美しさと好ましさの違い
おはようございます、心理学者のじんぺーです。 本日も心理学の最新論文を紹介していきたいと思います。
今日は芸術とかアートの話をしてみたいと思います。 自分の研究専門分野にとても近いテーマになっているかなと思います。
特に今回の論文のテーマは、美しさと好き、好ましいというその評価の違いに焦点を当てています。
中身に入るのも畑でいいか、そういった違いがあるのかどうかとかね、そういう
芸術を見た時とか美しいものを見た時に人がどう感じるかということに興味のある人はぜひ聞いていってもらいたいなと思います。
今日もお知らせを先にさせてください。 明日に迫りましたが、夜の21時、18日の夜の21時からオンラインで研究トークをさせていただくことになっております。
ぜひ遊びに来てください。どんな話になるかな、研究の内容、
特に今年1年とかドイツでやってきた研究の話とかをたくさんさせていただければ嬉しいなと思っております。
よろしくお願いします。概要欄に申し込みのリンクを貼っておきます。 そんな感じかな。本題の論文の中身に入っていくんですけど、この美しさと好ましさ、
英語だとビューティーとライキング、ライクの名詞形みたいな感じでライキングというふうに我々は使うことが多いんですけど、
それらを区別できるのかどうかという研究ですね。いろんなやり方があって、
科学的にそういう伝別を図るという方法もあるんだろうけども、今回は結構シンプルな心理実験によってそれを区別しようという試みをしています。
これまでの研究を見てみると、そのレビューとかもすごく丁寧にされているんですけど、
あと自分自身の研究を振り返ってみても、やっぱり美しさと好ましさの評価を主観的にさせる。例えば、1点が全然美しくないとか全然好きじゃないとか、
7点がとても美しいとか、とても好きだとかそういうふうに聞くんですけど、そういった時に相関がとても高くなることが多いです。
もう本当に統計値でいうと、Rイコール0.8とか、そういった本当にほぼ同じようなものを測っているんじゃないかというふうなぐらいの高さになってしまうことすらもあります。
だから、そういう数字だけを見ると、何かもう区別する必要ないんじゃないかと、ほぼ同じものなんじゃないかというふうに言いたくもなるんですけど、どうなのかということを調べたような研究です。
今回の研究は何がすごく肝になっているかというと、ちゃんと定義的なものを用意したということですね。
具体的に言うと、参加者が100人ぐらいいますと、半分ぐらいの参加者には定義を伝える、半分の参加者には定義を伝えないという、そういうやり方をしているんですけど、
定義を与える群の人たちにはどういうことを言ったかというと、美しさはより客観的な評価であると、客観的観点に基づいていますというふうな指示を加えます。
例えば秩序とか比例反比例とか対照性、調和とか、そういった属性ですね、そういったものに基づいて行われる評価であるというふうに伝える。
一方でこのマスターのほう、ライキングの評価のほうは主観的感覚に基づいていますよという指示を与えます。
深いとか心良さ、興味とか刺激をどれぐらい感じているかどうかみたいな、そういう主観的感覚に基づいていますみたいな指示を与えるということをします。
この指示を与えたかどうか、だから半分の参加者はその指示を聞いてから評価をしていて、もう半分は指示を全く、このままの研究みたいに、
とにかく美しさと好み、好感度、好ましさということをそれぞれの感覚に任せるというか、言葉の感じ方によって評価をするというやり方をしているわけです。
どういうふうに結果が変わったかということを、その評価の違いであるとか反応速度の違いを見てみることによって比べています。
評価したものは絵画と顔写真ですね、人の顔写真、どっちもよく使われる、その美しさを感じる、このマッスルを感じる刺激なのかなというふうに思います。
結果ですね、どうなったかというと、やっぱり指示を与えない人たちにおいてはそんなに差がなかった、美しさの評価とこのマッスルの評価。
美しさの評価が高くなることが多いかな、どちらかというと、そこはあんまり重要じゃないのかなと思うんですけど、美しさの評価とこのマッスルの評価は変わらないんですけど、これが指示を与えることによって、
すみません、逆でした、大変失礼しました。指示なし群だったらこのマッスルの評価の方が高くなるんですね。
結果と考察
だけど指示あり群になるとこの評価が逆転して美しさの評価の方が高くなるということのようです。
これ面白いですね、やっぱり指示をあるかどうかということによって逆転する、その点数の違いというのが。
個人的にはもっと面白いのが反応速度の違いで、これは指示がないとあんまり差がないんですよ。
美しさもこのマッスルも同じぐらいの感じ。このマッスルの方が速いかな、より速くその反応速度、答えるスピードが速いんですけど、
これが指示ありの条件になると美しさの評価が遅くなる、もっと遅くなって、このマッスルの評価がもっと速くなるというふうに結果がなっています。
これは基本的には芸術と顔の刺激、どちらに対しても同じような傾向が見られたそうです。
だから何が言いたいかというと、美しさの評価、特に指示が指示ありというと、客観的属性に基づいてますよということを言われると遅くなるんですよね。
平易な言葉で言うと考えるようになるというか、ちょっと考えて答えるようになるのかなというふうに、この結果を見ると現れているのかなと思います。
なぜこういうことになるかというと、ちょっと待ってくださいね、ちゃんと考察を見ながらお話しした方がいいと思うんですけど、
美しさの判断というのには認知的な処理も関わっていると、このマッスルの評価というのは心良さとか快とかというのは本当に直感的、
主観的な感情に基づいて行われるというふうに、今回の定義とか研究の枠組みで言うとそういうふうに分けることができて、
だからこそこのマッスルというのは主観的感覚ですよというふうに言われると評価が早くなると、
分かりますよね、自分の感覚によって判断すると一瞬でできるというか、これ好き嫌いとかってめちゃくちゃ早くできると思うので、
そういうふうに今回の数字上のデータでもなっていたということです。
美しいとなるとやっぱりもう少し難しく考えちゃうというか、
あ、これってなんかこういう理由で美しいさを自分は感じているんだみたいなね、
ちょっとこう、高次な処理になっているのかなというのを思うので、まさにそういった結果を反映しているのかなと思っています。
というわけで、美しさと好ましさは相関で言うとすごく高いんですけど、
実際のその反応速度とか、あとは定義の有無みたいなところで、
結構実験に参加する人の評価の仕方って変わってくるよねということを示したような研究になっているのかなと思っていて、
重要な、研究者は参照すべき、読むべき、
自分のような芸術とか美意識とかに関わる研究者は読むべき論文なのかなというふうに思っています。
自分の研究を振り返ってみても、途中からですね、もともとは俳句の研究をずっとしていて、美しさを聞くことが多かったですね。
途中からこの俳句を好きですかみたいな評価も加えるようになったんですけど、
やっぱりこの論文でもあるように相関がすごく高いと。
一方で、それが曖昧さとの関わりとかと兼ね合わせて考えることによって、出方が割と変わってくるなという印象も持っていたんですよね。
だからどうでしょうね、俳句だとむしろこのマッサというふうに聞いた方が、自分の仮説に即したような研究結果になることが多かったのかなというふうに思っていたりはしますかね。
それがいいのか悪いのかは別として。
なんかちょっとロマン的なところもあって、ある美しいという言葉を使いたいというのはあったりしますかね。
この辺難しいですね。言葉というので、その人の感覚とか感想がどれくらい捉えられているのかというのは永遠の課題かなと思いますし、何度かこういうファーストキャストでもお話ししてますけど、
ビューティーとかって言葉はやっぱり西洋初だし、芸術とかアートっていうのもそうなんですけど、
なのでそういう対照性とか秩序とかそういう価値記事になってくるんですけど、
もちろん芸術とか何か美しいもの、美しいじゃなくてもいいな、心を動かされるものを見たときにする形容詞って別に美しいとかこのままだけじゃないと思うので、
難しいところですが、メインの形容詞としてはこういった研究がすごく重要なのかなというふうには思っています。
はい、なんかやや複雑なお話をしてしまった気がしてますが、そういう研究をしてますよということはたまには、
最近赤ちゃんの研究とか多かったので、こういう研究を特にメインでやってますということを伝わっていたら嬉しいなと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
今日もいい1日にしていきましょう。
仁平でした。心を込めて。