物の見方の重要性
リスナーのみなさん、おはよう、こんにちは、こんばんは。
どの時間に聞いてくれても本当に嬉しいです。
あなたの心と頭を1℃あたためるラジオのお時間です。
あなたがどんな一日を過ごしていても、ここで少しでも温もりを感じてもらえたら嬉しいです。
今回は、丸く考えるということとか、球体で考えるということについてお話をしていきたいなと思っています。
このラジオでは、物事をより豊かに見れるものの見方を養っていくというのが、
一つのテーマと共通してお伝えしたいと思うことです。
感謝できるかできないか、物事を当たり前というふうに捉えるのか、ありがたいことというふうに捉えるのかということを一つとっても、
物の見方の引き出しがたくさんある人は、いろんな角度から物を見ることができるので、
普通の人が当たり前だと思ってしまうことに対して、ありがたいなという捉え方をすることで、
豊かな日常、そしてその豊かな日常の繰り返しが、豊かな人生に繋がっていくのではないかと思います。
ポイントは、同じ出来事なのに捉え方によって貧しく感じたりとか、豊かに感じたりとか、そういう差が生まれてくるということなんですね。
なので捉え方をどう捉えるかというところにはお金はかからないので、
ぜひ皆さんに豊かな日常を過ごしていただきたいなということで、物の見方が豊かになるようなお話とかきっかけをお伝えしていきたいなと思っています。
よく仕事の現場とかでも、点で考えるな、線で考えるな、面で考えるな、立体で考えるな、
そんなふうに物の見方のアップデートというか、今やっている作業だけに見て作業をするのか、
何か目的があってそこに繋がる通過点として今この作業をしているんだと、そういうような物の見方をするのか、
よく仕事の現場でも言われたりするし、上司の人がメンバーに対してそういう話を目的を思い出させるみたいなことをやっていると思います。
今日は物事を丸く捉えていくということですね。
丸く自分が捉えることができるようになるか、角張った角に棘があるというか、影が鋭いように捉えていくか、
何が違うかと言えば、やっぱり丸く捉えると湧き起こる感情とか、結果その出来事の解釈というのは丸くなりますよね。
角張った、角がたくさんあったり鋭いような捉え方をしていると湧き上がってくる感情とか、結果的に自分の捉え方というのは角張った棘があるものになっていってしまうので、
極力丸で見ていきたいなというふうに思っています。
そういう意味では、我々ってどうしてもできていない物事に目が行く傾向があるので、
一日過ごしている中でですね、基本的には丸な行為、正しい行為というふうに言っていいのかな、
正しい行為、丸な行為の方が圧倒的に多いのに、どうしても罰な行為、できていない行為にすごく目が向いてしまって、
自分はダメなんじゃないかとか、失敗を悔やんだりとか、そんなふうにしてしまう傾向があるみたいなんですね。
仮にできていないものが1日5個あったとしても、残りの95個というのは全部丸、正解、正しい行為なわけですよね。
例えば朝起きたということも丸ですし、朝歯を磨いたということも丸ですし、
時間通りに出勤して、出勤時間に間に合ったということも丸ですし、
こんなふうにやっていることのほとんどは当たり前とみなしているかもしれないですけど、全部丸な行為の積み重ねなんですよね。
その中にいくつか失敗してしまったりとか、うまくいかなかったりとか、
場合によっては相手の人に少し不快な思いをさせてしまったりとか、そういう日もあると思うんですけど、
その土台にはたくさんの丸があるんだということを思い出したりとか、
その丸1個1個を丸として認識していくということをすると、少し変わってくるんじゃないかなということを思っています。
球体で考える視点
そして何より、その丸をもう1個発展させて、球体で物事を考えるということを、
ぜひ習慣化してみたいなというふうに思っています。
何かで例えば計算が早いとか、会社の中で評価が高いとか評価が低いとか、そういうのいろいろあると思うんですね。
特に資本主義だったりとか、いろんな物事が可視化されたり、テクノロジーもどんどん進化しているような世の中では、
その評価、学校での成績だったりとか、そういったものが結構至るところにありますよね。
数値が高ければ良くて、数値が低ければ悪くて、みたいなことを、
なんとなく私たちは無意識の中でもそういうもんだというふうに捉えていると思います。
これを球体で考えてみると、全然違った世界が見えてくるなというふうに思っていて、
例えば学校の成績だったりとか、会社の評価が高い低いとなったときに、
特に日本人というのは、人生の中における仕事の占める割合というのはすごく比重が高くなっちゃっているから、
例えば会社の評価が高いから自分の人生が良い、会社の評価が低いから自分の人生が悪いというのが、
ほぼニアリー・イコールで捉えちゃっているケースがあると思うんですよ。
でも、自分の人生というものの中での仕事というものって、100%じゃないはずじゃないですか。
家族とることもあるだろうし、自分のやりたい趣味みたいなこともあるだろうし、
そんなふうに解釈していったときに、その球体の中のごくごく一部でしかないはずなんですね。
自分が球体だとしたときに、仕事やその仕事の中の評価という部分って、ごく一場面を切り取ったもの。
切り取ったから評価できるものということだと思うんですよ。
例えば、エベレストの山の高さを測ったときに、すごい高かったと、
7千何百メートルありましたと言って、これが良い悪いと言っているのが評価ですよね。
一方で海の方に行って、マリアナ海峡で深さがすごい深い、これはダメだというふうに見ているのが断面的な評価ですよね。
ただ、地球という星は球体で、エベレストもあれば、マリアナ海峡もあれば、関東平和もあれば、
サハラ砂漠もあれば、海もあればというふうに、豊かなものがたくさんあって、
出っ張ってたり引っ込んでたり、平らだったり、川が流れてたりという、いろんな形をしているわけですよね。
でも、エベレストだけが地球の良さでもないし、マリアナ海峡だけが地球の悪いところでもないし、
とにかくその球体として、球体の中で地球という唯一無二の存在があるわけですよね。
同じように、我々も出っ張っている部分もあれば、引っ込んでいる部分もあれば、高い部分もあれば、低い部分もあれば、
というもので、全方位的に見たときに、唯一無二の自分というものがいるだけなんですよね。
ただ、もちろん仕事の現場では、その能力があって、成果を持ってこれるという人が評価されてくるわけなので、
そのための足りてない部分というのは、目を向けた方がもちろんいいと思っているんですけど、
人生ということで考えたときに、何かがこうだから絶対に良いとか悪いとかというものの見方ではなくて、
ぜひ地球儀とかを思い浮かべていただいて、今自分のこの場面の評価というのは、どんな出っ込みを表現しているのかな、
東洋思想と循環
あるいはどんな引っ込みを表現しているのかな、そんなくらいに捉えてもらって、
その一個一個の形がわかることによって、唯一無二の自分が存在しているんだということを感じていけると、
また全然違った評価に対する捉え方というのができるんじゃないかなというふうに思っています。
こういう考え方は東洋思想の考え方であるみたいで、前に陰陽論というものをお伝えさせていただきました。
単純なポジティブが良くてネガティブが悪いという考え方じゃなくて、陰と陽という性質が違うものがどちらも必要なんだ、
そして陰と陽というのは繰り返し変わっていくものなんだと。
我々の身近なところでいけば地球がぐるぐる回転しながら、朝と夜を繰り返していきますよね。
でも昼と夜って別に日本の昼がそのまま日本の夜になっていくわけなので、
日本には昼しかないとか、日本には夜しかないとか、そんなことはないわけじゃないですか。
なので循環していくもので、かつ球体で物事を考えていくというのが東洋思想の中にあります。
この球体思想の原点は何かといったら、宇宙に存在する星というのは全部球体であると。
だからその中に存在している我々も球体で考えるんだという、そんな考え方らしいんですね。
宇宙とかというと若干スピリチュアルっぽいところもあるかもしれないですけど、
宇宙の中に存在する地球、地球の中に存在する私たちという風に考えると、ある意味当たり前の思想なのかなという風にも思うので、
ぜひですね、自分が感じる感情が寂しい感情だったりとか、貧しいような風に感じてしまう時があったら、
丸く考えるということだったりとか、球体で評価し直してみるということをぜひやっていただけるといいんじゃないかなという風に思っています。
最後に配信の中で感じたことや響いたことがあれば、コメントやレターで教えていただけると嬉しいです。
質問やリクエストも大歓迎です。
どんな一言も私にとって温かい勇気づけの贈り物です。
今日もお聞きいただき本当にありがとうございました。
今ここを感じながら配信をしました。
あなたの中にある勇気の金銭にそっと触れられていたらとても嬉しいです。
またお会いしましょう。