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スピーカー 1
ということで、こちらの本編では何をやるのかというところですけど、
僕らカタラジオではですね、いつもテーマを向き合いながら、
何かしらの概念を獲得していこうということでですね、
概念獲得リアリティ番組ということを標榜しているわけですけれども。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
カタラジオってどんな番組だったんですか、山上さん。
スピーカー 2
もともとはね、我々ミントと山上が、中高の同齢生の二人が、
まあ偶然ね、ひょんなことから、高校の先輩降臨みたいなやつの後に、
スタバでこう喋って、
その喋ってる内容をラジオにしたら面白いんじゃないっていう話から、
ラジオ番組を始めた。それがカタラジオだよね。
スピーカー 1
なるほど。
もうなんか、かれこれ3年目?
スピーカー 2
そうだね。
3年もうすぐ、山原さん3年目だよね。
スピーカー 1
いやーそうだよね。
いやー随分経ちましたね。
スピーカー 2
いや、経ったけど早いもんだね。
スピーカー 1
早いもんですね。
はい。
たぶんね、過去見ていただくとシリーズごとにテーマがあって、
そこで本を読んでたりするんですけど、
一応確認しとくとね、
僕ら別に本紹介したいからやってるっていうプログラムじゃないですよね。
スピーカー 2
そうそうそう。あくまで特集として組んだ中でたまたま本を読んでたっていう、
そういうスタンスで。
スピーカー 1
そうなんですよね。
うん。
だからまあなんというか、
テーマに対して本を一冊選ぶんだけど、
本を見ながら、
ああでもねえなあ、こうでもねえなあと、
僕たちが考えている様子を、
なんだ、恥ずかしげもなく紹介するっていうリアリティ番組ですよね。
スピーカー 2
そう、まさにリアリティ番組です。
はい。
でも、もともとこのリアリティ番組の前に銘打ってたのが、
実験型ラジオ番組っていうふうに我々銘打ってまして、
実験型ラジオ番組っていう名前は、
スピーカー 1
今名乗ってはないけどスタンスとしては変わってなくてですね。
はいはいはい。
当初のセッティングは実験型ラジオ番組ですかね。
スピーカー 2
そうです。
ラジオで遊ぼうぜっていう、
そういうスタンスで我々やっておりますので、
本を読むのもそうですけど、
ラジオを通していろんなことができたらいいなって、
そういう気持ちでやってる番組が、
僕のマインドなんじゃないかなと。
スピーカー 1
確かに。
なんかね、この辺りも久々なんでね、
どこかで時間を割いて撮ってもいいのかもしれないですね。
スピーカー 2
そうだね。
こういったことは多分ショーツというか、
ショーツっていう主力があるんですけど、
多分ポッドキャストの方で主に喋っていくことになるのかな。
スピーカー 1
そうだね。
そんな形でやっていければと思いますというところなので、
今回は久しぶりの再開なので、
サクッと特集の方に入っていければと思います。
スピーカー 2
お願いします。
僕たちは自由なのか?
決まりましたね。
久々だね、このタイトルコールでバスッといい感じね。
スピーカー 1
タイトルコールね、入りましたけれども、
ここからは特集でございますということで、
今回のテーマはですね、
久々の本当に新シリーズになりますけれども、
特集タイトル、僕たちは自由なのか?ということで、
大きく出たなという感じですね。
スピーカー 2
どういうことって感じだよね。
スピーカー 1
自由なのか?自由でしょって言いたくなるよね。
スピーカー 2
僕たちは自由なんですか?どうなんですか?
分かりやすく不自由なことはありつつも、
基本的には自由っていうのが俺の立場かなみたいな。
スピーカー 1
なるほどね、自由だと。
スピーカー 2
自由を辞任してる人間です、山上は。
スピーカー 1
ありがとうございます。
ちょっと振り返ると、
なんで自由っていうことをテーマにしようとしたんだっけっていう、
ちょっと思い出しからできればなと思うんですけど、
どんなきっかけがありましたっけね。
この自由をテーマにするに至ったきっかけといいますか。
スピーカー 2
あれですよね。
ちょっとこのカタララジオをお休みしてるときに、
ちょっとまた別のね、裏番組みたいなのを我々やってたんですけど、
それの結構最後のほうの、ほぼ最終回の収録で、
ミントさんが、自由落下ってあるじゃない。
自由落下って高校物理とかである。
上からポーンって話したらどんどん加速してきますよって。
あれって自由って名前ついてるのに、
二次関数の公式に従うのめっちゃ不自由じゃないっていう話から、
自由落下なのに不自由なの面白いなって話しで、
じゃあ自由って何なんだってそういうきっかけで、
このテーマを選ぶことになったんじゃなかったっけ。
スピーカー 1
そうでしたね、確かに。
これなんか僕がずっと前から思ってることでみたいな話をね、
山上くんに紹介するところから、
なんか自由いいじゃんみたいな話になったんだよね、そういえばね。
そうそうそう。
自由落下ってそれこそフリーフォールって英語では言いますかね。
だから自由落下って完全に法物性みたいなのに従ってるはずなのに、
全然自由じゃないじゃんみたいな。
ところの中になんか自由のヒントあるくないみたいな。
そんな話でちょっと一回盛り上がったっていうのが。
スピーカー 2
そうだね、そうだね。
一個決めたら全部決まるのが果たして自由なのかって話なんだよね。
スピーカー 1
うん、そうそうそう、確かに。
そんな議論がありましたよね。
はいはいはい。
ということで、ちょっとね自由って言っても、
結構自由って言葉が指してることって広いじゃないですか。
スピーカー 2
まあ確かに。
それこそちょっと前の特集のテクノリバタリアンでも自由主義みたいなことを
すごく政治的な観点から扱ったりしましたもんね。
スピーカー 1
そうですよね、確かに。
しかも政治だけじゃなくて経済の文脈でも自由っての出てくるし。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
で当然今みたいな自由落下みたいな物理とか、
サイエンスの文脈でも出てくるだろうし、
はたまたもっと広範囲を対象にする自由みたいなものもあったりして、
そもそも自由のことについて議論するの難くないみたいな、
そんなところからですね、ぜひぜひ今回はどう自由語ったらいいんだっけ、
みたいなところの梯子をかけられるといいのかなというのがですね、
今回の特集の背景にはあるというところでございます。
スピーカー 2
この特集が終わる頃には自由とは何かっていう概念を我々と
リスナーの皆さんが獲得しているはずの。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
そんな収録会ですね。
スピーカー 1
ということで今回はですね、この自由ありえんのかということを
テーマに話していく上でですね、お共に読みたいのが、
今お手元にありますか、こちらの本ですね。
スピーカー 2
ありますよ。
スピーカー 1
そうしないことはありえたかということで、
これはですね高崎翔平さんという方の書いた、そうしないことはありえたかと。
副題と言いますとサブタイトルは自由論入門ということで、
まさにね今の僕らの状況にうってつけなんじゃないかみたいなタイトルがついてますけど、
ちょっとこれね、帯にも本の概要書いてあるんでさらっと触れましょうかね。
自由の哲学の最前線というキャッチコピーがドーンとついてましてですね、
ここにあるのが私たちは果たして自由であるのか、大きく出ました。
スピーカー 2
大きく出てるね。
スピーカー 1
この問いっていうのがここにも書いてあるとおりですけどね、
長年哲学者たちの悩みの種だったと。
この2000年とか何千年代なり今この自由なのかということは、
実はいろんなところで議論のテーマになってきたんですよと。
かつ今もなおその論争は続いてるんだ。
結論出てないんじゃないのっていうことを言ってるわけですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
ここに対していろんな論点があるけれども、
今回はこの本を通じて自由を考えるためのキーワード、
あるいはその考え方みたいなものを丁寧に紐解いていく入門書にして決定版ですよと、
そんな紹介がオビナー社ウェブサイトに記載されているということでございます。
スピーカー 2
どうですか、まずはこの本手に取ってみて。
いやー、なんで哲学者たちが自由を、私たちが果たして自由なのか、
悩みの種になるかっていうところがまず疑問じゃない?
自由かどうかっていうところを知る必要があるのか。
例えば我々はたまたまラジオをやってて、話してるうちに自由落下に関して疑問を持って、
自由とは何かっていうふうに疑問を持つに至ったけど、
哲学者がなんで自由であるのかに関して考える必要があるのかっていうところがまず疑問だと。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
そう、そもそも自由の哲学の最前線って書いてあるけど、
その自由の哲学って何っていうところも疑問だし、
いつも通りこの本の表紙見ただけじゃ、何?何?何?っていう疑問がどんどん募るような表紙になってますよね。
スピーカー 1
なるほどね。哲学者たちがどういう動機を持ってここに入ってきたのかみたいなところも確かに気になるポイントだと。
なるほどね。
ちなみにこの本ちょっと概要だけ説明しておくと、
まず2022年の本で制度者から出て、そうしないことはあり得たかということで、
このタイトルがまず意味深だよね。自由論って言いながらね。
そうしないことはあり得たか。あり得たですかね、山上さん。
スピーカー 2
山 いや、そうしないことはあり得てほしかったことはあるが、みたいな。
ただ、このタイトルから自由論はあまり結びつかないなっていうのが印象じゃない?
スピーカー 1
まあ確かにね、自由論っていうところでそうしないことはあり得たのかどう結びつくのかっていうのも確かに初見だとわからないところもありますよね。
なんかどっちかというとパラレルワールドみたいな、そういうのを想起するようなタイトルじゃない?
山 確かに確かに。なんかSFの設定とかでありますよね。
なんか別の世界に、やらなかったバージョンの世界みたいなのが出てくるみたいな。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
山 なんかその世界観をちょっとイメージさせるようなタイトルでもあります。
スピーカー 2
タイムリープ系のね。
スピーカー 1
山 ああ、確かにね。ありますね。
ということで、今回この本を読んでいくわけですけれども、
これねカタジオリストの方はおなじみかと思いますけれども、
今回どこ読むのということですかね。今回初回ということで、
カタジオではですね、最初のこのテーマ、初回にははじめにだけを読んで、ちょっと気分を盛り上げていこうぜということで、
今回はですね、この本の冒頭部分を開いていきますと、この本はね、はじめにじゃなくて序章というのがあるので、
まず序章を読んでいこうかなと思います。
スピーカー 2
いつも通りですね。
スピーカー 1
はい、いつも通りでございます。ではでは早速本編読み進めていきましょう。
まず序章の概要ということで、今回ね、なんて言いますか、全体の見取り図じゃないけど、
どんなこと書いてあるのっていうのがババババッと僕の方でさまっちゃった上で、なんかここ喋ってみたいな、
みたいなところをですね、それぞれから出していくみたいなスタイルでできるといいのかなというところでございます。
はい、まずタイトルですね。序章、なぜ自由を哲学するのかということですけど、
もうでかいですね、一個一個の問いがね。
スピーカー 2
いや本当だよね、なぜ自由を哲学するのか。
スピーカー 1
いやそう、まあでもこれあれだよね、さっき山上くんが言ってくれたこの哲学者たちが、
なんで自由について興味を持っているのかみたいな話と、まあこうするタイトルっちゃタイトルですよね。
スピーカー 2
そうだね、まあこの本の動機みたいなところだよね。
スピーカー 1
そうだよね、そうそうそう、だからまさにここを読まないことには先に進めないよねというところかなと思いますけど、
ページめくっていくと、まずこの序章、なぜ自由を哲学するのかというところですが、冒頭から、問いから始まるということで、
さっきね、オービーだったりとかwebの紹介にも出てきたよって話をしましたけれど、冒頭の一番最初の問いがこれなんですよね。
私たちは果たして自由なのかと、自由であるのか、この問いかけから始まるというところですけれども、
先にあの結論というか、この序章のテーマみたいなものを伝えてしまうと、
ざっくり言うとね、この本のタイトルでもある、そうしないことはあり得たかじゃないですけれど、
僕たちがそうしてしまった行為、アクションっていうのは本当にそうするしかなかったんだろうか、みたいな問いがあるよっていうのを、
僕たち読者に示してくれた上で、その問いっていうのが実は結構いろんなところに問題の書材があるんだよ。
そしてその答え方って結構様々だよねっていう、ある種問題設定とそこに対してどういうふうにアプローチしたらいいのかみたいな見取り図を与えてくれるのが、
スピーカー 2
この序章の役割なのかなということですね。
スピーカー 1
具体的に言うと、そうしないことはあり得たかっていうテーマと非常に深く関わっているのが、決定論っていう言葉が一番最初に出てくるんですよね。
これちょっと後で深く深掘りたいんですけども、ちょっとこの場で説明を進めていく上で簡単に紹介すると、
決定論っていうのは、この世で起きることは全て過去の出来事とかですね、その時の法則ルールとかによって決まってて、それ以外のこと起こり得ないんだっていう立場なんですということなんですが、
こういった立場がどこからやってきて、その種類とかどんなものがあるんでしょうか、みたいなことが例えば取り上げられたりとか、
あるいはそもそもなんで自由が僕らにとって大事なんだっけ、別に自由じゃなくてもよくないっていうような、自由のニヒリズムって呼ばれるような極端な立場。
そういうのに対して、そこってやっぱり責任大事だよな、とか判断大事だよな、みたいな道徳的な観点から自由の条件について考えるスタンスを示しているような人たち。
そして最後にですね、この本のコアになる問いでもあるけれど、自由と決定論は果たして両立するんだろうかっていうのがですね、
実はこの本書の自由論をめぐる中心的な問いかけになるんですけど、これが紹介される。
スピーカー 1
序章ってのはそんな位置づけなんだよね、というのがですね、ざっくりとした見取り図というところでございますけれど。
さてさて山上くん、序章読んでみて、なんか引っかかったポイントとか気になるとこありますか。
スピーカー 2
これね、面白いのがこの決定論ってこのそもそもなんとなくこう、自分の中で今まで何度か思ってきて考えて終わったから。
スピーカー 1
なるほどね、決定論的にちょっと捉えているところがあるよっていう話。
スピーカー 2
そうそう、例えば最初にこれを思ったのは受験の時とかにさ、俺ってこう合格するのかなみたいなことを思ってたら、いやいやもう合格するかどうかなんてもう決まってるんだみたいな。
もう俺がこの、例えばセンター試験でマークミスをするかとか、もう次どんな問題が出たら俺がそれに対してどういう知識のアウトプットとして解けるか解けないかってことはもう全て決まってるから、
別に起用必要は全くないんだとかいうことを思ったりしたことが記憶があってさ。
スピーカー 1
受験の時にね。
スピーカー 2
そうそう、受験前ってみんなナーバスになるじゃない、センターでマークミスしたらどうしようとかさ、全然自分勉強してない範囲から出たらどうしようって思うじゃない。
それに関して決定論的考えて自分をこうなだめるじゃないけど、いやもうこれ決まってるから俺がこうどう考えたってこと意味がないって思うと同時に、
やっぱり俺結構その自分の哲学者的なところあるから、哲学的なことあるっていうか、なんかよく詩について結構考えちゃうように、そういう決定論とかも考え始めたらどんどん気になくて、
こうやって考えてることすら決定論なんていうかさ、
スピーカー 1
あるよね、それね。
スピーカー 2
そう、無限ループに陥る、こうやって考えてることすらもう既に決まってたってことは、
なんかもうなんていうの神様の手のひらの上で俺は踊ってるだけの操り人形なんだなーみたいなことをふーっと思って、
そんなこと考えてるうちに受験へのプレッシャーがなくなったり、決定論に救われたみたいなパターンがあったりとか、
面白いね。
そうそうそう、そんなこと思ったりした時期はありました。
スピーカー 1
いやそうですよね、あるある、この本の中でもね、決定論ということ領域に対して入っていきやすくするために、運命っていうキーワードが出てくるけど、
要はこうなることって決まってたんだよね、みたいな感覚ってどっかに誰しも持ってたりするじゃないですか。
そうなのよ、そうなのよ。
その感覚もすごいわかる一方で、例えば今日の昼飯でもいいし、ラーメンにしようかカレーにしようかみたいな選択でもいいけど、
なんとなくやっぱ僕らこっちがいいと思うって言って選んでる気してるんだよね、いろんな局面でね。
それが決定論ってもの、確かになんとなく愛入れない気がする、みたいなのもなんとなくわかるじゃない。
スピーカー 2
そうわかるわかる、人間は自分で選んでるように思っちゃうからね。
スピーカー 1
そうなんだよね、そのあたりって逆に山上くんはどんなふうに折り合いつけてるんですか、それこそ受験の時もさ、
スピーカー 2
いやもうこれ結果決まってるからとか、どこで計算ミスするかとかも決まってるからみたいなことを思いつつさ、そこに立ち向かっていくわけじゃない。
それがね、高校時代とかは今よりもうちょっと、今もあんまり変わんないけど、前向きというか、
今よりさらにバイトアリティがあったから、いやいやそんなことはねえって言って、自分の情熱でもって、
スピーカー 1
すでに矛盾してるんだけど、自分の気合と情熱でもってその決定論的世界観を打破しようみたいなそういうメンタリティでやってたんだけど。
むしろそっち側なんだ、決定論をぶっ壊すぞっていう意気込みでやってたんだ。
スピーカー 2
そうそうそう、だから完全にSF映画で言うと悪の組織の格好のカモだよね、そういうやつって。
スピーカー 1
そうなの?
スピーカー 2
じゃないかってこう、だいたい打破できないじゃん、そういう気合で打破しようみたいなやつって。
スピーカー 1
なるほどね、いやなんか僕むしろなんかもうちょっと引きでやってんのかなと思ってて。
例えばですけど、俺が受かることはもう決まってるから自分の実力出すだけなんだみたいなさ、なんかそういう発表の仕方もあるじゃん、たぶん。
スピーカー 2
なるほどね、いやどっちかというとなんかね、その決定論に関してふっと考えるけど、
まあなんかこうやってるとその決定論のことは忘れて結局普通に自分の実力と試験との勝負だみたいな、都合のいい瞬間だけこう自分の自由意志が働いてみたいな。
スピーカー 1
なるほどね、まあそのあたりは素朴に向き合ってたみたいな感じだったね。
スピーカー 2
ただね、まあ実験生としてはそうだけど大人になってからはね、すごい悪い決定論の使い方をするようになってる気がして。
スピーカー 1
というとどういうことなんですか?
スピーカー 2
例えば、決定論を言い訳にしだすわけよ、こう仕事とかがさ、たぶん学会の論文とかの準備が終わらないと、
ああでも終わんないことももう決定してたからまあやんなくていいやって、このやんなくていい決定ももう自然に決まってたからやんなくていいやって、
やんなくていいや、やんなくていいやみたいなことだったりとか、まあいらないことがあったときに、ああこれ最悪じゃんこんなことになるのかって、
ああでもこれすらもう決まってたことだから俺はもうどうしようもねえみたいな、もう空き壁をつけるみたいなところに決定論を使い始めたなっていうのが、
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
社会人山神の思考回路になっちゃってる。
スピーカー 1
でもなんかその気持ちすごいわかるというか、なんかどんだけ足掻いてもいけるのここじゃないみたいな気持ちとか、
なんかなんていうんだろう、社会人になった、まあより大人になればなるほどというのかわかんないけど、
なんかその世の中のなんていうかいろんなことがわかってくると、同時になんかそこに対してどうしてもなんか超えられない壁みたいなのがあったりとかさ、
なんかそういうことに対峙したときに、なんかこれってどうやっても仕方ないよなっていう言い訳として決定論的なスタイルって意外となんかこう、
運がいいのか悪いのかみたいな話は別で、なんか相性が良かったですよね。
スピーカー 2
そうそうそう、まさに言うと大人のね、この世界の広がりと決定論ってめっちゃ相性がいいんだよね。
スピーカー 1
いやーそれもなんかすげえわかる気がする。
スピーカー 2
そう定のいい言い訳にしてしまうんだけど、定のいい言い訳にしてる自分すら決定論だからまあいっかって、
結局まあいっかになっちゃうのが決定論が、これ良くない、いいのかねこれを。
スピーカー 1
ああ確かにね、まあいっかに打ち勝つ方法をこの本は提示してくれるのかなと。
確かにね。
ちょっと面白いポイントかもしれないですね。
スピーカー 2
確かにこうね、全受験生と元受験生だった大人に捧ぐみたいな。
スピーカー 1
でもさ、例えばさ、そもそも受験っていう仕組みを考えたとしてもさ、受験っていうのはさ、結果出すためにみんな努力していて、
ある種の合格点みたいなのが決まってたりとか、あるいは相対評価で誰より良いか誰より悪いかみたいなことが決まってたりするわけじゃない?
そうだね。
その中でさ、それこそめっちゃ頑張って他の人よりもより良い点数取ろうって頑張る、そして頑張った結果どっかに受かる、受からないという結果がある。
この構造自体さ、なんかなんとなくさ、みんなが自由に努力したりしなかったりするっていうことをなんか前提としてる構造のようにも見えるよね。
スピーカー 2
確かにね、死亡口とかいうぐらいだから、死亡するってもう自由意志の具現みたいな言葉を使ってるわけですよ。
まさにまさに。
スピーカー 1
めちゃくちゃ自由にやってる風だけど、これが決定論だとしたら本当になんとこう虚しい営みなんだろうって思ってしまうよね。
そこもなんかすごい面白いというかさ、なんかちょっと一見すると自由に選べて自由に走ることができるように見えるんだけど、
なんか一歩引きで見ると、その全体自体が決められてるってこと?どうなの?みたいな、なんかそういうちょっとさ、構造上の二重制みたいな、なんかそういうことを感じたりするのもちょっと面白いところ。
スピーカー 2
いや、そうなんだよね。そうなんだよね。なんかまあ、あの遺伝子とかの話ってちょっと相続けるところがあるかなと思ってさ。
例えばこう人間、まあ俺あの副業じゃねえな、副業のほうで医者をやって、研究者としてはいつだってこう遺伝子の研究をしてたりするんだけど、
まあ人間ってさ、こう全ゲノム解析が終わってて、その全遺伝子を解析したら何歳で癌になって、何歳でこういう動き発症して、みたいなこと全部わかるんだよね。
それってこの決定論と若干こうリンクしてくるんじゃないかな、みたいなことを今思った。
スピーカー 1
なるほどね、なるほどね。ああ、そうか。だからなんか、まあどういうタイプの決定論かは一旦横に置くとして、
スピーカー 2
神様の正体は科学だったよ、みたいな。
スピーカー 1
そうそうそう。これはどうですか?なんか世界観的にわかるなって感じだった?山上君。
スピーカー 2
これはめちゃくちゃわかるよ。俺はすごく、この序章を読んでて不倫を落ちた。
確かにこの風が吹けばおけあいが儲かるって書いてあったけど、昔ね、確か高校ぐらいの時に、
なんか友達と、結局我々の人間の生命活動なんて、科学と物理の集大成というかさ、
全部結局この科学、いや、生体反応が起きてるだけだから意識なんてないんだ。
意識の話でも繋がるけどさ。これ意識でも繋がるじゃん。これ意識があるかないか。
スピーカー 1
いや、めちゃくちゃ繋がるよね。
スピーカー 2
そうそうそう。結局はただ科学反応が前に進んでるだけじゃない?
平行関係を左から右に進んでってるだけだから、そう考えると、
この因果的決定論ってめちゃくちゃわかるなっていう。まさにそのことだよなっていう。
スピーカー 1
ということは山上くんは因果的決定論者っていうことでいいんですか?
スピーカー 2
大きく出たね。大きく出たけど、因果的決定論を心に宿す人間かもしれない。
スピーカー 1
なるほどね。わかるわかる。なんか僕もその感覚なんとなくわかるなと思ってる。
要はさ、いろんな物事が因果関係で説明できるってことについて、
全くなんかこう異論挟みたいなって感覚にならないし、
そうだよなって思うことたくさんあると思うんですよ。
一方で、例えば自分の外側の世界が因果関係によって成立してると。
例えばさっき冒頭言ったフリーフォールの話とかもそうだよね。
物を持ち上げてあるところまで持ってって、落とすとコンって落ちると。
これは要はある種原因と結果で説明できるわけじゃないですか。
スピーカー 2
できますね。
スピーカー 1
ってなった時に、世界はそういうふうにできてるのかっていうのは一つの理解だなと思う。
一方で、自分自身のことについても、それで説明できるのかって言われた瞬間に、
ちょっとそうかなって思う瞬間もないですか、これ。
スピーカー 2
自分自身っていうのは、今こうやってミニタさんと喋ってる自分ってこと。
スピーカー 1
そうそうそう。例えばだけどさ、世界はこういう原因があって、こういう結果になろうと動いてるよっていう状況を見た時に。
例えばさ、僕らが前の本とかでも扱ったけどさ、トロッコ問題ってさ、結構有名な問題。
スピーカー 2
あるね、あるね。
スピーカー 1
そう、線路の先にさ、分岐があって、今もうどうしても止められない状態でトロッコが進んでると。
一方には一人の人間がいて、もう一方には複数名の人がいると。
どっちに行っても人は死んじゃうんだけど、どっちに行かせるのがいいみたいな問題があった時にさ、
この状況に対して自分はアクションできる状態なわけじゃない。
スピーカー 2
はいはい、そうですね。
スピーカー 1
つまりさ、結果に介入できる存在になるじゃない、僕らは生きてるとさ。
テスト受けてる時も多分そうだと思うけど。
その時のさ、自分ってさ、なんか自由なのかね。
あるいはその時の自分もさ、その決定論っていうものの中に絡め取られちゃうものなのかね。
みたいなさ、ことについてさ、どんなふうに感じてますか。
スピーカー 2
いや、多分対極的に言えば絡め取られてるんだろうけど、
なるほど。
思うけど、少なくとも受験生時代の問題を解いてる自分は、解いてる瞬間はそのことを忘れて解き続けてた。
まあでもそれすら決定論なんだろうなって。
後々考えると、ねえ、そう思ってしまう。
スピーカー 1
いいですね。
スピーカー 2
そうなんすよ、そうなんすよ。
スピーカー 1
なるほど。つまり因果の中に人間の意思が介入する余地も別になくていいんじゃないか。
まあそもそもないんじゃないか。みたいなことを批判としている。
スピーカー 2
あってほしいんだけど、あってほしいんだけど、残念ながらないかもしれないっていうのは。
スピーカー 1
ないんじゃないかってちょっと思ったことがある。
スピーカー 2
俺がこのカタロジをずっと聞いてくれてる人はわかると思うけど、田中と同じで、我々の意思なんてないっていうのはうすうす勘付きながら、
それはもうすげえでかい口開けて舌で待ってる闇みたいな感じで、そこを開けちゃいかんって。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
だからこの本を追求することは結構危険というかさ、
自分の存在の根底みたいに揺るがされない危険な処罰の可能性はあるなと。
スピーカー 1
そうよね。めちゃくちゃその気持ちもわかるよね。
ちなみに別に自由かどうかなんて考えなくてもいいんじゃないか。自由じゃなくてもいいんじゃないかってやつをこの本の中では自由のニヒリズムみたいな言葉で紹介してたよね。
スピーカー 2
書いてあるね。
スピーカー 1
つまり自由とか考えたって仕方なくないみたいな、別に自由じゃなくたっていいんだよみたいなスタイルも全然あるよっていうことね。
ここでは紹介されてましたよね。そのスタイルに実は結構近いってことなのかしら。山上くんのスタイル。
スピーカー 2
そうだね。考えなくていいとは言わないけど、諦めはあるけど、自由じゃないかもしれないって思う自分は時々顔を出すね。
主につらい時とかにね。都合のいい自由を持っちゃう。
スピーカー 1
面白いですね。面白いですね。つらい時はそう思うよな。
どうだろうね。
仕方ないよな。受け入れなきゃいけないみたいな。
スピーカー 2
ミントさんはそこは自分の意思で抗おうっていうふうに思うタイプ?
スピーカー 1
いやこれどっち、なんかね、僕もこれ結構考えるっていうかね、結構しょっちゅう思うなと思うんですよ。
例えばこの本書のタイトルにもなってる。そうしないことはあり得たかっていう問いって結構わかるというか。
なんかこれが決定論の話だって言われると、もうちょっとなんかそんな大げさなって思うんだけど、
例えばさ、わかんない、すごい引きになるんだけどさ、もうちょっと頑張らなきゃいけないなって時にさ、もうちょっとだらけちゃうみたいなとこあるじゃないですか。
スピーカー 2
あるある。
スピーカー 1
ちょっともう一本だけ見とこうかな、テレビみたいな。
セリフハンディキャッピングみたいなやつね。
そういうのとかって、逆にそれ辞めて頑張ることできたんだろうかみたいな瞬間って、それこそ受験の時の例で言うとめちゃくちゃあるなと思うわけですよ。
どこまで自己コントロールできんのみたいな。いやいやいやもうちょっと大丈夫っしょみたいな自分と。
みたいなそこに対して自分の自由がどれぐらいあるんだろうかっていうのをちょっとなんか俯瞰で見ちゃうときもあって、
そういう状況になると、なんか俺は俺の意思で動いてないのかもしれないみたいなことを思ったりとか。
なんかある程度自分のなんかその傾向とか性質とかによって、
なんか1対1でこのアクションするんだみたいなことまで決まってないとしても、こっち側に流れてく可能性はあるみたいな。
そういう物事のノーターンみたいな感じで、未来の予測可能性のスコープみたいな範囲があるんじゃないかみたいな感覚を思うことはすごいある。
スピーカー 2
ノーターンで思ったけど、確率分布みたいなのがあるってことでしょ。自分の行動の確率分布みたいなのがあって、
常に確率的に揺れ動いてるっていうような選択を捨てるっていう考え。
スピーカー 1
そういう感じ、そういう感じ。だからなんかその、とはいえね、自分の人生1回しかないから、
自分がさ起こし得る、起こす決定とかなんかその行動って1個にしかなり得ないんだけど、最終的にはね。
なんだけど、そこにある種の確率分布的な感じで方向性というか、なんかその流れみたいなものを方向づけられてるみたいなものはなんかなんとなく感じる気がするんだよね。
スピーカー 2
でもそう考えてるとしたら、このソースのようなことはあり得たかってタイトルめっちゃ刺さるんじゃない?
スピーカー 1
いや、そうそうそう、そうなんですよ。なんだけど、なんかね、この本の序章というか、の中を読んでいて思ったのは、
決定論っていう話をモチールにしても、結構いろんな解像度ありそうだなと思ってて、
普通に決定論って言われると、例えば僕が今ちょうど収録してるのが10時14分ですけど、
10時14分に僕がってこのマイクの前で言うことが決められてたみたいな、なんかそれぐらいの感じで決定論を捉えちゃうと、いやいやそんなことはねえだろうって思っちゃうんですよ、僕はね。
スピーカー 2
本当、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそう、全然、例えばその瞬間にタンが絡んでってなって言葉を飲み込むとしたら、それを言うタイミングは例えば3秒ずれるかもしれないじゃないですか。
スピーカー 2
かもしれないね。
スピーカー 1
みたいなことを考えると、この瞬間にこうなる、こういう行動が起きる、こういう結末になるみたいなことまで決定論的に説明ができるとは、僕はなんか到底信じられないんですね。僕のスタンスとしては。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
スピーカー 1
なんだけど、なんだけど、なんかそういう状況に置かれたときに、僕がこっち側方面になんかこうアクションするんだろうなみたいなことぐらいはなんか決まってると言われれば、なんかそんな気はするみたいなことを。
なるほど。
確率分布ってさっきヤマトミ君が言ってくれたけど、なんかそのノーターンみたいな意味ではなんかあるんだけど、その中のこの点ですみたいなことはわかんないみたいな、そんな捉え方をしてるなっていうのが僕のこの決定論というのか、なんかその自由度というか、どれぐらい自由であり得るのかみたいなことに対するなんかなんとなく今思ってる感覚っていう感じかもしれないですね。
スピーカー 2
まあ確かにね。この瞬間も俺はある意味自由っちゃ自由なわけじゃん。難しいよね。例えば俺が今さ、今椅子に座ってるけど椅子をいきなり後ろにガタンって倒して頭を打つこともできるわけじゃん。
スピーカー 1
うんうんうんうん。
スピーカー 2
でも絶対しないじゃんそれって。それは確率分布がめっちゃ低い点だからそれが起きえないっていう理解ってこと。俺がそれをしないのは。
ああ。
ミートの考えでいくと。
スピーカー 1
いやなんか、やっぱ痛いからじゃない。
スピーカー 2
痛いから、まあそうなんだけど。痛いって考えてることすら自由意志じゃん。
スピーカー 1
ああそうだよねそうだよね。
スピーカー 2
あそっかそっか。
スピーカー 1
この冒頭のセクションに関して言うとね。
なるほどなるほど。
ちなみにちょっと今触れなかったところでいくと、因果的決定論に対する反論というか別のバージョンの可能性があるのでは?みたいなところに関して言うと、さっきその確率分布の話が出てきましたけど、
例えば量子力学って呼ばれるような物理学の中でもさらに小さい素粒子とかね、そういうレベルの分子活動というのかなに触れるような領域では、物事の素粒子の振る舞いみたいなのって、
その原理的に確率論的でしかありえないから、そもそも何か確率論的だってことは決定論じゃないのでは?みたいな反論があり得るよね?みたいな記載は実はさらっと入ってるんですよね。この本。
スピーカー 2
それよく聞くけどさ、量子力学ってのは一応これ正しい考えでいいの?そういう説もあるなのか、それとももう量子力学ってのはもう実際ある物理として確立してるものなの?
スピーカー 1
少なくともめちゃくちゃ小さいミクロな物体の振る舞いが確率論的でしかないよ、みたいな話っていうのはそれこそ量子力学の中での定説だと思いますし、それこそなんだっけ、僕も詳しくないんで、ちょっとこういうこと言うと墓穴を掘っちゃうのかもしれないけど、不確定性原理とかね、言われてるやつですよね。
スピードを特定すると居場所がわかんなくなって、居場所を特定しようとすると速さがわかんなくなるみたいな、そういう話がこの領域だと結構あるみたいな。
スピーカー 2
俺が昔小学生ぐらいの時に読んだ本で、量子力学について触れたことで唯一覚えてるのが、机に手を何回も打ち付けてたらいきなり机が手を通り抜ける瞬間っていうのは確率的にはあるんだってことが書いてあって。
スピーカー 1
なるほどなるほど、その要は分子と分子の位置っていうのは動いてるから。
確率的には穴がシュッて抜ける瞬間があるよねみたいな話だよね。
スピーカー 2
それが量子力学の考え方だよっていうふうに書いてあったけど、それは大体ざっくり理解があっているのかな。
スピーカー 1
確かに。でも量子力学の問題の中で経営で話していいのかわかんないけど、光の粒子性と波動性の実験で二重スリットの問題って大学の物理とかで出てきたじゃないですか。
スピーカー 2
あったあった。
スピーカー 1
スリットを二つに置いて、光を二つのスリットでやると干渉縞ができるっていう実験があって、干渉するってことは光は波動なんだけど、その光が波動だけなのかっていうことを調べようと、そこにフィルターめっちゃ重ねて重ねて重ねて、
光子って呼ばれてフォトンっていうものを一個だけぶっ飛ばすと、それは波動じゃなくて粒子になるはずだから、その粒子の振る舞いどうなのみたいなことを実験したみたいな、確か静岡の浜松フォトニクスっていう会社が最初にやった実験じゃないかなと思うんですけど、
それをやると二重スリットがあって、ぶっ飛ばす光の粒子っていうのはたった一個、物理的には一つの粒を飛ばすんだけれど、その一つの粒は干渉しているような振る舞い、確率分布でもってそのスリットを通り抜けるっていう実験があって、
これはつまりたった一つの粒だけれど、状況として二つのスリットがあって、そこを通り抜けるっていう実験をしたときに、その粒子の振る舞い方自体がすでに干渉しているような振る舞いをする、っていうような実験があって
スピーカー 2
干渉してるってのは、そこはもう確率論でどっち通り抜けるかが決まるってこと?
スピーカー 1
そうだ、つまりさ、普通に光を飛ばすとさ、光源があってスリットがあって、スクリーンがあったら、このスリットをさ、まっすぐ通り抜けていくはずじゃん、光を
なんだけど、そのたった一個の粒に分解して干渉するような環境で、そのスリットに対してまっすぐ光源から光を飛ばしていくと、まっすぐ光が飛ばないで、干渉した結果であるような位置に、干渉した位置にスクリーンに投影されるっていう現象があって
スピーカー 2
めっちゃ面白くない?それ
スピーカー 1
そうそうそう、つまりこれ粒子の状態でも波動性を持ってるよっていうことを証明する実験になったっていう話なんだけど、例えば今みたいな振る舞いって、要はその粒子をめっちゃ飛ばしまくっていくと、そのスリットをすり抜けてつぶつぶつぶつぶってつくと
そのつぶつぶの濃いところと薄いところがノーターンになって、つまり確率分布を示しているよ、濃いところが確率が高くて、低いところが確率薄いっていう確率分布を示しているよってことになるんだが
スピーカー 2
その1個の粒子が次どこに飛ぶかっていうのは確率的にしか予想できないじゃん、今の話でいくと
スピーカー 1
結果、最終的に干渉するよってことはわかってるんだけど、そのたった1個の次の粒子がどこに飛ぶかは100%予測できないと、確率論的にしか予測できない
両種の光みたいな小さい粒の振る舞いっていうのは確率論的ですよっていうのがここで言ってる確率論的であるあるいは非決定論的であるってことの意味合い
なのだとすると、僕はその世界観、少なくとも理系の教育を受けてきた人間としてはむしろその世界観の方が受けれやすいなっていう感覚があって
それが人間の振る舞いとかでもそうなんじゃないのか、今回どの1個の粒なのかわかんないけど
なんとなくこういうかつアクションの分布で動きそうってことは決まってるっていうのはなんとなく受け入れることができるけど
それが具体的にこの次のアクションもしくはこの次のきっかけで具体的にどこに落ちるのかってことはやっぱ決定されてるとは言い難いんじゃないかっていうような感覚になるんだよね
スピーカー 2
なるほどね、自分の講師としたらその高い方と低い方の確率濃淡が見えて濃い方に行こうと思ったら自分の意思で濃い方を選ぶことができるっていうそういう立場になってるってこと
スピーカー 1
その濃い方を選ぶことができるのかどうかっていうのがわかんないんだよね、僕の中ではね
そこに対する干渉をできるほど自分が自由なのかどうなのかは正直わかんないなって思うけど
その干渉島のセッティング、どういうふうに干渉をして活動を起こすのかっていう
スピーカー 2
ここのセッティングに対してちょっとずつこっちにずらそうぜっていう影響力は及ぼしうるんじゃないかっていう気がする
スピーカー 1
でも気がするから実際はそうならないかもしれないし
でもその自由があることを認めないと僕らは教育しようとかそういうことさえ思う意味がなくなっちゃってすげえニヒリズムだなっていう気もするし
そのあたりに落とし所はないだろうかっていうそんな気持ちになりますよね
スピーカー 2
それってどうなんだろうね、結局選択は付加逆的なわけだから
1個その干渉島のところ1個通り抜けた時点で次の選択というのはもうすでに選ばなかった側を選べないというか
だからどんどんどんどん結局狭い方へ狭い方へ行くのが人生だっていう立場になっちゃうねそういうふうに考えると
スピーカー 1
それは切ないなっていう
それもすごいわかる、でもなんかフォトの実験で言うと最終的にどこに孔子が着地するのかっていうのが結果として出るわけじゃない
その1個の粒子は別に選択をしてるわけでもないんだろうなっていう気もしてて
純粋にその確率的なシミュレーションというかね演算処理を1回そこを通るってことによってやっぱり計算をしたっていうだけだみたいな
2回でもできると思うんで、それなんか人間にどうやってもらわせるのかなみたいな
なんかそんなことはめっちゃ思ったりしますよね
スピーカー 2
面白い面白い、ただでもあるでしょこの本自体は量子力学的なことに関してはあまり触れない本なんでしょう
スピーカー 1
そうこの本自体は触れない、今めちゃくちゃ盛り上がっちゃったけど
スピーカー 2
めっちゃ盛り上がった、まあさすが我々理解の人間だから盛り上がったが話すものが、この本は多分そうじゃないんだよね
スピーカー 1
この本はそうじゃなくて、この本は例えばだけど今の話はさ
因果連鎖のチェーンみたいなところに対する反論として今の量子力学みたいな反論があるよっていう話をするんだが
まあそういう反論もあるけれど大きく因果論的になんか物事が動いてるんじゃないのっていう言い方はまあ残るよねという言い方をしているというところがまず一つだね
かつ仮にどんなスタイルの反論だったとしても決定論に対して賛成するっていう立場と
そうじゃなくて非決定論的ですよっていう立場両方を紹介していくっていうのがこの本の特徴になっているということですね
スピーカー 2
非決定論的っていうのが量子力学に従うっていう理解でいいんだよね
スピーカー 1
それでいくとこの本の中で決定論はさっき話したような因果的決定論が
前の原因が結果を生んでるよっていう決定論についてっていうところがリーズナブルなんじゃないかっていう話だけれど
この本で扱われる非決定論的な立場つまり決定論的に物事が動いてないよっていう立場のレパートリーとしては
量子力学っていうのも一つの反論だけどもう一つは因果とか全く関係ないかっていうランダムなんですっていうような
そういうスタンスもまた非決定論の範疇の中に取り込まれるということが書いてありますね
スピーカー 2
ランダム
スピーカー 1
そうそう完全にランダムだとするとそれもまたある種非決定論の一つだということなんだけれど
そうなってくるといかにして物事の原因とか結果とかそんなことがあり得るんだろうかっていうことの考え方が全く変わっちゃうよねということで
非決定的な論的な世界にもいくつかレパートリーがあるよねっていうことはこの序章の中でも話されてるし
具体的には4章の中でそのあたりは話していくよということがね紹介されてますね
スピーカー 1
それはちなみに今山上くんが言ってくれた自分が最終的に自由じゃないんだけれど自分は頑張ったからこうできたんだみたいなことを思えるみたいなやつは
それは一つあるなと思ってて
これはなんかすごい自由さみたいなものを人間がどう感じるのかっていうのはなんかすごい面白いなと思ってて
っていうのももともとその今回の特集やろうぜって言い出したきっかけのところもさ自由落下って全然自由じゃなくないっていう問いから始まってたじゃないですか
スピーカー 2
そうだねそうだね
スピーカー 1
僕がその問いかけを思いついた理由というか何でそれ面白いと思ったかみたいなところを話すと
全然自由ではないんだけれどその自由落下のまた要は落ちていく時の法則性だよねみたいなものに
なんか全く何というか干しない関与しないような状態であればめちゃくちゃ自由さを感じるみたいな言い方ができるんじゃないかなって思ったんですよ
自由落下のことを考えた時にね
スピーカー 2
自由落下の法則に従わない落下をした場合自由だってこと
スピーカー 1
それは要は自由落下の法則から外れることが自由だっていうことを言ってくれたんだよね今山上くんが
スピーカー 2
そうそうそうそうではない
スピーカー 1
そうではなくて完全に自由落下の法則に従っているかつその自由落下の法則が何であるかっていうことを
その等の物体が意識してない時そいつが一番自由だって感じるんじゃないかって思ったっていう
スピーカー 2
側を理解しないパターンね
スピーカー 1
側というかだから俺が何でこういうふうに動いてるのかみたいなことについて一切考える余地がなければその人すごく自由を感じるんじゃないかなと思った
スピーカー 2
ああはいはいなるほど
スピーカー 1
みたいなのはもしかしたら今の山上くん言ってくれた自由さみたいなところとか
なんか自由だったんだなって感じるみたいなところのなんか一個のレパートリーとして出てきたら面白いなって思ったりはしてましたね
スピーカー 2
ああはいはい面白いね
確かに高校時代のさもう勉強と部活ぐらいしかやることなかった時の方が
今のこれ何でもできる今より自由を感じた気もする
スピーカー 1
ああなるほどねルールとか制約とかについて知れば知るほど自由さを感じられなくなってくるみたいな
スピーカー 2
そうなんかこの人生とかさこの世界っていうゲームのルールを生じこを理解してしまったばかりに
いやなんかめちゃくちゃ不自由だなこれみたいな
結局昔はさ部活頑張ってさその勉強頑張っていい大学入ればさ
まあなんかいいんだみたいなそれで自分自由というかそれがいいんだみたいな
まあ何がいいのかよくわかんないけどそういう価値観で動いてたけどそうじゃないじゃん
スピーカー 1
ああなるほどね
スピーカー 2
リアルだとそうじゃないじゃんってなるとなんか
あの時のあれって何だったんだろうってもはやそういうそこにヒールな感じで思ってしまう
今大人になっちゃったからそういう意味では不自由だよねなんか
スピーカー 1
なるほどね
スピーカー 2
だからこそ今の俺の一番の関心事というか楽しみはこのラジオになってるんだけど
語り合うことこそが自分のうちだ
当時の俺の受験勉強に燃やしてた情熱みたいなのは多分この今ラジオになってるんだなっていう
方向性は変わったけど多分なんだろう根本的には変わってないっていうのが
スピーカー 1
面白いですね今なんか一瞬ちょっとダーク山神を垣間見た気がします
確かにそっち側で考えるとそういう世界もあるよね
僕は逆に自分が関心あるのはそのルールとか法則とかを知るんじゃなくて
むしろそういったものを手放していくことで自由になるみたいな方向性があったら面白いなと思ってて
ちょっと今の言い方は抽象的だと思うんで
具体でいくと山神くんも音楽やってたじゃないですか
スピーカー 2
やってたやってた
スピーカー 1
僕もやってたんですけどその時に音楽って楽譜がありますよね
こういう風に演奏するっていう要は筋書きみたいなものが決まってるじゃないですか
スピーカー 2
はい決まってますね
スピーカー 1
筋書きの話もそうだしあとは例えば指の動かし方とか弦書きだったら弦の押さえ方とか
スピーカー 2
うんしってやつねピアノでいう
スピーカー 1
うんしってやつとかそういうのってその曲を練習し始める時が一番不自由じゃない
うまくいかないなって
スピーカー 2
ああ確かに確かに
スピーカー 1
なんだけどさその時ってめっちゃ楽譜読むやんとかめっちゃ聞くやん
スピーカー 2
読む聞くし何回も何とか練習してね
スピーカー 1
その時すごい頑張るでしょ
で何か一定のところまで行くと何か楽譜見なくて良くなるフェーズとか
運指のことについて考えなくて良くなるフェーズがやってくるじゃない
スピーカー 2
ああもう小脳に刻み込まれたタイミング
スピーカー 1
そうそう自分の体に刻み込んでいくみたいな
そのフェーズまで来た途端に何かいきなり演奏を自由にできるようになるっていう感覚になるなって思わないですか
スピーカー 2
わかる自分の気持ち乗せれるというか表現できるようになるよね
スピーカー 1
そうそうそうでこの現象を考えた時にめちゃくちゃルールをインプットする規則をインプットする
自分の動かし方のアルゴリズムみたいなものを自分のものにするみたいな現象が起きて
そんな上でそれを全く同じようにやるってするとめっちゃ自由に弾けるっていう現象は
僕の自由楽歌の解釈とすごい一致してるんですよ
スピーカー 2
ああなるほどなるほどね
スピーカー 1
そうそう鉱物線の表す式みたいなものが今でいう楽譜みたいなものに置き換えられたとして
その楽譜をスタートボタンを押したみたいに動かしてる時に
実はすごい自分の感情とか実際の音楽を重ねるということ以上のものがそこに乗っけられるようになるみたいな
そういう現象があるなっていうことはなんとなくお互いわかるじゃない
スピーカー 2
わかるわかる
スピーカー 1
その状態にすごい自由のめっちゃポジティブな側面というか明るいところというか
ルールみたいなものを知ってしまった世界の上でどうやって楽しく自由になるんだみたいなことのヒントがないかなっていうのが
なんかね僕がこの本を読みながら考えたいなと思っていることの一部だったりしますね
スピーカー 2
なるほどねルールが完全に体に刻み込まれたら人は逆に自由になるというか
刻み込まれたが故にルールを気にしなくてよくなって
だからもう実はルールにめっちゃすさがって動いてるんだけど自分の主体としてはルールのことを忘れて
ルールがもう完全に体に刻み込まれたからルールについて思いを馳せる必要がなくなってそれが自由っていう風に感じれるっていうことなんだ
スピーカー 1
そうそうそうでもその時すごく自由って感じるやんっていうことがやっぱある気がしてて
本当に自由なのかどうなのかみたいな話も多分できるんだけどその時の感じる自由さみたいなやつってすごいいいじゃんなんか
スピーカー 2
うんすごく気持ちのいい自由だよね
スピーカー 1
そうそうそうなんかそこが結構僕は興味があるポイントかもなってこの序章を読みながら思ってたんですよね
スピーカー 2
それこそ俺は昔ピアノやってたわけだけど今もラップフリースタイルにハマってた時があって
スピーカー 1
ラップって即興で音を踏まなきゃいけないのよ
スピーカー 2
例えばカタラジオとか頭にもとかさあいうえおの母音を合わせなきゃいけないのを音楽に合わせてすぐにパッパッパ出さなきゃいけないから
当時出ないのよそんなに言われてすぐに母音合わせるのってことはもう絶対できないかったから最初ね
最初ストックしてたのノートに書いて山紙と肩書きみたいなメモスでさ
スピーカー 1
何か言われた時にすぐ出せるようにメモしてそれを引き出すって作業をずっとずっとずっとやってたんだよ
スピーカー 2
あるタイミングからもうなぜかストック使わずにすぐに即興で音を踏めるようになって
それでフリースタイルMCバトルに出るとめちゃくちゃ気持ちいいのよ
スピーカー 2
むしろ今までは緊張してたんだけどもう準備せずに行ってその瞬間に出てくる言葉を楽しむみたいな
フリースタイルじゃんっていうまさに名術ともにフリースタイルになれる瞬間っていうのがあってさ
それと似てるなって思った
スピーカー 1
似てますね
演じるってそれこそプレイって言葉で表現されるやつって結構そういう側面あるよね
演じるというかさ
面白いですね
そのあたりすごいヒントになれそうだし
何なら今の話って自由さを感じる感じ方みたいなものは違うかもしれないけど
山上くんが冒頭で言ってくれてた受験勉強をするっていう
勉強するってこととテストでそれを実際に発揮するっていうことの関係性も実は結構近いかもしれないですよね
テストはたまたまそこに自由さを感じる余地みたいなのあんまないから
なんていうか殺伐とした世界観ともするとはないかもしれないけど
どっちかというと例えばある問題が出たときにそれをノータイムでこういうとき方だって思いつけるようにトレーニングするとか
その計算のオペレーションを滞りなく間違いなくできるように自分を訓練するとか
そういったことによってスラスラ問題を解く自由を手に入れることができるっていう見方もできますよね
スピーカー 2
まさにだってね受験生なんてもうプレイヤーだもんね受験っていうゲームのプレイヤーだから結局全て今のね
ギターもラップも受験も結局は同じなんだね
そうだよねだって受験も俺も最初は教科書読んで数学で放置して暗記してたけど
だいぶ公式も暗記して何回も問題解いてると見たことない問題解けるようになって
なんか数学得になってるみたいな自由に解けるようになったってフェーズはあった確かに
だから結局ねやっぱ自分がそれなりに何かやったものって自分自由を感じてるんだなって今喋りながら思った
スピーカー 1
なるほどね
スピーカー 2
確かに勉強の中にも解法あったね
スピーカー 1
あったあったあった
なるほどね自由を手に入れるために何かこうなんかインストールするみたいなプロセスにおいては
なんかむしろルールとか法則みたいなものをなんか手に入れるのが面白いんじゃないか
手に入れることで自由を得るみたいな側面があるんじゃないかっていう議論が一つと
でもなんか一方で今の議論の中でやっぱり抜け落ちちゃってるのは途中の因果連鎖のところでも少し山上くんが指摘してくれてたけど
そもそもその例えば練習するしないみたいな文献があったときにしない側に傾いちゃう傾向性みたいなやつって
とはいえ一個なんかメタなレイヤーでの自分の不自由さだったりするわけじゃないですか
スピーカー 2
そうだねそうだね
スピーカー 1
練習をめっちゃすればめっちゃ自由になるかもしれないんだけど練習しない側を選んじゃうみたいな
スピーカー 2
そうそれがもうそこのね決定しちゃってるとすると
スピーカー 1
この選択の自由みたいなところはやっぱなんかあるのないのみたいなことはやっぱちょっと気になるところもあり
スピーカー 2
そこ過ぎたいね
スピーカー 1
ねなんかこのあたりはすっごい面白そうですよね
スピーカー 2
それこの本でこうなんか提言があったらめちゃくちゃこの本を掘っていく意味があるってやつよね
スピーカー 1
いや本当ですね本当ですね
今ちょっと僕らが後半やや逸脱しながら話した内容は実はこの本の序章に書いてあることばかりではないですね
正直に申し上げますとね
僕らがだいぶ連想させてしまった広げてしまったところも多分多文に含まれていると思うんですけど
スピーカー 2
語らずのやり方じゃないでもこの本をベースにどんどんのを広げていくっていつも通りのスキームじゃないですかこれは
スピーカー 1
はいということなんで今僕らの興味範疇みたいなものが視聴者の皆さんにも理解してもらえたかなと思うんで
答えがあるのかないのかも含めてちょっとここから先読んでいく面白いところなのかなと思いますのでね
そんなあたりは楽しみにしてもらえればなという感じですかね
スピーカー 2
はいそういうとこですね
かたらじお
スピーカー 1
はいということでエンディングでございますお疲れ様でした
スピーカー 2
お疲れ様でした
スピーカー 1
いやいやいやいや久しぶりのシリーズ新シリーズですしそもそもこのスタイルの収録自体がね僕らにとっても久しぶりのものだったので
改めてどうでしたか今回は
スピーカー 2
いやー楽しいねかたらじおというのもね裏番組やってたじゃない
スピーカー 1
はいはいはい
スピーカー 2
裏番組やることで改めてこのかたらじおってコンテンツの独自性とかさ魅力に気がついた
スピーカー 1
本当ですか面白い言い方ですね
スピーカー 2
いやというのもこの裏番組の意義を考えるみたいなフェーズがあったじゃんかたらじおをまた再開しようとなった時に裏番組の立場どうするっていう立実どうするって話になったじゃない
スピーカー 1
はいはいはいなりましたね
スピーカー 2
でその時にかたらじおっていう番組の守備範囲がひどすぎてさもうすべて食べちゃうからさ
結局裏番組立場なくなっちゃうじゃんってこのかたらじおのカバー範囲がひどすぎてっていう話になってたけど
スピーカー 1
確かにそういう話あったねだから今は概念獲得リアリティ番組って呼んでるのは今のこのメインのテーマを使って特集やっていくっていう
ここは確かに概念獲得リアリティだけどかたらじお全体でいくとね実験型ラジオ番組であるという側面はまあ失ってないというかその層の上に概念獲得リアリティが乗っかってるからね
スピーカー 2
そうなんだよね
スピーカー 1
だから改めてすごい番組というかまあなんか手前見せながらかたらじおは世界観の形成に成功したんだなっていうことを一回ちょっと離れて
言い過ぎ
ジェネラスな理解ですね
スピーカー 2
と思ったりしましたそれこそかたらじおの中で我々は自由になれるんじゃないですか
スピーカー 1
本当それは確かにいいかもしれない
スピーカー 2
だってこのラジオって決められたフォームの中で自由に語ってるじゃない
スピーカー 1
いやそうだねだからこの例えば今話しているというこの行為一つとってもなんかどれぐらい自分で決めてるのかって言われたらなんかよくわかんないじゃないですか
結構例えばあのチャットgptみたいなものかもしれないけど最初の一言を口をついて出た言葉からなんか後の言葉がさつらつらつらつらって続けてくるみたいな
そういう経験を僕らはさこの毎週毎週収録の中でやってるわけじゃない
スピーカー 2
だってまあ何に話すかなんて決めてないもんね台本はあれど特にこの日読ませず何喋るかなんてもう全然考えてないわけで
だってこの台本の100倍ぐらいの量喋ってるわけじゃん
スピーカー 1
いやそうだよまあね台本基本山上くん見てないから僕しか見てないんだけど
書いてあることなんてたぶんね10分ぐらいで書けることしか台本に書いてないんですよ
だからまあねそのそれぞれの枝がどれぐらいに育っていくかっていうある種その自由な部分と言っていいのか
まあシミュレーションみたいなのを楽しんでるみたいな側面が僕ら自身にもあるからね
どっちでも楽しいんだよね東京
スピーカー 2
どんな作品出来上がるか撮ってみないとわかんないもんねこの番組が
そうなんだよね
スピーカー 1
それが自由なのかはたまたとはいえ確率論的なだけで決定論の世界観に収まるのか
なんかそのあたりも今回のこの本を読むことでねちょっと解像度が上がるといいなと
そうだね
そんな感じのまとめでしょうかね
スピーカー 2
そうだねそうだね