのあたりの勇気をね、あのもらったなあっていう感じがしますよね。
だから21年前に井上さん、井上義郎さんが研究室にノーアポで来たっていう、そのそこから始まったわけなんですけど、いや本当に作らせてもらって良かったですね、この本ね。想定も面白いんですよね。今もう原本というかそれないから、売ってないからね、まあ中古では1万円以上してるのかな。
うん、すごく面白い想定なんですよね。めちゃくちゃ面白いよ、本当に。攻撃的というかね。紙、白い紙なんだけどスリットがあって、なんかねテトリスみたいにあって、1個だけピュッと出てるんですよ、1個だけ。それがまた面白いよね。時代を感じさせるというか、もうそれが印刷じゃなくってくり抜いてますからね、この想定ね。
良かったら是非こう本を手にしていただいて、中古はもうほとんど売ってないと思うんですけど、まあそういう人生の一番初期に作った本っていうのは、いろいろ本20冊ぐらい作りましたけど、やっぱ特別なもんだし、自分に対して勇気を与えてくれる、まさに自分にエネルギーを与えてくれてる本なんだなというのが分かったんで、
自分への感謝、そして音もこれから興味があれば、興味が薄れなかったら、音の旅を続けていきたいなというふうに思っておりますということで、これをちょっとまたAIちゃんにぶっこんで言語化してもらいましょうかねということでございました。
はいここまでシリーズでね聞いていただいてありがとうございました。もうなんか自分の音声配信の中でもなんかこうすごい歴史に残る節目としてのね、発祥文かなと思うので、はいあの電子書籍ができた暁には是非とも紹介させていただきたいなというふうに思ってます。はいあの連続して聞いてくださった方少ないかもしれないけど、あの聞いていただきまして本当ありがとうございました。