1. 生命科学の冒険者
  2. 064.科学の力で命を紡ぐ~体外..
064.科学の力で命を紡ぐ~体外受精と3人の冒険者たち~
2026-03-02 42:44

064.科学の力で命を紡ぐ~体外受精と3人の冒険者たち~

現代では一般的となった体外受精ですが、その誕生の裏には「神への冒涜」とまで叩かれた科学者たちの壮絶な闘いがありました。

2010年にノーベル賞を受賞したロバート・G・エドワーズ博士、腹腔鏡技術の先駆者 パトリック・ステプトー先生、そしてチームの要であった看護師ジーン・パーディ。イギリスの厳格な階級社会や宗教的障壁を乗り越え、いかにして人類初の成功を掴み取ったのか。Netflix映画「JOY」の内容を交えつつ、命の起源に挑んだ3人の情熱と、交差する人生のドラマを紐解いていきます。

— 読む「生命科学の冒険者」 —
放送内容のまとめや文字起こしなど。メンバーシップ準備中です!
https://note.com/lifesciquest

— 各種SNS —
X : @LifeSciQuest
https://x.com/LifeSciQuest https://www.instagram.com/aki_life_sci_quest/

YouTube : あそぶかがく
https://www.youtube.com/@%E3%81%82%E3%81%9D%E3%81%B6%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%81%8F/videos

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:06
生命科学の冒険者。
ようこそ、生命科学の冒険者へ。
プレゼンターのあきです。
アシスタントのとみーです。
はい、えーとですね、前回、前々回の2回で、私たちが取り組んだ不妊治療について、科学的な知識と我々との経験をですね、織り混ぜてお話しさせていただきました。
はい、めちゃくちゃ、なんだろう、セキュララにお話をしたので、ここまで喋ってよかったんだろうかみたいな気持ちもややあるんですが、改めてになるんですけど、ちょっとお伝えしたいのでもう一度お話します。
不妊治療とか妊活って、取り組んでることを人に言わない人も多いし、職場とかだと特にだし、友人にも言わないとか、隠しておいてる方ってすごく多いと思うんです。
そうですね。
で、それってやっぱり命を扱うことでセンシティブなテーマというかデリケートなテーマでもあるし、やっぱり必ずうまくいくことでもないから、うまくいかなかったんだねみたいな、同情を集めたくないみたいな気持ちもあるのかなと思うんですよね。
で、前回前々回でお話したことで、やっぱり成績自体は良くなっているし、技術も上がっているので、30年前に不妊と言われていた方々も多くは今の技術であれば妊娠が可能になっているし、10年後20年後はさらに、なんだろう、
それこそ女性の年齢すら妊娠できないっていう終わりにならない可能性もあると思うんですよね。
ただそうは言っても100%の結果が出るものではないっていうことと、妊娠したいって思い詰めてしまって、心を病んでしまう人の中にはいらっしゃると思うんですよ。
10年取り組んで何回も再乱して何回も胎外受精したけどできなかったっていう方もいるし、不妊治療とか例えばタイミング療法でセックスのタイミングをとってとか、そういうことをする中で夫婦仲が悪くなってしまって離婚してしまう方も中にはやっぱりいらっしゃいます。
なので子どもが欲しいんだったらみんな不妊治療しなよみたいな、押しつけることをしたいわけでは全くないです。私たちは。
03:05
ただ聞いた話とかなんとなく噂でこうらしいよみたいな信憑性のないものに惑わされて本当に望んでいたことを取り逃すことは避けてほしいなと思うので、きちんと知識をつけて学んでカップルなりお一人で産みたいという方もいらっしゃると思うんですけど、
それぞれの選択をしていただきたい。幸せになるための選択をしていただきたいなと思います。
そうですね。実際自分たちが不妊治療やってるっていうのをポップにというか、僕はあんまり隠すつもりがなくて会社の中でも言ってましたし、周りの友達にも言ったりとかもしてましたけれども、そうすると意外と実はうちもやってんだよねとか、そんな話もすごく多くて、
意外と仲間って近くにいるけどお互いに言わないとわかんないっていうのもあったりとかするので、ぜひそこは別に絶対明らかにしろって意味はないです。
言いふらせってことでもないんだけど、自分に負担にならないように取り組めるといい。そういう社会になるといいなと思う。
それはすごく思いますね。
私自身で言うと、あきさんも会社でちょっと子供が欲しくてみたいな、それで例えば絶対に夫婦で受診しなきゃいけない時にちょっと会社の方に調整していただいたりもしたし、私も結構SNSで認括してますっていう発信をしてて、
それも心で一人でとどめてしまうともやもやと悩んでしまう部分があるので、
なんかたまっちゃうもんね。
だから明るく認括しようと思って、友達にも話すし、なんかちょっと気持ちがもやもやするとかになったら、あきさんに相談したり、友達に話したり、美味しいもの食べに行ったりとかしていたっていうのと、
あと期間も決めてたんですよ。終わりがないものって私すごい辛いので、私の場合は一回再乱して、そこで取れた卵で受精卵を作って、その配板法の、受精卵と配板法のできた数だけ頑張ろうって決めてて、
それが1個目の条件で、もう1個は1年間は頑張ろうみたいなのもあったの。なんかその1年間、配板法がいっぱいできたら1年間より伸びるかもしれないけど、配板法が例えばできなくても1年以内だったらもう1回再乱頑張ってもいいかなみたいな感じでは思ってて、
06:09
ただそれがうまくいかなかったら、諦めようというか、一旦もう一度子供を望むかどうかを考えるところからもう1回始めようかなみたいなふうに思って取り組んで、結局幸いなことに今妊娠できているので、その期間内にできたのではあるんだけどね。
で、その出口を決めておくっていうのも良かったかなと思う。
うん、そうね。出口を決めておいて、でもできなかったらね、また別の選択肢をもう1回頑張ろうかなっていうことにもなるかもしれないけども、一応そこまでなんとなく決めておくっていうのは、なんか気持ちの上でも楽なのかもというか、いいのかもしれないなと思うよね。
それを秋さんにも私言ってた気がするんだよね。この取れた卵の分は頑張るつもりだけど、その後はちょっと頑張れるかわかんないみたいな、言ってた気がする。
やっぱりどうしても体は辛いので、体が辛いと心も辛くなっちゃうので、それを目的達成のためにどこまで頑張るかを先に決めておくのは1個いいチップスかなと思います。
パートナーがやっぱり気がめいってるとか体調が悪そうだと、やっぱりこっちにも男性側もやっぱり影響するというか、それが映ってきてこっちがイライラしちゃったりとかもあるし、支えきれないとかっていうのも出てくるんで、そこは本当にお互いのコミュニケーションをしっかりして、無理しない程度に頑張るみたいな、
なかなか言葉は難しいんだけど。
そう、なんか不妊治療をすることで、より夫婦仲なりカップル感なりが良くなる方向だといいね。
で、そのためにはやっぱりどこを出口とするのかっていう線引きのためにも知識をつけてほしいなとは思います。
今回お話しした内容は、結構不妊治療してるってSNSで書いたら、友達からどういう方法でやってるのって声をかけてもらったりとか、私もやってるんだよねって、でもちょっと違うっぽいねとか、あと人工受精をやってるんだよねとか、いろんな人がいて、
そういう人たちに、私たちはこうだったよっていうのを届けたいなと思って、ポッドキャストとして配信したっていうのもあるので、もちろん私が存じ上げない方も聞いてくださってるはずなので、皆さんの人生が少しでも幸せになるためのお手伝いができたら嬉しいなと思って、だいぶ個人的な話をテンパに載せてみました。
09:20
はい。というところで、我々の体験と人工受精とか、体外受精とかの知識について前々回とお話しさせていただきましたよというところで、このお話がオンラインに載るのが3月2日になるというところで、
今しゃべってるこの回はね。
今しゃべってるこの回ですね。
3月になったらですね、先月も参加させていただいた科学系ポッドキャストの日というのが毎月毎月テーマが出てくるというところで、ここに乗っかりたいなとまた思っております。
ありがたいね、こういうのね。
そうですね。でですね、ものづくりのラジオのですね、支部長さんという方がホストで呼びかけてくれておりまして、テーマがですね、人工っていうテーマなんですね。
なので、もうまさに人工の、人の力を使って子づくりをするという。
さっきまで人工受精の話してたね。
人工受精とか体外受精とか。
ちょっと前乗りしてテーマ乗っかってましたね。
乗っかってたっていう感じで。
ちなみに人工って聞くと、人工知能とか他に何があるかな。
人工島、埋め立て地とか、他何か思い浮かぶことあります?
肉。
人工肉ね。なるほど、そのテーマも面白そう。
大豆ミートは大豆だけど、もっと何かこう、何でそれがそうなったみたいな肉も今できてるじゃん。
培養肉って言って、実際ね、筋肉を培地で培養して、肉を作るというような。
動物を殺さないで肉を獲れるというような技術なんかをね、開発してるのもあって、それ培養のテーマで。
それ取り上げてもよかったね、って今思っちゃったんですけども。
そのまんま今回ですね、この支部長さんが呼びかけてくれた人工でですね、
この子作りの手助けをするですね、この胎外受精について引き続きお話をさせていただきたいと思うんですけれども。
この生命科学の冒険者というのはですね、生命科学における画期的なブレイクスルーを成し遂げた
偉大な研究者たちの人生とその背後にあるドラマをお届けするというのを目的としております。
12:04
なので今回はですね、我々も恩恵を預かりました、この胎外受精を開発したのはどなたなのかというお話をさせていただきたいと思います。
2010年ですね、ノーベル医学生理学賞を受賞しました。
2010年時点でですね、85歳だったですね、胎外受精、IVFというふうにも言いますけれども、
パイオニアであるですね、イギリス人の科学者、ロバート・エドワーズ博士ですね、愛称ボブですけれども、
あとですね、ノーベル賞受賞時にはですね、もうすでにお亡くなりになっていて、ノーベル賞を取ることができなかった
イギリス人の外科医、パトリック・ステプト先生、お医者さんですね。
そして同じくですね、亡くなってしまっていたんですけれども、看護師で研究助手としてですね、そのボブの下で活躍したですね、ジーンバーディーさんという方、
ジーンパーティーさんですね、パーディーさんの功績をご紹介したいと思います。
この3人ですね、特にですね、ジーンさんを主人公としたジョイっていう映画があってですね、
興味のある方はですね、ネットフリックスで見ることができるので、ぜひチェックしてみてほしいんですけれども、
ここから先の話ですね、このジョイの内容も含むようなですね、ネタバレを話しますので、
ちょっと嫌な方はですね、先にネットフリックスなどでですね、映画を見てからまた戻ってきていただければなと思います。
あのめちゃくちゃ泣ける映画でした。
そうですね、本当にもう当時のイギリス社会を反映していて、最終的に対外受精が成功して、
それでお子さんが生まれるんですけれども、当時のイギリス社会のなんていうのか、子供を作ると、
人の手で子供を作るっていうのは、キリスト教社会の中でですね、神への冒涜だっていうような考えなんかもあって、
非常にいろいろとそれに対して邪魔されたりとかもして、本当3人の人生がですね、いろいろとこう折り重なって描かれててですね、
ほぼほぼ史実に近いというか、あんまり脚色がないというか、
ノンフィクション映画的なところですので、
こんなことがあったんだなというのがですね、非常にただの科学を知るだけではない深い映画だったなと思います。
ちょっと映画の、これからあきさんが話すであろう内容と関係ないところで言うと、
家のインテリアとか、何かと紅茶飲んでるところとか、移動の電車の中でもティーカップで紅茶飲んでたりとかさ、
15:04
何かとどこでも紅茶飲んでる感じとか、もうすっごいイギリスだなって思いました。
特にとみちゃんはね、イギリス何回か行ってて、イギリス文化がすごい好きなので感じるところはあったのかなと思うんですけど、
僕は残念ながらイギリス行ったことないんですけど、歴史は好きで、常にいろんなところで世界史の中ではイギリスが出てくるんで、
知識だけは知ってるんですけど、本当にイギリスだなっていう。
イギリスだなって、今から言うのはイギリス人の方はぜひ怒らないでほしいんですけど、
ひにくっぽい、京都人じゃないけど、ひにくっぽい言葉のセリフ回しとかもとってもイギリスだなって思ったので、
本当に面白い映画なのでぜひ見てほしいなと思いました。
そうですね、そういった意味でもすごいおすすめの映画になります。
というところでですね、映画の話はこの辺にして内容に入っていきたいと思います。
まず前段として科学史において、受精と受精卵が観察された歴史というのをまず最初にお話をさせていただきたいと思います。
受精現象の発見と観察ということで、そもそも生物がなんで子供が生まれるのかっていうのはずっと当然ながら謎だったんですけれども、
これが顕微鏡が発見されたことによってその部分が観察できるようになりました。
1875年ですね、ドイツの生化学者オスカー・ヘルトビフィという方がですね、
ウニの卵を用いてですね、美味しいウニですけれども、
それの卵を用いて精子と卵子の核が融合する初めての顕微鏡を観察をしたということになります。
これはですね、受精とは単に精子と卵子が接触することではなくて、卵子の中に精子が入っていくと、核と核の融合が起こるということを突き止めたということで、
こういったのを発生学って言うんですけれども、生命が発生するということですね。
それの基礎を築いたということですね。
なぜウニを使ったのかっていうところなんですけど、ウニの卵が透明だったんですね。
なので顕微鏡で非常に観察しやすかったというところがあるようです。
これがですね、1875年だから100年以上前ですね、150年くらい前かな、になるというところですね。
あとですね、哺乳類で観察されたというのがですね、
18:02
1943年ですかね、イギリスのお医者さんのですね、マーティン・バリーさんという方がですね、
ウサギの卵子の中に精子が侵入している様子っていうのを初めて、哺乳類では報告しております。
彼はですね、その後哺乳類の受精卵がですね、どんどん分割していく、乱割していく様子をですね、観察してまして、
創実肺っていう段階までどういう風に分割が進んでいくのかっていうのを見つけております。
そんな感じでですね、まず発生学というのがスタートしてますよということになります。
いよいよですね、ジョイに登場する3人をちょっとご紹介していきたいなと思うんですけれども。
まずですね、看護師でですね、ジョイの中で主人公として取り扱われているジーン・パーディーさんですね。
彼女はですね、1945年の4月の25日にですね、イギリスのケンブリッジで生まれていらっしゃいます。
この年っていうのはですね、ヨーロッパ戦線が終わった年になります。
第二次世界大戦でドイツとイギリス、フランスなんかが戦ってましたけれども、この戦線が終わりましたよという年にちょうど生まれになっているということですね。
この年ですね、イギリスの雰囲気を言うとですね、戦争が終わったばかりというところで、
空襲でですね、町はがれきの山だらけという感じで、食料も排給制という厳しい状況でした。
当時ですね、社会主義というか、社会福祉を非常に大事にしようというような、そういう流れがありまして、
揺りかごから墓場までとかってね、よく北欧なんかでは言われますけれども、そういった動きがですね、イギリスの方でも起こってたという形になります。
その年のですね、総選挙、戦後の総選挙でですね、労働党側が圧勝してですね、国民保険サービスにつながるような福祉国家の建設をしようというようなイギリスの中で動きがあったというところですね。
あとですね、科学への期待っていうのも非常に活発になってきたところです。
先日にですね、レーダーとか、あとペニシリンですね、なんかで、いろいろと科学発達があったというところからですね、
科学技術こそが国を豊かにするというようなですね、そういうポジティブなムードっていうのがあって、
科学が非常に後押しされた時代の始まりだったのかなというところです。
21:04
そういうですね、科学をしっかりやろうというところからですね、バトラー法っていうですね、法律が施行されまして、
これはですね、当時の、それまでのイギリスっていうのはですね、いわゆる貴族社会というか、
高等教育を受けれるのは、いい家の子っていうような非常に階級があったんですね。
それをですね、労働者の子供であっても、きちんと教育を受け入れるべきだというようなことで、
11プラスっていうですね、そういう制度が始まります。
11歳の時にですね、試験を受けて、それによって進学先が決まるという仕組みですね。
ジーンはここで非常に優秀だったみたいでですね、地元ケンブリッジのですね、新学校であるケンブリッジ社女子高校というところに進むという形になります。
あとですね、ジーンのお父さんなんですけれども、ジーンがですね、科学の道に進むっていうところで、おそらく一つ後押しがあったのかなっていうのは、
ジーンのお父さんはですね、ケンブリッジ大学の有名なキャベンディッシュ研究所っていう、
ここはですね、DNAの二重螺旋構造を見つけた研究所になるんですけれども、
ここでテクニシャンとして、実験補助員として働いてたっていうのもあるのかなというところですね。
で、彼女はですね、看護師の道をその後選んでいくんですけれども、
当時の女性にとってですね、最も一般的で尊敬された専門職の一つとして看護師というのがありまして、
彼女はその道に進んでいきます。
彼女はですね、すごく賢くて知的好奇心が旺盛だったためにですね、
看護資格を取った後ですね、心臓移植などですね、最先端の研究をするような
ハプワース病院っていうところで、最先端のものを求めてたんだと思うんですけれども、
そういったところで働いてたようです。
1968年、23歳の時にですね、ケンブリッジ大学の生理学研究所で、
後にもう一人の主人公ですね、ロバート・エドワーズの研究者としてのですね、
研究補助員ですね、いわゆるテクニシャンという枠で彼女は採用されます。
看護師からですね、実験補助員にここで転身されたという形ですね。
これは史実なのかなと思っていろいろ調べてみたんですけど、
24:01
確証を得られなかったんですけれども、映画のジョイっていう映画の中ではですね、
子宮内膜症を患っていて子供ができない体調だったんじゃないかと、
体質だったんじゃないかというふうな話が描かれてたんですけれども、
これはですね、ちょっと調べてみたけれども、あまり事実じゃないんじゃないかなと。
ここは脚色なんじゃないかなと思います。
あとですね、次の主人公がですね、ロバート・エドワーズ、通称ボブですね、になります。
ボブはですね、1925年の9月27日のイギリス、リーズというところで生まれてマンチェスターで育った方になります。
彼はですね、人よりだいぶ年上なんですけれども、
第二次世界大戦のために大学に入ってですね、学業を続けるというようなことができなかったんですね。
1944年、19歳でですね、イギリスの陸軍に徴兵されます。
1945年にですね、兵隊に入って1年で戦争は終わるんですけれども、
その後もですね、パレスティスニア、ヨルダン、エジプト、イラクで軍務に就くということになります。
この当時ですね、イギリスは中東地域に権益を持ってたんですけれども、
ここら辺がですね、いろいろと独立で混乱してましたので、
このエリアを支配してたイギリスとしてはですね、この地域に多くの兵力を割かないといけないというところで、
その任務に就いてたということになります。
1948年ですね、23歳ですね、退役して大学に戻るという形で、4年間兵隊に取られてたという形になります。
23歳でですね、除退したエドワードはですね、政府のですね、福音兵支援制度っていうのを利用しまして、
ウエルズ大学、今のですね、バンガー大学というところに入学いたします。
彼はですね、最初ですね、戦後の食糧難の解決に貢献しようと思って、農学を専攻するという形なんですけれども、
農学の授業がですね、期待してたよりも科学的ではないなと、
肥料のやり方とか、どうやったら食糧がたくさん取れるのかとか、そういったような学問だったみたいで、
それよりはですね、生命の仕組みそのものを解明するようなことをやりたいというふうに考えてたようです。
ちょっと農学が期待外れ、彼の中では期待外れだったのかなというところですね。
その時にですね、発生学の授業を受けまして、そこのですね、ロジャース・ブランベル教授という方の講義に感銘を受けて、
27:03
動物学へと転校いたします。
ここでですね、初めて卵子とか精子とか、その発生学ですね、
の肺のですね、赤ちゃんになる前の状態の肺がどういうふうに乱活進めていくのかとか、
そういったところの不思議に魅了されていくということになります。
大学卒業後にですね、彼はですね、さらに専門的な研究を求めて、
エジンバラ大学の動物遺伝学研究所というところに進みまして、
ここでですね、マウスを用いてですね、受精卵を体外で操作する方法とか、
肺卵をコントロールするホルモンの研究なんかを行っていくということになります。
で、ここのちょっと研究内容が面白かったんですけれども、
面白かったっていうのは、何で面白かったかっていうとですね、
まさに体外受精で使ってたホルモンですね、
トミちゃんも注射されたりとか、シップ薬貼ったりとか、
いろいろ頑張ってたと思うんですけれども、
そこで使われてたホルモンっていうのが、この当時からあったんだなっていうのがすごく
驚いたというか、知られてたんだなというところですね。
例えばゴナドトロピンですね、これ精神刺激ホルモンなんですけれども、
これを使ってですね、マウスの卵巣を刺激して、
それで普通よりもですね、多くの卵胞を成長させるという形ですね。
人間の場合だったら通常1個しか出てこない卵子をですね、
1回1個の卵子を多数発生させるために、
このゴナドトロピンっていうのは今でも使われてますけれども、
これをマウスに使ってですね、卵巣を刺激させるということをやってたんですね。
それとかですね、肺卵前に、肺卵の刺激をするためにHCGっていうホルモンを使いますけれども、
これもこの当時使って、やはり同じく使ってたみたいなんですね。
これですね、リコンビダントタンパクっていうふうに、
今ではですね、外で、合成でもないんですけれども、
遺伝子改変した細胞とかを使って、今製造されている、人工的に作っているんですけれども、
それをリコンビダントタンパクっていうんですけれども、
この当時はですね、どうやってこのホルモンを取ってたかっていうとですね、
妊娠した馬の血清からですね、ゴナドトロピンを取ってたみたいなんですね。
で、あとですね、HCGの方は、HCGのHっていうのはヒューマンですけれども、
妊娠した女性のHCGの場合はですね、妊娠した女性の尿から生成して取ってたみたいです。
30:05
このあたりのですね、ホルモンの発見とか歴史とかですね、
この生成のどういうふうに作っているのかなんていうのはですね、
僕が大好きなですね、サイエントークっていう番組が、ポッドキャストがあるんですけれども、
それの237回でホルモンとは何なのかっていうのをですね、
レンさんとエマさんが流してくれてますので、
ぜひそちらも合わせて聞いていただくと面白いかなと思います。
はい。
1955年にですね、ボブはですね、ハクシゴを取得しまして、
そしてですね、この頃からですね、マウスでできることはいつか人でもできるはずだというふうな確信を持ち始めるという形ですね。
彼はこの時点でですね、マウスの体外受精に成功しているという形になります。
はい。
その後ですね、1960年代になりまして、
ロンドンのですね、国立医学研究所とかですね、あとグラスゴー大学っていうところを経て、
てんてんとですね、研究生活しながらいろいろな研究所を渡り歩いていられます。
その時にですね、一つ発見したのが、
人の卵子をですね、外に取り出してから受精可能な状態になるまでだいたいですね、
37時間かかるというですね、この時間のタイミングっていうのを決めてます。
これはですね、非常に重要なデータなんですけれども、
この当時ですね、卵子をですね、彼がどうやって手に入れてたかといいますと、
あのですね、イギリスの医学界では、
人の卵子を使った研究をするっていうのは非常に拒絶反応が強かったみたいなんですね。
キリスト教社会、非常にキリスト教の影響が強い社会でしたので、
命の研究に対して、手を、自然がいいっていうんですかね。
手を加えるのが良くないみたいな。
そういう感じがすごくあって、なので、
人の卵子をですね、採取して研究用に提供してくれるっていうような人たちっていうのがなかなかいませんでした。
彼はそれでどうしたかというとですね、
モーリーローズというですね、女性産婦人会なんですけれども、その方に協力をお願いいたします。
モーリーローズはですね、エドワーズさん、非常に子たくさんでですね、5人の娘さんがいらっしゃるんですけれども、
その全員を取り上げてくれた主治医だったそうです。
33:00
エドワーズさんはボブですね。
ボブですね、はい。
ごめんなさい、いろいろ名前が入り混じっちゃってあれなんですけども、
ボブの娘さんを取り上げた先生がモーリーローズさん。
はい、モーリーローズさんです。
モーリーローズさんは産婦人会ですので、その他にもですね、病気治療のためにですね、治療の方もやってたというところなんですけども、
病気治療のためにやむを得ずですね、摘出された卵巣をですね、
エドワーズにこっそりと渡してくれてたそうです。
それでですね、ロンドンのエッジウェア総合病院にいた彼女から組織をもらうためにですね、
エドワーズはケンブル寺から何度もこの病院まで、ロンドンまで通ってたそうです。
ただ今日取れるかもしれないっていうので行ったけれども、もらえずに手ぶらで帰ることもあったそうです。
で、なかなかですね、この卵巣を手に入れるっていうのが難しかったので、
エドワーズはですね、1年発起してですね、1965年にですね、
アメリカのボルチモアにあるですね、ジョン・ホップキンス大学病院へですね、
6週間研究旅行にも出かけています。
当時のアメリカはですね、イギリスよりもですね、研究に対しては開放的で、
婦人科が出頭して摘出された卵巣の組織からですね、多くの卵巣を提供してもらうことができました。
このですね、提供した卵巣をですね、培養して、
それで人の卵巣が受精可能な状態になるまでには36から37時間かかるというような、
そういう事実を聞き止めることができたということになります。
それまでのですね、研究者、ボブも含めた研究者たちというのはですね、
マウスのデータを参考にしていたんですね。
マウスだと12時間でタイミングが来るというところで、
卵巣を取り、人の卵巣もですね、卵巣を取り出した後に12時間、
培養液でですね、成熟させてから、
精子を振りかけて受精しないかなみたいなのをやってたみたいなんですけれども、
これが実際はですね、そこの時間じゃなかったということで、
卵巣をですね、もう何時間かごとに、もうたくさん卵巣提供をもらいましたので、
取り出してから培養液につけて、それから1時間経った、2時間経ったみたいな形で、
それぞれですね、時間ごとに卵巣を固定という作業をします。
ホルマリンでもう止めてしまうんですね。
その状態を止めてしまって、それから染色をして顕微鏡で観察するということをするんですけれども、
そうするとですね、37時間経たないと卵巣がきちんと受精できる状態になってないなということを
36:05
初めて観察した形になります。
ただですね、結局のところ、これもアメリカに研究旅行に行ったというような状態ですので、
イギリスに戻ってから相変わらず卵巣が手に入らないという状態に突き当たってしまっております。
最後ですね、もう一人、パトリック・ステップ・トーイシーをご紹介したいと思います。
彼はですね、1913年6月19日生まれ、8人兄弟の末っ子だそうです。
3人のチームの中では一番年上の方になります。
映画の中でちょっと出てきましたけれども、子供の頃からですね、オルガンとかピアノの演奏が大好きでですね、
地元の教会で頻繁にオルガンを演奏していたというようなですね、結構ちょっと芸術家肌なところも
ありました。
1939年、26歳の時にですね、ロンドンのセントラルジョージ病院で医学教育を終えてですね、医師免許を取得しますが、
ちょうどこの時にですね、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発すると。
で、開戦後ですね、新米医師だった彼はですね、すぐにイギリス海軍予備役ですね、予備員に志願しまして、
軍医として配属されるということになります。
で、配属先がですね、地中海だったそうなんですけれども、それでですね、海軍ですので、1941年ですね、
乗ってた駆逐艦のですね、HMSヒワードという船が、急降下爆撃を受けまして撃沈されます。
で、この時ですね、乗員、ボートに乗り移ってですね、彼は助かるわけですけれども、
乗員のですね、約半数が命を落とすというような悲劇に遭います。
で、周りにですね、救命ボートに乗れなかった仲間がですね、浮かんでるわけですけれども、
その中でですね、誰をボートに乗せて、誰を海に残すかというようなですね、
過酷な決断を下さなければならなかったそうで、これが非常に辛かったと後に息子に語っているそうです。
で、その後ですね、敵国のイタリア海軍に救助されまして、約2年間捕虜となります。
まあ本当すごい時代だなと思うんですけれども、で、捕虜の間もですね、
限られた道具を使って医療行為を行ってですね、仲間の兵士の治療なんかも行ってたそうです。
1943年ですね、捕虜交換でイギリスに帰還しまして、その後ロンドン海軍本部に戻って勤務を続けます。
39:01
1946年ですね、イギリス海軍を退役しまして、ロンドンのセントジョージ病院に戻って産婦人会として研修を受けて、
そしてですね、婦人治療に興味を持ち出すということになります。
1951年ですね、オールダム総合病院というところに移りまして、そこでも婦人治療に関心を持ち続けるということですね。
家族計画クリニックというのを設立しまして、精子のドナーバンクの設立なんかにも取り組んだそうです。
このオールダムにいる間にですね、ステップト先生はですね、腹空腔検査と呼ばれるですね、新しい外科技術をですね、
導入して、婦人病の診察にですね、最初は使い始めて、後に外科手術までするようになるという形ですね。
今ではですね、この腹空腔技術というのはですね、結構当たり前になってますけれども、
当時はもうお腹をバッと切るというのが普通だったのでですね、この小さな傷だけでですね、
手術ができるというのがですね、非常にそんなのできるわけないだろうみたいな、
医者からのやっかみというか、もう結構あったみたいですね。
映画のジョイの中の冒頭でも、パトリック・ステップトさんが腹空腔の話をしたら、
ライバルドクターみたいな先生が、そんな小さい穴で道具を差し込んだら、
他の狙ってない組織を傷つける可能性があるんだから、お腹を思い切り切り開いて、
視覚的に見やすい状態で手術をした方が安全だって言って、
2人が論戦している会場のほとんどの人が、お腹はいっぱい切るべきみたいな方に拍手をしているっていうシーンがあったね。
ありましたね。あれ結構本当にああいう雰囲気はあったみたいですね。
ただですね、その技術っていうのは後々ですね、本当に非常に有用だっていうのは証明されているのは、
今の我々がよく知るところかなと思います。
今となっては切る部位が少ない方がよほど良いというのが定説になっているのかな?
そうですね。これでですね、1967年ですね、このテーマに関する英語で書かれた最初の本も彼が執筆しているということになります。
そしてですね、この技術が後々ですね、ボブたちの不妊治療に非常に有益になっていくということで、
次回ですね、この3人がどのように出会っていくのかというところから話をまた進めていきたいと思います。
42:05
今回ですね、人工というところのですね、テーマに沿ってですね、
人の力を使って、科学の力を使って子どもを作っていくというのを、
誰が開発したのかというところの入り口をですね、ちょっとお話しさせていただきます。
また続きます。
ありがとうございました。
42:44

コメント

スクロール