♯006 伝える力は才能じゃなかった。叱られ、調べ、相手を理解し続けた先にあった
2025-07-28 10:25

♯006 伝える力は才能じゃなかった。叱られ、調べ、相手を理解し続けた先にあった

若い頃、私は叱られてばかりでした。いや、年を経ても同じなのですが。
若いころは、契約レビューしても月次報告しても自信がなく、質問されても「分かりません」、「調べていません」と答えるしかない毎日。落ち込みながらも、地道に調べ、背景を理解する習慣が身に付き、逃げずに向き合ってきたことで、40代になってようやく「この人が契約担当になっていれば安心」と言われるように。
私にとっての成長とは、相手に伝わる説明ができるようになること。すぐに結果が出なくても、努力は確実に自分を支えてくれる——そんな話です。

契約審査では、「てにおは」の修正しかできず、舌打ちが聞こえてきた
海外事業では、訳もわからず「タラゴナは好調」と知ったかぶり
40代中盤になり、信頼されるように変化
今でも落ち込むことばかりだけど、努力は人を動かすんじゃないかな
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おはようございます。知財設計コンサルタントの勝沼です。 還暦父さんの、1個の失敗も、1個の嬉しいも、貯めれば財産ラジオ。始めていきたいと思います。
私、味の素という会社で40年勤めてきました。 最初に、法務部門からキャリアを始めて、その後、ペルーという国で偽物対策に奮闘しました。
帰国後は、知的財産部というところに転じまして、約20年にわたり、知財業務に従事してまいりました。現在は、知財と契約のコンサルタントとして活動しています。
さて、今日は、伝える力は才能じゃなかった。 叱られて、調べて、相手を理解し続けた先にあった、というお話をさせていただきたいと思います。
今日は、ライブでお届けしております。
さて、若い頃の私はですね、仕事で叱られてばかりでした。
最初に配属されたのが、法務部門、法律部門に配属されました。
自分ではですね、契約書なんて到底レビューできない、実際書いたこともないですし、到底レビューできないと思っていました。
私が取引先が作ったドラフトに、手によって程度の修正しか、それしか入れられることができなかったんですが、その程度の修正しか入れずに、そのまま上司に提出しました。
と、すぐにこうやって聞かれるんです。
例えばですね、オツはこれを確認する、っていう条文があった時に、上司から、これ、このこれって何のこと?って聞かれます。
それからですね、条文で製品の所有権は相手に渡す、っていう条文になってた時に、これ事業部は本当にそれでいいって言ってるの?とかですね、紛争の時は薬事法に従うってあるけど、薬事法ってあなた読んだの?
私はすみません、わかりません、読んでません、と俯いて答えるばかりでした。
という下打ちが聞こえたような気がしました。
当時の法務部門はですね、私以外は全員超優秀、超仕事のできる人たちばかりでした。
そもそも司法試験を目指して勉強していた人もたくさんいまして、そういう方たちはもう大学の4年間ずっと法律の勉強してます。
そして法律に精通しているだけでなくてですね、法律が好きな人ばかり、法律の雑誌が届いたらそれを隅々まで読むという人たちばかりでした。
私はというとですね、外交官を目指していたので、憲法や国際法は猛勉強していました。
関係のない民法の知識は皆無。大学時代の私はリーグ3部昇格を目指す水球部というところで、巻き足ばかりしていました。
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15キロのバーベルを抱えて浮かぶ毎日、脳みそまで筋肉になっていました。
そんなところですから、なかなか仕事ができないのも仕方ないのかもしれないですが、
先輩たちだったらですね、契約のレビュー一つとっても即座に条文を読んで、これは何を指しているかわからないと気づいて条文を修正しますし、
薬事法もすらすら説明できています。
私はというと、その当時ネットもない時代ですから、本棚の大量に本がある本棚の奥から分厚い本を引っ張り出してですね、
どこをどう探せばいい、何を読めばいいんだろうっていうのもわからずに時間をかけて調べ、
やっと分かった振りするも含めてですね、上司に報告するまでに何時間もかけていました。
非効率で的外れで成果も出ず評価もされない。
けれど分厚い本を調べ、目の前にいる依頼者との会話に会話の時間を長くとって徹底的に背景を理解する。
そんな自分のできる範囲のことですね。そんな努力を重ねるしかすべがありませんでした。
何年か法律の仕事を続けた後で海外部門、海外事業部というところに移動してまた似たようなことが起きます。
最初の月報会、現地からですね、ヨーロッパの現場からタラゴナ向けの販売は好調だという風に報告があったので、
月報会ではタラゴナ向けは好調ですとそのまま報告しました。
するとですね、部長からタラゴナって何?と詰め寄られます。
タラゴナって昔から知られている何かだろうと思って、全く調べずに報告したのが私のミスでした。
ただそれ以上にですね、ヨーロッパの現場にタラゴナがわからなければ、ヨーロッパの現場にタラゴナって何ですかと聞けばよかったんですが、聞けなかったんです。
なぜなら本社の若造が口出しして邪魔するなって怒られそうだったので、現場に聞けなかったっていうのが情けないお話でした。
その月報会で今度は動機はですね、素晴らしいんですよ。経理をずっと担当してきた動機は月報会で、
私の担当する子会社の決算を分析すると営業利益はこうで、限界利益はこうで、こう進めていくべきですと堂々と分析して発表していました。
自分の未熟さを思い知らされてまた落ち込みました。
こういうしょげている私を見兼ねた、見兼ねたではなくて隣の部の課長さん、隣の課の課長さんがですね、私にこう声をかけてきたんです。
勝沼さん、君頑張ってるように見えるのに妙に評価が低いよね。何やらかしたの?
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いや、やらかしてないんです。ただ何も成果が出ていなかっただけでした。
その頃ですね、あの私の部長の話ですけれども、なんとアメリカで法律違反をしてしまって有罪判決まで受けてしまっていました。
で、そのしょげている私を見て彼がこう笑ってこう言うんです。
勝沼さん、そんな小さなことで落ち込むなよ。俺なんて有罪出ちゃってんだからさぁ。
ああ、こういうふうに笑える人になれればいいなと思ったのがその時です。
それでもですね、私のことを評価してくれる人が社内に出てきたのは、もう40代の中盤になってからでした。
契約業務の専門性が少しずつ周囲に伝わるようになっていきました。
その時に私が急に変わったわけじゃないんです。
ただ20代から積み重ねてきた下調べをするというのと背景を理解するという癖が地味に自分を支えてくれたのだと思います。
誰よりも余計に相手が欲しいであろう情報を想像して動くようになっていました。
だからですね、契約作成の依頼が来るように、どんどん来るようになりました。
きっと相談してくれる相手の苦しさや背景が景色のように見えるようになったからです。
ある事業部の部長はこう言ってくれていたらしいんです。
勝沼さんが契約担当になってくれたら、その案件は成功したも同然だから、というふうにです。
さあ、タラゴナが何なのか、今でもよく知りません。
でもその時、知らないことを知っているふりせずに正確に状況を伝えるという経験にはなりました。
もちろんですね、40代になっても50代になっても先輩はいます。
相変わらず叱られる体質は変わっていません。
ある時事業部にアドバイスしたところ、先輩から
勝沼さん、自分の利益のために仕事するなよ。
俺の事業部の利益のために仕事しろよ、と怒られました。
でもその時、私はこういうふうに言えました。
この提案はあなたの部のミッションを実現させるためのものです。
ご不満は理解しますが、部下の声も含めてもう一度検討していただけませんか。
その翌日、その先輩が笑って私のところに来ました。
昨日は悪かったな。勝沼さんの提案でよかったよ。
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私は一言、そうですよ、と返しました。
先日宴会でこの先輩にエピソードを話したんですけど、そんなことあったっけ、笑い。
で、終わりになりました。
私は今でもすぐ落ち込みます。
自分では解決できないような案件をやります、と言ってしまい苦しむことばかりです。
スタエフも井原志佳林さんという出版のスクールで一緒になった方と話をしていて、チャレンジを始めましたが、
その出版というのも自分で解決できないような案件に取り組むの一つです。
でも言えるのはですね、一つだけ恐れずにチャレンジを続け地道な努力を重ねることが自分が思っているよりも深く自分を支えてくれるということです。
結果が出ない、報われない、正しくやってるはずなのに、と悩んでる人がいたらこう伝えたいです。
方向さえ間違えなければ努力は必ず言葉になり、人を動かす力になります。
これが私の経験からの実感です。お伝えしたかったことは以上です。聞いてくれてありがとうございました。失礼いたします。
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