モナリザ効果の紹介
おはようございます。心理学者のじんぺーです。心理学に触れる一日一語のお時間です。
この番組では心理学に関するキーワードを一つ取り上げて、それに関連する論文を合わせて紹介しています。
今日の一語は、モナリザ効果です。
今、視覚芸術、芸術の視覚的認知とかに関する学会に来ていて、
モナリザ効果という研究を紹介されている方がいて、面白いなと思ったので、先行研究を読んで、それを紹介したいなと思っています。
本題に入る前にお知らせをさせていただきます。8月の31日、京都愛媛会議2025が
オフラインイベントで行われます。自分も京都に行きますし、
いっぱい話しますので、ぜひ聞きに来てもらえると嬉しいです。オンラインでも参加できます。
28日は東京の方でアカデミストのイベントで研究のピッチに登壇しますので、そちらも
ぜひ合わせて概要欄に貼っておきますので、チェックをしていただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。
モナリザ効果、今日の一語に行きたいと思います。 モナリザ効果というのは
絵画や写真の人物が 正面を向いていると観察者の位置に関わらず自分を見ていると感じる
作詞現象のことを言います。 ダヴィンチの
モナリザという有名な絵画にちなんでか、こういう効果、心理現象が
つけられている、知られています。 今回の研究は実際にモナリザを使って
モナリザ効果が 検証できるかということを確かめようとした論文になっています。
どういうやり方をとっているかというと、 実験室のモニターにモナリザを表示するんですけど、それを
ちょっと離れたところからいろんな参加者、 実験参加者さんに見てもらうんですけど、そのモニターと離れて
座っている自分との間に 2メートルくらいの長い定規を置くんですよ。
この計算とかは自分もあまりにもわかったらいいんですけど、 理解してもらわなくていいんですけど、2個定規を置くんです。
モナリザがその定規のどこの上を通ったかということを聞くんです。
2個通るとその線が引けるわけですよね。 その線が見ている参加者のどこを通るかという、
どこを通るかあまり関係ないのかな。 角度が一番重要なのは。角度が測れるわけじゃないですか。
自分が真正面を引っ張るような線と、 その定規の2箇所を通ったところを繋いだ線が
作る角度というのがとても重要であるということです。 なんとなくわかりますかね?
これだけはちょっとね、今日面白いところなので、 ぜひなんとなくイメージをつけていただけるとすごく嬉しいんですけど、
ちなみに論文もいつものように貼っておくので、 ぜひ論文の写真を見るともう少しイメージを明けやすいかなと思います。
で、それが何度かという話ですよ。 これが結果、
24名の参加者さんの平均、あとはモナリザのパターンもいろいろと作ったみたいなんですよね。
ズームしたりとか、あとはこの目の位置に焦点を合わせたというか、 目の位置だけを切り取ったような画像とか、いろんなパターンを用意したみたいなんですけど、
そうしてモナリザはこちらを見ていないという結果になったみたいです。 なんで見ていないかというと、先ほど言った角度、
自分のまっすぐ引いた線と定規2箇所で、ここを視線が通っているという明示した点を結んだ線との交点ですよ。 そこの角度が15.4度だったかな。
15.4度平均すると。 これは視線コーンというのが線光研究で知られているみたいで、
自分の、先ほど言った角度が
5度、プラスマイナス5度の範囲だと見つめられているって感じるらしいんですけど、 15.4度というのはそれを大きく外れている。
なのでモナリザは実際には自分の方を見ていないという
研究の結果
結論にこの論文ではなったそうです。 いけてますでしょうか? ちょっとややこしいかもしれないですが、モナリザ効果という効果は
こっちを見ていると感じられるような、作詞現象の一種なんですけど、
実際のモナリザでそれを試してみると、モナリザはこっちを見ていなかったというね。 視覚的にはですよ。
見ていなかったというのが今回の結論になっています。 ただモナリザ効果が、これややこしいんですけど、
モナリザは当然としてモナリザ効果を持っているって思うじゃないですか。 そういう名前がついているから。
だけど今回はモナリザにはモナリザ効果を見られなかった。 ですけど、モナリザ効果という作詞現象自体を否定することではないんですよ。
モナリザ効果は確かにある。 写真とかでどこから見てもこっちを見ているように感じられる現象は実際には存在している。
これはあるみたいですね。 例えば集合写真とかで、みんながまっすぐカメラの方を向いて撮るような写真とかだったら、
ある程度どこから、どの角度から見てもこっちを見ているなと思われる。 あれのことなんですけど。
だから、作詞現象自体は間違いなくこの世に存在する心理現象なんですけど、
モナリザにはその現象が見られなかったということです。 とてもややこしいんですけど、なんでその名前をつけたんだって。
モナリザは当然としてそういう象徴するような存在として、当然だろうと、こっちを見ているだろうとモナリザはなっていたみたいなんですけど、
今回みたいに本気で測ろうとすると違ったよっていう。 面白いですよね。
そこを疑ってみるという研究者の目もすごいなと思うじゃないですか。 そんな名前ついていたらモナリザはこっちを見ているだろうという。 やろうとも思わない。
ですけど、研究者はそこを疑うというところなのかなと思っていて、とても興味深いなと思っています。
ただ、測り方にもよるのかもしれないし、他の研究ではモナリザもこっちを見ているというふうに言っている。
ちょっとそっちまで詳しく読めてないんですけど、いるみたいなので、今でもこの論文がおそらく2019年の論文なんですけど、
わりと新しめで、一番硬い方法で測っているのかなと思うので、
この結果自体は面白いと思って受け止めていただいていいのかなというふうに思っています。
学会で論文とかいろんな人の研究を見て面白いなと思うのはたくさん出会えるので、また紹介できればと思います。
昨日はファッションの美学の研究をしている方とか面白いなと思ったし、
あとは美術館で、視覚の学会なので美術館でアイドラッキング、
メガネにつけられるタイプの視線測定装置みたいなのがあるんですけど、それを使った研究とか、あとはそれを子供に試したパターンとかね、
なかなかこういう結果が出るんだという面白いのもありましたので、
ちょっとずつ紹介していければと思っています。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。今日もいい一日にしていきましょう。
じんぺいでした。心を込めて雑談をしたいと思います。
昨日、
学会でのポスター発表
これを聞いている方にとっては一昨日か、学会にね、変わらず参加していたんですけど、
まあちょっと、
些細なことにも思えるんですけど、なんか面白いなと思ったので、
ちょっとお話しするんですけど、ポスター発表というのがあるんですよ、学会では。
そんなに大きい学会じゃないんで、1回のセッションで多分30人くらいかな、
20人から30人くらいの方がポスターをね、ざーっと並べて、そこに研究者が立って、
ポスターを元にこういう研究をしましたという紹介をして、
割とカジュアルにディスカッションできるという時間があるんですけど、大体どの学会でもあるかなと思います。
その時に、話したい先生がいて、そこのポスターで、
まあでも前に人がいたのでちょっと待ってたんですよね。その時に、
後、こらえを伺って、声かきにこってした時に、横からすっと別の人が来て、
はじめましてっていうその先生に挨拶をしたんですよね。
なんか、これやっぱ日本人むずいなって思うんですよね、その時ね。
たぶんね、本人は割り込んだっていう認識はないと思うんですよ。
僕がその次を待っていたっていう、そういう概念がそもそもないから、彼らには。
そこが文化差なんですけど、完全に。
自分なんか前に人がいるんだったら、そこをちょっとこう待っとくっていうことだったんですけど、
それがね、結構よくある位置風景だなと思うんですけど、改めてね。
その突撃力みたいなのは、日本だったらね、僕結構突撃力ある方だと思ってたんですけど、
こっちに来るとね、まだまだだなと。
そういう姿勢だと、なかなかね、話したい人とも話せなかったりとか、
本来だったらこう、繋がるととても良い相乗効果が生まれるようなネットワークができないみたいなね、
作れないみたいなことになるとすごくもったいないなと思うので、
結構頑張りたいと思ってはいるんですけど。
内向性と外向性の考察
あとあれか、昨日は、懇親会というかね、美術館でやってるんですよ。
美術館でやってるので、ナイトミュージアム的なイベントもあったんですけど、
それは息子も小さかったりとか、来客がいたりとかして、
まあちょっとそれを理にするのも良くないかなと思うんですけど、
まあちょっといいかなってなったんですけど、
これも多分、こっちの人はいいかなってならないのかなって思ったりね。
僕はその懇親会とかに対する大事なことだと思ってるんですけど、
まあめちゃくちゃ好きかと言われたらそうでもないので。
そういう自分をね、変えり見ると結構内向的だなって思いますね。
外向的だなって思う部分もあるんですけど、
内向的だなって思いますね、そういう様子に関しては。
これって前も言ったかな、
夏ミックスさんの本を紹介した時に結構自分内向的な方に当てはまるなっていう感覚があるので、
内向型の人の戦略をね、また読まないとなと思いますね。
ジルチャンさんのね、思います。
環境によるのかな、
多分日本の学会とかだったら割と慣れ親しんだフィールドっていうのもあったりとか、
言語のこともありますしね、
英語は思い通りに操作できている感覚があまりないので、
そういう気持ちもあるんだろうなと思います。
いろんな要素がね、
だからこの場所にいる時は結構外向的なんだけども、
ここにいる時は内向的だねっていうのは割と自分の中であるなっていうことは強く感じています。
ただ本当にさっきも言ったように、待ってるだけだとなかなか機会が開かれていかない場所にいるので、
明らかに挑戦者というか、ドイツという場所で日本人の若いやつが一人で生きているみたいな状況って、
待ってたらもう無の状態で終わってもおかしくないんですよね。
だからそこはどんどんと生きたいなというふうに思っているところではあります。
これ聞いてる時は終わってるんですけど、
今撮ってるのは最終日の朝なので、
この後また頑張っていろんな人と仲良くなっていきたいなと思っています。