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【1分1動】助けているようで助けられている
2026-10-02 09:06

【1分1動】助けているようで助けられている

「なんか、うまくいかないな」

そう思う日って、ありますよね。

誰かの一言が引っかかったり、
頑張ってるのに空回りしたり。

そんなとき、無理に前を向かなくてもいいのかなと思っていて。

かわりに、見方をひとつ増やしてみる。

同じ出来事でも、角度が変わると、違って見えることがあります。

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00:06
はい、おはようございます。まこやんです。 この配信では、【1分1動】をテーマに、毎日ひとつ見え方や考え方を増やすラジオとなっております。
今日のテーマはですね、 【助けているようで助けられている】ということでお届けしようかと思います。
はい、助けているようで助けられているということなんですけれども、
幼い頃から結構言われていた言葉があって、 誰かの役に立ちなさいっていう言葉を結構至るところで、親以外からもね、結構言われてきたなっていう記憶があります。
それはなんか、そうすることがいいっていうのは、なんとなく分かっていて、 道徳的というかね、モラル的というか、そういうものでしょうみたいなね。
そういう形として、誰かの役に立ちなさいよっていうのはね、ずっと染み付いてきたものなんですけど、
でも実際に本当に役に立つことが、自分の中でちゃんと理解しているかっていうと、ちょっと微妙だったなっていうのが結構長年続いてたというか、今になってもちょっと怪しいかもしれないね、見え方によっては。
だから今日は話を否定するとかそういうことじゃなくて、こういう考え方もあるよねっていうことで、今日はお届けしようかなと思うんですけど、結果的に今自分が何を思ったかっていうと、
誰かのために何かをすることで、それは結果的に自分が助けられていることなんだなっていうふうに感じたんですよね。
もうちょっとわかりやすく言うと、仕事とかで今の仕事をやっていて、特定の現場の誰かのためでもいいんですけど、何か作業の改善とかをしてきたとしたときに、
それは相手の役に立ったっていう、誰かを助けたっていう一つの結果が生まれると思うんですよね。今まではそれで良いことができたっていうところで終わってたんですけど、
そこから最近思うのは、それをした後に自分の存在意義みたいなのがあるなっていうふうに思ったんですよね。要はその場に自分がいていいんだとか、
ここで役に立てているっていう自己効力感というか、できるっていうものが近いかもしれないけど、その場に自分がいていい証明じゃないけどね、そういうものってそういうふうに自分の価値を提供できたときだと思うんだよね。
03:19
だからそれって自分があると思うんですよ。初めてのところとかで不安なところで、例えば新しい引っ越しとかしたときもそうだったんだけど、よそ者が入ってきていていいのかなとかうまくやれるかなと思うときに、
その地域やその関わりの人のちょっとしたことをお手伝いしたりしたら、ありがとうって言われて助かりますって結構言われたときにほっとするというか、ちょっと安心したりするよね。
その感覚に似てて、それはつまり誰かのためにお手伝いをしたこと、近所のおばあちゃんとか草抜きとかごみ拾いとか大変でって言ったときにちょっと重いものを持ってあげたりとか、そういうちょっとした些細なこととかでもそれは人のためって表面から見たらなるんだけど、
でも実際それって跳ね返って、そこに自分がいていいんだって認めてもらえたみたいなね、そういうことにつながってるのかなって。だからいろんなことをね、最近は結構仕事でもやるように取り組んでいて、誰でもできることですよね。
窓を拭いたりとか、ちょっとした掃除をするとか、ごみを拾うとかね、別に自分じゃなくても誰でもできることをやることで、それはパッと見たときに何か偽善じゃないけど、何でそのことをしてるの?みたいなふうにね、結構言われることも多いんですよ。
だけど微妙な自分は、それは誰かのためのように見えて、実際はそれ自分のためにやってるんだなって最近思って。だからあんまりワイヤイヤイヤ言われたところで、あんまり響かないというか、昔はそういうので何か見られたり嫌だって思ってたんだけど、別に堂々とっていうか、自然体で結構いられる自分になったなっていうのが結構ありますね。
自分のためって思ったら、自分のためにどんどんやりたいなって結構思うし、やったことで結構いろんな視野が広がる部分も結構あったりして、いろんなものが見えてくるんだよね、いろんなことを触り始めると。そういうふうにいろんなプラスが結構あるなって自分自身でも気づけたから、これはどんどんやっていったほうがいいんじゃないかなって自分の中で結構思ったんですよね。
だから何か損してでも嫌な役を買ってでもやれみたいな言葉が確かあったかな。ごめんなさい、ちょっと言葉のあれ忘れちゃったんですけど、でもそれは本当に分かるようになったかなってちょっと思いました。
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嫌なことほど価値はそこにあるし、そこに自分がいる存在の理由みたいなのも生まれるし、自分も自分でできたっていうものもつかめるし、自分自身が助けられるなっていうふうにすごく思うんですよね。
だから極論ですけど、無人島に一人で行った時に、無人島でもなくてもいいんだけど、一人の世界に入った時に自分は一人だと多分生きられない、生活できないとかそっちの生きられないじゃなく、生きる意味をなくしてしまうんじゃないかなっていう方に近いのかな、どっちかというと。
その感覚がちょっとあって、結局誰かのために何かをしているようなところが多分あるんだよね、きっと生きてるって。それは今では家族、子供のためだったり仕事の職場、お金を稼ぐためだけど、そのお金は誰かが困っているものを作っていたり、それを働いて誰かの助けになっている、間接的にだけどそういうふうになっているわけで。
だけどその部分がなくなって別にそういうことが必要なくなったときは、無力無というか、そういうふうになりそうだなっていうのがちょっとあってね。それは多分生きる理由みたいな、自分の存在意義みたいなのが薄れてしまうのかなとかね。
そんなふうに極論を考えたりもしたときもあったんだけど、そういうふうに誰かがいることで自分が存在しているっていう感じ。そういうふうに捉えることもできて面白いなっていうふうに感じました。
今日の1分1度の行動としては、何かこう自分がこういてよかったなとか、何か安心したなとかね。ちょっと過去の経験を振り返ってみて、こういうときのシチュエーションで誰かを助けたとき、自分が役に立ったときに安心したとか、ほっとしたとかね。
そういう感覚に近いものになったときはなかったかなって。新しい環境とかね。特に新学期とかね。そういうとこもそうだけど、そういうときに何かこうしてあげたとき、自分が安心できたときっていうのは、もしかしたらそういうふうに感じる瞬間もあったのかなって。
だから今ね、形とかに囚われて苦しんだり悩んだりしたときは、それは別に誰のためでもなく、自分のためって割り切って一つ見方を増やしてみるのもいいんじゃないかなというふうに思います。ということでね、今日は助けているようで助けられているということで話させていただきました。
またね、こういう気付きの配信をしておりますので、よかったら聞いていただけると嬉しく思います。本日もありがとうございました。
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