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#98 『センス・オブ・ワンダー』ーー小数点的な揺らぎのために移動する | ゲスト・かえつ有明中・高等学校 / 増田 一暁さん
2026-07-20 36:03

#98 『センス・オブ・ワンダー』ーー小数点的な揺らぎのために移動する | ゲスト・かえつ有明中・高等学校 / 増田 一暁さん

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かえつ有明中・高等学校の増田 一暁さんをお迎えして、“読みかけの本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】
かえつ有明中・高等学校 国語科教諭 / 増田一暁(ますだかずあき)さん
感覚や感情といった「言語化の動機」を重視したことばの学びをワークショップ形式で展開。「言語獲得」「メタ認知」などをキーワードに学習者主体の言語教育に関する研究にも従事しながら、株式会社三省堂の教科書編集協力委員を務める。自身の図書館での授業実践経験から、図書館・教育で働く人があたたかくゆるやかにつながる場の必要性を感じ、図書館×教育コミュニティ「ほんだな企画」(https://sites.google.com/view/hondanakikaku/ )を発起・運営する。
 
【登場した本】
『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン

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サマリー

今回の「読書のまにまに」では、かえつ有明中・高等学校の国語科教諭である増田一暁さんをゲストに迎え、「読みかけの本」をテーマに、教育における生徒主体の学びや、言語化の動機、そして「ほんだな企画」について語り合いました。 増田先生は、SEL(Social Emotional Learning)を取り入れ、マインドフルネスやシステム思考などを授業に織り交ぜながら、探求型学習を推進する学校で教鞭をとっています。先生は、従来の教育における「大人が満足するもの」になりがちな構造に疑問を感じ、生徒の内面や動機にアプローチする教育の重要性を説きます。特に、国語の授業で「読み手」の自由な解釈や感想を奪ってしまうことへの違和感から、生徒が主体的に学び、自分の言葉で表現できる環境を大切にしていると語りました。 また、学校図書館と国語教育の連携の難しさや、学校図書館が教育現場で十分に活用されていない現状に触れ、国語科教員、司書、公立図書館員など、様々な立場の人が繋がり、互いをエンパワーし合える場として「ほんだな企画」を立ち上げた経緯を説明しました。この企画は、評価や判断を脇に置き、それぞれの実践や状態を認め合えるコミュニティを目指しており、先日行われたイベントについても、参加者同士が大切なものを交換し合える貴重な時間であったと振り返りました。

ゲスト紹介とかえつ有明中・高等学校について
こんにちは、あらしろゆうきです。 読書のまにまには、毎回ゲストの方を呼びしつつ、読みかけの本を題材に、本と人生について語り合っていくそんな番組でございます。
本には読み終わることなんてないんじゃないかなと、平日に日頃思っています。 閉じられたページ、止まった一節、そこにその人だけの時間や思いが刻まれている。
ゲストの方のそんな時間や思いについて、一緒に耳を澄ませていきましょう。 それでは今回のゲストはですね、
かえつ有明中高等学校の増田和明さんです。 増田さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はーい、お願いします。
前お会いした日から、あれいつでしたっけ? 6月でしたよね?
6月の14だったので。
あ、4か。 じゃあ2週間ぐらい。
2週間ぐらいですかね。
なんか、そんな前だったっけみたいな感じもしつつ、そっかそっか。
それぐらいなんですね。
なるほど。
その時からね、増田さんとお会いするのこと自体は初めてでございまして。
あの時ありがとうございました、改めて。
ありがとうございました。楽しかった。
いやー楽しかった。
なんかちょっと、これまで会ってなかった増田さんにも会えて、あ、そういうことを感じているお人なのね、みたいなことをより理解することができた。
嬉しい時間でした。
そうですよね。訳のわからない状態でお会いいただきましたよ。
いえいえ、ありがとうございます。とてもよかったです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。ちょっとスーさんのことも、およびカエツ有明中高等学校と言いましたが、その学校についてもですね、知っている方もいれば、ご存じない方もいらっしゃるかなと思いますので、それを含めて自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
はい。増田和明と言います。東京都の私立の中高の学校で、カエツ有明中高等学校というところがあって、そこで国語の先生をしています。
僕がいるカエツ有明中高等学校は、普通の東京の私立の学校なんですけど、SEL、Social Emotional Learningというのをやっていて、社会成長同棲の学びということで、
例えばマインドフルネスとかシステム思考とか、そういうのを授業に織り混ぜたりしながら、探求型で生徒が中心になって勉強していくみたいなことを大事にしている学校です。
そこで国語科の先生をしていて、あとは図書館の活用とか、読書教育みたいなことも好きで、そういうコミュニティを作っていて、その関係で有明さんのいるオブセのテラソに行かせてもらってイベントをしたっていうのが、6月14日の出会いだったっていう、そんなところですかね。
はい、ありがとうございます。
そっか、カエツの学校の説明というのをよくよく考えると、ちゃんと聞いたことが1回もないなということを今話し聞きながら思ったんですけど。
本当に勢いでいろんなものになったんでしょうね。
いやいやいや全然、この前もマキさんがパンフレットを持ってきてくれて、それ見て、そういう学校なんだなってその時思ったりもしたんですけど、そっか、説明しようと思う瞬間からマインドフルネスの話が出てくるんですね。
確かに、有明さんとかはもうご存知なワードかなと思って。
そこもありますね。
僕向けのね、ありがとうございます。
でも一般にしゃべる時もそうかもしれないですね。
そうですか、それがすごいな。
面白いんですよ、見学に全国から飛行機に乗っていらしていただいたりするんですけど、校長先生とか教育委員会の人とかが10人単位でスーツ着てネクタイしてるんだけど、見学に来たら大抵その学校のシステムの話とか聞くじゃないですか。
カエツに行くとそういう話じゃなくて、じゃあ一回呼吸認識を受けてみましょうって言って、スーツを着た固い顔をした先生たちが一回マインドフルになってからスタートするみたいな。
めっちゃいいですね、そういうことしてるんですね。
これが大事ですよみたいなことを大事にしてますって伝える。
なんかそういう学校ですね。
そうですか、それより行きたくなったら。
ぜひ、いつでも誰でも。
教育における「大人の満足」と「子供の主体性」
そうなんですね、すごく自分ごとで恐縮なんですけど、
全国からの視察みたいな話を聞いて今一瞬出てきたのが、テラスもうちの図書館もですね、結構いろんなところから視察が今でも結構来られるんですよ。
今でこの図書館できて17年も経ってはいるので、本当昔の方がもっとたくさんいらっしゃってたみたいですけど、
今は今で直近その図書館作りたいと思っている自治体とか団体さんの方々とか、もしくは最近作ったような方々が来て、
ある意味その時代の中で新しい作り方をした図書館が10年20年経つとどういうふうになるんだろうみたいなことかを知りに来るみたいな感じの趣旨も結構あったりするんですよ。
その時にそういうのがこの就任してからの数ヶ月間でも結構受けてるんですけど、話してるんですが、毎回視察を終わられた方と話すたび、
なんか自分がやってる視察普通だなみたいなことをすごく思ってて、なんかこれこういうやり方なのかなーみたいなことをすごく思ってたんですけど、
確かに最初なんかマインドフェニックスとか最初座禅から入るみたいなことか、最初そういう話から入るのめっちゃいい、全然考えてなかったけどそれやろうって思いました。
なんかビーニングっていうかね、やり方みたいなものからスタートする。
ちょっといいこと、ここだけでいいことを聞きました。ありがとうございました。
よかったです。
ありがとうございます。
ちなみに、マスさんはカエツに来たのは何年前からでしたっけ?
3年目なので、2年ちょっと前ですかね。
そうかそうか、2年ちょっと前なんですね。
2024年とか、4年?3年?
そうですね、24年度から働いてると。
そうかそうか。
ちなみにカエツはマスさんはどうやって知ってそこに今いるんですか?
なんかですね、僕前職も先生だったんですけど、前の学校に勤めてるときに探究学習みたいな部署の担当をしていて、
いろんな学校を見に行ってたんですよ。
いろんな学校からいろんな学校から。
それが面白くて、いろんな人に会ったりいろんな学校を見に行ったりしている中で、
ハウトゥーのその探究的なこととか、アントリプレナーで子供に起業家の人たちと会ってもらって何とかしますみたいな学校とか、そういうところを見に行ってたんですけど、
なんかもうちょっと違う文脈ないのかなと思って、
もうちょっと子供たちの内側とか動機の部分とか、そういうのにアプローチしたりする学校はないのかなと思ったところ、
動機がですね、あのときの一緒に勤めてた子供が、こういう学校あるよって紹介してくれたのがカエツだったんですね。
その動機はカエツをイベントで、先生がいろんな学校に情報を得るイベントみたいなのがあって、
そこで知ってて、名刺交換、うちの副校長と名刺交換してたから名刺に連絡してみたらみたいな。
その日渡してくれたのが一番最初でした。
そういうことなんだ。
行ってみるかと思って、その日に転職が決まるみたいな。
その日に決まったんですか?
ここで働く、こういうことかもしれないと思って。
連絡したらそのまま決まったってことですか?
いいえ、見に行って、生徒の様子見て、なんだこの学校はって思いましたね。
それは面接みたいなのがあったとかいうわけではなく?
ありました。ちゃんとその後、公募が出て、受けたんですけど。
マスさんとして行く気持ちみたいなものはそこで決まっているみたいな。
そうなんだ。
ちなみにさっき、いろんなところ学校を見に行ってる中でもっと子どもたちの動機、生徒たちの動機とかにアプローチみたいな言葉をさっき使われてましたけど、
そもそもそういうところにマスさん的に意識が向いてたのは、どういうところからその感覚がやってきてたんですか?
なんか、源的なことを話すと、そこに目を向けようと思ったら多分職員室かなと思いますね、前の学校の。
職員室。
大人の状態。面白いことを自分の学校とか子どもたちとかとやるけど、そのハンドルを握ってるのは誰かみたいな。
ハンドル。
結構気になって。
結局、大人から見たら素晴らしいし、そのプログラムに乗っかってると子どもたちも生き生きした顔をしてたりとか、達成感を感じたりするのは分かるんだけど、
結局この、なんていうんですかね、最初の一歩目みたいなレールは大人が作っていって、
大人が満足するものになってるよなーみたいなのはあった。
へー、大人が満足するものになっているんだ。
大人が満足していることは悪いことじゃないと思いますよね。
大人は満足してても子どもが満足してないことはありますよね。
大人も満足してて子どもも満足してることはあるじゃないですか。
でも、子どもが満足してて大人が満足してないことって起こらないようになってるんですよね、学校の中で。
なるほどー、なるほどね。
これがちょっと嫌だったのかもしれないなと、今言語化されましたけど。
そういう構造かな、なるほど、確かに。
必ず大人が満足してることは前提条件で、みたいなのに違和感があったのかもしれないですね。
なるほど。
もうちょっと聞いてみたくなったんですけど、その大人が満足していて子どもが満足していないっていう、今その言葉を聞くと、
確かにそういう構造になりそう、なりがちそうだよな、起きそう、みたいなことを聞きながら思ったんですけど、
例えば、具体でいうと、例えばどういうものとかがスーさん的に思い返されます?
なんか、例えばですけど、
じゃあ、読書のことで言うと、僕国語家なので、子どもたちと一緒に本を読んだりするんですけど、
よくあるのが、これ僕の国語教師としての現体験の一つでもあるんですけど、
ラショウモンを高校1年生の最初に読むんですね、文学作品って。
そうなんだ。
大抵定番なんですけど、
そうでしたね、そうなんだ。
大人には、こう読んでほしいが、すごいあるんですよね、国語の先生が。
へー。
ここの表現こう読んで、最後芸人がどうなったかを考えて。
で、でも読書ってそういう体験じゃないじゃないですか。
あー、なるほど。
ラショウモンを読んだ時に、何にその人が反応してどういう感想を得るかっていうのは、本来その人に権利があるはず。
確かに。
その人がラショウモンを読んで満足していれば、それでいいはずだと思うんですね、読書体験が。
でも国語の授業ってなると、なんかドクドクしたねーで終わってはいけないっていうのはあるはずなんですよね。
はいはいはい。
で、国語の先生は手応えのある感想が返ってくるまでは授業をやめられないみたいな。
はー。
あるなと思ってて、それはちょっと伝わりますかね、なんか近いけど。
はいはいはいはい。
大人はこういう風に読んでほしい、こういうところまで到達してほしいっていうのがあるけど、
結局それは読者が読みたいように読むことを奪っていることでもあるなと。
はいはいはいはい。
みたいなことが、例えば教室の中のクラスの活動とか、
うんうんうんうん。
ね、なんか子供たちがじゃあクラスでデクリエーションやりますってなって、
うんうんうん。
なんか本当に1時間あの芝生でゴロゴロして、
はい。
喋りしてるみたいなことで、
うん。
大人、見てる大人としては本当にこれでよかったのかとか、
へー。
思うことってあるんですけど。
あるんですね、あるんだー。
読まんどくしてて、
大人がなんかモヤモヤしてるみたいな。
うんうんうん。
のに、でも全然意味がないわけじゃない。
はい。
なーって思ってるんですよね。
うんうんうんうん。
子供たちがその時間を必要として、自分たちで時間を作ってたら何よりもいいよなーって思って。
なるほどねー。
みたいなことが、こう許される、許されるっていうかそういうことを大事にしてる場所。
うんうんうん。
だなーっていうのは。
はー。
面白いっすねー、そうなんだー。
なんかあのー、聞きながら思ってたのは、
まあラショウ文のそんな詳しく全く覚えてないんですけど、
なんとなく感覚があるのがなんかそのー、
なんですか、道徳とか倫理みたいなものよりかもなんかなんですか、
生き、原因が生き延びようとするみたいなもの、
その気持ちをなんか優先していくみたいな、
なんかそういうのはなんていうんですか、理工的なところ?
はい。
みたいなものをなんか描いていたよなーみたいな感覚をすごく残っていて、
なんか昔、自分が学生だった時とかって、
そのなんか理工的なところについてをどう思うかみたいな話とか、
なんか先生に振られたような記憶があるというか、
なんかまあそれはそういうなんかあのー、
ここまで僕の中に残ってるぐらいだから、
なんか意味をすごくくれたんだろうなーみたいな気もしつつ、
なんかそこに何か大人側の恣意的な何かが入っている部分もあるかもしれなくて、
なんかもしかしたらそういうのが、
恣意的な部分がなかったとしたら、
もっと違う自由な感想を持っていたのかもしれないし、
なんか、あーそっか、そういうことって起きうるし、
あーでも世の中で起きやすいんだなーみたいなことを今初めて思いました。
最終的にそのラショウモンのとか、
アクタガーがあの作品で見込めたもの、
うちの重要な一つだとは思うんですね、
なんかその部分っていうのは。
でも、なんか結城さんがおっしゃったように、
他のものに行く、もう気づくはずだったかもしれない余白みたいなものは、
なんか花からなくなっているみたいな、
なるほどー。
が、なんか結構問題?
そっかー、正解というか、そういう道みたいなものをある程度、
なんか作ってくれちゃってるみたいな。
でも、結城さんの国語の先生は、
素敵な先生だったんだろうなと思います。
なんかそういうものが残ってて、
なんか学生さんが考えてて、
文と重ね合わせてみたいな時間が生まれてたんだろうなと。
なるほどねー。
素敵だったんだろうと。
そういうふうに言われてみて、初めてはそうだったのかもしれないと今思いましたね。
面白いなー、そうなんですか。
そういうところがもともとあったが、
ゆえに今須さんの、
そういったさっきの子供たちの動機にアプローチするみたいなところに繋がってるんですね。
そうですね。
ちなみに実際その感覚を持ってかえつに2、3年前に来てみて、
今それはどういうふうな状態として今須さんの中にあるんですか。
どういうふうな状態っていうか。
もともと考えたことは、今ここの数年間やってみて、
それはどういうふうにやれてるのか、難しい部分もあるのか、
どういうことがまた気になってるのかみたいなところって。
生徒主体の学びの実践と「ほんだな企画」
いや、楽しいですね。
そういう子供たちが最初に感じたこととか、
こういうふうに思うんだっていうものを大事にしていけるっていうのは楽しいなと思いますし、
あと驚いたのは、
そういうことを、そういう時間、子供自身が自分でこの作品を読んでて、
こうもんだよね、こうもんだよねっていうのを感じて、
子供たち同士でそれを交流したりして、
ワーッと対話が巻き起こって、
ああじゃないか、こうじゃないかって言ってるのを僕は見てるわけですけど、
一手に立った時に、子供から言われてちょっと驚いたんですけど、
まずはどう思うかを教えてほしいって言われて、
つまり、あなた自身、僕自身は、
僕が言うと答えみたいになっちゃうところもあるし、
彼らの最初の感想みたいなのが自由に開かれるのをサポートしてるつもりでいるんですけど、
一定隙があって喋り終えると、
先生がどう思うのかとか、
文学史上どう扱われてるのかとか、
意識欲みたいなところが出てきたりして、
一回講義してくれみたいな、
じゃあ分かった、じゃあ次の2時間は証文の講義をしましょうみたいなことになることがあって、
なんかそれは面白い体験だったなと、
ちなみにマッスルさん的にはその中のどこら辺が一番面白い感じがするんですか?
なんか、
大抵先生の話聞きたくないようなことが多くて、
子供たちが、
カイカイツでもそうなんだ、そうなんだ。
そうですね、
勝手に僕たちの学びを決めないでくれみたいな、
勉強を感じるんですけど、
一定時放ったら、
こっちに矢印が次は向くんだなっていう、
なるほどね、
なんていうのかな、
学問なのかもしれないですよね、知識欲みたいなこととか、
なのかもしれないですけど、
エネルギー、彼らが、
なんかそのソースっていうんですか、
自分自身が主体の状態のままで話を聞きたがるとか、
何かを知りたがるみたいな、
自分で調べたがるともまた違うエネルギーを感じている、
それはなんか面白いなと思いました。
へー、そっかー、
前職の時のマッスーさんが今のマッスーさん見たらどんな風に思いそうですか?
あー、どうですかね、
なんか何もしてない人だなって思うかもしれないですね、
授業中この人何もしてないなみたいな、
そうなんだ、
なんか思うかも、たまに言われるんですよ、
国語の先生も見学に来てくれる方とかがいて、
この間、教職を学んでいる学生さんが、
あー、大学生ってこと、
大学院生かな、
何十人か来て学校内を自由に見回るみたいな機会があったんですけど、
ちょうど僕の授業を見てくれてた学生さんからのフィードバックで、
これは本当に褒めてるんですけど、
先生って何もしてないじゃないですかって言われて、
そうなんだ、
どうやったら何もしないでいられるんですかって言われて、
すごい言葉だな、
これは褒められてるのかなーって、
あー、そう映ったんだなーって思って、
確かに必死に何もしないようにしてるところはあるけど、
それも必死なところがあるんですね。
必死なときもあるし、
グッとこられてるときもあるけど、
大半は本当に何もしてないので、
へー、
確かに、
あー、すごいなー、
そうですよねーとか言って、
あー、そうか、
でも多分あれですよね、それ聞いてると、
僕も見たことないのでわかんないですけど、
やっぱりそこの手放すみたいな行為って、
すごい難しそうだなって客観的に見るとすごいするのと、
手放すと言っても何もしないって見えるかもしれないけど、
何もしないことが一番難しいし、
やっぱりその場を多分きっとマッスーさんとかが、
すごい全体をホールドしてるみたいな、
包み込んでるみたいな役割を、
すごいしておられたりするんだろうなーみたいなことは、
今なんとなく思ったんですよね。
なんか、言っていただくことはありますね、それこそ。
マッスーさんとかに見に来てくださった時に、
抗議努力とか言われるか、
自分ではよくわかっていないんですけど、
そうなんですね。
まあ、そうでありたいですね。
本当に何もしなかったら、
ダメですよね。
実際それすごい面白いですけどね。
本当に何もしないみたいなことが本当にあるんだとしたら、
逆にそれは革命的にとても素晴らしいというか。
今日も1時間目、
高校2年生、文豪をみんなそれぞれ読んでたんですけど、
それぞれ自分で選んだ文豪の作品を読んでたのっていう、
後だったんですけど、
1時間みんな、
何て言うんですか、
それぞれにやってて、
なんかあれ、僕今やることないなと思って、
僕も読書してたんですけど。
マッスーの話、
とても難しかったです。
今もしんどいですけど。
そうなんですね。
なるほど、面白いな。
今のお話し聞きながら、
若干今一瞬迷ってはいたんですけど、
聞いておこうと思って。
前に話しちゃったけど、
本棚企画の話とか聞きたいなみたいなこともちょっと思いまして。
本の話に移る前に。
本棚企画って、
マッスーさんがやられている取り組み?
取り組みって言っていいんですかね。
団体なんでしょうね。
団体っていうわけではない。
コミュニティか。
この前ね、
うちのテラスと図書館に来てくださったのも、
その企画のイベントとして来てくださっていたわけなんですけれども、
そこの本棚企画ってなんだろうみたいな話も、
リスナーの方向けにしてもらえると嬉しいなみたいなことを思ったのと、
この前のイベントとかやってみて、
マッスーさん的にどうだったのか、
もうちょっと数日経ったやつを聞いてみたいなと思ったりもしてました。
ありがとうございます。
本棚企画自体の話からご説明すると、
平たく言うと、
主に国語科の先生と学校の司書さん、
司書教諭さんがつながるコミュニティ、
みたいなことを意識してスタートしたんですけど、
そこに公立の司書さんとか、
それこそ結城さんみたいな図書館の方とか、
全く教育とか図書館とか関係ない文脈で
普段生活されている方、企業の方とかで始めたのが、
この本棚企画というところで、
きっかけとしては、
一番最初は僕が国語科の教員なので、
学校の話なんですけど、
図書館と国語教育って近いようで、
相入れないところがあって、
なんかこう、何なんですかね、
それぞれのテリトリーがやっぱりあるっていうところあると思うんですけど、
なんかあんまり国語の授業って図書館でされなかったりするなっていうのがあって、
同時に、僕さっき色んな学校見に行くの好きって言ったと思うんですけど、
今も続けてるんですけど、
色んな学校見に行かせてもらったときに、
図書館だけ切り離されてる、図書室だけ切り離されてる感じがあって、
実際話を聞くと、図書館、学校図書館って、
仮にヒエラルキーがあったときに、
三角形の一番下の端っこなんだっておっしゃる師匠さんとかがいるんですけど、
実際建物上も端っこの一番下にあることがある。
まあ確かにそのイメージはあるかもしれないですね。
あんまりこう、何て言うんですかね、
位置づけとしては自習しに行く場所みたいな、
静かに一人で勉強する場所みたいな位置づけになっていて、
活用されにくいっていうのがあって、
でもそういう中でも師匠さんとかって、
懸命に少しでも本の魅力とか、
教育に貢献したいとか、
そういう思いでいろんなことをされてるんですけど、
なかなか教員側が受け取れないみたいなことがあるなと思って、
それはなんかとても残念だなとか、
孤独だなって思ってたんですよね。
そういう孤独の中でも実践してる人たちっていうのが、
師匠さんにもいるし、国語教師にもいるし、
企業の方にもいるし、
公立の図書館の方にもいるし、
それぞれのフィールドで孤独に、
でも思いを持ってやってらっしゃる方たちが集まって、
お互いの話を聞いたりとか、
お互いに背中を押し合ったりみたいな、
エンパワーし合うみたいなことができる場所ができたらいいなと思ってやってますね。
それが本田の魅力。
なるほど。
それもあれですよね。
去年この図書館、うちのテラソに来られた時に、
あれは思いついたんでしたっけ?
その時に始め落とし決めたんでしたっけ?
思いついたの自体は、
テラソに行くたぶん1週間前くらいかな。
そんなタイムリーな感じだったんですね。
図書館と教育でマッチングして何かできないかなって思ったのは、
1週間前くらいだったんですけど、
その時点は、
研究会みたいなことをやろうと思ったんですよ。
新しい取り組みをされている人たちを文化会みたいにして、
最初吉祥公園があって、
その後文化会になって、
いわゆるですね。
何か違うなと思ってて、
その1週間後くらいにお店に行って、
テラソに来らせてもらって、
自分がやりたいのは、
素晴らしいものとか、
一般に正解と見えるものとか、
みたいな取り組みとして有益なものみたいな、
そういうものが並べられる、
評価判断が伴っているもの。
もうちょっと評価とか判断を脇に置いて、
今やっていることとか、
それぞれの文脈でやっていることっていうのが大事にできて、
今の自分の状態みたいなものとかを、
お互いに認め合えるみたいな、
そういう環境のほうがいいなと思ったのが、
テラソに行った時に。
へー。
感じたんだと思うんですね。
そういうものをテラソの空間、
普通の街の中から感じた。
なるほど。
いいな。
そっか。
まさかそれを経て、
今日は1年弱?
1年越しに、
この間オブセでイベントをやらせてもらいました。
うんうん。
そっか。
あの日終わったタイミングでも、
いろいろお話ししてくれてましたけど、
あれから2週間ぐらい経ってみて、
あのイベント、6月14日にやった、
テラソでやってくれたイベント自体を思い返すと、
スーさん的にはどんなことが印象に残ったりとか、
今どんなことを感じたりするものなんですか?
めちゃくちゃ正直に言うと、
ここからの2週間がびっくりするような、
なんていうんだ?
皆さんそうだと思うんですけど、
僕だってね、
休日もないし、
ババババっていろんなものが。
そうですね。
全体に対して参加してくださった皆さんに対して、
どういうことが起きてたのかっていうところまでは、
正直まだ分かってないんですけど、
自分とか、
あとは一緒に行けた同僚とかを見ていると、
なんかすごくいい時間を過ごせたなって思います。
へー。
へー。
大事なものを交換し続ければ。
なるほど。
その大事なものをお互いに受け取り合うみたいなことって、
どこでもできるわけじゃないなと。
まあ確かに。
だからあの町とか、図書館の空間とか、
ゆうきさんとか、
前館長の有田さんとか、
その場にいてくださった町の方たちとかの、
もたらしてくれたものが大きかったのかなっていう。
なるほどね。
まあ確かにあれですよね、今聞いてて思うのが、
確かにどれだけ仮に人が揃っていても、
普段いる、いつもいる場所で、
そういう話がしやすいかっていうと、
やっぱりなかなかしづらかったりとか、
ちょっと移動してみたときに、
自分の、もちろん体も移動してるんだけど、
やっぱり心も大事な移動をしてくれるような気がして、
どっか別のとこ行くって。
その移動と、そしてその先にある空間とか場所みたいなものが、
よりリンクすると、まだ全然違うような、
そういった大事な話とかができるみたいなことって、
あるよなーみたいなことは、
今聞きながらそう思いましたね。
この話するとまた伸びちゃうかもしれないけど、
整数、
整数。
ファーストプレース、セカンドプレース、サードプレースとか、
よく言うじゃないですか。
仕事の場から離れて、
例えばサードプレース的な、
僕のやってることってサードプレース的なことだとは思うんですけど、
でも整数じゃないなとは思ってて、
0.5、2.5とか、
そうそういう意味か、なるほど。
小数点的な揺らぎみたいなものが、
結構重要な気がしていて、
オブセはそういう場所なのかもしれないなともちょっと思いました。
じゃあ自分の住んでるところとか、
自分の職場から離れて研修を受けに行きましょうってなると、
整数から整数に移動してる感じが、
今感覚的に思ってますね。
その表現めっちゃ面白いですね。
でもオブセって、
あの場にいた人ってみんな、
何かのロールではなかったと思う。
確かにそうですね。
先生でもあるし、
マスダでもあるし、
みたいな状態で漂えた場所。
立地的にも、
新幹線で長野駅行ってたら整数が感じするけど、
これいいのかなこの話。
長野駅から電車に乗って、
オブセ町に来てるみなさん。
確かにね。
その時間とか流れみたいなものが、
狭間っていうか淡いっていうか、
そういうものを見出してくれたのかな、
みたいなのを今ちょっと思いましたね。
面白いですね。
長野駅は整数っていうのがめっちゃ面白いですね。
長野駅も整数じゃないですか。
新幹線と同じ。
ちょっと分かるな。
別に移動したけど、
別に都会一応都会だし、
別にあんま何も変わってないみたいな感じ。
長野に来たぞって説明がつきやすいじゃないですか。
そういう場所じゃない、
ちょっとだけ整数って感じかなと思いました。
めっちゃ面白いですね。
整数って言葉自体をずいぶん久々に発したので、
最初漢字変換されなくて。
学校にいるので。
36:03

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