美意識と悩みの共有
おはようございます。研究者がそばにいるくらし、ドイツ在住心理学者のじんぺーです。
この番組では心理学の論文をもとに、日々の悩みや困り事などと関連する、できたら答えるようなお話をしていきたいなと思っています。
今日も人からのお悩みが届いていますので、それについて紹介してから、論文を簡単に紹介して、自分の見解を少し話したいなと思っています。
よろしくお願いします。
今日のお悩みは、先週末のRB2さんの美意識の話をしていて、それの続きというか別だての質問になっているので、そちらを読ませていただきたいなと思います。
同じく美意識に関して、バランスの取れた絵画や工芸品、超絶技巧の芸術作品を美しいと思う一方、崩れた美というか、大背的な崩れたダークな美にも惹かれます。
共に美という観点から見ると、何らかの共通点はあるとは思うので、この辺までは自分でも許容できています。
ただ、醜いものを嫌うという自分の意識に傲慢さも感じています。
それは芸術だけでなく、人々の態度や身体性、見た目が超デブで清潔感もないと評価を下げてしまうなど、だらしなさなどを嫌悪してしまいがち。
今の多様性の時代と逆行しますが、どうしても美しい方の評価を上げてしまう性分は直していくべきなのではないかと悩んでいます。
切実ですし、よく分かるところもありますね。
なかなかピッタリという論文や研究があるわけではないので、ちょっと遠いかもしれませんが、
今日はアートスキーマという話を先に論文でさせてもらってから、やや飛躍するんですけど、自分の解釈とか、この悩みについて思うこととかを話したいなと思っています。
お付き合いいただけると嬉しいです。
2014年の論文なんですが、なんと僕のボスが、今のボスが書いている論文で、
ボスもそうだし、あと同僚もいますね。
この第一著者のワーグラーという方は、同僚で一緒の大学で研究しています。
アートスキーマという効果について研究をしていて、これがなかなか面白いので、まずはお話をしてみたいなと思います。
どちらかというと、今日のお悩みの前半部分の方に関連するところかなと思います。
ダークな、大背的な美みたいな話とかがあったんですけど、アートというものを、スキーマというとやや難しいんですけど、
簡単に言うとアートのレンズを通したりとか、アートの枠組みで対象物を見ると見え方が変わってくるよねということを言いたい論文なんですよね。
アートのレンズとかを通すと、人はネガティブなものとか、不快感を感じるものとかを許容するんじゃないかということ。
一番分かりやすい例は、ホラー映画とかね、人が恐怖を覚えるような内容とかであっても、
それは映画という枠にハマっているから楽しむことができるんだという、そういう話がよく言われるわけなんですけど、
いろんな場面でアートスキーマ、アートの枠組みというのがあります。
今回結構いかついんですけど、これ論文読めるかな、ちょっと読めない気もするんですが、
よかったら概要欄にリンク貼っておきます。
概要欄からリンク飛んでも読めないんですが、このタイトルも貼っておくので、タイトルを検索してもらえると、
よくね、これ論文を探すテクニックでもあるんですけど、出版社がそのまま出しているというよりも、
大学のレポジトリっていって、そっちに研究者が自主的に上げたりとか、もちろんそれは出版社の規定とかに沿った上で上げるんですが、
そういうのがあったりするので、ヒットするかもしれないなと思うので、
そういう探し方も本当に興味があれば知ってもらいたいんですけど、
この論文で本当に実験で使われている写真もあるんですけど、結構グロいです。
グロいし気持ち悪い、正直に言うと。
排泄物みたいなものとか、虫とかね、そういった写真とかを使っていたりします。
実際にあるんですよ、排泄物を使ったアート作品とかってあったりするので、
そこの時点でいろいろあるんですが、
心理実験に落とし込むとどういうことをするかというと、同じ写真をまず使います。
同じ写真を使うんですけど、スキーマ、この枠組みを変えてあげるわけです。
一つがアートスキーマの条件で、
これは現代美術展でこういう写真が使われていましたと評価してくださいというふうにやってもらう実験。
もう片方の条件が、衛生教育で使ったドキュメンタリーの写真ですよと、
教育文脈でこれは使われている写真ですよと言って見せる。
それで同じように評価してもらうという。
写真も一緒だし評価の項目も一緒なんだけども、
枠組み、そのフレームだけ違うというところでその差を見る。
そんな実験になっています。
どう思いますか?これでどんな結果が出るか結構気になるところかなと思うんですが、
結果はですね、まずはネガティブ感情ですね。
この嫌悪感です、簡単に言うと。
嫌悪感というのは、これは現代美術ですよと言われたとしても、
教育の場面で使われている写真ですよと言われたとしても、
嫌悪感の得点に差はなかったというのが、
この一つの興味深い結果かなと思います。
一方でポジティブ感情の方を聞いてみると、
芸術文脈で写真を提示された方がポジティブ感情が高くなったということです。
これを踏まえると混合感情というのが時々出てくるし、
最近も話したのがあれですね、
星さんと対談したばかりですけど、混合感情というのがあって、
これはポジティブとネガティブがどっちも高い状態の時に混合感情が高くなるんですけど、
さっきも言ったようにネガティブ感情に差がなくて、
ポジティブ感情がアート文脈の方が高いということは、
混合感情もアート文脈の方が高くなるというような、
そんな結果になっています。
混合感情の重要性
まとめると、芸術であると、アートであるというふうに言うと、
嫌悪感は変わらない、嫌悪は感じる。
だけども、その嫌悪を維持したままでポジティブな感情の方が高まると、
それによって混合感情、混合感情というのは多くの場合、
芸術鑑賞の評価を高めたりとか、
あとは美しさの評価につながるということもあったりするので、
混合感情はすごく重要なんですけど、
それを高めたというのが芸術の文脈の話になっています。
スキーマとかの枠組みの話をすると、同じものなんですよ。
同じものなんだけども、芸術として見るか否かということが、
人の評価に大きく影響を与える。
このポジティブ感情が変わるというのは大きな変化だと思うんですけど、
影響を与えるという。
これはまず、この研究では一番言いたいところなのかなと思うので、
覚えておいてもらえればすごく嬉しいなと思います。
で、ですよ。難しいですよね。
なかなか大輩的なところが、なぜ楽しまれるかみたいなところの理由というか、
一個の暫定解みたいなのはこれで言えるのかなと思うんですけど、
現実場面で、見にくいものとか美しくないものというものへの評価が下がると、
ここから結構個人的な要素が入ってくるので、あまり論文の話は気にしなくてもいいんですけど、
しょうがないんですよね。それはそうだろうって思うので、
あまり気にしなくてもいいんじゃないのかなと思うし、
多様性とか言われるとビクッとなっちゃうけども、しょうがないし、僕もそうですね、完全に。
美しいものが評価を高めてしまうのは、ある程度しょうがないところなのかなと思います。
おそらくRB2さんの美意識が非常に高い方だと思うので、
バランスの取れたものとか、調が取れたものとか、整然としているものとか、
いろんな美しさの観点があるとして、そういったものを見慣れているとか、感度が高いという人で、
おそらくここが気づいてしまうと思うんですよね。
いろんな見にくさのポイントとか、だらしなさのポイントみたいなのに。
そういうのに気づくということは、美意識が高い裏返しなのかなというふうに個人的には思いますし、
傲慢さという話もありましたが、嫌悪を感じるというのが、傲慢だとはあまり思わないですかね。
嫌悪というのは道徳判断であったりとか、社会評価の前にある感情かなと思いますね。
例えば腐ったものを食べないようにするとか、排泄物が近づいたら菌が移るとか、何かに感染してしまうとか、
虫もこの虫に近づいたら危ないとか、そういった身を守るための感情なのかなと思うので、
見にくい人から離れろということでもないんですけど、離れろと言うとちょっと寂しいんですが、
気にしないというのがいいような気がしますね、個人的には。
多様性とかって言われるけども、個人的に多様性みたいなことを考えたときに、
それぞれが活躍できるとか、社会のことは別にして、結構言葉を選ばないといけないんですけど、
それぞれがちょっとこう、何て言ったらいいんだろうな、
お茶屋さんが言ってた、みんな違ってみんなどうでもいいという言葉がすごく好きなんですけど、
みんないいって言うね、いいって言おうとするんじゃなくて、どうでもいいなと思ったらいいのかっていう。
気にしない?システムとか政策を決める人とかは気にした方がいいと思うんですよ。
美と醜さの考察
でも日常生活を生きる我々にとっては、そこをみんな違ってみんないいよねというふうに頑張って思うとするとやっぱりしんどくなると思うので、
みんな違うけどそれぞれに干渉しない、これがいいな、過度に干渉しないような感じがいいのかなと思っていたりします。
完全に個人的な見解ですね。
見にくいものを見た、目をそらすというよりもそもそも反応しないというか、いるなみたいな感じで思ってもらって、
そこに深くなんでとかならないのがいいのかなと結構難しいかもしれませんが、思いますかね。
ちょっとだいぶ脱線をしたんですが、せっかく論文を紹介したので、論文との関わりみたいなことも最後に戻りながら終わりたいなと思うんですけど、
大背的な美とか、廃墟の美とかそういったネナティブなものへの美しさ、やっぱりそれはアートの文脈があったりとか、
アートじゃなくてもこれは自分の日常とは違うものであると、非日常の文脈、廃墟に行ったときの非日常性とかがあって美しく感じられると、
ポジティブな方も高まるというのが今回の結果だったと思います。
一方で、普段出会う人とか、もっと言うと仕事をする人とか、そういう人の見た目もそうですし、その人の持っているものとかは分からないけど、
そういったものってどうしても日常ですよね。アートスキーマーとはすごく離れているものだし、非日常でもないというところが、
やっぱりポジティブ感情を感じさせない要素なのかなと思うので、
これはアートなんだと思うのは無理があるので、その差に気づくということと、
そこにネガティブを感じるということは、さっきも言ったように、ご自身の美意識の高さを反映しているなと個人的には思いますし、
今回の論文で言うと、ギャップがありますよね。日常とアートと。そのギャップの大きさゆえに、
見にくさとかの感じも大きくなるのかなと思ったりするので、
何どういうことはないですが、新しい観点で言えばそういうところかなと思っています。
どうですかね。難しいね。多様性の話とか、自分の話しちゃったな。
ぽちぽち言ってみましょう。
せっかく美意識の話だったのに、あまりうまくしゃべれなかった気がしますけど、
僕はポスの論文を紹介できたからよかったか。
こんな研究もしてたりするし、ずっとテーマですよね。ネガティブなものがなぜアートの文脈とか、
美しいと感じられるかというね。逆に言うと、そういうところに、
こういう研究の可能性があるなと思うし、ネガティブをひっくり返す力、
今回の論文で言うとひっくり返すまでのことではなかったんですけど、
何かあるのかなと思うので、自分はずっと美や世界を救うみたいな話をしていますけど、
ネガティブを包含する、ネガティブを包含というか、エンブレイスするというのが一番いい表現なんですけど、
抱きしめるというか包容する、包含するみたいなところで、
世界を救うヒントがありそうだなというのをいつも思っています。
アートと日常のギャップ
引き続き議論をしていきたいなと思いますので、
アルビーツさんお付き合いいただけると嬉しいです。皆さんも聞いてもらってありがとうございました。
今日もいい一日にしていきましょう。
陣平でした。心込めて。
よし、ありがとうございました。
あとフサミンさんからもお悩み届いてたので、皆さんぜひ概要欄に貼ってますので、
こんな感じで寄せていただけると嬉しいです。
お名前書いてたので読んじゃってますけど、
お名前書かなくても大丈夫ですし、
まったくのラジオネームとかでも大丈夫です。
お願いします。雑談します。
まだ会えてないんですけど、
実は今日、今12日の夜の7時くらいに撮ってるんですけど、
この後、実は日本からの友達というか、僕も会ったことないんですけど、
どこかで私のことを見つけてくれて、論文読んだのか、SNS見てくれたのかわからないんですけど、
方がハンブルクに遊びに来られているので、
お家に来るという、そういうエキサイティングなイベントがこれからあります。
なんとね、大学入る前の高校の授業とかが落ち着いたのかな、一旦。
受験も決まって、大学入る前で4月から大学生かな。
詳しいところはあんまりわかってないんですが、これから来られるというので、
アートとか経験美学とか神経美学と言われるね、
自分のやっている研究領域に関心があるということで、
自分に合うために来ているわけじゃないですよ。
いろんなヨーロッパで美しいものを見て、アートに触れ、いろんな人と話してという旅をしているみたいなんですけど、
その一つとしてハンブルクにも立ち寄ってもらえるというところで、とても楽しみにしています。
なんか、彼女から聞いた話とかもシェアしたいですね。
理想は一緒に喋ったりしたら面白いですけどね、それはハードルが高いのでないと思いますけど。
高校生とか大学入る前とかで神経美学の話が、まず知っているというのが嬉しいですよね。
そういう人たちにもこういう研究分野が伝わっているというのも嬉しいですし、
興味を持って、研究者になるかどうかわからないけれども、研究は大学で少なからずすると思うので、
そういうところで、こういった分野で活躍してもらえるととても嬉しいなと思っていますので、
いろんなお話を聞かせてもらいたいなと思っています。