今日のテーマトークは、君たちはどう生きるか、です。
はい、では、大石さん、解説読んでいただいてもいいですか?
と言いつつ、
言いつつ、はい。
え、てか、解説あるんですか?ちゃんとこれって。
一応、じゃあ、映画.comに書いてある限りの解説読みますね。
宮崎駿監督が、数多千の以来10年ぶりに手掛ける長編アニメーション作品、
千と千尋の神隠しで、当時の国内最高興業注入記録を樹立し、
ベルリン国際映画祭でアニメーション作品で初となる金クマ賞、
並びに、米アカデミー賞では長編アニメーションを受賞。
同作の他にも、風の谷のナブシカ、もどの木姫、ハウルの動く城など、
スタジオジブリで数々の名作を世に送り出し、
明日共に日本を代表する映画監督の宮崎駿。
2013年公開の風立ちぬを最後に長編作品から知り咲くことを表明した同監督が、
引退を撤回して挑んだ長編作品。
宮崎監督が原作脚本を務めたオリジナルストーリーとなり、
タイトルは、宮崎監督が少年時代に読み、感動したという吉野玄座ブログの著書、
君たちはどう生きるか、から借りたものとなっている、というのが一応解説です。
はい、何も情報は出てきてないってことですね。
そうですね、宮崎監督の情報でしたね、解説。
大半がそうでしたね。
実際我々もそうですし、既に見に行った方々もそこを頼りに言っているわけですからね。
じゃあ内容に触れる話に入っていきたいと思いますので、
ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ここからは見てから聞いていただけたらと思います。
では、最後の感想を入っていきたいと思います。
マリオさんいかがでしたか?
はい、そうですね、自分は初日のレイトショーで、ドルビーシネマで見てやろうかなっていう感じで見に行きまして、
本当に何もゼロの状態で見に行くっていう、
その体験自体がまず初めての体験って感じなので、本当に映画を見る上で。
体験としてまず貴重だったなっていうことと、
本編自体はそうですね、結構意味はわかるんですけど、
あまりちゃんと話を語る感じではないので、
そんなご丁寧に説明する気さらさはないです、みたいな感じでガンガン進んでいくので、
まあ、らしいっちゃらしいんですけど、
ここまでなんかカオスかっていう感じっていうのはめちゃくちゃ受けたのと、
あとまあ、すんごいもうどんよりした終わりの雰囲気しか感じない映画で、
正直結構くらってしまったっていうのが感想ですかね。
はい、大井さんいかがでした?
そうですね、これめちゃくちゃ感想難しい映画だな、
特に一言でまとめるのはすごく難しいなって思うんですけど、
まあ、あえて言葉にするとしたら、
宮崎監督の、ちょっと自分は由意言であり、
かつ物語論だなっていうふうに自分は読み取りました。
なんか中盤以降出てくる世界っていうのが、
多分宮崎監督の中でも物語そのものだと思うので、
鷹をくくっていましたががっかりです。
しかしながらアニメーションのクオリティは素晴らしく、
特にスクリーンにキャラクターが向かってくるシーン、
階段を駆け上がるところや青崎が真人に向かってくるシーンの、
迫力や群衆の間を走っていくシーンの作画など、
新たなアニメーションの描き方を模索していたように感じ、
映画館の大きなスクリーンで見た価値がありました。
長文乱文指定しました。
映画の話したスリーラジオを楽しみにしています。
ありがとうございます。
正直僕もそう思います。
よくわからなすぎるなと思って。
見た時の劇場の雰囲気は、まあ困惑でしたよね。
隣で見てた大学生ぐらいの2人組の男性は、
俺には意味がわからなかったみたいな感じのテンションというか、
宮崎駿は何を考えているか、僕にはわかりませんみたいな感じのニュアンスでしたけどね。
その気持ちもまあわかるなっていうか、そうやろうなっていう感じですよね。
ただ僕なんか、この本作実はあんまり嫌いじゃないんですよね。
そうなんですよ。確かに宮崎駿個人の話すぎるのはものすごくわかるんですけど、
難しいな。
確かにこれ賛否両論結構分かれてる感じもあるなぁと思っていて、
好きな人はものすごく好きだし、そうじゃない人はものすごく嫌いだしみたいな。
結構映画好きの間でもそうなるような作品ではあると思うんですけど、
なんかこれまで宮崎さんって結構自分の話をちょっとごまかしてきたところがあるなと思っていたので、
なんかそういう意味で初めて宮崎さんの人間的なところが見えた気がちょっと自分はしちゃったというか、
そういう勘違いかもしれないですけど、
宮崎さんの自分語りをようやく聞けた喜びみたいなのが僕はあったのかもしれないです。
なるほどね。物語を語ってきた人がようやく自分を語ったと。
そうそう。僕多分前々回のランキングのところでフェイブルマズム上げましたけど、
監督の自分語り映画は割と好きなんですよ。
僕もそれはわかりますけどね。そういう映画好きですよ。
ローマとかベルファストとかもそう含めてね。好きですけど。
で、宮崎さんこうなんだなっていう。
自分語り映画として僕も別にそんな今作のこと嫌いじゃないんですけど、
まあでもあまりにもくらったんだよなっていうのはあって。
はい、じゃあ次のお題に行きましょうか。
げのげのせんきさん。
いつも楽しく配置をさせていただいています。
君たちはどう生きるか。初日の昼の回で見てきました。
劇場で見たのはポニョだけで、金曜ロードショーで放送される時に流し見するぐらいのジブリ弱者です。
さて本作ですがめちゃくちゃ眠たかったです。話がよく理解できず途中何回も寝てしまいそうになりましたが、
ラスト周辺の世界滅亡シーンをジブリの作画で劇場の大迫力で見られて個人的にはそれだけで満足できました。
まんまん宮崎駿なんですよね、あのあたりの下りって。
資産的に余裕があって、本当に戦争のめちゃめちゃ悲惨な部分を直接体験してないというか、
少し距離を置いて過ごせてしまっていたっていうのってめちゃめちゃ特殊というか、
もう彼自身でしかない話だよなってすごい思うんですよね、あそこ。
あの時代にあの日常を過ごせた人って本当に一握りですよね。
なんかそこがね、怖いなともちょっと思うし、
でもその部分って彼の中のものすごいしこりだったんだろうなと思うんですよ。
自分は戦争の本当の一番嫌な部分を見ずに、
普通の少年時代を送ったと。
父親は軍人産業で、彼は後々来の戦争嫌いになっていくじゃないですか。
でも彼は軍人産業のおかげでその幼少期を過ごせたわけですよね。
ものすごいコンプレックスというか複雑な感情があったと思うんですよ。
その複雑さって風立ちぬでわかりやすく二律背反のものとして描かれてたと思うんです。
僕は美しいものを作りたいんだ、でもやってることはおぞましいことなんだっていう。
陰と陽が背中合わせになってたけど、今回もっとわかりにくいというか、
もうその光と影さえ描いてないですよね。
戦争真っ只中だけど、戦争そのもののこと全く描かないから、
もう自分が見てないものとして描いちゃってるじゃないですか。
自分が預かり知らないもの、自分が関わってないところが起こっている事象として処理しきってるから、
もう本当にさらに一歩踏み込んだ感あるんですよね。
だって彼今までそことのわざかまりをずっと描いてきたのに、
もうその自分が一番気になってた部分みたいなのを、
そういうものとしてあったからって言い切っちゃってるから、
もっとさらけ出したなって感じはあるなと思って。
戦争を自分には関係ないものとして過ごせたんだなんて、
多くの人から見たら結構嫌じゃないですか。
でも彼はそうだったんだものっていう。
でも逆に、多くの現代の子どもにとって素直に飲み込めるものになってるじゃないですか。
結果的に。我々もそうですけど。
普通の少年時代ですよね、あれって。
でもその普通って、彼が少年時代には本来的には普通ではなかったはずっていう。
そこを描くことが遂にできたっていうのは、なんかすごいなと思って。
なんていうか、今回多分鈴木敏夫さんの発言の中で一個あるのが、
今回制作委員会方式取ってないんですよね。
なんで資金集めとかをしていない。
なんで大衆のためのものじゃない、自分のために映画作っていいんだよ、ミヤさんって言ったらしいっていうのを聞いてまして。
だからこれまでのその戦争へのスタンスだったりとか、
あるいは自然保護とか、そういったものへのスタンスってある意味、
世間体を持った上での自分のキャラクターだったのかもなっていうのはちょっと思えてきて。
でも本当の自分を語ったら、そこは自分はわからないっていうことを多分今回すごく正直に描いてるなと思って。
そんなことよりも何なら母親との関係の方がより自分にとっては問題だったっていう。
なんかそこはなんていうかな、素直にようやく吐き出せるようになった。
それは多分制作体制の変化だったり、そういうものによると思うんですけど。
だからそれが多分飲み込みづらいものになることはもう100も生じたし、
何ならこの言い方すごく乱暴ですけど、観客のために作ってるわけでもないからっていう感じもはや。
そうですね。そんな感じはしたいわっていうのは。
だから何だろうな、ゆいゴンって言いましたけど、ある意味彼の走馬灯を見てるのかなみたいな感じもしてくるようなところはあるのかもしれないなと。
なんで、普遍性を徹底的に廃したって意味なのかもしれないですよね、そこは。
でもそれは彼がずっと普遍性呪われていたのかもしれないってちょっと思ったりもしました。
正直僕、小坂は面白くなかったですけど、彼が身につけた普遍性の中に多分面白さっていうのもあるんでしょうね。
そう、多分そこを面白いって山口さんはきっと思われたなと思います。
そうですね。失笑説をするには逆に飲み込みづらすぎた気もするんだよな。
飲み込みやすさとか絶対考えてないなって思いましたけどね、今回は本当に。
そうなんですよね、なんかもう全部が根前一体みたいな感じがあったりするんですよね。
もうその途中から出てくる異世界とかも、生の象徴であり死の象徴でもあるみたいなのがごちゃ混ぜみたいになって、もう頭が混乱してしまうみたいな感じになりますし。
僕は物語ではあるんでしょうけど、あの世界ってもう完全に宮崎駿のイマジネーションの中の世界って感じなので、
想像力全てのものって感じなんで、物語にすらなってない状態なんじゃないかってぐらい思ってて、やっぱりあの中って。
だからやっぱり今までの宮崎駿の作品とかで見たことあるようなものがいっぱい出てきますけど、
なんかそれってもうなんか彼のイマジネーションがまだ形になってないような感じというか、っていうのがすごく僕の中ではすごくしたんですよね。
で、それがなんか最後に音を立ててぶっ壊れていくっていうのに、本当に終わりじゃんっていう。
終わりじゃんっていう、もうめちゃくちゃ感じだって感じですよね。
はい、次のお便りいきましょうか。
はい、では4通目8さんからいただいております。
お疲れ様です。君たちはどう生きるか。
こんな万年万年した巨匠の万年作も貴重というか、いろんな特権の上に成り立つ老角のような作品だと思いました。
映画誌の中にひとまず置いてみて、一番近い手触りを感じたのはゴダールのイメージの本でした。
あそこまでおびただしい引用のデクパージュになっているかというとそうじゃなく、
引用元が自分の過去作、プラスここ10年で話題になった映画やドラマの構図が割とそのまま差し込まれるといった
非近さが一番乗り切れなかった要因かもしれません。
シナリオもイメージの本みたいに観念の世界で戯れるというより、中途半端にわかるような語り口で、
わからないならもっと徹底的にわからなくしてほしかったのが正直なところです。
生きる術や冒険の動機に女性が関わるところは、監督の癖などでもう変わらないところだと思いますが、
怒りの感情に支配された時、シャワーを寄せて醜い顔になる演出、
これは深海誠もやってましたが、そんなところ受け継がなくてもいいんじゃないかと思いました。
そんなこんなで誰も何も言われることなく、シネコの一番良いスクリーンにあたがわれた今作は、
私にとってツッコミのいないゲソックの森のように思えて途中からなんだか笑えてきました。
この映画、本当にツッコミイコール客観がないんですよね。
別の世代、経済圏、分野の人が傍らにいれば軍事産業の下請けで戦時中から裕福だった人が、
君たちはどう生きるかということがどれほど構図として禍々しいことか、
ちょっと哀れに帰れたと思うのですが、せめて宣伝を一切しないという信者に向けたものとして
隔離したプロデューサーの判断が幾分まともに見えるくらいです。
他にも色々ありますが、やっぱりこういう一部の特権的作家による天皇のお言葉みたいな工業スタイル、
もうやめようぜというのが結論です。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
まあ、ワンとすることは分かるなと思います。
そうですね。変わらず鋭いですね。
キレキレやなあという感じですよね。
自己作の引用していたのはそうかなとは本当に思いました。
僕もちょっと自分のパーティーやってるなというふうに見えたんですよね。
バレっぽいなとかアレっぽいなとか。
ちょっと自称的にも見えるというか、
俺ってこれが求められてるんでしょうみたいにわざとやってる感じにもちょっと見えて、
なんかそういう自己模倣とかめっちゃ嫌な人だと思うんですけど、
なんかそこをちょっとわざとやってる感じは、
ちょっと年老いた自分を客観しているところもあるのかなと思いましたけどね。
それこそ最後その積み木の下りがあるじゃないですか。
で、積み木の下りで結局主人公はそれを積まないというか引き継がないって形を選ぶわけですけど、
なんかもうあのおじいちゃん自身もある意味現代の宮崎駿を本人のように僕は思えたので、
もう俺がいくらやっても俺のコピーになっちゃうんだよみたいな、
そういうことなのかもしれないなちょっと今思ったんですけど、
だからもう俺の真似なんかすんなっていうことなのかなっていう。
なんかそういうのもありそうですね。
だから結局もう最後世界が壊れたっていうのはもうジブリも終わりだし、
宮崎駿をそれこそポスト宮崎駿って言葉が一時期あったじゃないですか。
新海誠だったり細田守だったりがあてがわれたりしましたけど、
何がポストだと、俺の後に別に続かんでいいってことなのかなともちょっと思ったりもしました。
そうですね、それはあるなとは思います。
そうですね、確かに継ぐ話っていう意味では確かにあんまり、
宮崎駿という人は継ぐことをあんま気にしてなかったというか、
しなかったからそりゃスタジオジブリが制作部分を解体したしなみたいな感じですもんねっていうのは。
全然ありますもんね。
そこに対してどういう感情なのか僕もわからないですけど、
そういうことはやっぱり自分の人生とそこは重ねてそうな描写だよな、
あの辺の継承の下りとかっていうのは。
たぶん少年もだし、あのおおじいさまですか?
うん、おおじいさま。
おおじいさまも、どっちもあれ宮崎駿だからなみたいな感じですよね。
明らかにそうですよね。
どっちも宮崎駿だからな。
そこにちょっとなんか例えば高畑勲が入ってるとかそういうのがあるのかもしれないですけど、
結局自分だからな。
でも自分がどっちの立場にいてもちょっとひねくれてるのかわからないんですけど、
どっちにしても継ぎたくねーやみたいな感じで自分でもなるんだろうなっていう気持ち的に、
たぶんそういうマイナーがたぶんありそうな感じがするので、
きっとなんとなくその辺も含めてなんかいろいろ物悲しさもちょっとあるなーって思いました。
僕結構スタジオジブリのドキュメンタリーって好きで見るんですけど、
僕の中で一番好きなのは小倉小坂の宮崎吾朗の息子とのドキュメンタリーが一番大好きなんですけど、きつくて。
もうそうだよね、息子さんとの関係めっちゃなんかうーんって感じするもんな。
もう嫌だもん、僕。宮崎吾朗の立場だったらすごく嫌だもんって思って。
だって吾朗さん本当に人立場ですよ。
だって自分が映画監督、そもそも映画の仕事なんかもやったこともないし、アニメーションの仕事なんかもやったことないのに、
いつの間にか映画監督に祭りあげられて、でもその理由は父親が宮崎駿だからの一点以外ないんですよ。
で、あてがわれた作品は父母牛のゲドセンキ。
そんなひどいことあります?みたいな企画の段階で。
もうちょっとね、業が深いみたいな感じ。
で、そのゲドセンキで、工業的にも制作的にもある意味失敗という形になってしまって、世間的にはですけど。
で、二度と映画なんか撮るかって言った吾朗さん。
で、ジブリ美術館に籠った吾朗さんを鈴木敏夫がまた引っ張り出してきて。
で、コクリコとか撮らせるっていうのがそのドキュメンタリーなんですけど。
もうなんていうか、二人の人間性がゴリゴリにぶつかっていって、
特に宮崎駿が、ああもうこの人人間的には最悪の人だなってことがわかるというドキュメンタリー。
僕大好きなんですけど。
なんていうか本作の自重性というか、アニメーションとかに対して夢を売りながらも、
でも自分自身のその仕事に対して結構自重気味に思ってるところって、
もうちょっとジメジメしてる感じがするんですよね。
それこそ自分で自分の頭を石で殴るシーンとか。
なんかあれは宮崎さん本人がそういうところがあるって言うんであれば、
その反対として彼は主人公を描いてきたんだなっていうのもわかるし、
今回そういう人を主人公にした以上は自分の話にならざるを得ないってことになるのかなとかもちょっと思いましたけど、
そのマヒトのキャラクター性とかってお二方どう思いました?
堀越二郎からさらに一歩踏み込んだなとは思って、
二郎のメンタリティーも卓越した部分はあるとは思うんですよやっぱり。
それはある種誰しもが持ってる豪の部分もあるんですけど、
でもやっぱり宮崎駿の中のクリエイティビティってものをカッコつけて言ってる存在でもあると思うんですよ。
こういうクリエイティビティが人間の不幸を呼んじゃうこともあるんだってちょっとナルシシズム入ってる部分あるじゃないですか。
ありますね。
でもそれさえ剥ぎ取った時に、
割とただウジウジしてる少年になるっていうのは、
俺の醜いところを見せちゃうっていう、
まだカッコつけてる自己語りからさらに踏み込んだ、
さらけ出してる部分はあるとは思うんですよ。
ただやっぱりマヒト自体が美形だったりっていうそこはありますけど、
そっから先剥ぎ取っていったら、
ただの宮崎駿が出来上がっていくだけなので、
そこは実際作り上げられる作品としての着地点として出来上がったのがマヒトなのかなっていう感じを覚えました。
なるほどなるほど。
そうですね。
確かに結構ウジウジしたというか内静的な話なのでそもそもっていうのがあったので、
やっぱり新エヴァンゲリオンっぽいって話が中に出ましたけど、
本当に夢の中というか異世界に行くところは完全にエヴァンゲリオンという精神世界とほぼ同義みたいな感じだったし、
結局母性を巡る話じゃったじゃないですか。
単純にこの要素が宮崎駿のこの面を投影していてみたいな話を一個全部剥き取った上で、
話としてはもう完全に母性の話というか、
かつての母を胸に秘め新しい母とまた向き合っていくみたいな話というか、
そういう意味ではあのちょっとしかも過去と未来が普通にシームレスに接続して一体となって出てきちゃうみたいな感じも含めて、
メッセージとかにも近いような雰囲気があったんですけど、
過去とか未来の時系列がもう同化である、同じ等しいから、
不可逆性のあるものじゃないみたいな感じで提示されて、
それで母性について語るっていうのがすごいメッセージっぽい話っていうふうに思っていたので、
内静的な話なんでそれは主人公をウジウジしなきゃダメやろみたいな感じだったんですよね。
あんまそこ深く考えてはなかったんですけど、
そりゃそうよ。
そりゃそんなもう内静的で、
母親とのなんとも言えない感情とか葛藤の話をするのであれば、
確かにそこまで迷路を快活にされても僕はちょっと困るわみたいな感じというか、
っていうふうなすごく単純ですけど、僕の見方としては。
いやー聞いててね、どんどんエヴァになっていくんですよ。
まあそうですよね。
話の交換にめちゃめちゃマザーコンプレックスがあるじゃないですか。
そうですね。
まず自分の母親の若い時に出会うってもうエヴァじゃんってなりません?
そうですね。
しかもそれがしれっとそういうふうになってたじゃないですか。
物語の描き方的に。
いいとはわかりますよ。
それがそうなんだろうなっていうのがあるんでしょうけど、
いつの間にか本当にそうでした。
しれっと言ってくるみたいな感じが。
本当にそこに実はこの人、若い頃の母だったんだみたいな、
盛り上げる気一切ないところが本当にすげえなって思って。
この人本当にカタルシスがんむしできてるところがすげえと思ったんですけど。
山場にもならないし、登場人物の感動にもならないんですよ。
本当にそうあるものとしてお互いが受け入れ合ってるから、やべえぞだって。
なんでそれが成立してるかってそれは宮崎駿の頭の中だからっていうことなんですよね。
別にそこに、自分の頭の中にそんななんかめっちゃカタルシスがいらねえわみたいな感じなんだろうなっていうのが。
人様にお出しする時には普通カタルシスとかそういうの考えるんでしょうけど、
もう自分のそのままを出してるのでそういうのはいさないですみたいな感じって言ったらいいんですかね。
だから庵野さんと結構精神的につながってる。
もともと庵野さん自身がお弟子さんでもあるわけじゃないですか、ある種の。
そこで間違えて君らつながったってちょっと思ったりして。
不思議なほど近い作家性はあるからなと思いつつ。
なんか万年にさらけ出してみたら弟子と似てたっていうのを僕はちょっと思いました。
今までちょっと取り繕ってたけど、まあにじみ出てはいましたよもちろん。
にじみ出てはいたけど、万年老朽の域に至った上でさらけ出したものが、
弟子と一緒だってなるっていうのはちょっと面白いなと思って。
あと本作マヒトですごく重要なファクターとして、
おばさんに対する感情っていうのがあると思うんですよ。
あれって恋愛感情ですよね多分。
僕は思って、自分の母とまずそっくりなわけですよね。
話の内容を追う限りだと母親にめっちゃ似てるおばであるというので、
そのおばが父親と結婚して、初めて母方の実家に行くわけですけど、
おばさんが初めて現れるシーンの生めかしさやばくないですか。
それはちょっとギョッとするぐらい。
やっぱり恋愛感情がこもってるように僕は感じて、
父親とおばが仲良くしてるときのマヒトの居心地の悪さって、
単に父親が自分の母親じゃない人と再婚したっていうことだけの居心地悪さだけじゃなくて、
恋愛感情を持ってる相手が父親と繋がってるっていうことの居心地の悪さあるように僕は見えたんですよ。
そうですね。恋愛感情か言われるまであんまり意識してなかったですけど、
結構昔からというか、それこそ源氏物語の時代から、
マザーコンプレックス、母親のコンプレックス、あるいは母性を求めることと恋愛っていうのって、
男性の中ではもしかしたらある程度近いものがあるんじゃないかってことが語られてるじゃないですか。
多分テーマ性としてよく出てくる話でもあるなと思うんですけど、
確かに多分マヒトの中での夏子さんへの感情って多分整理できないものだと思うんですけど、
近いものを挙げるとしたらそうかもしれないですね。恋愛かもしれないなっていうのは今言われて気づきました。
そうか。多分ですけど、おばさんが出てくる辺りからですかね、
マヒト一切喋らないじゃないですか。あれもすげえなって思ったんですけど演出として。
主人公一切喋らないまで物語が普通に進んでってるんだけどみたいな、
それが数分くらい、4,5分くらい、10分くらい続いてるのが怖いって思ったんですけど、
あそこまで黙ってるってものすごい嫌やなって気持ちがあるんかなって思っちゃって。
演出的にどうなんかなってわからないですけど、
自分で自分の頭を傷つけるところとかもやっぱり困らせたかったんかみたいな感じに見えてたので、
なんか僕は恋愛というかあんま好きじゃないみたいな感じだったんじゃないかなみたいに見てましたけど、
単純にどんなに母親と似てようとお前は母親じゃないっていう否定ですよね。
拒絶の感情みたいなことですかね。
まあそれもあるし、みたいに僕は見てました。全部入り混じってるなって思って。
その意気込みの悪さってあるし、彼の夏子、おばさんに対する態度の悪さって、
ジブリキャラクターでいうと多分隣のトトロのカンタが一番近いのかなって気がして。
カンタってサツケに意地悪するんですよ。
でも親切するんですよ。傘をフンって言って差し出したりとか、
彼が一番宮崎駿が考える少年の恋愛感情っていうものを表してるなって思いながら隣のトトロは見てて。
もちろんその恋愛感情って一触で語れるような感情じゃないんですよ。
女の子自体が苦手だなっていう意識もあるし、よそ者だなっていう感情もあるし、
いろんな感情が入り混じって、その中に行為っていうものが含まれてて、
その上で出力されるのがブッキラボーに接するっていう形で出力されるっていうのは、
めちゃめちゃリアリティあるなと思うんですよ。あの世代の男児の在り方として。
たしかにな。だからそういう意味では、あれだけただ嫌いなだけだったら、
多分夏子さんが出ていた時に助けにはいかないと思うんですよね。
そろそろキリコさんも、あんた夏子さんのことあんなに嫌ってたじゃないって言ってましたけど。
でもやっぱり助けに行くっていうのは、母性もあるけど、ちょっとやっぱりそれだけじゃないなって感じはしてきましたね、だんだん。
僕は子供と一緒に隣のトトロを見てたから、カンタは絶対あれは恋が混じってるって。
もちろん隣のトトロ見てたら明らか分かるんですけど。
最近カンタがインストールされてるから、少年がぶっきらぼうに接するのは基本的に恋が混じってると思ってるんですよ。
カンタがインストールされてると。
じゃあその真人の夏子に対する感情も恋が混じってるよなって。もちろんそれは嫌悪もありますよ。
自分の母親じゃないものが母親になったって嫌悪もあるし。
いろんなものが混じった中に恋が混じってしまってるからこそ、出力がトゲトゲしいものになるというか。
なるほど、確かにその描写は言われてみたらそうですね。
かなって僕は見てました。
本作って宮崎駿の威嚇女性イメージオールスターみたいなとこあると思うんですよね。
はいはいはい。確かに。
母性を内包した少女。もはや少女の母が出てくるっていうところとか。
年上の憧れの対象としての女の人とか。
あ、ごめんなさい。夏子がね。
半分恋愛対象としてのってことですね。憧れ。
で、姉御肌の女性としてキリコ。若キリコが出てくるっていうところも。
宮崎駿の作品によく出てくる頼れる亜美紀像みたいなキャラとして。
おばあさんの中の一人であるキリコさんの若い頃。
若い頃に聞けるやつ真っ直ぐ繋がってるかもよくわかんないんですよね。
ただ若いキリコさん以上ってもない気がしますけど。
そうなんですよね。若返ったとかそういう感じでもないんだよなみたいな感じですし。
なぜか若くなったキリコさんがそこにいるという。
あとあのインコなんですけどめっちゃ怖いじゃないですか本作。
超怖い。
さっきインコが消費者の側かもっていうふうにおっしゃられたじゃないですか。
僕が見聞きした意見であったのがインコってスタジオのジブリのスタッフじゃないかっていうのを見て。
ほう。
だから後継者にはなれない人たちっていう。
そうですね。なるほどね。
そっか。それをある意味食い潰すんだもんな。あの世界。
ギリギリで成り立ってる13個の石を積み重ねてるのをぐちゃぐちゃにして最終的に前後を壊しちゃうって。
ちょっとその見方があまりに残酷すぎではって僕はちょっと思ったので。
それ言ったらほんまのほんまのおしまいですからね。
そこまで投げっぱなしにする意図はなかったと思うんですけどさすがにね。
やっぱり物語全体の着地の良さというか考え深さからするとやっぱそこまではないと思いたいんですけどさすがに。
まあどうなろう。ようこするわけじゃなくて本人も多分そこまで思って書いてなさそうな気もするんですけど。
真相真理でそういうの出てきちゃってるところがあったら仕方ないなって感じですけどね。
読み取りなくはないです確かにそうやっても。
あとそういう意味で言うとすごくメタ的な読み方で言うとすごくその他の方の感想で面白いなって思ったのは
高畑勲監督に対するアンチテーゼなんじゃないかっていう感想があって僕それすごい面白いなって思ったんですけど。
前回思い出ポロポロの回で話した通り、
特に思い出ポロポロという作品はアンチ宮崎駿天子盛りの作品じゃないですか。
高畑さんはアンチファンタジーズムだと思うんですよ。
ファンタジーではなくリアリズムにこそ描くべきものがあるってことをあの人はずっとやってきてる人だと思うんですよね。
それに対して宮崎さんはファンタジーの中で描き続けるっていう選択を取り続けてる。
ラストを忘れちまえって言うんだけど多分人はある程度忘れるんだろうけどでも石を持ち替えるじゃないですか一つ。
それはファンタジーっていうものは確かにその高畑さんが言うリアルの世界に行ったら忘れられるもんだよと。
そりゃそうだよと。なんだけどでもしっかり持ち替えるもんだってあるじゃんって言ってるように見えたんですね。
だから本作結構その映画の半分ぐらいまでリアルの世界の話じゃないですか。
ファンタジーにすぐに飛んでいかない。
なんかそれは結構特に僕その冒頭のあの火事のシーンでその少年マヒトがその火事に向かって駆けていくシーンを見て
あのかぐや姫の物語のあの失踪シーンじゃんって思ったんですけど。
確かになんからしからぬ表現するなとは思いましたけどすげえ良さでしたけど。
でももう重なるのは完全に僕見たことあるのはもう一つはかぐや姫の物語のあのシーンしかないんですよ。
あの失踪シーンって。
だから僕もすごいうがった読み方その方の読みをちょっと借りて言えば
その天国の高畑勲にいや俺はこう思うけどねっていうお別れの言葉兼なんていうかな彼の返答というか
高畑勲という人生に対していや俺はこうだと思うぞって言ってる映画っていう風にも捉えられるなと思っていて
僕は結構その解釈素敵だなって思ってるんですけど。
素敵ですねそれ。
確かにそうだな。
思い出ポロポロのアンチ宮崎駿要素ってめちゃめちゃロジカルなんですよね。
ロジックで宮崎駿を攻撃してるような作りになってるんですけど
本作をアンチ高畑勲と見た時にあんまりロジカルじゃないというか
すごい感覚的なんです。
でもその感覚的であることこそがアンチ高畑勲であるという見方をするとめっちゃ面白いですね。
そうなんですよだからもうストーリーもある意味知り滅裂だし
でも観念の塊であるファンタジーはそれが許されるんだって
それは高畑さんあんたにはできないでしょって言ってるようにも見えて
そこのなんていうか自由度というか
ファンタジーだからこそ僕は羽根が伸ばしたんだよって言っている感じは
高畑さんのあそこまでなんていうかいいパンチに対してのカウンターとしてめちゃくちゃいいなと思って
めちゃくちゃいい
綺麗にちゃんと入ってますねお互いにクロスカウンターって感じ
ちょっと僕今頭の中でジョーとリッキー氏がクロスカウンター当て合ってパパンってなってる絵が浮かびました
だから僕は完全に宮崎駿個人の話だし観客に向けてないって言いましたけど
唯一高畑勲には向けてると思います
めちゃくちゃいいよその解釈何それ最高
その見方めっちゃ素敵やし僕もそれに乗っかりたいんですけど
あまりにも二次創作的ですよね
もうそれ二次創作かなんかじゃないのみたいな
それで一本映画になってたらめちゃくちゃわーって盛り上がるだろうけど
そんな二次創作を見てるみたいな感じですよね
この映画だったら別の物語で僕たちは覚えているみたいな
いやでも絶対そうだと思います
確かに高畑勲は既に亡くなってて
興行主義としては圧倒的に宮崎駿が上に行ってたわけですよね
世間的な知名度も圧倒的に宮崎駿が上に行ってましたけど
多分ずっと宮崎駿も目の上のタンコブだったと思うんですよ
ずっと憧れであり尊敬の眼差しで見ていた人ですよね