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サマリー
本エピソードでは、モロッコでの日本語教師としての経験が語られます。シリアに続く派遣で、当初は現地の調整員からの厳しい対応に直面しつつも、モロッコ唯一の大学日本語コースが廃止の危機にある中、3年半にわたりその存続に尽力した経緯が紹介されます。また、コースを社会人向けに改革したり、JICAの派遣が日本の都合による側面もあることについて考察したりと、海外協力のリアルな側面が描かれています。
導入と朝の考察
おはようございます。今日は8月の13日の朝の6時50分、ちょっと朝早いので少し小さい声で録音しています。
スマホの直接録音で、リスナーに録音しています。入るでしょうか。
今日は、TACR トランサキコキャリアレビュー、第4日目ですが、今日は短くハイライトになります。
今、お迎えの車を待っていて、この後移動があるので、たぶん着いたら疲れていて、録音する時間がないと思うので、4日目はハイライト、短くいきます。
気持ちのいい朝ですよ、今日も。朝早起きするといいですね。涼しくて、街がフレッシュです。
朝というのは本当に祝福ですよね。どんな昨日があっても、朝一日は新しい一日として始まるという祝福を朝、外に出ると感じることができます。
モロッコ派遣と初期の困難
では、昨日はモロッコ、シリアンの仕事を終えて、すぐまた海外で教える仕事がしたいと言って、トントンとつながり、
帰国して1ヶ月後には、もうモロッコに出発しました、というお話をしましたね。
彼氏を待たせていた彼氏がいるにもかかわらず、また行きます。ひどいですよね、彼氏目線で見たらかなりひどいです。
でも迷いなくそれも決まって、その頃には仕事のサボり方を覚え、モロッコでは本当にのんびりゆっくり遊んだというイメージが強くなっています。
仕事はモロッコはモロッコで、また協力隊のシニア隊員という経験者が派遣される枠で行ったんですけれども、冒頭のショックという意味では、シリアンの時以上にショックでしたよ。
いくなりジャイカの調整員の人に、あなたの仕事は後任とかそういうのないですから、これあなたで終わりですから、ある意味、そうは言わなかったけど後でわかったのは、大使館との関係性の中で仕方なくあなたの派遣を決めたものですから、心してこれで終わりだと思って仕事してくださいね。
いきなりもう到着するなりに言われて、ちょっと意地悪だったんですよね、その人ね。それで私の給料は結構、その時は悪くなかったんです。
協力隊のシニア隊員って、普通の協力隊員よりお給料は悪くなくて、その人ね、これ嘘だと思うんですけど、毎回、毎回というか数回ぐらい私が事務所に行くと、僕よりお給料の高いニシブチさんが来たって言うんですよね。これいじめですよね。ハラスメントで今だったら訴えますけど。
日本語コース存続への尽力
要するにあなたは、大使館が動いて派遣を求めたポストだったんですよ。いろいろあって、モロッコで私の教えている大学での日本語教師枠がないと、モロッコで一切どこでも日本語を教えている場所がないっていう状況になってしまうと。
大使館としては、その時の大使館にいた人が、昔日本語教師だった人っていうこともあって、モロッコで日本語を教える場所が何一つどこもなくなってしまうのは残念だと。
でもモロッコの議論もシリアとちょっと似ているところもあって、モロッコで日本語を勉強しても別に何の役にも立たないじゃないかっていう議論でしたね。だから、もうそんなに継続する必要じゃないんじゃないか。
でもさすがに国の中に日本語を教える場所が一個しかなくて、しかもそれが大学の日本語コースですから、文学部の役に立たないからやめようとかいう話もちょっと強量な、心の狭い議論だったなって今になると思いますし、私が繋いだんですよ。
それも本当に今までは思ってなかったけど、誇りにしてもいい。私は石野淵にも3年と言って、協力隊以外のやり方も含めて、モロッコで次の日本語教師が派遣されるまで私は繋ぎました。
だから、モロッコのモハメド五星大学の日本語コースが途切れずに今あるのは、皆さん私のおかげですよ。石野淵にも3年と言って繋ぎましたよ。冒頭から嫌がらせを言われたにも関わらずというタイプのチャレンジはありましたね。
だから、たぶん皆さんが想像する海外支援のチャレンジというものとは全然違うと思う。モロッコの首都、またこれも発展しているし、とってもいい場所でね。リゾート地ですよ。首都だけどリゾート地。そこで気候も良くてね、モロッコは。夏も暑くない。冬も寒くない。冷房も暖房もいらない街。今はもしかしたら冷房はいるかも。
そこで3年半暮らして、のんびりと日本語を教えながら、本当に暮らしをのんびりする癖を身につけました。その頃にはだからなんで仕事が少ないんだなんていう文句を言うこともなく。
コース改革と提案文化
あとは、大学の第2大学後、専攻の第2大学後の日本語だったというところに少し問題があると思ったので、そうすると文学部の何年生とかしか受験できないので、それを社会人コースとして焼き直して、広く誰でも応募できるようにしました。
夏休みのコースを設けたり、あとモロッコの日本語弁論大会というのを開いたり、というようなことをしました。そういうようなチャレンジをするのがまさに協力体だと思っています。
だから行ってみたら、第2大学後の日本語しかなくて、町の中に日本に興味がある、日本語を勉強したいという人はちょくちょくいるのに、そういう人は日本語を学ぶ機会がなくて、大学の第2大学後の学生さんたちは、今一つ何の役に立つかわからないから、今一つやる気がないみたいな。
これは本当によくある状況ですよね。そういう状況があったので、このコースは社会人対象のオープンコースにしましょうと話して、そんなことをモロッコではしました。
なんとなくモロッコに行くことになると、そういった提案をしたり、みたいなことも慣れてきた。シリア協力体に行って、一番初めの初めに、どんなことでも提案があったら、じゃあレターにしてまとめてこいなんて言われるのに、みんなブーブー文句を言っていましたけど、そんなレターなんてどうやって作るんだ。
でも向こう側としては当然ですよね。職場としては、外国人がよくわからないことをいろいろ提案してくるが、何を言ってるかもわからないし、上司に持っていくにも文章にしてくれた方が安いし、レターにしてまとめてくれって要求されたのは、今になれば極めて当然に要求であったというふうにわかります。
これも本当にあるあるで、協力体の人の文句あるあるでよく聞く話ですね。
程度によりますけど、言い訳としてめんどくさいことを言う人がいたら、じゃあレター作ってこいみたいに言われる場合もありますけど、日本だと思って考えても、どんな企画をするにも企画書を作るっていうのがある程度短いものでも当然だと思うし、
なので別に協力隊員だからレターを要求されているわけじゃなくて、仕事をする上で何かを変えようと思ったら文書にしてまとめてくるのは当然。でも結構協力隊員は壁の中に結構ありますね。いろんなことを変えたいと思うのに、いろいろ話しても拉致が明かず、挙句の果てにレターにしろって言われる。
でも多くの人は本当にそうやってレターを作って提案を通しておかしいと思うことは変えていっているっていう活動をしている人も最終的には2年間活動をやりきるような人はそういうことを何度も重ねてきていると思います。
後任とJICA派遣の背景
はい、で、モロッコの日本語教師3年半。で、今日ね、ちょっともうお迎えの人来るかもしれないからここまででやめます。3年半いるとさすがになんかもうそろそろいいかなっていう感じになったし、いくら暮らしが楽しくても。
最後の方は協力隊でもなく、現地の大学に直接雇われているという立場の人だったんですけど、そのさっき私がつないだって言ったように、その頃、モロッコに協力隊のシニアの枠、45歳だったかな、45歳以上の年齢の人を派遣をちょっと増やしましょうっていう議論がなってたんですけど、
もちろん治安が良くて、なんか暮らしやすい国じゃないと、やっぱり若者じゃないから送れないってなった時に、モロッコなんていうのは結構最適な国で、じゃあモロッコ一つのターゲットですねなんて言って、モロッコで、モロッコに日本のちょっとシニアなというか、45歳以上だから全然ちょっとシニアでもないかもしれないけど、
若者という枠ではない、経験者の協力隊を送る雲としたらどんな職種でどんな町だったら送れるかっていう議論の中で白羽の矢が刺さりまして、私の後任を協力隊のシニア単員枠で呼びましょうというふうにJICA側からお声掛けがありました。
だからあんたたち冒頭で私が言ったばっかりの時にあんなこと言ったの覚えてますかなんていう意地悪は私はもう言わず、もうその時違う人でしたけどね担当者が、良かったですねそれはって言って、そういうふうにしましょうね最適だと思いますよと言って、引き継ぎを日本人の協力隊のシニア枠の人に引き継ぎをするまで3年半モロッコにいました。
えっと、そうね、だからこういう部分ですよね、昨日の協力隊の批判、結構批判されることがありますよね、ODA税金を使ってやっている事業なんで批判の中にはその日本の都合で派遣をしているんじゃないか。
だから今のこの事例も、日本が全世界的にシニアな協力隊を増やそうって言った時に、どこの国だったら安全でどこの仕事がしやすいか考えて、じゃあこのモロッコのこの街にしようって決めて、そこでどの職場だったらそういう人を受け入れてくれるかっていう順番で明らかに考えてましたから。
だからそう現場側から現地側からこういうニーズがあるんですね、こういうニーズでこういう人に来てほしいんですねって言って本当に要望調査をしたわけではなくて、日本側がいろいろ政策とかいろんな変更によってこの辺りにこういう感じの人を何人ぐらい送りたいって決めるという順番でしたから、明らかに日本側の都合で派遣していたっていうのは間違いないと思います。
ただね、それは入り口のところが日本側の都合だったとしても、現場で何の話も聞かずに派遣したわけではなく、こういう人が来たらどう思いますっていう提案をして、ああそうですね、ぜひそうしてくださいって私からだけではなくて、大学の学部のマネジメントの人からもそういうふうに言われていくわけですから、必ずしも日本の都合だけでやってるっていう話でもないんじゃないかなと。
で、今になると分かります。
本日の締めくくり
はい、じゃあ今日はここまでにします。
ちょっと朝、住宅街の静かなところでブツブツ話しているので、うまく撮れてるかな。
はい、ではTACR4日目ハイライトお聞きいただきありがとうございました。
明日からどんな方向に行くのか、どこまで、明日からの話はどこまで何を話せるのか、だんだん近くになればなるほど、ちょっとどこまでセキュララに素直に話せるかっていう、その緊張感が若干ありますけど、やってみたいと思います。
では以上です。また今度。
14:08
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