クローン病と苦しみ
おはようございます、まこやんです。この配信では、明日がちょっと明るくなるような日常の小さな気づきなどをお届けしています。
本日のテーマはですね、苦しいときに勘違いしていたことということでお話ししていこうかと思います。
結論はですね、退化ではないということです。
はい、私はですね、20歳前後の頃にクローン病というね、胃腸とかね、そういうところに炎症だとかね、いろいろな
下痢とかね、腹痛とか、いろんな症状を起こす、難病とされているね、病気にかかって、今もその治療をしながら過ごしているんですけど、
今はね、経過はだいぶ良くなっているんで、そんな大きなね、手術とかそういうのもなくね、過ごせているんで良いんですけども、
当時ね、本当に一番ひどいときは、体重が減っちゃうし、入院したり会社に社会に行けなかったりとか、苦しい思いをしていた時期があって、
その時に、いろいろね、うちの母親がね、いろいろ言ってくれて、その中で苦しいときって必ず何て言うんだろう、
良いことというか、人生はブランコみたいな感じで、前に上手く進んでいる時もあれば、その反動で後ろに下がる。
だから大きく物語が動いたりするときは、その分前に進める前兆かもしれない。
それはきっと、未来が明るいことがちゃんと待ってるよっていうことで言ってくれたんだろうなと思って聞いてたんですけど、
その当時はね、自分は、じゃあこんだけ苦しい思いをしているんだから、自分は大物になれるとか、お金持ちになれるとかね、
実は当時はね、バンドでミュージシャンを目指していて、じゃあこの苦しみでバンドでメジャーデビューできるとかね、
そういう表面的な方の対価っていう方にずっと考えてたんですよ。
で、実際蓋を開けてみて、今42歳ですけど、実際そうなってるかっていうと、全くお金はないし、別に大物になってもないし、
ところが一般的な町工場の事務員で平凡と生きてるわけなんですけど、
人生の価値観の変化
あれ、じゃあ何にも結局、その反動でいいことがないじゃないかってね、
多分当時の自分だったらそう思うんですよね。結局普通に暮らしてんじゃんってね、多分母親に言ってると思うんですよ。
だけど今自分が、その時に得たものというか、学んだことっていうのがすごくあって、
それが自分らしく、自分らしくじゃないな、自分は自分の人生を生きればいいっていう、
なんていうかこう、人と比べながら生きるんじゃなくて、自分には自分の人生があって、
それは誰もそうだと思うんですけど、人が同じ年代でお金持ちになったりとか、有名になったりとか、すごいスキルを持ったりとか、
いろんな知り合いがいてとかね、比べたらきりないですけど、そういうふうに、
自分と同じ人生とかね、同じレールを行ってるはずなのに差が出てしまうみたいな、そういうふうに考えることをやめたというか、考えなくなったんですよね。
その入院中はね、本当にやっぱり周りとすごい比べてて、自分はその入院中、投票中にやっぱり何もできなくて、
体力が落ちていくし、お金もなくなるし、結局何もできなくなって、孤立してっていうね、そういうサイクルに入ってて、もう置いてかれたっていう感覚だったんだけど、
その経験があったから、今ね、自分はその自分の生き方を生きるっていう、なんか一本の軸みたいなのができたんですよね。
多少のブレっていうのはありますけど、ただもう芯がある程度自分の中で考えが一つできて、それを元に、あまり周りにも左右されなくなって、
自分の中の楽しいことだったり、生き方だったり、目標だったり、そういうのを見つけていく中で、すごく気持ちがすごく楽になったんですよね。
で、こういうね、2年、3年前くらいかな、こういう配信とかをね、少しずつやるようになって、なおさらそれを実感することが多くなって、
でもこういう配信も、同じようにね、何か苦しい時にね、ちょっと伝えられることがあるかもしれないとか、何かの背中を押すきっかけだったり、
新しいね、ことへのチャレンジの一方のね、少しの励みでもね、なればいいなと思ってね、お届けしてるんですけど、
だからそういうところに何か通じるものも少しあったりして、振り返ってね、見た時にその人々の経験っていうのは、めちゃくちゃ自分の中でね、価値のあるもんだったんですよ。
そう、だからお金とか人とか、実社会で色々こう、影響とかは多少あるけども、
自分の中でそこの時に残ったものっていうのは、お金とかね、そういう物理的、現実的に何かを得たっていう証拠はないけど、
自分の心、気持ちの中でに、とても大切な自分の考え、気持ち、生き方の1ページを自分の中でちゃんと刻めた、すごい大切な経験だったんですよね。
苦しい時の意味
これはやっぱり、何だろう、そういう経験がないっていう方もね、多分いると思います。
ただ、多分人生を振り返ってみると、あの時すごくちょっと辛かったこととか、失敗したこととかって、そういうのが何のためにあったんだろうってね、ちょっと考えてみた時に、今の自分を作っている、多分1つの要素みたいになってると思うんですよね。
また、今ね、本当にリアルに苦しいとか悩んでるとかある時は、確かにこの苦しい時を乗り越えたら、きっと明るい未来が待っているってね、多分考えるんだけど、その時は必ずしもそういう物理的な何かを得られるっていうわけではなくて、
きっと何かね、自分の内なるところに残るものはね、きっとあるんだなって、そういうふうに考えていくのが、自分の大きな勘違いだったなっていうところなんですよね。
そう、それがね、実際こう、じゃあ全部ね、今まで失敗してきたこととかが跳ね返ってきてるかっていうと、そうでもなくて、何だそうやってなっちゃうんだけど、これは何ていうかな、それを理解、分かるタイミングっていうのかな、自分が20歳の時にそれを経験してそれが分かったのは、多分10年後とかね、そういうタイミングでした、その本当の意味というかね。
そののはだんだんこう、何かだんだんこう変わっていって、結果その出発点がそこだったなっていう、何かそういう感じだったんですよね。
よくね、タイミングポイントとかね、こう言ったりするかもしれないけども、そこで道が分かれて、それを自分が選択して、選択した先に、あそこの時にこの出会いがあってよかったなとか、こういう出来事があって今の自分になってるんだなとか。
一見それが、もしかしたら悪い方にいってる可能性もあるんだけど、それの時に気づいた時に、気づいたタイミングでまたそこからやり直せばいいと思うし、だからそれに気づいたまでを後ろで後悔するとかではなくて、
そこの出来事や分岐点に立てたっていうことは、すごく大切なのかなって自分に言い聞かせてるというか、思うようにはなりました。
なのでね、本当に見返りってね、やっぱり人って求めちゃうし、人に対してもね、いいことをしてやったとかしてあげたのにって考えちゃうと、そこに全部見返りを求めてしまって、見返りを求めるっていうことはね、結局それは自分も苦しめちゃうんですよ。
そうならなきゃいけないって、それが当たり前でしょみたいなね。そうなると、それは帰ってこなかった時に、じゃあなんでこんなことやってんだろうとかね、じゃあもうやんないよとかね、なんかなっちゃうんですよね。
だからそれってすごく悲しいことで、だからそうではなくて、見返りとかそういうのではなくて、ただ何かそこに今ある出来事に一つ一つにきっと意味があるんだなって、小さくそれを思うだけでちょっと変わってくるのかなって自分は考えるようにしています。
なのでね、それがわかるのは明日かもしれないしね、10年後かもしれないし、もしかしたら死ぬ直前かもしれないし、本当にね、わかんないです。
たぶん自分、わかんないですよ。わかんないけど、自分が死ぬ瞬間に何を思うんだろうって、やっぱりたまに考えるんですよね。
死んだ瞬間に仕事のことを考えるのかなとか、お金のことを考えるのかなとか、残された人のことを考えるのかなとか、自分の生きた道を考えるのかなとか、後悔するのかなとかね。
いっぱいあるけど、それはその時になってみないとわかんないし、その時に自分の人生、ストーリーを自分が作ってきた、それを振り返るタイミングにいい人生だったって思えなくとも、何かしら一つ一つの出来事や人に出会い、いろんなことを含めて意味があったんだなって思えたら、
それは生きてきたね。生きてきた甲斐があったっていうかね。そういうふうに思うように段々となってきました。
なのでね、苦しい時っていうのはね、本当に自分でも整理できないんですよね。辛い時って。自分も辛いから整理できなくて当たって、わかってほしいけど伝わらなくてね。
すごく歯がゆいし、わかってもらいたいんだけどわかってくれない。もうわかんないんですよ。だってその人病気だったり、健康なんですもん。そこにわかってって言いたいんだけど、やっぱり表面上っぽくね、苦しい時って周りの対応とかってね、冷たく感じる、受け取っちゃう時もあるんだけど、
それもね、わかって、それも自分の中で少しずつ整えていって、今のね、この瞬間にきちんと意味があるとね、思いながらちょっとね、生きてきたら少しずつ変わっていくのかなって自分はそう感じましたね。
はい、ということで、今日はね、苦しい時に勘違いしていたことということでね、対価ではなくてね、そういう経験や学び、考え方だったり、そういううちなるね、生き方の1ページを刻むことでもあるんだよっていうことをお伝えさせていただきました。
皆様のね、何か小さな前にね、進めるようなね、一歩になればいいかなと思います。いつも聞いてくださいまして、ありがとうございます。