まずですね、どんな発見をしたのかというのを知る前にですね、お話ししたいのが、この時代の化学についてですね、
ちょっと前提として、無機化学、それから有機化学、結晶学についてちょっと紹介したいと思います。
まず無機化学なんですけれども、パスツール以前のですね、ヨーロッパではですね、
よくご存知の方も多いと思うんですけれども、化学の世界はどう発展してきたかというと、
金を作り出そうとですね、錬金術師たちがですね、いろいろと頑張ってきた時代が長くありました。
これが化学の発展の基礎となっています。
ゴールドの金ですね。
ゴールドの金ですね。
とにかくなんかこういろいろ煮たり焼いたりしてですね、金を作ろうというふうに頑張った時代になります。
例えばですね、1669年ですね、ドイツの錬金術師のヘニッヒ・ブラントさんですね、
この方はですね、黄金の人間の尿には金を作る秘密が隠されているはずだというふうに信じまして、
おしっこが黄金色だからってことね。
そういうことですね。
それで5000リットルものですね、おしっこを集めてきてですね、煮詰めると。
すっげー臭そう。
めちゃめちゃ臭かったと思いますね。
5000リットルですからね。
煮詰めたんでしょう。
それをさらに煮詰めると。
どんな鍋でやったんだって感じですけれども。
ちょっと想像したくないですね。
想像したくない実験をされてました。
その結果ですね、金はできなかったんですけれども、
当時そんなに全然知られてなかった物質ですね、
暗闇で怪しく光る新元素、リンを発見するということに至ります。
こんな感じでですね、金を作ろうとしてリンを発見したという感じですね。
それからですね、アイザック・ニュートンですね、万有引力の発見者として有名な彼なんですけれども、
彼は物理学の世界ではですね、本当に神様のような方ですけれども、
彼が残した手記というのはですね、大部分は錬金術の実験記録になります。
彼はですね、部屋に閉じこもって水銀とか鉛をですね、焼き続けてですね、
結果ですね、柔道の水銀中毒になってました。
水銀はですね、神経に作用しますので、
彼のですね、胃肺を調べたんですね、1970年代になるんですけれども。
胃肺?
胃肺ですね、髪の毛が残ってまして。
胃発?
胃発ですね、胃肺はなんだ?
原稿のね、文字が胃酸の胃に髪の毛って書いてあったけど、
髪の毛は肺とは呼ばないよなと思って突っ込みました、すみません。
胃発ですね、髪の毛を調べたところ、髪の毛の中からですね、大量の水銀が検出されたということですね。
彼はですね、84歳までですね、柔道の水銀中毒であったんですが、
84歳まで長生きをしましたけれども、
残された記録からですね、50歳くらいからいろいろとおかしかったみたいでですね、
結構、猜疑心の強い偏屈な爺さんになったみたいで、いろいろなトラブルを起こしてましたので、
それが水銀中毒だったんだなというのが証明されたという感じですね。
水銀中毒って性格も変わっちゃうんですね。
真剣に作用して脳に作用するんで、精神に来るという感じですね。
それで、いろいろトラブルを起こしまくってたみたいです。
それでですね、18世紀になるんですけれども、三大共産とアルカリの製法が確立します。
これが木化学の中でさらに発展していくというところなんですけれども、
それの元となったのは錬金術からになるんですけれども、
例えばですね、硫酸が、あと焼酸、塩酸、炭酸ナトリウムなどが合成する方法が分かるようになりまして、
工業的にも作られ始めている時代になります。
あと、各種の機体のガスですね、機体として存在しているものもどんどん作れるようになってきました。
例えば酸素とか水素とか二酸化炭素、アンモニア、塩素、硫化水素、二酸化イオンなんかですね、こういったものが作れるようになりました。
そしてですね、電気分解でですね、新しく新金属なんかも作られていきます。
イギリスのですね、ハンフリーデイビーがですね、当時ボルタ電池がもうすでにあったみたいなんですけれども、
1807年から1808年にかけてですね、ボルタ電池を使って電気分解を実験室で成功させてですね、
例えばカリウムとかナトリウム、カルシウム、マグネシウム、バリウムなどのですね、金属単体をですね、次々と取り出したということですね。
それからですね、さまざまな取り出した金属を使って金属塩を作ったりとか、あと鉱物をですね、鉱物とか金属ですね、これを酸で溶かすことによって無機塩というのを合成しました。
例えば作られたのが硫酸銅とかですね、硝酸銀とか、塩化鉄とかですね、こういった形で有機化学がいろいろと花開いてですね、
いろんな分子が作れるようになってきたよっていう形になります。
無機化学?
無機化学ですね。すいません、有機化学って言った。
有機化学って言った。
はい、すいません。で、こういったところで無機化学が花開いていったよっていうところなんですけれども、
それからですね、有機化学の方に入っていきます。
このルイ・パスツールのちょっと前の時代ですね、19世紀の初頭まで人々はですね、
砂糖とかアルコールとか、それから体内の物質といった有機物はですね、生物の中でしか存在しない生命力という特別な魔法によってのみ作られるものだというふうに信じていました。
科学的に合成できないってこと?
科学的に合成できるものではないと。体の中に、生命の中にあるものは生命力という魔法が宿ることによってやっと作れるものだというふうに信じてたんですね。
面白いね。
面白いですね。なかなか神様の時代だったんだなっていうのを思いますね。
作れないものだからそれはもう神様しか成し得ないというか、生命力でしか成し得ないっていうふうな解釈をされてたんだと思います。
その常識がですね、崩れたのが1828年になるんですけれども、
ドイツのですね、若い科学者のフリードリヒ・ベーラーという方ですね。
この方はですね、実験室で完全に無機質な物質であるシアン酸アモニウムを加熱するということをしてました。
そしたらですね、フラスコの底に現れたのは白い結晶で、それを調べてみたところですね、尿に含まれる有機物、尿素だったということが分かりました。
彼はですね、私は生命の力を一切借りずに尿素を作り出してしまいましたというふうにですね、大変興奮しまして師匠にですね、お便りを送ったそうです。
これが有機化学の一番最初の産声ということになります。
でですね、これが生命がしか作れなかったと思われたものが人間が作れたよという形なんですけれども、それはたまたまだろうみたいな感じで思われていたんですが、
続いてですね、ベーラーの弟子であるヘルマン・コルベがですね、17年後になりますけれども、1845年に炭素とイオウと塩素というですね、
100%純粋な無機物だけを出発点にしてですね、作産ですね、オスの成分を合成するということに成功します。
ちなみにですね、この合成の道のりはとても長くてですね、まず炭素とイオウを高温で反応させて二酸化炭素を作る、二硫化炭素を作るですね。
化学式でいうとCS2になります。
で、それからですね、そこに塩素ガスを振りかけて反応させてですね、四塩化炭素を作る。
CCL4というのにこれを作り変えます。
で、四塩化炭素を熱分解してテトラクロロエチレンを作るということで、C2CL4になりますね。
で、それから塩素ガスと水で反応させてトリクロロ酢酸を作る。
なんかちょっと酢酸という文字が出てきましたね。
CCL3COOHというですね、ちょっと酢酸っぽい化学式になります。
で、それを最後にですね、電気還元して酢酸にします。
CH3COOHですね。
まあ多分有機化学を取ったことがある人だとCH3COOHってなんか頭の中で覚えていると思うんですけども、
この1、2、3、4、5段階の反応を経てようやくですね、CH3COOH、酢酸を作り出すことに成功いたします。
司書のベイラーはですね、酵素を一段階だけ、熱をかけるだけで作りましたけれども、
こんだけの長い工程をですね、作ってこのヘルマン・コルベはですね、酢酸を作り出すということをいたします。
はい、これで有機物はですね、人間の手で作り出せるんだなということが分かり始めてきます。
で、さらに11年後ですね、1856年ですね、イギリスの18歳の学生、ウィリアム・パーキンという方がですね、
実験室で有機物をですね、いろいろと合成しているうちにですね、
偶然、美しい紫色を発色するですね、人工染料を作り出すことに成功いたします。
当時ですね、紫色の染料というのは、王族しか買えないほど超高価なものですね。
それをですね、パーキンは工場で大量生産し、結果ですね、大富豪になることに成功します。
で、これがですね、世界中の化け学者たちの目の色を変えさせることになります。
有機合成を極めるとですね、新しい薬とか染料を使って億万長寿屋になれるぞということになりました。
これは有機化学界のゴールドラッシュ感がありますね。
そうですね、本当にゴールドラッシュがここで起こったという感じで、
いろんな科学者がこぞってですね、有機化学に行けという感じになったんですね。
なんか今のAI革命みたいな感じですよね。
たしかに。
いろんな頭いい人たちが、もうとにかくAIだっつってそっちに群がるというか、行っているという感じですよね。
ということになりまして、有機化学が発展していったよということになります。
もう一つですね、結晶学についてちょっとお話をしたいと思います。
結晶学が始まるのはですね、17世紀になります。
1669年のデンマークの学者、ニコラウス・ステノという方なんですけれども、
この方はですね、水晶の結晶を観察する中で、ある法則を発見いたします。
それがですね、面間各一定の法則というふうに、ステノの法則と呼ばれるものを発見するんですけれども、
どんなに大きさが違っていても、形が不揃いに歪んでいても、同じ種類の結晶であれば、対応する面と面がなす角度は常にぴったりと一致すると。
それまで単なるきれいな鉱物としてですね、思われていた石がですね、数学的に厳密なルールに従って形をなしているということが初めて証明されたということになります。
水晶なんかですね、上が尖っていますけれども、その尖っている形のところ、ピラミッドみたいになっていますよね。
それぞれの面は決まった角度で必ずひっついているという形になりますね。
これを見つけたということになります。
その後ですね、フランスの鉱物学者のですね、ルイ・ジュネスト・アウイという方がですね、18世紀末になるんですけれども、積み木モデルというのを発見いたします。
彼はですね、実験室でですね、カルサイトというですね、石の結晶ですね、ガラスのようにきれいな透明なものなんですけれども、それをですね、うっかり床に落として割ってしまうということをしてしまいました。
その際にですね、このカルサイトの結晶というのは、平行四辺形のような形の結晶なんですけれども、その平行四辺形のような結晶を落として割ってしまったのに、その破片がですね、また同じ平行四辺形の形をしたものだったんですね。
ということで、アウイは結晶とは目に見えないほど小さな単位分子ですね、構造ユニットが積み木のように規則正しくレンガ状に積み重なっているんだということを議論として打ち立てます。
これが積み木モデルと呼ばれるものになるんですけれども。
あとですね、もう一つ発見したものがありまして、いろいろな結晶を見ていく中で、結晶の角がほんの少しだけ斜めに削り取られたような不完全に見える面というのがある。
そういう結晶もあるんだなということに気づきます。
それがですね、半面体というんですけれども、ヘミヒドラルというふうに言うらしいんですけれども、というのを発見いたしまして、
これもこういった結晶もあるよというのを発表して、これがですね、この後ちょっと紹介する類の大発見につながります。
一方ですね、物理学の世界で光の性質についての研究が急速に発展しているという形で、これは同時代に起きているんですけれども、1815年頃ですね。
フランスのですね、物理学者のジャン・バティスト・ビオという方ですね、この方は後にパスツールの強力な援護射撃をしてくれる方になるんですけれども、
このビオはですね、特定の結晶とか液体に特殊な光、偏光というものをですね、通してやると、光の波の振動面が時計回りとか半時計回りとかにぐるりと回転する現象、偏光性というんですけれども、そういったものを発見いたします。
なんでこんなことの性質を調べようと思ったのかなというのがすごいなと思うんですけれども、着想がですね。しかも当時、レーザーとかもないですし、電球もなくて、光源はアルコールランプとかしかないのに、そんな光の実験をしてたんだなというのがすごいなと思いますね。
それでですね、偏光系というのを作ってですね、それで色々光を曲げちゃう物質というのがあるんだなというのがわかったんですけれども、それでですね、水晶とかはですね、結晶の形をしている時だけ光を曲げるということがわかります。
水晶を熱でですね、溶かしてやって、それで液体にした状態で光を当てると偏光性はなくなるんですね。光を曲げなくなってしまいます。これは結晶の形の時だけ光を曲げてくれるというものなんですね。
なんですけれども、朱石酸というですね、有機物になりますけれども、これワインの樽のですね、そこにできるような結晶でお酒の石の酸って書きます。朱石酸って言うんですけれども、それはですね、結晶の形の時にも光をねじ曲げるんですけれども、水に溶かして液体になっていても光を曲げるということがわかりました。
ということでですね、美王は、朱石酸はですね、光を曲げる理由は結晶の並び方ではなくてですね、分子そのものがねじのようなひねくれた形をしているからだというふうに推測をいたします。
あくまでもこの当時ですね、分子の形を見ることはできなかったので推測になるんですけれども、そのような理論を打ち立てます。
そしてですね、この後ですね、70歳になった時にルイの大発見をサポートしてくれる人にもなるということですね。
ルイはですね、教科書の数式を丸暗記するようなですね、お勉強としての化学は非常に苦手だったんですけれども、
結晶学はですね、自分の目で顕微鏡を覗いて、自分の手で角度を測って、自分の頭の中で立体をイメージして、それをスケッチするという形で、
絵がですね、非常に得意だったので、そういう微細なところまでですね、見分ける目を彼は持っていましたので、結晶学が非常にうってつけで大好きだったみたいなんですね。
ルイはですね、指導者たちの助言もあって、このワインの樽の底に沈んでいる主石三円ですね、それからラセミ三円の謎を研究することにいたします。
最初に取り上げた課題だったわけですね。
まずですね、ルイがですね、疑ったのは、このミッチェル・リッヒのですね、報告が間違いではないのかと、結晶の形は本当は違うんじゃないかなというふうに考えます。
で、砂粒ほどのですね、大きさのですね、本当1ミリの大きさがあるかないかとか、そんな世界だと思うんですけれども、その結晶をですね、顕微鏡で見て一生懸命観察をいたします。
そしてですね、あることに気づいたんですけれども、結晶のですね、一部分ですね、が左側で欠けているものと右側で欠けているものがあるなというふうに気づきます。
で、それはですね、ちょうど左手と右手の関係と同じようなものだと。
鏡に映した時には、実際のものと鏡に映したものとの関係という形で、上下変えても左右変えても重なることはないということに気づいたんですね。
で、このルイはですね、鏡に映るこの左右の違いがある結晶をですね、自作の精密なピンセットを作りまして、それでですね、一粒ずつこれは左手、これは右手みたいな感じでですね、分けます。
とにかく一生懸命それを分けたんですね。
そしてそれをそれぞれの水に溶かして、線光計で計測してみるということをしました。
そうするとですね、片方は光を右に曲げて、もう片方は光を左に曲げるということが分かりました。
世の中で知られてたですね、朱瀬式さんと似たような物質、ラセミ酸はですね、これは左右が半々に混ざっている物質だったということで、
左に曲げる性質と右に曲げる性質が打ち消しあって光がまっすぐ進んでしまってたということが証明されました。
この発見をですね、ルイは師匠のバラールに大喜びで紹介いたしまして、
バラールは自分の弟子がですね、これを見つけたというのですね、あちこちで話題にしてくれたみたいなんですけれども、
学会の住人たちはですね、若造の発見なんかそんなのあるわけないだろうということで信じてくれなかったみたいなんですね。
ただですね、その唯一、線光系を作ったですね、物質によっては光を左に曲げるとか右に曲げるとかっていうような物質があるよっていうのを発見したビオだけはですね、
ちょっとそれを見てやろうというふうに思ってくれたみたいで、ルイをですね、自分の研究室に呼び出して、
それからですね、お前が持ってきた薬品ではなくて、俺が今持っているこのラセミ酸を渡すから、
俺の目の前で一から実験して証明してみろというふうに彼に証明を求めました。
ルイはですね、ビオの目の前で顕微鏡を使ってピンセットで結晶を左手と右手に分けて、それぞれ水に溶かして線光系にセットするということにいたします。
そうするとですね、ビオがこの線光系を覗き込むとですね、光がそれぞれ完全に右と左に曲がったということですね。
それでですね、ビオはですね、これに痛く感動いたしまして、若きルイの手を強く握りしめて涙を浮かべながら、
青年よと、私は生涯をかけてこの学問を愛してきた。今の君の発見は私の心を深く揺さぶったというふうにですね、非常に感動してくれたみたいなんですね。
この変更の神様ビオが公式に認めたことでですね、25歳のルイ・パッスールの偉業というのは一気にですね、世界に証明されて科学界のスターダムに名乗りを挙げることになります。
その後のですね、ルイの人生でビオはいろいろとですね、良きアドバイザーとなって気にかけるようになってくれたそうです。
はい。