4. あなたは何者ですか?|自由編#04 ~ 自由という言葉の歴史
2026-07-25 18:39

4. あなたは何者ですか?|自由編#04 ~ 自由という言葉の歴史

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自分はいったい何者なんだろう?そんなことを思うことありません?

ぼくは難関国立大学を卒業して、一部上場企業に就職し、新入社員の頃から海外に赴任してキャリアを積み上げてきました。「〇〇大卒」、「〇〇会社社員」、それらがぼくのアイデンティティでした。

けれど転職に失敗して、メンタルを病み、退職し、社会的立場がなくなるだけでなく、日常生活もままならなくなったとき、自分は何者でもないのだと思いました。社会復帰をかけ、地元の北海道にUターンし、農業研修に励んでいるときも、一家の大黒柱として農業を営んでいる同年代や年下の農家に対して引け目を感じていました。

後半のフリートークでは、「自由」という言葉の歴史を振り返りながら、自由とはアイデンティティに関わるものであることを示していきます。

挫折からもうすぐ7年。社会的立場や役割、肩書によらないアイデンティティを見出したぼくは、自らを拠り所とした人生を歩んでいます。

 

# 番組概要

40代、50代の半数が経験すると言われているミッドライフクライシス(中年の危機)。

「自分の人生はこれでよかったのだろうか」という揺らぎ、「何者にもなれずに終わるかもしれない」という焦り、「自分のピークは過ぎた」という閉塞感。

中年期は人生の幸福度が下がり、無気力を感じる第2の思春期とも言われています。

 

【一問一燈】は、ミッドライフクライシスという人生の危機を、転機に変える物語です。


港町の赤提灯街の奥深く、川沿いにある2階建ての長屋の一室「問処 自燈庵」では、ミッドライフクライシス(中年の危機)に向き合う大人たちが、【一問一燈】を通して、まだ知らない自分を照らそうとしています。

 

・番組前半は「自燈庵」での対話の模様を、後半からは主宰亮介のフリートークをお届けしています。

・毎週土曜日の朝7時に新しいエピソードを配信しています。週末のリラックスした空気でお楽しみください。

 

与えられた「正解」をなぞってきた人生の前半戦から、自分を拠り所として生きる人生の後半戦を迎える大人たちに、まだ知らない自分を照らす「問い」をお届けいたします。

 

# MC

加藤 亮介 / Life Transition Company LITRA LLC. 代表

【哲学するエンジニア】

東北大学大学院卒業後、エンジニアリング会社に就職し海外のエネルギープラント建設プロジェクトに従事。こどもの誕生をきっかけに価値観の変化が起こり、コンサルティング会社に転職し挫折を経験。1年間の療養期間を経て、地域おこし協力隊として新規就農に挑戦するなかで、Web関連事業に出会い起業するも、3年間で資金が底を尽き撤退。

それまで積み上げてきたものが無残に剥がれ落ちていくほどに、明らかになる自分。

人生の危機は、まだ知らない自分を明らめる転機になりました。

「自分を拠り所として生きる」をミッションに、ミッドライフクライシスに直面する大人たちの変容を実現します。



# リンク

◎ リスナーのみなさんが感じたことや気づき、新たな問いや【一問一燈】への自分のこたえ

番組へのご意見、ご感想は下記Google Formより。
https://forms.gle/Z2GPVrG1SwuTa5Sv8


◎ お話の内容をゆっくり読みたい、もっと深掘りした話を知りたい

note「Life Transition Magazine」内のマガジン【一問一燈】にて、後半のフリートークパートをさらに深堀りした記事を展開しています。音声配信ではよく分からなかったところも、文字で読むと気づきに繋がるかもしれません。

https://note.com/litra/m/m0c472b5aa916

 

 

# お問い合わせ

個別でのご相談や、ミッドライフクライシスの危機を転機に変える対話型プログラムのお問い合わせやご希望も、下記Google Formよりご連絡ください。
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サマリー

自燈庵では、中年の危機に直面する大人たちが「あなたは何者ですか?」という問いに向き合います。陽平さんは自由を「自分勝手」と捉えていましたが、対話を通じて、江戸時代の身分制度が個人の選択を許さず、自由が「自分勝手」とされた歴史が明らかになります。現代では選択の自由があるものの、役割による「~らしさ」が不自由さを生むパラドックスが指摘されます。亮介のフリートークでは、「自由」という言葉が古代中国のポジティブな意味から、日本の歴史の中でネガティブな意味合いを持つようになり、福沢諭吉によって西洋の「自由」が導入された経緯が語られます。最終的に、ミッドライフクライシスは社会適応によって築かれたアイデンティティのほころびであり、自分自身に即したアイデンティティへの転換が重要であると締めくくられます。

導入:中年の危機と「あなたは何者ですか?」
皆さんご機嫌よう。自燈庵主宰の亮介です。
この世界に生まれ落ちた私たちは、生きていくために一生懸命にこの世界に適応してきました。
学び、努力し、経験し、自分の居場所を作ってきました。
家庭、職場、コミュニティ。その中で期待に応え、当たり前のように役割を果たしている皆さん。
内心では違和感を抱えてはいないでしょうか?
ある調査によると、40代と50代の働く大人の2人に1人は、人生の充実感の低下を感じているのだそうです。
これを中年の危機、ミッドライフクライシスと呼びます。
自燈庵は、ミッドライフクライシスに直面する大人たちが、危機を転機に変え、自らを拠り所として生きるための問い、【一問一燈】に向き合い、気づきの明かりを灯す場所です。
前回の放送では、フリーダムやリバティの訳語として、自由という言葉を定着させた、前の一万円札の顔、福沢諭吉が言った、自由とは決してわがままという意味ではなく、他者の邪魔をせず、自分の力で存分に活動して、幸福を追求するという言葉を紹介しました。
自由を自分勝手と捉えているお客さんの陽介さんに、今日はどんな気づきが訪れるのでしょうか?
今日もまた、児童暗視祭の亮介とお客さんの洋平さんの対話から始まります。
今日の【一問一燈】は、「あなたは何者ですか?」です。
対話:自由と役割のパラドックス
江戸時代では、自由は自分勝手って意味だったんですね。
だとしたら、僕は未だに江戸時代の価値観で生きているのかもしれないです。
自由は自分勝手ができることだと解釈しているから。
それは洋平さんだけではないと思います。
あの人は自由だねって誰かが言うとき、そこには、あの人は勝手だからっていうニュアンスがありますよね。
役割を果たすということと自由であることが対立しているのが、日本における自由の捉え方なんだと思います。
洋平さんがお通しのナッツをつまみ、ウルケルを一口飲んだ。
なんで自由は自分勝手って意味になったんですかね。
洋平さんは、知能交渉って言葉を歴史の授業で習えませんでしたか?
武士、農民、職人、商人のことですよね。
江戸時代の身分制度、武士の子供は武士、農民の子供は農民って、生まれによって自分が何者かが決まっていたんですよね。
そうなんです。だから自由は自分勝手だったんです。
そっか。自分で自分が何者かを決められなかったのか。
武士の子供が自分は地に触れて生きていくなんて言えないもんな。
自由という言葉は、自らによると書きますよね。
自分がどうなりたいとか、どうありたいとかを、自らによって決めることは許されなかったのが江戸時代だったんです。
今はさすがにそこまでではないですね。好きな仕事に就くことができるし。
その通りです。表面的には。
表面的と言いますと?
はい。学生時代に経済学部だったんで、大学で学んだことを活かしたいと思って、経理や会計の道に進みました。
奥様とは恋愛結婚ですか?
ええ、そうですよ。学生時代からの付き合いです。
洋平さんの今の立場や肩書き、役割は、洋平さんの選択の結果ですよね。
自由の行使の結果として、立場や肩書き、役割がある。
けれど、なぜか自由の結果の立場や肩書き、役割に不自由さを感じている。
あれ?本当だ。江戸時代と違って自分で選んできたのに、自由な選択なのに、不自由を感じている。
なんでだろう?
そうなんです。現在は選択の自由があることで、表面的には自由です。
職業選択、結婚の是非、配偶者の選択は自由です。
最近では同性婚も認められてきました。
けれど、いまだに江戸時代のような考えも根深く残っています。
自由は自分勝手であるっていう考えが。
どうして選択の自由は拡大したのに、いまだに昔ながらの考えが残っているんでしょうか。
洋平さんは、奥さんに父親なんだからって言われると、不自由さを感じると言っていましたよね。
はい、その通りです。
役割で行動が縛られるのが不自由だと思うんです。
洋平さんが両手をグラスに添えた。
見るともなしに、グラスのヘリについた泡の跡を眺めている。
自由な選択の結果が不自由を感じさせているパラドックス。
あ、そうか。
役割は選べても、役割が一旦決まると縛られるんだ。
父親なら父親らしく。
親なら親らしく。
それは、武士なら武士らしくと同じことだ。
フリートーク導入:自由の現代的解釈
港町の赤町町街を抜け、川沿いに立つ2階建ての長屋のお室にある問いどころ児童は、
ミッドライフクライシス、中年の危機という人生の暗礁を乗り越え、
自分を拠り所として人生の後半戦に向かう大人たちの対話の模様をお伝えしました。
今日の【一問一燈】は、「あなたは何者ですか?」です。
ここからは、児童案主宰の亮介のフリートークで深掘りをしていきたいと思います。
今日の児童案での対話はですね、
洋平さんの自由とは自分勝手であるという解釈から始まりました。
皆さんはどうでしょうか。
自分勝手という意味で自由という言葉を自分で使ったり、
あるいは使われたりしたことはないでしょうか。
例えば、いつまでも就職しないで自由だねとか、
いつまでも結婚しないで自由だねなんというふうに使われることがあったかもしれません。
その年齢なら当然になっていると思われている役割や立場についていないことへの揶揄や
軽い批判といった意味で自由という言葉が当てられます。
「自由」の語源と歴史的変遷
この自由という言葉、この語源について少し遡って見ていきたいと思います。
もともと自由という文字のルーツは古代中国です。
自由という字はですね、自らによると書きますが、他人の目を気にせず自分の本性のままに生きる。
イメージしてみるとですね、穴と雪の女王、穴雪のですね、ありのままにっていうそんなイメージですね。
これは老僧子僧、老子・僧子が提唱した無為自然という言葉の意味に近いニュアンスで自由という言葉が使われています。
その中国に仏教が伝わりました。
仏教においては煩悩や執着という精神的な束縛から解放された状態、これを求めに行くわけですが、
この状態に対して中国で自由という漢字が当てられたんですね。
そして中国を経由して日本に仏教が伝わってきた時に、この自由という言葉も一緒に伝わってきたようです。
というわけで、自由という言葉はですね、古来の中国、そして日本においてはとてもポジティブな意味として使われていました。
ところが平安時代、鎌倉時代、室町時代において、この自由という言葉が世俗世界、一般の社会ではですね、非常にネガティブな意味合いとして使われるようになります。
その例としてこんな言葉があります。
自由浪責。
これはですね、法や権力者の命令を無視して、勝手気ままに暴れ回り、無法な振る舞いをすることを指す言葉だそうです。
とても重い罪が課されたそうです。
あるいは自由の振る舞い。
これは、上役の許可を得ずに勝手な行動をとることを指す言葉。
さらにはですね、自由をいたすという言葉があったそうで、自分の欲望のままに他人の所有物を奪ったり、ルールを破ったりすることを指すそうです。
自由をいたしそうろうなんて言葉が出てくるとですね、まあその人は自分勝手に、欲望のままにいろんなことをした、そんなイメージが浮かんでくるのがこの自由をいたすという言葉だそうです。
さらに時代は下って江戸時代。
江戸時代になると、私能交渉という身分制度が確立します。
これにより、自分の生まれ出自で自分の社会的な立場役割職業が決まる社会になります。
武士の子は武士、農民の子は農民。
そんな社会においては、元からの自由の意味である自分によるという言葉は非常に社会に不適合な言葉として理解され、自由イコール自分勝手という意味が定着してきたわけですね。
福沢諭吉と西洋の「自由」
そして幕末から明治にかけて大きな変化が訪れます。
西洋の思想、これが日本に導入されるようになりました。
その中でフリーダムやリバティという言葉に対してどういう言葉、日本語を当てようか、訳語を当てようかということが問題になります。
このフリーダムやリバティというのは、出自によらず自分の幸福を追求することができるという考え方です。
これは今までの日本の社会においてはなかった新しい考え方なわけです。
このフリーダムやリバティの訳語として当初自主や任意といった言葉が当てられたこともあったそうですが、やがて自由という言葉が広まっていきます。
この広めるのに貢献したのが福沢諭吉です。
福沢諭吉の有名な本である学問の勧めの中には、自由とわがままとの境は他人の妨げをなすやなさざるやの間にありという言葉があるそうです。
つまりなぜ福沢諭吉がこういったことを述べたかというと、当時の日本において自由というのはわがままというふうに理解されていた。
でも新しく西洋から導入したフリーダムやリバティという考え方はただのわがままではない。
わがままではなく他人の妨げをせずに自分自身の幸福を追求する権利としての自由という言葉が当てられていた。
こうした違いがあったので、こうした福沢諭吉らによる啓蒙活動がありました。
現代日本の「表面的な自由」
そして現代の日本です。
現代の日本では江戸時代などから見られる旧来の自分勝手という意味での自由と、福沢諭吉が提唱した他人の妨げにならないように自分の幸せを追求するという意味での自由、この2つの自由が使われています。
それが表面的な自由につながっています。
表面的な自由とは何かというと、私たちは選択の自由を持っています。
職業選択の自由、婚姻の自由、そうした選ぶことに関しては私たちは福沢諭吉が唱えたような自由が保障されています。
ところが一旦その役割が決まると、その役割による何々らしさという社会的批判が当てはめられるわけです。
この何々らしさというのが江戸時代に遡ってもめられる自分勝手というところとつながってくるわけです。
アイデンティティとミッドライフクライシス
さて、今日最後にお伝えしたいのはアイデンティティということです。
私たちが何者であるか、私は何者であるかということを決めているのがアイデンティティです。
皆さんは自分が何者であるかと聞かれたときどう答えるでしょう。
おそらく多くの方は自分の社会的な役割、立場により自分のアイデンティティを定義されることかと思います。
例えば、私はどこそこの会社の課長です。これもアイデンティティです。
私は何々さんの夫です、妻です、あるいは父親です、母親です。
そういった社会的役割で自分自身を定義する、そういったアイデンティティのあり方があります。
前回の放送で私は存在の自由、フリーダムインビーイングを定義しました。
天皇陛下が天皇という社会的な立場の中で自身のあり方を模索された様子を取り上げました。
この【一問一燈】はミッドライフクライシス、中年の危機をテーマにしているのですが、
なぜ人がミッドライフクライシスに陥り、どのようにミッドライフクライシスを乗り越えるか、その鍵となるのが僕はアイデンティティにあると思っています。
ミッドライフクライシスに至るのは、社会適応の結果として作り上げたアイデンティティにほころびが出るからです。
社会適応の結果として作り上げた今のアイデンティティを解体し、自分自身に即したものに転換する。
この作業がミッドライフクライシスを乗り越えるために必要になってきます。
社会適応の結果として作り上げた今のアイデンティティ、それは社会的な役割、立場で定義されたアイデンティのことです。
ぜひ皆さんも自分自身が何者であるかをノートに書き出してみてください。
もし社会的な役割ばかりが並んだとき、あなたはミッドライフクライシスの予備軍か、もしくはもうすでに過虫にあるのかもしれません。
エンディング
今日も最後までご視聴いただきありがとうございました。
今日の【一問一燈】、後半の考察パートはノートでさらに深掘りしています。
音声ではなく文字でじっくり読みたいという方におすすめです。
番組への質問や今回の【一問一燈】に感じたことや気づきは、番組概要欄に記載されているお問い合わせフォームのリンクからご覧いただけます。
また、個別でのご相談やミッドライフクライシスの危機を転機に変える対話型プログラムのお問い合わせやご希望も同じくお問い合わせフォームにて受け付けております。
皆さんの人生を駆動する気づきがありますように。
それではまた次回まで。バイバイ。
18:39

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