周囲の影響と自分の選択
おはようございます。まこやんです。 この配信では、明日がちょっと幸せになるような日常の小さな気づきなどをお届けしています。
本日はですね、自分の基準で選べるようになると、心が軽くなる、ということで話していこうかと思います。
自分の基準ということなんですけど、日常とかでね、こんな経験はないですかね。
例えば、ご飯をみんなと食べに行くときに、和食か中華かみたいになった時に、自分がね、中華が良かったなって思ってて、
他のね、何人かがもう、じゃあ和食でって言った時に、なんか、あの空気をちょっと壊しちゃ悪いから、じゃあ本当は中華が良いけど、じゃあ和食でーってね、こう言ってしまったり、
あとなんか、仕事とかで、決まり事とかね、こう提案するときに、なんか、本当は自分はこういうやり方がいいんだけど、
A案、B案があってね、本当はB案がいいんだけど、みんながA案だから、じゃあA案でね、こうにしますとか、何気ない、たくさんのね、ことで、
いろんな人のね、
意見とかに流されてしまって、なんか疲れてしまうなとかね、そういうことって、少なからず1回、2回はね、あるかなって思うんですよね。
今だとね、この忘年会シーズンとかで、会社とかでね、じゃあ行こうよって言って、本当は行きたくないんだけども、周りのみんなが行くから、もう断りに断れなくて、
そう、で、やむを得ず、じゃあ自分も行きますとかね、そう、それって、なんかあの、その空気をね、こう、崩しちゃいけないとか、そう、他の人にね、何か断ったら、なんであいつはいかないんだとかね、そう、なんかそういうふうに見られたりするのが嫌で、そういう選択ってね、してしまいがちなんだけども、
じゃあ逆にいいことを言うか、いいことを言うことっていうのはあんまりしないよなって思ったんですよね。
まあいいことっていうのもちょっとあれなんですけど、例えば、周りのみんながやってるから、ちょっと極端なんですけど、ゴミをね、周りのみんながやってるから、自分も捨ててもいいんだとか、例えばそれを指摘されてもみんなやってるでしょとか、
あとはなんか横断歩道、自分もたまにやっちゃうんですけど、横断歩道じゃなくて普通の道路を向こう側に渡りたくてね、つい車がいないから渡ってしまう、で、でも周りのね、こういう人が結構やってて、まあそれでいいんだって思ってこうやっちゃうとか、で、なんかこう一緒にね、やってしまうことってあるんだけど、で、それをね、指摘されたときはみんなやってますよってね、こう言ってしまったりすることってあるかもしれないんですけど、
逆になんかいいこと、例えばね、みんなゴミ拾いしてるから、ゴミ拾いしてたとして、あの人ゴミ拾いしてるね、あの人ゴミ拾いしてたねとか、なんかそうだね、あの人掃除してたねとか、あの人募金してたねとか、なんかあんまりそういうことって言わないですよね。
なんかそれってなんか変だなってなんとなく思ったんですよね。なんで悪いことは周りがみんなやってるからっていうのに、いいことっていうのは周りいいことやってますよとかはなんかあんまり言わない。
あれこれそういえばそうだなーってね、あの思って、でこれ何なんだろうなーってね、ちょっと調べたら、その悪いことっていうのはこうなんだろう、みんなでなんとなく薄まっていく。そう、あの10人ね、こうその信号横断歩道を使わないで渡ったら、なんとなくこう1人が悪いっていうよりかはもうみんなが悪いみたいなね、そうなんかそんで濁るけど、例えばいいこと10人いて、
周りがね、急にいいことをやってた時に、みんないいことやってましたっていうと、なんか自分は、別にやってないことが悪いことでもないんだけど、なんて言うんだろう、自分だけやってないみたいな、なんかそういう事実が来て、自分がなんだろうね、こうダメというか、避難されるんじゃないかとかね、そうそうそう、なんかそういうのが多分無意識で働いて、
自分も本当はやらなきゃいけないんだなって、頭の中でどっかしらあったりして、それに話題に触れなかったり、そういう話には乗らなかったりね、そういうこともあるんだなってね、気がついて、なんかそれはね、すごくなんか面白いなって思ったんですよね。
自分の基準を持つ意義
で、今日その話っていうのが、自分のね、基準っていうものをちゃんと持つことで、いいことも悪いこともね、自分の中でブレずにね、ちゃんと進んでいけるっていう、ちょっと前振りが長くなっちゃったんですけど、
なので、周りに振り回されないように、自分の中で生きるための方法っていうか、その辺をね、ちょっとお話ししようかなと思うんですよね。
で、それはね、何かっていうと、例えばね、ゴミ捨てとか、ゴミ拾いとかね、他の誰かがやってたり、募金とかやってたり、何かね、こういいことしてるなって言ったら、別にそれは声に出さなくて、大丈夫です。
それを見て、自分の心の中で、いいなって、いいことだなって、そう感じるだけで、大丈夫です。で、それが結構何になるかっていうと、自分の中で、それはいいことなんだな、自分にとってそれはいいことなんだなって、自分にとってそれはダメなことなんだなっていうのを、ちゃんと一つ一つ決めていくっていうことなんですよね。
これはダメ、あれはいいっていうね。これは他の人が投稿の話ではなくて、自分の中でどう決めているかっていう、一つの選択をしていくんですよね。
で、それがだんだんできてくると、流される生き方から、自分の選択をする一歩っていうのを、歩めるように、こうなってくると思います。これは自分も、もう今だいぶ言えるようになりましたけど、会社の好み替えだとか、付き合いとかね、それは10回あったら全部ゼロかっていうとそうではないけども、
ほとんど香炉がしてたのも、今はもう半分もいかなくなりましたね。それは家の都合もあるけど、それより自分の中で大切にしたい時間っていうのがあって、それは確かに最初言うと何か言われるんじゃないかって思ったんだけど、
でも自分の中で決めたこと、これは自分にとって大切な時間だからっていうのをちゃんと決めて、それをちゃんと伝えて、そういうふうに一つ一つ伝えて動いていくと、周りっていうのは確かに最初、付き合い悪いなって思うかもしれないけど、だんだんそういう人だっていうふうに見てくれるんですよね。
なかなか忙しくて来れないかもしれないっていうふうに思ってくれて、声をかけてくれたりね。
その時はちゃんと説明して、こういうタイミングだったらいけるので、今はこういう状態とか、丁寧に説明するんですけど、ただその中で自分の中で一本の線を持っておくと、
それを仮に外から言われたとしても、自分の中でちゃんと決めたことって自分の中で結構納得すると、結構ブレないんですよね。
言われても自分でちゃんと決めたことってなるだけで振り回されなくなるし、あと悩み時間がすごく少なくなりますね。
どうしようどうしようってやってる時間で結構疲労ってしちゃうんだけど、それはすごく減って、もう次の一歩を踏み出しちゃえば、もうその悩みとかっていうか次に進む一歩を見ちゃうので、そこにこの嫌な時間っていうのはかなり減らすことができます。
他にもね、例えば別の誰かがご飯を誘ってどうしようかなって悩んでるときに、すいませんってちょっと言いづらいんですけどってなったときは、ちゃんと自分で決めたんだなって、それを分かってあげることもできるし、
その選択を非難しないでそれでいいと思うよって、それだけで言えればもう十分なのかなって自分は思います。そういう関係が逆に理解しあえて、ちゃんとした知恵のない関係っていうのが結べるのかなって最近はよく思うようになりました。
だから最初にこう感じたのは、悪いことってみんながやってるからって言うけど、いいことってみんながいいことやってるよねとはあんまり言わないし、そこから考えると本当の自分の中の心理的なもので言うと、結局自分がどう見られてるかとか、
自分を否定されたくないとかね、そういう部分が根っこにあるんだよねっていう話で、だからそのためにあれこれ疲れてしまうのではなくて、ちゃんと自分の中で基準を持つことで、そこから良い悪いとか良し悪し、
そして自分の納得できる一歩っていうのが進めるんじゃないかなっていう風に今日お話しさせていただきました。ちょっと内容がごちゃごちゃになっちゃったんですが、ここまで聞いてくださいまして、ありがとうございます。
心を軽くするための方法
引き続き小さな気づきなどお届けしていきますので、フォローやコメント、いいねなどいただけると非常に嬉しく思います。
ということでね、ちょっと雑談なんですけども、今日はね、実はですね、ちょっと勘弁を用意してね、内容をまとめてみた、まとめて話してたんですけど、すごくね、ちょっと難しい。
こういう話し方ってすごく自分本当に苦手で、全然話変わっちゃうんですけど、自分朝ね、仕事で朝礼とか言うんですけど、いろんなところからね、この話をしてくださいってね、紙を渡されるんですよ。台本みたいなのね。
自分はそれを読むんだけど、台本通りに読むっていうのがものすごく苦手で、なんかね、すごく端折りたくなっちゃうんですよね。こういうところいらないなとかね、あんま本当によくないんですけどね。
今日も台本を読んで、ちゃんといいことを伝えようと思ってまとめたんだけど、結局まとまらずにちょっとなってしまいました。
得意、得意、不得意っていうのもね、これあるのかもしれないんですけどね。ただちょっとね、こういうのもいっぱいやってますのでね、伝わりにくいかもしれないんですが、頑張っております。本日はありがとうございました。