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092.【炭疽病ワクチン】200人が見守った公開実験、その裏にあった不都合な真実『ルイ・パスツール07』
2026-09-14 38:18

092.【炭疽病ワクチン】200人が見守った公開実験、その裏にあった不都合な真実『ルイ・パスツール07』

前回までの蚕やワイン、そしてビールの研究を通じて、パスツールは「目に見えない微生物を見分け、コントロールする」という武器を磨き上げていました。今回、その武器を携えて挑むのは、家畜を襲う恐ろしい病、炭疽病です。

しかし、その正体を突き止めたのは、実はパスツールではありませんでした。しかも、ワクチンの開発でも、パスツールより先に成果を出していた人物がいたのです。

パスツールは、ワクチンに懐疑的な農家たちから、白黒がはっきりつく「勝負」を持ちかけられます。1881年6月2日、200人を超える見物人が見守るなか、フランスの片田舎で運命の実験が行われました。 その結果は劇的なものでした。けれど、この歴史的な成功の裏には、何十年もの間、隠され続けたある事実がありました——パスツールが公に発表していた方法は、実際に使われたものとは違っていたのです。

【今回のハイライト】
・炭疽病の正体を突き止めた、無名の田舎医者との21歳差の対決
・”呪われた牧草地”の謎を解いた、意外な犯人
・パスツールに先んじて成果を上げていた、忘れられた研究者
・ワクチン懐疑派が仕掛けた、白黒はっきりつく公開実験
・200人が見守った1881年6月2日、劇的な結末
・成功の裏で何十年も隠されていた、不都合な真実

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サマリー

ルイ・パスツールは、微生物を識別し制御する能力を駆使して、家畜を襲う炭疽病に立ち向かいました。炭疽菌の正体を突き止めたのはロベルト・コッホでしたが、パスツールはミミズが炭疽菌の胞子を運ぶという仮説を立て、農民の経験からヒントを得て研究を進めました。ニワトリコレラの研究でワクチン開発の基礎を築いたパスツールは、炭疽病ワクチン開発でも先行者がいましたが、公開実験で劇的な成功を収め、時代のヒーローとなりました。しかし、その成功の裏には、弟子の研究を参考にし、自身の開発方法を偽るという不都合な真実が隠されていました。

パスツールの新たな挑戦:炭疽病
ようこそ、生命科学の冒険者へ。プレゼンターのあきです。アシスタントのとみーです。この番組では、生命科学における画期的なブレイクスルーを成し遂げた偉大な研究者たちの人生と、その背後にあるドラマをお届けします。
はい、ありがとうございます。私たちごとなんですけれども、子供が生まれました。おめでとう、おめでとう、ありがとう、ありがとう。ということでですね、ちょっとその合間を縫ってですね、収録を撮っておりますので、子供がおぎゃーって言ったりとか、わーって言ったりとか、ちょっとそんな声が入るかもしれません。
ご了承ください。
はい、よろしくお願いいたします。というところでですね、その合間を縫って収録をしておるところなんですが、前回はですね、パスツールですね、不服戦争のおかげでというか、それでフランスは負けてしまったと、ドイツプロ選に負けてしまったというところでですね、
パスツールとしては、ドイツへ何か意思報いたいということで、ビールの研究を始めてですね、ビールの製造ですね、変な発酵をしないようにするというようなところの研究をして、そういったところの特許を取ったりとか、本を書いたりとかしましたよというお話をさせていただきました。
あとですね、カイコの養産業ですね、カイコの病気を解明したりとか、それ以前にはワインとかの研究もしてたということでですね、パスツールはですね、面に見えない微生物をですね、顕微鏡を使って見分けて、それからコントロールするという手法をですね、着実に磨き上げていったということで、
化学者だったパスツールがですね、微生物学の方にどんどん足を踏み入れていって、そこでより新しい知見を蓄えていったというような形になってきました。これがなんか我々がなんとなく知っているパスツールになってきたのかなということになります。
この武器を引っさげてですね、パスツールは次に向かった先っていうのがですね、1870年代の後半ですね、人間ではなくて家畜を襲うですね、恐ろしい病気に彼は立ち向かうことになります。
あまりですね、その病名ってたまに聞くことあるかもしれないんですけれども、炭素病という病気になります。炭素病っていうのはですね、フランス語ではシャルボンって言うんですけれども、それは石炭っていう意味で感染したですね、炭素病になってしまった家畜の皮膚にはですね、石炭のように黒くただれた病変ができることに由来する名前になります。
19世紀のフランスではですね、炭素病で羊とか牛を飼う農家にとっては、もう本当悪夢のような病気でですね、地域によっては被害が凄まじくて、オーベルニュ地方ではですね、家畜の10から15%がですね、それからボース地方では20から50%がですね、この家畜が炭素病で命を落としたというふうにされております。
そんな感じでですね、非常に牧畜業を営む人たちにとってはですね、もう厄介な病気だったということですね。
しかもですね、一度炭素病にかかった家畜が出た牧草地っていうのは、何年経っても危険なままという形ですね。
一度病気にかかった家畜をですね、殺しても、またその場所で羊とかを飼っていると、またその場所にですね、その病気がついているというような形で、また病気になってしまうということで、
農民たちはですね、こうした土地を呪われた牧草地と呼び、恐れるということになっておりました。
ここにパスツールが乗り出していくということになります。
炭疽菌の発見者:ロベルト・コッホ
この炭素病ですね、最初に正体を突き止めたのはですね、実はパスツールではなくて、
1876年ですね、ドイツの片田舎、ボルシュタインというところでですね、飼い養育をしていましたロベルト・コッホが、この炭素菌をですね、純水培養することに成功しまして、この菌こそが病気の原因であるということを実験で証明しました。
この時ですね、コッホは32歳でですね、パスツールはですね、53歳ですね、なので、親子ほどですね、およそ21歳ですね、年の離れた無名のですね、ドイツの田舎の医者に先を越されたということになります。
コッホはですね、ここからどんどん名を上げていくということになります。
今、相当有名ですよね、ロベルト・コッホ。
ロベルト・コッホはもうかなり有名ですね。
日本の微生物学の父である北里芝三郎の師匠に当たる方になります。
なんですが、この当時はですね、介業医、しかも田舎町の介業医ということで、研究者ですらなかったという形になります。
コッホはですね、正式な研究者ではなくてですね、ボルシュタインという小さな町の、地区の医療館という形ですね。
奥さんから送られたですね、顕微鏡を使って、自分の診察室の一角で実験室としてですね、この研究に取り組んでいました。
牛の目から取った水晶体液、目の中の液を培養液としまして、そこで炭素菌を培養してガラススライドの上で、その菌を顕微鏡を使って観察をしていたと。
そうするとですね、炭素菌と思われる、炭素病の原因と思われる菌ですね、それがですね、伸びて糸状になって、内部にですね、丸い粒ができて、それがガホウという状態なんですけれども、そういったものを作っていく様子っていうのを顕微鏡でじっくり観察したと。
この培養した菌をですね、マウスに感染させて炭素病を発病させると。発病させたマウスから同じ菌を取り出して、また培養して次のマウスに感染させるというような形で、これをですね、何回も繰り返すというようなことをしまして、この菌が間違いなく炭素病の元であると、炭素病の原因菌であるということを証明するというですね、
こういった証明方法というのを開発したのもコッホになります。このコッホのやり方ですね、コッホの3原則とかコッホの4原則とか言われるんですけれども、こうやって自然にある病気で、死んだ動物とか人間からですね、取ってきた菌を純粋培養して、別のマウスとかにですね、感染させて、同じ病気になって、
それを2回3回繰り返した結果、同じやっぱり病気になるということで、その原因菌を特定するというやり方を開発したのはコッホになります。
この成果を植物学者のフェルディナント・コーンという方にですね、手紙でコッホは送りまして、この成果をですね、発表したんですね。
それに気づいた植物学者のですね、フェルディナント・コーンという方はですね、コッホをですね、ブレスラウ大学というところに招きまして、3日間かけてこの手法を実現してもらうということをします。
この方法というのがですね、コーンとかあと病理学者たちを驚かせたという形で、コーンがですね、これをもっと広く発表しなさいということで論文に発表しまして、コッホはですね、一躍世界に知られた人になるということになります。
パスツールの炭疽菌研究と論争
パスツールはですね、このコッホが発見したことからですね、遅れることおよそ1年のですね、1877年頃にこの分野に乗り出してきます。
コッホはですね、炭素菌というのが、ガホウというですね、ちょっと、何て言うんですかね、胞子のような状態というか、菌がですね、長期間何もない状態、栄養とかがない状態だと、生き延びるために眠ったような状態、固い殻に囲まれてですね、胞子のような状態っていうんですかね、になって、土の中でじっと待って、
いるというような、このガホウっていう頑丈な状態になるっていうのを明らかにしたんですけれども、パスツールはですね、そこに対してどういうふうにアプローチをしたのかというとですね、このガホウになった状態で何年も土の中で生き延びれるっていうことは、まだコッホは証明できてませんでした。
それに対してですね、パスツールはですね、いろいろと農家に聞き込みをします。ある農民からですね、何年も前に炭素病で死んだ羊を埋めた場所は、土がミミズによってかき乱されたように黒っぽくなっていて、そこで放牧するとまた家畜が死ぬっていうことを聞き出します。
パスツールはですね、ここからミミズが地中深くの地害のあたりまで潜って、その土をですね、食べて、それをですね、蝶の中に蓄えて地表でですね、糞として排出してるんじゃないかということで、炭素菌のですね、ガホウをミミズが運んでるんじゃないかというふうに仮説を立てます。
実際にですね、ミミズの糞に含まれる土をモルモットに与えると発病することも確かめまして、農家にはですね、炭素病で死んだ家畜を牧草地に埋めないようにというふうに助言をして、この結果をですね、医学アカデミーに発表いたします。
ただですね、この炭素菌がですね、土の中で何年も生き延びられるという考え方自体ですね、非常に怪異的な声がありまして、年配のですね、獣医学者のですね、ガブリエル・コリンという方はですね、以前からですね、パスツールが菌が病気を起こすとかですね、菌が発酵させるとかっていう、そういったものに非常に怪異的な立場を取ってまして、
この土壌生存室にも異を唱えてきたということになります。これに対してですね、パスツールはですね、こういった異を唱えられたことに対して非常に腹を立てまして、パスツールのですね、性格悪いところが出てるんですけれども、反論を展開するということになります。
言い方がですね、本当に嫌味っぽいなと、パスツールらしいなと思うんですけれども、私が土の塊を手に取ったときに炭素菌が見えるのは、そこにある炭素菌に気づくからだと。同じことをコリンがやっても何も見つからないのは、彼が間違えているからだ。真実に通じる道は一本で、間違える道は無数にある。コリンはいつも後ろの道を進むというふうにですね、嫌味っぽく表現しています。
かなりですね、パスツールはこんな感じでですね、いろんな人とこんな感じで、嫌味ったらしくやり合っています。
コッホからもですね、批判の声が届きます。コッホはですね、炭素菌が病気の原因であると証明したのは自分であって、パスツールの研究所は何も見つけてないと、何も新しいことを見つけてないというふうに主張します。
ミミズの腸内を調べて、炭素菌の画法はコッホの研究所では見つからなかったと。ミミズの理論はおかしいし、パスツールの最近の培養技術は自分より劣っているから、多分ミミズの糞が含まれている土は別のところから炭素菌が混ざっていて汚染されていたものだから、それはマウス病気になるはずじゃないかと。
それはミミズの糞が病気にしたという主張ではないという激烈な反論を送ってきたそうです。
パスツールはこういった次々と湧いてくる反論に対して、ガンガン弁明したりとか反論したりとかしてたそうですね。
実際、このパスツールの仮説が科学的にきちんと実証されたのは結構最近のことでして、ミミズの腸を通っても炭素菌が生き延びられるかという実験が確認されたのは2009年の実験で確認されているということで、最近パスツールの説はやっぱり正しかったんだなという証明がされているということになります。
130年間論争は論争のままだったということですね。
ただ、実際的には何となく農家が言っていることは正しいんだろうと感覚的に思ってパスツールはそういうふうに発信をしていたということになります。
ワクチン開発の先駆け:ニワトリコレラ
パスツールは炭素病そのものの前にもう一つ触れておきたい出来事があります。
1879年、パスツールの研究室ではニワトリコレラという病気の研究を進めていました。
パスツールのチームはニワトリコレラ菌をニワトリの肉汁を売地に培養しまして、それをワタセンをしたガラス容器で保存をしておりました。
ワタセンは雑菌の侵入を防ぎながら空気中の酸素が少しずつ内部に入っていくという形で、外と空気は通通なんだけれども外側の菌は入ってこないという状態を作り出すことができるということになります。
パスツールのニワトリコレラのエピソードは、ジェンナ以来2番目にワクチンを発見した人になります。
ジェンナの時の天然痘のワクチンというのは、天然痘によく似た牛痘という軽い病気で済む天然痘に似たものを摂取することによって、実際に人を殺してしまう天然痘を防御しようという考え方だったのですが、
パスツールのチームが作ったニワトリコレラのワクチンというのは、菌そのものを弱らせた菌で免疫をつけて、
実際に本当の毒性が強い菌が体の中に入ってきたときには殺せるようにしておこうという考え方で、菌としては同じだが弱らせるというところにミソがあります。
よく教科書やパスツールの電気などで語られるエピソードが、ニワトリコレラの培養液を夏の休暇中に放置していたと。
放置していた培養液を休暇が明けてから、とりあえずニワトリに注射してみようということで注射したところ、普通だったら死ぬはずのニワトリコレラにかからなかったと。
改めて毒性の強い培養液をこの同じニワトリに注射してみたら、1回目の注射で免疫がついていたのか、このニワトリは毒性が強いニワトリコレラを注射されても死ななかったということで、
これってワクチンとして使えるんじゃないかなということが初めて発見されたということになります。
有名な話なんですけれども、実際はこんな偶然に発見されたわけではなかったということが後にはわかっています。
パスツールのこの辺りの話というのは、パスツールがおじいさんになってから、老いだったかなに書いてもらった伝記がありまして、これが元になっていることが多いんですけれども、
パスツールは老いに書いてもらった伝記に美しい話ばかりを書かせたんですね。
なので、わりとわかりやすいストーリーというのが残っているわけですけれども、
なので結構貧困補正なパスツールというイメージが皆さんお持ちかなと思うんですけど、結構ドロドロした人で、いろいろとあっちゃこちゃで喧嘩もしてますし、
弟子の手柄を横取りしたというような話もありますし、結構ドロドロした部分もありますよという形なんですが、これも作られた英雄団でして、
ただこの話はちゃんと調べるとパスツールすげえじゃんって僕はどっちかというと思う話になります。
というのがパスツールが残した実験ノートなんですけれども、これもパスツールはすべて燃やせみたいな感じで言ってたみたいなんですね。
いろいろと汚い部分も残っちゃってるというのがパスツール自身がわかってたからだと思うんですけれども、
それはフランス国立図書館に寄贈されてまして、後にそういったドロドロした話なんかがいっぱい出てきた資料の一つになってるんですけれども、
この実験ノートを詳しく調べてみたところ、パスツールはどのタイミングで金をどう扱うべきかというのをいろいろと手探りしてます。
この生き延びたニワトリに、さらに8日後にまた毒性の強い金を打ってみたら、今度は病気になって死んでしまったというような記録も残っているという形で、
なので1回の偶然で免疫がついたというわけではなくて、多分何回も何回もいろんな条件を変えて金を弱らせてみたりとかして、
これだったら弱るかな、これだったら免疫つくかなというのをいろんな形で繰り返していったというふうに思われます。
そうこういろいろやっている中で手順が少しずつ体系化されていくということになりまして、
培養液を1日から8日おきに新しい場合に植え継ぐというだけではほとんど毒性が落ちないということがわかってきます。
だけれども3ヶ月から8ヶ月ぐらい、あるいはそれ以上蓋を開けたまま空気にさらし続けると金の毒性がかなり落ちるということがわかってきたということですね。
この毒性が弱った金を鶏に打ってやって、それで免疫をつけるというような手法というのがだんだん確立していくんですけれども、
それはどれだけ空気に酸素に金を触れさせたかによって毒性の落ち方というのが変わってくるというのがわかったという形になります。
パスツールはこの現象を弱毒化という名前をつけました。
最後の仕上げとして、弱毒した金を注射した鶏と何も注射していない鶏の両方に新鮮で毒性の強い金を注射する実験を行いまして、
弱毒した金を先に受けた鶏だけ生き残るという完璧な条件を決めることができたということになります。
これが金を弱毒化してワクチンとして使うというアイデアの世界で初めての例になります。
炭疽病ワクチンの先行者と公開実験
こんな形で初めてワクチンを作ったわけなんですけれども、炭素病の方に戻りたいと思います。
炭素病もパスツールはワクチンを作ろうとします。
実はパスツールよりも先に成果を出していた人物というのがいました。
それが獣医師のアンリ・トゥーさんという方になります。
トゥーさんは1880年の8月にフェノール、結構な劇薬なんですけど、
バイオン実験なんかでも使うことがありますけど、フェノールって触ったことあります?
見たことある?ない?
なかなか普通の人はないと思うんですけれども、フェノールっていうのはなかなかな劇薬で、
バイオンの実験ではちょこちょこタンパク質を変性させるために使うんですけれども、
タンパク質を変性させるようなものなので、間違って指にかかっちゃうと指がシロップ多く変色します。
すぐ水とかで洗い流さないと火傷するというようなものになります。
そのフェノールを使いまして、炭素菌を弱毒化するという方法を考えつきます。
トゥーさん自体は26頭の羊のうちに、22頭にワクチン接種を成功させるということもしていました。
フェノールを使って弱毒化させた炭素菌を羊に打つと、
羊は炭素病にかからなかったということを発表していました。
パスツールはまた別の方法で炭素病ワクチンを作っていたのですけれども、
それはその発表より半年ほど後の1881年の2月から3月ぐらいのことだそうです。
トゥーさん自体の功績は当時はそれほど知られていなかった。
それから高生も長らく正当に評価されることはありませんでした。
炭素病のワクチンを作ったのはずっと長い間パスツールだと思われていたということになります。
パスツールは先ほど申し上げた通り、
ニワトリコレラの菌を弱毒化するには酸素で弱らせるという方法を炭素病にも当てはめていました。
炭素菌を弱らせるのに酸素に触れさせて弱毒化させるというのを色々頑張っていたようです。
その発表した時、パスツールは酸素を使って弱毒化させる方法によってワクチンを作って、
それを羊の実験で成功したというふうに発表いたします。
こうした状況の中で、この発表に対してパスツールにある勝負が持ちかけられます。
相手は農園を営む獣医師のイポリット・ロシニョルという方と、
地元の農業協会の会長のモロ・ドラ・ロシェットさんという方です。
彼らはパスツールのワクチンの効果に非常に懐疑的で、公開の場でそれを証明してくれというふうに提案をしてきます。
やり方としては、羊60頭を提供すると、うち10頭には何も処置をしなくて、
25頭にはワクチンを接種し、残り25頭には接種をしないと。
12日後にワクチンを接種した群と接種していない群両方に、
毒性の強い炭素菌を注射するというような、非常にわかりやすい実験を公開の場でやってくれと言ってきたということになります。
パスツールは2年前にニュアトロリー・コレラのワクチンを発表していましたが、
世間的にはワクチンという発想が全然なくて、あまり信じられていなかったというような形になります。
パスツールは小規模な実験で成功したと言っていましたが、
どういうふうにワクチンを作ったのかを正確に公表していませんでしたので、
多くの人たちは、あいつは医者でもないし、獣医者でもない。ただの化学者だろうと。
それがそんなことをできるわけないよねというような形で、結構、
嘘つき呼ばわりというか、信じてくれなかったというようなところでこの勝負を持ちかけて、
公開の場でパスツールを笑い者にしようというふうに挑んできたということになります。
パスツールはこれに対して勝負に受けて立つことに決めます。
彼は後にこれをラテン語のことわざを引用しまして、
勇気ある者に幸運は微笑むというような形で振り返っております。
確かにと思うのは、ワクチンがない時代に病気を予防できるものを専門家じゃない人が開発しましたと言ったら、
それが有名人だったとしても、違う分野で信じられるって感じだよね。
私も嘘じゃないって思いそう。
ノーベル賞を取った物理学者の人が、
俺は映像を直せるようになったって言われたってね。
あなたは別にその分野の人じゃないやんって。
ってなっちゃうよね。
ましてや免疫のことなんか全然わかってないし、
パスツール自身もなんでこれが防御できるかわかんないけど、
なんかわかんないけどできたんだもんみたいな感じだ。
原理はわかんないけど、
弱毒した菌を打ったら、
なんか知らないけどその後は大丈夫になるんだみたいな。
そうだよね。だってさっきの話だって130年後に証明されたとかさ。
気が長いよね。
気が長い。本当に結局わかんないけど結果往来みたいな。
後から理論が説明されるみたいなのが多いんだね。
それぐらい先進的な発見だったのかもね、当時からすると。
そうですね。本当に結果往来でいったっていうところですね。
公開実験の劇的な結果と隠された真実
これプイルフォールという場所で行われた公開実験になります。
1881年の4月28日なんですけれども、
舞台は露市による農園があるパリの南東のプイルフォールという場所なんですが、
用意されたのが羊58頭、ワクチンを接種するのが24頭、
非接種が24頭と。
それから比較のために何もしないという完全な対象群として
10頭を用意されたという形です。
それからですね、トータル58頭か。
あとですね、羊が2頭、接種するのが1頭、非接種が1頭。
それからですね、牛10頭、ワクチン接種するのが6頭、非接種が4頭という形で動物が用意されます。
この中、動物の種類がいろいろいるのも実験としては良さそうだよね。
なかなか面白い実験だなと思います。
5月5日にですね、まず1回目のワクチンの接種というのが公開の場で行われます。
5月17日にはですね、より毒性の強いバイオ液を使った2回目の接種というのが行われます。
5月31日ですね、いよいよですね、猛毒の炭素菌そのものが注射されるということになります。
という形で、1881年の6月2日ですね、ここの農場にはですね、結果がどうなったのかなということで200人を超える見物客が詰めかけました。
その中にはですね、政府関係者とか新聞記者ですね、イギリスのタイムズの記者まで来てたそうです。
それから獣医師とか医師、それから近隣の農民たちというような形で、もう誰もがカタツを飲んでですね、結果を待ってたという形になります。
結果としてはですね、ワクチンを接種していない羊はすでに21頭死亡、24頭中21頭が死亡したという形ですね。
また劇的だったのが、見物人たちが見ている目の前でさらに2頭が生き耐えて、残る1頭もその日のうちに死亡するというような形ですね。
非接種のヤギも死ぬと、非接種の牛はですね、死にこそしてなかったんですけれども、高熱と大きな腫れに苦しんでいるというような様子が観察できたと。
一方ですね、ワクチンを接種した羊、ヤギ、牛はですね、すべて健康そのものだったということですね。
集まった人々は言葉を失うほど驚いたというふうに伝えられております。
なおですね、接種した羊のうち1頭がですね、翌日に死んでしまうということが起こりますけれども、解剖の結果ですね、これは炭素病ではなくて、妊娠中の事故が原因で死んだということが確認されました。
このようなですね、非常に劇的な成功をパススルーが収めまして、それまで懐疑的だったですね、獣医師たちの中にはですね、その場でパススルーの熱心な支持者に転じた人もいたという形で、
この結果ですね、瞬く間にフランス中に広まりまして、1890年代半ばまでにはですね、実に300万頭を超える家畜にこの炭素病のワクチンが接種されるということになります。
ここでですね、一躍時代のヒーローにパススルーはなりましたよということになります。
なんですが、これもですね、裏話がありまして、パススルーはですね、この科学アカデミーで炭素菌のですね、弱毒方法について発表をしておりますが、
それはですね、炭素菌を42度から43度の環境下でですね、酸素に触れさせ続けることで次第に毒性を弱めていくという風な方法を説明しておりました。
ところがですね、実際にプイルルフォールで行われたワクチン、使われたワクチンですね、これはですね、酸素法で作られたものでなかったということがわかっております。
そんなことある?
これですね、歴史家のですね、ジェラルド・ガイソンという方がですね、パススルーの実験ノートを詳しく調べたんですけれども、
公表の裏側でですね、自分がですね、パススルー自身がですね、作った酸素法での小規模な予備実験では、実はなかなか安定した結果が出せずにいたみたいなんですね。
で、一方ですね、シャルル・シャベランというですね、彼のパススルーの弟子ですね、
ライバルというか先に成功してた人がいるよというのをちょっと紹介しましたけれども、そのライバルの父さんというですね、研究者が使っていたですね、
薬品による弱毒化法をですね、ヒントに、独自にですね、ジュークロム酸カリウムという薬品を使う方法を試してまして、
こちらはですね、チンとした結果を出していたということで、要はライバルの父さんのですね、やり方をパクってたんですね。
で、パススルーはですね、このプールルフォールでの血糖公開実験にですね、署名するわずか2日前に酸素法と、それからですね、この薬品を使う方法とを比較する実験を行いまして、
で、もう酸素法は無理やということで、シャベランが仕上げたこのジュークロム酸カリウムを使うワクチンを使おうというふうに決めます。
ただこれはですね、あの、トゥーさんがですね、先に発表しているやり方なので、それとは違うということで、俺たちは酸素法でやってるんだっていうことを強く主張してたのかなというふうな形になります。
嘘つきのAかっこしいじゃん。
嘘つきのAかっこしいなんですよね。
だから、本来ならトゥーさんが客を浴びるべき実験だったんだけど、パススルーが公開実験を呼びかけられて受けて、
で、いい結果出して、先に発見したトゥーさんは忘れられた存在になったと。
そもそも有名じゃない人だしね。
ということで、なんじゃそれっていうような話なんですけれども、
これがですね、パススルーがさらにスターに駆け上がっていく中でですね、やってたこととなります。
隠ぺいですね。
隠ぺいですね、本当に。
パスツールの功績と今後の展望
ちょっとですね、パススルー、ただすごいんだよっていうことは一言言っておきたいのは、
ニワトリコレラの件ですけれども、
ニワトリコレラでですね、世界で初めて病原体となる菌を弱らせたものを使ってワクチンっていうのを作れるんだよということを証明した方なんですね。
これはなかなかすごかったなと。
その考えがなかったトゥーさんはですね、薬品を使って炭素菌を弱らせようということは思いつかなかったというか、
最終的にはたどり着いたかもしれないけれども、すぐにはたどり着かなかっただろうと思われますので。
なので、そういうアイデアを作ったというところではすごかったのかなと思いますが、
パススルーはニワトリコレラワクチンの発見者ではあるけれども、炭素病のワクチンの発見者ではないよねっていうことが今ではわかっておりますよということになります。
ということでですね、一つはすごくて、一つはパクリじゃんというような話なんですけど、そのパクリからスターダムにのし上がっていくということで、
次回ですね、パススルーはついに人の病気に立ち向かうということになります。
それはですね、かまれればですね、狂犬病にかかった動物にかまれればですね、まず助からないとされていた病気ですね、狂犬病に立ち向かうということになります。
ということで今回はここまでにしたいと思います。
ありがとうございました。
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