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TACR(トランス・アキコ・キャリア・レビュー)ハイライト:第3日目
2026-08-13 31:15

TACR(トランス・アキコ・キャリア・レビュー)ハイライト:第3日目

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2026/8/12

協力隊でシリアについたばかりの感想をおたよりで出した「シリアの風」

 

https://drive.google.com/file/d/0B_W6hJw3d4aJNEdOME1GMGpkRUU/view?usp=sharing&resourcekey=0--H5fnq3Cjjk_Hz50qqEq5A

 

#声日記

 

感想

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サマリー

本エピソードでは、語り手が自身の青年海外協力隊での経験を振り返ります。まず、TACR(トランス・アキコ・キャリア・レビュー)のハイライトとして、TJAR(トランス・ジャパン・アルプス・レース)に触れつつ、自身の協力隊訓練所が駒ヶ根にあったことから中央アルプスや南アルプスとの個人的な繋がりを語ります。その後、シリアでの日本語教師としての派遣初期の驚きと文化的な発見を詳細に描写し、「シリアの風」というニュースレターでその感想を伝えていたことを明かします。 シリアでの仕事は、国立科学技術研究所の研究者やエンジニアに日本語を教えるものでしたが、想像していた「困っている人を助ける」というイメージと現実のギャップに直面します。職場の人間関係の難しさや、協力隊によくある「求められていない」と感じる苦悩も語られます。しかし、日本語教師という立場は学生からの慕われがあり、他の職種に比べて恵まれていたと振り返ります。 個人的な側面では、日本に残してきた恋人との遠距離恋愛や、キャリアを優先した選択についても率直に語られます。シリアでの2年間を終えた後も、すぐにモロッコでの日本語教師のポストに応募し、海外での教育活動を継続したことから、最終的には協力隊生活が充実していたと評価しています。また、協力隊制度が日本の若者にとって海外で働く第一歩となることの意義や、豊富なプライベート時間を享受できたことについても言及し、今後のキャリアの転換についても示唆してエピソードを締めくくります。

TACRとTJAR、そして協力隊訓練所
はい、こんにちは。 8月12日19時10分。
始まりました。 TACR(トランス・アキコ・キャリア・レビュー::
第3日のハイライトです。 本日は、
本日というか昨日から、 本県のTJARの
ハイライトについては、 私は昨日はちょっと外食に行ったりしまして、その後ちょっと疲れていたので、半分寝ながら音だけ
はい、聞きました。 音だけ聞いて癒されましたけど、
内容をよく覚えていません。 なので本県TJAR
デイ4ですか? もう今日でデイ4。 今日の部分はまだ聞けてないし、昨日の部分も
寝ながら聞いたので、ちょっと山のどの辺まで行ったのかとか、ちょっとよくわかってないです。 中央アルプスにいるはず。
もしくはもう南アルプスまで行ったんだろうか。 中央アルプスというものについて私はあまりよくわかりません。
北アルプスも南アルプスも あまりよくわかんないっていう意味では同じなんですけど、でもおかげさまで大北アルプス、
大南アルプスなどのおかげで、 あと私も協力隊の訓練所っていうのが駒金にあるんですよ。
ちょうどいい話ですね。 TACRとTJARの接点が見つかりました。
シリアでの協力隊生活と初期の驚き
昨日話したところで、私は
協力隊に参加して、シリアに2年間日本語教師として派遣されましたっていう話をしましたけれども、
協力隊その頃は、当時は3ヶ月の語学および様々な訓練、合宿訓練というのがありましたね。
シリアに派遣される前に 他のたくさんの国に派遣される人たちと一緒に集まって、
多分100人以上集まってましたよ。 そこで合宿で語学と他の様々な訓練をします。
当時は3ヶ月だったけど、今は1ヶ月ぐらいになっているというふうに聞いています。
ちょっと正確にわからないですけど、調べたらすぐ出てくると思います。
駒金訓練所は今でもありますね。 福島県の日本町と長野県の駒金に訓練所があります。
それでその駒金訓練所に宿泊したので、山の綺麗な景色、
駒金の山はそこの麓にある訓練所に3ヶ月生活をしましたので、
南アルプスにちょっと親しみを持っています。 しかし、中央アルプスというのは何県なのかもわからないし、
どんな山がいくつぐらいあるのかもわからないし、 行きやすいのか行きにくいのかもわからない。
中央アルプスはまだ私にとって未知の世界です。
さあ、訓練所の話だけじゃなくて、協力隊の話を、
トランスアキコキャリアレビューですので、あまり情報提供的になるのではなく、
私が感じたことなどを中心に話していこうと思いますが、
シリアに派遣されて初めの頃は驚くことばかりでしたよ。
イスラム教の国ということで、もっとすごく厳格なイメージを持ってきたんですけど、
思いのほか、すごい、初日にものすごいポテルのパーティーみたいなものに出くわして、
すごい露出の高いドレスみたいな服を着た人たちがたくさんみたいなのを見て、
あと化粧の濃いすごく綺麗なというか、本当に女優みたいな人たちをいっぱい見たりして、
びっくりしたのを覚えていますね。
その頃の感想が、シリアの風、カシオンさんの風というニュースレターを、
私は7回ぐらいニュースレターというか、お手紙ですね。
印刷して、パソコンで打って印刷して、封筒に入れてみんなに送ったっていうね、
当時、Eメールもあんまり使ってなかったのかな?
お手紙で送ったんですよ、お友達に。
そんな手紙の残っているものがちょっとあったりして、
それのリンクを貼りましょうかね。
初めの頃の印刷っていうところの記事がどっか、
Googleドライブかどっかに撮ってあったはずなんで、その記事を貼りたいと思います。
というように、驚くことばかりで、そういう文化的な生活の面では驚きながらもすごい楽しいっていう驚きでした。
本当に、毎日びっくりしながら、でもご飯とか本当に美味しいっていうのも楽しいし、
そういう綺麗な旧市街とか、モスクとか景色が綺麗っていうのも楽しいし、
結構、初めのうちはそういうすごく楽しい驚きでいっぱいみたいなイメージを持っています、生活に関してはね。
確か私が仕事に関しては夏休みに到着したので、
ちょうどこちらについてから語学の訓練とかが1ヶ月、アラビア語のトレーニングがまたあったりするので、
仕事すぐ始まらなかったのは、ある意味ちょうど良かったんですけど、
7月について9月ぐらいから仕事が始まったかなと思います。
仕事は朝の7時から9時まで、国立科学技術研究所というところの研究者とかエンジニアとかものすごい優秀な人たちに、
朝、語学のコースを提供しているので、フランス語とか英語とか、他にドイツ語とかもあったかな、
5個ぐらい語学があるうちの1個に日本語があります。
その自由選択性で、学生さんではないので、社会人で仕事を始まる前に2時間語学を勉強しましょうと。
ただ、結構、市民に近い感じの人も多かったけど、その頃、日本との協力があって、
JICAの技術協力プロジェクトで、測量のプロジェクトがあって、
日本からも何人か専門家と呼ばれる人たちがこちらに来ていましたし、
コンサルタントというか、まさに測量の専門の人みたいな、指導をするために来ている人たち、チームがありましたし、
日本に2年間研修留学に修士号を取りに行きますとか、
2年じゃなくても3ヶ月ぐらいのJICAのトレーニングで日本に行きますとか、
そういう人もすごく多かったというふうに記憶しています。
その頃、日本のODA、世界一って言われていた時代でしたから、協力がいろんな意味で非常に活発でした。
ので、日本の人と接する機会がある人たちも多いし、
日本に行ったことがある、もしくは今後行く可能性のある人たちも結構多いので、
そういうモチベーションで日本語を勉強している人も多いというような職場でした。
今、また車の大変に多い通りを渡っています。
渡り切ってから話した方がいいかな。
夕方今17時、19時だから涼しいですけど、
涼しいですけど、ちょっと車通りはこの時間結構多いんですね。
19時ってこんなに渋滞しているんだ。
はい、道を渡り切りました。
協力隊の現実とギャップ、職場の課題
トランサー記号キャリアレビューだから説明的な話じゃなくて、
私の感じたことを話すぞって言った割には、どうしても説明が入っちゃいますね。
仕事がね、
すごく明るい印象はないですね。
初めの頃、最後の方もちょっと苦労したというイメージが思い浮かびます。
まずね、多分思ったより暇っていうことが嫌だったんだと思う。
だって朝7時から9時まで日本語を教えたら、あとやることないんですよ。
えー、なんだそりゃーって思ったような気がする。
それから、でも学生さんとかはすごく良くしてくれたし、良い交流があったので、
クラスの中で起こったことについては楽しかったんだけど、
そっか、だからこういう話ですよね、やっぱり協力隊っていうものが思い浮かべていたイメージと現実のギャップがあって、
それにちょっと苦しみましたし、
私はなんで日本語教師になって協力隊に来たんだっけってだいぶ思いました。
だから、まあね、ダマスカス自体はすごい好きだったんですけど、
思い浮かべたイメージが果てしなく広い空、地平線で、何もない枯れた大地に井戸の前で輝く子供の笑顔みたいな、
そのイメージで協力隊を目指した人にとっては、大都会の暮らしでエンジニアに日本語を教えてみたいなのはちょっと、
想像すれば来る前に分かったと思うんですけど、イメージ全然違って、
そして思いのほかシリアがやっぱり発展していたので、
なんかどっか困っている人を助けたいみたいな気持ちも多分あったと思うんですよね、私ね。
困っている人かな、みたいな。困っている人はどこにいるのかな、みたいな。
そういうふうに、そのギャップに、まあちょっと苦しみましたというか、
そのギャップをイメージを修正するのにだいぶ時間がかかりました。
だから、なんで私協力隊に来たんだっけ、なんで日本語教師で来たんだっけ、
なんでこんな大都会のシリアの首都のダマスカスで働いているんだっけ、
これが本当に私がしたことだったっけ、というふうに思いました。
あとあれですね、だから職場は、日本語クラス自体は楽しかったんですけど、
例えばそのオフィスとしてもらったお部屋があって、そこで相部屋になるんですけど、
その相部屋の人が明らかに私がいることをちょっと嫌がっているとかね、
多分個室だったんですよ、私が来る前は。
それで私が入ったことで個室じゃなくなっちゃって、
でも日本語教師なんで、机もらったらそこでちょっとした学生さんとのやりとりとか、
ちょっと教えたりみたいな会話をすると、ちょっとなんかうるさいから、
あっちでやってくんないって言われたりとか、
まああんまり、そうですね、学生さん以外の職場の人との交流というか、
コミュニケーションがいまいち難しかったという記憶がありますね。
なんか歓迎されてないんだなっていう感じを感じていました。
これをわざわざ今話しているのは、私がどうっていうよりは、
これが本当に協力体あるあるだからなんですよね。
だからすごくイメージとしては、なんか人の役に立つぞと思っていくと、
なんか思っていたイメージと違い、困っている人の役に立つぞと思っていくと、
なんか思っていたように困ってはいなかったりし、
そしてみんなが、ああ来てくれてありがとう、こんなことをしてくれてありがとう、
なんていうふうには、そんなにうまいことをそういうふうに言ってもらえるようになるまでには、
まあ時間がかかるというか、最初はなんか本当にまず自分が生活して、
自分がついていくので精一杯なので、そんなにああウェルカムありがとうっていうふうには、
冒頭から言われたりしない。
まあそれもまた考えてみれば当たり前のことですけど、
なんか多分協力体に行くぞなんて言って、思い描いた姿との現実のギャップに、
私だけじゃなくてたくさんの人が苦しむことになって、
投稿拒否じゃないけど、仕事に行くのが嫌だななんてなってしまう人もいますし、
中にはそういう職場とマッチングがうまくいってないし、
ここで私は求められてないからって言って、
前向きな人なんかは自分で他のいろんなところを訪問して、
自分の職場を自分で探して、
私は配属先替えって言うんですけど、
自分の職場は別のところで働くことにしますなんて言って、
許可もちゃんと取って、正式に認めさせたりとかっていう人もいますね。
よくある話は、JICAの職員の調整員っていう人が、
事前に要望調査っていうのをして、
求人情報を探しみたいな話ですけど、
それをして、本部と調整して、
そこから人を選んで派遣してっていうプロセスなんですけど、
それ1年ぐらいかかるんですよ、要望調査から派遣まで。
そうすると、その要望を出した人が、
もういなかったり、転勤になってしまっていたり、
職場の状況が変わってしまっていたり、
ということもよくある話で、
こういうニーズがありますって言われたから行ってみたら、
そんなニーズなんてもうなかったとか、
そんな部署なんてもうなかったとか、
要望を出した人とは、
あんまりそれの良くない人の元で働くことになってしまったので、
間に挟まれてとか、本当によくあるあるある話です。
なので、多くの人は初めのカルチュアギャップですね。
これもカルチュアショックっていうところで、
ほとんどの人がそういう、
求められていると思ったから来たのに、
求められていないんじゃないか、
みたいな感じのギャップというか苦しみというか、
チャレンジを経験することになります。
日本語教師としての充実と次のステップ
そうですね、でもなんだかんだ言って、
やっぱり日本語教師が一番楽なのは、
クラスがあって学生さんたちがいて、
その人たちは学びたいって言って来てくれている人たちなんで、
他の仕事の人よりはやっぱり、
教える仕事っていうのは味方がいるんですよね。
学生さんたち、学習者の人たちは少なくとも先生先生って言って
慕ってくれるので、
なんかそんなにすごい、
求められていないって苦労するっていうのは、
他の人の話としてはよく聞く話ですけど、
自分自身の話ではそんなになかったかもしれません。
もちろん一生懸命勉強しても、
それを使って何になるの?みたいな、
実際に別に日本語を役立てるわけではないのにって、
そういう悩みもあったかな。
あったかもしれないけど、
まあまあクラスは楽しかったですよね。
でもそんなことをやっているうちにですね、
私、
でもシリアにいる間は日本語を教えるの楽しかったし、
思い出しました。
2年間終わって、
帰国面談みたいなのがあるんですけど、
東京のJICAの本部で、
進路カウンセラーみたいな人とお話をする機会があり、
その時に、
じゃあ次は何をしたいんですか?って聞かれた時に、
私はまたすぐにでも、
次のこのような協力隊のようなポストを探して、
もう一度海外で日本語を教えたいと思います、
っていう話をしましたね。
そこで、そうなんですねって紹介されたポストに、
すぐ応募して、
もうすぐ決まって、
だからシリア帰ってから1ヶ月ぐらいで、
確か次、モロッコに派遣されていました。
っていうぐらい、
まあなんかいろいろあったけど、
最後にまたこれは私はすぐ、
日本語教師で海外で教えるっていうのを、
またやりたいなっていうぐらい、
最終的には、
多分私の協力隊生活は結構充実していたって言って、
いいんじゃないでしょうかね。
最後の方でそういえば延長しようかなんてね、
そういう2年間なんですけど、延長っていうのができてね、
ちゃんと理由があればですよね、
延長する必要があるって認めてもらえれば、
確か1年まで、
だから全部で3年間まで延長することもできます。
今の制度はどうかわかんないけど、
だいたいそんな感じじゃないかな。
今はね、もっと短期派遣とか、
2年間じゃない短い派遣があったり、
当時は35歳までだった、
45歳までだったかな、
当時年齢制限ありましたけど、
それのないシニアの人たちも派遣するようになったり、
いろいろフレキシブルな制度になって、
JICAの協力隊っていうのは続いていると思います。
協力隊制度への考察と日本の国際協力
はい、私はこの制度はちょっと推していますね。
推していますっていうのは、
昨日もちょっと話しましたけど、
日本にいる普通の人が、
海外で働きたいって思った時に、
海外でって言っても、
アメリカとかヨーロッパとかじゃなくて、
途上国に行って働きたいって思った時に、
正直どこからどう手をつけていいか、
普通なかなかわからないので、
協力隊として派遣されるということで、
初めの第一歩が踏めるっていうのはとても良いことだし、
それが日本のためなんじゃないのって、
相手国じゃなくて日本の宣伝のためなんじゃないのとか、
パンダみたいな役割なんじゃないのみたいな、外交みたいなね、
いうふうに否定的に思ったこともありますけど、
相手の国の役に立つんじゃなくて、日本のためじゃないか、
結局はそういう、
脚引きパンダじゃないかって思ったこともありますけど、
まあね、別に、
いいんじゃないかなって思うんですよね、脚引きパンダでも、
日本のためでも。
だって日本の税金使っていくわけだから、
ある程度日本のためっていう側面があった方がないとならないと思うし、
その日本のためって言ったときに、そんなにそんなに利己的な、
日本のだけの国益っていうふうでは、
昔はなかったんですよね、最近は、
最近ですよ、そんなふうに、
何をするにも自国への利益がどうなのかなんて言って、
国益が、
自国への利益があって、
どんどんなっているのは、私には最近の動きに思います。
昔はもうちょっと、
大らかだったように記憶しています。
だから日本のためにもなりますよとかって言いつつ、そんなにそんなに、
まあ国が豊かって余裕があったからだと思いますけど、
それは本当に日本のためになっているのかなんて問い詰められているっていう、
感じはなかったし、
日本にもこんなに課題があるのに、
海外の課題に目を向けている場合かなんていう、
議論も、
最近まで私はあまり聞かなかったような、
私が協力隊の頃にそんな話を聞く、
機会は、
ありませんでしたね。
まあだから日本が豊かな国だったからっていう、
ことなんですかね、その頃ね、
でもなんかそれだけでもないような気がします。
なんか心の余裕みたいなものにも関わりがあるような気がしますね。
昔の方が心の余裕があったんですかね、日本人は。
なんかもっと忙しかったから、
そんなあんまり、
その、
海外にお金を使うなんてっていう、
議論にキリキリするより自国の発展のためにもうちょっと、
やることが他にもいっぱいあったっていう、
感じかもしれませんね。
はい、まあそんな話はいいや、ちょっと、
えーと、ランスアキコキャリアレビューとしては、
協力隊のレビューとしてはいいのか、これで。
なんか今日の話つまんなくないですか。
海外での恋愛とキャリア選択
えーと、最後にもうちょっと面白い話をしますね。
あのー、キャリアっていうのはそういうね、
なんていうんですか、結婚みたいな話っていうのもキャリアのひとつ、
重要なキャリアのひとつだと思うんで、
はい、それやっぱり若い人はすごい気になるところだと思うんですよ。
海外に2年、その時交際してる人とかっていないんですか。
結婚、子育て、どういうふうに折り合いをつけていくんですか、
っていうのはとっても気になるところだと思うんで、
お話ししますと、私は大学の時に、
多分2、3年付き合った、
はい、先輩のね、
彼氏がいました。
協力隊に行く時もね、迎えに、
見送りに来てくれたり、理解してくれて、
見送りに来てくれたり、途中で1回遊びに、
2回ぐらいかな、もしかしたら、
シリアに遊びに来てくれたり、
という彼氏がいましたね。
で、他の人たちもみんなそんな感じでしたよ。
一緒に協力隊に行った人たち、
日本に置いてきた彼氏が、彼女が、
途中で遊びに来るとか、
そうやって、
なんかまさに文通みたいな、
あの最初私シリア行った時、
Eメールなかったんですよね。
その次の国、モロッコに次行く時ぐらいに、
Eメール使い出しましたけど、
お手紙で文通してました。
お手紙でね、
もうどんだけ昔の話なんだって感じですけど、
文通して。
それでですね、
ちゃんと2年間全うして付き合ってですね、
それを後、でも私はそんな彼氏を待たせて、
相手は結構早く結婚したいみたいな、
お相手だったと思うんですけど、
待たせて行って、
他にも関わらず、
帰ってきて、すぐにまたすぐ、
もう一度海外に出たいです、
迷わずに、
そっちを選び、
それでもまだ1年ぐらいね、
次の国行ってからも、
付き合ってたし、
遊びに来てもくれましたけど、
次の国、モロッコ辺りで、
自然消滅的に、
別れることになりましたね。
というような背景があったりするし、
その頃次の国、モロッコ辺りでは、
現地の人と付き合いしていたり、
みたいなこともありましたので、
決してだから、
自分のプライベートは一切犠牲にして、
海外支援に捧げています、
みたいなことでは全然ないです。
普通に、それなりの若者なりの、
生活を日々送っておりまして、
そういった恋愛みたいなことも、
いろいろありつつも、
いろんな経験をしてきました。
はい、ちょっとサービス、
今のはサービス入れました。
あんまりお相手がいることとかは、
どこまで話していいのかなって、
この声日記を聞いている人の中でも、
たどったら、
相手が誰だか分かっちゃう人っていうのも、
もしかしたら聞いている可能性はあるから、
ちょっと控えめにしようと思いつつ、
その辺が気になるっていうことも、
大いにあると思うので、
ちょっとサービスで本日は、
そんな話もしてみました。
ちょっと薄情ですよ、私はね。
だから、もうちょっと感情面の話をすると、
そうやって自分の仕事の方の興味を優先にして、
選びましたし、
どこの国に行くとかに関しては、
そちらを優先にして選びましたね。
毎日の日々の仕事をする中では、
必ずしも常に仕事を優先して、
というふうにガンガン働いたわけではなくて、
もうちょっとプライベートの方を優先するような、
生活をしていたこともありますけど、
つまり最初の話もしましたけど、
最初の職場で朝2時間仕事をして、
それで終わりだったって言ったんですけど、
その後も引き続きモロッコに行ってからも、
夏休み3ヶ月、4ヶ月あるとかね、
とにかく休みがいっぱいあるんですよ。
仕事が少ない、休みがいっぱいある。
だからプライベートの時間はいっぱいあるので、
そんなにもうガリガリガシガシ、
身を粉にして働いたという感じでは全然なく、
結構遊びに来てますみたいな感じで、
過ごしていた時間も結構多いんですよ。
はい、それは最初のうちは、
それが嫌だな、ストレスだなって思う、
真面目な部分もありましたけど、
だんだんそっちに慣れると、
年間5ヶ月ぐらい働いたらもう十分じゃないって、
思ったりみたいに最後モロッコの頃は、
だんだんなってたような気もしますね。
ゆっくりのんびり仕事をするというペースに、
すっかり慣れて、
なかなか本当にのんびり仕事をしていた、
モロッコの話は今日はあまりしなかったけど、
モロッコね、結局シリア帰ってからすぐモロッコに行って、
結局3年半ぐらいモロッコで、
3年半モロッコの首都ラバトで、
やっぱり日本語を教えたんですけど、
その時は本当にのんびり優雅に暮らしましたね。
それを結構楽しんでいました。
モロッコでの優雅な生活と今後の展望
はい、そうですね、
モロッコの話は多分これで終わりでいいかな。
トランスアキコキャリアレビューこの後、
次どういうふうに行くのかな、
今日はここまでにしますけど、
次何の話をするのかな、
日本語教師を辞めて、
次の仕事に切り替える話になっていきますかね。
はい、そんなところです。
はい、では聞いていただいてありがとうございました。
はい、ではまた今度。
31:15

コメント

協力隊の実態や、(自分も目指した時期があった)日本語教員についての貴重なお話だけでも十分に有意義なのに、さらにAkikoさんの恋愛話というデザート付き! 今回も盛りだくさんで楽しめました(^^) 次回も楽しみにしています。

しんりん
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