地に足がついていない。うわついている。
自分でそう気づいたり、人に指摘されたりして、よし、しっかりしようと思う。
だけど思うほどにうわついてしまう。そういうことないですかね。
これって実は、気合とか心構えとか、そういう意志の強さとかが問題じゃないかもしれないんですよね。そういう問題じゃないかもしれない。
しっかりしようと思った瞬間に、身体を固めて何とか自分を保とうとする。
で、身体をこわばらせればこわばらせるほど、うまく地面に立てなくなる。地に足がつかないということが起きてきてしまう。
心の話だと思っていたものが、実は身体の方から惚れてきているんじゃないか。今日はそういう話をしていきたいと思います。
皆さんこんにちは。大沼達也です。
身体の教養ラジオ、今日も始めていきたいと思います。のんべんだらりといきましょう。
この番組は、神経師の大沼達也が、心と体のつながり、身体の軸に、SOMATIC STUDIOのサポーターの皆さんのご質問にお答えしていく番組です。
今日も前回に引き続き、この足元の話をしていきたいと思います。
前回ね、地に足がつかない、ふわふわして落ち着かないんだというご質問をいただいて、前回は言葉の方の話をしたんですよね。
地に足がつくとか、腹が立つとか、腰が引けるとか、心のことを言ってんだけど、なんか分かんないけど、身体の言葉を当てはめることってあるよねっていう話でした。
それは例え話じゃなくて、ただの比喩じゃなくて、昔の人ってのは自分の体で感じてたものをそのまま言葉にしたんじゃないかっていう話をしたんですよね。
だとすると、地に足がつかないっていうふうに思う時、そういう時っていうのは心だけがそうなっているわけじゃなくて、実際に自分の足元の状態っていうものが言い表されているのかもしれない、そういう話をして前回終わってしまいました。
今日はその続きで、じゃあこれ、物理的にはどういうことなんですかっていう話をしていきたいと思います。
あくまで今日話すことっていうのは、全部そうなんですけど、僕が話すことってね、エビデンスとか出したりとか論文とかね、保証されてるよとか、証明されてるよとかって言ったりもするんですけど、断定ではないです。傾向です。
で、それと現実感のなさがつらい時とか、たちくらみが続くような時とかっていうのはね、あくまで医療だったりとか専門の助けがいる領域だってことを忘れずに、それを踏まえて聞いていただきたいんですね。
僕自身もこうやっていろいろ話したりとかしてますけど、発信とかしてるけど、やっぱり実際に来ていただいて見てみたりとかして、これはちょっとお薬の力借りた方がいいなとか、お医者さんの力を借りなきゃいけないなとかっていうこともやっぱり実際あったりするんでね、何より自分一人で抱えるっていうことがね、一番怖いことです。
なんでかっていうと、しんどい時っていつもの自分じゃないじゃないですか。まともな自分じゃないからしんどくなってんですよね。そういう時にまともな判断ってのはやっぱりできなくなっちゃうんですよ。
何より抱え込まずにやっていきましょうね。大前提で。
はい、ということで今日はここまで。
では3つの話をしていこうと思います。1つ目がしっかり立とうとすると、なぜかえって立てなくなってしまうのかという話。2つ目がじゃあ僕らは本当はどこで立っているのかという話。3つ目はそれがずっと続かないという話です。
じゃあ1つ目のしっかり立とうとすると、なぜ立てなくなるのかという話をしていきましょう。
これね、あの、ちゃんとしよう。この間怒られたし。しっかりしないと。なんか気が緩んでるのかもしんない。たるんでる私。もっとちゃんと、しっかりしっかりやろう。
そうやって気合を入れたりとかするけど、余計空回りしちゃったりさ、また怒られちゃったりとか、自分でもなんかちょっと違うな、なんか頑張ってるつもりだけどうまくいかないっていうことってよくあったりするじゃないですか。
これがね、実は体でも、物理的な体でもそのまま起きるんですよね。
こういう状況を地に足がついてない感じっていうふうに表現する。じゃあしっかり立ってみましょう、というとしますよね。
これがうまくいかないんですよ。皆さんちょっとしっかり立ってみてくださいって今言われて、よしじゃあしっかり立とうって思ったときどんな感じになってるかな。
もちろん体のいろんな部位でいろんなコントロールの仕方を皆さん試されてると思います。それぞれのクセが出てると思います。
例えばその一つの例として、足の裏で地面をつかもうとするという方がいらっしゃるとします。
こうすると、ギュッてね、足の方に体重を乗せるような感じで、つまり力感を感じるようにグッと足に力を込める。
こうやって自分の重心をなんとか安定させようとして、よし、しっかり立ってるぞっていう状態を作ろうとしたりします。
だけど、あれ?なんかふくらはぎの疲れてくるぞとか、あ、なんか指しんどいわ、足の裏痛くなってきた。
あれ?なんか腰の方もそり腰みたいになっちゃうかも。
あ、なんかずっとこの体勢でいたら首しんどいなみたいなことが起きてきたりするんですよね。
これ何でかっていうと、しっかりしようイコール力を入れよう、力入れている感覚を感じようってなってしまうと、
筋肉っていうのは緊張します。
締まる一方なんですよね。
そうすると自分の重みを感じ取るセンサーの働きっていうのが落ちてしまうんですよ。
筋肉に余計な力が入っていると、この重さだったりとか、自分の筋肉が今どのくらい力入っているとか、
今自分の体がどこにあるのかっていうのを、実は筋肉の中にあるセンサーが、筋肉とか腱の中にあるセンサーっていうのが脳に教えてくれてるんですよね。
体中にそういうセンサーがある。今自分の体こういう状態だよっていう風に。
ところがそれが、ずーっと緊張を筋肉にしちゃってると、感じられなくなってきちゃうんですよ。
センサーが潰されちゃってるようなイメージですかね。
正確に言うと、ずーっと収縮してずーっと同じ刺激が入っているもんだから、
別に動いてないんだな、変化してないんだなってなって、脳がそういう風に判断しちゃうんです。
つまり、力めば力むほど、しっかりしようと思えば思うほど、
自分の体がどこにあるのか、重心がどこにあるのかが分かんなくなっていっちゃうんですよね。
しっかり立とうとするほどに、つまりしっかり心を保とうとするほどに、
自分がどこに乗っているのか分からないということが起きてきてしまったりするわけです。
これ結構ね、いろんな方に起きていることだと思います。
僕自身もなってたことがありました、やっぱり。
で、これのね、提案として力を抜くっていうことがやっぱり言えるんだけれども、
まあ、力を抜くって一言に言ってもさ、
いや、力抜いてるつもりなんですけど、とか、
いや、その抜き方が分かんなくて困ってんです、っていう方が多いのも分かってるんですよ。
みんなそうですよね。
そこで一つの提案として、
力を抜くっていうとちょっとね、こう、結果だったりとか行為になってしまうので、
具体的な、その、どこに意識を向けるかっていうところをね、
皆さんにもやってみていただきたいですね。
で、その一つが重さを探すということです。
重さを探す。
はあ、体の重さを探す。
なんか重いとつらそうだな、とかって思ったりするかもしれないですけど、
実はね、重さを感じようとするっていうのは、つまり脱力しようとするっていうこととイコールなんです。
力が抜けると筋肉がたるみます。
そうすると、この体の重みっていうものを感じることができるんですよね。
このセンサーが開放されるからです。
ガチッと固くなると、この重力を感じるセンサーも閉じちゃうんですよね。
試しにね、ちょっとこれ適切か微妙なんですけど、
腕をね、上げてみてほしいんです。
できるだけ力をだらーっとしたまま、
少しずつ腕をこう上げていってみてほしい。
で、その時に腕の、手の重みっていうものを感じてみてほしいのね。
指、一本一本の重みを感じながら上げていく。
親指、重い。人差し指の重さ。
中指の重さ。薬指。小指。
手首の重さ。手のひら。甲の重さ。
それから、前腕の重さ。肘の重さ。
上腕2頭筋。上腕3頭筋。
肩の重さっていうのを感じながら上げていこうとします。
こういう風に上げたものと、
できるだけ早く、重さを感じないようにシュッて上げようと。
そういう風に上げる場合と、感じ方がね、全然違うと思うんですね。
シュッと、できるだけ軽く早く上げようと思うと、
いろんなところに力みが生じます。
まあこれ自体がね、悪いことではないんですけど、
この力み感っていうものがなかなかの問題で、
力を入れるのは簡単なんだけど、
今度、たるませるのが難しくなってきちゃうんですよね。
なんでかっていうと、さっきも言ったように、
センサーっていうものが閉じてしまうからです。
筋肉っていうのは疲労すれば硬くなる。
ただでさえ僕らっていうのはね、生まれた時から死に向かうその過程で、
柔らかくて水分が潤沢に含まれた正体から、
どんどん乾いて硬くなっていくっていう流れの中に生きているんですよね。
赤ちゃんと高齢者っていうのを思い浮かべるとわかりやすいと思います。
やっぱりそういう風に自然の節理としてなっていくんですよね。
これ、生き物だけ、動物だけじゃなくてもね、植物とかも全部そうなんですよ。
生命っていうのはそういう風になってるんだね。
で、その流れで生きているからこそ、できるだけ柔らかく、
水分が潤沢に含まれている、新陳代謝、保線の状態っていうものをできるだけ保とうと
意図することができるわけです。
ちょっと話それちゃったけど、力が抜けると重みを感じる。
つまり、重みを感じようとすれば力が抜けようとしてくれるということでもあるわけなんです。
これ、僕らの理性の働きのおかげであるわけです。
動物であればその重みを感じる、重みを感じようとするということはなかなかできなかったりするんだけど、
人間にはその機能が備わってるんです。
つまり、その今までの自然の節理、動物の節理っていうところを
うまくね、こう、なんだろうな、今風の言葉で言うとハックするというか、
もっといい方向に進むためにこの理性というものが働かせることができるんですよね。
なので、重みを感じようとする。歩くときも、
特にセルフケアするときとか、
意識向けやすいから、そういうところから始めてみるのはいいと思います。
歩くとき、移動するとき、遊んでるとき、仕事してるとき、
できるだけ自分の体の重みを感じてみてください。
頭の重み、顔の重み、唇、ベロ、
首、後頭部、肩、胸、背中、
柔らかく気持ちよく重みを感じるように日々の生活を送ってみる。
それだけでもね、体っていうのはどんどんどんどん力が抜けていきます。
これも立派な瞑想法です。
これ、足だけの話じゃないんですよね。今も言ったように。
肩でも同じことが起きてます。
肩甲骨だったり、鎖骨だったり、
三角筋というね、こもっこりする筋肉だったりとか、
僧帽筋というところでもそうだ。
全部が全部、僕らの意図によって、
重さを感じようとすれば力が抜けていってくるんですよね。
さらに言うと、そのセルフケアの一つの落とし穴として、
肩甲骨って大事だよ。ここを柔らかく。
つまり、この柔らかくっていうのがちょっと落とし穴でさ、
可動域が広いことが柔らかいことだ。
っていう風に言葉が繋がっている方も結構多いんですよね。
もちろん可動域は広いに越したことはないんだけれども、
可動域はあるけど、こわばっちゃってる。
うまく締まるとたるむっていうのができないっていう状態の方もいるわけなんですよ。
肩甲骨大事だよ。
柔らかくしよう。イコール可動域広くしよう。
っていう言葉によって、
意図せずに体が固められていくっていうことが起きてしまったりもするんですよね。
足も同じです。
地に足をつける。しっかり立て。
こう言われるほど、それを意識すればするほどに足は固まっていっちゃうんですね。
肩甲骨を意識してって言われて肩がこわばるのと、
実は全く同じロジックでこういうことが起きてきてしまったりするわけです。
姿勢とかもそうですね。
いい姿勢っていうものを、
なんとなくこういう感じかなって自分の中で想像であるでしょう。
いい姿勢ってすごく抽象的な表現だけれど、
じゃあそのいい姿勢ってどういう姿勢なの?っていうところは
割とみんな暗黙の了解っていうところで通じててね。
全然いい姿勢とってって言われたときに
する姿勢っていうのは結構人によって違いがあったりするんですよ。
首を使っていい姿勢を取ろうとする人もいれば、
脊柱切り付けにて背中の方を伸ばそうとする人もいるし、
腰の方をすごい反る方もいますよね。
もしくはバレーとかやってる経験がある人だったら
軸を上下にピョイーンって伸ばすようなイメージっていう方もいるかもしれない。
なんかそんな風に微妙に含まれる、
この言葉に含まれる意味や運動っていうのは人によって変わってくるわけです。
筋肉の力を使って真っ直ぐにして、
これがいい状態だっていう風になってしまうと、
実はこれがしんどい方向に向かうということが起きてくる。
なんかいい姿勢取った方がいいって思うんだけど、
なんか辛くてやってらんないんだよねっていう方も
いっぱいいらっしゃると思うんですね。
これ、いい姿勢っていうのが、
ちゃんと重力にしっかり適応できている状態じゃないからなんですよ。
いい姿勢取ってるつもりなんだけど、
なんか言葉遊びみたいになってきたね。
あんまりいい姿勢じゃなくなってるってことが起きてくるんですよね。
むしろ重力と喧嘩しに行ってしまってる。
重力を感じずに、正しい姿勢ってこうなんでしょうっていう風に思考の方で考えて、
無理やり体を引っ張っているっていう、
これ僕もね、昔はそうだったんでね、すごい気持ちわかるんですけど、
すごい自己中心的ないい姿勢になっちゃってしまっているんですよね。
こういう体の使い方があれば、やっぱり人間関係だったりとか、
自分の思考っていうものもそういう方向にどうしても引っ張られていっちゃうんですよね。
周りの環境、重力っていうのを感じられない。
重力があるのに、全然それが認識に昇ってこないので、
なんでこんなまっすぐな体してるのに、なんで体しんどいんだ。
おかしいこんなの。呪われてるんじゃないか。とか。
なんかいろんな方向にこう、思考がね、広がっていっちゃったりするんですね。
でも本当はそこに重力があるわけだ。
ここでわかるのは、軸とか中心とかっていうものも、
立てるもの、考えて最初から追うものじゃないんですよ。
最初から正解がそこにあるわけではないっていう考え方をしてみて、面白いんですね。
ガチッとこの一本を立てて、他の部品をくっつけていったようなイメージとはちょっと違うんです。
全身の体のパーツありますよね。骨が。
人体こういっぱいボコボコボコってちっちゃいのがあります。
そこに筋肉がそれぞれついてたり、人体がついてたり、内臓が入ってたり、皮膚がついてたり、神経が通ってたり、いっぱい細かいパーツがありますよね。
それで全部物理的なパーツです。触ることができる物理的なパーツですよね。
つまり物理的に存在しているってことは、重力が全部均等にかかっているはずなんですよ。
全身のパーツが力抜けて重力線に沿って、すーっと自然に正しい位置に収まったとき、
そのときにここが中心だねっていうふうに軸が立ち上がってくる。
そういうイメージを持ってみてほしいんですね。
その前提でこの辺かなっていう自分の軸を探しつつやっていく必要があるわけです。
最初から自分で作ったイメージの軸だけによくかかってしまっていては、
軸は立ち上がってこない。一生自分の思考の檻の中に閉じ込められてしまうんですね。
だからこそ自分で体を動かしたり感じていたりということが必要なわけです。
なんか軸ってここにあるらしいな、大沼が言ってたな。
他のセルフキャーとか身体開発伝えてる人が言ってたな。
じゃあ本当かなっていう姿勢で体を動かしていって、
なんかこの感じすごくいいそうっていうのをどんどんどんどん繰り返していく必要があるんですね。
学習していく必要があるわけです。
じゃあ実際に足がつく、地に足がつくっていうことで言えば足元の話でしょと。
足元はじゃあどうやって意識したらいいんだよ。
なんか理屈としてはわかったけど、それが感じられないんだけどどうすりゃいいのって思いますよね。
今日の本題としてこれを伝えしたい。
頸骨っていう骨が膝から下のところにあるんですけど、
ここで立つっていうイメージをぜひ持ってみてほしいですね。
スタジオのサポーターの方はこの骨の絵というものもちょっと後で資料として置いておきたいと思います。
水曜日のほうで話しようかな。
ポッドキャストを聞いてくださっている方はぜひネットとかでも調べてみると面白いと思うんですけど、
膝から下のところ、地に足がつくっていうと大体この辺のことを特に言うかなと思うんですよ。
もちろん股関節以下のことも表せると思うんですけど、
特にその一番土台のところとして、僕の提案としてここを提案したいと思います。
ふくらはぎから下のところって、すねがありますよね。ふくらはぎのところ。
ここって骨は2本あります。
ちょっと触ってみて。
弁慶の泣きどころって言われる、いわゆるぶつけると痛い内側にある骨がありますよね。太い骨。
だいたいそうだな。指2本分くらいあるかな。人差し指と中指くらい。
これが頸骨っていう太い骨なんですね。
外側にあるのが皮骨っていう細い骨があります。
だいたいいつもね、すねっていうと太い骨の前側、前右側、前内側、前内側って言ったりするけど、のところが言ってるんですね。
これが実はこのあたり、膝から下のところの結構内側の方まで入り込んでて割と太い骨なんですよ。
外側は細い骨。そういう構造になってる。
なんで内側が太くて外側が細いかっていうと、実は太い方の骨で僕らは体を支えるように構造的にできているからなんですね。
これはね、推理だったり試食の方で細かく話していきたいと思うんですけど、構造として見ていけば、
ああ確かにそっちの方が合理的だよねっていう身体合理性の観点からも裏付けができます。
外側の骨ってのは皮骨って言って細いんですよ、非常に。3分の1とか4分の1くらいの細さかな、肩骨に比べて。
これは実は足首を柔軟に動かすためとか、ショックを和らげたりとか、あの足ってペタッとついたり走ったりする時に結構負荷がかかりますよね。
そういう時にショックを和らげたりとか、この可動性を保ったりするための補助的な骨なんですよね。
だから本来はこのすね、内側、頸骨の方で体重を支えればいい。
ところがこれが、いろんなところのコアワンとか、心理的なストレスみたいなのがかかってくると、
どうしても前側の方に体重乗ってきたり、外側の方に体重乗ってきたりして、固くなってきちゃう。
そうすると、大体の方はね、外側の方に体重、あの重心がずれていきます。
だんだん皮骨の方に負担がかかって、皮骨って細いのに体重がずーっとかかり続けて、かかり続けてってなると、
皮骨がもう持たないよ、俺。こんな細いのに、こんなに負担かけられたらもう持ちませんよ。
何とかしてくださいっていう風に言って、この周りに筋肉がいっぱいいっぱいついてくるわけです。
そうすると、外側の方の足が太くなっていって、太くなるだけでも筋肉でも支え切れなくなってくると、
どんどんどんどん外側の方に力が逃げていきます。
こうして、膝関節の方まで曲がっていっちゃって、横脚っていうのが出来上がっていくんですよね。
横脚って聞いたことあるかな?
そんな風にこう、外側の方に曲がっていっちゃったりもするんですよね。
こういう状態が状態化してくると、状態が状態化してくると、
血に足が付くっていう感覚は体から消えていきます。
物理的な体で感じられなければ、そういう精神的な血に足が付くような状態っていうのは、やっぱ薄れてしまうんですよね、その分。
1ミリ固まれば1ミリ分心理的なそういう作用っていうのはなくなっていきます。
体が1ミリでも不合理になれば、ちょっと不合理になれば、ちょっと心理的にも不安が生じる。
精神的にも不合理な方向に行ってしまうわけです。
じゃあ、どうすればいいのか。
軽骨で乗ろう、軽骨に体重乗せようと思った時にどうすればいいかっていうと、足の裏をちょっとイメージしてみてください。
足の裏。
ありますよね。今ちょっと立って見てる方。
ああ、足の裏ちょっと感じてみて欲しいの。
その時にね、かかとの付いているところと、それから母指球って言われる親指の根っこのところと、小指球って言われる小指の根っこのところ、この3つをちょっと感じてみて欲しいんです。
踏み踏み踏みってこうね、体重乗せながら踏み踏みすると分かりやすいかなと思います。
この3つに均等に力が乗るような状態がいいんですよね。
で、その3つのちょうど中心、これはね、あの、均等の中心じゃないんですよ。
物理的にそこに体重がかかるような状態っていうのが、この軽骨の真下のところなんですね。
軽骨っていう太い骨が膝から足首までまっすぐ通っています。
上から来た体重がその骨の長い軸に沿って降りてくる骨の中を通っていくんですよね。
この状態で軽骨で立つっていうことになります。
つまり、足、足の裏で言えば内くるぶしの真下のところを意識して、そこに体重を乗せるような感じがいいと思います。
なるほど、この辺ねと思ったら、実際ね、その辺ちょっとこうツンツンツンツンってしたりグリグリグリって触ってみたりして、
そこに意識を向けるようにしてみてあげてください。
それだけでもね、立ち方、感覚の違いっていうのに気づけると思います。
ここよりね、構造通りに使って軽骨で立てるようにするための、
開発法、身体開発法っていうのは、
水曜日サポーターの方の限定配信のところとか私塾の中でもちょっとお伝えしていこうと思います。
今日ね、ポッドキャスト聞いてくださっている方は一旦その軽骨の真下の足の裏のところ、大体この辺だなっていうところで構いません。
そこをちょっとツンツンツンツンしながら、そこにイメージを持たして、そこで体重を支えるように歩く、立つっていうのをやってみてほしいですね。
で、厳密に言うと、骨、あのー、ここだっていう一点ってすごく見つけにくいんです。
骨の軸ってさ、どこやねんって話じゃないですか。
全部触れるわけじゃないし、何ならこう軽骨からちょっと離れてるんでしょ、足の裏って。
そこを直接触って、ここだっていうふうに狙うわけじゃなくて、
どこだろうなーっていうふうに体の方に働きかけて、動かして感じてっていうのを繰り返して、
そこを探していってみてほしいんです、自分のポイント。
これはね、写真撮ったりとか、人にここだよって指示された、教えられたところでは実はあまり意味がなくて、
自分の実感として、あ、ここだっていうポイントを感覚としてつかまないとあまり意味がないんですよね。
実感。
どんなにチャットGPTを叩いても、辞書を引いても、知識として出てきません。
軽骨の真下だよっていうことしか言えない。
あとは全部実感で、あ、ここだっていうふうに落とし込んでいくしかないんです。
ふむ、なるほどってね、こう難しく考えようと思うとね、難しくなっちゃうんですけど、
まあそりゃそうですよね。
リンゴの味ってこうだよって言われたって、食べてみないとわかんないじゃないですか。
それと同じなんですね。
僕ら人間がこう生きて、生きていることっていうのは全部そういう実感に根差したこと、つまり体験が重なって起きていることなので、
これを楽しみながらぜひやっていってみてください。
ほんとね、ちょっとでも良くなればすごく気持ちよくなるんでね、
生きるのが楽しくなりますよ。
まあこれはあれだよ、絶望してるとかそういうことではなくて、
今よりももっともっと楽しくなっていくと思います、一瞬一瞬が。
もう今も十分楽しいよと思っている方ももっと楽しくなります。
はい、そして頸骨で体重を受け入れられていると、無駄な筋筋腸が生まれない。
骨構造、骨の構造で合理的に支えることができるので、余計な力を出す必要がなくなるわけです。
そうすれば脳も筋肉も無駄なところにエネルギー使わなくて済む。
筋肉も緊張、怖ばったりしないのでセンサーも万全になって、
今の体の状態というのが非常にクリアに感じられるし、
クリアにコントロールすることができるわけです。
逆に言うと、この頸骨の軸から連れている分だけ、
どこかの筋肉が働いて支えてくれているわけです。
ふくらはぎとか足の裏とか、すねの前側とか、
何なら腰の方に負担がかかっていたり、首の方に負担がかかっていたり、
ずっと働きっぱなしになるわけです。
だから、ふくらはぎがだるいんだよねとか、すねが疲れんだよね、足の裏が痛いんだよねという方は、
そういうことが起きているのかもしれませんね。
骨が通っていれば、骨にその軸が通っていれば、
自分が出さなくてよかったエネルギーというのをずっと使い続けている。
そりゃあ、心理的にも辛くなったり、
だるくなったりすることってあるよなって思いませんか。
逆に言えばね、このだるさとか、
しんどいなとか、なんか足も飛ぼつかないなみたいなのってのは、
体がいろいろ、体なりに頑張った結果、頑張った後でもあるんですよね。
だから、なんでこんなうまく体使えないんだろう、体しんどいんだろうな、私ダメだなって思うんじゃなくて、
やれやれ、ずいぶん頑張ったようだね、カナンダ君と。
お待たせしましたと。
これからは君たちが、
心地よく過ごせるように、ちょっと協力するからねというふうに、
お待たせしました、登場しますみたいな感じでやってあげればいいんですよ。
体が喜べば、僕らは体から立ち上がっていますから、
気持ちよさで包まれる、
包まれることができると思います。
でね、あの臨床とかの中でも、ふくらはぎが張ってるっていう方は結構多いんですよね。
ふくらはぎが張ってるっていうことは、これ物理的なその構造から見ていくと、
結構前のめりになってるってことです。
試しにやってみて欲しいんですけど、
つま先の方に体重乗っければ、
ふくらはぎが力入るの分かりますかね、皆さん。
逆にかかとの方に体重乗せれば、すねの前の方に力入るでしょ。
だからふくらはぎが張ってるってことは、割と体の中心が前に行ってるってことだ。
つまり、心理的にも前のめりになってることは結構あったりするわけです。
よっぽど特殊なスポーツやってるとかであれば、競技特性上そういうのもあるかなって思うんですけど、
日常の中で、
特にデスクワークだとか、火事くらいかな、体が動かすのっていう方であれば、
なんでふくらはぎばくら張るんだろうなって思うじゃないですか。
意外とこういうところから、全員じゃないですよ。
こういうラベリングには使わないで欲しいんですけど、
もしかすると、前の方に体重が乗ってるってことは、心理的にもせっかせっかしてる。
あれもしなければ、これもしなければっていう風に、結構何かに追われている生活が多かったりとか、忙しい。
もしくはこう、気持ちも前のめりになってしまうっていう方が、
なのかもしれないっていうような当てを作ることもできるわけです。
でもふくらはぎ張ってるからこの人せっかちだなって思うわけじゃなくて、
前に前に行かなければっていう思わせられるような、そういう環境にいれば、
そういう体の状態にもなっちゃうわけなんですよね。
これを、なんか性格、昔からの性格なんだとかっていう風に言ったりもするけど、
なんか体の、そういう、なんだろうな、環境によってそういう体の構えが作られるわけでしょ。
いつも前のめりになっちゃう。
いつもふくらはぎがあって、前側の方に体重乗ってるっていう体の状態がずっと続く。
イコール心理的にもそういう状態が続くってなると、
体はね、それが蓄積しますから、前のめりにいるのが普通の状態になってくる。
そうすると心理的にもそれが普通の状態になってくる。
これが沈殿していって、僕らの性格っていう風に言われるのかもしれない。
だからそう考えるとさ、なんか性格ってなかなか変わりにくいとかって言うけど、
体が変われば変わるものっていう風にも言えると思うんですね。
まあもちろんその体の構えっていうのはなかなか変わんないものではあるんだけれども、
さっきもお伝えしたように変わるじゃないですか。
ちょっとずつ時間をかけていけば間違いなく変わりますよね、物理的な構造としてはね。
なので自分なりに彼らをちょっとずつちょっとずつ変えていけば全く問題ないわけです。
ずっとはできないんじゃないの?