2. 初めて「自由」を感じた出来事はなんですか?|自由編 #02 ~ 自由の原体験
2026-07-04 17:21

2. 初めて「自由」を感じた出来事はなんですか?|自由編 #02 ~ 自由の原体験

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初めて「自由」を感じた出来事はなんですか?

ぼくは補助輪付きの自転車ではうまく進めなかった砂利道を、補助輪なしのマウンテンバイクですいすいと進めたときに、初めて自由を感じました。

みなさんの初めての自由の記憶を教えてください。それはあなたにとっての自由を考える、最初の一歩になるかもしれません。

 

# 番組概要

40代、50代の半数が経験すると言われているミッドライフクライシス(中年の危機)。

「自分の人生はこれでよかったのだろうか」という揺らぎ、「何者にもなれずに終わるかもしれない」という焦り、「自分のピークは過ぎた」という閉塞感。

中年期は人生の幸福度が下がり、無気力を感じる第2の思春期とも言われています。

 

【一問一燈】は、人生の危機を転機に変えるための「問い」の物語です。


港町の赤提灯街の奥深く、川沿いにある2階建ての長屋の一室「問処 自燈庵」では、ミッドライフクライシス(中年の危機)に向き合う大人たちが、【一問一燈】を通して、まだ知らない自分を照らそうとしています。

 

・番組前半は「自燈庵」での対話の模様を、後半からは主宰亮介のフリートークをお届けしています。

・毎週土曜日の朝7時に新しいエピソードを配信しています。週末のリラックスした空気でお楽しみください。

 

与えられた「正解」をなぞってきた人生の前半戦から、自分を拠り所として生きる人生の後半戦を迎える大人たちに、まだ知らない自分を照らす「問い」をお届けいたします。

 

# MC

加藤 亮介 / Life Transition Company LITRA LLC. 代表

【哲学するエンジニア】

東北大学大学院卒業後、エンジニアリング会社に就職し海外のエネルギープラント建設プロジェクトに従事。こどもの誕生をきっかけに価値観の変化が起こり、コンサルティング会社に転職し挫折を経験。1年間の療養期間を経て、地域おこし協力隊として新規就農に挑戦するなかで、Web関連事業に出会い起業するも、3年間で資金が底を尽き撤退。

それまで積み上げてきたものが無残に剥がれ落ちていくほどに、明らかになる自分。

人生の危機は、まだ知らない自分を明らめる転機になりました。

「自分を拠り所として生きる」をミッションに、ミッドライフクライシスに直面する大人たちの変容を実現します。



# リンク

◎ リスナーのみなさんが感じたことや気づき、新たな問いや【一問一燈】への自分のこたえ

Threads【一問一燈】アカウントでみなさんの声をシェアしてみてください。

みなさんの声は、だれかが自分を知る道しるべの光となります。
https://www.threads.com/@ichimon_ittou


◎ お話の内容をゆっくり読みたい、もっと深掘りした話を知りたい

note「Life Transition Magazine」内のマガジン【一問一燈】にて、音声配信を文字起こしした記事を連載しています。後半のフリートークパートは、記事ならではの深掘りも展開。音声配信ではよく分からなかったところも、文字で読むと気づきに繋がると思います。

https://note.com/litra/m/m0c472b5aa916

 

 

# お問い合わせ

個別でのご相談や、ミッドライフクライシスの危機を転機に変える対話型プログラムのお問い合わせやご希望は、下記メールアドレスにご連絡ください。
contact@litra-com.jp
 

感想

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サマリー

このエピソードでは、「あなたは子供の時に自由を感じましたか?」という問いから、中年の危機に直面する大人たちの「自由」と「不自由」の認識について深掘りします。洋平さんは大人になって感じる「役割」による重たさから、子供時代の方が自由だったと感じる一方、具体的な自由の記憶は思い出せません。主宰の亮介は、補助輪なしの自転車で砂利道を走れた時の体験を語り、自由は「制約」を乗り越えることで初めて感じられるものであり、「不自由」が「自由」に先立つという洞察を提示します。また、人は自分が不自由であることすら認知していない場合があるとし、新しい経験を通じて自身の認知の壁を打ち破ることが、ミッドライフクライシスを乗り越え、新たな自由を発見する鍵となると語ります。自身の「自分らしさの檻」が自由を阻害している可能性についても言及しました。

自燈庵の紹介と「子供の時の自由」への問い
皆さんご機嫌よう。自燈庵主宰の亮介です。 この世界に生まれ落ちた私たちは、生きていくために一生懸命にこの世界に適応してきました。
学び、努力し、経験し、自分の居場所を作ってきました。 家庭、職場、コミュニティ、その中で期待に応え、当たり前のように役割を果たしている皆さん。
内心では違和感を抱えてはいないでしょうか?
ある調査によると、40代と50代の働く大人の2人に1人は人生の充実感の低下を感じているのだそうです。
これを中年の危機、ミッドライフクライシスと呼びます。 自燈庵はミッドライフクライシスに直面する大人たちが
危機を転機に変え、自らを拠り所として生きるための問い、【一問一燈】に向き合い、気づきの明かりを灯す場所です。
前回の放送では、食品会社の課長を務める洋平さんが自燈庵に顔を出し、「あなたは自由ですか?」という【一問一燈】と向き合う中で、
自分が自由を感じる時はどんな時だろうかと思い浮かべ、子供の頃の方が自由だったのではないかと思い当たりました。
今日もまた自燈庵主宰の亮介とお客さんの洋平さんの対話から始まります。 今日の【一問一燈】、それはあなたは子供の時に自由を感じましたか?というものです。
残業の後、夜中にビッグマックを食べれることに洋平さんは自由を感じるけれど、子供の時の方が自由だったっていうふうに思うんですね。
なんでそう感じるんでしょうね。 大人の方ができることは増えているはずなのに、
なんで子供の頃の方が自由だと思うんだろう。 問いが新たな問いを生む。
洋平さんの「自由」と「不自由」の感覚
対話の面白さはこの問いが問いを生む力の強さにある。 自燈庵主宰である僕の役割はお客の問いに応えることではない。
僕の役割は鏡となることだ。 お客の問いを映し出す鏡だ。お客は鏡に映った自分の問いを見て自分自身と対話をする。
大人である洋平さんは夜中にビッグマックを食べることに自由を感じているんですよね。
じゃあ子供の頃の洋平さんは何に自由を感じていたんですか?
俺は何に自由を感じてたんだろう。 洋平さんが腕を組んで宙を見上げている。
記憶という自分だけの宇宙を旅している。
子供時代に自由を感じていた記憶ってないなぁ。
あ、面白いですね。 子供時代の自由の記憶は思い出せないけど、子供の頃の方が今より自由だったって感じるなんて。
ね、なんででしょうね。なんでそう感じるんだろう。 洋平さんがバドワイザーの瓶を取って一口飲み込んだ。
瓶についた水滴で洋平さんの手が濡れた。 おしぼりで手を拭く。
瓶を拭いて洋平さんはもう一口飲み込んだ。 もしかしたらなんですが、
僕は子供時代に自由を感じていたわけじゃなくて、 大人になって不自由を感じているから子供時代が自由に思えたんじゃないかなぁ。
うん、なるほどなるほど。 大人の洋平さんは真夜中にビッグマックを食べれる自由はあるけど、子供の時よりも大人の方が不自由だっていうふうに感じるんですね。
うん。 僕が残業明けにビッグマックを食べれるのは自由なんですよ、間違いなく。
けれど、自由って夜中にビッグマックを食べれることだけじゃないんですよ。
なんていうのかなぁ。 好きなことをできるっていうのは自由の一つです。
でも自由ってそれだけじゃないっていうか。 洋平さんは大人になってどんなことに不自由を感じるんですか。
「重たさ」としての不自由と役割の制約
人の記憶にはある特徴がある。 それは良いことよりも悪いことの方が記憶に残るという特徴だ。
成功体験よりも失敗体験の方を覚えている。 嬉しかったことは忘れても嫌だったことは忘れない。
これは生物として生き残るための初期設定、デフォルトなのだ。 だから自由を考えるよりも不自由を考えるの方が簡単なんだと思う。
さっき洋平さんはバドワイザーを飲んだ時に飲み心地の軽さに自由を感じるって言ったじゃないですか。
自由って軽さがあると思うんですよね。 なんか重たい自由ってあんま想像できないですもんね。
じゃあ重たさって洋平さんにとっての不自由さの感覚かもしれませんね。 洋平さんはどんな時に重たいなって感じるんですか。
そうだなぁ。
うちの娘の今日の子供会。 最近は父親も出ることが多いらしいんですよ。
カミさんからあなたも父親なんだから参加してよって言われたんです。
なんかね、それ重かったんですよ。 今日の子供会が重かったんですね。 めんどくさいって感じですか。
めんどくさいってのはなくはないんだけど、なんだろうなぁ。 父親だからっていうのが重かったのかなぁ。
うちのカミさんはそういうとこなんですよ。 付き合ってる時も彼氏なんだから一人で遊んでないでとか、結婚してからも旦那なんだからとか、親なんだからとか。
なるほどなるほど。 洋平さんは役割で理由付けされると重たさを感じるのかもしれませんね。
港町の赤ちょうちん街を抜け川沿いに立つ2階建ての長屋のお室にある『問処 自燈庵』。
ミッドライフクライシス、中年の危機という人生の暗礁を乗り越え、自分を拠り所として人生の後半戦に向かう大人たちの対話の模様をお伝えしました。
今日の【一問一燈】はあなたは子供の時に自由を感じましたか?でした。
亮介の「初めての自由」体験と行動範囲の拡大
ここからは自燈庵主宰の亮介のフリートークで深掘りをしていきたいと思います。
これをお聞きの皆さんは子供の時に自由を感じたっていう記憶があるでしょうか。
この対話のお客さんの洋平さんは自分は子供の時にあんま自由を感じなかったななんて話をしてましたが。
僕はですね、考えたらありました。
どんな時かっていうと、初めて補助輪なしの自転車を乗れた時なんですね。
しかもそれは自転車を乗れたその瞬間じゃなくてですね、僕が住んでた家の近くの川沿いの砂利道を走れた時ですね。
その補助輪なしの自転車で。
その時に初めて、自由だっていうのを感じた初めての瞬間だったように覚えてます。
で、なんで僕はその時に自由を感じられたのかということを考えていきたいと思うんですが。
自由を感じた瞬間って他にもあって、例えば車の免許を取れた時ですね。
車の免許が取れて、車で自分の好きな時に好きなとこに行ける。
この時も自由を感じました。
こうやって行動の範囲、拡大してる時に人は自由を感じられると思うんです。
「制約」が「自由」を生むメカニズム
そうして見て考えてくると、この自由を感じるには条件ってのがあるんだろうなっていうふうに思うんですね。
条件って何かっていうと制約です。
自由に行動できない制約。
これがある時に人は自由を感じることができる。
逆に言うと、制約がないと人は自由を感じられないんじゃないのかなと思うんです。
僕が子供の時に住んでた家っていうのはですね、社宅でした。
僕の父親は福祉施設の職員で、その施設の裏側にですね、社宅が建っててそこに住んでたんですね。
その福祉施設っていうのは国道沿いにあったんですよ。
海に面した、太平洋に面した国道で、とても気持ちのいい道です。
その国道沿いに福祉施設が建ってて、国道のところからですね、福祉施設の裏側に建ってる車宅に行くには、
先ほど言った砂利道を通らないといけなかったんですね。
補助輪付きの自転車ってこの砂利道走れないんですよ。ガタガタしてるので。
でも補助輪が取れた、自転車も新しく買ってもらったんですね。
タイヤの太いマウンテンバイクでした。
なのでこの砂利道が余裕になったんですね。
なので、この砂利道っていう制約があったから補助輪なしの自転車に乗れた時に自由を僕は感じられた。
今まで気軽に行けなかったところに行けるようになった。
それがこの自由を感じ始めたきっかけだったのかなと思います。
もしですね、うちの周りがアスファルトだらけでその砂利道もなかったら、
僕は多分ですね、補助輪なしのマウンテンバイクに乗れた時に自由を感じられなかったんだと思うんですよ。
これ何を言いたいかというと、自由が先にあるわけではなくて不自由が先にある。
不自由は自由に先立つということが言えるんじゃないのかなと思うんです。
認知されない「不自由」と認知の固さ
さらに考えてみたいことがありまして、
じゃあ補助輪付きの自転車しか乗れなかった僕は不自由を感じていたのかということ。
僕は補助輪なしのマウンテンバイクに乗れるようになって、
砂利道も走れるようになって自由を感じたわけなんですけど、
この補助輪付きの自転車しか乗れなかった僕はじゃあ不自由だったのかと。
不自由だったのかもしれないなっていう推論は成り立つんですけど、
それを後付けの考えで、
当時の補助輪付き自転車しか乗れなかった僕は
特段不自由だとは感じていなかったんですね。
つまり僕は不自由を認知していなかったということが言えるんです。
これはなんでかっていうと、
このガタガタの砂利道、僕の行動範囲にしてなかったからです。
行ってもどうせガタガタで進めないなってのが分かってるから、
自分の家の周りのアスファルトで舗装された家の周りを走るので十分満足していたんですね。
もし周りの年上の子が僕だけを置いて補助輪なしの自転車で
砂利道の先に進んでいるような経験してたら、
僕は補助輪付きの自転車に乗っている時の僕は、
この砂利道を制約として補助輪付き自転車を不自由なものとして認識していたのかもしれませんが、
そういうことがなかったので、みんな優しいお姉さんたちだったんですけど、
みんな優しい人たちだったので、なんか僕が置いてきぼりになるってことはなかった。
そのアスファルトの囲まれたところだけで一緒に遊んでくれたので、
僕はそこで満足していて不自由を認識していなかったんですね。
なのでですね、自分が自由であるかどうかは分からないってさっき言ったじゃないですか。
制約があって初めて人は自由を感じられる。
さらに自分が不自由であるかどうかも自分は分からないかもしれないことが言えるんじゃないのかなと思う。
皆さんにあなたは今自由ですかって言われたとしても、なかなかピンとこない人が多いと思うんですね。
不自由かどうか。不自由かどうかについては感じられるかもしれない。
でもその感じられる不自由っていうのはあくまで自分の認知の上での不自由であって、
実はあなたがまだ知らない不自由が今存在しているのかもしれないんです。
それが補助輪付き自転車で砂利道を不自由だと思ってなかった僕の話ですね。
前回の放送で僕は人の認知は年を重ねることで固くなるという話をしました。
脳みそっていうのは大飯喰らいなんですね。
なのでエネルギーを節約するために新しいことに挑戦しないようになるわけです。
作られた認知の枠組みの中だけで情報を処理するようになる。
そしてそれが息づらさを生むことがあり、ミッドライフ・クライシス中年の危機というのは、
その認知の固さが原因になっているということをお伝えしました。
新しい経験が拓く自由と「自分らしさの檻」
子供の僕は補助輪なしの自転車に乗れるようになることで自由を発見したわけなんです。
補助輪なしの自転車に乗れるようになるって結構大変なことじゃないですか。
補助輪なしの自転車に乗れるって子供にとっての通過儀礼の一つのようなもので、
何回も転んでものすごくエネルギーのかかることです。
車の運転も同じですよね。免許の取るのが大変なことです。
でもそういった新しい経験、これをすることで初めて気づくことがあるんです。
新しい経験をすることで、経験する前の自分の不自由さを知る。
経験することで初めて今までは思ってもいなかったような自由に出会えることがある。
ここに僕はミッドライフクライシスを突破するヒントがあると思っています。
前回の放送でもお話ししたMr. Childrenの『名もなき詩』に出てくる自分らしさの檻。
実は自分の自由を阻害するのが自分自身の認知の壁、自分らしさの檻なのかもしれません。
エンディングと情報提供
今日も最後までご視聴いただきありがとうございました。
今日の【一問一燈】の内容の書き下ろしはnoteで配信しています。
noteでは後半の考察パートをさらに深掘りしています。
自分のペースでじっくり読みたいという方にはおすすめです。
SNSのスレッドにも【一問一燈】アカウントがあります。
今回の【一問一燈】に感じたこと、気づき、新たな問い、自分の答えをコメントで投稿してみてください。
番組概要欄に記載のリンクからご覧いただけます。
また個別でのご相談やミッドライフクライシスの危機を転機に変える対話型プログラムのお問い合わせやご希望は
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今日の放送が皆さんの人生を駆動する気づきとなりますように。
それではまた次回まで。バイバイ。
17:21

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