病気になって得たもの:幸せと自己肯定感
はい、おはようございます。まこやんです。 この配信では、
不安で動けなかった頃の経験をもとに、無理をしない考え方や小さな行動をお届けしています。
はい、今日はですね、病気になって幸せになりました。 ということで、お届けしようかと思います。
はい、病気になって幸せになりました。 ということなんですけどもね、実はですね、
先に結論を言うと、病気になってから幸せになったというか、 たくさんのものを手に入れることができたっていうことなんですよね。
それは何かっていうのをね、これからちょっとお話ししていこうかと思うんですが、 今ね、私は43になる年で、20歳の頃に、約20年前ですよね。
20歳の頃に、クローン病っていうね、 消化器系の難病にかかって、今は治療をしながら生活してるんですけど、
その時にね、その病気に発症してからは、 やっぱりこう、
いろんな障害が出て、思うようにね、社会に復帰できなかったり、 それによって自己否定にどんどん入っていって、
社会だったり人間関係、友達、友人も含めて、 全部ね、遮断していって、引きこもりになって、
実家暮らしのね、引きこもり状態になっちゃってたんですけど、 そこから、
なんとかね、社会復帰っていうか、 努力作ね、ちょっとずつ、
進んでいって、今の会社で普通に、小さな会社ですけど、 そこでなんとか働いてるっていう状態でね、
いわゆる普通の生活をね、今できている状態です。 家族じゃなくて、家というか子供もね、できて、
今は普通に暮らしてるんですけど、 その手に入れたものっていうのが、家とか子供とか家族とか、
そういうものも確かにあるんですけど、 そのもうちょっと、もっと前に、その病気になって、
他人との比較からの解放と自己受容
これが変わったっていうのがあって、 それは自分塾ですね。
自分塾、他人塾ってね、聞いたことあるかもしれないんですけど、 いわゆる誰と比べてるかとか、
誰と比較してたり、誰の生き方をしてるんだろうっていう、 そういうことなんですけど、
例えばね、病気してた時に、社会に仕事につけなくて、 それをダメだって自分にずっと言い聞かせてて、
それはやっぱり周りが普通に働いて遊んでたりして、 お金も持ってるし、自分はそれに対して働けないし、
金もないし、彼女もいないし、みたいな感じでね、 ずっと比較してダメだってなって、
ずっと苦しみながら生きていたんですけど、 それって結局、自分であるっていうことを放棄して、
周りがそうだから自分もそうしなきゃいけない、 みたいな、ずっと比べててね、
そこにたどり着けない、置いてけぼりになっちゃった状態を、 孤独みたいなのを感じながらずっと生きてしまっていて、
それがね、後々ですけどね、先になって気づいたんだけども、 それはやっぱり人のレールを歩こうとしてたというか、
他人のスピードについていけずに自分が止まっちゃってるから、 そこに必死に乗ろうとしてもがいてるけど、
それは乗れないわけですよね、一回止まっちゃったら、 走ってる列車になんか乗れないしね、
だからそんな風にしてずっと考えてて、 だけどある一瞬一時限界が来て、
もういいやってなったんですよね、 自分の中でこんな思いはもう嫌だなって思った時に、
もう諦めようって思って、 諦めてもう全部いいやって、
自暴自棄みたいな感じになってたんですけど、 ただそれが逆に良くて、
自分が持ってた他人と比べたりする重しみたいなものを全部一旦外したら、 すごく楽になったんですよね、
楽になった後に、自分は今から何もない状態で、 自分を見ながら生きていこうというか、
そんなはっきりその場で思ったわけじゃなくて、 なんとなく自分というものはこうなんだっていうものを、
ちょっとずつ見えてきたというかね、 それを確かに感じるスタートラインだったような気がするんですよね、
そこからは自分にはできること、 逆か、自分にはできないことっていうのがどうしてもあるんですよね、
やっぱり周りの普通というものが自分にはできなかったりするし、 一見畑のみたらなんでっていうものがいっぱいあるけど、
自分は今はそれができないっていう、 それも線引きをちゃんと一個一個してたんですよね、
それをはっきりと言えるようになってから、 ちょっとずつ自分と他の世間と区別ができるようになってきて、
そこからだんだん自分の中で生きるっていうのが 少しずつできたような感じだったんですよね、
そうなってからは周りの環境とかにも影響されなくなってきたし、 多少は思う時もあるけど、
大きくはそういうのはぶれなくなってきたから、 それはすごく大きいターニングポイントになった一つだったんですよね、
あとは普通というものが当たり前になっているものっていうのが、 当たり前じゃないんだなっていうものに気づかされた経験ですし、
当たり前の日常の価値と失って気づく大切さ
普通にご飯を食べるっていうことが自分はできなかったんですよね、
やっぱり食事制限があって、7割6割くらいこれは食べちゃダメですよっていうのがほとんどだったし、
やっぱり消化危険なんでね、腸が詰まっちゃったりとか、 海洋ができちゃったりとか、いろんなのがあるんですけど、
それを制限して、あれもダメこれもダメっていう、 もうダメなものしかないみたいなね、
そんな状態で本当にショックを受けたのは覚えてるんですよね、
それが辛くてね、もうダメなんだダメなんだって、
じゃあ自分何を楽しみに生きていけばいいんだろうみたいなね、 そんなのもその当時は思ってて、
だけど、それを受け止めるまでは時間かかっちゃったけど、
ただ普通にあるものが突然なくなって、
それが当たり前だったんだなっていうのに気づいたときには、
なんか当たり前だったじゃないか、普通当たり前じゃなかったんだなって気づいたときは、
もっと大事なものが見えてなかったなっていうのは正直感じましたね。
これから今自分がこういうふうな考えもできてるのは、 病気のおかげだと思ってるし、
多分そのきっかけがなければ、もっと人間として周りに、 優しくって言ったらちょっと変なんですけど、
もっと酷い人間になってたような気がするんですよね。
周りを見ずに、知恵とか名誉とかね、 名誉っていうかこういう見栄っていうかね、
ブランド的な、そういうものにしがみついて、 それで自分というものを作るみたいな、
いい服着て、いい車乗ってみたいな、 そういうのが自分というものなんだっていう、
自分というものを作り上げてたけど、それは嘘というかね、
本当の自分じゃないものを作っていったような気がしますね。
それは結局、自分の本当の心の気持ちとはちょっと反比例して、
本当の自分を見失って生きてたのかなってすごく思いますね。
だから苦労とか病気じゃなくても、いろんな経験が多分あって、
周りの人たちもそういう経験を周りにたくさん、 自分よりひどい人もいるし、
それはすごく大変なことなんだけど、 その経験はその人にしか経験できないこと。
たとえ同じ病気であっても、やっぱり環境や心の保ち方だったり、
向き合い方だったりっていうのはやっぱり人と違うし、
この苦しみっていうのはやっぱり一概に一定じゃないし、
だからその人なりの苦悩っていうのが絶対みんなあるんですよね。
だけどそれを超えた先というか、その先には絶対にそれが生きてきて、
さらに絶対に大切なものになるって自分の中ではそう思ってるんですよね。
苦難の経験の意味と未来への希望
だから苦労っていうものは勝手までしろってよく昔言われてたんですけど、
病気とはちょっと違うかもしれないんですが、
ただ決して無駄にならない一つ、今苦しいかもしれないけど、
きっとここを未来から見た今の自分っていうのは、
たぶん絶対に必要なものだったんだなって今はすごく思いますね。
だから自分も病気に、もう一回やり直せるとしたら病気になりたくはないけど、
ただその経験は絶対必要だなって今でも思いますね。
まだ飛び打ちではありますけどね。
やっぱり辛いのは嫌だし、なんでっていうのは残っちゃうけど、
ただその一つの意味を後々見出せることができれば、
一個の救いになってるなって自分の中ではすごく思ってます。
病気になって幸せになったというか、
自分らしく生きることを知れたっていうのが一番大きいことかなと思います。
こんな話をちょこちょこ配信してますので、
よかったら引き続き聞いていただけると嬉しく思います。
本日はありがとうございました。