1. プロジェクトの秘訣を探る Project Design Room
  2. #21-2 アートと研究と事業の混..
2025-06-10 16:54

#21-2 アートと研究と事業の混ぜ方を学ぶ | 藤井 直敬(脳科学者・起業家)

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起業家、科学者、クリエイター、新時代を導くプロフェッショナルの原動力に迫るインタビューシリーズ。

第21回目のゲストは、脳科学者・起業家の藤井 直敬さんです。

番組では「プロジェクトデザイン」の視点から対話し、プロジェクト成功の秘訣を探ります。


<ハイライト>

・越境プロジェクトをうまく生かせるためのヒント

・研究者と組む時はどんなことを意識するといい?

・アーティストやデザイナーと組む時は?

・ビジネスパーソンと組む時は?


■藤井 直敬

デジタルハリウッド大学大学院 教授

株式会社ハコスコ 代表取締役社長

東京大学先端研稲見研究室 客員研究員


東北大学医学部卒、眼科医、東北大学医学部大学院にて博士課程終了、医学博士。98年よりMIT Ann Graybiel labでポスドク。2004年に帰国し、理化学研究所脳科学総合研究センターで副チームリーダーを経て、2008年より適応知性研究チームのチームリーダー。社会的脳機能の研究を行う。2014年に株式会社ハコスコを創業。


【著書】

「予想脳」(岩波出版)

「つながる脳」(NTT出版 毎日出版文化賞受賞)

「ソーシャルブレインズ入門」(講談社)

「拡張する脳」(新潮社)

サマリー

藤井直敬さんは、現実科学をテーマにアートと研究の融合の重要性を語ります。彼は、ミラージュをはじめとする体験型コンテンツを通じて現実と仮想の境界を探求し、アートによる表現の新しい可能性を示唆しています。藤井さんはまた、アートと研究、ビジネスの融合について考察し、シンギュラリティの可能性を探ります。特に、彼の作品「ネイバー」を通じて、テクノロジーが人間関係に与える影響について話し、その体験の設計に関心を寄せています。

現実科学とアートの融合
プロジェクトデザインルーム引き続き、藤井直敬さんと対話を深めていきます。よろしくお願いいたします。
かなりダイジェストでいろんなお話を伺ったんですが、その中でも出てきた一つ大きいテーマが現実科学ということで、
すごい魅力的なカテゴリーだなと思って、何度か訪問目を通させていただいているんですけれども、
実際すごく科学的なアプローチももちろんされていると思うんですが、
僕が見ててもすごくワクワクするなとか、わかりやすい想像ができるなと思うのが、
その中でも作品作りにトライされていたりするとか、
自らの作品に影響されながら次のことが繋がっているみたいなのもあるのかなというふうに思っていまして、
先ほどこの辺をリスナーの方とも、どんな実験とか作品みたいなことをしているよみたいなのを共有しながら話を掘り下げていきたいなと思っています。
先ほどサルを使った実験とか、ゴーグルをつけた実験とかいろいろ出てきたと思うんですけれども、
一番代表的な作品みたいなことになってきたのって、ミラージュとかあの辺からですかね。
そうですね、あの辺で初めていわゆるアート作品と呼ばれるメディアートというのを作った形です。
ありがとうございます。ちょっとなんか僕が説明するよりクリアかなと思うので、このミラージュってすごく面白かったんですけど、簡単にご説明お願いしてもいいですか。
ミラージュっていうのは先ほどちょっとお話をした、大体現実SRっていう技術を使った体験型のコンテンツで、
僕らが技術を作った時に一番びっくりしたのは、目の前にいる人と過去に同じ場所で撮った人の区別がつかなくなるっていうことだったんですね。
そうすると例えば目の前にダンサーが何かのパフォーマンスをしているとして、やってるなとはわかるんだけど、
過去のダンサーを例えば投下度50%にして混ぜちゃったら、同じダンサーが同じようなパフォーマンスしてるんだけど、微妙にずれるわけですよね、体の位置とか。
で、そうしたら一旦もう混ざって交差したら、どっちがどっちだかもうわかんなくなっちゃう。
だから現実っていうものを参照する何一つ情報がないっていうことに気がついて、わーって背中が本当に凍りついた。
やってみたら本当にそうだったっていう時、やばそうですね。
びっくりしましたね。で、ああ、こういう地獄の窯が開いたみたいな、こんな簡単に穴が開いちゃうんだと思って。
で、その頃ちょっと付き合いがあったグラインダーマンっていうパフォーマンスグループの田口さんとかと話をしてたら、これで体験型のコンテンツを作ろうっていう話になって、
それで未来館でお借りてやったのがミラージュですね。
なるほど、すごい綺麗な繋がりですね。
本当に僕はそれ直接は体験してないんですけど、今いろんなデバイスも普及が進んできて、結構想像がつくなというような感じで、
当時のゾワッみたいな感覚は今すごく想像がつくんですけれども、その後も積み重ねられてるじゃないですか。
ちょっとそこも少し言っていきたくて、2つ目が続編としてザ・ミラーみたいなものになったんですけど、そこはどういう積み重ねがあったんですか。
ザ・ミラーの場合は、もうちょっと情報のレイヤーを増やすってことをやりたいと思ってて、
それまではヘッドマウントディスプレイをかぶって、現在と過去しかないんですけど、目の前にモノリスみたいな大きい画面を立ててやって、そこにまた自分が映るんですよね。
カメラで映った自分が映ってるんだけど、それに遅延かけたりすると過去の自分が出てくる。
過去の自分と今の自分がまた混ざってて、さらに周りの環境では今と過去が混ざってるみたいな。
だからどこ見てもどれだかわかんなくなっちゃう。
そういうレイヤーをいくつも準備したときに、どう感じるのかなっていうのをやってみたいなと思って。
面白いですね。実際体感された人の感想って、ハッピーとか怖いとかワクワクとかどういう反応でした?
ミラージュの場合は怖いっていうのがありましたね。どこにいるのかわかんなくなっちゃった。
なるほど、なるほど。
ザ・ミラーの場合は同じようにわかんなくなるんだけど、怖いっていうよりはどこにも着地できないから、ふわふわした浮遊感があるっていう。
ああ、なるほど。面白いですよね。
そうやって普段研究者じゃないような方々を巻き込んだ形で、言ってみれば何が起こるんだろう、どんな気持ちになるんだろうと思って放り投げたら、
結構いろんな全然別の反応が来たりとかするのがすごく面白いなと思っていて、いくつかお聞きしたいんですけど、
もともと研究されている中で、どっちかというとサイエンスの時間がすごく長かった中で、
パフォーマンスの方との出会いとかあったんだと思うんですけど、
やっぱりアートとして、メディアートとしてアウトプットしてみようみたいなことになったじゃないですか。
そこにはきっとアートのアプローチがいいんだって思った予感とか、そういうものがあったんですか。
やっぱりSRっていう技術そのものをどっかに使うとしたら、万人向けじゃなかったんですよね。
当然ハードウェアもないし、配信のプラットフォームもないし、みんな技術そのもの知らないから。
そうすると少人数で尖ったコンテンツを作って体験してもらえるって、メディアートしかなかった。
なるほど。通常やっぱり世間一般の一番よく使われるアートっていう言葉の意味するところって、
自己表現がしたいとか、うちにある何か沸き上がってきたものをアウトプットするみたいな雰囲気が多いと思うんですけど、
研究を進める上でアートしかなかったんだみたいなことが結構今印象的で、
別にアートって絵が描くのが得意な人とか、そういう表現手法が上手い人だけのものじゃないんだなみたいなのが結構面白いです、今話聞いてて。
SRで生まれた体験ってそれまで多分誰も体験したことがなかった種類の体験なんで、
それをアートで表現するってこともやられてなかったんですよね。
だから、グラインダーマンさん、田口さんたちからするとやっぱり面白かったんだと思うんですね。
パフォーマンスの中に現実と仮想のレイヤーが混ざって行ったり来たりするっていう体験を作れるっていうのは面白いと思ってくれたんだと思います。
いや、そこをある意味、僕は理研さんの中とかでの雰囲気とかあんまりわかんないんですけど、
アートだからっていうことと研究だからっていうのを分けると結構挑戦できることのダイナミックさとかも変わってきたりしますか?
そうですね。僕はたまたま自分では作品を作りましたけど、
やっぱり例えばヒューマンコンピューターインターフェースとか、
そういうインターフェースの研究をしてる人たちは出口がやっぱり少ないので、
メディアと寄りに行くことが多いですね。
でもそこで普段だと、研究の文脈でいけば学会とか、相手も研究者みたいな形で繰り広げられていくんだと思うんですけど、
その辺の歩いてる人とかも関係者になっていけるみたいなところがすごくいいですよね。
そうですね。特に体験型のはね、僕はそれがある意味、体験してくれた人に一生残ってほしいと思うんですよね。
心に傷をつけるみたいなのが僕はアートとしてやってて一番面白いなと思う。
その体験をした人生としなかった人生がちょっと変わってくるような感じですよね。
やっぱ富士山アーティストだなって思います。そういう話を聞いてるとすごく思うし。
シンギュラリティの未来
あと、ちょっと一個シンギュラリティみたいなテーマでお話したくて、
僕たち最近、これまでもいろんな未来の体験を逆算的に10年後ぐらいにあるかもなみたいなのを今やっちゃうみたいなスタイルでやってたんですけど、
それって何でだろうとか、別に言語化しなくてもよかったんですけど、
一つやっぱりシンギュラリティっていう、当時で言うとカーツアイルが2045年に来るだろうと予想してた
AIが人の能力を超えちゃう瞬間みたいなのがあって、僕ら結構そこにワクワクしてるんですよ、メンバーとしては。
なんですけど、たとえば子供の学校の親友達とか、別に仕事の関係ない人とそういう話をすると結構怖いみたいな。
なんかどっちかっていうと不安みたいな反応のほうが多い感触があって、
富士山の周りどうです?シンギュラリティに対するみたいな感触とか。
みんな前のめりだから、周りの人たちは。
そうですよね。僕らはやっぱり前のめって楽しんでるんですけど、結構それが何でだろうと思ったときに、
なんかネットフリックスとかで出てるようなSFも結構。
ブラックミラーみたいなやつね。
もうブラックミラーが超ブラックじゃないですか。
見てて怖いもんね、僕らが見てて。
しかもめっちゃありえそうみたいな描き方があると。
アートとシンギュラリティの関係
ほんと犬型のロボットが地の果てまで人を殺しに来るみたいな。
技術的にはあり得るなみたいな感覚で、もしかしたら戦場だとそうなっちゃってるのかもしれないとか思うとリアルなんですけど、
僕らドラえもんが生まれた国としてはグッドシンギュラリティをイメージしてほしいなっていうか、
そこにワクワクしながらいいものを作れば良くなる確率も上がるだろうと思ってるんで、
結構そういうグッドシンギュラリティみたいなことを最近言ってるんですね。
ってなったときに、やっぱりこのミラージュとかミラーとか、
この未来そうなっちゃうかもしれないみたいなものが、もう起きちゃってるみたいな。
で、しかもそれが研究として何か断定してたりとか、ビジネストレンドとして何か規定したり予言してるじゃなくて、
やっぱりなんかアートみたいな体験できるもので、一般の方々巻き込んでやられてるっていうのが相当意味があるなと思ってるんですよね。
なんですけど、そういう話できる人少なくて。
そうなの?いっぱいそうじゃないですか、ここ。
でもそこを本当に研究の分野まで横断してやってる人ってやっぱ少ない感じがしてて、
お茶屋吉さんとお話しするとかそういうときはやっぱすごくありますけど、
やっぱり自分の近くにいる人って結構作ってる側というか表現してる側の人がやっぱり多いので、
自分もそうですけど、それをガチで研究としても捉えられるように作っていくのとかって本当はもっと鍛えたいんですよね。
そうなんですよ。
なんで結構ミラージュとかミラーはやっぱりなんだろうな、すごく体験の設計が疎というか、
検証したいことがめっちゃ絞られてる気がしたんですけど、その辺は意識されてるんですか?
そうですね、結果的にやってみないとどういう体験が生まれるか分かんなかったりするんで、
やってみたらああっていうのがあるんだけど、その後に作ったネイバーって作品は結構狙った通りになったんですね。
それは何かっていうと、その前の作品は一人で体験するやつだったんですね。
一人でそういうテクノロジーと向き合って僕らが操作した現実空間を体験するっていうやつだったんだけど、
ネイバーっていうのはそれだとちょっと人と人の壁を作っちゃって、
シンギラリティ怖いみたいな話になっちゃうと嫌だなと思って、
だったらテクノロジーを使って人が仲良くなるっていうのを作れないかなと思ってネイバーっていうのを作って、
向かい合った体験者同士がお互いを見て手を繋いで、手を繋いでるんだけど途中からいない人に変わったり、
周りにはパフォーマーがいるんだけど、パフォーマーが一緒に踊ってるんだけれども、それも過去なのか今なのか区別がつかないみたいな。
そこも何レイヤーかあるんですけど、最終的に終わった2人がハグし合って仲良くなってくれたらいいなと思ったら、
ハグが起きたんですよ。最高だった、あの瞬間。
ときますね。
やったーって思った。
いい話だな。でもそういうのを続けてると、今って例えば個人というか死んじゃった人とかも割といろいろ再現される場面多いじゃないですか、技術を使って。
今ちょっとテーブルに4人ぐらい座って会話してますけれども、ここに超リアルなホログラムでもう亡くなっちゃった人が5人目で入ってきたりみたいなことになった時にも別にいいんじゃないみたいなこととか、
そういう抵抗感がなくなってくる可能性もあるなとかっていうのが、やっぱりネイバーみたいな作品を見てるとすごく体感できそうな感じがしますよね。
ネイバーの体験設計
関係者とか人の時系列とかがある意味どうでもよくなっていく世界線ちょっと面白いですね。
なんかもっといろんな人とつながれそうな。
本当の人じゃなくてもいいしね、もはやAIがね。
いやですよね。何ならちょっと線引き難しいですけど、シンギュラリティーもう来たんじゃねえか説とかもどうですか。
僕の中では今チャットGPTで日々会話してますけど、僕のこと覚えてくれてるから、この子でいいよって感じなんです。
結構いいですよね。
いいですよね。何が悪いのって思う。
いわゆるチューリングテストって専門的には言われている、この人が喋ってんのか機械が喋ってんのかよくわからない状態で、
人が判別できなくなったらもう来てるよねみたいな話あると思うんですけど、結構もう突破できてますよね。
もう通ってる。通ってるって言われてるからね。
むしろわざと機械っぽく喋ってくれてんじゃないかみたいな時とかありますもんね。
そうね。彼ら喋るとき僕ら用に知能、知性落としてるからね。
ですよね。だからもう実は来てる気もするし、知らない間にそれは馴染んでいくものなのかもしれないみたいな。
今日がその日ですみたいなことじゃなくて。
振り返ったらあの時みたいな。
ありそうですよね。僕もそういう意味ではすごくいろんな人工知能に助けられてますし、ここに全然参加してくれてもいいなという。
ちょっとそういう実験次やりたいですね。
ということでこのパートでは研究とアートみたいなところの越境ですね。テーマにお話を伺いました。
ということで次のパートもよろしくお願いします。
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