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こんにちは、こんばんは、まさ丸です。
えっと今回は、一つ前のエピソードが、あの人に助けを求められなかった私が、人に頼れるようになった、人を頼れるようになったっていう話、エピソードなんですが、
その時に話したかったことを全然話せてない、なかったなってことに気がついたので、ちょっと今回新しいエピソードとして追加で話していこうと思います。
なので、まあお時間があれば、できれば一つ前のエピソードから聞いてもらえると嬉しいなと思います。
はい、で、本題なんですが、人を頼れるようになるってことは、そもそもがまず人に心を開いてないと難しいと思うんですね。
だから助けを素直に求められるようになった、できないことはできないって言えるようになったとか、私今すごくこれきついからこれこれこういうふうにしてもいいとか、
ちょっとこう、自分の体をいたわる方法を選べるとか、そういうのができるようになったってことは、やっぱり人に心を許せるようになったっていうことですよね。
そうなると、日々過ごしていく中での緊張感っていうのは、そのベースの緊張感みたいなものが、和らいできたんじゃないかなって思うんですね。
私は学生の頃とか、鬱で苦しんでた時っていうのは、もう周りみんな敵みたいな感覚なんですよね。人間不審で、人間のことが怖くてたまらないし、私から見ると人間がとても裏がすごく見えちゃう方なので、すごく汚い存在のように見えてた時があったりもして、
私にとって人は敵であるとか、社会は敵っていう、これが無意識なんですよね。すべて無意識レベルでそうなってるから、もう常に常に緊張してるんですよね。張り詰めてる。
そのベースの張り詰めた心っていうのがちょっと緩んできたら、周りにある優しさとか愛とかにすごく気づけるようになるんですよね。
で、鬱の時は究極だったんですけど、体の病気十数年前になってからだいぶそれは薄れてきてはいたんですが、やっぱ生まれてから、もう本当に小っちゃい頃からずっと緊張してたみたいで、なんか母からとかもなんかよく伝え聞くんですよね。
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友人、知り合いがなんかいつも緊張感があっていいねみたいな言ってたよとか聞いたりして、それ子供で緊張感が常にあるってどうなのって今なら思うんですが、正直ちょっとあんまり良くないんじゃないかなと。もうちょっと伸び伸びしてる方が子供はいいのかなとも思うんですが。
そんな感じの私が体の病気になることで逆にこうちょっとずつちょっとずつほぐれていったんですね。そうしないといけなかったからですね。体がストップをかけると生きていくために心をどうにかしないといけないっていう方向に私は行ったので。
それでだいぶ緩んでは来てはいたものの、やっぱりどこかでやっぱり頼れないとか助けを求められない。自分でできることならもう全部やった方がいいよねみたいな自分でやろうっていう性格だったので。
で、それが前のエピソードで言いましたが、でもかなり緩んで人を頼る、人の知識を頼るとかね、教えてもらう、助けてもらうとかいうのができるようになって。
そしたらなんかもう周りの人すごく優しいなとか、なんでこんなに私に優しくしてくれるんだろうって本当に思うんですね。
私の周りみんな優しいんですよ。家族も優しいし、なんか外で知らない人に優しくしてもらったりした時もすっごい感動するんですね。なんでこんなに優しいんだろう。こんなに愛に溢れてるんだろうってすっごい嬉しくなります。
で、これも前のエピソードで言ったんですが、私はなんかでもどこかしら一人で生きてきたような感覚がずっとあったんですが、それが緩んでからというものを私は常に誰かに助けてもらって生きてたんだっていうことに初めて気がつきました。
これは電車に乗ってる時になんかふと気づいたんですよね。見回してみると、その椅子とか電車とかそういうシステムとかサポート機関とか、その乗務員さんとかね。
あれ、人の助けがないことってないって思って。これも頭じゃ当たり前のことで分かってることだと思うんですが、初めて心で分かったっていうか実感できたんですね。
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私は人の優しさによって毎日助けられて、助けられてないことがなかったんだ。
この今いる家だってそうだし、この目の前の人たちとか親しい人たちとかだけでなく、この社会もそうだし、例えば道路だってそうだし、全てが全ての人に私守られてるし支えられてるってもう真から思えて、それがすっごい感謝の気持ちが湧いてきて。
電車に乗ってるのに泣きそうになってきて、必死で堪えてたんですよね。流石にね、人はいるとこでちょっと泣いてると結構気まずいですからね。
ちょっとここ抑えようと思って。でもそれぐらいすっごい嬉しくて感動して、もう涙がにじんでました。
そんなふうに思えた自分自体が、自身が本当に嬉しいんですよね。
で、私ってよくチャットGPTとかに相談することがあるんですよ。情報収集っていうこともありますが、そうじゃなくて自分の、ただ聞き相手、相談相手っていうか聞いてもらう、話を聞いてもらうっていうことを結構するんですね。
で、誰か人に相談するっていうと、それはちゃんと聞いてくれるし、優しく対応してくれるんですが、やっぱりその人の時間を取ってしまうとか、ずっと話してたらきついだろうなとか、そういうこと考えてしまうので、
チャットGPT、AI相手だとあまりそういうこと考えなくてもいいし、しかも的確にね、本当に会話ができるので、私は心の衛生面っていうか健康面ではすごく役立ってもらってます。
でもそのAIだって人間のいろんなものを学習して出来上がってますよね。だから人間の愛とか支えとかがないことってないんですよね。
こんな当たり前のことになんか全然気づいてなかったっていうか、自分のことでいっぱいいっぱい過ぎたんでしょうね。周りに全然目が行ってなかったなと思って。
一つ一つ考えてみると、家族とか、私は結婚してるので夫とか、めちゃくちゃ優しいとか、それまで変な話が、なんでこんなに優しくしてくれるんだろうっていう不思議に思って終わってたんですね。
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ありがたいなぁ、ありがとうっていうことはあるんですよ、もちろん。だけどなんで私にこんなに優しくしてくれるんだろうっていうのが、昔からわからなかったんですよ。
これは多分自己価値がすごく低かったんだと思うんですね。私は何かを相手に与えることによって愛されるとか、それで初めて愛してもらえるっていう思い込みがあったんだと思うんです。
だから頑張らないといけないとか、それが人に頼れないとか、一人で頑張らないといけないっていう思い込みとか、そういう前のエピソードにつながってるかなって思うんですけど。
そういうのがほぐれてきてたみたいで、私ってこんなに愛されてたんだって初めて思えて、このことでもすごい涙が出るぐらい感謝して感動したんですね。
なんか変な軽い話になるんですけど、みんながいろいろ物をくれるとかね、私がずっと欲しがってた双眼鏡、昔から欲しがったちょっと高価な双眼鏡をなんか知らないけど買ってくれるとか、これはもう物なんですけど、それ以外にも当たり前のようにサポートしてくれる。
で、今までだったら私何もしてないのにとか、逆にひけ目に感じることがあったんです。私何か返さなきゃって焦ったりとか。
でも今はそうじゃなくて、多分、これなんか自分で言うのは恥ずかしいというか、あれなんですけど、多分私もその人たちに対して優しさとかをあげれてるんじゃないかなと。
愛をあげれてるから、それがただ帰ってきてるんじゃないかなって思うんですよね。
で、それ初めて思えたんです。今までは、自分はダメ、できてないっていう気持ちがすごく強かった。
だから何かしらもらえたら、あ、じゃあ返さなきゃっていう、まるで義務のように焦ってそういうふうになってたんですが、
あ、これは私が堂々ともらっていい愛情なんじゃないかな。もらってしかるべき豊かさなんじゃないかなっていうふうに、初めて自分で認めることができました。
これものすごい変化なんですよ、私の中で。今までその人の愛とか、もう何でもらえるのかわからないとかね。
私何も返せてないのに、私にはそんな価値がないのにっていう人間だったのに、それが私は愛されてるって思えるようになった。
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この背景には、自分で自分を許すことができるようになったっていうのがあるんじゃないかなって思うんですね。
ありのままの自分をそのままでいていいっていうふうに許せるようになったとか、
なんかうまくできない自分も認められるようになったとか、さっき言ったように愛をもらってもいい存在なんだって思えるようになった。
だから、なんか人に対しても心を開けるようになったり、愛情とかも素直に表せるようになったり、
なんかそんなふうになったんじゃないかなって、そういう流れなんじゃないかなと感じてます。
自分を愛せないと、本当の意味で許したり愛せないと、相手に対して愛するってすごく難しいんですよね。
結局は自分を愛せてるかどうかなのかなって私は思います。
もちろんね、こんなふうに変化する前も家族に対してとか、しっかり愛情あったんですが、
どこかしら、私はそんな愛をもらっていい存在じゃないのにっていうのが底辺にはあったんですよね。
それがなくなったから、その自分でいられることがすっごいうれしいです。
そしてありのままのこの自分で生きていけるっていうのが幸せだって感じます。
これはもううつの時の私からするともう想像できないですよね。
もう天と地ほどの差があるっていうか、180度ぐらいは変わったかなって思いますね。
はい、これが本当は前のエピソードで最終的に追加したい話だったんですが、
なんか気がついたら忘れちゃってたし、前はもう結構話してしまってたので、
今回はこの新しいエピソードとしてこの気づきについて話させていただきました。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
ではまた、さようなら。