不妊治療の先駆者の3人、ロバート・G・エドワーズ博士、パトリック・ステプトー先生、ジーン・パーディは、1968年に共同研究者としてチームになり早速、シャーレ上での受精実験が始まります。
ヒトの卵子と精子がシャーレの上で出会ってもヒトの精子は卵子の周りを泳ぐだけで、受精は始まりません。この時に必要な要素は精子にやる気を起こさせる要素は何だったのか。彼らは見事にその解明に成功して世界で初めてのヒト受精卵は作られました。
しかし、それは受精の成功という第一歩に過ぎませんでした。ここから卵子をシャーレの中でどう育てれば良いのか。ジーンは様々な試行錯誤を繰り返し卵子に最適な成長の条件を見つけ出して行きます。
次から次へと訪れるハードルをどう乗り越えていくのか。3人の研究者チームの活躍をお楽しみ下さい。
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感想
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00:22
ようこそ、生命科学の冒険者へ!
プレゼンターのあきです。
アシスタントのとみーです。
前回は、対外受精のノーベル賞を取った人たちのお話の一番最初の部分で、
3人のそれぞれの経歴を紹介ということですね。
看護師で実験助手のジーンと、生殖医療の研究者のボブと、
副区教の第一人者で産婦人会のステプト先生の経歴をお話ししたところまででした。
これから3人が出会って、チームになって、ドラマが始まるというところで。
続きをお願いします。
ありがとうございます。
この3人が出会って、それでいよいよ対外受精に挑んでいくということになりますけれども、
まず、1968年ですね、エドワード・ボブですね。
主に研究を担当するボブなんですけれども、
人の卵子の成熟のタイミングを突き止めつつあったんですけれども、
この研究を次の段階、実際に人の卵子を使って受精と培養をできるようにするということを進める。
そのために、腕のいい実験助手というのを探していたんですね。
この時、求めるレベルというのはなかなか高いレベルで、
まず、顕微強化で繊細な操作ができる人と、
それから、おそらく不妊の女性から卵子を提供していただくことになりますので、
患者さんのケアもできるような、そういった人物を求めていました。
なかなかいないですね。
あと、彼の研究というのは、イギリスの当時の社会の中で、まだまだキリスト教の影響が強いというところで、
命を作るというような作業という形になりますので、
神が人を作ったというところが、彼らの社会では、キリスト教の世界では強く信じられていますので、
人が人を作るというような形で、それが神への挑戦だというふうな形で、
冷ややかな目で見られていたというところもあって、
そこに挑戦するというか、一緒にやってくれるという、人材を確保するというのはなかなか大変だったそうです。
03:04
そんな中、当時23歳のジーンパーティーが応募してきてくれたということで、
彼女は当時、地元のケンブリッジ病院で看護師として働いていましたけれども、
生命のメカニズムそのものを解明したいというような、強い知的好奇心を抱えていたそうなんですね。
ボブ自身が彼女との面接を振り返って、
彼女は知性と状況を即座に把握する能力に圧倒されたというふうに語っています。
本当に賢い女性だなというふうに思われたんだと思いますね。
2人がこの方だというふうに思ったみたいで、
即座に不妊という苦しみを解決したいというふうな形で、目的が完全に一致したというふうにボブは感じたみたいですね。
ボブは彼女を採用した直後から、単なる実験をしてくれる部下という役割ではなくて、
対等な共同研究者というような位置づけとして扱い始めたそうです。
その後のにもう一人加わってくるのがステプト先生になりますけれども、
こちらは1968年ですね。
やはり同じ年に出会っております。
ボブはジンパーティーを助手として採用した直後に、
自分の研究を実際に続けていくためには、
臨床医の協力が必要だというふうに考えていました。
かつお腹を切らずに卵子を取り出せるような高度な技術を持つ外科医が必要だというふうに考えていたというところで、
腹空胸を取り扱って手術をされているステプト先生というのに目をつけます。
ステプト先生は結構共同研究に乗り切りになってくれたみたいで、
ステプト先生自身も不妊症に悩む患者さんたちをたくさん知っていましたので、
卵子なら多分私の患者さんたちに話せば提供してくれるよということで、
直後の患者さんから取り出した卵子を実験材料としてボブとジーンに渡すということができると思うよというような形で、
この3人がチームとして研究をスタートするということになります。
腹空胸が2026年の今となってはめちゃくちゃメジャーな技術じゃないですか。
それの第一人者が三風神会なのもなかなか面白いなって。
たぶん他の分野、映画ジョイの中ではドイツで開発された腹空胸手術がステプト先生が言っているシーンがあったので、
06:18
ドイツなんかでは他の手術なんかにも使ったりとか、もしくは診察に使ったりとかもしていたのかなと思いますけれども、
イギリスでは彼が第一人者だったみたいですね。
どういう経緯で彼がそれを知ってそこを取り扱うようになったのかちょっとそこまで調べてないですけど、
なんか面白いなと思ったのは、今だと光ファイバーがありますので、
腹空胸で穴を開けて内部を覗くのは光ファイバーの先にカメラをつけてですね、
中の画像を見るっていうことが可能かなと思うんですけれども、
当時はそういったことができないんですよね。
かつ体内はもちろんちょっとだけの穴だったら真っ暗なので、
鏡の反射を使って光を届けてみるんだというように語ってましたけれども、
だから直線的なところでしか物は見れなかったと思うんですけれども、
今だと光ファイバーで曲がりくねった先を見ることができますけれども、
直線的にしか見れなかったにしろちょっとだけ切って中を見ることができるという、
すごい画期的なものだったんだなと思いますね。
それを使っていろいろ婦人病の子宮とか卵巣なんかを手術したりとか診察したりとかされてたということで、
そのあたりを発表もされてたんでしょうから、
それでボブがこの先生だというふうに目をつけられたのかなと思います。
そうか。想像でしかないけど、逆に直線的にしか見れないからこそ、
お腹の中の上の方の器官の専門家、胃とかね。
十二指腸とかだとだいぶ上の方だから、
女性の生殖器、卵巣とか子宮とかって結構下の方じゃん。骨盤に近い。
だから短い距離でその腹空胸の技術が当時の技術が活かしやすいのが産婦人化だったのかもしれないなって。
場所が確かにそうかもしれないね。
今ちょっと聞いてて思いました。これはただの想像です。
そうかもしれないですね。
ちょっとすいません。腹空胸の歴史まで調べてなかったんで。
私がそこに興味を持つと思わない。
どこに質問飛んでくるかわかんないからね。
全部調べるのちょっと無理なの。
09:00
すいません。
3人が出会って数ヶ月で最初の成果が出るということになります。
1969年の2月14日、世界で初めてヒト卵子の受精卵の作成に成功しまして、
科学雑誌ネイチャーってなかなか研究者の人たち、ネイチャーに論文載せたいって言ってですね。
権威を感じる。
ネイチャーとかサイエンスとかですね。
あとセルとかっていうような雑誌あるんですけれども、そういった雑誌に載せたいって言ってですね。
載せるような雑誌に早速2月14日の成功をですね、発表いたします。
この成功の鍵はですね、エドワーズの研究室の大学院生だったバリー・バビスターという方がですね、
ハムスターの受精を成功させるために開発したバビスター液というですね、特別な培養液にあったという形になります。
僕はですね、1960年代初頭からですね、ヒトの体外受精を試みてたんですけれども、
僕自身はその前にはですね、マウスで成功してたので、
マウスで成功してた方法は人でも通用するはずだという思い込みがあったんですね。
ただですね、ヒトの卵子にヒトの精子をふりかけてもですね、精子は卵子の周りをですね、泳ぐだけで卵子に向かっていかなかったみたいなんですね。
という問題がありました。
前段階としてですね、ちゃんの実験というのがありまして、ちゃんさんという方ですね、1951年ですね、アメリカで研究していたこのMCちゃんさんなんですけれども、
ウサギを使ってですね、非常に面白い実験をされています。
排卵直後のですね、メスウサギの卵管に精液から取り出したばかりの新鮮な精子を注入すると。
もう一つですね、対象実験として、別のメスウサギに数時間前に別の個体の卵管の中に入れておいた滞在済みの精子を注入すると。
結果としてはですね、滞在済みの精子を注入した場合はすぐに受精が起こるけれども、新鮮な精子を注入した場合は受精までに数時間のタイムラグが発生したということがわかっていました。
この実験からわかってくる結論としては、精子はメスの生殖器の中で子宮とか卵管とかの中で一定時間過ごさないと受精することができないんじゃないかということが成り立ちます。
もう一つですね、オースティンという方もですね、これもネズミを使ってまた別の実験をしております。
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オーストラリアのオーストンは、ネズミというかラットを使って受精過程を顕微鏡で詳細に観察をするということをいたします。
そうするとですね、精子が卵子の周りに到達してから、実際に卵子の中に突き進んでいくまでに必ず数時間の待機時間があるということに彼も気づきます。
オースティンはですね、この1952年の論文で、精子が受精能力を得るプロセスというのがどうもあるということで、それをキャパシテーション、受精の獲得というような名前を付けます。
この発見によってですね、精子と卵子が合体するためには、どうも子宮のような環境というのがどうも必要なんじゃないかと。
今となってはもうこれ分かっているんですけれども、精子の頭部はですね、精液に含まれるタンパク質の膜でガードされているような状態になってまして、
これがですね、最初から激しく暴れすぎないようにするため、エネルギーを使い果たさないようにするためのストッパーの役割をしているということは今となっては分かるんですけれども、
この膜がですね、メスの体内に入ると剥がれ落ちて、膜が剥がれ落ちるとですね、精子の尻尾が激しく動くと。
それでアクチュベーションというんですけど、ハイパーアクチュベーションというんですけれども、それで卵子の厚い殻を突き破るためのパワーを得るというようなことが今となっては分かっています。
ボブ自身もですね、以前のオースティンとかですね、チャンの実験を当然知っていましたので、このキャパシテーションを人間の精子で起こさせる必要があるということは分かっていました。
ただ、人の精子でですね、どのようにしてこの状態にすればいいのかというのが分かっていませんでした。
でですね、ボブ自身はさすがにですね、他の方の室内に精子を入れておいて、それを再度回収するというようなことを人でやるのはなかなか難しいので。
さっきのウサギの、Aのウサギに入れといた精子をBのウサギに移すみたいなことが人ではちょっとさすがにできないという話ですね。
そうですね。しかもですね、このウサギでやった時には解剖してやってますんで。
そうか。
なので、一匹のウサギはその後ちゃんと塗ってあげれば生きるのかもしれないですけど、命の危険が起こると。
精子を元気づけるためにですね、一人の女性を手術するというのはなかなかリスキーなことに。
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ちょっと人道的に難しそうですね。
なので、ボブ自身はですね、例えばプラスチックのケースの中に精子を閉じ込めて、女性の室内に置いてもらうとかですね、そういったことをやってみたりとかしたみたいなんですけれども、全然うまくいかなかったと。
シンプルに時間を置いてみたってこと?
そうですね。なんですけれども、ちょっとうまいこといかなかったなというところで。
それでですね、ボブの研究室に来てたバビスターという方なんですけれども、大学院生の方ですね。
ボブの研究室に入る前ですね、ハムスターの体外受精を研究してたんですけれども、その時にですね、彼はあることに気づいてました。
培養液のですね、pHですね、酸性とかアルカリ性とかを測る指標になりますけれども、pH1から14まであるのかな、確か。0から14だったかな。
pHが低いと酸性で、pHが高いとアルカリ性というような形になりますけれども、
若干アルカリ性ですね、pH7が中性になりますけれども、pH7.5とか7.6の状態にした培養液の中に精子を入れてやると、狂ったように激しく泳ぎ始めると。
これはハムスターの実験ですね。
その後ですね、卵子の殻を突き破る確率が劇的に上がるということが分かってました。
バビスターはですね、ハムスターでのその実験経験から、彼の培養液ですね、バビスター液と彼らは呼んでいましたけれども、そこにですね、人の精子を泳がせてみてはどうかというふうに提案します。
そうするとですね、顕微強化でですね、ハイパーアクチュベーションが起こりまして、精子の微部が大きく強くですね、動いてですね、それまでとは明らかに違うですね、攻撃的な泳ぎ方に変わったということです。
ハムスターの精子で起きたことが、人の精子でも起きたということですね。
おそらく人の精子もこのキャパシテーションですね、受精能を獲得したのではないかというふうに彼らは考えます。
そして1969年2月14日、バレンタインデーの日ですね、まず卵子ですね。
ボブはですね、長年の研究で、人の卵子が体外でですね、受精可能な状態になるには、培養開始から36時間から37時間必要であるということを以前、突き止めていました。
なので手術で得られた卵巣組織からですね、取り出した未成熟な卵子を、まず36時間以上培養してですね、受精ができる準備というのを整えます。
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これは以前ですね、3人が出会う前、ボブがアメリカにまで行ってですね、卵巣を手に入れて、36時間というのを見つけてましたよという話をしましたけれども、それを応用したというか、使ったということですね。
これで卵巣の魔法を準備します。そしてですね、精子のキャパシテーションですね。バビスター溶液のPH7.6から7.8というですね、ちょっと高めのアルカリ性の溶液の中にですね、弱アルカリ性の溶液の中に人の精子を数時間泳がせて、人工的に活性化させます。
それをですね、ジーンパーティーはですね、卵子と精子を出会わせて、顕微鏡観察をするということをしましたところ、精子がですね、見事卵子の透明体を突き破って受精して、2つの全角ですね、精子と卵子の角が卵子の中で確認。
これが並んでですね、1つに融合してから分裂が始まっていくんですけれども、その2つに並んでいる様子を確認できたということで、これがですね、人ではシャーレの上でですね、受精させるということが初めてできたということで、姉ちゃんにこの件を報告して論文化したということになります。
でですね、ちなみになんですけれども、この論文にはですね、ジーンの名前がないんですね。
著者としてはですね、まず、エドワードですね、ボブですね、それからステプト先生、そしてこの培養液を使ったバビスタ、作ったですね、バビスタの3人の名前が記されています。
1960年代のですね、イギリスの科学界、世界的にそうだったのかなと思うんですけれども、論文の著者っていうのはですね、博士号、PhDを持つ研究者か医者、MDであるべきだというですね、非常に厳しいヒエラルキーがあったみたいなんですね。
ジーンはですね、看護師としてチームに加わっていて、また肩書上はですね、テクニシャン、実験助手というような立場でしたので、当時の監修ではですね、どれほど重要な実験を行ってですね、データを記録しても学位のないスタッフということで、
シャジのところに名前が出ることがあっても、連名著者になるということはほとんどなかったみたいなんですね。リーダーであるボブもですね、当時はですね、まだこの監修に縛られていましたので、彼はですね、
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ジーンの名前を記念すべき3人、最初にやった仕事ですね、プラサルファ・バビスターさんも入ってますけれども、仕事として捉えずにですね、彼女の名前は残念ながら載せなかったということになります。
これはジーンに限ったことではなくてですね、有名なDNAの構造解析をしたですね、ワトソン・クリックにもう一人発見者には重要な人がロザリンド・フランクリンというようなですね、重要な女性がいたんですけれども、この女性も科学界の中では意図的に無視をされてましたので、
こういった隠れた、円の下の力持ち的にやっていただいたのに名前が残ってないという方はですね、世の中結構いるんじゃないかなというふうには思います。
これは悲しい科学史の一つの一面なのかなと。
またその話しだすと長いからね。
なので、この辺にします。
これでですね、初めて3人が出会ってからですね、いきなり上げた成果ということになります。
さらにですね、次の年にはですね、肺がん法の作成にまで成功するようになります。
卵子はですね、5日間かけて体細胞分裂を繰り返して、100細胞ぐらいまでですね、分裂していって肺がん法と呼ばれる形になります。
100細胞ぐらいに分裂してですね、真ん中が空洞になったような形になります。
透明体をですね、ハッチングって言うんですけれども、透明体の殻を割ってですね、外に飛び出すというような形で、
人間の受精卵をですね、鳥の卵みたいにですね、殻を割って外に出るということをするんですが、
そのような状態の時のことを肺がん法って言います。
これがですね、卵子が母体内で卵管の中を5日間かけてですね、泳いで、
卵子自身が泳ぐわけじゃなくて、卵管の中で運ばれていくんですけれども、
肺がん法の形になったところで、ちょうど子宮あたりに到着していて、そこで着症するという形で妊娠が成立するというところですね。
なので、シャーレの中で肺がん法まで行くことができると、子宮に戻すのにちょうどいい状態になっているというところで、
シャーレの中で肺がん法までできるというのは非常に重要なことと考えられていました。
1969年のバレンタインデーの成功の時には、肺はですね、受精はしたんだけれども、なかなかそこから細胞分裂をしていって、
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肺がん法までというのは成長できなかったんですね。
だいたい8分割ぐらいまで行くと、もう死んでしまうと、卵子が死んでしまうというような状態を繰り返していました。
ここを突破するにはどうすればいいんだろうというふうに考えてですね、
僕はですね、8分割以上になるためにはですね、より栄養が豊富なですね、
培地が必要なんじゃないかというふうな形で、栄養が非常にリッチなですね、培養液に切り替えるということをします。
ちょっと話挟んでもいいですか。
私と秋さん、顕微受精で不妊治療しましたという話を過去回でしてるんですけど、
それで受精卵作って肺がん法まで行くのをタイムラプスで観察するという医療をしたじゃない。
秋さんは受診で先生と一緒に行けてないことがあるから、私はタイムラプスの動画とか見せてもらったんだよね。
ちょっと正確な数は覚えてないんだけど、たぶん19個ぐらい受精して、肺がん法まで行ったのは6個だったんだよ。
やっぱり8分割までは行ったけど、その後、細胞分裂の大きさが均等じゃなくなっちゃったりとか、
3分の1しか残ってない、19分の6ぐらいだったはずなのね。
だから、2025年の医療でも温度管理とか、タイムラプスだからいちいち出してない。
シャーレに出してとかじゃなくて、箱の中で完結してるものでもそれぐらい成功率が低いというか、
難易度の高い難しいことを60年ぐらい前にやってたの、やべえって今思ってる。
本当ね、ここから先ちょっと話すんだけど、今は本当にいい時代になったというか、
ジーンが本当にここはめちゃめちゃ頑張ってて、
培養器は、要は子宮の中の体内環境を模したものになるので、
体内に模した温度環境とか、あとPHだとかの管理され尽くしてる状態なわけなんだけども、
もちろん卵子が必要な栄養っていうのももちろん豊富にあるというような状態なんで、
その環境を模したシャーレを置いといたら温度もしっかり管理してくれてるし、
PHのほうの管理もしっかりしてくれてると。
かつ、ちゃんとうまいことを分割していくのかどうかまで動画で撮れるというような、
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そういう世界に今なってるんだけれども、
この時代は当然それが全然ないわけだから、
温度管理をするにしても、PHを調整するにしても、
本当ジーンがめちゃめちゃ頑張るんですよね。
超手動だもんね。
全部手動で、
温めすぎないようにとかさ、
冷やしすぎないようにとか、
母体から取り出した卵子に少しでもダメージを与えたくないし、
光を当てたくないから、
ジーンは手を温めて、
取り出したぞっていうふうになると、
シャーリーに入れたやつを手で温めながら実験室まで、
温度が変わらないようにね。
顕微鏡に乗せてみて戻すまでの間に、
ダメージを受けないようにっていうので、
そういった努力なんかもしてたそうですね。
そうだよね。
8分割以上までなかなかいかないっていうところで、
僕たちはまず栄養リッチな培養液に切り替えると。
プラスアルファで人の血性を入れてみようということで、
人の血液成分を培地に加えることによって、
卵子が育っていくために必要なんだけど、
我々が、人間が分かってない栄養分みたいなのもそこにあるだろうから、
それをもう供給しようというような形で、
それも混ぜ込みます。
これが結構うまくいくということになります。
あと、血性を混ぜてやると、今から考えるとなんですけれども、
プラスチックのシャーレをこの当時、もうすでに使ってたんだけれども、
プラスチックシャーレは使い捨てができる代わりに、
割とタンパク質を吸着させてしまうっていう問題もあって、
そうすると卵子を中に入れてやると、
卵子のタンパク質がシャーレにペタッと張り付いてしまって、
卵子自身が物理的に傷つくということが起こるんだけれども、
人の血性を加えてやることによって、血性の中にもタンパク質が豊富なので、
それでシャーレがコーティングされるような状態になって、
卵子が吸着したりとか傷つくということも起こりにくくなったということが言われています。
そのおかげで、ハチ分割からさらに先に進むということになるんだけれども、
他にいっぱい成功の要因があるんだけれども、
あとはもう人員の頑張りという形で、
まず最初、もう一つの成功の、廃盤法の作成まで成功する過程として、
一つ重要なのが、ステプト先生が空腔手術で卵子を回収する際に、
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もうこれ、排卵直前の卵子を取ろうというふうに決めます。
で、排卵直前のために、
もう一番お腹の中で育ちきったものをステプト先生は神の目というか、
彼の素晴らしい目でもって、それを観察してこれだというところのタイミングで、
上手に副空腔手術で回収をします。
で、人員はですね、培養環境が変わるのを防ぐためにですね、
分単位でシャレが置いてある培養室のですね、
二酸化の炭素濃度を調整してやるということをするんですね。
二酸化の炭素を高温層の培養機の中に二酸化炭素を満たしてやると、
CO2が培地の中に溶け込みます。
そうすることによって酸性に変わるというところがあって、
そのおかげでpHを調整してやることがアルカリ性に行き過ぎないように、
ちょっと酸性に戻してやるみたいなことを調整してやることができて、
それを人員はpHが0.1変わる度にCO2濃度を調整したというふうに言われています。
pH計ももちろん培地の中につけっぱなしにできないから、
どういうふうにモニターをしていたのかというと、
培地の中にはフェノールレッドというリトマス試験紙みたいな色が変わる成分を入れてあります。
それがpHが7.5とか6とかのときのフェノールレッドの色っていうのを
常に横に同じpHが7.6とか5のときのフェノールレッドを置いておいて、
その色と見比べて、
これちょっと色が変わっているから、pHが変わっているのでCO2のバルブを開けて調整するということをしていたそうです。
今話を聞く限り寝る時間がないんですけど。
もう全然寝てなかったみたいですね、本当に。
2,3時間ごとぐらいにチェックしていたみたいです。
リフ層のpHが7.4というときだとフェノールレッドというのはきれいなオレンジ色なんだけれども、
酸性に傾くと黄色っぽくなって、アルカリ性に傾くと紫とかピンクっぽくなるというような形なんだけれど、
これ今の培地も当たり前にフェノールレッドって入っているんだけど、
正直0.1ずれたぐらいでそんなに色変わるかなっていうのがオレの感想なんだけど、
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よくだからそこのわずかな色の差を見てたなっていう。
ジーンは神の目というか、すごいなっていう。
ただただ昔実験していた人間としては驚愕っていう感じですね。
これが成功したのが1970年の9月だったのですけれども、
それで廃盤法の作成に成功したというところで、
Natureに論文を発表しますよという形になります。
今日は対外で廃盤法を作るところまで成功したよというところまでお話をさせていただきました。
これからもまだまだパンパンと1年2年で受精卵の作成に成功して、
廃盤法の作成にまで成功したというような形なんですけれども、
ここからなかなか大変な道のりが待っておりますというところで、
今日はこの辺にしたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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