岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢ。報道部山田俊介です。
生活文化部の田代理科です。
営業企画部の山田桃子です。
この番組は、岐阜新聞の社員が、紙面には載らない岐阜のこと、岐阜じゃないことを、
コンデマジンに語り合い、皆さんに聞きかじっていただくポッドキャストです。
よろしくお願いします。
お願いします。
桃子さん、ご無沙汰しております。
ごめんなさい。
ご無沙汰しております。
何か、てんてこないで。
ちょっと今日、汗かきながら。
いや、感謝祭、お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
空飛んでる。
空飛んでるんですよ。それ以外、多分、お会いしてないぐらいの感じでした。
1ヶ月か2ヶ月に1回ぐらいでいいんじゃないですか。
いや、そんなことない。楽しみにしてる方がね。
レギュラーですよ。
本当ですか。ありがとうございます。
リアルイベントの振り返りします?
リアルイベント?
感謝祭の振り返りします?
振り返れるかな?忘れちゃった。
1ヶ月前のことに。
感謝祭絡みの3人でもありますよね。
仕掛け人の桃子さんと、借り出された山田俊介と、
冷やかし西田修さん。
冷やかし西田修さんっていう。
でも、なんかちょっと感動して、山田俊介がポッドキャストのキキカジオ、初めて公開収録みたいな感じで。
初でしたね。
前で顔出してっていう時に、同じ仲間の田代さんがいるわ。
大賀さんも来てくれて。
ちょこちょこって、編集の報道の人たち来てくれて。
しかも、あんまりステージの目の前にいるんじゃなくて、遠くから見守ってるみたいな。
柱の陰から見守ってるみたいな。
吹き抜けの2階から見守ってる。
2階に入る位置にいると、あいつ緊張すっかり。
心遣いがね。
入ろうっていうか、見守ってる感が、めっちゃ仲間っていうか、愛の感じもする。
いきなり泣きそうなんですけど。
愛されてるやんと思って、一人で戦ってる感じ出してたけど、
みんなから愛されて、守られてるやんと思って。
ありがたい。ありがたい。
最初、ももこさんも出ましょうって言って。
ずっと言ってたけど、絶対いらないと思って。
そんなこともないじゃないですか。
絶対いらないでしょって思って。
岐阜大学の方もいらっしゃって、みんな見守ってたし。
岐阜大学の方も、自分ちょっと途中から入ってくる感じでもいいですかって。
みんなでね、私を一人にしようとするんですよ。
確かに。確かに。
本当になかなか、あれも先発のバタバタのね。
そうですね、バタバタの中で。
それから1ヶ月後にまた大イベントを。
大イベント。
そうですよ。今日はその話をね。
ですよね。
イベントの話ということですけども。
でもね、もう少しだけ感謝祭の話をすると、
リスナーの統計を見れるんですけど、
あれやってから、ちょっとリウケンの人のリスナーの割合が増えて。
マジで?めっちゃ嬉しいやん。
びっくりしてて。
一月経ってるんで、やっぱり傾向がだいぶ出てきてるんですけど。
1割ちょっとぐらいしかいなかったんですけど、
それが2割以上、2割後半とかになっていってて。
最近の。
じゃあさ、クイズ王に決定戦出てくれた高校生とか、
岐阜大学の子とかもクイズの人とか聞いてくれてる?
そうかもしれないなと思って。
2割のところに。
そうそうそう。
しかもちょっとびっくりしたのが、東京から山田俊介のファンが来たんだよね。
山田俊介のファンなのかどうかよくわからないですけど、聞き勝ちのリスナーさんがね。
東京からだよね。
タコカボユウジさんと言いましてね。
運防具大作戦というラジオ番組をやってる方なんですけど、
その方もせっかく来ていただいたんで、
控室ちょっとお借りして2人で収録もしてみたいなことをやったりしてましたけど。
いやだからタコさんすっごい褒めてくださってたんですよね。
みんな楽しそうにやってましたねとかっていうことを喋ってました。
誰も義務的にやってる感じの人がいないっていう風で。
そんな人いたら。
成り立たないですもんね、確かにね。
ちょっと良くない音声が入っちゃうけど。
えしんてんしてたけど。
まあでもね、それもありながら1ヶ月経ってちょっとずつ全体の数も増えていて、
そこに割とギフの方が流れ込んでる感じもあって。
その後も割とね、ビバン会やったりとかね。
ビバンとギフを掛け合わせた会をもうすでに3回収録してたりしますけど、
結構それで聞いていただいてたりとか。
だんだん東京の人の割合が減ってきてるというか。
いいね。
愛知もちょっと多いですけどね。
だいぶ傾向がイベント社会に変わってきてるなみたいな。
年齢は分からない?
年齢も分かります。
年齢は50代が多いです。
なるほど。
ちょっとね、あまり若年層とかでもないんですよ。
うちのフォトキャストって。
ちょっと不思議な感じもあるんですけど。
でもなんか50代の人たちにとっては楽しみにしてるんだろうね。
こだわりの50代?こだわり派の50代っぽい感じ?
こだわり派の50代ね。
たまきとか。
自分はこれだっていうものがあって、
そことフォトキャストの内容が重なってるとかすると、
ハゼるんでしょうね、こうね。
でも年齢の幅いろいろ増やしていきたいですね。
なのでちょっとね、いろんな方に聞いていただけたらいいなという感じもあるんですけど。
さて今日はそんな1ヶ月前のイベントを経て、
また今月ちょっと大きなイベントがあって、
桃子さんテントコマイだったっていうことで。
今月だったのか。
今月だったのか、先週か。
先週ですよ。
先週先週ホヤホヤの話題ですけども。
今月150周年を迎えたひらみの合併が今回のテーマです。
素晴らしい。
おめでとうございます、150周年。
おめでとうございますって誰に向かって言ったらいいのか。
それよく分からなかったんですよね。
そうなんですよね、確かに。
でもこれからの岐阜県の発展を願って。
願って。
みんなでお祝いしましょう。
日曜劇場美版でも岐阜県のシルエットがかっつり映った壁画が大写しになっていたりして、
県民をざわつかせておりましたけれども。
本当に。
あれが岐阜県の形だって分かる人は、でもそんなに多分多くはないんですよ、きっと。
確かにね。
全国区ではないんです、岐阜県のシルエット。
誰が選ばれたのかな。
映しといてもいいだろうって思われてた可能性もあると思うんですよ。
でもね、この150年って何かというと、簡単に言えば岐阜県っていうのがあの出てた形、今の形になって150年だよっていうことなんですよね。
で、8月21日がその記念日だったわけですけど、岐阜新聞は記念紙面をその21日に合わせて出したりしまして。
なんで今日はその記念紙面をちょっとめくりながら、改めて岐阜県ってどんな県なのよっていうのを語っていきたいなと思います。
素晴らしい。
これなんか私改めて不思議なのが、他の県だと長野県、例えば誕生を百何十周年とかって言うんですか。
ひだみの合併ってそこから不思議じゃない?
確かに。
長野県も今年ちょうど長野県150周年なんですよね。
そうですよね。
この間長野行ったんですけど、結構150周年っていう文字を見ましたね。
セブンイレブンとコラボしてたりとか。
あったりしますけど、ひだみの合併150周年ってちょっとなんか含みのある言い回しをしてるっていう。
岐阜県じゃなくて。
ひだみの合併っていうワードから岐阜県らしさがめっちゃ漂ってるなみたいな。
っていうのもね、やっぱり歴史をひもといたのが今回主に田代さんでしたけど、
なんかうよ直接ある県なんだなっていうのが改めて感じられる紙面でしたよね。
この歴史の部分なんですけど、岐阜県は、岐阜県っていうのができたのは1871年なので、さらに前なんですよね。
この廃藩地圏後の美濃地域にあった9つの県を統合して岐阜県ができたと。
で、この時は半分だけできたみたいな感じなんですよね、美濃地域になるんで。
この北の方にある平地域っていうのは高山県を経て、品野の中南部と一緒にくっついて竹馬県になってた。
そういう時期があるんですね。
だから長野と一緒だったんですよね、高山は。
で、この竹馬県が1876年に廃止されます。
で、ぽつんと日田がこの時は3つの軍で成り立ってたんですけど、真下軍、大野軍、吉利軍の3つだったんですけど、
この日田3軍が岐阜県に編入するのが1876年。
で、ここでほぼ今に近い形の岐阜県というのができたと。
で、そこから150年経ったのが2026年、今年だということですね。
だからこの今の形になる前のこの戦って結構知らない人多いんじゃないかなと思ったんですけど、
少なくとも私は会社入ってから知りました。知らなかった。
竹馬県って何ぞみたいな感じでした。
私は駆け出しが高山だったのでそこで知りましたね。
いろんな歴史関係の展示とかでね、竹馬県になるものを知り、そっか最初は日田海の1つじゃなかったんだと思って。
でもその1つじゃない感じをずっとこの、ずっと1つじゃない感じ。
ちょっと言い回しが本当に難しい回です今回。
でも私、これちょっと先に言っちゃいますといいですか、記念式典8月23日日曜日に。
8月21日、150周年を迎えた後、というかその週の日曜日にゲロの睡眠館という記念式典がありまして、
岐阜新聞はなんとちょっと委託運営をさせていただいて、そこの式典の運営をやらせていただいたんですけども、
なので一番舞台の近くで知事の講演や首長さんたちが登壇するパネルディスカッションを聞かせてもらってたんですけど、
岐阜県はバラバラでいいっていう。逆に。
多様性が魅力だよねって。確かにね。そうかも。
で、それは、はっきりと一番はっきりと言ってたのは日田氏と。
そうなんですね。
ものすごく素敵なお話で、スライドも素敵だったんですけど、なんか日田氏の自慢するとか、
そんなんじゃなくて、バラバラでいいと思う。まとめる必要ないと思う。
お互いの良さっていうのも十分私たち分かり合ってますよねっていう話もあったし、
例えば共通点もあるんですと、日田の場合は紅葉樹、そこは日田のオリジナルですよ。
大間寿司とかだったら東納でもあるし、中津川だとこうだけど、ゲロだとこうだけど、
若干似てても違うみたいな。ちょっと中身の具材が違ったりだとか。
あと薬草にしても、いびがの方が先に薬草っていうのをやってて、
いび川町さんの薬草の文化いいなと思って、日田氏もちょっと真似させてもらって、
日田氏でも薬草でも生えてる食性ちょっと違ったりするので、
同じ薬草っていうコンテンツでも地域性が出て面白いねとか、そういうお話だったんです。
だから岐阜県の形ってちょっといびついんですけど。
そうそう、真ん中がくぼんでいて、上下の幅も違うし、まさにいびつですね。
海抜も3000メートルから0メートル、食性全然違うんですよね。
確かに。一つの県の中で地形も地理的な条件だったりとか、標高が違えば食性も違ってくるわけで、
そうすると人の暮らしが変わってくるので、文化圏の形成の仕方にも多分影響が出てくるので、
どうしても違いが出てきてしまうっていうのはあるんでしょうね。
それを一つにしなきゃみたいな県みたいになっちゃうと、なかなか丸見るの難しい。
けどもその違いこそが魅力なんじゃないっていうのを言ってた時に、
それ答えかもなって思いました。
多様性、多様性ってこの5年ぐらいですごく言うようになりましたけど、
その走りとも言えるようなところがこの岐阜県っていう地域はあるかもしれないですね。
昔からダイバーシティーやってますって。
そう、ダイバーシティー。
かっこよくない?
潜伏者みたいなとこあるから、ダイバーシティーのパイオニアみたいな。
でもそうなんですよね、県境も市町村っていうのもかなり変遷があるので、
市町村の数っていうのがね、かなり変わってってるんですよね。
この1879年に、これは何のタイミングだっけ、これ法律が…
これはですね、軍区町村を設置する軍区町村編成法が制定されたタイミングで区分けされたという。
ここで25の軍で岐阜県は構成しますよっていうのが決まったと。
この時は135の町と1228の村でできてると、25軍の内訳。
ものすごい数だなっていう。
全然その区分けの仕方も違った。
日本昔話的な時ってこと?
本当そのくらい前ってことですよね。
1889年に948市町村になり、1897年に343の市町村になりっていう風にどんどん変わっていくわけですけど。
そうですね、だから明治の大合併、昭和の大合併があって、その後平成の大合併もあって、今42の市町村に分かれているということですね。
あとこれは私、ちょっとあんまりしっかり認識できてなかったなと思うのが、
1958年に福井県の糸城村が白鳥町、今の武城市ですね、に入っていると。
これ、糸城ってもう完全に岐阜のものになってますけど、もともとは福井にあったっていうことなんですよね。
なんか糸城って、ちょっとやっぱり文化的に違うんかな。
なんだろう、でも移住されてきてる方が多い地域だとかって言いますよね。
小水力発電。
そうですね、なんか新しいことを積極的に取り組んでる面白い街ですよね。
多分ね、今も関西電力なんじゃないかなと思うんですけどね。
そうか、中部電力じゃなくてっていうね。
そうか、そういう、なんかその系統もあるんですかね。
だって、東の方行ったら北陸。
そうか、そうか、そうか。
東の方行くとね、そうなんですよね。
なんかこう、結構いろんな区分けが、その電力会社で分けたりだとかね、いろいろあるので。
今回ね、この明治13年。
岐阜県図書館に残る最も古い、この日並みの合併後の地図。
ちょっと紹介させてもらったんですけど。
紙面じゃシルエットしかわからないんですけど、これよく見ると、
軍の何軍って色分けされていて、軍の名前書いてあって、
集落まで書いてあるんですよ。
へー。
で、結構ね、私、水穂市出身なんですけど、水穂市の旧津波町っていうところなんですけど、
そこをよく見たら、大野軍っていって、伊備の方と同じ軍だったんですよ。
元州軍じゃなくて、大野軍、青野軍なんだと思って。
性能と結構、性能と同じくくりだったんだとかっていう新たな発見がありました。
これ実は南北に長いくくりで大野軍ができていると。
でもなんか、元州軍じゃない大野軍って聞いて、なんか腑に落ちます。
そうなんですよ、そうなんですよ、そうなんですよ。
なんか生活圏が結構性能エリアだったんで、そのこの津波町って。
どっちかっていうと、買い物とかいろんな。
そうなんだ。
そうなんだと思って、結構面白い。これ読み解くと結構面白かったです。
むしろだ軍っていうちっちゃい軍とかあって。
座席の席に田んぼの立って書いて、むしろだ。むしろだ小学校ってありますよね。
全然違う、今と全然違う、この辺のくくりは違うなと思って。
でも違うんだけど、なんとなくわかるっていう、なんか不思議な感じがね。
この時とか市町村どんだけ合併しても、その地下に流れている、やっぱ地盤になっている文化圏みたいなやつは、
このくくりに近いかもしれない、近いかもしれない。
そんな気がするな。
源流がちゃんと今も流れているのかもしれないっていう。
そうやってみるとこの地図面白いですね。
本当はもっとこの25軍がわかるように載せたかったんですけど、
やっぱりピースの問題で。
それだけで1年間で。
こうとするとそうなんですよね、やっぱり情報量がかなり。
これ明治時代から昭和、平成にかけての変遷ってのを見開き1ページでドーンと載せているっていう。
これちょっと取っときたいですもんね、これは。
壁に貼っておきたいっていうな、なんかね、教科書的な紙面でもあるけど。
岐阜のいろんなその源流を知る、文化の源流を知るみたいなやつ、
今後やれると面白そうですよね。
面白い。
これをきっかけに、これスタートに。
ひもとくとあちつは同じ村やった。
軍一緒やったみたいな。
仲直りのきっかけとかにしてもらえそうですよね。
喧嘩しなきゃいけない。
元は一つなんだよみたいなのもあるかもしれない。
だけど非ダミノだけど。
非ダミノだけどねっていう。
あと平成の大合併もあるので、ここで長野県山口村が中津川市に編入されてっていうこともあったりだとか、
あとは高山市が今のかなりの広い地域になるっていう大合併をしますけど、
旧高山市と周辺の、古い旧高山市と9つの町村の編入で大きな高山市になりましたと。
同じぐらいの面積があるというね。
ものすごいでかい市になりましたけれど。
違和感あっただろうな。地域住民たちもね。
そうですよね。ちょっと広すぎるんですよね。
あとは大勝市が上石津町と園又町が編入して二重の飛び地っていう。
これも珍しいところですよね。
これなかなかないですよね。市町村で飛び地ってあんまりないだろうなっていう。
そんな合併もしたりした。平成の大合併もありましたけれど。
それら経て42の市町村で今の形の岐阜県が成り立っているということですけどね。
どうなんですかね。今の高山市の話もありましたけど、
合併することで元々の地域ごとのアイデンティティが薄れてしまうんじゃないかみたいなね。
問題というか課題があったりするのかなと思うんですけど。
田代さん、水保守になったことで元々の津波っていうアイデンティティがちょっと薄れてしまったんじゃないかなとか思うことあります?
でもそうですね。津波っていう言葉がもう中学校ぐらいしか残ってないので。
新しく合併後に生まれた人たちにどれだけこの津波っていう言葉に親しみがあるのかなって思うと。
元寿司の巣。元寿司の巣って伝わる人ばっかりじゃないですね。
鳥の巣ですね。
方角の南で津波という地域がありましたけれど。
私は前に偶像司局にいたんですけど、偶像司も7町村が合併して偶像司になっているんですけど。
地名に偶像司八幡町どこどこって、偶像司名宝どこどこみたいな昔の地名が残っているんですよね。
それがいいなと思って。それがいいなと思って。いつまでもアイデンティティとして。
市内でも名宝がありますよね。
残っていくから。
名宝ハムの名宝でもありますね。
自明工房名宝。
自明工房名宝。
ちゃんとどこかに残っているとね。
市名に残すというのも一つの手だと。
海津市とかもそうじゃないですか。
海津市平田町とかそういう感じで旧町村名が残っているので。
南農町。
そういうのもちょっと羨ましいなと思う部分はありますね。
でも岐阜県は道の駅がいっぱいある県ですからね。
全国の都道府県で2番目に多い道の駅が多い県ですけど。
それでいくと結構古い地名が道の駅にされているということで。
海津市平田町というのもクレール平田という道の駅があったりしますし。
ちゃんとやっぱり所々に残っているというのは一つの特徴かもしれないですね。
残っていたり残っていなかったりというのはいろいろあるんでしょうけど。
そこに残したいという地域住民の熱い思いがあるので。
思いがきっとあったんだと思うんですよね。
あったって名前つけてもらうのは困るわけですよね。
そういう方もいたと思う。
あったんでしょうね。
そんな平田と美濃が合併して150年という節目なんですけど。
この県という単位でいくと、都道府県という単位でいくと県民制とかという言葉があるじゃないですか。
この県民制を岐阜県というのは一つにくくれるんだろうか問題というのがあるのかなというのを思ったりしましたけど。
この21日の記念日に出た別釣り特集では県民制について、それぞれ気候文が4編載っているんですけど。
そこでいろんなことをいろんな方がおっしゃってたりするんですけど。
かいつまんで言うと、例えばこの小説家の中村幸さん。
中村幸さんは大垣市の出身の方ですけど。
岐阜県の県民制としてこの堅実さの内側に情熱があるみたいなことを書いていたりだとか。
あとはこれは岐阜県の江崎知事の言葉だったかと思うんですけど。
周囲との関係を重んじ穏やかで控えめみたいなことを見方として挙げてたりとかするんですけど。
ここでもやっぱり語られているのが、県全体で一括りにするよりもひだらしさ、実らしさっていうのを掘り起こす。
そういう視点も大事なんじゃないかなっていうことなんですよね。
いや、このひだらしさ、実らしさはパキッと分かれるんじゃないかなって。
私、それこそ父親が、今はもう亡き父親ですけど、退開してますけど。
岐阜新聞の記者させてもらっています。
栄物記者。
釣りばっかりしてね、いつ書いてたんだろうって感じですけど。
前に出たのが、うち父親はモトスの生まれなんですけど。
でもなんか自分のDNAの中にひだ人が入っている的なことを勝手にお酒飲んでとかしたら言ってて。
ひだは縄文人で、ミノは弥生人やみたいなことをよく言ってました。
そもそもルーツが違うみたいな。
それくらい昔からルーツが違う。
だからそもそものルーツの違いから、文化の計算し方とか生活も変わってくるし。
ひだの方だと3千メートル系の山に囲まれてるじゃないですか。
そこを越えて人と出会うと、こんなところでおったねみたいな。
人を迎え入れる優しさみたいな。
だからあんまり外から来た人に対して冷たくないというか。
受け入れるような。
懐の広さがあるわけですね。
厳しい環境だったからそうやって助け合わないとやっていけないっていう。
自然科学の厳しさみたいなところで言ってたりとかしてました。
だからこの伊野らしさ、ひだらしさっていうのも県民性当てはまる感じしません?
堅実さでさらに内に秘めた情熱も穏やかで控えめな気質のところ。
当てはまるなっていうね。
そうなんですよね。ちょっと控えめっていうのはあるだろうなっていう。
その控えめ、穏やかさの中に自虐性が混ざるなって私は思ってますね。
それなんでなの?
私半分関西人じゃないですか?半分大阪なんで。
だから4歳まで岐阜にいましたけど、それこそ大垣にもいたし、
ひだにもいましたけど、そこから大人になる半分ぐらいは大阪っ子なんで。
そうですね。
だからなんでそこに、私も思うんですよ。自虐が入るなと思って。
なんでみんな自虐入っているのかなと思って。
なんかね、素直に誇らないんですよ地元のことを。
なんでなんで。
なんでだろう。
大阪から来た時にタクシーのおっちゃんにも。
みんな言うんですよ。岐阜なんもねーってみんな言うんですよね。
それはやっぱ内陸だからじゃないかな。
なんかね、あれですよ。江崎知事の気候文をちょっと読んでみると、
海に面しておらずっていうところを触れてるんですよね。
海に面しておらず、遠方の文化や社会に直接触れる機会は少なく、別にモノマネはしなくていいですね。
似てる似てる似てる。
変化に対しては比較的慎重なスタンスをとる。
江崎知事めっちゃ声いいんだよ。
声優さんみたい。
めっちゃ低いですよね。声をなんとなく低めに出すとモノマネができるっていう感じがあります。
そんな優しそうにモノマネしないで。
そうですね。確かに。
県庁の方に怒られそうですけど。
変化に対しては比較的慎重なスタンスをとるといった傾向が見られますみたいな分析をされていて、
そんな技術はじっくりと物事に向き合い、あらゆるものを芸術の域まで高めることに適しているともいえ、
ひだの巧みに代表される伝統のものづくり、刃物や和紙、陶磁器、各地に築く地下武器や祭りは世界の人々からの高い評価を得ています。
みたいなことを書いてみて、確かになっていう。
慎重なんですよ、やっぱり外からの方々に対して。
あったかくもてなしたりするんでしょうけど、
慎重な分、あんまりあけっぴろげに自分たちの良い部分を伝えてしまって良い相手かっていうのを結構慎重になっているところもあるのかなってこれを読んで思いましたね。
保守的ですね。
保守的って言われるじゃないですか。
かなり保守的じゃないですか。
もてなすんですけど、かなり様子を見ていると思いますよ、私。その岐阜の方って、その外からの方に対して。
仲良くなるとなんかとっても優しいけど、仲良くなるまではちょっと距離感感じたり、私今でも馴染んでない感あります。
20年近くになってくる。
これも大阪人とか関西人とかって一くくりにはなかなかできないんですけど、結構我が我がって前に出ちゃうんですよ。
我が我がって。
固そうですよね。
それ別にまさとやってるとかじゃなくて、なんだろう、空気感ってなんなんでしょう。私もうまくそういう分析したことないんですけど。
なんだろう。
でもこっちに来て、私むっちゃ前に出てしまってないって思うことが多いんですよ。
でもそれは今まで生きてきてやってきたスタイルなので、あれ、今までが大阪スタイルだったんだと思って。
そのままこっちに持ってくるとなんか結構前に出ちゃってる。前に自分が出ちゃってるんで。
えさきさんの気候文が結構一つ一つ付随するところがあるなと思って、もう一回引用挟んでみようと思うんですけど。
ひだだとゆいの文化があるじゃないですか。白川豪のかやぶき屋のような吹き替えをみんなで一緒に。
総合府城で地域住民に協力してやりましょうというゆいの文化が含まれたと。
で、みのだと基礎産線が水害をもたらしたりも繰り返ししてきたので、自分たちの生活を守るために和住という堤防を築くことで地域を守る仕組みができて。
それによって住民の連帯感がより強いものになっていったんだよということを書いてるんですけど。
和住根性や。
そう、和住根性って言葉もあるぐらいで、こういう環境が周りとの関係性を重んじはするんだけど、結局的に目立つことを良しとしない穏やかで控えめな基質を生んでいると思われますっていう分析をしていて。
なるほどなぁと思う。
和住根性って、どういう時に使うの?いまいち自虐的な感じの。
あんまり良い意味で使われてない気がする。
でも、水害がひどい地域だったから、自分たちを守ろうみたいな、この地域の人たちを団結して守ろうみたいな感じで。
知恵ではある。
そうやって連帯してみんなで守りあっていこうよねっていう意味ではあるんだけど、逆に和住の外のことは気にしないみたいな意味で使われたりもしますよね。
排他的っていう。
そういう意味でも結構使われるかな。
どっちかというとそっちですよね。
公社の方が。
今は使われてるかなっていう気がしますね。
和住根性。
ね、言われたりしますけどね。
でもやっぱり海梨県っていうのはひだみの共通するから。
他の県もさ、海梨県だと同じような感じかな。
そうだよね、長野も一緒ですよね。海梨県で言えば山梨とかも。
私なんかそこにプラス、日本の真ん中でいろんな交通の要素として使われたりとかっていうのも周り気にしなきゃいけなかったり。
ちょうど東西の結節点みたいな言われ方をすることも岐阜県ってありますけど。
関ヶ原の後にあんまり買ったとこばっかじゃないじゃないですか。
確かに。
天下分け目3回か4回やってます。
関ヶ原だけじゃないっていうね。
なので、そうか。
なんかその辺掘り下げると面白そうですね。
海梨県っていうキーワードと、もしかしたら日本の真ん中ってあるかもしれないし。
確かに。
天下分け目の戦いが3回もこの地で行われたっていうのは。
そこから学んだこの地の人たちが周りを思うばかり。
我々は学んできたゆえに思うばかり。
前には出ない。
前には出ない。
出ないかもしれないから。
よく様子を見るっていう。
様子を見るみたいな。
そういう子孫に伝えてた。
そうかもね。
勝ち馬に乗るために見極めるみたいな。
見極めるみたいな。
なんか船長取材とかしてると、船長選ってそうなりがちだけど、よりそういう様子が強いんじゃないかって。
終盤になればなるほど勝ち馬に乗ろうとしてはってなるみたいな。
特に強いのかもしれないとか思ったりもしますけどね。
だから選挙結果も割と早いもんね。
褒めてあげて。
別ズル特集の中には子どもたちのコーナーもあって、
これがなかなか面白いなと思ったのが、
ひだの白川村の白川豪学園という義務教育学校、
中古一貫校がありまして、
美濃の岐阜市にある相川北学園、
これも義務教育学校、小中一貫型の学校ですが、
この2つの学校の子どもたちが
お互いの地域の魅力だとか、行ってみたい場所とかを
紹介し合うという紙面構成になってまして、
まず相川北学園側が自慢したい地元の宝物として挙げたのが
岐阜城金火山、そしてうかいあゆ、
で、ながら川というのが上位につけていると。
で、白川豪学園側は
ブロク祭りだとか合唱作り集落、雪というのが上位に来ていると。
自然だけじゃなくて祭りだとか暮らし、
そういったものが入ってくるといったところで、
それぞれ挙げているものに違いがあったりとかして、
またその地域の風土というのがよく現れていて、
面白いなあなんて思ったんですけどね。
これまた全校の児童生徒に聞いているんですよね。
相川北学園だと岐阜城金火山というのが1位になっていますけど、
74人がこれを選んでいるということですね。
白川村1位はドブロク祭りとなっていますけど、
そうか確かにね。神社に集まってひたすらドブロクという。
中学生みたいな。
祭りの趣旨的に子どもが挙げているのどうなんだろうというのはちょっと思いましたけど、
ひたすら大人がだらしない感じになっていくという。
それを嫌がってないんだというのはちょっと安心しますね。
文化として捉えてくれているというね。
そうなんですよね。
でも本当に雪深い地域ですからね、白川村ね。
今はわりと高山の町の方とかってそんなに降らない。
かつてほど降らなくなっているけど、白川村は相変わらず降るじゃないですか。
でもそれも地域の殻物として捉えているというか。
これ紙面読んでいると、この学校として交流してみたいなとかね。
実際にこの紙面では交流をしているんですけど、
この2つの学校の子どもたちが実際に直接会っているわけではないということで、
リアルな交流のきっかけになったりするといいなと思ったりはしたんですけど。
一緒にいい岐阜の未来を作っていきましょうみたいなことを書いていただいてて。
だからこのページ、全体的にそうですけど、全然字逆がないですね。
ない。子どものこういう素直な発言とか本当に感動しますね。
浄化されるというか、ちゃんと地元のものをストレートに褒めたいなと思いましたね。
なんて。
大人になるにつれて字逆が出てくるのかな。大人になるにつれては保守的になる。
連れていくんですかね。なんでしょうね。ひねくれていくというか。
周りを見て様子見を始めてしまうということなのかもしれないんですけど。
どうでした?自分たちの頃って、例えば10代の頃に岐阜のことを自分の住んでいるところを自慢するとしたらって聞かれたら結構困りませんでした?
あんまりわかってなかったかもしれないですね。自分たちで、自分たちの町のことを。
やっぱり会社に入ってからの気がする。そういうことに目を向けるようになったのって。
ずっとさ、金火山の上に岐阜城があるじゃん。
子供の時とか、それが不思議に思ったりとか、シンボル的に思ったりとか。
なんかあれをしみじみといいなと思うようになったのって、ちょっと年取ってからというかね。
20代も後半とか30代になってからな気がするな。
うち今子供10歳なんですけど、金火山も、まあ岐阜城、車で走って遠くからでも岐阜城みたいな。
あ、岐阜城見えたとかって必ず言いますよ。
でなんか、堤防沿いで関とかから帰ってきたときに近づいてくるじゃないですか。長良川沿いに金火山とか岐阜城。
そしたら、あ、なんか帰ってきたねみたいな。
あ、でも確かに、うちの子言わないですね。全然言わないですね。
同い年ですもんね、確か。
そうですね。
なんかなあ、私どっちかっていうと、なんもねえなんもねえって言ってたからだったと思うなあ。
子供心にして大人のそういうなんもないっていう言葉をちょっと聞きすぎじゃないですか。
擦り込まれてた。だからもう10代の時点で擦れてたんだと思いますね。
悲しいかな。
でも今あれですかね、総合学習みたいな学校の時間で地元のことを学ぼうみたいな。
そこでこういう地元の宝物的なものを知る機会があるのかもしれないですね、ちゃんと。
たまに取材とかでそういう授業に触れることが割とありますけど、
今の子供たちの方がディープに地元の良さについて学んでるんだろうなあという気がしますね。
北方町でも時の太鼓。
はいはい。
私知らなかった。子供は北方町の太鼓があって、園教授でどうのか。
そういうことまでなかなか触れてなかったんだろうなあっていう。
割とこの地域ではこういう野菜が育ててとか、こういう産業が栄えててっていう教科書的な学習はした覚えはあるんですけど、
それ以上のことってあんまりどうだろうなっていう。
だから好きになるまでちょっと自分の中でも掘り下げられてなかったなっていうのは。
これじゃあ教育大事ですね。
このふるさと教育を受けてきた子供たち、大人になって自虐的にならんかもしれない。
そう、それ本当に思った。
県民性変わってくる。
誇ってると思う。
でね、それはその方がいいですって。
で、これ割と日田美乃でもちょっと違いあるかなって思ってるんですよね。
日田の方が割と自虐的に語る人は少ないような印象はありますね。
だってそれあんだけ海外から観光客殺到してて誇らないわけにいかないじゃないですか。
なんも悩むもんでって言っとれんと思うんですよ。
あとね、小中学校の校歌とかを結構分析すると結構地域性出るんじゃないかなとか。
そこに昔のやつ出てくる。
岐阜市の学校ってだいたい金河山出てくると思うんですよ。
長良川と。
モトス界隈は、いぶきさんだいたい。
ああ、モトス界隈は。
へー。
そうか。どうだっけな。
そういうとこにね、地域の宝みたいなのが校歌の歌詞に埋まってそうな気がする。
それ面白い。
へー、面白いな。
小学校も中学校も一番の一フレーズ目で金河山が出てきてましたね。
やっぱり。
最後小学校のときは東はるかに金河山だったし、
岐阜中学校に行くと雲晴れて金河山だったしっていう。
出まくってるね、金河山。
私、小中学校ともいぶきさんだった。
ああ、そうなるんだ。
誇る山違うんだ。
たぶん東道に行くとえなさんだと思うんだよね。
なるほど、そうか。
ひなの方は北アルプスとか行ってるのかな。
ひだ山脈とか。
ノリクラとか行ってるかもしれない。
ノリクラ入ってそうですね。
実際ノリクラ行くでしょ。
福岡にどの山入っているかは初めて検索する。
これなんかネタになりそうですね。
うわあ、計らず。
ボビヘイヤーなのかボンチなのかみたいなのもたくさんあるね。
やんわり出てくると思う。
川もなんか水平違うんだね。
水平違う。
長良川なのか木曽川なのか海老川なのか。
木田川もあるし。
それだけじゃないですもんね。
高原川のところもあるかもしれないっていう。
マニアックだけど。
1個ぐらいね。
あるかもしれない。
面白い。
そうやってやっぱり残してるんだよね。
地元の誇りを。
福岡だったりなんだとかね。
知らずに歌ってただけで。
そう。
やっぱり当時の大人たちも
それを子どもに伝えたいと思ってたはずなんですよね。
福岡に込めるっていうことは残したいもあるけど
やっぱり残すためにはちゃんと伝えていかないとっていう。
染み込ませたいっていう思いがきっとあったんだろうな
なんにも考えずに私歌ってましたね。
小学生当時は。
確かにな。
それを一回分析したいっすね。
ちょっと面白いかも俺。
一緒にやりません?ほんとそれね。
面白いと思う。
そんな。
なんかちょっと少子化で学校も減ってっちゃうからこそ
ちょっといいかもしれんですね。
やっとくんもね。
そう。
実際だから人口がどんどん減っていて
子どもの数も減ってて
岐阜県といえば200万県民みたいな言い方をずっとしてましたけど
もう200万県民と言える状態ではなくなってしまったわけですよね。
そうだね。苦しいな。
今は190万も切りましたもんね。
っていうところもあったりだとか
そういって人が減っていくと
産業だとか文化だとかっていうのはどう維持するかっていうのがね
ちょっと同じやり方では難しくなっていくのかもしれないし
また岐阜県も広いから地域ごとに事情もそれぞれ異なるということで
いろんな課題も感じながらのこの150周年という節目だったわけですけど
どうなんでしょうね。
それを乗り越えていく上で
この多様性っていうのが逆に武器になるんじゃないかなっていうのはちょっと思いましたね。
それこそ記念式典のところでは
振り返るだけじゃなくてこれから岐阜県どうしていくみたいな
江崎知事の講演だったりとか
パネルディスカッションでもそういった要素も入ってたんですよね。
だからすごく勉強になったし
ちょっと明るいというか
全然少子化になっていくんですけども
関係人口の作り方とかもいろんな対策があるし
今、三野市とちょっとこの後市町村が出たか忘れちゃったんですけど
保育園の留学みたいな
山形かな。
それも関係人口の作り方のひとつだし
違う地域の保育園にっていうことですよね。
都会の人が来てくれて
やっぱり本当に全て自然が全てあるし
名古屋にも二、三十分で見れるし
セントリアとか行ったら海外とも繋がれるし
割とやっぱり日本の真ん中だけあって
そこ結構アドバンテージあるというか
リフ弁にいるとどこに出かけるにも出かけやすいなっていうのは
普通に旅行とかでもそう思いますしね。
あとリニアですね。
リニアはね
岐阜県民的にはやっぱりできてほしいなとは
思っているところはあるかなと思うんですけどね。
なんかその江崎知事の講演の資料の中に
品川から三十四分ぐらいで
この景色ですね。築地郷の景色ですよ。
台と海から築地郷みたいな。長津川を押せる。
だから岐阜県はこのまま自然豊かなこのままでいいですみたいな。
そのリニアができて一番ワクワクするのは東京の人たちかもしれない。
でも確かにそうやって関係人口を広げるきっかけの一つになるかもしれないし
それがストロー現象みたいになっちゃわないように
するためにこそ地元の魅力を強固なものにしていくことで
ちゃんと残せるようにしていこうと。
地元に住もうと。
それも知事も言って
お母さんじゃあちょっと仕事行ってくるわって言って
東京に仕事行ってまた帰ってくるみたいな。
そういうことが現実的にできるようになるんですよ。
だからそれはそれですごく有名があるし
都会に出ないと何もできないみたいな。
そういうのはもうなくなってくるんじゃないかな。
なんかそう岐阜で育つとどうしても都会への憧れが育ちやすいみたいなところがあるのかな。
それをちょっと抱えているところがあるかなと思うんですけど
なんかそれ結構その部分を抑えることができそうっていうかね。
なんか今思うと東京とか大阪とかってたまに遊びに行くぐらいでいいぞって
ちょっとそこに暮らすのやっぱハードル高いよねってちょっと思っちゃうところがあって
なんかよりリニアができればそういうことが得りやすくなるし。
私は大阪で当然暮らしてましたけど
ほとんど梅田とかなんかとかいつも通ってて
岐阜来たときにやっぱり豊かだな。
岐阜来るきっかけになったのも食べ物美味しいとか水が美味しいとか
自然がこんだけあったらとりあえずなんか豊かな生活できそう
そういうところからこっち来ようって決めたんで
すごいいっぱい宝物盛りだくさん
なんか本当宝物に囲まれた暮らしが送れますよね自然の中で
これは確かに都会に再現できないですもんね
人工物で塗り固めてしまっていたら
コンクリートの上では生活できない文化を岐阜では受けれるわけです
だからちょっといろんな人工原とか若者の流出とか逆風はありつつもですけど
これを機にこの土地の良さというかこの岐阜県の良さをもう一回見つめ直して
ストレートにこの岐阜県というものを愛してみるというのも一つ
そういう節目でもあるのかなと思いますね
全然愛すべきだと
イジルシャ人からするとすごく魅力いっぱいだし
岐阜県って山いっぱい囲まれてるじゃないですか
岐阜県の人ってあんまり山に対して尊敬の眼差しがないというか
異形の念がないみたいなそういう
あんまり山の方を見てないという感じがします
それはねだから海を見ると珍しいからテンション上がるのと一緒で
山は常にあるから気にならなくなるっていうところはあると思うんですよ
慣れちゃうんでしょうねやっぱりね
山にもうちょっと目を向けたりとかしていったら
あんなにいっぱい太陽光パネルがついたりもしないかもしれないし
もうちょっと活用の仕方みたいなのが産業的にもライフスタイル的にも
もっとできるとよりアイラブ岐阜になると思います
だってこんなに8割あるんだもんみたいな
8割森林ですかね
これも全国2位とかなんですよね都道府県別で
高知が1位で
高知はまだ海がある
高知はまだ海がある
だからちょっと日の中は違うんですよ
海はないから岐阜県には
だからもう山を見るしかない
山を見るしかない
川のせせらぎを聞きながら
せっかくのこの150年という大きな節目ではあるので