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はい、みなさんこんにちは。作曲家で大学教員の小松正史です。
今日はですね、京都の音の魅力っていうことを改めて紹介してみたいなと思っております。
この話をお伝えしようとした理由なんですけれども、今週の11月23日土曜日なんですが、東本願寺の
ちょっと離れ地にありますところに、肖成園という帰国亭というところがあるんですよ。
そこでトークイベントとして、音の景色と書いて音景という言葉がありますが、そのトークをゲストとして登壇することになったので、そんな感じのところで何喋ろうかなと思っていたんですけれども、
こちらの音声配信では、京都の音の特徴ということで、それの伏線的な感じでお伝えしようかなと思っております。
このイベントの登壇のきっかけなんですけれども、フィールド音楽作家さん、フィールドレコーディングをやっておられる柳沢英介さんにお声をかけいただきまして、それでトークイベントに登壇することになりました。
この柳沢英介さん、この音声配信でもいくつか登壇、対談している回があると思うんですけれども、この方は、京都を中心に特に録音するという行為によって、音を感じたり音を聞くということをより深めていくというか、音の魅力、聴覚の魅力をどんどん引き出していくような、とても素敵な音の活動をされている方なんですね。
その柳沢さんが、東本願寺の音の景色、サウンドスケープを収録されたり、それにまつわる文章をお書きになったりとか、研究の一環で繋がりが終わりだそうですけれども、東本願寺の場所から、京都とか、もっと言えば人とか、人を超えた生物も含めてですけれども、
その音の魅力、価値、みたいなものを展開したいなということで、小松にもお声がかかったという話なんですけれども、僕がしゃべりたい内容は、多分20分ぐらいはしゃべらせていただけるかと思うんですけれども、
京都の音、これは僕は大学生時代から行き来して京都を見たりとか、2001年から聖火大学に就任してから、ずっと音を聴きまくっていると。その前に実は、京都サウンドストックプロジェクトというイベントといいますか、そういう活動に参加してまして、京都の音のアーカイブを1995年ぐらいからもしっかりとっていたこともあるんですね。
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なので、僕もかなり京都の音に関わって、もう30年以上経つわけなんですけど、一言で言うと、京都の音って結構多様性の一言で表現できるのかなというふうに思いますね。
これ何かというと、過去の音、そして現在の音という歴史的な重層性がありますよね、京都というのは。平安京がずっとあったということも含めて、歴史的な音というのが未だに聞こえてくるという場所なんですよね。
祇園祭りはそうですし、水の音というのも庭園がすごく大切なというか、有名な庭園がたくさんありますけど、そこの意向がずっと残ってて、その音に水の音も含まれていくと、当時録音の技術はないけれども、ずっとリアルに今も音が聞こえているわけですよね。
いろんな場所、庭園もだし、建物もだし、そこにあたる音というのが、やっぱりずっと残っているわけなんですよね。そういう歴史的な広がりというか、そういう縦軸もあるし、横軸だと、京都は大都市です。
東京とか大阪と比べても、本当にその関連性というか近いところがあるんだけれども、自然環境もすごく多いわけですよ。山法をね、山に囲まれてますし、鴨川もありますし、さまざまな庭園の中には草木もあったりしますしね、そういう人口とか自然とか、そのあたりの種類、地形的な種類と言いますかね、要素というのがたくさんあるので、
その多様性があるという、これは横軸というふうにちょっと考えていくと、縦軸の歴史的な流れと横軸の要素の多様性が含まれて、やっぱり立体的に、京都の音風景というのは音風景のみならずですけど、やっぱり多様性があるということが言えると思うんですね。
音で特化していくとですね、音は同時にいろいろなものが混ざり合うということがありますよね。視覚だとそれなかなか難しいところはあるんですけど、いろんな音が混ざっていくということで、そこで同時にね、偶発的に面白いものが生まれてきやすいと思うんですね。
超人工的な機械の音とかメディアの音があると思ったら、そこにね、バックに鴨川の音が流れているというね、これがミックスされているわけですよ、自然とね。そのミックス度合いっていうのがやっぱりすごい面白いなというふうに思ったりしますね。
さらにですね、柳沢さんのご活動に録音というのがありまして、僕も録音してるんですけど、柳沢さんの文献とか本、フィールドレコーディング入門というね、すごく素敵な本屋大賞ね、音楽の本屋大賞を取られたような素晴らしい本なんですけど、そこにも書いてありましたけど、
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この録音しているそのプロセス自体っていうのがやっぱり、ただ音を録音するというよりも、音に対して自分がね、録音という行為ではありますけど、音と向き合ったりとか、音へ没入したりとか、あと録音された音に対してそれを聞き返してみるっていう行為そのものが新たな音への関わりをしてるんだっていうふうなね。
つまり、録音することによって人はですね、音と自分との関わりの心理的距離をすごく縮めていくというかですね、接近していくっていう、そういうことが言えるのかなっていうことを本から感じるんですね。
そういう音への没入感とか関わりっていうのはね、やっぱり録音してるとしないとでは大きな違いだと思うので、そういうことを実感込めて多分喋って、当日ご抗議されるかなというふうに思うんですけど、一つ思うのは、柳澤さんの録音の機会を今まで見せてもらったことがあって、人間の聞こえる過聴域っていうのがあるけどね、
それ以外の音、例えば低い音、高い音って人間聞こえないですけどね、どんな動物でもそうなんですけど、低い音は人間は割とね、かなり低いとこまで聞こえるけど、高い音って、例えばコウモリだったら高周波数域の音が聞こえたりとかしてますよね、そういうふうに人間が預かり知れぬところの音っていうのが、実はこの大気がある地球の中にはやっぱり存在してるわけなんですよね。
そういう音を想像する、聞こえないけれども、ある機械を使えばですね、バッドディテクターっていう機械かな、そうすると人間の過聴域を超えた音が聞こえてきてるわけなんですよね。コウモリの音とか、あとはね、なんか機械の音もね、人間が聞こえないぐらいの高周波数域のね、例えば、駐車場の車の出入りするとこありますよね。
あの、こういうちょっと踏切みたいなものがついてるようなとこあるじゃないですか。あそこにマイク置いたらすっごい音が聞こえるんですけどね。そういう音とか、セミなんかもね、すごい、あの、なくなる寸前まで音が聞こえてるんですよね。その生命が絶えるような音っていうのもやっぱりあって、人間が聞こえたら、人間がね、セミの声聞いたら別にそこでシュッと終わるんだけど、だんだんとこう、
あの、朽ち果てていくような音、フェードアウトをゆっくりしていくような、まあそういう音まであったりするので、やっぱり人間だけがこの世の中生きてるわけじゃないっていうのを、やっぱり音から多分柳沢さんはすごくあの、えっとアプローチされてるんじゃないかなっていうふうに思うんですけど、まあそのあたりでね、まあ生きとし生けるものっていうのは、やっぱり神羅万象全体をね、意味してるんじゃないかなという、まあこれがまあ東本願寺のね、まあ道法的なあの思想とか、
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あの教えにもつながることだと思うんですけど、これまさにね、えっとすごく音を地平として考えるというか感じる、優劣関係なく感じるっていう姿勢っていうのがすごくあるのかなというふうにね、思っておりますので、まあそんなトークイベントをですね、そこから先をね、ぜひぜひまた当日お越しいただければと思います。
まあこちらにあの概要欄にリンクを貼っておきますのでね、そしてまたこちらね、あのフライヤーもね、画像で貼っておきますので、ぜひぜひね、お目にかかる方がおられましたら幸いです。11月の23日土曜日17時30分から肖成園で行いますので、またお楽しみください。それではバイバーイ。