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今日のテーマトークは、君たちはどう生きるか、です。
はい、では、大石さん、解説読んでいただいてもいいですか?
と言いつつ、
言いつつ、はい。
え、てか、解説あるんですか?ちゃんとこれって。
一応、じゃあ、映画.comに書いてある限りの解説読みますね。
宮崎駿監督が、数多千の以来10年ぶりに手掛ける長編アニメーション作品、
千と千尋の神隠しで、当時の国内最高興業注入記録を樹立し、
ベルリン国際映画祭でアニメーション作品で初となる金クマ賞、
並びに、米アカデミー賞では長編アニメーションを受賞。
同作の他にも、風の谷のナブシカ、もどの木姫、ハウルの動く城など、
スタジオジブリで数々の名作を世に送り出し、
明日共に日本を代表する映画監督の宮崎駿。
2013年公開の風立ちぬを最後に長編作品から知り咲くことを表明した同監督が、
引退を撤回して挑んだ長編作品。
宮崎監督が原作脚本を務めたオリジナルストーリーとなり、
タイトルは、宮崎監督が少年時代に読み、感動したという吉野玄座ブログの著書、
君たちはどう生きるか、から借りたものとなっている、というのが一応解説です。
はい、何も情報は出てきてないってことですね。
そうですね、宮崎監督の情報でしたね、解説。
大半がそうでしたね。
実際我々もそうですし、既に見に行った方々もそこを頼りに言っているわけですからね。
じゃあ内容に触れる話に入っていきたいと思いますので、
ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ここからは見てから聞いていただけたらと思います。
では、最後の感想を入っていきたいと思います。
マリオさんいかがでしたか?
はい、そうですね、自分は初日のレイトショーで、ドルビーシネマで見てやろうかなっていう感じで見に行きまして、
本当に何もゼロの状態で見に行くっていう、
その体験自体がまず初めての体験って感じなので、本当に映画を見る上で。
体験としてまず貴重だったなっていうことと、
本編自体はそうですね、結構意味はわかるんですけど、
あまりちゃんと話を語る感じではないので、
そんなご丁寧に説明する気さらさはないです、みたいな感じでガンガン進んでいくので、
まあ、らしいっちゃらしいんですけど、
ここまでなんかカオスかっていう感じっていうのはめちゃくちゃ受けたのと、
あとまあ、すんごいもうどんよりした終わりの雰囲気しか感じない映画で、
正直結構くらってしまったっていうのが感想ですかね。
はい、大井さんいかがでした?
そうですね、これめちゃくちゃ感想難しい映画だな、
特に一言でまとめるのはすごく難しいなって思うんですけど、
まあ、あえて言葉にするとしたら、
宮崎監督の、ちょっと自分は由意言であり、
かつ物語論だなっていうふうに自分は読み取りました。
なんか中盤以降出てくる世界っていうのが、
多分宮崎監督の中でも物語そのものだと思うので、
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もちろんあの世のメタファーとか、いろいろ多分読み解き方はあるんですけど、
自分はそれをイコールストーリーテリングだったり、
あるいは創作っていうものだろうなっていうふうに解釈をしていて、
で、そうなってくると、今作で物語の口座にも語りつつ、
いやでも物語語るべきでしょって言いながら、
でももう君らの時代だから任せたよってポンって肩叩かれた感じというか、
なんかそんな感じがして、そうですね、生きねばなってなりました。
はい、僕はですね、端的に言います、あんまり面白くなかったです。
で、よくわからなかったんですよ、正直。
で、盛り上がるところも別にないしっていうのと、
あと僕は自分で見た限りで、あんまりメタファーとか感じれなかったんで、
読み解き遊びにもならなかったんですね。
で、よくわからなかったなって思って、
その後人の感想とか見てて、
ああそういうことみたいなことを今いろいろ思ったんですけど、
もしそのメタファーが込められてるとしても、
あまりに宮崎駿個人の話しすぎるなとは思います、それは。
もうその、例えば風立ちぬも自分語りの話でしたけど、
普遍性はあったと思うんですよ。
ある種その、男の罪みたいなものも描いてる話で、
それってやっぱ普遍性で理解できたんですけど、
本作に込められてる意味を読み解いたとしても、
それはもう宮崎駿のものでしかないよなって思って、
それを僕は読み解いたところで、
宮崎駿でしかないからなっていう気がしてしまうんですよ。
もう僕の物語じゃないもの。
宮崎駿、この世界で宮崎駿でしかない物語だから、
そこに感情移入の資料がないというか、
それを理解したところで、
で?って思ってしまうなって思ったんですよね。
なんか宮崎駿がこう言いました、
言ってたかもね、で?っていう感じを、
僕は覚えてしまうなっていうのが正直あります。
ではお便り4通いただいておりますので、
紹介させていただきたいと思います。
まずけんけんぴんぴんさん。
みなさんこんにちは。
いつも楽しく拝聴しています。
今作僕はすごくがっかりしました。
終始、宮崎駿の描きたいシーンやアニメーションが先行していて、
伝えたいメッセージが何だったのかもわからず、
観客が置き去りになっていたように思います。
全編通して委員はメタファーのオンパレードで、
それぞれが何を意味しているのか説明もなくもやもやしました。
もちろん各作にもそういうシーンはありましたが、
それを抜きにしても1本の作品として完結していたので楽しめていました。
見る前は今までにない先天手法や、
ポニョイライのファンタジーになるなどワクワクしていたのですが、
こんな作品だったとは、予告を作れないのも納得です。
まさかあの天才宮崎駿に限って、
自らの創作人生の最後を汚すような作品を作るはずがないと、
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鷹をくくっていましたががっかりです。
しかしながらアニメーションのクオリティは素晴らしく、
特にスクリーンにキャラクターが向かってくるシーン、
階段を駆け上がるところや青崎が真人に向かってくるシーンの、
迫力や群衆の間を走っていくシーンの作画など、
新たなアニメーションの描き方を模索していたように感じ、
映画館の大きなスクリーンで見た価値がありました。
長文乱文指定しました。
映画の話したスリーラジオを楽しみにしています。
ありがとうございます。
正直僕もそう思います。
よくわからなすぎるなと思って。
見た時の劇場の雰囲気は、まあ困惑でしたよね。
隣で見てた大学生ぐらいの2人組の男性は、
俺には意味がわからなかったみたいな感じのテンションというか、
宮崎駿は何を考えているか、僕にはわかりませんみたいな感じのニュアンスでしたけどね。
その気持ちもまあわかるなっていうか、そうやろうなっていう感じですよね。
ただ僕なんか、この本作実はあんまり嫌いじゃないんですよね。
そうなんですよ。確かに宮崎駿個人の話すぎるのはものすごくわかるんですけど、
難しいな。
確かにこれ賛否両論結構分かれてる感じもあるなぁと思っていて、
好きな人はものすごく好きだし、そうじゃない人はものすごく嫌いだしみたいな。
結構映画好きの間でもそうなるような作品ではあると思うんですけど、
なんかこれまで宮崎さんって結構自分の話をちょっとごまかしてきたところがあるなと思っていたので、
なんかそういう意味で初めて宮崎さんの人間的なところが見えた気がちょっと自分はしちゃったというか、
そういう勘違いかもしれないですけど、
宮崎さんの自分語りをようやく聞けた喜びみたいなのが僕はあったのかもしれないです。
なるほどね。物語を語ってきた人がようやく自分を語ったと。
そうそう。僕多分前々回のランキングのところでフェイブルマズム上げましたけど、
監督の自分語り映画は割と好きなんですよ。
僕もそれはわかりますけどね。そういう映画好きですよ。
ローマとかベルファストとかもそう含めてね。好きですけど。
で、宮崎さんこうなんだなっていう。
自分語り映画として僕も別にそんな今作のこと嫌いじゃないんですけど、
まあでもあまりにもくらったんだよなっていうのはあって。
はい、じゃあ次のお題に行きましょうか。
げのげのせんきさん。
いつも楽しく配置をさせていただいています。
君たちはどう生きるか。初日の昼の回で見てきました。
劇場で見たのはポニョだけで、金曜ロードショーで放送される時に流し見するぐらいのジブリ弱者です。
さて本作ですがめちゃくちゃ眠たかったです。話がよく理解できず途中何回も寝てしまいそうになりましたが、
ラスト周辺の世界滅亡シーンをジブリの作画で劇場の大迫力で見られて個人的にはそれだけで満足できました。
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エンディング後にシン・エヴァンゲリを見た後のお疲れ様でしたと言いたくなる考えに近いものがありました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ジブリ弱者とはあまり思えないお名前な気がしました。
げどせんきやんっていう感じがしますけど。
なんか最後すごく感慨深く終われるのって、それはもう米津玄師の歌のおかげではっていうのはちょっと思ったりするんですけど。
米津玄師の歌めっちゃすげえなって思いましたけど、あの歌のクオリティ高っけえと思いながらちょっと見てたんですけど。
もちろん物語の考え深さもあるんですけど、それ以上に米津玄師のさらにブースト力みたいなのにちょっとすごくいい映画を見たみたいな気持ちすごくなりました。
なんかやっぱ映画に対しての原稿化能力米津玄師高っけえなと思いますね。
ちょっとびっくりするくらい高すぎるだろうと思って、すごいと思いました。
僕はラストはめちゃめちゃ好きなんですよね。
僕もです。
一瞬でパッて終わるじゃないですか。
戦争が終わりました。日常に帰りました。
終わりっていうあの切れ味はすごいというか、ジムナイルとして見たときに日常に帰って終わりで生きるっていうのはなかなかの鋭さやなって思いましたね。
しかもその前にちゃんと持って帰ってきたものもいつか忘れるかもねみたいな着地するじゃないですか。
あの塩梅すげえなって思いましたけど。
あれそうなんすよね。
あれはちょっとあの着地は確かにこの人すごいって思いましたけどね。
あの着地で確かにおっしゃるようにシン・エヴァンゲリオン近いなって感じはするんですよね。
なんかもう終わり終わりって感じっていうか。
なんかどんどんシン・エヴァっぽい感じしてきた今。
分かってきたその感じが。
途中から確かにエヴァンゲリオンっぽいなって思ってましたよ。
なんかでっかい地が出てきたときは何これゴルゴダプロジェクトみたいなやつみたいなオブジェクトみたいなやつみたいなっていうエヴァンゲリオンのなんかそれっぽいやつみたいなしか見えないとかね色々ちょっと見えますよね。
あと僕エンディングねもう足りなかったんですよ。
歌はいいんですけどジムリって後日短とか新書風景みたいな絵が入るじゃないですかエンディングで。
全くないでしょ。背景水色一色でずっとスタッフだけが流れ続けるからなんか絵的に面白くないなって思ってたんですけど。
あのラストから引っ張らないのわざとやってんのかなって今思いました。
持って帰るものはないんだぞって終わっちゃったんだぞっていう感じがあるなとちょっと思いましたね。
メッセージマイカンというかね。
そうですね確かにそこも確かに終わり感強かったな。
そうまだ風立ちぬも一緒感のある話やったんですけど風立ちぬってまだ呪われてる人の話やったんで。
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まだ呪いは残ってるぞっていう。お前は呪いの火中にいるぞっていう感じだったけどもう今回吐き出しちゃってるからなっていう。
この人の体内に呪いが残ってない感じがするぞっていうのは作る意味がなくなる感じはあるなと思いました。
眠かったのもそうやなと思いました確かに。僕はその点非常に理解できます。
じゃあ次のお題いただきましょうか。
ラジオネームブルーさんからいただきました。
店長メンバーの皆さんおはこんばんちは結局皆さんで飲み会はしたのでしょうか。
さて今回のテーマトーク君たちはどう生きるかですが、千と千尋以来久しぶりに感動した作品でした。
特に映像作品としてジブリ史上屈指の映像日だったと思います。
最近フルシーズアニメーションが多かったので余計にそう思ったのかもしれません。
内容は元ネタとなっているアイルランドのファンタジー童話失われた者たちの本にプロットは近いもののとても現代的な内容になっていたと思います。
十三の罪石は過去の宮崎駿作品の本数との考察がネット上で溢れていますが、やはり悪い石は宮崎駿がずっとテーマにしていた原子力や核兵器の比だと思っています。
王子様もどことなくアインシュタインに似ています。
また宮崎駿の母親も結核で入院しており、親子離れている時期があったことや、彼の父親も軍事産業の人だったので本人の人生が喜く現れた作品だと思いました。
映像日に反して活劇としてのキレの悪さは彼の老いや働き方改革、もちろんそれは良いことですが、の影響下と蛇水してしまいました。
また今回は賛否が真っ二つに分かれている印象があります。
個人的にはアート系の作品が好きな人に受けが良い気がしています。
賛否が続きますのでご自愛ください。
ありがとうございます。
飲み会は東京のバーで僕が話された件かなと思うんですけども、してないですね。
いずれ機会があったらいいかなと思っています。
映像はどうでした皆さん?
ところどころやべえなっていうシーンが追従に見られますよね。
やっぱこう、群衆に揉まれるってジブリだなーって思いながら見てました。
動物の動き描写っていうんですか、リアルすぎるぞみたいなのとか、
突然デフォルメされたおばあちゃんが出てくるとか、
ラインとかの感じとかすげえなって思いながら見てるんですけど、
こういうところを見てるとジブリ映画見てるなって感じはしますよね。
そうですね、ジブリ映画というか言い換えれば宮崎駿映画を見てるなって感じですよね。
宮崎駿の幼少期のことを触れていただいてますけど、
親が分野産業に従事してて、途中で総会してて、
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まんまん宮崎駿なんですよね、あのあたりの下りって。
資産的に余裕があって、本当に戦争のめちゃめちゃ悲惨な部分を直接体験してないというか、
少し距離を置いて過ごせてしまっていたっていうのってめちゃめちゃ特殊というか、
もう彼自身でしかない話だよなってすごい思うんですよね、あそこ。
あの時代にあの日常を過ごせた人って本当に一握りですよね。
なんかそこがね、怖いなともちょっと思うし、
でもその部分って彼の中のものすごいしこりだったんだろうなと思うんですよ。
自分は戦争の本当の一番嫌な部分を見ずに、
普通の少年時代を送ったと。
父親は軍人産業で、彼は後々来の戦争嫌いになっていくじゃないですか。
でも彼は軍人産業のおかげでその幼少期を過ごせたわけですよね。
ものすごいコンプレックスというか複雑な感情があったと思うんですよ。
その複雑さって風立ちぬでわかりやすく二律背反のものとして描かれてたと思うんです。
僕は美しいものを作りたいんだ、でもやってることはおぞましいことなんだっていう。
陰と陽が背中合わせになってたけど、今回もっとわかりにくいというか、
もうその光と影さえ描いてないですよね。
戦争真っ只中だけど、戦争そのもののこと全く描かないから、
もう自分が見てないものとして描いちゃってるじゃないですか。
自分が預かり知らないもの、自分が関わってないところが起こっている事象として処理しきってるから、
もう本当にさらに一歩踏み込んだ感あるんですよね。
だって彼今までそことのわざかまりをずっと描いてきたのに、
もうその自分が一番気になってた部分みたいなのを、
そういうものとしてあったからって言い切っちゃってるから、
もっとさらけ出したなって感じはあるなと思って。
戦争を自分には関係ないものとして過ごせたんだなんて、
多くの人から見たら結構嫌じゃないですか。
でも彼はそうだったんだものっていう。
でも逆に、多くの現代の子どもにとって素直に飲み込めるものになってるじゃないですか。
結果的に。我々もそうですけど。
普通の少年時代ですよね、あれって。
でもその普通って、彼が少年時代には本来的には普通ではなかったはずっていう。
そこを描くことが遂にできたっていうのは、なんかすごいなと思って。
なんていうか、今回多分鈴木敏夫さんの発言の中で一個あるのが、
今回制作委員会方式取ってないんですよね。
なんで資金集めとかをしていない。
なんで大衆のためのものじゃない、自分のために映画作っていいんだよ、ミヤさんって言ったらしいっていうのを聞いてまして。
だからこれまでのその戦争へのスタンスだったりとか、
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あるいは自然保護とか、そういったものへのスタンスってある意味、
世間体を持った上での自分のキャラクターだったのかもなっていうのはちょっと思えてきて。
でも本当の自分を語ったら、そこは自分はわからないっていうことを多分今回すごく正直に描いてるなと思って。
そんなことよりも何なら母親との関係の方がより自分にとっては問題だったっていう。
なんかそこはなんていうかな、素直にようやく吐き出せるようになった。
それは多分制作体制の変化だったり、そういうものによると思うんですけど。
だからそれが多分飲み込みづらいものになることはもう100も生じたし、
何ならこの言い方すごく乱暴ですけど、観客のために作ってるわけでもないからっていう感じもはや。
そうですね。そんな感じはしたいわっていうのは。
だから何だろうな、ゆいゴンって言いましたけど、ある意味彼の走馬灯を見てるのかなみたいな感じもしてくるようなところはあるのかもしれないなと。
なんで、普遍性を徹底的に廃したって意味なのかもしれないですよね、そこは。
でもそれは彼がずっと普遍性呪われていたのかもしれないってちょっと思ったりもしました。
正直僕、小坂は面白くなかったですけど、彼が身につけた普遍性の中に多分面白さっていうのもあるんでしょうね。
そう、多分そこを面白いって山口さんはきっと思われたなと思います。
そうですね。失笑説をするには逆に飲み込みづらすぎた気もするんだよな。
飲み込みやすさとか絶対考えてないなって思いましたけどね、今回は本当に。
そうなんですよね、なんかもう全部が根前一体みたいな感じがあったりするんですよね。
もうその途中から出てくる異世界とかも、生の象徴であり死の象徴でもあるみたいなのがごちゃ混ぜみたいになって、もう頭が混乱してしまうみたいな感じになりますし。
僕は物語ではあるんでしょうけど、あの世界ってもう完全に宮崎駿のイマジネーションの中の世界って感じなので、
想像力全てのものって感じなんで、物語にすらなってない状態なんじゃないかってぐらい思ってて、やっぱりあの中って。
だからやっぱり今までの宮崎駿の作品とかで見たことあるようなものがいっぱい出てきますけど、
なんかそれってもうなんか彼のイマジネーションがまだ形になってないような感じというか、っていうのがすごく僕の中ではすごくしたんですよね。
で、それがなんか最後に音を立ててぶっ壊れていくっていうのに、本当に終わりじゃんっていう。
終わりじゃんっていう、もうめちゃくちゃ感じだって感じですよね。
はい、次のお便りいきましょうか。
はい、では4通目8さんからいただいております。
お疲れ様です。君たちはどう生きるか。
こんな万年万年した巨匠の万年作も貴重というか、いろんな特権の上に成り立つ老角のような作品だと思いました。
映画誌の中にひとまず置いてみて、一番近い手触りを感じたのはゴダールのイメージの本でした。
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あそこまでおびただしい引用のデクパージュになっているかというとそうじゃなく、
引用元が自分の過去作、プラスここ10年で話題になった映画やドラマの構図が割とそのまま差し込まれるといった
非近さが一番乗り切れなかった要因かもしれません。
シナリオもイメージの本みたいに観念の世界で戯れるというより、中途半端にわかるような語り口で、
わからないならもっと徹底的にわからなくしてほしかったのが正直なところです。
生きる術や冒険の動機に女性が関わるところは、監督の癖などでもう変わらないところだと思いますが、
怒りの感情に支配された時、シャワーを寄せて醜い顔になる演出、
これは深海誠もやってましたが、そんなところ受け継がなくてもいいんじゃないかと思いました。
そんなこんなで誰も何も言われることなく、シネコの一番良いスクリーンにあたがわれた今作は、
私にとってツッコミのいないゲソックの森のように思えて途中からなんだか笑えてきました。
この映画、本当にツッコミイコール客観がないんですよね。
別の世代、経済圏、分野の人が傍らにいれば軍事産業の下請けで戦時中から裕福だった人が、
君たちはどう生きるかということがどれほど構図として禍々しいことか、
ちょっと哀れに帰れたと思うのですが、せめて宣伝を一切しないという信者に向けたものとして
隔離したプロデューサーの判断が幾分まともに見えるくらいです。
他にも色々ありますが、やっぱりこういう一部の特権的作家による天皇のお言葉みたいな工業スタイル、
もうやめようぜというのが結論です。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
まあ、ワンとすることは分かるなと思います。
そうですね。変わらず鋭いですね。
キレキレやなあという感じですよね。
自己作の引用していたのはそうかなとは本当に思いました。
僕もちょっと自分のパーティーやってるなというふうに見えたんですよね。
バレっぽいなとかアレっぽいなとか。
ちょっと自称的にも見えるというか、
俺ってこれが求められてるんでしょうみたいにわざとやってる感じにもちょっと見えて、
なんかそういう自己模倣とかめっちゃ嫌な人だと思うんですけど、
なんかそこをちょっとわざとやってる感じは、
ちょっと年老いた自分を客観しているところもあるのかなと思いましたけどね。
それこそ最後その積み木の下りがあるじゃないですか。
で、積み木の下りで結局主人公はそれを積まないというか引き継がないって形を選ぶわけですけど、
なんかもうあのおじいちゃん自身もある意味現代の宮崎駿を本人のように僕は思えたので、
もう俺がいくらやっても俺のコピーになっちゃうんだよみたいな、
そういうことなのかもしれないなちょっと今思ったんですけど、
だからもう俺の真似なんかすんなっていうことなのかなっていう。
なんかそういうのもありそうですね。
だから結局もう最後世界が壊れたっていうのはもうジブリも終わりだし、
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宮崎駿をそれこそポスト宮崎駿って言葉が一時期あったじゃないですか。
新海誠だったり細田守だったりがあてがわれたりしましたけど、
何がポストだと、俺の後に別に続かんでいいってことなのかなともちょっと思ったりもしました。
そうですね、それはあるなとは思います。
そうですね、確かに継ぐ話っていう意味では確かにあんまり、
宮崎駿という人は継ぐことをあんま気にしてなかったというか、
しなかったからそりゃスタジオジブリが制作部分を解体したしなみたいな感じですもんねっていうのは。
全然ありますもんね。
そこに対してどういう感情なのか僕もわからないですけど、
そういうことはやっぱり自分の人生とそこは重ねてそうな描写だよな、
あの辺の継承の下りとかっていうのは。
たぶん少年もだし、あのおおじいさまですか?
うん、おおじいさま。
おおじいさまも、どっちもあれ宮崎駿だからなみたいな感じですよね。
明らかにそうですよね。
どっちも宮崎駿だからな。
そこにちょっとなんか例えば高畑勲が入ってるとかそういうのがあるのかもしれないですけど、
結局自分だからな。
でも自分がどっちの立場にいてもちょっとひねくれてるのかわからないんですけど、
どっちにしても継ぎたくねーやみたいな感じで自分でもなるんだろうなっていう気持ち的に、
たぶんそういうマイナーがたぶんありそうな感じがするので、
きっとなんとなくその辺も含めてなんかいろいろ物悲しさもちょっとあるなーって思いました。
僕結構スタジオジブリのドキュメンタリーって好きで見るんですけど、
僕の中で一番好きなのは小倉小坂の宮崎吾朗の息子とのドキュメンタリーが一番大好きなんですけど、きつくて。
もうそうだよね、息子さんとの関係めっちゃなんかうーんって感じするもんな。
もう嫌だもん、僕。宮崎吾朗の立場だったらすごく嫌だもんって思って。
だって吾朗さん本当に人立場ですよ。
だって自分が映画監督、そもそも映画の仕事なんかもやったこともないし、アニメーションの仕事なんかもやったことないのに、
いつの間にか映画監督に祭りあげられて、でもその理由は父親が宮崎駿だからの一点以外ないんですよ。
で、あてがわれた作品は父母牛のゲドセンキ。
そんなひどいことあります?みたいな企画の段階で。
もうちょっとね、業が深いみたいな感じ。
で、そのゲドセンキで、工業的にも制作的にもある意味失敗という形になってしまって、世間的にはですけど。
で、二度と映画なんか撮るかって言った吾朗さん。
で、ジブリ美術館に籠った吾朗さんを鈴木敏夫がまた引っ張り出してきて。
で、コクリコとか撮らせるっていうのがそのドキュメンタリーなんですけど。
もうなんていうか、二人の人間性がゴリゴリにぶつかっていって、
特に宮崎駿が、ああもうこの人人間的には最悪の人だなってことがわかるというドキュメンタリー。
僕大好きなんですけど。
なんていうか本作の自重性というか、アニメーションとかに対して夢を売りながらも、
でも自分自身のその仕事に対して結構自重気味に思ってるところって、
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結構ドキュメンタリーの宮崎さん見ると本当にそうだなって思うんですよ。
常に絵を描きながらすごい集中力でやってますけど、
ずっとめんどくさいめんどくさいってマイナスなことばっか言ってんすよ。
あの人、あのおじいちゃん。
そんなイメージありますね。
ずっと愚痴りながら。
やりたくないって言ってるイメージありますね。
そう、で、ろくなもんじゃないみたいなことを言いつつ。
だから、もちろん創作みたいなものがあったから今自分がいるし、
その引かれてしまったこと、ある意味呪い的にそこに引かれてしまったことは、
彼の中では大切なものではあるんだけど、
でも、万人にとってそれが救いにもなるわけじゃないってことも十分にわかってる人だなって思うんで、
なんかそんな彼が最後に残す、あの特に青鷺が最後言いますよね。
忘れちまえ忘れちまえって言うじゃないですか。
ずっとこんなことを覚えてるもんじゃねえぞと。
なんかそれ、まぁ自重的なセリフにも思いますけど、
でも多分宮崎さん本人のアニメーション感って多分究極言うとそこなんだろうなっていうか。
まぁ夢というか、なんだろうな。
囚われるようなもんじゃないって言い切ってる感じ。
それはそれでまためんどくさいこと言ってんなとも思いますけど、
でもなんか宮崎さんの口からそれが出る分には、
僕はなんか、まぁ宮崎さんらしいなって思っちゃうっていうところはちょっとあるかもしれないです。
まぁある意味それ信者的なのかもしれないですけどね。
むずかしい人やな本当に。
部屋からちょっとみんなを惹きつけるところはあると思うんですよね。
そのめんどくさいなーみたいなのがよくわかんねえなーみたいなところがやっぱり人を惹きつける人だなっていうのはやっぱそれはやっぱ思います。
お互い立派としては一旦終わりましょうか。
はい。
じゃあ、まぁ我々で話していこうと思うんですけども、
微妙に話ししちゃってるんだよなもう。
そうですね結構内容入っちゃってますね。
出てますね。
ちょっと触れちゃいますかね。
まぁどっからいこうかなー。
まず鳥が詐欺っていう、イメージ詐欺が行われたっていう。
詐欺師だから青詐欺なんですよね。
ってことですよね。しかもあのポスタービジュアル一瞬もないと思うんですよね。
なかったです。
一瞬もなかった一瞬もなかった。
あんなカッコイイ奴どこにもいなかった。
いやもうちょっとお前どの面下げてあのポスターでカッコイイ顔してんのかなっていう感じというか、
僕あれ思い出しましたよね。
スターウォーズのフォースの覚醒?
エピソード7公開された時の初回限定版のパンフレット、毎回表紙が変わるみたいなんで、
誰なんやろうなって思ったらキャプテンファズマだったみたいなぐらいのがっかり感があるんですよ。
お前かいみたいな。
お前ちょっとしか出てこんやったけどなみたいな感じって言ったらいいんですかね。
あれぐらいのちょっと挙奪感にとらわれましたけど。
構造的にああなる瞬間があるような気はするけど、
でも実際にああなった絵はなかったと思うんですよ。
なかったです。
ないですよね。
ないです。
30:00
めっちゃおじさん出てくるやん。
しかも鼻でかくてブツブツの、
ハゲ上がった。
おじさんが出てくるじゃないですか。
表紙のことあんまり言うのはあれですけど、
少なくともあのポスタービジュアルは嘘すぎますよね本当に。
ちょっと詐欺ですよねあれはね。
だから詐欺なんですけど。
だから詐欺なんでしょうけどね。
しかも顔が出てくる、中身が出てくるシーンの、
完全にお絵っていうやつじゃないですか。
ゲロかなんか出すときの感じの、内蔵がお絵って出てるみたいな感じの出方で、
生命学的に正しそうな描き方してるけどさみたいな、
ちょっとそれなんか、ちょっとこっちももらいゲロ起こしそうみたいな、
感じの出方するなみたいなのはちょっと思いましたけど。
なんかあの取りって、
鈴木敏夫プロデューサーがモチーフとして入ってるって聞いたんですけど、
ただ僕その元になる記事を探したけど見つけられなかったんですよ。
本当かと思って。エビディーズが見つからなくて。
確かラジオで鈴木敏夫さんが自己言及的に言っただけで、
宮崎さんの発言ではなかったと思います。
汗まみれのか。
汗まみれで僕出てくるんですよ、みたいな発言がちょっとあって。
そこか、なるほど。
で、あの作品の中で鈴木敏夫誰だって言ったらまあ青鷺だろうっていう。
そうですよね。
そこしかないですよね。
実際真人とあの詐欺の関係って、
確かに宮崎駿と鈴木敏夫の関係ってああなんだろうなって思うんです。
そうそう、まさにそうですと思います。
お互い信じきってないし、お互いに食えないやつだなって思ってるけど、
結果的に同じところを目指してるし、
互いに何らかの理は与え合ってるんですよね。
そうですね。
で、最終的に俺たち友達だよなって言うしかない、
そうとしか言い合わない関係になっていくって、
まさにあの二人だと思うんですよ、そこは。
なんかあの信用ならなさは確かに素晴らしいとは思うんですよ。
確かになんか、ああやって嘘ばっか並べ立ててプロデューサーってやってくんだろうなみたいな、
上にはやっぱ見えますよねみたいな。
ジブリ汗まみれ、僕高校生、中学生ぐらいからずっと聞き続けているラジオではあるんですが、
よく鈴木敏夫が自慢気に宮崎駿をだまくらかして映画を作らせたって話をよくするんですよ。
もう言ってるんだな。
めちゃくちゃ言って、千と千尋の時も、
いかに宮崎さんの思い越しをだまくして動かすかみたいな話を語っていて、
そういう意味でもうめちゃくちゃ青鷺のキャラクター合うんですよ。
基本的に宮崎さんのことを騙す人なんですよね、鈴木さん。
物語の世界に引き込む人。
でもそういう意味で本作って実は逆なんですよ。
33:01
いつもは鈴木さんからケツ叩いて宮崎さんを動かそうとすることの方が多いんですけど、
今回だけは宮崎さん側からやりたいって鈴木さんに言ってきて、
で企画が始まってるっていう経緯があるんで、
だから実は今回だけ逆なんだよなっていうのも踏まえてちょっと今作見ると、
なるほどなって思うところはいくつかあるって感じです。
僕は詐欺が現れてめちゃめちゃ怪しいじゃないですか。
ものすごく不穏な雰囲気をあいつが醸し出しながら、
でも真人がその怪しさに対してあんまり理性的じゃない感じで、
どんどんよくわからないものに前向きに入り込んでいく感じ結構好きで。
日常と非日常の境目めっちゃ曖昧なんですよね。
これはおかしいぞって思わないというか、
そのおかしいものは普通に現実の延長として、
非現実の側に繋がっていくっていうものを当然のものとして受け入れて、
そこに飛び込んでいくんですよね。
いきなり弓矢作り出したりとか、
戦う気満々なんですよね、その異常のあるものと。
あの感じはすごく少年的だなとは思いますし、
目の前に起きていることが全てなんだ、
そこに飛び込んでいくんだみたいな感じは、
少年のありようとしてそうなんだろうなって思ってたし、
多分宮崎駿もそうやってアニメの世界に入っていったのかなって気はするんですよ。
あんまり冷静にならずにというか、
もう絵を描いて生きていくんだって、
元々の人は漫画家志望なんでしたかね、確か。
そうですね、よくおっしゃってますね、本人が。
そのまま絵を描いて業界に入っていって、
あんまりそこに隔絶した壁があって、
そこを乗り越えたとかじゃなくて、
シームレスに繋がっていったんだろうなって気はするんですよね。
振り返ってみると、
何かとんでもない奴に巻き込まれてるぞみたいになってるんですけど、
そのとんでもない奴とも、
もう自分は自分で悪が強いから、
その肩を並べてやっていけちゃってるっていうのが、
なんかこうなんだろうなって現実にもって思ったんですよ。
多分そのマヒトの、ある意味キャラクターとしての飲み込みづらさのもう一要素になってるなと思うのは、
要はアクティブな面というのも描かれるじゃないですか、
その反面でめちゃくちゃ内面うじうじする人でもあるというか、
結構ドロドロした感じを持ってる、
あまりジブリのこれまでの宮崎作品の主人公では描かれないタイプの、
特に主人公としては描かれないキャラクターだなって思ったんですけど、
どちらかというともっと迷路を快活で元気いっぱいで、
自分が正しいと思ったことに誠実である主人公っていうのを彼は結構好んで描いてきている人だなって思ってたんですけど、
本作のマヒト君、もしくは宮崎駿本人かもしれませんけど、
36:02
もうちょっとジメジメしてる感じがするんですよね。
それこそ自分で自分の頭を石で殴るシーンとか。
なんかあれは宮崎さん本人がそういうところがあるって言うんであれば、
その反対として彼は主人公を描いてきたんだなっていうのもわかるし、
今回そういう人を主人公にした以上は自分の話にならざるを得ないってことになるのかなとかもちょっと思いましたけど、
そのマヒトのキャラクター性とかってお二方どう思いました?
堀越二郎からさらに一歩踏み込んだなとは思って、
二郎のメンタリティーも卓越した部分はあるとは思うんですよやっぱり。
それはある種誰しもが持ってる豪の部分もあるんですけど、
でもやっぱり宮崎駿の中のクリエイティビティってものをカッコつけて言ってる存在でもあると思うんですよ。
こういうクリエイティビティが人間の不幸を呼んじゃうこともあるんだってちょっとナルシシズム入ってる部分あるじゃないですか。
ありますね。
でもそれさえ剥ぎ取った時に、
割とただウジウジしてる少年になるっていうのは、
俺の醜いところを見せちゃうっていう、
まだカッコつけてる自己語りからさらに踏み込んだ、
さらけ出してる部分はあるとは思うんですよ。
ただやっぱりマヒト自体が美形だったりっていうそこはありますけど、
そっから先剥ぎ取っていったら、
ただの宮崎駿が出来上がっていくだけなので、
そこは実際作り上げられる作品としての着地点として出来上がったのがマヒトなのかなっていう感じを覚えました。
なるほどなるほど。
そうですね。
確かに結構ウジウジしたというか内静的な話なのでそもそもっていうのがあったので、
やっぱり新エヴァンゲリオンっぽいって話が中に出ましたけど、
本当に夢の中というか異世界に行くところは完全にエヴァンゲリオンという精神世界とほぼ同義みたいな感じだったし、
結局母性を巡る話じゃったじゃないですか。
単純にこの要素が宮崎駿のこの面を投影していてみたいな話を一個全部剥き取った上で、
話としてはもう完全に母性の話というか、
かつての母を胸に秘め新しい母とまた向き合っていくみたいな話というか、
そういう意味ではあのちょっとしかも過去と未来が普通にシームレスに接続して一体となって出てきちゃうみたいな感じも含めて、
メッセージとかにも近いような雰囲気があったんですけど、
過去とか未来の時系列がもう同化である、同じ等しいから、
不可逆性のあるものじゃないみたいな感じで提示されて、
それで母性について語るっていうのがすごいメッセージっぽい話っていうふうに思っていたので、
内静的な話なんでそれは主人公をウジウジしなきゃダメやろみたいな感じだったんですよね。
39:00
あんまそこ深く考えてはなかったんですけど、
そりゃそうよ。
そりゃそんなもう内静的で、
母親とのなんとも言えない感情とか葛藤の話をするのであれば、
確かにそこまで迷路を快活にされても僕はちょっと困るわみたいな感じというか、
っていうふうなすごく単純ですけど、僕の見方としては。
いやー聞いててね、どんどんエヴァになっていくんですよ。
まあそうですよね。
話の交換にめちゃめちゃマザーコンプレックスがあるじゃないですか。
そうですね。
まず自分の母親の若い時に出会うってもうエヴァじゃんってなりません?
そうですね。
しかもそれがしれっとそういうふうになってたじゃないですか。
物語の描き方的に。
いいとはわかりますよ。
それがそうなんだろうなっていうのがあるんでしょうけど、
いつの間にか本当にそうでした。
しれっと言ってくるみたいな感じが。
本当にそこに実はこの人、若い頃の母だったんだみたいな、
盛り上げる気一切ないところが本当にすげえなって思って。
この人本当にカタルシスがんむしできてるところがすげえと思ったんですけど。
山場にもならないし、登場人物の感動にもならないんですよ。
本当にそうあるものとしてお互いが受け入れ合ってるから、やべえぞだって。
なんでそれが成立してるかってそれは宮崎駿の頭の中だからっていうことなんですよね。
別にそこに、自分の頭の中にそんななんかめっちゃカタルシスがいらねえわみたいな感じなんだろうなっていうのが。
人様にお出しする時には普通カタルシスとかそういうの考えるんでしょうけど、
もう自分のそのままを出してるのでそういうのはいさないですみたいな感じって言ったらいいんですかね。
だから庵野さんと結構精神的につながってる。
もともと庵野さん自身がお弟子さんでもあるわけじゃないですか、ある種の。
そこで間違えて君らつながったってちょっと思ったりして。
不思議なほど近い作家性はあるからなと思いつつ。
なんか万年にさらけ出してみたら弟子と似てたっていうのを僕はちょっと思いました。
今までちょっと取り繕ってたけど、まあにじみ出てはいましたよもちろん。
にじみ出てはいたけど、万年老朽の域に至った上でさらけ出したものが、
弟子と一緒だってなるっていうのはちょっと面白いなと思って。
あと本作マヒトですごく重要なファクターとして、
おばさんに対する感情っていうのがあると思うんですよ。
あれって恋愛感情ですよね多分。
僕は思って、自分の母とまずそっくりなわけですよね。
話の内容を追う限りだと母親にめっちゃ似てるおばであるというので、
そのおばが父親と結婚して、初めて母方の実家に行くわけですけど、
42:00
おばさんが初めて現れるシーンの生めかしさやばくないですか。
それはちょっとギョッとするぐらい。
やっぱり恋愛感情がこもってるように僕は感じて、
父親とおばが仲良くしてるときのマヒトの居心地の悪さって、
単に父親が自分の母親じゃない人と再婚したっていうことだけの居心地悪さだけじゃなくて、
恋愛感情を持ってる相手が父親と繋がってるっていうことの居心地の悪さあるように僕は見えたんですよ。
そうですね。恋愛感情か言われるまであんまり意識してなかったですけど、
結構昔からというか、それこそ源氏物語の時代から、
マザーコンプレックス、母親のコンプレックス、あるいは母性を求めることと恋愛っていうのって、
男性の中ではもしかしたらある程度近いものがあるんじゃないかってことが語られてるじゃないですか。
多分テーマ性としてよく出てくる話でもあるなと思うんですけど、
確かに多分マヒトの中での夏子さんへの感情って多分整理できないものだと思うんですけど、
近いものを挙げるとしたらそうかもしれないですね。恋愛かもしれないなっていうのは今言われて気づきました。
そうか。多分ですけど、おばさんが出てくる辺りからですかね、
マヒト一切喋らないじゃないですか。あれもすげえなって思ったんですけど演出として。
主人公一切喋らないまで物語が普通に進んでってるんだけどみたいな、
それが数分くらい、4,5分くらい、10分くらい続いてるのが怖いって思ったんですけど、
あそこまで黙ってるってものすごい嫌やなって気持ちがあるんかなって思っちゃって。
演出的にどうなんかなってわからないですけど、
自分で自分の頭を傷つけるところとかもやっぱり困らせたかったんかみたいな感じに見えてたので、
なんか僕は恋愛というかあんま好きじゃないみたいな感じだったんじゃないかなみたいに見てましたけど、
単純にどんなに母親と似てようとお前は母親じゃないっていう否定ですよね。
拒絶の感情みたいなことですかね。
まあそれもあるし、みたいに僕は見てました。全部入り混じってるなって思って。
その意気込みの悪さってあるし、彼の夏子、おばさんに対する態度の悪さって、
ジブリキャラクターでいうと多分隣のトトロのカンタが一番近いのかなって気がして。
カンタってサツケに意地悪するんですよ。
でも親切するんですよ。傘をフンって言って差し出したりとか、
彼が一番宮崎駿が考える少年の恋愛感情っていうものを表してるなって思いながら隣のトトロは見てて。
45:08
もちろんその恋愛感情って一触で語れるような感情じゃないんですよ。
女の子自体が苦手だなっていう意識もあるし、よそ者だなっていう感情もあるし、
いろんな感情が入り混じって、その中に行為っていうものが含まれてて、
その上で出力されるのがブッキラボーに接するっていう形で出力されるっていうのは、
めちゃめちゃリアリティあるなと思うんですよ。あの世代の男児の在り方として。
たしかにな。だからそういう意味では、あれだけただ嫌いなだけだったら、
多分夏子さんが出ていた時に助けにはいかないと思うんですよね。
そろそろキリコさんも、あんた夏子さんのことあんなに嫌ってたじゃないって言ってましたけど。
でもやっぱり助けに行くっていうのは、母性もあるけど、ちょっとやっぱりそれだけじゃないなって感じはしてきましたね、だんだん。
僕は子供と一緒に隣のトトロを見てたから、カンタは絶対あれは恋が混じってるって。
もちろん隣のトトロ見てたら明らか分かるんですけど。
最近カンタがインストールされてるから、少年がぶっきらぼうに接するのは基本的に恋が混じってると思ってるんですよ。
カンタがインストールされてると。
じゃあその真人の夏子に対する感情も恋が混じってるよなって。もちろんそれは嫌悪もありますよ。
自分の母親じゃないものが母親になったって嫌悪もあるし。
いろんなものが混じった中に恋が混じってしまってるからこそ、出力がトゲトゲしいものになるというか。
なるほど、確かにその描写は言われてみたらそうですね。
かなって僕は見てました。
本作って宮崎駿の威嚇女性イメージオールスターみたいなとこあると思うんですよね。
はいはいはい。確かに。
母性を内包した少女。もはや少女の母が出てくるっていうところとか。
年上の憧れの対象としての女の人とか。
あ、ごめんなさい。夏子がね。
半分恋愛対象としてのってことですね。憧れ。
で、姉御肌の女性としてキリコ。若キリコが出てくるっていうところも。
宮崎駿の作品によく出てくる頼れる亜美紀像みたいなキャラとして。
おばあさんの中の一人であるキリコさんの若い頃。
若い頃に聞けるやつ真っ直ぐ繋がってるかもよくわかんないんですよね。
ただ若いキリコさん以上ってもない気がしますけど。
そうなんですよね。若返ったとかそういう感じでもないんだよなみたいな感じですし。
なぜか若くなったキリコさんがそこにいるという。
48:02
そこに特に理由がないのはイマジネーションの世界だからっていう感じなんでしょうね。
で、僕キリコさんの造形がめちゃめちゃ好きで。
なんとなく山口さんそれだろうなって思ってました。
正直今までの全てのジブリの女性キャラクターの中で一番好きなんですよ。
でも言いたいことわかる気がするというか。
今まで見たことあるような感じするんですけど。
他と違う新しいヒロイン造形もあるんだよなみたいな感じで。
どことなくするんですよね。若いキリコからは。
あんまり女性っぽくないっていうか何て言うんですかね。
中性的というか。
中性的な感じもするしっていうのが何ならむしろイマっぽいすらあるぞみたいな感じはめっちゃしたというか。
あの立ち位置のキャラって例えばラピュタの親方の奥さんとか。
あと未来少年コナンのモンスリーとか。
あとは魔女の宅急便の画家のウルスラとか。
そのものじゃないですよ。
レクトロとして方向性が多少近しいっていう感じですけど。
あと千と千尋の凛とか。
与えられる姉御像みたいな中でも今までで一番中性的なイメージだったと思うんです。
どっちかというとその与えられる女性像って結構福岡に描かれてたと思うんですよね。
凛とかは細身ですけど。
結構肉付きよく描かれてた感じが多いかなっていう。
ちょっと僕が今イメージできる範囲で言ってますけど。
今回どっちかというと骨格も結構男性的というか中性的になってましたし。
今までで一番いいなと僕は思いました。
僕はケリゴさんみたいに想像したのがお二人ギリブリキャラクターだと言って。
一人はもののけ姫のエボス様。
二人目がナウシカのクシャナ女王。
あの二人なんですよ。
なぜかというと二人とも仕事をする人としての女性なんですよね。
今回のケリゴさんも予味の国というか明らかにあの世っぽいチックなところで食料としての魚を獲るっていう仕事をしてる人なんですよね。
なりわいを持ってる人。
なりわいの中での力仕事が必要だからこその引き締まった体になってくるっていう。
そういう説得力だなと思うんですけど。
宮崎作品の中で仕事をする女性っていつも高圧作品における仕事をする女性とは違う立ち位置に描かれるというか。
社会の中で自立する女性のことをなんだかんだ宮崎さんはゼとして描いてきてるなっていう気はするんですね。
という意味で今作のケリゴさんは完全にそのポジションであったなと思うので。
自立して自分の仕事を持って自分の力で生きている人。
51:01
その人がまだ未熟な少年を導くっていう構図はよく見るやつだって僕も思いながら見てました。
そうかそっちか。
そうですね。
なるほどなるほど。
彼女が魚獲ってるじゃないですか。
魚獲ってきて売ってるのかなあれは。
与えてるか売ってるか。
売ってるって名言されてなかったというか。
金銭の呪術はなさそうな感じでしたよね。
なさそうな感じでしたよね。
あそこでその魚をもらう側の奴らが描写めっちゃ嫌だなって思ったんですけど。
奴ら自分で魚を殺すことはできないから捌かれた奴を与えてもらってるって描かれてたじゃないですか。
これファンのことやなって僕思っちゃって。
そう読みとくと確かになかなか残酷な。
だってわざわざ自分たちでは魚を取れないって描くって。
まあ確かにな。
明確なヒエラルキーがあるじゃないですか。
働ける側と働かない側っていうのが分けられてて。
でイマジネーションの世界の中で働く側ってそれはクリエイターのことですよねきっと。
まあまあまあそうなりますわね。
じゃあクリエイトしない側って何かって言ったら僕らじゃないですか。
初期者ですよ。
言うねえと思って。
言うねえと思って本当に。
まあプラスあとインコたちもそうですよね。
腹を空かせたインコたちもその一つですよね。
多分モチーフとして。
あれはなんか諸に大衆って感じはしてたんですけど。
大衆ですよね。
確かにだからまあそうですね。
まあ大衆ある意味これまで娯楽作品を大衆のために作ってきた人。
だからもう言ってもいいでしょって感じで言ったらっていう感じもするかもしれないですね。
それを言っちゃ惜しみよって感じなんですよ。
それはそう。
まあそうなんですよね。
受け手があって初めて成立するんだけどなみたいなもんじゃないですかそれってねっていう。
作ってるだけだったらそんなもん誰も見てない壁でも描けばいいじゃんみたいに言えばいい話なので。
まあ言い切るよねっていうことに見えるかもしれないですけど。
あの世界にはそういう産業の総合の構造みたいなのがないんですよね。
一方だけが生み出すことができて一方は与えられる側っていう構造になってるから。
それはもう残酷だなっていう。
まあそうだけどもっていう。
思うとこは絶対あるでしょうからね。
観客に対してのなんか不思議だもんな。
好き勝手作ってて映画ばっかりだけどみんなこぞって見に行くっていう不思議なサイクルの中にいるから。
まあいろいろ思うとこは本人的にありそうやけどみたいな。
54:03
あとあのインコなんですけどめっちゃ怖いじゃないですか本作。
超怖い。
さっきインコが消費者の側かもっていうふうにおっしゃられたじゃないですか。
僕が見聞きした意見であったのがインコってスタジオのジブリのスタッフじゃないかっていうのを見て。
ほう。
だから後継者にはなれない人たちっていう。
そうですね。なるほどね。
そっか。それをある意味食い潰すんだもんな。あの世界。
ギリギリで成り立ってる13個の石を積み重ねてるのをぐちゃぐちゃにして最終的に前後を壊しちゃうって。
ちょっとその見方があまりに残酷すぎではって僕はちょっと思ったので。
それ言ったらほんまのほんまのおしまいですからね。
そこまで投げっぱなしにする意図はなかったと思うんですけどさすがにね。
やっぱり物語全体の着地の良さというか考え深さからするとやっぱそこまではないと思いたいんですけどさすがに。
まあどうなろう。ようこするわけじゃなくて本人も多分そこまで思って書いてなさそうな気もするんですけど。
真相真理でそういうの出てきちゃってるところがあったら仕方ないなって感じですけどね。
読み取りなくはないです確かにそうやっても。
あとそういう意味で言うとすごくメタ的な読み方で言うとすごくその他の方の感想で面白いなって思ったのは
高畑勲監督に対するアンチテーゼなんじゃないかっていう感想があって僕それすごい面白いなって思ったんですけど。
前回思い出ポロポロの回で話した通り、
特に思い出ポロポロという作品はアンチ宮崎駿天子盛りの作品じゃないですか。
高畑さんはアンチファンタジーズムだと思うんですよ。
ファンタジーではなくリアリズムにこそ描くべきものがあるってことをあの人はずっとやってきてる人だと思うんですよね。
それに対して宮崎さんはファンタジーの中で描き続けるっていう選択を取り続けてる。
ラストを忘れちまえって言うんだけど多分人はある程度忘れるんだろうけどでも石を持ち替えるじゃないですか一つ。
それはファンタジーっていうものは確かにその高畑さんが言うリアルの世界に行ったら忘れられるもんだよと。
そりゃそうだよと。なんだけどでもしっかり持ち替えるもんだってあるじゃんって言ってるように見えたんですね。
だから本作結構その映画の半分ぐらいまでリアルの世界の話じゃないですか。
ファンタジーにすぐに飛んでいかない。
なんかそれは結構特に僕その冒頭のあの火事のシーンでその少年マヒトがその火事に向かって駆けていくシーンを見て
あのかぐや姫の物語のあの失踪シーンじゃんって思ったんですけど。
57:02
確かになんからしからぬ表現するなとは思いましたけどすげえ良さでしたけど。
でももう重なるのは完全に僕見たことあるのはもう一つはかぐや姫の物語のあのシーンしかないんですよ。
あの失踪シーンって。
だから僕もすごいうがった読み方その方の読みをちょっと借りて言えば
その天国の高畑勲にいや俺はこう思うけどねっていうお別れの言葉兼なんていうかな彼の返答というか
高畑勲という人生に対していや俺はこうだと思うぞって言ってる映画っていう風にも捉えられるなと思っていて
僕は結構その解釈素敵だなって思ってるんですけど。
素敵ですねそれ。
確かにそうだな。
思い出ポロポロのアンチ宮崎駿要素ってめちゃめちゃロジカルなんですよね。
ロジックで宮崎駿を攻撃してるような作りになってるんですけど
本作をアンチ高畑勲と見た時にあんまりロジカルじゃないというか
すごい感覚的なんです。
でもその感覚的であることこそがアンチ高畑勲であるという見方をするとめっちゃ面白いですね。
そうなんですよだからもうストーリーもある意味知り滅裂だし
でも観念の塊であるファンタジーはそれが許されるんだって
それは高畑さんあんたにはできないでしょって言ってるようにも見えて
そこのなんていうか自由度というか
ファンタジーだからこそ僕は羽根が伸ばしたんだよって言っている感じは
高畑さんのあそこまでなんていうかいいパンチに対してのカウンターとしてめちゃくちゃいいなと思って
めちゃくちゃいい
綺麗にちゃんと入ってますねお互いにクロスカウンターって感じ
ちょっと僕今頭の中でジョーとリッキー氏がクロスカウンター当て合ってパパンってなってる絵が浮かびました
だから僕は完全に宮崎駿個人の話だし観客に向けてないって言いましたけど
唯一高畑勲には向けてると思います
めちゃくちゃいいよその解釈何それ最高
その見方めっちゃ素敵やし僕もそれに乗っかりたいんですけど
あまりにも二次創作的ですよね
もうそれ二次創作かなんかじゃないのみたいな
それで一本映画になってたらめちゃくちゃわーって盛り上がるだろうけど
そんな二次創作を見てるみたいな感じですよね
この映画だったら別の物語で僕たちは覚えているみたいな
いやでも絶対そうだと思います
確かに高畑勲は既に亡くなってて
興行主義としては圧倒的に宮崎駿が上に行ってたわけですよね
世間的な知名度も圧倒的に宮崎駿が上に行ってましたけど
多分ずっと宮崎駿も目の上のタンコブだったと思うんですよ
ずっと憧れであり尊敬の眼差しで見ていた人ですよね
1:00:03
喫水のインテリというか
ロジックで物語を作っていくその在り方って
多分ものすごい近くで見ててすごい存在だったと思うんですけど
その高畑勲は既に亡くなってしまったことに対して
選別の言葉じゃないですけど
そこにメッセージがあったとしたら
こんなすごいことないなと思いました本当に
僕はその解釈を見た時に
なるほどな自分の中で一番腹没した解釈でしたね
あの塔って降って湧いたものじゃないですか
はい突然に
それが何なのかなって思ってるんですよ
マヒット個人では持ち得なかった
イマジネーションのパワーなんですよねあれって
そこが一体何なのかなって僕はすごく思ってて
もしかしたらアニメーションそのものなのかなと思ったんですよ
降って湧いたものを無理やり外枠で囲って
何とか自分たちが使えるものをしようとしたけど
めっちゃ人が死んだって描かれてたじゃないですか
すごいこと描いてるなと思いましたけど
いっぱい人が死んだ
そのマヒットにイマジネーションの力を与えた存在として
アニメーションがあるのかなと思って
そこにも恐ろしいことがたくさんあって
アニメーションの内部構造には
自分では獲物を獲ることができない者たちとか
人喰いのインコがいるような
おぞましい世界が中に構築されるんですけど
やっぱりその内側に美しい世界があって
そこで生きていくんだと
ただその世界を作り上げた何者かは
そこを受け継いでくれって言うけど
受け継がないよって言ってそれが壊れるって
どういうことなんでしょうかってなるんですよね
例えばアニメーションだと思って解釈するならば
ある意味手書きアニメーションの終焉みたいなことを
言ってるとしてもいいだろうと思いますし
あるいはこれまでのジブリのやり方って
ある意味今日本の工業の中での
常識になったと思うんですよ
制作委員会方式を作ってっていうのは
あれ一番最初にやったのって高畑さんがやったって言われてるんですけど
お金を集めて出資を得て
それで作品を作っていくっていう形
結局ここ最近になってそれをしない作品
それをしない形でヒットするっていう作品も
増えてきているのも事実だと思っていて
そういう意味でジブリが作り上げてきたもの
あるいは宮崎さん及び高畑さんが
これまで築き上げてきたシステムみたいなものの象徴だとすると
それに縛られることもないよって言ってるようにも見えるというか
1:03:02
僕らの時代はそれが最適解だったかもしれないけど
でも今はそれが呪いになってないかって言ってるようにも思える
なので作品作りのシステムみたいなものを
あの等に例えてるっていうのも一個
捉えられる解釈かななんていうのは僕も思いますけどね
アニメーション自体っていうのもありますし
だから本当に宮崎駿自身の話だけど
ちゃんと次世代に向けたエールというか
みたいなものは残そうとしてる感じはめっちゃするんですよね
そういう意味では
自分の作ったものが最終的に忘れられようともみたいなとか
自分たちの作り上げたものが呪いだったのかもしれないがみたいなところで
それでもまた新しいな
その先の未来を生きていってほしいみたいな感じっていうのは
すごくわかるんですけど
あまりにもやっぱり終わりのムード強すぎるというか
ゆいごんっぽかったですよねちょっとね
ゆいごんとかそうまとうとかですけど
それがなんかねちょっと僕今は受け取りたくないですって気持ちすごくなったんですよね
いつかその終わりの境地は来ると思うんですよ誰しも
誰しも来ると思うんですけど
それ80歳くらいまで生きた人がその終わりの境地に達するのはわかるんですが
みたいな感じなんですよね
僕まだ遠い先すぎるみたいな
まだ長い道のり歩まないけんっていうところで
なんかそれもらうと食らっちゃうんですよね
しんどいなってなって
なんか僕はあんまりだから結構おいさんは結構ポジティブな結構印象を受けてる感じはすごくしたんですけど
僕逆に結構しんどって思って
なんかまだこんなつらいとこ行かないかんのみたいな感じにすごくなっちゃったんですよね
その作品はすごく良かったと思ってるんですけど
ただやっぱり今はちょっとまだ受け取りたくないかな
この終わりの感じみたいなのがすごい第一印象としてすごくあって
でも一個ちょっと救われたような気持ちになった部分もあるんですけど
終わり方がちょっとある意味不格好じゃないですか今回
風立ちぬで引退というか終わりましたって言ったらすごいかっこいいと思うんですけど
かっこよすぎるぐらいだと思うんですけど
最後これで終わったと
君たちはどう生きるか
僕はこう生きたっていう映画ですけど
それをありのままぐちゃぐちゃのままお出ししてくれましたみたいなので
終わったことに対しては
こういう人でも綺麗に終われないんだから
なんかちょっと救われた気持ちにもなるというか
そんな別にかっこよい終わり方なんて目指さなくてもいいやというのもおかしいですけど
なるようにしかならんなみたいな風にちょっと思って
そこはちょっと救われたような気持ちにもなるみたいな
ちょっと複雑な感じにちょっと僕の中でこの作品のこと落ち着いてるんですけど
それいいですねその見方
もう俺はこうやって泥を排水もらうような
1:06:00
不恰好な作品を作ったぞと
君たちはどう生きるかって言ってるわけでしょ
そこいい
そう思うとね
そう思うとねすごくね
ちょっと山口さんが本作のことを
喋ってて面白いですけど
僕はやっぱり宮崎駿個人の話でしかないから
なんかそこに意味を帯びない気はしてて
何を言おうがね
託したようなことを言ってようが
それはどこまで言っても主観ですかなって
曖昧なメタファーで描いて
何か自分の語りを知ってる形にはなってると思うんですけど
もうそれはメッセージにならないと思うんですよやっぱり
ってことはやっぱり
俺はなんとなく自分が感じてることを
なんとなく形にして仕上げましたと
俺の全てが詰まってますとなっても
そうだなってなって終わるような気はしてて
それに良し悪しを問うつもりはなくて
もうそこまでやりきった作品としては
僕はアリだと思うんですけど
僕にとっていいでも悪いでもなくって
ただ宮崎駿のもの
僕のものではないっていう感じを覚えます
これを理直に受け取る必要は別にないぞっていうのは
あると思うんですよね
僕の最初言った感じですけど
それはもうこんな終わりのムード
もう受け取りたくないですみたいな
勝手に終わってくれやみたいな感じというか
気持ちとしては
だからなんか本当宮崎駿というおじいちゃんが
ツイッターつぶやいてるみたいな
そのツイッターのタイムラインに
全部が載ってるみたいな感じは
するっちゃするかもしれないですね
それ見せられてる映画みたいな
タイムライン覗いちゃったわっていう
僕ねシンゴジラの博士のメッセージを思い出すんですよね
私は好きにした君たちも好きにしろって
言ってるような感じはするんですよ
そうですねまさにそう思います
その発言って別に意味はないじゃないですか
託してるんじゃなくて言ったっただけなんですよ
でもその言ったったっていう部分なのかなって思って
君たちはどう生きるかって
なんか託してるっぽくなってるんですけど
もうお前らも好きにしろって言ってるっていう
それを託されたと感じることもできるし
なんか言っとるぞって思うこともできるなと思って
そんな感じでいいのかなって気がします僕は
全然説教臭い映画では実はなかったかな
ある意味で
ある意味でそうですね
正しさを押し付けても来ない
ただ宮崎駿が喋ってるっていう
究極の自分語り映画ですね本当に
そうと思います
っていう感じかなと思います
1:09:00
あと最後にちょっと聞きたいんですけど
キムタクの声分かりました?
僕途中で分かりました
僕分かりましたあれ
僕あれ池田周一さんやと思っててずっと
そうなのお父さんの声ですよね
キムタクも気に入ってますねあの人
あのキャラクターに対してキムタクの声がめっちゃバッチリなんです
悪い人じゃないんだけど
めっちゃあさっての方向向いてんな感っていう
すごい息子思いなんだろうな
何も見えてないなみたいな感じがすごいっていう
その感じをキムタクの声がバッチリやってて
すごいキムタクすごいって思いましたあれ
分かったですよね本当に
めちゃくちゃよかったですね
じゃあその感じで終わっておきましょうか
そうですね
次回なんですけどどうしましょうね
そうですね
あります?
ミッションインポッシブル以外大して何もない気がしてるんですが
今週公開作で言うなら多分ミッションインポッシブルとか
あとは何かもう既に公開中のやつで何か
これ喋りたいみたいなやつですかね
そうですねパールでも全然いいですけど
あれめちゃくちゃ面白かったんで
しっかり喋るのはありかもなと思います
たぶん前田さん含めて皆さん見てるんじゃないかなと思いますし
そうですね
パッと浮かばないな
ミッションインポッシブルいいんですけど
今日と同じ感じになりそうな気がしてちょっと
そうなんですか
どうだろうな
単純に好きなシーンとか
あそこ楽しかったよねっていう分には
もう全然楽しめるんですけど
たぶん深い話にならない
それはそれにいいんですけどね
それは全然いいと思うんですね
最高だよねでいいじゃんっていう
逆に言うとたぶんめっちゃ早く終わるんじゃないかなって思ってます
ミッションインポッシブルの回は
全然本当にタム・クルーズを映画館で見続けられるのは
やっぱりすごいなって思ったんで
宮崎駿が余裕を残して
インディ・ジョーンズが引退しても
E3半島走るんだなって思って
この男だけはまだ元気なんだなって思ったんで
そういう意味ですごい元気をもらえます
みんな見るだろうなっていうのは
ミッションインポッシブルですかね
そうですね確かに
なんとなくでミッションインポッシブルにしておきましょうか
なんかあんまり気負わない感じで引きましょう
軽く行きましょう
楽しいねって言って終わるのもいいですし
じゃあ次回ミッションインポッシブルデッドレコーニング
パート1でいきたいなと思います
お知らせになります
1:12:00
4月前がなしたシングルバーを開催する予定です
場所は大阪の南森町にあり
日替わりイベントが高めば週間間売り
日時は4月30日日曜日オープンが19時
クローズが23時となっております
今回オープンが日曜日となっておりますのでご注意ください
またこの番組では
リスナーの皆様からお便りを募集しています
番組の感想次回テーマ作品の感想など
ご自由にお送りいただけると幸いです
また次回は開催情報
ポッドキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますので
ツイッターのフォローもよろしくお願い致します
あとこの番組のイメージキャラクター
映画の話
スタッフに猫括弧
借り合わせあったグッズは販売していますので
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ご販売せいと
イメージキャラクターも
番組説明文に記載しております
はいそれでは
映画の話スタッフセキュラジオ第126回
君たちはどう生きるかの回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
さよなら
さよなら