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【代償思考】思考が止まらない理由をメンタル鍼灸師が解説 #50
2026-08-03 44:55

【代償思考】思考が止まらない理由をメンタル鍼灸師が解説 #50

#50 | 身体の教養ラヂオ

夜、布団に入ってから昼間のやりとりを思い返して、頭が止まらなくなることがあります。
これは性格でも、考える力が強すぎるからでもなく、体からの報告が細くなったぶんを脳が思考で埋めている状態かもしれません。
その仕組みと、今夜からできることを話しました。

【目次】
夜、考えが止まらなくなる
考えすぎの正体を「代償思考」と呼んでいます
脳は、わからない空白を物語で埋める
感覚に意識を向けると、物語をつくる脳が静まる
頭の中だけで空回りする「思考の檻」
今夜、布団の中でできること
理性は、野生を開くために使う

【本編で触れた研究】
Farb, N. A. S., Segal, Z. V., Mayberg, H., Bean, J., McKeon, D., Fatima, Z., & Anderson, A. K. (2007). Attending to the present: mindfulness meditation reveals distinct neural modes of self-reference. Social Cognitive and Affective Neuroscience, 2(4), 313-322.

【映像つきでも観られます】
YouTube https://www.youtube.com/watch?v=gVLVC8e0DhY

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大沼鍼灸 宛

感想

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00:00
こんにちは、大沼竜也です。
身体の教養ラジオ、今日も始めていきたいと思います。
今日はですね、「考えすぎてしまうのはなぜか?」っていうものについて、
身体論の観点から話してみたいと思います。
考えすぎ、なんかそういう風にね、人から言われたことがあるとか、
私って考えすぎる性格があるなと思う方って結構多いと思うんですよ。
僕自身もそういう経験があってね。
夜、布団に入ってから、昼間、ああいうことあったな、こういうやりとりしたけど、
もっとこうすればよかったなとかって思い出して止まらなくなってしまうとか、
あの時会えばよかったなとかさ、何であんな言い方しちゃったんだろうみたいなね。
あの、しんどいじゃないですか。
いろいろこう振り返って考えるのって。
そんな、なんだろうな、こうネガティブに、暗い方向に考えなくてもいいのになって、
客観視すれば、また次の日になればとかさ、なれば分かるんだけど、
その時はもうどっぷりのめり込んじゃったりとかするんですよね。
そこに深く入り込んでしまったりする。
で、客観的に見れば、まあ夜だったしな、
もう頭もまともに回らない状態だし、考えても答えは出ないっていうのは分かっている。
でもその時はもう分からなくなっちゃって、頭だけがもう回り続けちゃう。
それで眠れなくなって、翌朝また疲れちゃってる。
こういうような夜を何度も過ごしたことがあるという人は結構いらっしゃるんじゃないかなと思います。
こういう時、大抵いろんなね、こういう専門家の方とかに相談したりとか、
それこそ今チャットGPTとかね、ありますから調べたりします。
そうすると大抵考えすぎだよっていうことを言われたりすると思います。
もしくはそうだね、LLMとかだと、いやこうこうこうだからあなたは正しいよみたいな正義の話になっちゃったりとかしちゃう。
で、自分でもそんなにずっと暗いわけじゃないからさ、その方もね。
そういう風になんだろう、気分いい時は気分いいんだけど、
なんか分かんないけどそういう風になっちゃう時期があったり、そういう日があったりすると。
で、またああいう時間を過ごしちゃったなみたいに過ごしてから、それが過ぎ去ってから気づいたりするんですよね。
ああまたやってしまっていたなっていうような。
で、考えすぎ。だから考えないようにしよう。
そんな風に言われたり答えが出てきた時にね、
03:00
自分のこういう考えすぎてしまう性格なんだろうな、この性格直さなきゃな。
じゃないとしんどいもんな。
そういう風に自分の中で落とし所を見つけているっていう方も結構多いと思うんで。
でも問題は考えすぎてしまう。
なんか分かんないけどそれを抑えられない。
考えてしまうっていうようなことがなぜ起きるのかっていうところが非常に重要な問題なんですよね。
これを身体論の観点から洗い出していくと、
ああなるほどっていう風に過展がいくんじゃないかなと思うので、
ちょっとそれを解説していきましょう。
理由が分かればね、こういう風に解消すればいいんだっていうのも明確になってきますから。
これは思考とか僕らの理性、頭の側だけには原因がないんだっていうことを最初にお伝えしていこうと思います。
これの一つの打開策、解決策、確信としては、
身体が、皆さんの身体が黙ってしまっていることが正体なんじゃないかっていう風に僕は捉えているんですね。
さあどういうことかというと、僕はこれを大小思考っていう風に呼んでいます。
大小思考です。
僕が付けた言葉なので調べても、
そうだな、Somatic Studioのサイトとかは出てくるかもしれないんですけど、
ちょっと興味のある方は見てみてくださいね、それも。
今日はこれを順番に説明していきたいと思います。
リハビリの世界に大小動作っていう言葉があります。
例えばもう肩関節、肩のところが痛くなっちゃって、ここがね、
この辺までしか上がらないよっていう状態になっちゃった。
そうするとここが上げられないもんだから、
こっちをこう上げて大小、かばったりとか、
こっちの方に体傾けて大小するっていうような、
僕らの本能としての仕組みっていうのがあるんですよね。
本来の動かし方、経路が使えない時に別の経路を使って、
それをカバーしようとする、補おうとする動きのこと、
これを大小動作っていうふうにリハビリの世界では言ったりします。
これと同じことが実は体と思考のこの間でも起きているっていうふうに
僕は考えるんですね。
人間の体っていうのには、
内側の状態を脳に報告し続ける仕組みっていうのがあります。
体の状態がどういうふうになってるかっていうのを、
無い需要感覚、体の内側の状態を感じ取る感覚って呼ばれるものです。
06:02
これは例えばね、心臓の鼓動ドックンドックンってなってたり、
呼吸の深さがあったり、内臓あたりの感覚ね、
胃にどのくらい食べ物入ってるなーとか、
ちょっと胃が昨日飲みすぎてちょっと弱くなってるなー、
ここが怪我してるぞ、
そういうものが違和感だったりとか、
もしくは調子がいいなーっていう感覚でもあるかもしれない。
そういうものとして昇ってくる。
これを内需要感覚っていうふうに言います。
これって起きている間でも寝てる間も休みなく脳に届いているんですね。
だから僕らは脳の方は全体の体の状態を判断して、
今胃が弱っているようだからちょっと胃を守らなきゃいけない。
だから胃の不快感を体に感じさせて、
お腹が空かない状態を作ろうっていうふうにしたりとか、
おしっこがパンパンに詰まっているから、
お腹の方、膀胱が張るような感覚をより優先的に感じるようにして、
あとちょっと動機とかも起こしておいて、
心拍も早めといて、ちょっとせかせかするように、
いろんな行動を早く過ごせるように交換神経優位にしとこうとか、
そういうような判断を脳で行っているんですよね。
ところが体、それを感じるのも体ですよね。
体の状態を感じるのも体。
その体の中に感覚器があるわけです。
この内需要感覚を届けるセンサーが僕らの体の中にある。
これが体が例えばこがまって緊張して力んでしまっている。
つまり、何だろうな、
砕けた言い方で言うと代謝が落ちているとか、
本来の機能を発揮できていない状態になってくると、
この情報というものが、報告というものが細くなっちゃう。
なかなか届かなくなってしまうんですよね。
例えば筋肉で言えば、ずっと力んでいたりとか、
ずっと正座していれば足がどこに行ったかわからない感じとか、
ずっとこがまっていれば、
満足に動かせる感じというのがなくなってきますよね。
筋トレした後って、例えば手が震えちゃったりとか、
感覚がうまく体が動かないみたいなことってあるじゃないですか。
あれが運動器系、筋肉だけじゃなく、
それ以外のところにも起きてきたりするんですよ。
例えば内臓のところとかね。
胃がずっと損傷していて、
胃もたれしているのが状態化しているようになってくると、
09:00
いっつも調子悪いから、
まあそんなもんかというふうに脳の方も処理するようになるんですよね。
そんなふうにどんどんどんどん体の感覚というのが鈍ってきます。
体の情報が昇ってこなくなるんですよね。
そうすると、脳はどうなるか。
例えば、真っ暗な部屋に置かれたような状態って同じになります。
もう何にも見えない、何にも聞こえない部屋に、
今あなたが入ったと思ってみてください。
どうなりますかね。めちゃくちゃ不安だと思うんです。
暗くて、1メートル先に何か物が置いてあるのかもわからないし、
先ももちろん見えないし、出口もどこかわからない。
光が全くない部屋に入っちゃう。
そんな状態で物音ひとつでもパッって鳴ったら、
うわっ、なんかモンスターがいるかもとか、
泥棒かもとかね、ちょっと足に触れようもんなら、
うわっ、ヘビかもとか、おばけかもというふうに思っちゃったりするかもしれません。
こういうふうに僕らっていうのは、
得体の知れないものを恐ろしいもの、ネガティブなものだ、
怖いものだ、危険なものだっていうふうに判断する方が、
生きる上ではすごく合理的な判断になるんですよね。
生存合理性が非常に高いものになるわけ。
そういう判断をするようになります。
なおかつ、脳っていうのはこの情報の空白っていうのが苦手です。
何があるかわからない。
空白っていうのはこれを物語で埋めようとするわけです。
イマジネーション、想像ですね、僕らの。
見えないから、感じられないから、何があるかわかんない。
ってことは、きっと安心なものだろうって考えるよりも、
きっとやばいものだろうって考えた方が、
生き延びる確率が高くなるんですよね。
だからこそ、僕らはネガティブだったりとか、
怖いっていうような想像を駆り立てるような本能があるわけです。
これが皆さんの夜、半数思考、
考えすぎてしまうというような状態の時に起きている、
っていうふうに考えるんですよ。
つまり、体からの報告、情報が途絶えてしまっていく、
限りなく少なくなってしまっている時、
脳の中で物語を想像して、
それがこんな風に体の調子が悪い状態、
自分がこんなに逼迫している状態っていうのは、
12:00
何かネガティブな様子があるんじゃないかっていう風に、
でも体の感覚は感じられないからこそ、
違うところに紐を付けるわけです。
昨日、今日こういうことがあったな、
きっとあの時の上司に言われた一言っていうのは、
私に能力がないから、
それを一つ叱責する意味で込めた一言だったのかもな、
っていうふうに言うようなことを考えちゃったりするわけです。
上司はそんな気ないかもしれないよね。
頑張れよって、本当に背中を押す意味で言った、
もしくはもう何気ない、
そんなに考えてない一言だったかもしれないけど、
ネガティブな方に、
僕らの認識に昇る情報の中でそれを練り上げていくわけです。
これの最たるものは割とこうなんだろうな、
いわゆる揶揄される形で言われる陰謀論みたいなものですかね。
スピリチュアルみたいなものもこういう風に含まれる場合もあるかもしれません。
明らかに情報が少ない、明らかに理屈が通ってないのに、
きっとこうに違いないっていう風に考えてしまう。
その方の体の状態と心の状態、
それからその方の知識量とか思考みたいなところだけで見れば、
非常に合理的な答えなんですよ。
そう思わないとやってられないわけなんですよね。
ちょっと話が逸れちゃったんですけど、
そんな風に何が言いたいかというと、
つまり考えすぎている人は、
考える力が強すぎるとかっていうわけではなくて、
もしかすると体が黙ってしまった分、
それを脳が思考で埋めている、
埋め合わせているっていうような考え方をするわけです。
補っているから、だから代償思考なんですね。
これ臨床とかセッションの中でもよくこういうことってあります。
例えばわかりやすいところで言えば、
普段息苦しさを感じているとか、感じていなくてもね、
肩とか背中がすっごい固まっている。
肩こりなんだけどって来たクライアントの方でも、
触ったらあれふくらはぎもパンパンだし、
なんか顔もずっとこわわっているような感じするし、
よく聞けば頭痛もある。
いつも普通にあるよみたいな風に答えてたりとか、
お腹を触ればお腹もガチガチに固いとかね、
そういうことってあります。
そういう体の状態の方が、
考えすぎて眠れないっていうことを訴えたりすることもあるんですよね。
で、これが逆にね、
臨床の中でその体ってやっぱり触ってあげると解けてきます、いくらかは。
で、もちろんセッションの中でも、
こう、ソマティックス的な身体論的なアプローチをかけていくことで、
15:02
体の状態がね、緊張、
平たく言うと緊張状態みたいなものから、
緩んだ状態になっていきます。
ほどけた状態になっていきます。
そうすると、
心、僕らの思考とか心っていうのは、
体に根差している、体から立ち上がっているものですから、
体の状態が変われば、
思考の仕組みっていうのも、回路っていうのも変わってきます。
皆さんもあるでしょう。
調子が良い時と悪い時って誰しもあるじゃないですか。
あれってのは体のホメオスタシス、
体の日常的なこうね、
毎日の上下動の中に引っ張られているだけなんですよね。
えっと、で何だっけ。
あ、そう。で、クライアントの方が体がほどけてくれれば、
あれ、そういえば、
こういうことで悩んでたっていうのも、
今思い出したわって帰り際に。
こういうことを先生に話そうと思ってたのに忘れてた、
みたいなことも結構あったりするんですよね。
考え方を変えたわけでは、
ない。
でも自然と変わってたわけですよね。
すっごいそれが抜けていた。
もしくは体の状態が変われば、
俯瞰してその悩んでた前の記憶っていうものを
振り返ることができます。
あ、なんだ、そういう風に捉えればいいじゃないかっていうことが
当たり前にこうできるようになってくる。
頑張って違う方に考えてみようと思ったって
なかなか上手くいかないっていうのは、
この体っていう変数を僕らは見逃しているからなんですよね。
これは2007年のトロント大学の研究でも明らかになっています。
体の感覚に意識を向けることで、
頭の中で物語を作る脳の領域っていうのがあります。
ここの活動が静まるっていう風に示されているんですよ。
物語を作るというのは、いろんなことを想像するってことですよね。
僕らの思考なわけです。
つまり平たく言うと、僕らが考えるっていう脳の部位が
体の方に意識を向ける。
つまり感じる方向に意識を向けてあげることで
ここが収まってくるっていうことが
2007年のトロント大学の研究で明らかになっていたりします。
これは別の配信とかでも話してるんですけど、
単に体の感覚に意識を向けるだけだと
嫌な感覚に意識を向けたくなっちゃうんですよ。
なんでかって言うと、
嫌な感覚の方が僕らの認識に上りやすいから。
その方が生き延びやすいからね、僕らは。
なんだけど、たぶんここの研究論文のところでは
18:03
マインドフルネス的なその意識の向け方っていうことを
被験者に働きかけたみたいなので
たぶん当たり前にマインドフルネス。
体の方に意識を向ける。
つまり、清々しい気持ちになるんだ、みたいなのが
たぶん当たり前に共有されてたんだと思います。
でも言葉にここに乗ってこないから
ああ何、じゃあ感覚に意識向ければいいのね。
良い方でも悪い方でもいいのね。
っていうふうに解釈されてしまうなっていううちは
ちょっと僕も読んでて思ったんですけど
絶対に良い感覚の方に向けるようにしないと
この反応っていうのは出てこないかなと思います。
でね、こういう見方をすると
いろんな場面が繋がってきます。
仕事で一つミスをした。
家に帰ってからもずっとそのことが頭から離れない。
SNS閉じた後に自分だけ取り残されている気がしている。
また開いちゃう。
正確診断を受けます。
MBTIとかさ、今いろいろあるもんね。
自分はこういうタイプなんだなって分析すればするほど
あれ、自分って本当は何がしたいんだ。
私は何者なんだっていうふうにね。
コツはなんなくても
すごい孤独感というかね
そのままではいられないっていうような不安感
強い不安感というものに苛まれてしまったりします。
これ共通するものがあって
どれも答えの材料になるもの。
つまり実感。体で感じる実感。
これを安心感とか幸福感という風に言ってもいいかと思います。
この実感というものがないまま
頭の中だけで答えを出そうとして
回っている状態だっていう風に言えるかと思うんですね。
考えても答えが出ないっていうのは
考え方が悪いとか
IQが低いとか
そういうことではないんですよ。
体がその感覚というのを拾えてないから
感じられる状態じゃないから
つまり体が閉ざされてしまっているがゆえに
思考も心も閉ざされてしまっている状態
という風に言えるわけです。
とはいえね
考えること自体が悪いというわけではないんですよ。
本を読んでじっくり考えるとか
仕事の段取りを組み立てるとか
体の実感とつながっている思考というのは
ちゃんと働いてくれます。
クライアントの方こういう風にしたら喜んでくれるかな
こういう話をしたらうまく
21:00
理解してくださるかな
実感持ってくださるかなみたいなのを
僕も考えたりします。
でもそれがね
なんか論文でこういうの言ってたから正しいですよ
ポンって出しても
クライアントの方は全然ピンとこないし
僕もピンときません。
それよりも
だからやって疲れるんだよ
そういうのをまとめてると
全く意味がないね。
だけど
この論文で言っているこういうのって
僕の感覚で言うとこんな感じなのかもしれない
クライアントの誰々もそういう風に言ってたから
こうなのかもしれないなという風に
自分の実感とつなげていくんですよ。
もちろんそれはね
そっくりそのまま自分の実感と
同じものではないと思いますよ。
だけど
こうなんじゃないかっていうような
仮定の中で
違うことを前提としながらも
同じものを見つけていく姿勢というものが
必要なのかなと思いながら
こういうのを準備してます。
でもその実感に切り離されてないから
自分の中で
思考がまとまらない
ゴールがないみたいなことは起きないんですよね。
構造的にね。
で、これがこの実感というのは切り離されていると
つまり
ありますよ、僕でも。
あの
僕でもつったらなんか
自分がすごい人みたいだけど
そんなことないけどさ
いろいろこう調べるじゃないですか。
で、こう調べていろんな情報を集まってくると
またそれが楽しかったりとかさ
で、最初は
あーなるほどなこの感覚
あの感じかな
僕のあの体験に似てるかなとかって
いろいろ探していくんだけど
ずーっとここに座ってたりさ
1日2日くらいずっと
自分の部屋でこう思って
いろいろこうやってたりすると
やっぱり身体勢も落ちてきますよね。
体動かさないわけだからさ。
で、まだこうやって喋る機会が
あの持たせてもらってるから
いいんですけど
まあそれでもね
コミュニケーションじゃないからあれか。
ちょっと話逸れてきたな。
あのやっぱしんどくなってくるんです。
これで本当に自分のやってることって
いいんだろうかとかね
そういうことを考えてしまったりする。
体から切り離されたまま
頭の中だけでどんどんどんどん
空回りしていってしまうんですよ。
だって答えはないじゃないですか。
これが本当にいいのかな
自分の向かう先なのかな
クライアントはこれで喜んでくれるかな
やってみないと
相手の反応も返ってこないし
自分のやろうと思ってることの反応
どういう風に受け取ってもらえるかってことは
わからないですよね。
こういう風に自分の中
思考の中だけで空回りしてしまうっていうのを
思考の檻とかっていう風に言ったりします。
思考の檻ね。
考え方の
考えっていうのが
檻の中に閉ざされてしまうような感じ。
24:01
これは僕自身もこう
そういう性格なのかな
考えすぎちゃって
なんか自分の中でモヤモヤしちゃって
みたいな
思春期の頃とかそれで
何だろうちょっとこう
何て言うんだっけ
檻に入るみたいな状態にあった時もありました。
なんか考えすぎちゃうんだよね
俺みたいな
なんでもう深く考えすぎちゃうから
良くないんだろうな
みたいなニヒリズム的なものがね
あったりしました。
もう下敷きもありました。
寒いですよね。
でもね
それが必要だったんだと思います。
それじゃないと保てなかったんでしょうね。
きっと自分なりの
妥協点として
思考はそういう風に
考えを持つしかなかったんだと思います。
これって性格の問題でもないっていう風に思うんです。
そういう性格なんだろうなっていう風に
その時は僕も思ってたし
クライアントの方もやっぱりその下中にいる方って
たくさんいらっしゃいます。
でも
状態が良くなると
体の状態が良くなった今だったりとか
振り返ってみれば
人生の極一部なんですよ。
その考え方とかその
思考の構えでいた時期って
なんかちっちゃい頃は
そういう気もあったかもしれないけど
そうじゃなかったことの方が
より思い出されるんです。
なんでかっていうと今の状態が
よりこう身体合理性
っていうのが高い状態だから
良い状態にある時は
良い時の記憶ってのは
引っ張ってきやすいんですよ。
同じ感覚にひも付けられた記憶だからね。
でもしんどい時に
いろんなことを思い出せば
嫌なもの、嫌なその時の感覚に
ひも付けられたものが
いっぱい出てきちゃいますから。
なので
こういう臨床とかセッションっていうのは
どれだけ情報がいっぱいになったとしても
やっぱり必要だろうなって
自分の中で思うんですよね。
なんでかっていうと
どれだけ情報が並んでても
どこを
自分の腑に落とすかっていうのは
その人の体の状態に規定されるからです。
よくさ
どこを見るかは
あなた自身だよとか
っていう風に言ったりするじゃないですか。
ある種の自己責任論的なものね。
でもその自己責任
自分で決断したんだからみたいに
言われるものっていうのも
決断するっていうのは
自分の思考だよね。
でもその思考って
どこから立ち上がってるんだっけって
考えると
その理性っていうのは
どこから立ち上がってるのかっていうと
僕らの野生であり身体の部分だ。
じゃあその野生とか身体
つまり無意識っていうのは
どういう風に形成されてきたのかっていうと
生まれながらのものもあり
それよりももっと
どういう環境で
僕らが振る舞ってきたか
27:01
生きてきたか
っていうところによって
形成される部分の方が大きいわけですよね。
そう考えると
あれ?
自己責任とか
自分で決定したものって
あるのか
みたいにも思えると思うんです。
そう考えた方が
より合理的だと
僕は思うんですよね。
これが優しいから
こっちの方がいいんじゃないかとかじゃなく
なんか
あなたが決定したんだからこうでしょう
あなたの考え方をこう変えれば
いいでしょうみたいなものって
すごく乱暴な考え方には
僕は聞こえるんですね。
乱暴っていうのは
その身体っていう変数を
要素を
無視するような
行いに思えるわけです。
だからこそ
あの
だからこそね
今の生活とか
僕らの現代人が生きる生活環境
っていうのを見れば
ほとんどの方が1日中椅子に座ってたり
1日中同じ箱の中にいたり
ずっと画面を見てたり
ある種の
単調な作業っていうものをする方の方が
結構多いと思います。もちろんサービス業とかだったら
まだそれがマシだったりさ
単調な作業をしながらも
人とのコミュニケーションがあればいいけど
同僚とかとも
なんかそういうものも
良くないものってされてしまうような風土って
なかなか近代的だと
思うんですよね。
そういう条件っていうものを
この社会が
この社会を
作ってるのは僕らですから
その条件を僕らが
整えておきながら
悩んでる人に対しては
考え過ぎだよっていう風に
言葉が出てくるっていうのは
ちょっと乱暴にも
感じるわけです。
個人の弱さの話では
なくて僕らの生活
様式というか
社会の構造であり
暮らしの構造
社会だけでもないんだよね。
社会の外、法の外
っていうところにもこれが浸食して
いるように僕は思っています。
じゃあどうするか
という話です。
これね、あの
一言で言うと
僕が
そうだな、一言で言うと
楽しいこととか気持ちいいこといっぱいしてください
っていうことなんですよ。
楽しいこと、嬉しいこと
気持ちが良いことっていうのは
体が求めてることだからさ
ご飯食べて美味しいなーって
その美味しさに浸ること
友達と話してて
わははおほほーって
内容とか関係なくていいんですよ。
それが未来に繋がらなくてもいいんです。
そんなこと考えないでも
なんだろうな
ハッピーアイスクリームって知ってます?皆さん。
30:00
なんか同じタイミングで
同じことを言っちゃうタイミングとかさ
なんか笑えれてくるじゃないですか。
しょうもないお笑い見たり
しょうもないって言ったらあれだけどさ
なんか意味わかんないけど面白いみたいな
もので笑ったりとか
なんかそういう
コミュニケーションに寝させたものって
僕らのすごく身体的な
反応を呼び起こしてくれるんですよ。
つまり野性的な部分ということ
ですよね。
だからそういう
行いをたくさん
できればいいんです。そういう環境が
ある方っていうのは
臨床とかセッションとか
特にいらないと思います。
僕が提案している瞑想法とかも
やらなくてもいいと思います。
でもたまたまね
そういう環境が今ない
という方に対しては
もしくは環境は
あるのかもしれない。だけど
それを感じられる
身体の土台というものが今
失われてしまっている。いろんな
ストレスがあって身体が怖がってしまって
いればどんな環境があっても
やっぱそれを拾えません。
だからこそ身体を
解くというところから
始めるという意味で
身体胴体瞑想
というものをお伝えしています。
ぜひSOMATIC STUDIO JAPANのところから見ていただき
たいんですけど
それの
それを
もっと簡単に言うと
自分の身体を
いい方向に持っていく
そしていい感覚というのをたくさん
味わってほしいんですよ。
夜考えがまとまらなくなったら
考えを止めようとしなくても
代わりに
じゃあまずこれからやってみよう
というのをお伝えしようと思います。
動画を見ながらできますから。
もうしんどいなって思ったとき
もしくは思いそうになったとき
あのね
どうだろうなぁ
なんか気持ちいいくて
すごく好きだなぁ
これっていうことを一個思い出してみてほしいんです。
なおかつ
気持ちいいだとちょっと
あれなんだよね
刺激が強くて気持ちいいみたいな
ものも含まれてしまったりとかするから
安心するなぁ
っていう感覚とか
幸せだなぁ
っていう感覚の方が近いかもしれない
ああ
あの時すごく幸せに
包まれてたなぁ
あの時すごく安心感に
包まれてたなぁっていう体験を
一個思い出してみてほしいんです。
その時
の体験
というものを
これはね
宝くじで100万円当たったから
幸せだ
その先働かなくてもいい
生活が安定するって思ったから
安心だではなくて
その理由の方ではなくて
もちろんその理由もあるかもしれないけど
体で立ち上がった体験
33:01
感覚っていうのがあると思うんです。
生活安定するなぁ
ほわぁ
っていうようなものだったりとか
なんともこう言葉にしづらいような
全体的な体験ってあると思うんです。
もちろんこれ
言葉で表せるものじゃないですよ。
表しきれるものではない。
だけれど
あえてそれを
一文字でも二文字でも言葉に起こして
思い出しておくと
引き出しやすくなります。
記憶に定着しやすくなる。
そうするとその時の体験っていうのは
僕らの体で再現しやすくなるんですよ。
で、多くの場合
幸福だなぁ
幸せだなぁと思っている時っていうのは
僕らの身体合理性っていうのは
高まっています。
体がほどけています。
動きにくい状態よりも
動きやすい方向にいっています。
内臓も
筋肉も神経も
体の
ありとあらゆる器官が
良い方向にいっている時に
得られる感覚なんですね。
それはあれだよ。
本当に一瞬前から
今の状態です。
そうして
良い経験をしていて
悪いことがあったとしたってさ
その時の感覚の話ですからね。
言葉で
こういう事象があった
こういう出来事があったの時間軸ではなく
僕らの実感
っていう時間軸の中で
良い方向にいった時
身体合理性が高まっていきます。
それの一つとして
その時の体験を思い出すっていうのも
いいし
僕、クライアントの方に
これをお伝えして
分かる方と分からない方で
8対2くらい
分かる方が8割で2割くらいの方が
分からなくているんですけど
もしこの動画を見ている方で
分からない方がいたらごめんなさいね。
ペンとか指を持ってみてください。
これを
額のところギリギリに
触るか触らないか
そこくらいに置いてみて欲しいんですよ。
ここら辺ね。
触るか触らないか
くらいのところにこうやって置いてあげると
この辺サワサワサワ
モゾモゾゾワゾワ
っていう感じはありませんか?
そのサワサワ
ゾワゾワモゾモゾの感じが
感じられたら
これが全身に
広がるようなイメージを持って
見て欲しいんですよ。
これが全身に広がるようなイメージを
持ってみて欲しいんですね。
このゾワゾワ
っていう感覚
もちろんこれね、眉間にシワ寄ってたら
わかりませんからね。
不思議だよね。これじゃ感覚出ないんだよね。
ふーっと
力を抜いてあげると
ゾワゾワゾワゾワっていう感覚が出てきて
この感覚が
額にも顔にも
顎にも頭にも
首にも肩にも胸にも
背中にもお腹にも
足にも手にもっていう風に広がっていくように
してあげて欲しいんです。
36:02
これ
さっきの状況を満たしてます。
感覚の方に意識が行っている。
トノトダ学の研究の方も
包括、包摂しているし
嫌な感じじゃないですよね。
体が壊れるような
自分を守るような
反応が起きるような刺激ではないですよね。
むしろ
気持ちいいなっていう感覚で
広がっていくようにしてみてください。
広がって
その気持ちいいなっていう感覚で
全身が開かれていく。
ことができれば
あれ
いつの間にか考え方
思考のループ
ネガティブなループっていうのは
収まってきているはずです。
試しにやってみてください。
ふとまた嫌なことを考えてたら
またそれをやってみてください。
理性の方に意識を
持っていくんじゃなく
野生の方に
自分らの体の感覚の方に
意識を頑張って向ける。
そこだけ頑張って向けてあげてください。
必ず
ネガティブな時っていうのは体の
感覚じゃない方に行ってます。
体の感覚に行ってても
嫌な感覚の方に
行っています。
ここは確実に言えるかなと思います。
なのでもちろん難しいよ。
いい感覚の方に
向けよう向けようと思っても
今まで
数ヶ月数年数十年のスパンで
当たり前に嫌な感覚の方に
意識向けてたり
嫌な方、嫌な考え方、
思考の方に意識向けてれば
それが僕らの当たり前になってますから
それをちょっとずつ
ちょっとずつ変えていく
営みとして
この瞑想法っていうのがあるんですよね。
ぜひ興味が湧いた方
なんかいいかもと思った方は
よりこういろんなバリエーションとか
いろんなやり方
っていうのを提案しています。
具体的な場所も提案しているので
場所も用意しているので
Somatic Studioのホームページ
ぜひ見てみてください。
そうやって体が動いてくれると
体からの情報
っていうのが脳に送られてきます。
感覚が脳に届き始めれば
脳は空白を物語で
埋めなくても
済むんですよね。
脳が何か聞こえて
失眠したり
こういう心に
っていう状況で
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脳が
その状態に
僕は人間の中には理性と野性という2つの働きがあるっていう風に考えるんですね。
野性と理性だ。ごめんなさい。野性と理性。
この野性っていうのはつまり体の側の働きです。
心臓を動かすとか、呼吸をするとか、三大要求とかもそうだ。
食欲、睡眠欲、精欲とかって言ったりするね。
熱いものに触れたら手を引っ込めるとか、
物が飛んできたらさっと手で掴むとかさ、物を避けるとか。
本能的なもの、本能って言ってもいいかもしれない。
生まれてからずっと休まずに働いている部分ですよね、全部。
でも、理性の方っていうのは考える、言葉を使う、段取りを組むっていう力の方です。
この2つはよく二言論的なものの見方っていうのをされやすいんですけど、
こうやって野性と理性っていう言い方もそうだよね。
だけど、昔の倫理観としてはよく本能っていうのは理性で抑えなさいっていう風に言われていた時代がすごく長かったんですね。
でも、僕自身はこういったクライアントの事例だったりとか、
自分の事例見たり、いろんな本とか見たりとかして、
この理性っていうのは野性を抑え込むために生まれた、進化して備えた能力ではなくて、
野性の可能性っていうのをさらに広げていくために生まれたんじゃないかっていう風に思うんです。
どっちかを勝たせるかではなくてね。
考えすぎてしまう夜っていうのは、
理性がまさに野性から切り離されて一人で空回りしているような状態です。
切り離されてって言うと正しくは違うかもしれないけど、
野性の状態が分からないから理性はもうどうしようどうしようっててんやわんやして空回りしている状態ですよね。
だからこそ、先の幸福感とか安心感っていうのを体で感じてみて、思い出してみてっていうものも、
このペンでこうやってここのゾワゾワ感の気持ち良さ、
力が抜ける感覚っていうものを感じてみてっていう風に言ったのも、
理性で体をねじ伏せるって話では全くありますよね。
考え方をこういう風に整理しようとかじゃない。
野性の側の報告、つまり体の感覚っていうものを、
理性がもう一度受け取れるように繋ぎ直すっていう営みなわけです。
野性の側を理性がもう一度受け取れるように繋ぎ直すっていう話です。
つまり理性っていうのは野性を閉ざす方向に持っていくわけじゃなくて、
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開くために使うわけです。開かれの状態に使うわけです。
そんな風に僕は考えています。
すごく簡単にこの全体を言い直すと、
考えすぎっていうのは体が黙った分、
体が沈黙してしまった分っていうのを脳が埋め合わせている状態なわけです。
埋め合わせがいらなくなるように体に報告を再開してもらう。
報告を再開してもらうには物理的な体っていうのを自由な状態に、
合理的な、僕は身体合理性って言ったりしますけど、
これは高い状態に持っていったり。
つまりいい状態に持っていくってことですよね。体を整えていくっていうこと。
それから僕らの意識も問題になってきます。意識はもう癖があるからね。
こっこちいいなあ、気持ちいいなあ、幸せだなあ、幸福だなあ、安心だなあっていうような
その体験、感覚の方に体で感じている方ね。
その方に意識を向ける努力、それを練習しようよっていうことをお話ししてきました。
そうすると皆さんのこの具体的なこの悩みっていうものが
もちろんこの考えすぎてしまうっていうことだけに限らずね、
ネガティブ思考だったり不眠っていうところだったり
半数思考、ネガティブループみたいなものにもつながっていくと思います。
改善していくと思います。間違いなく。
というわけで今日は考えすぎの正体、考えすぎって何で起きるのっていうことについて話してみました。
いかがでしたでしょうか。
ぜひね、これ聞いた後にまたそういうことが起きたら
布団の中でやってみてください。
体験、気持ちいいなあっていう感覚、幸福感、幸せ、安心感とか
額のモゾモゾっていう感じ。
もしくは僕、身体動態瞑想ってやつでいろいろお伝えしてるので
本とかでもね、紹介してます。
その体の心地よさ、その体の体験というものを引き出していくような
具体的なその提案というものをたくさんしているので
それをやっていきながら日々のその感覚というものに
どっぷり使ってあげてください。
自然と思考もいい状態の思考に戻っていくはずです。
はい、ということで今日の身体の教養ラジオこれで終わりにしましょう。
またぜひ聞きに来てくださいね。
今週ものんべんだらりといきましょう。
大沼達也でした。
44:55

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