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お便りが来てますよ。岐阜市にお住まいのニッシーさん。50代男性の方です。
戦場に架ける橋、いいですよね。何よりも最後、崩壊した橋からズームアウトすると、密林しか見えなくなるところが好きです。
先週ね、戦争映画を語り合うという回で、船橋さんが出してくれた戦場に架ける橋でしたが、
それが好きだという方からのメッセージですね。
意地の張り合いで対立しつつ、切羽詰まってようやく完成にこじつけたものが崩壊。
すごいドラマ性があるのに、地球規模で見たら単なるお笑いでしかないっていう。
そうだよなーってなりました。なおこの映画で人生とかは変わっています。
おすすめするとしたら、みかんの丘でしょうか。
ラゲスタン紛争だったと思います。詳細は省きます。皆さんそれぞれで調べてみましょう。
最後に生き残ったロシア側の傭兵がチチェン人っていう。
ロシア側で戦ったのに、その後ロシア軍と戦う運命がなんというかぐっときます。
という風にいただきました。また見たい映画が一つ増えましたね。
みかんの丘、10年ぐらい前の映画かな。
ちょっとそれもやりつつですが、先週の映画、戦争映画を語り合うという回が前編だったんですけど、
今日はちょっとその続きをまとめて撮ってるわけじゃなくて、ちょっと時間がなくなってしまったので、
一回仕切り直して、もう一回5人で集まってますんで。
今日で撮り切れるかどうか謎ですけど、続きをやっていきたいと思います。
ギフ新聞ポッドキャスト、ギヒカジ。報道部、山田俊介です。
堀桜です。生活文化部の田代理科です。
大賀ゆき子です。
性能記者の船橋康明です。
この番組はギフ新聞の社員が市面には乗らないギフのこと、ギフじゃないことを本音混じりに語り合い、
皆さんに聞きかじっていただくポッドキャストです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ、ということで続きやってまいりましょう。
中編なのか、中編かな、多分。
3回立てにしないと多分ね、語りきれないっていうね。
ちょっと、なんせ前編聞いてない方にね、一応お伝えすると、
こういう時期なんで、それぞれがぐっときた戦争映画で、
戦争映画を1本ずつあげていただいて、
おのおのプレゼン的に語っていただいて、
乗っかれる人は乗っかって、語り合って、
それをもって配信会にしていこうとしてたんですけど、
1人1本のルールを誰も守らなかったということで、
合計14本になってしまったという。
おかしいですね。
いろいろ最初からあまりうまく予定通りいってない感じなんですけど。
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で、14本語り始めたところ、
言うて多分14本取り切るのは難しいから、
前編まず7本語ろうっていう話で取り始め、
4本までしか取れなかったというのが前回までのお話でございます。
で、前編でお話ししたのが、一応振り返っておくと、
西武戦線異常なし、ジョニーは戦場へ行った、
戦場にかける橋、背景天皇陛下様。
で、今日はその続きで、
太陽の帝国、火垂るの墓、戦場のピアニスト、
これが前回取ろうとした文ですね。
今日これどこまでいけるかわかんないですけど、
続きもこの辺の映画でちょっと語ってまいりますっていうのを最初に明かしておきます。
戦場のピアニストの次が、
感心領域、アクトオブキリング、
沖縄スパイ戦士、激動の昭和史、沖縄決戦、
で、サトウキビ畑の歌、
肉体の門、これ1964年のバージョンですね。
で、最後オッペンハイマート。
重厚な14文ですが。
で、AIさんに流れを決めてもらったところで、
大体このひとまとまりがこういうテーマですみたいな風でね。
つけてもらったテーマで、一応そのテーマごとの区切りにはなっていて、
この太陽の帝国からが子供から戦争を見るっていうテーマの一括りなんですね。
ということで、太陽の帝国、これ挙げたのはどなたでしたっけ?
はい、私田代です。
田代さん。
はい、スティーブン・スピルバーグ監督による1987年の作品で、
反自伝的小説を原作に日本軍戦争に…
スピルバーグってね、ファンタジーなのか、
ファンタジーの取り手でもあるし、社会派の取り手でもあるしっていうところで、
結構どっちで見てるかって割と分かれるところあるかなと思うんですけど、
その戦争以外いろいろ撮ってますけど、
プライベートライアンとか、シンドラのリストとかもそうですよね。
なんだけど、この太陽の帝国ってあんまり語られんくないですかっていう。
そうですね。
簡単にどんな映画かっていうのを一応説明しておきますか。
主人公のジムは、裕福なイギリス人家庭で育った少年です。
舞台は上海なんですけど、飛行機が大好きで戦闘機に強い関心を持っています。
冒頭で日本軍の侵中によって生活は一変します。
混乱の中で両親とはぐれて一人になってしまって、
日本軍の収容所に行くことになります。
06:02
そこの中で、今までは使用人に囲まれた生活をしてたんですけど、
突然自分で食べ物を探したり、自分を守らなければならなくなるということで、
その収容所の中に他の兵士たち、アメリカ人の兵士とか、
屈強な大人たちに揉まれて、自分なりに生きていく術を見つけていくっていう話にはなるんですけれど、
守られた少年から、戦争の環境に適応する少年に変わっていくといいますか、
成長物語でもあると思うわ。
成長物語であり、
子供らしさの喪失っていう部分が結構強いのかなと思っていて。
確かにそう。
最初はゼロ戦に憧れる純真な部分とかあって、
ゼロ戦で特攻なのかな、行く人たちに手を振ったりしているような場面とかもあったんですけれど。
そうなんですよね。
純正な飛行機好きっていう部分がどんどん隠れていくというか、
だんだんお父さんお母さんの顔も思い出せなくなっていったりするじゃないですか。
それだけ過酷な状況に置かれてしまっているっていうところで。
転送が純真さを消していって、
いい意味でなのか悪い意味でなのか大人になっていくという部分があると思うんですけど、
あと、日本人も結構たくさん日本兵として出てきていて、
イブ・マサトウさんにいる日本で、たぶん上官かなりヤバい感じ。
そのイメージ強いんですよね。
あとガッツ・イシマツさん。
出てきますね。
歌劇俳優の片岡幸太郎さん。
気合いの入った役として出てきています。
そうですよね。
だから結構当時見た方はいるんじゃないかな。
そういう話題作りもたぶんできただろうし、
日本の方も出演されてますっていう。
イブ・マサトウさんなんてね、本当に鬼運走というか、
あのハイキックとかなかなか引き締まった体でね。
敵的な日本兵みたいな感じにはなってますね。
カチャカチャがグングンくつ飛べると言わせてるような。
今はね、割と高校屋みたいな感じの役が多いですけど、
当然まだ若い頃でもあるので、
肉体も引き締まっていてという感じですけど。
その片岡幸太郎さん演じる少年兵なのか、
若い兵士と交流する。
なんとなく心を通わせていくんだけど、
最後がちょっとなかなか衝撃鳴らすというところもあって。
結構ね、これ子供の頃っていうか、
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若い頃に見て、たぶん戦争映画として結構初めの方に見たと思うんですよ。
私の人生の中でね。
結構いろいろ思い出深いと言いますか、
そういう意味で印象深い作品ですね。
一番強烈に何か残ってるシーンってどこですか?
いやー、最後じゃないですか。
最後っていうか、
この日本兵との展末の最後。
確かに。
そこはね、そうならなきゃいけなかったのかなって、
ちょっと偶然性もあるじゃないですか。
刀というか刃物を向けさえしてなければ、
撃たれるところまではなかったんじゃないかとかね、
したわけだけど。
本当の最後の最後はお父さんとお母さんと再会する。
そういうところも特に喜びもなく、
表情が死んでるみたいな。
最初の彼と全然違う人間になってしまったんだなっていうのは、
その一つの戦争が変えたっていう部分もあると思う。
なんかその適応するっていうところで言うと、
この間の前回の背景、天皇陛下様もそうだったけれど、
やっぱり彼はそこで居場所を作って適応していって、
なんとかそれでもって生き抜いていこうとしたっていうところで、
なのでお父さんお母さんのことは、
はぐれてしまったときこそいろいろはぐれてしまった寂しさだったり、
心悪さがあったと思うんですけど、
あまりにも過酷な経験の中で生きたので、
もうそこは切り離されてしまっていて、
もう完全に捕虜となった収容所が彼の居場所になるわけだけど、
終戦になったので、
それにその突然その居場所をちょっと失ってしまったみたいなところを、
ちょっと共通してくるのかなっていうのもあったりだとか、
あとはあのゾウムシの数、
排球の米の中に混ざってるゾウムシの害虫の数を日々数えてるっていうシーンがあったりとか、
それは貴重なタンパク質だからって言って、
それを食べろっていうシーンだったりとか、
結構強烈なシーンがところどころありますけど、
ただこれも原作があるんであれですけど、
原爆の光が最後その身近な人が亡くなって、
焦点していく姿と見間違えたみたいな描写があったと思うんですけど、
あれはなんとなくちょっとダソックに映るというか、
その距離からそもそもその閃光が見えたのかなとかね、
ちょっといろいろ疑問に思ってはしまうんですけど、
なんかちょっとね、
そういう突っ込みどころもところどころ散りばめられてはいる作品ではあったのかなと思うんですけど、
そんな子どもの視点をね、
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戦争映画っていうと思い起こす人もいるのかなということで、
これもう一つ挙げてもらったのが、
ホタルの墓ですね。
これも田代さんでしたっけ?あれ違う。
ホタルの墓は誰だ?
みんなで語れるかな?
そうだ、みんなで語れるかなでみんなで出したっていうものも含まれています。
ホタルの墓、高畑勲監督の1988年ですか、
野坂明之の小説を原作にして作られたものですけど、
空襲で母親を失った14歳の生徒と4歳の妹節子を描く作品ですね。
1945年神戸。
9月に聖太のモノローグから始まるっていう、
僕は死んだっていうところから始まる。
もう間違いなく重たい話が始まるっていう入り出しだったね。
印象残っている方も多いと思うんですけど、
久しぶりに見たんですよ、この夏に。
しばらく、たぶん子どもの頃に見たっきり全然見てなくて、
全然見てなくて、
確かに、繰り返し再放送。
最近ちょっと再放送されなくなって、
最近ちょっと久しぶりに再放送されたりだとか、
ネットフリックスで配信されたり、
今年も配信されてますけど、
たびたび話題になっていながら、
ずっとちょっと遠のいてしまってたんですけど、
久しぶりに見ると、
こういう話だっけなっていうかね。
なんか、やっぱり子どもの頃に見て印象に残ってた部分と、
今見返してこの心に残る部分っていうのが、
全然違うんだろうなっていうふうに思って。
なんか私ね、やっぱり全体のストーリーを全然覚えてなかったって気づかされて、
私ね、おばさんがいびるシーン。
あれが結構強烈に残ってたみたいなんですよね。
割とあっさり家を飛び出していくじゃないですか。
なんかその飛び出した後の話があんまり頭に入ってなくって、
そうすると全然全体の話違っちゃうじゃないですか。
なんかかわいそうな兄弟みたいな、
そういう話で結構認識しちゃってたところがあって、
いろいろ認識を改めましたよね。
だからね、久しぶりに見て、
全然そういう話じゃなかったっていうね。
なんか最近あれですよね、
生他批判みたいなのよくネットでされますよね。
それこそこの太陽の帝国に出てくるジムはうまく、
子供らしさを失ったけど、
戦争という非常事態にうまく適応して生き延びたけど、
生他はそれと比較するならば、
適応できなかったから妹も死なせたっていう。
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なんかそんなすぐにおばさんの家飛び出さなければよかったんじゃないかみたいな。
結構なんかよく批判されますよね。
ネットでよく見る話では。
いやでも、だって母親亡くなってから何日経ちましたって話ですよ。
でもそれこそ子供に見た時は、
いびった親戚のおばさんがひどすぎるみたいな印象だったけど、
改めて見たらご飯もあげてるしなみたいな。
ちょっと病みなおばさんではあるけど、
戦争の余裕のない中で子供二人も囲まってみたいな。
考えたら、生他が子供で生きるゴミ図なのかなっていうところも。
ゴミ図でもいいじゃない。だって子供なんでそんな。
確かにそうなんだよね。
子供は子供らしくあっていいはず。
だから今の法律とかも全部そうなってるし。
少年法とかあるし。
この年齢にならないと法律では裁かれませんよっていうラインがあったりするし。
本来だったら子供は子供であっていいし、失敗してもいいし、
失敗したらやり直せばいいしって、
そういうふうに設定されてるはずなのに、
やっぱこういう戦事家になるとこうなっちゃう。
しかも今の人が見てる目線がそういう厳しい目線で見てるんだなっていう。
これにてはすごい被害者の二人ってイメージが全然まだ強いというか。
もっと国のセーフティーラインというか、
助ける仕組みみたいなのが起動するべきだったと思うし。
仲良いに行く時とかも当たり前のように、
それで良かったらいいんじゃないかという感じじゃないですか。
もっと粘ると。
結構自己責任論につながる。
今でいうと働かざるもの食うべからずだったりだとか、
ちゃんと頭下げればよかったんじゃないのっていう風にね、
飛び出していっちゃったのはあんたやんみたいな風で、
結構生徒はダメじゃないみたいな風にも語られがちだし、
おばさんちょっと優しくしてあげればいいのに、
お米もあげてるんだけど、
根底にはやっぱり軍人さんの子やからっていう風でね、
結構冷たく当たるっていうのがベースラインになってるキャラクターではあるけれど、
そもそもどっちが悪かみたいな風で語ること自体がどうなんだろうな、
っていうのもやったりするし。
この生徒は親戚のおばさんが悪いっていう、
言ってる時代ってなんか景気がいいような気がする。
やっぱりどんどん景気が悪くなって、
18:01
いや、生徒の自己責任でしょみたいなって言ってるのを。
みんな余裕がない。
余裕がない世の中に。
寂しいね。
時代ごとに、見る人が生きてる時代ごとに、
キャラクター、登場人物をどう見るかっていうのが結構変わっていくんだろうなっていう。
今はやっぱり、
自己責任論とかそっちの方が強くなりがちなのかなっていうのは思ったりもしますよね。
あと、映画もだいぶ距離は多い目線で撮ってるけど、
生誕の視点で最初にモノローグが生誕から始まりますし、
作られてると思うんですけど、
私、母親の名前が節子って言いまして、
同じ字なんです。
実の。
私の実房が個人的なことで恐縮なんですが、
母親が節子で、子供の頃からなので、
うちの節子はこの映画はかわいそすぎて見れないということで、
絶対に見ようとしてなかったんですよ。
確かに自分と同じ名前の子がひどい目にあうで、
見れないんやなと思ってたんですけど、
大人になって理由がわかった気がして、
やっぱり自分を投影するっていうよりも、
自分の子供を投影してくるんですよね。
自分の名前も出てくるし、
自分の子供がもしこんな目にあったらと思うと、
つらすぎて見れないっていう気持ちはちょっとわかるなという気はして、
この映画って私も初めて見たのは、
生まれる前に公開された映画なので、
中共テレビの金融労働者とかで見てるんですよね。
だから今の世代の日本国民が必ず、
戦争は悲惨なもの、子供たちが犠牲になる、
被害者になるっていうことを学ぶためのワクチンみたいな感じで、
みんな通過儀礼としてこれを見てるっていうイメージがあるんですけど、
大人になってこれを見ると、
確かに私もちょっとかわいそうすぎて、
ちょっと見るのしんどいなって思ったし、
広島長崎の原爆の展示で、
最近残酷なものを見せないようになってた話と、
展示の内容がちょっと変わったりとかしてますもんね。
野橋さんが言ってたのとつながるかもだけど、
ひとつのトラウマ体験をみんなに与えるための映画のような気もして、
やっぱり一番子供が嫌な目にあうとみんな嫌じゃないですか。
だからそれを見せることで戦争はいけないっていうのを伝えるっていう、
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それもどうなのって思う気持ちもちょっとあったんですけど、
最近子供を見てると、
子供が悲惨な目にある映画ってたくさんあるけど、
一方で、確かに戦争っていうのは、
それこそ前回のジョニーは戦場に行ったじゃないけど、
人を物化するわけですよね。
客体化して扱うっていうものだと思うし、
その最たる霊というか、
最も犠牲になるのが子供だと思うんですよね。
子供っていうのは犠牲の数にもされないことがある。
けど一方で、こういう子供たちが悲惨な目にあう映画を作るってことも、
子供を物化してるような感じがしたの。
けど最近思うのは、
せつこもただかわいそうで死んでたんじゃなくて、
この子もこの子ですごい抵抗してたっていうか、
一生懸命生きる意志を意欲を持って生きようとしてたっていう、
客体化されてるんじゃなくて、
もっと主体的に生きようとしてたっていう姿があったんじゃないかなっていうのをちょっと思って、
なんかその、やばいこれまたちょっと話しすぎないようにしよう。
全然いい、全然いい。大丈夫、大丈夫。
一番最後のところで、もうほんとにせつこちゃんが動けなくなって、
お皿の上に泥団子とかを乗せて、
生誕にご飯できましたよどうぞって言って、
これご飯やない泥団子やみたいなちょっとミームにもなってる。
有名なもう悲しくて見れないシーンがあるじゃないですか。
でもなんか最近子供を見てて思うのは、
なんか子供って二つの世界を持ってるなと思ってて、
現実の世界と頭の中の想像の世界を持ってて、
そこを一人で生き生きして生きてるなと思うんですよ。
だからご飯だよって言ってもなんか知らない、
全然聞こえなくて一人でなんかわけのわからん戦いをしてたり。
だからその空想の世界がちょっとその現実世界に出て、
遊びっていう形で現れてたなって思ってて、
だからたぶんせつこちゃんも体も動かなくなって、
もう寝てるしかないっていう時でも、
ずっとこの子の頭の中には遊びの世界とか想像の世界があって、
その中できっとお兄ちゃんと一緒におままごとしたりして、
遊んでる姿がお皿を出してどうぞってやってる姿になったんじゃないかなと思って。
だから子供も子供でその想像をしたりとか、
遊びとかをすることっていうのは生きようとする意思じゃないですか。
なんかそういう抵抗をしてるんじゃないかなっていうのを、
24:01
なんかこの映画を話す、みんなで話そうってなった時にちょっと思って、
だから何なんだって言うと別にオチはないんですけど、
ただそこの部分がこの映画の尊いとこなのかなっていう。
ただのかわいそうな話で終わってるわけじゃなくて、
精一杯生きようとして、想像力を働かせて、
2人で生活を営んだっていうこと、
それこそがこの悲惨な状況を乗り越えようとするこの2人の意思だったんだなって
っていうところがホタルの儚い光とかかってていいのかなと思ってちょっと思いました。
そういう子供の当たり前みたいなところが全然守られてない時代の話で、
その極限が戦時中という時代でもあるわけですけど、
やっぱりその辺が守らなきゃダメだよねっていう風になったのって戦後じゃないですか。
自動福祉法とかができるのが戦後間もない頃で、
その法律の中にあるのが、それこそ子供が等しく養育される権利があるっていうことだったりだとか、
今につなげてみると子供の意見表明する権利。
この映画だったら節子が増水嫌やとかね。
ご飯について、別におばさんを威嚇するために反論したわけじゃなくて、
自分の意見を表明するっていう、ただ子供らしい言葉でさえ押しつぶされてしまうって、
そういう時代の中で生きることを余儀なくされてたっていう時代の物語なわけですよね。
だから子供の当たり前っていうのをちゃんと大人が守れるようにしなきゃいけないよっていうのは結構思ったりもしましたよね。
ただ思うのが、めちゃめちゃマイノリティっちゃマイノリティの話じゃないですか。
王道の反戦映画っていう感じでもないじゃないですか、ストーリーで言うと。
詩小説に近いですよね、おそらくは。
その割に蛍の墓が戦争映画といえばっていう風で上がるのがちょっと不思議な感じもするなっていうのは改めて見返して。
孤独すぎますもんね。
そうなんですよ。結構独特な感じはあるなと思うんですけど、これだけ大衆に受け入れられ続けてるっていうのは、
なんかちょっと不思議な感じもするなというのは思いましたね。
やっぱちょっと開放的な感じがありますもんね、2人だけの生活が始まった時に。
誰にも邪魔されることは確かにないわけで。
なんか確かにずっとあそこで我慢し続けて欲しいのよって感じ。
そっちはやっぱりあるじゃないですか。
物語もあるけど、なんかやっぱりその開放された楽しそうな2人のシーンがあるから心をつかまれるし、
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その後の悲しい結末もさらにショックが大きいっていう魅力はあるんですかね。
そうなんですよね。
まあでもちょっとね、やっぱり誰かとつながったりしていないとこうなってしまうみたいな。
なんか太陽の帝国からの流れでいくとそのつながりによって生き延びた人とそうでない人っていう対比にもなるし。
確かにつらい時だからこそやっぱりつながりあって助け合わないと生き延びれないですもんね。
なんかね、計らずも孤立孤独とか言ってる時代じゃないですか、日本国内。
日本国内だけで見れば戦争とかはないにしても、
こうやって一人ぼっちになっている人っていうのはそこら中に存在しているわけで、
ちょっと今につながるものもあるかなというのは思ったりもしましたけどね。
2人が電車に乗って現代の夜景が出てくるっていうのも、
あれは完全にやっぱり今と地続きで今の生きている私たちがこの映画をどう受け止めて、
今の社会をどう見るかっていうメッセージとして込められている感じがありますよね。
その時の現代ももう40年くらい前だと思う。
本当だよね。
僕が生まれるより10年くらい前ですからね。
まだ冷戦がギリギリ。
あーそうか、崩壊前なのか。
我々冷戦を知らない世代、知らないというか、史実でしか知らないというか。
空気感とか全然わからない。
ちょっと辛い展開になってきましたけど。
まあそんなちょっと、たぶんこれはいろんな人と語り合うとまたより広がったりもするし。
みんなの感想を聞きたくなっちゃう。
またメッセージもお待ちしておりますけども。
次ちょっとそのくくりが変わりまして、
戦場ではない場所に戦争が来るというふうにひとまとまりになっているんですけど。
戦場のピアニストですね。
前回ここまで撮る予定でしたが、
これ上げていただいたのは、
私、田代です。
田代さん。
実在したユダヤ系ポーランド人のピアニスト、
ワニツワフ・シュピルマンの回想録を元に映画化したので、
第一次世界大戦中ナチスドイツ占領下のポーランドが舞台。
ユダヤ人の大虐殺、いわゆるホロコーストから奇跡的に生き延びた物語に、
30:03
生き延びたことがテーマになっていて、
主人公はラジオ局で演奏していたピアニストなんですけど、
ナチスドイツがポーランドに侵攻して、そこから日常が一変します。
この物語のひとつの特徴は、やっぱりホロコーストの描き方というので、
ユダヤ人の虐殺が恐ろしすぎて、本当に目を覆いたくなるシーンが続いて、
本当によく生き延びられたなという調和が何回も訪れるんですけど、
監督のロマン・ポランスキーさんの実体験も投影されていると言われています。
私は会社の出張で何年か前にイスラエルに行って、
イルサレムにあるホロコースト記念館に訪問しまして、
その時に独画室室と仮想場の成功なミニチュアがチェンジしてあって、
脱衣所があって、ガス室があって、焼却炉があって、一連の流れみたいな。
本当に顔を歪めたり悲鳴上げたりしている人の人形がミニチュアで並んでいて、
めちゃくちゃリアルな模型があって、
その横に本当に実際の犠牲者たちの遺品である靴が並んでいるという、
本当にゾッとしました。
そういったホロコーストをテーマにした作品でもあるんですけど、
この作品の本質は、もっと闇が深いと言いますか、
主人公がひたすら逃げ回るというだけの話なんですよ。
多くの人は彼を助けてくれるんです。
その間にポーランド人の民衆宝貴みたいな勇敢に立ち上がって戦う仲間が現れるんですけど、
彼は行動は一緒に起こしません。
そういう立ち上がった人たちが無惨に散っていく様子を隠れ家から見てたりして、
なかなか感情移入しづらいんですよね、主人公に。
最後の最後、ドイツ人将校を助けてくれたドイツ人将校も、
後にソ連の捕虜となって裁判にかけられて、
その人は裁判でたくさんのユダヤ人を救って、
その中にピアニストのシュピルマンもいるということを主張するんですけど、
結局戦犯になって獄中で亡くなってしまって、
結局助けようとしたかどうかちょっと分からないです。
映画の中ではそこは描かれてないんですけど、
結局でも最大の恩人であるその人も助けられずに幕を閉じるということで、
本当、助けてくれる人たちにひたすら甘えて、
33:01
助けてもらって、助けてもらって、助けてもらって、
逃げ延びるところまで逃げ延びて、自分は誰も助けないみたいな。
自分は助けない、自分は率先して行動しないみたいな。
主人公になかなか感情移入しづらいんですけど、
結局それが生き延びる道だったという結論に私は至りまして。
生き延びるためには逃げるしかない。何も置いていない。
多分それこそ極限の状態だったってことですよね。
自分の身を守るだけで多分もういっぱいいっぱいで、
周りのことなんかほとんど見えてない状況下に置かれてたんだろうなっていうのは想像するんですけど、
ピアニストですからね、冒頭から初版の旋律に爆撃音が混ざり合うっていうのが
あれ自体が本来ありえないことですけど、
ありえないことが起きてしまっているっていう物語がこれから始まるんだよっていうのを伝えるには
これ以上ないぐらい衝撃的な入りで始まっていく作品だったんですけど。
なんかすごいスンとしてませんでした?
最初の時に弾いてて爆撃音が鳴ってるんだけど、スンってしてるなって最初見て思った。
結構な尺引き続けるじゃないですかね。逃げないなっていう。
なめきってるってことだったのかな。
それぐらいではっていうぐらいちょっともう麻痺しちゃってるのかっていうね。
切れ事では片付けられないっていうね。こういうのが生命上のリアルなのかなっていう風には思って。
やっぱり実話を元にしてるし、監督も実体験してる人たちだから本当のことを知ってる人たちが
前が行った戦争でこういう物語になった。花話、ヒロイズムとかは全然なく。
これは自分で書いてる。出版してるわけですよね、回想録っていうのが。
自分はいつだって言う時にも逃げました、助けられなかったですみたいなことを思うところあったんでしょうね、自分で。
本当にホロコースとの話で言うと、もう生き延びられるのが相当な奇跡っていうかね。
ありとあらゆる殺され方ができた。
屋上っていうか立たなかった車椅子の老人がこうやって落とされる。
あれ衝撃だよね。あれが結構衝撃だよね。
急に並べられてパパパパって撃っていかれるとか。
最後に並べられて撃たれる最後の私的に印象に残ったのが、
おじさんが結構俺たちは生き残らないと戦って生き残らないといけないみたいなことを言ってたおじさんだったと思うんですけど、
36:08
弾が切れるんですよね、おじさんの直前で弾が切れて兵が入れ替えるんですけど弾を。
時間があって本当の劇的にしようと思ったらそこで襲いかかったりとか、
抵抗するみたいな描写があると思って見てたら、
本当にそのままこうなったまま撃たれるのを待つっていう場面があって、
それは本当にリアルっていうかもう運命というか逃げられないっていうことなんだろうなと思って。
それが物語性というよりは現実の部分を描いている感じがしました。
運命を受け入れさせられているというかね。
抵抗しないんだっていう。
恐ろしいね。
堀さんは主人公が共感できましたか?
途中からカメラみたいになってるなと思って、
本当にその目を通して見えているものを映しているっていう感じに。
共感。
でももう自分もそうするしかないよなと思いました。
結構夢とかで戦場に行ったりする夢見るんですけど、
私も逃げ続けてます。
夢見たの?
見ませんか?たまに。
戦場の?
滑られてないです。
最近?
会社入ってから。
会社入ってからだったらちょっと心配だなって思ったのに。
会社入ってから増えたってことはないです。
でももっとポップなっていうか、
ドラえもんの敵兵みたいなのが来て、
ドラえもんと一緒にプリキュアの。
ロボット帝国みたいな感じで。
アニメの世界。
素っ裸で逃げる夢はよく見ます。
服がないとか。
服がないから逃げてる。
すいません、全然。
本当に現実にあったことですからねっていうところで、
想像を共感するっていうのはなかなか難しいんだろうなっていうのは。
誰もかもが死んでいる状況でまともに言おうとするっていうのは、
なかなかあれだろうしな。
最後がピアノの演奏で終わって、
その音楽もいろんな感情の要因を残しながら終わっていくっていう。
こう終わりたいよねっていうね。
当時めちゃくちゃ流行りましたね。
ピアノ習ってましたけど、
みんな弾いてたイメージがありますね。
ショパンの曲名忘れちゃったな。
曲は浮かんでるんですかね。
39:00
いつだって出てくるんだけど、
曲名パッと出てこないですけど。
現代はザ・ピアニストで、
日本語のタイトルで戦場のピアニスト。
戦場のピアニストって言うとイメージが違う。
映画の内容とのイメージが違うかなっていう感じが。
戦場にいたっていう感じじゃないですよね。
戦場から逃げ続けてたピアニスト。
確かに。
タイトルだけ聞くとちょっとロマンチックって感じだけど、
最後まで音楽を届け続けたみたいな。
音楽が人を救うじゃないけど、そんな感じなのかな。
救われてはいるけど、本人だけ。
ちょっとイメージしてたものとか思いながら。
もっと甘い感じかと思ったけど。
最初はバラードですよね。
バラード1番って書いてある。
あれでもめちゃくちゃ難しくないですか。
ピアノの先生とかが発表会で弾いてたりして。
ショパンなのかな。
この曲って有名なんですね。
この時期でしたね。
弾いてたのが。
ホロコースト繋がりで次いきますと、
関心領域ですね。
これ私挙げたんですけど、
2023年とか。
日本の公開は24年なのかな。
めちゃくちゃ最近ですね。
めちゃくちゃ最近ですけど。
これもホロコーストと繋がれていると、
先者のピアニストは被害者側というか、
関心領域は加害者側に一応なるわけですね。
アウシュビッツ共生収容所の
所長のルドルフ・ヘスという人がいますよね。
その家族の日常を描いた作品なんですけど、
かなり話題になったので
ご存知の方も多いと思うんですけど、
ヘスのお家というのは収容所の隣にあるんですね。
壁一つ隔てて隣にあると。
この映画の特徴は、
全く収容所の中のことを描かないということなんですよね。
直接的な暴力を加えている、迫害している、
虐殺しているという描写はなくて、
ただ音だったりだとか、
会話の断片だったりだとか、
時には発砲音だったりだとか、
そういうものが壁を隔てて伝わってくると、
ヘス一家の平和な日常に
42:02
そういう不穏な音が混ざり込んでくるっていう
描き方をしている作品なんですね。
結構ホロコーストをテーマにした作品って
いろいろありますけど、
こんな悲惨な目に合わされた
被害の状況っていうのを
国名に描いたものっていうのはたくさんありますけど、
そこはもう全く映さずに
音だけで伝えてくるっていうのが
ちょっと今までいなかったんだろうなっていう。
いや本当このヘス一家の家族の風景ってのは
全然どこにでもありそうな
暖欄だったりだとか、
お仕事の話をしてみたりだとか、
楽しげにその庭いじりしてみたりだとか。
お庭綺麗ですもんね。
綺麗なんだよね。
映像もすごく綺麗じゃない?
綺麗ですね。
固定カメラで割と撮っていることが多いんですかね。
対照的というか、
絵的にうまく作られている感じがあって、
映像美すら感じるような作品なんですけど、
そこにあまりにも不穏な音だったりだとか、
あとはイラストシーンで流れてくる音楽だったりだとか、
すごい気持ち悪い音楽が流れてくるんですよね。
という後味の悪さだったりだとか。
この作品を見た友人がつまんなくなっていって、
どんどんそれが映画の趣旨というか、
同じ日常で、
最初はこんな音が聞こえたらすごく嫌な気持ちになるけど、
続いていくと慣れて、
映画自体がつまんなくなるという話を聞いて、
つまんなくなりましたか。
そうなんですよ。
ストーリー展開が全然ないんですね。
淡々と日常が映されていて、
確かにつまんないなというのもあったし、
わかんないなというのもちょっと混ざるし、
特に山も谷もないもんだから退屈になっていくんだけど、
でもふと気がつくとそれは退屈なのか、
気色悪さに慣れちゃってるのか、
これどっちなんだろうなとか思ったりだとか、
でも慣れって確かにあるのかもなって今聞いて思った。
なるほど、それを追体験できるんだ。
見ることで。
それはちょっと騒がしいところで見たらいいかな。
これね、イヤホンつけて見たほうがいいですね。
やはり音が強烈。
音が強烈ですね。
だからね、本当これ劇場で見ればよかったなって配信で見てるんですけど、
集中して見れますしね。
ノンストップで。
配信だと途中途中休憩勝手に挟んじゃってるじゃないですか。
45:01
私もそれでやめちゃいました。
戻ってきたくなくなっちゃう映画でもあるし。
これもやっぱりラストが結構印象的で、
最後の方にヘスのカメラ目線のカットがあるんですよね。
カメラ目線のカットで突然ブラックダウンして
小さい穴だけが開いてて、その小さい穴が広がったところで
現代にタイムスリップするんですよ。
タイムスリップした時がアウシュビッツ収容所だった
今は記念館みたいな感じになってるんですかね。
そのガス室をひたすら掃除してる様子を
ずっと撮ってるっていう映像で、
でまた最後ヘスのカメラ目線、階段を下ってくシーンなんですけど
その階段を下ってくってシーンに戻ってきて終わりみたいな感じなんですけど。
さっきのホタルの墓ともつながるんですけど
現代にリンクさせてるっていうところが
メッセージ性を形作ってるなと思うし
関心領域っていうタイトルそのものですけど
これを今この時代に作るっていうところに
考えたくなるポイントがあるなっていうね。
現実中で戦争が起きてる国は世界にあたせばあるわけだし
日本国内あたしたって戦争はないけれど
やっぱりそれぞれの関心領域ちょっと狭まっちゃってるってことは
言われてたりするんでしょう。
だからそこからちょっと想像してみてほしいっていうのはね。
そういうメッセージ性もあるのかなっていう
思ったりもしますし。
これ普通のホロコースとか何にも関係なくても
例えば壁隔てたお隣さんのこととかって
気にしたことないじゃないですか。
けど不穏な音がどんなとこに住んでても
あるいはどんな人が住んでるかにもよるんでしょうけど
不穏な音が聞こえてくる可能性って全然あるじゃないですか。
ご高齢の方がお子さんと一緒に住んでいて
お子さんの親さんを叱りつけるような声が聞こえて
大丈夫かなって思ったりだとかさ。
お隣さんは今も見えないですよねっていうね。
全然違う状況ではあるんだけど
じゃあ同じように当てはめたときに
壁を隔てた向こうの人の暮らしについて
想像したことがあるだろうかっていうことも考えたりだとか。
なんかいろいろその特殊な時代ではあるんだけど
想像力を膨らませた結果を現代につながるものっていうのも
いろいろとあるんだろうなっていうのはね。
48:01
実際クライナーですとかパリシチナですとかで起きているような
戦火とかからもちろんニュースとかチェックしてますけど
日頃のアレの中で意識が離れていて
いない部分があるかないのかと言われれば
あるかもしれないし。
実際今でも戦火で大変なことが起きているわけで
なかなか日本で生きていると
意識しないようになってしまいがちだけれども。
あの時代とそんなに大差ないじゃんっていうような状況に
置かれてしまっている国は世界を見渡せばあるわけだし
日本の中でだってちょっとねやっぱり不穏さというか
なかなか平和だねって言い切ってしまっていいのかっていうような状況は
それぞれの暮らしを想像するとやっぱりあるわけで
関心の領域ってなかなか広げるの難しいなとも一方で思うんですけど
この仕事してるからにはちょっとずつでも広げていきたいなっていうのはね
もちながらちょっと話離れちゃうかもしれないですけど
新聞とかって結構やっぱり紙で見た方が良くないみたいな話にも
ちょっと接続できるなと思ったんですけど
ところは読むからっていうやつ
この記事目当てでこの新聞撮ってるとかっていうのはあるんだけれど
やっぱりその周辺に載ってる記事で
全く違うところに関心を向けるポイントがあったりだとか
ページをめくればまたなおそれは広がったりだとか
っていう意味でも紙の新聞って結構有用性があるなとは思ってるんですけど
結構そこからも皆さん離れていってしまってるし
っていうところで難しいなとも思ったりですし
ネットでも関連記事みたいなのが
ちょっとその領域を広げる向ける助けには多少なってくれるかなとは思うんですけど
どんどんそれぞれが重なり合わなくなっていってるっていうのは
時代は違えど同じようなことが起きちゃってんじゃないかなっていうのは
これを見ながらぼんやり考えたりはしましたけどね
てなところですかね
どっかりたい人います?
言葉がなんかそれを意味する言葉があったなと思いつつは
意味とかはなかったなと思って
エコーチェンバーとか
エコーチェンバー
なんとかバブル
フィルターバブルとか
それじゃない言葉をね
なんかあったなと
アテンションエコノミー
なるほど確かに
SNSとかのアルゴリズムも結局関心があるものしか
フィルターバブルで集まらなくて
その中にいていてずっと生活が完結しちゃうっていうのが
そういうシステムに今の日常生活がなっちゃってますよね
51:03
なんかねちょっといいのかなって思っちゃう部分も
便利さも確かにあるんだけど
その領域の情報はたくさんどんどん集まってくるし
便利なところもあるんだけど
どんどん狭く深くになってしまってないか
とりあえず深いのかどうなのかもよくわかんないし
同じようなところをぐるぐるしてるだけなのかもしれないし
そうなんですよねっていうところで
なんとなく話がしまっちゃいましたけど
これと次の作品が
そうか1回テーマは区切れていて
AIさんは次からの作品を
加害者は自分の過去をどう語るのかっていう
このテーマをこの1作品だけでつけてますね
加害者は自分自身を加害者だと思いながら
毎日生きているのかという疑問が
戦場のピアニストだったりとか関心領域では
そういう疑問が出てくるわけですけど
この疑問を下敷きにして
次のドキュメンタリーにつながるということで
Mact of Killingが旧作品目と
これを挙げたのは
オーガネス
これはですね
なんで挙げたんだっけな
あまり覚えてないんですけど
でもそうこのAIさんがタイトルつけてくれた
加害者は自分の過去をどう語るのかっていうのが
まさにテーマのドキュメンタリー映画で
2012年公開の
ジョシュア・オッペンハイマーさんらによる
ドキュメンタリーです
これご覧になった方いらっしゃいますか
ちょっと見たことない
これはですね
1960年代にインドネシアであった
インドネシア大虐殺っていう
大規模な殺害の事件
事件というか
そういう出来事について
その大虐殺に直接関わった
加害者の人たちを
カメラの前に立たせて
その当時大虐殺の時にあなたがやったことを
映画として演じてみてください
って言って撮影をしたっていう
ちょっと変わったドキュメンタリーです
もちろん過去にあなたはどんなことをしたんですか
どこでどういう風に人を殺したんですか
っていうのを聞いていくんですけど
その時に出てる人たちはですね
実際に人をたくさん殺してるんですけど
国内の政治的な色々な情勢があって
彼らは全く何の罪にも問われなかったんです
もうウキウキして
意気揚々と
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アメリカの映画出れるぜみたいな感じで
そういう感じだったんですね
ひらびやかな衣装を見たり
首になんか巻いたり
腰に手を当ててポーズしてみたりとか
すごい浮かれた感じで
ものすごい残虐なことを話すんです
この映画を選んだのは
結局私たちも取材で
戦争体験について聞いて
記事にすることはありますけど
その仕事っていうかその行為をする時って
その話を聞く相手の人からの目を通して
当時の実際にあったことを
私たちが見るんじゃなくて
一回その人というフィルターを通して
その人が作った物語を私たちは聞いてるんですよね
多分そのことにすごく自覚的になる映画で
だから私たちは
なんとなく客観的史実として
インドネシアで大量の人たちが死んだという情報は
映画の中で提示されていて
そこにこの人は関わっているということまで分かっているから
ちょっとその人の視点から距離を置いて
本当に映画を鑑賞するように
その登場人物のことを眺めると
いかにその人が話している物語というのが
現実とそこが起きているかというのが
もう丸裸になっちゃってるっていうところが
非常に衝撃だし
私たちのやっている仕事ともすごくつながるなという感じで
だからあくまでやっぱり
なぜその人は今私に話してくれているけど
なぜこの人はこういう物語を語っているんだろう
というところまで考えながら聞いていくと
より本人が語りたくない物語も見えてくるっていうのが
普段の取材ともつながってくるなっていう
映画の中でも最初は意気揚々とやってるんだけど
よくよく聞いてると
人を殺した後はやってられなくなって
薬やったり女と寝たわみたいな話が出てて
やっぱりギャング悪役みたいな風に出てるけど
やっぱり人を殺してそれがショックだったんだなって
もしかしたらこの人はトラウマを抱えていて
あえてこういう物語にしないと
自分を維持できないっていう人なのかっていう
その人が語ってないストーリーがまた見えてくるっていう
そういうところですごく面白い映画だし
でもちょっとずるさもある
映画を撮られることで話してる悪のギャングたちも
あれ俺が話してる話って本当に現実にあったのかなって
ちょっと揺らいでくるんですよね
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そこで本人の中の物語も崩れかけたりとかするっていう
それも私たちが取材をしてる時に
相互関係にあって
向こうの話に私も感情を動かされて影響されるし
私の聞き方によって相手にも影響を与えてるっていう
その相互関係が映画の中でも体験できるっていう感じなんですよね
だから映画では
でも実は監督とかは
本当に身の危険っていう意味では危ない状況で映像作品撮ってるんですけど
でも安全権から質問をしてるなっていう感じがある
自分たちは影響を受けない立場であるっていうことを前提にして撮ってるっていうのが
若干ずるいなって感じがあるんですけど
本来だったら私たちが話したことも相手に影響してるっていう
この相互関係があるのかなっていう
取材行為ってどういうものなんだろうっていうのを考えるっていう上で
この映画っていうのはちょっと戦争っていうよりも
そっちの方面でもすごいおすすめだなと思って
あげたんでした思い出しました
これって訴えられたりはしない?
なんかねあったような気がするんだけどそこまで知らない
この後続編が作られるんですよ
なんとかオブサイレンスっていう
これは実際にこのインドネシアの
この映画の制作を受けて
インドネシアの人たちが
ある人が実際に過去にあったことを自分が聞きたいって言って
話を聞きに行くっていう風にまた始まっていく映画なんですよね
バッカでも確かにねありますよね
どうしてもその取材対象の方ご自身の目的が混ざるっていうか
感じる瞬間ありますよね
こういう話を聞いてほしいし語りたいんだなっていう
そうなんですよね
だからこそ受けていただけたみたいなこともあったりはするし
やっぱりその方自身の目的からちょっとでも外れてしまうと
もうそこはやっぱり語りたくないであったりとか
語られないということで
なかなかその社会に出るっていうきっかけが
その部分はもうちょっと失われてしまったり
ということを結構取材者としてはね
葛藤する部分だったりはしますよね
それが聞かれることによって
それって大事な話なんだって
向こうが初めてハッとすることもあったり
それが記事になった反響によって
これ私自分は語ってもいい話なんだなとか
ちょっと態度が変わってきて
その態度が変わってきて
その人の中の物語に本来入れてなかった様子も
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また聞いた時には加わってたりしてとかっていう
それが面白いところでもあるし
怖いところでもあるというか
確かにねどうとでも転がってしまうところの
怖さでもあると
もったいない映画だな
でもそうか破壊者側の視点の話というかね
そういうところではさっきの関心領域とも
ちょっと繋がる部分があるということで
AIさんはちょっと読み取ってくれたかな
という感じもしますね
悪いと思ってるわけじゃないんですよね
それは分からない
どこかでは分かってるけれども
それを手に出せない
そうなんじゃないかなって見てると思ってくる
最初はこいつ全く反省してねえなっていう印象から
なんかもうモンスターに見える
日本とかも昔はね
戦争から帰ってきた人がお酒飲んでる人と
武勇伝というろくでもない
向こうの中国の人とか韓国の人に
バンクを利きとして喋ってたみたいな話が聞きますし
どこかで悪いことだと思ってても
その瞬間はそれを肯定されてたから
その良さから逃げられないみたいなのはあるかもしれない
すごく出てる人たちにとっては残酷な映画だな
とは思うんですけど
だから見てるとそれは
痛々しいな
もう一回自分で見てみて
自分ってこんな風に映ってるんだって思います
そんな感じだったと思うんだよね
多分だから映画という風になった時に
全く自分のイメージしてたものと
違うものにきっとなってると思ってた
再現する映画を作りますみたいな感じだったのに
自分たちのことが攻められる
自分たちがキューターされるんじゃないか
っていう可能性を全然感じてないスタートなんだよね
触りだけ見てたんですけど
結構ノリノリで受けてる
企画説明も雑といえば雑というか
すっげえフランクな感じで
双方フランクな感じで話が進んでいくっていうね
ちょっと対等な関係で
これ本当に撮られてる映画なのかなっていう
ちょっとした疑念は入るんですけど
そんなわけで9作目まで語ってきましたけど
これでもう1時間を超えているということで
ここで一回切りますか
一回切って続きは後編でっていう感じにしましょうということで
一旦じゃあ中編はこれで締めたいと思います
1:03:03
またありがとうございました
ありがとうございました