2026/8/14
本家TJARの方はすでに上位陣がゴールをしています!
明日もライブ配信・ハイライト配信がとても楽しみです!
他方TACR(トランス・アキコ・キャリア・レビュー)は、苦戦。
ぜんぜんうまく話せないし、話す自分のエゴがとても恥ずかしいという気持ちが日々高まっています。
しかし、TJARが続いているうちは、なんとか続けます。1週間休暇なので、1日2回ぐらい録音することもできるだろう!みっともないながら、なんとか完走したと思えるぐらいになんとか辿り着きたい。
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サマリー
TACR Day5では、TJAR選手の感動的なゴールに触発され、自身のキャリア語りに感じるエゴとペースの遅さに焦りを感じます。彼女は、高収入を得ながらも現場から遠ざかった開発コンサルタントの職を2015年に辞め、モロッコでの休養を経て、シリア難民支援のNGOへと転職した経緯を語ります。その根底には、常に「広い世界に出て困っている人の役に立ちたい」という初期の動機がありました。
TJARからの感動とTACRへの反省
はい、こんにちは。始まりました。 TACR トランスアキコキャリアレビュー Day5 第5日目です。
さて、今日は8月14日金曜日の5時40分。 さて、昨日ですね、私は
まさにトランスシリア横断車でのトリップというのをいたしまして、800キロです。800キロ、12時間かけて、一日中かけて移動して、こちらの町に来ました。
はい、この町はですね、去年の秋頃に私が初めて、この国の中に入れるようになった時に入ってきた、私たちの拠点のある町であり、
ここに私は実は夏休みをね、過ごすために来ました。 1週間お休みをとりまして、
今の私の仕事がある町が、コードネームDだったりAだったり、そっちが中心なので、休みを過ごすにはあまり仕事と関係のない、
しかもちょっと田舎の空気が綺麗だったり、少しこう、なんというか、キャンプみたいな雰囲気が味わえるところで過ごすのがいいかなと思ったので、
ちょうど移動の人がいたので、私も一緒に行くって言って、一緒に車に乗って800キロ移動してきました。
なかなかに長い道のりでしたけど、実は私は移動っていうのが全然嫌いじゃないんですよね。
飛行機で10時間とかっていうのも実は結構好きです。 機内ですね、10時間ぐらいだったら、映画とか見たりして、寝たりご飯を食べたりしているうちにあっという間に着いてしまうという印象です。
2、3時間とかのフライトとかだと、楽しむ前に終わったら短すぎるっていう思うぐらいの感じです。
昨日は途中の浜という町に寄って、風車、風車じゃないや、水車、古い水車があるんですよ。
それをちょっと見たりっていう、若干の観光みたいなこともしながらの移動でしたので、すごい楽しかったです。
で、今日はお休みの日なんで、今日はね、TJAR1日中見ていました。何時間見たかな?
昨日、一昨日見られていなかったDay3ハイライトぐらいから見始めて、そんなことしてたらライブ配信が始まって、日本時間の6時、夕方6時にはもう始まったんですよ。
いや、もっと早く始まった?そのゴールの様子は、今日の日本時間の午後ぐらいにもうゴールなさってましたよね。
で、第一位の選手のゴールをライブ配信して、その後毎日のハイライトの配信も今日ちょっと早く始まって、つい先ほどまで約6時間ぐらい配信なさってたのをずっと見ていました。
今のところもう5位まで、5位か6位の選手まですでにゴールなさっています。
すごい目が離せないという感じです。6時間見てもまだまだもっと見たいという感じで配信している皆さん、
近藤さんも和美さんも皆さん本当に大変だと思いますけれども、すごく楽しく、私も楽しんでますし、たくさんの多くの方がそれを見させていただいて本当にありがたいと思っています。
そして選手のゴール後のインタビューとかが本当に全て感動しますね。
ゴール後のインタビューだけではなくて、最後のゴールの時の笑顔の様子とか、本当に皆さんいい笑顔でゴールなさっていて、
5日間そうやって日本を縦断して、アルプスを縦断してきた人っていうのは本当に多分いろんなエゴとか余計なものはすべてそぎ落とされて素の人間になっているんでしょうね。
そして素の人間になった時に人はこんなにも美しくて素晴らしい存在なのかっていうのが本当にね、人間って素晴らしいなという勇気づけられたり感動したりします。
誰でもですよね、1位の人だけじゃない。多分もうこれは全員素になった時、すべてを出し切って人間って素になった時にこんなにも美しいし、人を感動させる力があるんだろうなって。
しかもね、ずっと努力を重ねてきて、ずっとこれを目指してきて、努力を重ねて周りの人のいろんな協力を得て完走した時の感動というかね、ひとしおなんだなっていうのを皆さんのゴールの姿を見て思っていました。
キャリア語りのペースアップとハイライト化
でなんかね、それを見ていたら私は正直言ってTACRは本当に恥ずかしく、どんどん恥ずかしくなって、なんでこんなTJARに重ねて自分のキャリアを語るなんてことを思いついちゃったんだろうってね、ちょっと正直恥ずかしくなっている部分はどんどんありますよ。
なんでこんなことを思いついちゃったんですかね、もりっしぃさんですよね、もりっしぃさんのせいです。私が自分で思いついたんじゃなくてもりっしぃさんのせいです。なので皆さん許してください。苦情がある方はもりっしぃさんの方にお願いします。
ただやっぱり恥ずかしいって言わずにね、恥ずかしいけど恥ずかしいんだけど恥ずかしいものをここまで来たからには完走するっていうのが、今までのところできるだけ素直にオープンに話そうとしてるけど、もうTJARの選手の姿を見たら全然私なんかカッコつけてつまらないことを話してるなっていう風に、そういう風に恥ずかしくなるんですよ。
自分のキャリア自体が恥ずかしいっていう風には全然思ってないんですけど、それを話す自分っていうのが全然エゴにまみれているというか、カッコつけたいと思っているというか、そのままの自分を出せるっていう風になってないなっていう風に思うんですよね。
でも同時にあともう一個ね、そのままだそうとすればするほど話し長くなりますよね。だから7日ぐらいかけて話そうって思いましたけど、TJARより全然遅れています。
TJARの皆さんも、だって南アルプスの後半というか、いぶきの地図で見ると、皆さんあと2日間でゴールなさるわけでしょ。私この調子でいったらあと2日間でゴールできる見込みないです。キャリアのまだ25%ぐらいまでしかいってないんですよ。
なのでこれはペースアップだなっていう風に思いまして、なんかね、ポッドキャストとかで長ければ長いほどすごい率直なストレートなというか気取らない話ができるっていうのも本当だと思いつつ、私のこの話はあんまり長くしないで、あと2日でそれこそTJARが終わるまでに終えるぐらいの感じで話した方がいいんじゃないかなと思いまして。
だからあと2日間ってなってくると、これあと2回の録音じゃ全然語りきれない感じのペースで今まで話してるんですよね。だから今日はね、ちょっとハイライトでいきます、本当に。
協力隊のね、制度の話とか協力隊に対して思うこととか、それもね、なんか結構いろいろ話したいことがあるなって気づいたんで、なんかそういう協力隊を紹介するとか協力隊で感じたことを話すっていうのは、またね、別のところで別の機会に話せることがあるような気がするので。
実は私は協力隊にもう1回参加してるんだね。ジブチでプログラムオフィサーっていうまさに要望調査をする仕事で6ヶ月間派遣されているので、その話とかもすると協力隊の要望の上げ方とかそういう話も分かって協力隊っていうものに興味がある人には面白いだろうとも思いつつ、
協力隊の話をするだけの場ではない、アキコのキャリアの中で協力隊っていうのは本当に入り口の一部の部分ですので、
今日はね、ワープしますよ。ハイライトでいきますよ。これ時系列で行くと長くなるから逆からちょっと遡るイメージを持って、冒頭だけ逆のところに言いますね。
開発コンサルタントからの方向転換
私何回か声日記の話でも話している、2015年に大きい方向転換をしましたっていう話。2015年までは協力隊も含めて、ODAの枠の中で私は国際協力、海外支援というのをしてきました。
ODAの枠の中でっていうのは、日本の国際協力のための日本政府の資金っていうのを使って、しかも国際協力、いわゆる国と国との協力という枠組みの中で、
日本という国が他の国の政府に対して技術移転をする、日本の技術を伝えるとか、もしくは国の発展に関する協力を日本という国が協力するっていう枠組みの中で働いてきたんですよね。
だからこれね、公務員じゃないけどね、純公務員的なところもあって、皆さんの税金であるお金を資金にして協力をしますのでね。
私がいただいているお給料とか、そういう手当とかの厳選は、国民の皆さんの税金であるっていう枠組みの中で、ずっと2015年までです。
しかもそれは、なんていうのかな、これやっぱり話しにくいですね。なんかぐたぐた長い話になっちゃう。
ただでも言いたいことは、公的資金を使った協力であるということですね。
その制限、その制約の中でしてきたし、それからね、ダメだな、これ取り直すかなって思うぐらい全然説明できてる気がしないんですけど。
何を言いたいかというと、私が標高転換をする直前ぐらいでは、開発コンサルタント企業という、民間の企業ですけど、JICAのODA案件の公募に応募して、
お札をして、それを取って、コンサルタントとして日本政府の技術協力の仕事を3年間とかのプロジェクトを受託して、それを日本からの出張ベースで専門家として、コンサルタントとして海外の開発、
何らかの分野の発展に協力をするという枠組みで仕事をしてきたんです、約10年間。その時に公的資金の枠組みの中で、比較的大きい枠と言ってもいいだろうというところから入って、中堅もしくはリーダーシップを取るような立場というところまで10年間働くと、
例えばプロジェクトの副総括みたいな立場まで最終的には関わっていたんですけど、だんだんまず自分のお給料も結構いいお給料をもらっていましたし、開発コンサルタントというお仕事。
これもぶっちゃけベースで話さないとつまらないかもしれませんけど、一番良かったとき年収約850万ぐらいですかね、プラス海外出張に行けば日当、宿泊費というのが年収に追加して出ます。
開発コンサルタントというのはそれぐらいのお給料をいただけるお仕事ですね。しかもそれ最近の話じゃないですよ、私が40代前半だった頃の話です。
そういったお仕事でつまりお給料も良くなってくると、だんだん経験がありスキルがあり、会社の中でもリーダー的な立場を取れば取るほど、どんどんいわゆる現場というものからは遠ざかっていきます。
つまり首都のオフィスの中で現地の組織の中でも比較的課長とかリーダー的な立場を取る人と私は直接お仕事をする機会は多いんですけれども、現場で本当に国民の人にサービスを提供する立場の人という人たちと出会う機会はないし、
サービスを受ける市民の人たちというのが本当は一番最終的な受益者で、私たちがその支援を届けたい本当の最終受益者はそこであるはずなのに、なかなかそこと出会える接点というのはどんどん減っていくんですよ。
ないとは言わない接点はあります。そこのやっぱり接点を持たないといいお仕事ができないので、そういう総括とかリーダーとかという立場になったとしても、最終的にサービスを届けたい市民の人たちと出会えるチャンスはないとは言わないんだが、毎日一緒にお仕事をするわけではないですよね。
一旦グダグダ話していたので切りました。そして編集しました。
要するに私が言っていたことをまとめますと、日本語教師から方向転換をして、ODAの開発コンサルタントという立場になりました。
日本の政府の資金を使って海外の他の国、途上国の、私がかかったのはガーナとかバングラディッシュとかボスニアヘルセゴビナとかのプロジェクトですけれども、
その技術協力をするプロジェクトをJICAから受託して、それを実際に現場で運営をするという開発コンサルタントになり、10年間一つの会社で働いているうちに、一生懸命働いて修正しちゃったんですよ、ある意味。
管理職になってしまいました。管理職になればなるほど、現場からどんどん遠くなっていくという状況だったし、その先の未来もその姿しか思い浮かばない。
本当に一番サービスを届けたい、支援を届けたい相手である国民の人、市民の人、一般の人、最初の協力隊に行った原点のところの時の言葉を使えば困っている人、困っている人々がいるから、
そういう国と国との協力があるはずなんですけど、私が実際に接する人は現地の政府の職員の、しかもその中でも管理職の人であったり、トレーナーをトレーニングする人であったり、
そういう人と首都のオフィスの中で仕事をするという機会がどんどん増えていく。
そうなった時に最初に私が思い描いた、もっと広い世界に出ていきたい、そして見晴らしの良い荒れた大地の中で現地の子どもと笑顔を交わす、みたいなイメージからはね、もう本当にね、もう完全に遠くなっちゃったんですね。
それが勘違いだったっていうこともあるんですけど、国際協力とか海外支援といった時に、海外でもいろいろなレベルの国があるし、全てが荒れ地で井戸を掘るような仕事だけが国際協力や海外支援ではないですから、
最初に私が中学生の時に思い描いたのは、私が持っている知識や情報があまりにも限られていたゆえの偏見であったっていうのも事実だと思いつつも、それを思い描いたのに、それを一切やらないままに、
何かちょっと出世というか、会社の中で責任ばかり増えて、オフィスの中の仕事ばかり増えて、パソコンの前に向かう仕事ばかり増えてっていうのが、だんだんおかしいな、違和感を感じるようになったんです。
その時に私はコーチングを勉強したりしまして、そんな中で自分の本当にやりたいことって何かなって向け合う機会とか思ったときに、そこでもうこのままこの会社でこの仕事を続けていてはダメだなっていうふうに思って、
約10年、11年くらいかな、勤めていた開発コンサルタント企業を辞めて、そして1年お休みですね、ある意味お休みを取って、モロッコの田舎町に行きました。
それが前回かな、Day3かDay4の中でお話をした、サハラ砂漠と境界線みたいなところにある土地で見た広い広い地平線に無限の可能性を見て、
これが私が見たかった景色だっていうことを思い出したっていう話をしましたけど、その方向転換をするための会社を辞めて、1年間ちょっと休養をして、次私は何をしたいのかなっていうことを考えるお休み、2015年にお休みを取って、
シリア難民支援NGOへの転職
その時に生まれた時のイメージ、もっと広い世界に出たいんだ、もっと誰も行ったことのないようなところに行きたいんだっていう思いと、広い大地を見た時に荒れ地に可能性と希望を感じた時に、そっか、やっぱり私はシリアンに戻りたいっていうふうに思ったんですよね。
2015年にはシリアは内戦が結構一番ひどいことになっていましたね。
2011年に始まったシリア内戦は、2014年ぐらいからアイシスがいろいろな街を占領したりして、ひどい状況に内戦が泥沼化してっていう一言では言い荒らせないぐらいの地獄のような状況を体験することになります。
そんなことを少しニュースで見たりしながら、私はシリアに関わったのに、これをそのままニュースの中の出来事として放っておくっていうことはできないなっていうふうにだんだん思うようになりまして、
その時はでもシリアの国の中に入れるなんていうことは想像してなかったので、私はシリア難民を支援する仕事をしようと、それはNGOという立場で、人道支援という立場でシリア難民を支援するという仕事を探そうというふうに決めました。
2015年のことです。今から約10年前。そして、日本のNGOの求人をいくつか受けまして、その中でシリア難民支援のヨルダンにあるザータリ難民キャンプという、シリア難民キャンプの中では世界で一番大きいキャンプですけど、
ザータリ難民キャンプ、ヨルダンの北部、シリアの国境からすぐ近いところにあるザータリ難民キャンプ、そこに2015年ポストを得まして、NGOに転職しました。
初期の動機とキャリアの核
今日はそこまでにしとこうかな。なんかうまく全然話せた気がしないですね。日本語教師のところからつながっていないっていうことが問題ですかね。時系列作戦はやめたので。
一言だけ話すと、日本語教師から方向転換をしたのもちょっと同じ、似ているかもしれなくて、やっぱり元の時に描いたイメージ、果てしない青い空、広い地平線の大地で、井戸の前で笑顔をかわしている若者と子どもというイメージからは、
私が教えてきた環境での日本語教師、首都の大学とか研究所での日本語教師というものは、イメージはかけ離れていたからです。
それはそれなりにいろんな仕事があることもわかったし、それなりに楽しい経験でもあったんだけど、私が最初やりたいと思ったこととは違うよなと思ったので、日本語教師という立場じゃなくて、何か人に物を教えるということは好きだけど、
それを教えるということを日本語である必要はないんじゃないかな、別に私は日本語が好きだとか、日本のことを海外の人に伝えたいと思っているわけではなかったので、何かを教えるという切り口をキープしながらも、
日本語じゃなくても教える内容は別のことでもいいんじゃないかなって思ったので、当時一旦大学院に入ります。人材育成とか教育工学という分野ですけど、その教え方の工夫をしましょうと。
当時遠隔教育とかビデオの教材とかオンライン教材というものの走りでしたので、e-learningとかそういった教え方を新しい技術を取り入れて教えるということの走りの時代に、日本語教師を辞めた私は一旦教育工学、インストラクショナルデザインと呼ばれたりしますが、
その分野の勉強をするために大学院に入り、その大学院は途中で中退をし、大学院の途中で見つけたお仕事というのがその開発コンサルタントのお仕事でした。
ここはだからちょっとハイライトとして駆け足で、日本語教師から開発コンサルタントへのつなぎのところはあまり詳しくはお話せずに駆け足でいきたいと思います。
ただやっぱり核にあるのは、やっぱり初め描いたイメージ、協力隊員になりたいと思った時に描いたイメージ、もしくは私がこの世界に生まれてきた時に描いたイメージ、
その広い世界に出たいんだ、光を見せてくれ、こんな狭いところにいたくはないんだ、広い世界に出してくれって思ったイメージ、その協力隊のポスターのイメージというものがやっぱり忘れられなかったんですよね。
いろんな形の国際協力があるんだなということも分かったし、開発コンサルタントという企業の中でどのようにお仕事をして、どのように評価を得て、どのように責任あるポストを任せられるということも分かって、
それはそれで貴重な経験だったし、やりがいのあるお仕事ではあったんだけど、どこかやっぱり初めの動機のところ、私を動かす核にあるエンジン、さらに言えばやっぱり産美科の話にも戻りますけど、困っている人の役に立ちたいという気持ち、それがやっぱり忘れられなかったんですよね。
はい、今日は全然うまく話せた気はしないが、そして全然うまく伝わっている気もしないんだが、とりあえずペースアップはできたかな。
はい、すいません皆さん、本当にTACR聞いてくださっている方には申し訳ない気持ちですね。うまく伝われるように話せている気がしないから申し訳ない気持ちなんですけど、これも声日記だから許してくださいということにします。
そしてこういった自分のキャリアの振り返りなどを話すというのも練習が必要なことですからね。練習にお付き合いくださっているということで、大変ありがたいと思っています。どうもありがとうございます。
はい、ではここまでにします。以上にします今日は。どうも聞いていただいてありがとうございました。はい、ではまた今度。
27:34
コメント
学びが多いですわ。 苦情はすべて私が受付けます😂
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