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音が消えたことに、人は気づかない──岩屋神社で、新書の問いに答える
2026-10-19 29:11

音が消えたことに、人は気づかない──岩屋神社で、新書の問いに答える

音が鳴り出したことには、気づきます。

でも、だんだん消えていった音に、人は「消えたな」と思わないんですよね。

新書のための問いに、歩きながら答えていった回です。

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00:01
今、新書を書いている質問をAIに投げて、どんどん喋っていくような、そんな感じの話なんですけれども。
いろいろと喋っていこうかなと思っております。
今日は、製作には2種類あって、2章で音のない部屋は怖い、どこに自分がいるかわからなくなる、と書いている。
2章では、拍手のない演奏会が私服の時間になる。どちらも音がない。何が違うのかというね。
これって、物理的な音はないかもしれないけど、人が感じたり、そこの背景にある音とか、存在ですよね。音にならない存在がめちゃくちゃ大事じゃないですか。
それが全く違うわけですよね。
弊所教育所とかホテルに行って、あまり気持ちが良くならないとか、そういうのがあると思うんですけれども、
それっていうのは、あれですよね、閉塞感ですよね。
それは周りに人がいなかったり、人の気配がない、空気の気配がないっていうのがすごく嫌で、そういうことに対してすごく嫌悪感というか、すごく嫌って思うんですよね。
それは確かにあるんですよね。
拍手がない静けさっていうのは、人がいるじゃないですか。
人が音を聴いてるってね。音を聴いてる時って、人って音は出してないんだけども、波動って言ったらすごい主観だけども、すごく存在としてのリーングがそこにあるわけじゃないですか。
そういうのが絶対あるし、そういう静寂ってやっぱり人が実際にいて、空気があって、それまでの文脈があって、演奏があって、
それを一人一人の深い井戸のところで聞いていってみたいな、そういう存在、手応えっていうのがビーングとしてあるから、同じ静寂でも全然質が違うってことだよね。
そういう言葉にならないところの感じ方っていうのがやっぱりどうしてもあるわけですよ、人が生きてると。
そこを感じ取るのも感性だし、感じ取れないのも感性の違いなんだけど、そこを知っておかないと、そもそも音の話なんかできないですよね。
そういう音がない状態なんだけど、物理的には一緒だとしても、そこに流れてる主観的な空気とか振動とかね、そのあたりが違って、
いちいちこれはこうだあれはだって言うんだけど、そういうのを言葉にならないもので直感的に感じるっていうのが、振動とか脊髄反射っていうのは瞬間的に来るわけだから、
それを後では説明できるんだけども、そこに言い合わせた瞬間だよね、そこでやっぱり直感的に感じるわけなんで、
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そこが議論になるのかなっていうふうに思いましたね。
あとは、振動でいくかハットしたでいくか、第2章で来歴は書いて決めるだけで、本の中では振動を使うなら第2章の第2のこ使わないならハット、一応残した方がいいんじゃないかな、
ハットだったらなんかすごく主観的というか、やっぱり心象とか文章ってやっぱりすごく客観化が必要なので、あまり自分の主観ばっかり書いてても良くないし、
ちょっとそういうのAIがね、主観的なものばっかりっていう感じの出し方をしているからね、ちょっとどうかなっていうか、
文章ってAIに指導するわけじゃないけどね、主観的なものと客観的なものをちゃんと分けて書く必要があるじゃないですか、それは当然だけどね。
そこら辺のさじ加減はやっぱりAIポンコツだから分かんないよね、僕は全部書き換えるけど、だからね、TPOで全部振動でいくか全部ハットじゃなくて、そこら辺はAI、文章頑張るよって感じだよね。
だから両方残していったらいいんじゃないか、適宜それを使っていくっていうか、そういうことが必要なんじゃないかなって思いますね。
そして次は、漫画ミュージアムと端鉄。第4章が京都タワーだけになったと。企画書では3つ並べていて、滝沢さんが階段の踊り場で音楽が飛び込んできて、
行きなしかけと書いてある。あの踊り場で何を狙ったのかと。端鉄はアンケートのアンケートで、単語自身が涙が詰まった。あの音で何を鳴らすのかをね、ちょっと喋ってほしい。
漫画ミュージアム喋ろうかな。あそこね、竜池小学校っていうね、建物の改装したもので、これボイシーでもたくさん喋ったんだけどね、ちゃんとAIそこはちゃんと調べた方がいいとは思うんだけれども、
学校の空間なんだよね。学校といっても木の空間だけじゃなくて、踊り場って結構ね、響くんですよね。石というか、響くようなね。石でできてる。石質でできてるっていうのかな。
石膏、どう言うんでしょう。僕あんまりそこら辺の知識がないんだけど、石っぽい硬いところの材質ある人、タイルでもいいんだけど、そういうのを使ってるんですよね。だからね、そういう音の響きがあるんだよね。響き
やすい。
木造でできたエリアはあまり響かなくて、足音が響いたりするんだけれども、踊り場でも木造的なものと、さっきのタイル的なものというか石膏というかね、そういうのがあるので、響き方が響くわけですよね。ふわっと
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ね。
で、どっちかというと、聴観的にはやっぱりタイルというか、石のところの音の方が残るんですよね。周りは静かだし。多分そこで滝沢さんは、ああって思われたんでしょうね。そういうのも合わせてね、やっぱりピアノ
ってすごくシンプルなんだけれども、割と音が変化しやすいんですよね。木造のところでは音が消えるし、ピアノに限らずなんだけど、木造じゃないところは伸びるしっていうような感じで。
あんまり伸びすぎると音の存在感が強くなって、環境音楽にはならないんですよ。だから必要以上に音を入れなかったんですよね。音を入れるけれど、メロディーはあまり入れないというか、音を織りなすというかね、音の
粒を連続的に繰り返し、表現として採用したりするところがあるので。
だからね、そういう感じの音作りをしてるっていうのは間違いなくありますよね。結局そういうことをやることによって、必要最小限の粒ですよね。そういうものを入れることで、多様性、いろいろな箱のデザインで響き方
があると思うんですけどね。
いろいろな建物の形状によって音の内立ちが変わるので、あまり装飾せず、必要最小限のものとしてピアノの曲を作りましたね。しかもね、多様性で言うとね、漫画ミュージアムって3つの機能があるんですよ。
まず1つは博物館的なものがあるよね。展示だよね。博物館的な1つでしょ。あとは研究系なんですよね。研究の漫画機構みたいなのがあるので、そういう研究系統があるんですよね。
もう1つは図書館ですね。図書館だから書籍の閲覧っていうのかな。その3つがあるので、利用者も多様にわたっているわけですよ。やっぱり多様性があるところっていうのは、音デザインとしてはなるべくシンプルに
やっていくってことが必要でしょ。
その時に採用したのはやっぱりピアノなんですよね。ピアノの音って割とスルッとしてね、すごく冷たいんですよね。それは感情が湧き起こることは確かにあるんだけれども、やっぱりそこら辺を最小限にしておいた方が
ね。つまり最小公倍数として曲を構造を作っていった方がね、すごくいいんですよね。めちゃくちゃ。
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っていうのを感じたわけなんですよね。しかもピアノって小学校とか学校にすごくふさわしいじゃないですか。学校のデザインというかね。大体体育館とか音楽室にはピアノがあるでしょ。グランドピアノとかたまにアップ
ライトとかそういうことを彷彿させるので、
学校の元竜池小学校の空間で、それで広い部分でいろいろな建物の材質、そして使用用途の広がりを考えていったら、やっぱりピアノがああいう感じになったというね、そういうところですかね。
あと京都丹後鉄道はね、観光的な日本三景山の足立もあるし、いくつか木之崎の方面にも行くし福知山もあるので、観光地域的な要素がありますよね。稲町もあるしね。そういうものと普段の生活ですよね。
例えば宮津高校に僕通ってましたけど、電車数学の人もいるわけですよね。そういうのを考えていくとですね、やっぱり地元の人がシルバーの方も含めて使うっていうのが鉄道なので、待合室で1時間ぐらい待つわけです
よね。
でね、僕がどこだか関西科大学の非常勤してた頃なんだけど、僕はよくデモで弾くわけですよね。授業中にピアノするとね、後で涙流しながら来た学生さんがおったんですよね。
なんでか言ったら、私これ毎日宮津駅の待合室で聴いてたんですよってね。それで懐かしいっていう。これが本当に作曲者だったんですかみたいな感じで、本当に駆け込まれた記憶があるんだけど、そういうふうに地元の
人が当たり前に毎日聴いてるとね、すごくそういう擦り込みがあって、そういう状態にはなったんだけど。
伝えたいのは、観光客の人にはなかなか一語一英な感じで、ブランディングですよね。鉄道の音デザインって都会もあるでしょ。山手線とか環状線とかね、そういうのはね、やっぱりすごく接地がないというか、時間とか
ね、すごくドゥイングなんですよ、めちゃくちゃ。
単鉄は動きはドゥイングなんだけど、雰囲気はビーングにする方が観光客の方もゆったりするしね。やっぱりそこの旅の経験がそこで生かされますよね。音でこう何か出てくるというかね、そういうのがあったりするわけ
ですよね。だからね、そういうふうな感じで作っていったのがありますね。
しかもそれが地元の人が聞いても、それほど違和感にならないというか、ゆったりね、日常の風景として溶け込んでいくっていうようなね、そういうところなので、やっぱりね、観光地的なものと、あとはセカセカしない。
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だって1日に何本?10本ぐらいでしょう。時はもうちょっと別であるかもしれないけど、やっぱり1時間に1本程度ぐらいのね、あるいはもっと時間幅があるような感じの鉄道ではあるので、そういう感じのところで作
っていくというか、製作したっていうのがありますね。これが単鉄ということかな。
そしてあとは、ビーングとドゥイングをいつから誰から。読書をすべてに出てくる言葉なのに来歴がいつでも語られている。この言葉を最初に使ったのはいつか。自分で思いついたが誰かの。これはね、金松ちゃんね。金松
よしひろちゃんがね、同僚ね。人文の頃の同僚ね。
その人がね、ビーの肩書きっていう本があって、今、去年出たのかな。そこに結構ね、働く部分においてはドゥイングなんだけども、自分本来の氷の氷山の下の方ですよね。そこがとても両方の肩書きが大事っていうね。
その肩書きの自分の在り所をピックアップして発見していく。他社の壁打ちを通して確立していくっていうようなね、そういうワークショップを彼はずっとしてたんですよね。
今、そういうところで使わせてもらってるんだけど、金松ちゃん自体は勉強家なんですよ。ビーングが。ドゥイングでもなってるんだけどね、あの里の場の校長をしてるからね、あの学校のね。
そういうね、ドゥとビーっていうのは彼からもらって、ドゥビーなんだけど、ingつけたんですよ。なんかやってる感があるでしょ、やってるというかね。ドゥとかビーとかしてもなかなか厳しいので、ドゥイングビー
ングっていう風につけたのが、なんかね、成果台の時にしんどかったんだよね。
自分の中でメタ認知する時に、成果はやっぱり元々芸術系とか表現系であるし、大学ってところはそもそも自由な部分が多いからビーングが多いわけですよね、本来。でも全然真逆なんですよ、あの大学ね。
ドゥイングを邪気によって押しつけ合ってる、なすりつけてるみたいな、フリーライダーみたいな学校だから、そこでやっぱり僕も巻き込まれたんですよね。それでどうしても生き抜くために、次の大学決まってたけどね、
立場の。
すごくね、そこでどうしてもほぼ日誌みたいなもんですよね。ほぼ日誌の部分を毎日読んでね、博士号を取ったと同じように、僕は成果の最後のところはドゥイングビーングって今何をしてるかっていうのを自分で精査した
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りとか、メタ認知をしてやっていくためにドゥとビーとかやってするとね、多くの人が共感してくれるんですよね。もともとある言葉だと思うんだけどね。
それを普段の仕組み、活動の仕組みとしてね、やっていくとね、だいぶね、いいんじゃないかなと思ってね。それでドゥとビーをね、たぶん2025年の夏頃からやって、そこから急激に、AIと壁打ちしながら出てきた
言葉ではあるんだけれども、僕は使ったのでしょうね。それでやっていったのかなと思いますしね。
それをやるとやっぱりね、整理されてよかったんじゃないかなというふうに思うので、急激にそれがね、たぶんね、2025年頃から出てきたんじゃないかなというふうに思いますね。
そして扁桃体の話はどこでした。意味のある感情、根拠ね。これはいろんな本にあるでしょう。それはもうこの本だというのはないけれども、一番古典的な本としては聴覚心理学の本ですね。音響心理、聴覚心理の本でそう
いうのがあったんですよね。ちょっと名前忘れたけど、また後で探すけれども、その辺りで編んでもらったらいいかなというふうに思いますね。
そして白川静香の辞党はいつどこで、これはね中川先生が言ってた言葉なんですよね。平安京都の内でも書いてあったけれども、そこで書いてあったので、詳細はそれを見ていただいたらとてもいいんじゃないでしょうか
ね。
学物のための材料、4つ。今ここで喋っておこうかね。せっかくなので。ちょっと今岩谷神社、いつも右折するんだけど、ちょっと岩谷神社に行って、この後4つを喋りまくって大学に行こうかな。
僕は本を書くときにとにかく喋りがめちゃくちゃ早くて、あと喋ったやつを細かく精査していくんだけど、この立て付けがどうしても、人間はそもそもかなりショートカットしてるから意外と思いつかないんですよね。
この時喋ったみたいな。これ効果的みたいなね。それをAIは並べてくれるんですよ。これ全部自分の現役なんだけれども、並べ方とか編集っていうのはすごくあるでしょ。そういうのはやっぱり自分では不得意
なんですよね。
だからAIにそれを保護お願いしてるところがあるんですけど、今岩谷神社の方に着いたので、この辺りでちょっと怪しくならない程度でやっていこうかなというふうに思いますね。
暑いな。ここちょっと今日の写真撮っておこうか。これ写真撮ったら消えるかな?実験なんだけど。これで切れるかな?
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あ、切れてないね今日はね。たまにアプリが切れる時があるんですよね。ということで、いやいや暑いな。岩谷神社に行ってご挨拶をしていきましょう。
暑いけど、この中は涼しいね。まだ最後の残りがって感じで暑さが。
涼しいね。いいね。ちょっとここで静かな感じで喋ろうかな。水音もね。全景音で聞こえて、気持ちいいね。
さて、それで連続的に…止まったな。
本を読んでいる時、耳は何をしているか。滝沢さんは活字に没にすると脳内に映像が結ばれ、読んでいる意識はないと書いた。
小松さんが本を読んでいる時、周りの音はどうなっているか、聞えるのか、聞こえているのか。聴覚は決めつけない、広げる材料になる。
これね、僕いつも普通に開いているんですよ、読んでいると。気になるんですよね、周りの音が。
家で読んでいるとやっぱり家族の声とか、色々な意味のある音が結構聞こえてきますよね。
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だからそういう時には思考が分断するんですよね。だから意味が聞こえてこないような静けさのある場所で読むか、
あとは移動中ですよね。移動中の車内放送、地下です。それはもうスルーできるので、大きな音だけど。
そういうところで音の影響がすごくあるんだよね。だから音がね、集中したら音が消えるってあるけど、僕はずっと入ってきてるんですよね。
だからね、聞こえてますね。周症の聴覚は決めつけない、広げるっていうのがあるんだけれども、決めつけて狭めるっていうのも両方ありますよね。
広げる方は意識してないんだよね。スーッと広がっていくから違和感がないものって人って意識しないでしょ。
だから全意識っぽくなるんだけれども、違和感があったりして本の読解の思考を止める場合は、違和感があって狭めるっていうことなので、
やっぱりね、滝沢さんみたいなね、読んでる意識がないっていうのはね、羨ましいなと思います。僕はすぐ聴覚で分断されます。
弾いてる時に何を聴いてるか。松屋で3時間弾いて拍手がない。演奏中耳は何を拾っていた。自分の音、部屋の音、二重の呼吸。弾く前に手を叩いて部屋を測るの、鈴木。
これはね、物理的なものを客観的と主観と分かれて捉えたらいいと思うんだけど、まず客観的なものといえばさっきね、ここに書いてあったような手を叩くとか、音をね、割と冷静に分析するっていう場合があるんだよね。
ピアノの調律は合ってるかとか、この強さでピアノを弾くとどれぐらいの音量でピアノが鳴るかとかね、ダンパーペダルがどのあたりまで踏み込んだら音がね、ハーフペダルになるかとかね、
そういうのは物理的なものじゃないですか。感情を入れなくてもいいですよ。そういうのと、あとは主観的に始まった時にね、人がどんな風に姿をね、なしてるのか、そしてどんな音を出してるのかとかね、服装も含めて
こう、人って音を出すでしょ?
喋ってなくてもね、そういう空気感が感じられて、いよいよ今からライブが始まるのかとか、この曲面白くないなとかね、早く次の曲行ってほしいとかわかるわけですよね。そういうふうに人の気配を、感情を入れた気配を
客観的に聞くっていう場合があるよね。
人の感情、主観を客観的に聞くって感じだよね。あとね、もう一つ主観を主観的に聞くって時もあるんですよ。自分のね、立ち位置として、感慨深くなったりとか、もうすごく高揚感があったりとか没入感があったりする時
がありますよね。そういう場合はね、主観的になっちゃうんですよね。客観的に物を把握できない時は、僕は滅多にないんだけど、そういう時があるんです。たまにね。
本当に5分の1か10分の1かわからないけど、そういう時にはやっぱり自分も高揚したりとか一体感とか没入感があるって、ある種それが人間らしい表現の価値というかね、拍手がないこと自体に自分も聞き入るってこと
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をしてましたけれども、そういう感じの部分があるので、聞くところは3段階よね。客観を客観的に聞くっていうのと、
主観を客観的に聞くのと、主観を主観的に聞くっていうね。真ん中の主観を客観を主観的に聞くっていうのは逆ないよね。そこちょっと分析しといてね。
はい。江野先生が言った進化の仮説。幹の上では聴覚、地上において視覚。この話本に入れたいが入れるなら。仮説として置く場所は大書の冒頭。入れないなら入れたいよね。これで進化論とかダーウィンのいろんなところ
があったりするし、あとはお魚さんの促船の話もしたいよね。耳っていうのは促船の代わりですよね。
そういうリンパ域の中でまるで海の中で魚が泳いでるかのように耳の中に有毛細胞があるわけですよね。毛のついてる細胞。それによってそこの状態がわかるっていうことだよね。空気の動きがね。それが同じ質字って
いうことは間違いないので。
その連続で人は幹から下に下がってくる段階で聴覚とあと視覚的なものをどんどん取り入れていったっていうことではね。そこの連続で書いてほしいなというふうに思いますね。
はい。そして今一番答えの出ていない問いは何か。問題提起の展開があるといいと河野先生が言って。終章は答えを出さずに問いで閉じる予定というね。なるほど。六章を書いてみてまだ自分の中で解けていないことを一つ
か二つ。それが終章の第一文になる。解けてないこと。まだ読んでみないとわからないんだけど。
聴覚の分野で解けてないところがたくさんあるんだよね。いつから人は音を聞く。自分は音を聞くようになったのか。どうしてそれが客観的に聞けないのかっていうか。いつの間にか音が立ち上がり、そしていつの間にか消
えているっていうようなそういう段階がすごくあるので。
今でもこの岩屋神社にいますけどね。なんか自然と歯のスレア音が出てきて、そして自然とそれが消えていくっていう。急に消える、急に音が出るって場合はアテンションが得られるけれども、大体こう自然音ってフェ
ードインする部分が結構あるでしょ。突発的な音を除いてね。そういうのがあったりするので。
どうなのかなっていう感じだよね。すごくそういういつの間に音が出現してそれを聞いて、そしてそれに対して聞くだけでは全意識だからそこを意識まで上がってっていうような切り替えがね。消える切り替えの方が難しい
よね。
感じる切り替えってわかると思うんだけど、感じるっていうオンしている状態の感覚あるでしょ。ある特定の音に対して。それでそれがだんだんと消えていくっていう時に人は消えたなって思わないじゃないですか。そこの
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からくりが何なのかっていうのが何か出てきたらいいよね。
だからいつも音に対して最初はわかるんだけど、最後がちょっと何というか、尻すぼみというか曖昧になってくるので音の重要性がわからない。みんなは音ですかとか言うんだけども、そこから先の持続性っていうのがね、
聴覚の視覚特性に応じてだとは思うんだけれども、あまり重視されないっていうね。
それこそが音の特徴だとは思うんだけれども、それを掘り起こしてやっていくのか、それともそういうものだと思ってね、やっていくのかっていうのは大事だし、今また音が鳴り始めました。めちゃくちゃ気持ちいい
よね。で音が消えていく音が消えていったりするっていうことですよね。
その成り立ちっていうか、全体的にそれを感じていくことがすごく必要なのかなって思いましたね。あとそれぐらいかな、言い残したこと。あとはね、人がどうして僕もだけど、音に惹かれるのかっていうか、
反応しちゃうのはなんでかなって感じだよね。自分が音を積極的に取りに行くっていうよりも、自然と取り込まれてしまってるっていうか、なんでそれが勝手に自動運転してるのかなっていうか。
そこは本当に永遠の課題だよね。自動運転してしまってるけど、コントロールできるところとできないところがある。まるで人生のようですけど、だからね、漂うしかないのかなって思いますね。ということで、この問い
ではいかがでしょうか。
29:11

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