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【感覚論】怖いという感覚はなぜ起きるのか? 精神科医・春日武彦先生の話から
2026-06-01 13:45

【感覚論】怖いという感覚はなぜ起きるのか? 精神科医・春日武彦先生の話から

精神科医・春日武彦先生の話に触発された「怖い」という反応感覚についての考察。恐怖という感覚の本質を、自分なりの視点で深掘りした回。
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00:02
おはようございます。小松正史でございます。
今ね、午後9時なんですよね。
それで、市役所のクエスチョン、近くのクエスチョンというところからね、帰ってきているところなんですけど、
立花台のウコンというのがあって、
今日ね、春日武彦先生という精神科医の方で、文筆科でもいらっしゃるんですけど、
その会にも出させてもらって、勉強してきた会でございます。
夜ね、結構涼しいで、日暑いですけどね。
そんな感じで、ほろっとおしゃべりしたいなというふうに思っております。
それでね、精神科医の方が語る、怖さの正体というところなんですけどね。
簡単に言うと、人って恐怖、怖さ、いろいろ恐れというのがあると思うんですけど、
どんなプロセスでそれが発生しているのかとか、定義がなかなか難しい、人によって幅があるものなんですけど、
それを持っているというのは、生きている上ではどうしても避けることができないし、
しかも人それぞれに怖い正体というか、それって差があるというか、
自分がめちゃくちゃ怖いなと思っているものでも、人はそんなに怖いというふうに思わないし、
その逆もあったりもしますよね。
だから、正体がやっぱりわからない。
でも、人が恐れをなしているとか、そのあたりを感じるということは、やっぱり弱点というか、
逆にそれがあるからこそ、命の危険を守るというか、危険回避のためのそういうところもあると思うしね。
命を守っていくというところもあるし、逆にそういう怖さとか恐怖があることによって、
逆に追い詰められて苦しんだりするというのがあったりもするという、なかなか扱いづらいところではありますよね。
細かいところは、笠川先生の本があります。
新書、僕ちょっとさっきサインしていただいたんですけど、すごくいい本がね。
怖さの正体だったかな、恐怖の正体だったか、その新書があるのでぜひ見ていただけたらと思うんですけど、
僕はね、怖いものね、そうだな、やっぱり狭いっていうところが僕は一番ちょっと気持ち悪いですね。
弊所恐怖症に近いところがあって、それもいろんな恐怖症があるじゃないですか、先端恐怖症とかね。
笠川先生は甲殻類の恐怖症っていうふうにご本人おっしゃってましたけど、それぞれ甲状もあるし、いろんな恐怖症があると思うんですけど、
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それぞれの精神的な立ち位置というか、そういうのがあって、そこがどうやら起因してるんじゃないかっていうところですよね。
例えば、僕は弊所がちょっと苦手なんですけどね。
なんでかな、なんかちっちゃい時にね、遊びで小さい掃除に使うバケツとか、
ほうきとかを入れる木造ね、木で作られた箱というか戸棚みたいなもの。
あれね、結構でかいんだけども、ちっちゃい時の大きさだったらね、入るんですよね。
入るんです、体がね。だからあれ、たぶん小学校の2年生とか3年生ぐらいだったでしょうかね。
それをね、入って遊んでたんですよね。
友達もそれを、自分も入って、今度はまさにくんちょっと入ってみたらって言われて、入ったんだけど、そこまではいいんですよね。
そこからね、友達がすごいね、いたずらするんですよね。
階段の上にそれを置いて、僕が入ったら、それをね、階段から突き落としたんですよ。
結果的にどうなったかというと、木だからね、強度が弱いからね、つぶれたんですよね、バーンってね。
つぶれて、僕は怪我はしたかしてないか、あんまりしてなかったのかな。
やっぱりちっちゃくて、すばしっこかったから。
結果的に箱が壊れて、自分が外に出したみたいなね。
だからそこでね、ちょうど感覚遮断したところで体が動くじゃないですか。
これめちゃくちゃトラウマになって、うえっと思ったんですけど、それがたぶんね、平所恐怖症のね、一つの経験かなっていう感じですよね。
怖い、怖いというか、もう植え付けないとっていう感じですよね。
だからね、飛行機もね、僕あんまり好きじゃなくって。
何が好きか、好きじゃないかっていうと、今日レクチャーであったけど、空気が薄いんですよね。
空気が薄く感じるんですよね。
そうなった場合にちょっと危ないよっていう危ない言葉になるみたいなところがあるんだけど、そういう感じになるし。
そういうものってやっぱり自分で制御できないんですよね、そうなった場合に。
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自分でコントロール効く場合ね、恐怖症のパターンだと自分で対処できないから、例えば精神科医に相談したり治療を受けたりするわけじゃないですか。
そういうパターンって何個かあって、それが全員が同じ恐怖症のパターンにはならないけれども、やっぱりなんか起因するものがあってね。
僕はそういうトラウマがあるのとね。
あといつ頃ちょっと感じる時ってやっぱり不安ですよね。不安な感じがするっていうか。
先行きが見通しがないなとかね。
同じ閉塞感がある。
閉塞感だよね。
それは社会的な閉塞感かもしれないし、自分の生きていく上での閉塞感かもしれないしね。
そういうのが人によってあると思うんですよね。
僕はそういう何か言葉にできないけど、何かこう、いたたまれない閉塞感というか、逃げようのないものっていうのはありますから。
そこがね、ちょっとあるのかなっていうか。
だからそういう症状というかね、そういう傾向になった時に、やっぱり自分で自分のことを客観的に見ていくことはすごく大事ですよね。
なんかね、そういうとこっていうのは生きてる上ではどうしようもないですから。
今バイク通ったけどね、騒音恐怖症の人もいますよね。
やめてとかね、この周波数帯域が嫌だとかね。
そういう場合はもう避けようがないよね。
だって耳っていうのは開いてるし、耳に音が入ってくるとね、そこで心身は反応してしまいますからね。
だから本当、怖さ、恐怖っていうのは、僕はちょっと今日話聞いて思ったのは、
どうしても先ようのないものであるなっていうことと、あとね、やっぱりメタ認知の話かなと思ったんですよね。
客観的にやっぱりわからないというか、そのカチューに入った場合はやっぱりどうしようもないですよね。
最後僕質問したんですよね。
そういう自家中毒的な状態に人ってこうなるんですよね。
やっぱり恐怖の状態になったりね、恐怖症になっちゃうとね。
自分で自分を痛めつけるっていうのか、自家中毒っていうのはすごく現代人の大きな病だと思うんだけど、
それをね、どうしても解決とまではいかないけれども、そこのあたりの次の一歩は何かっていうふうにね、ちょっと質問したんですよね。
するとカスガ先生がですね、やっぱりそれはね、何かの方法で解決まではいかないけれども、対処の方法はあるんじゃないかっていうことをお伝えいただいたんですよね。
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具体的にはカウンセラーとか、何気ない会話ですよね。
会話で思わぬ解決、解決に近いものになる可能性もあったりもするし、そういうね、やっぱり最後人を返してそのあたりがうまく共有できるというか、そこで次の一歩が見える。
解決しなくても次の何かの一歩というか、そういうのが見えてくるんじゃないかなっていうことですよね。
だからやっぱり人とコミュニケーションするのすごく大事だし、それを一人で抱えるっていうのは、やっぱり一人で抱えてもね、今AIは確かにあったり、僕も使いますよ、何か困ったことがあったりとか。
そういう時には使うけれども、最後は生身の人間じゃないですか、信頼感を受けそうなね、そういう人と喋ってみるとか、無理に喋る必要は全くないんですけども、何かそういう可能性を考えた方がいいんじゃないかなという気がしますよね。
今日めちゃくちゃこれ、家の近くで騒がしいよね。やっぱり何か人は人と喋ったりとかしてやっていく。僕は結局、人と僕結構話しますし、家族ともよく話しますけれども、僕はもう一つやっぱり回路を持ってるんだと思いますよ。
特にね、何か喋りたいなっていうふうに思うから、ただね、自分の現役のことをね、現役自分のエキスですよね。これもやっぱり何か一つの回路じゃないですか、何人かこうして聞いていただいている一人一人のね、今日はあの人にちょっと喋ってみようかなっていう気持ちで僕は喋ってますよ、今日本当に。
そういう気持ちなところっていうのは、やっぱり聞いていただいている方がね、いらっしゃるわけで、僕の預かりしれんところで聞いている人もいるんでしょうけど、聞いてるのかな本当にみたいなんですけど。でもね、本当そういうのがね、やっぱりあるから僕は音声配信ね、だいたい歩いてるときに音声配信するよね。
スマホ見る人もいればね、写真撮る人もいれば、音楽聴く人もいればね。僕音楽聴かないんですよね、外で。何かね、音楽集中して聴きたいんだよね。どうしてもね、僕周辺聴取ができないんで、やっぱり集中して聴きたいよね、曲。
歌手してるときには聴くよ、音楽をね。それは割と大きな音量で聴きますよ、僕は。ちょっと集中的に聴きながらお皿洗ったりね、洗濯物を干したりするからね。
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なので、人によってね、それが違うところあると思うんですけども、今日伝えたいことは、何らかの形でね、人と人とがつながる回路を持っておいて、そこで自分なりの解決策っていうのを持っていくっていうのがね、大事だと思いますし、
そういうことっていうのが、恐怖があったからもうそれで最後なわけじゃなくてね、人によってはね、作品ね、いろいろな恐怖を題材にした作品って結構あるので、それを見て一つ共鳴を抱くのもいいかもしれないし、いろんな方法があると思うので。
ただ、恐怖っていうのは決して僕は悪いものじゃなくて、やっぱり命を守るというか、ちょっと危険から遠ざけていくような、そういうシグナルというふうな感じなのかな。
シグナルが強すぎても良くないんですけど、程よいシグナルがあれば、恐怖とかネガティブと思われるものもね、一つの存在意義というか、必要性があるのかなと思ったりしてね。
はい、これはもう賛美両論だと思うんですけど、そんなふうに思ったので、今日ちょっとウコンの会のすぐ終わりにね、ちょっと自宅までに近くなったので、そんな感じでお話をしてみました。
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