クローン病と孤独感
おはようございます、まこやんです。この配信では、明日がちょっと幸せになるような日常の小さな気づきなどをお届けしています。
本日はですね、誰にも会いたくなかった本音ということで、お話ししていこうかと思います。
誰にも会いたくなかった。これはですね、自分が20歳前後の時に、今も続いているクローン病という難病を患っておりまして、
その当時、本当に嫌なことだったりストレスがすごくあって、
20歳とかだと、やっぱり遊びたい盛りだし、いろんなことをしたい時期だしね。そんな中で、いろいろ何もできなかったり、
いろいろね、そんな中で人にも会いたくなかった時期があって、その時の本当の気持ちっていうのが、
今とね、やっぱり考え方っていう部分がちょっとずれてたなってね、今となって思うんですけど、
何が問題だったかっていうと、比べる相手を人から自分にできなかったっていうことですね。
要するに比べるものを相手と比べていたっていうことなんですよね。
じゃあ何がね、そう比べていたかっていうと、やっぱり20歳あたりだと高校を卒業してね、
同窓会とかやろうよってなってね、やっぱり会いたいから行くわけですよ。
で、そうすると、その時は体重が55kgとか180kgあるんですけど、本来70kgぐらいが標準なんですけどね、
そこからも15kgぐらいマイナスになってて、行くとね、本当にどうしたって、
そういう風になったりして、もうちょっと肉食えよとかね、ご飯食えよって言われるんですけど、
その時はなんか病気の話をしたくなくて、やっぱりその話をしちゃうとね、なんか暗くなったり、
人が変な目で見られたりっていうのがね、自分の中で勝手に思い込みがあったんで、
あんまり避けてしてなくて、知ってる人にしかしてなかったんですけど、
それで、そういうのを隠しながら、冗談まじりに話を逃してたんですけど、
それを会うたび会うたびこう言われてて、
それでなんかちょっと茶化されたりね、それでなんか自分はどんどんダメなのかなっていうふうに思うようになったり、
で、やっぱり仕事もね、ちょっとその時は体力落ちたり、なかなか続かなかったりしたんで、働いてなかったんですよね。
で、それもさらに今仕事何してるのっていうと、今ちょっと働いてなくてって言ったら、
なんかニートなんかやめろよみたいなね、働かないとダメだよみたいなね、
そんな感じで言われたりして、そんなの自分で分かってるんですけどね。
そう、だけどそれもね、笑って逃がしたりとか、
そう、で、そんなね、周りからしたらね、確かに言ってなかったからね、分かんないし、
なんかその時の当時の自分はね、そんなこと言っても理解できないでしょっていう頭でもういたんで、
そう、なんかそういうところでも壁作っちゃってて、
そう、いろんな人とね、なんかこう、会うのがね、辛かった、嫌だったんですよね、自分も。
社会との関わり
うん、なんかそういう話をね、またこう繰り返していくのも嫌だし、
そう、なんか、あのー、どうせ分かってもらえないしっていうね、うん。
なんかそういうのが、あのー、強くね、その時はあってね。
うん、で、その時に、なんだろう、本当はね、こう大切なことって、あのー、あって、
やっぱりそういうものを本当はこう伝えればよかったんだけども、
やっぱりその、なかなかこの同窓会って言うとね、普段あんまりこう会わない人たちだから、
うん、あんまりこう深くね、こう話してもなっていうのもちょっと自分の中であって、
親しい友人の人にはね、話してはしてるんだけど、
その人たちもね、あのー、そこのことは伏せてくれて、うん、あの、多分気遣ってくれたんだなとは思うんですけどね。
まあそれが逆にこう、あんまり良くなかったのかもしれないですけどね、今となっては。
うん、で、その、ここをね、振り返って、そう、今ね、あのー、大事なことって何なのかなっていうと、
そう、あのー、人の、人と比べて自分がどうかっていうことじゃなくて、
自分の中で自分の納得したこう生き方ができてるかっていう、そっちなんですよね。
うん、例えば今、同窓会とかでね、まああのー、もう42になりますけど、
そう、あのー、そうなった時に、まあ確かにやっぱりもうもしかしたら社長さんになってる人もいるかもしれないし、
あのーね、あのー、家でも、なんだろう、あのー、投資に成功してね、こう優雅に暮らしてる人がいるかもしれない。
うん、で、子供もね、もう大人になって社会人になってる人もいるかもしれないし、
そう、またはたまたね、逆に、あのー、一人暮らしでね、あのー、結婚もしてない人もいるかもしれない。
そう、たぶん様々なね、こう、生き方の伝える、みんなそれぞれの人生が進んでいって、
で、そこで、まあ一つね、仮にお金の部分でね、比べようとした時に、
まあ誰かがね、大金持ちになってて、で、自分は普通に、本当に毎月ね、こうギリギリ赤字の、
ギリギリ赤字って言っても変だな、まあ赤字なんですけど、まあそれでね、ちょっとどうしようかって悩んでる、
あのー、状態であったり、を、こう、比べた時に、そう、
はい、あの人はできるんだなーとか、自分はできないんだなーって思うかっていうと、
今はそうでも、そういうことではなくて、今はね、自分はもうこの人生が楽しいし、
こういう配信してるのも、あのー、成長でね、すごく充実してるし、
で、お金についても、やっぱりこれからどうしていこうとか、将来どういう、あのー、
生活をね、送っていこうっていうのも、こう、あのー、イメージしながら、
こう、前にね、ちょっとずつ、えー、進んでいったりするんですけど、
で、それを、なんか自分の中で、それはちゃんと決めて、こう、そういう風になっていくっていうね、
うん、あのー、イメージを持ちながら、こう、生きてる、今最中で、
で、それは自分の中でね、すごくこう、充実した生活になってるんですよね、うん、
で、それは、別に、他の人がね、あのー、いい服着てたり、いいね、
嫁さん連れたり、いい車乗ってたり、もしかしたらしてるかもしれないけど、
別に、あのー、なんて言うんだろう、そこで、あのー、なんだろう、どうこうってね、
あのー、思うことは、もう、ほぼなくなったかなっていう風には感じますね、
うん、で、それはやっぱり自分の中で、こう、自分の内側をね、ちゃんと見つめてるというか、
うん、見つけていけるようになったから、やっぱそれをね、強く思うようになったし、
で、何よりやっぱり外とね、比べるっていうことは、結構疲れちゃうんですよね、うん、
やっぱりさっき最初に言ったように、人に会いたくないっていうのも、あのー、やっぱ疲れちゃうから、
会いたくないし、一人でいる方がそういうストレスがないから、あのー、楽でね、いるっていう、
ちょっと一種のこう、なんだろう、守りというかね、自分の心を守るためのこう、
あのー、自然な行為だったと思うんですよ、うん、
だから、多分、今ね、こう、苦しい状態にもしあったとしたら、
それは、あのー、自分をね、守るための普通の自然な行動なんですよね、
自分も人に会いたくない、話したくないってね、うーん、強く当たることもすごくあったけど、
それは自分をやっぱ守りたいし、辛い状態なんですよね、うん、
だけど、その辛い状態はずっとね、こう、自分のね、中でこう、いるわけにいかないから、
やっぱり、ある程度のね、社会との触れ合いは必要になっちゃうし、
で、そうした時に、じゃあどうやったら、そのー、自分の心を守りながら、
そのー、生活とかね、こう生きていくものをね、こう続けていくかっていうと、
やっぱりそのバランスをね、あのー、取っていくことっていうのがね、
自己理解の重要性
非常に、なんか大切なのかなって、自分の中ではあるんですよね、
で、そのバランスの取り方っていうのが、やっぱり、人ではなくて、自分の中で生きる、
で、自分の、あのー、ことを理解してね、
そう、自分が生きやすいような、そういう、あのー、道をね、こう、自分で、こう、進んでいけるようなね、
えー、そういうことを、やっぱり、あのー、なんだろう、学んだというか、
うん、見つけたって言った方がいいのかな、うーん、風になりました。
だから、これはまあ、そのー、自分のパターンですけど、そう、これは人によっても違うし、
もしかしたら比べることで、それをね、生きがいとなる方もいると思うし、
うん、全部が正解だとは思うんですよね、そう、全部が間違ってるかもしれないしね、
そう、うん、だから、そう、自分はその人と比べるっていうことが、一番辛かったなーって、
うん、その当時はね、うん、思うんですよね、だから、自分の中でね、こう、生きていく、
で、今はね、それができている自分がすごく嬉しいし、で、ね、こういう、皆さんに届けることもできてるし、
で、毎日ね、こう、少しずつ勉強したり、学ぶことも楽しみ覚えて、
で、えっと、今ね、特に何もなく、こう、健康でいられてるっていう状態、うん、は、
まあ、とてもね、いいことなんじゃないかなって、あのー、自分の中でこう、なんか、一つね、こう、覚悟ができたというかね、
うん、そういうのはありますね、まあ、確かに、あのー、
お金がね、あったり、裕福になればできることも増えるし、うん、素敵なね、こう、人生を送れるとは思うんだけども、
それより何より、そこだけの表面の部分に、こう、揺れ動かないで、そう、ちゃんとね、そう、自分の中で生きられるっていうことが、
まあ、今回ね、そのー、人にね、こう、会えなくなってしまった、あのー、一番のね、まあ、ポイントだったなって、うん、思います。
ただね、それは20歳の頃の自分にね、これを言って、じゃあ、自分の中で生きなさいって言ったところでね、あのー、難しいんですよね、その経験とか、
やっぱりいろんなものがね、こう、自分の中で整ってから、やっぱり、そのー、見えるものっていうのがあるんで、そのー、なんだろうね、こう、原石みたいなのが、
自分の中に、自分の中っていうか、みんなの中にね、きっとあって、でー、それで自分じゃわかんないんですよね、うん、
今の自分は自分のことよく、まだわかりきってないし、そう、たぶん内側の、なんか、たぶんね、子供とかね、そういう、なんだろう、
本当に生まれたてのね、子供とかは、たぶんそのまんまで出てきてる、裸のまんまで出てきてるものから、生きてる間にいろんなものがね、知恵とかね、守り方だったり、
生き方だったり、こう、いろんなね、ものがこう、そこの心についていって、でー、いつしかね、その心についたものっていうのが、周りに合わせてるような、生き方だったり、その社会とかね、うん、そういうものの形になっていって、
じゃあ、実体、一体自分は、何なんだろうって、うん、な、何がしたかったんだろうってなったときに、またその裸に、裸の自分を探すみたいな、うん、
だからね、そういうふうに戻り方をしてるのかなーって、あの、たまに思うことがあって、で、その戻り方をするためには、やっぱり自分を、こう、壊していかないといけない、うん、何か、こう、問題というかね、そう、何かの出来事が、その周りの殻をね、また破っていって、で、そのときに大切なものは何だったんだろうって、自分の中にね、こう、気づかせてくれる、なんかものなのかなーって思ってます、うん、
なんか人生40年近い生きてないんですけど、あの、その中でもやっぱり大きな出来事っていっぱいあってね、そう、結婚も含めて、だけども、でもそういうのって、そのー、何だろう、いろんな、やっぱり大変なことがね、子供もそうですけど、あって、で、それってなんか、自分の中にね、こう、なんかいろいろこう、問いをね、投げてくれてるようなね、ものでもあるのかなって、結構感じるときがあるんですよね、うん、
嫁ともやっぱりギクシャクする、あのー、不安定なときもあるときに、あのー、自分がね、寝れないとかね、あのー、疲れたっていうかもしれないけど、でもやっぱそのときに本当に大切にしたかったものは何なんだろうって、まあ家族で、それは妻の、やっぱね、気持ちも見てあげられない、うん、自分が弱い自分がいるのかなーとか、そう、あのー、でも本当はこういう明るい家族を作っていきたいとかね、そう、あるかもしれない、で、
そっ、ときに自分のなんだろう、気持ちを無視しちゃって、そのー、なんだろうね、そのー、相手をこう、助けようとか、そう、何かをしてしまうと、そのバランスが崩れて、やっぱり、あのーダメになっちゃうんですよね、うん、で、それはやっぱり自分も、その病気の時にすごく思ったし、まず自分を大切にしていくっていうことが大前提で、そう、自分が大切にできるから、やっぱり人のね、ことも助けてあげられる、うん、
自分がね、あのー、荷物をすごいいっぱい持ってるのに、相手の荷物を持ってあげるってね、持ってあげたくても持ってあげられないじゃないですか、で、持ったところで潰れちゃうしね、そう、だから、それは、非常に、なんかね、自分の中では大切なことだなって思います、うん、だから今日も今日はね、ちょっと長くなっちゃったんだけども、
そう、あのー、本当に人に会いたくなかったっていう時は、まあ、他人を比べてしまって、自分の中でね、生きていなく、で、自分を大切にね、ちょっとできていなかった自分がいたんだなって、うん、そういう話です、はい、えーと、うん、ね、あのー、本当に、こう、自分を大切にってね、思うんだけどね、自分が何なのかよくわからなくなっちゃったりね、お手伝いすることも多いかもしれないんですけど、そう、だけど、そういうちっちゃなね、自分のこう、心の痛みとかね、なんか、そういうのっていうのは、きっとそれを気づけながら、
他人との比較
気づかせてくれるものなんですよね、うん、だから日常の中でも、今、ね、何かある中でも、きっとそこにはね、ちゃんとした意味が隠されてると思うし、自分もそう、一つ一つにね、意味があると思って生きれることで、なんかね、そのー、一つ一つを、こう、ちゃんとね、受け止められる自分が今ね、えー、こう、いれるので、うん、もしね、こういうちょっとおぼつたないね、話なんですけど、よ、あの、ちょっと何かのね、こう、きっかけになればと思い、お届けさせていただきました、えー、
本日はね、ここまで聞いてくださいまして、ありがとうございました。