耐えることは、成熟ですか?|内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』#51
2026-10-14 17:58

耐えることは、成熟ですか?|内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』#51

一冊の本をお茶とともに味わう読書Podcast「本茶本茶」。

今回は櫻井焙茶研究所の茎焙じ茶 青ウーロンを淹れながら、内田樹さんの『疲れすぎて眠れぬ夜のために』を紹介します。


▼ 今回のテーマ

縮む自己/個性と縛り/心耳を澄ます


「無理はいけない、我慢しちゃだめ」を、武道の身体感覚から言い直した一冊。働き方や自己理解、身体と心の関係に関心がある方におすすめのエピソードです。


🍵 本日のお茶

櫻井焙茶研究所「茎焙じ茶 青ウーロン」(福岡・八女)


📕 本日の本

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』

内田樹(著)/角川文庫


👤 話し手: Fuyuto

「静けさのデザインとケア」をテーマに、コーチング・プログラム開発を行うStudio Stillness代表。

note → https://note.com/honcha_honcha


▼ Still Reading Book Club(東京・月1回の読書会)

https://srbc.framer.website/

Instagram → https://www.instagram.com/still_reading_book_club/

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サマリー

Fuyutoは、内田樹の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』を、茎ほうじ茶を味わいながら紹介する。本書の中心にある「無理はいけない、我慢しちゃダメ」というメッセージから、不愉快な人間関係に耐え続けることで自己が縮み、我慢がアイデンティティになりうるという議論を取り上げる。さらに、個性やオリジナリティが共同体の縛りかもしれないことを、話し手自身のアメリカ留学経験と重ねて考える。最後に、外部の声や身体の微細な信号に耳を澄ます「心耳をすます」という姿勢を、武道や茶、音楽、読書などに共通する身体的な構えとして紹介する。

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』と茎ほうじ茶
こんにちは。本茶本茶へようこそ。
毎回一つのお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに、生き方の問いを一つ持ち帰る時間です。
静けさのデザインとケアを通して創造性の器を育む、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
毎週水曜日19時に更新をしています。
前回は10回に1回の沢買いだったんですが、今日からまた本のご紹介に戻っていきたいと思います。
今日ご紹介するのは、内田達瑠さんという方が書かれた、「疲れすぎて眠れる夜のために」という一冊になります。
著者の内田達瑠さん、樹木の樹と書いて達瑠さんは、フランス現代思想がご専門の方なんですけれども、
その他にも、神戸に合気道の道場、外風館というものを主催をされていて、身体論とか武道みたいなことにもとても明るい方でいらっしゃいます。
前々回にご紹介した施設図書館ルチャリブローの青木さんご夫妻も、確か信仰が深かったんじゃないかなというふうに記憶しています。
この本ですね、「疲れすぎて眠れる夜のために」という本は、実は結構古い本で、
2003年に門川から出た単行本が、その後文庫化されたというものになっています。
どんなような内容かというとですね、
小舘が心事を済ます、働くことに疲れたら、身体の感覚を蘇らせる、らしく生きる、家族を愛するとは、
こんなような内容のエッセイ集になっています。
一番最後のですね、「終わりに」という章で、この内田さんが書かれているのは、
この本で私が繰り返し申し上げたのは、「無理はいけないよ。我慢しちゃダメだよ。」ということです。
こんなような、「無理はいけない。我慢しちゃダメ。」というような内容が、それぞれの章の中で語られていく、そんなエッセイ集になっています。
紹介したいポイントは3つあって、
縮む自己、個性と縛り、そして最後に心事を済ます。
その前にまずは一緒に楽しむお茶から。
はい、本日は桜井敗佐研究所さんの茎ほうじ茶、青うろんというお茶を入れてみました。
桜井敗佐研究所さんというのは、よくポドキャストでも出てくると思うんですけれども、
表参道のところに茶房があってですね、そこでお茶のコースだったりとか、もちろん単品もいただけるんですが、そんなお店になっています。
今はほとんどもインバウンドの方の予約でいっぱいいっぱいで、
昔は何回か席に座ったこともあったんですが、
最近はお茶を買いに行ったり、特にどなたかにお渡しするためにお茶を買いに行くような使い方をしています。
そこでですね、ほうじ茶、しかも茎ほうじ茶なので、坊茶と呼ばれる地域もあったりするようなものですかね。
これは福岡のやめのもので、この青ううろんって書いてあるので、どういうことなんですかね。
ちょっとだけ発酵しているっていうことなのかな。発酵した後にほうじているということなのでしょうか。
ちょっとウェブでもこの商品が見つからなかったので、詳しいことがわからないんですが、見た目は普通の茎ほうじ茶ですね。
味も確かに言われてみれば、ちょっと緑茶とううろん茶とほうじ茶の間というか、そこまでほうじ茶の香ばしすぎる感じもなく、
ちょっとマイルドで少し青い感じがする、そんなお茶になっています。
ではここから本の紹介に戻ろうと思いますので、皆様もお気に入りの飲み物と一緒にお楽しみください。
ちなみにちょっと脱線になっちゃいますけど、このお茶を入れる音っていうのはどうなんですかね。
意外と第一回の時に思いついてずっと続けてますが、皆さん楽しんでいただけるものなのでしょうか。
どこかでぜひフィードバックいただける機会があれば教えていただきたいなと思います。
我慢で縮む自己と不愉快な人間関係
ということでですね、この内田達瑠さんの「疲れすぎて眠れぬ夜のために」と。
人間は割と簡単に壊れるよっていうことだったりとか、無理をしないんだと我慢をしないよっていうことを伝えている本、そんなことが書いてあります。
一方でですね、無理をするとか我慢をするっていうものが、自分自身にもデフォルトとして一体化しているというか、無理をしているつもりも我慢をしているつもりもないのにそういうことをしちゃっているっていうのがあったりするななんていうことを思いながら。
一方で自分の資源には限界がある限りがあるので、それをどうやって配分するかっていうのをちゃんと考えていかないといけないなということを思いながら読んでいる本になります。
一つ目の切り口は、縮む事故。事故はあれですね、セルフの事故になります。
これはですね、一番初めの章、心事をすます。この心事っていうのは心に耳ですね。心耳をすますという大きな章の中に、人はどうして親父になるか。親父が書くカタカナですね。
人はどうして親父になるかというちっちゃな章があって、そこからの引用になります。
この中ではですね、不愉快な人間関係に耐える能力、嫌な人間関係に耐える能力っていうことについて内田さんが書かれているパートなんですけれども、どうでしょう皆さん、不愉快な人間関係に耐えていますか。
変な質問かもしれませんが、内田さんはですね、この不愉快な人間関係に耐える能力っていうのは有害であり命を縮めるものだとまで言ってるんですけれども、
一方で世の中にはそういうことを我慢する、耐える能力っていうのも人間的能力の一つ、あるいはそういうことが美徳まで言わないかもしれないですけれども、やむを得ないことだと思っている方も多いよねと、そんなことが書かれています。
そしてそのようにですね、我慢をしている、耐えている人、本文中の表現を借りると、バカな上司にこき使われているサラリーマンというものは、自己が極端に縮んでいるというふうに書いています。
これがカタカナの親父ということとどうつながるかというとですね、この耐えるということが劇的に人格化されたのが中年の親父であるというふうに内田さんは言っているんですね。
一箇所を引用させていただきますと、
もう一文合わせて引用すると、
年齢、性別に関わりなく不愉快な人間関係に耐えている自分を一度でも合理化し、その生き方に意味を見出してしまった人間は、それから後の人生、繰り返し不愉快な人間関係に耐える生き方を選択し続けることになるのです。
これは、ほう、なるほどという感じで読んでいた場所になります。
もちろん皆さんの中にもいろんな意見があるんだと思うんですけれど、確かにこの我慢する、耐えるということがアイデンティティの一つになってしまっていることがあるというのは、なんかちょっとイメージがわかるような気がしますね。
それが一方で全くもって悪いことかと言われるとよくわからないですけれども、
一つ、ここのパートを読んで思い出した他の本があってですね、だいぶ前にご紹介した宮地直子さんというお医者さんであり、本も書かれる方の傷を愛せるかっていうエッセイ集があるんですが、その中にですね、ある一文で
自分が我慢していることを我慢せずにやっている人に、人は羨みつつ腹を立てる。
我慢強い人は、我慢しない人には我慢ならないのだ。
っていう一文があったんですよね。
なんかこの文も含めてですね、我慢しちゃダメだとか我慢しなくていいよって思えて解ける人はそのままでいいと思いますし、一方で我慢することとか耐えることがもう無意識のうちに自分のアイデンティティになっちゃっている場合っていうのもありそうだな、なんかそういうことにも気づけるといいんだろうなということを思いながら読んでいたパートになります。
皆さんはどうですかね。そんな経験、そんな感覚ありますかね。
個性を縛る共同体と異文化との接触
次の切り口、二つ目は、個性と縛りというものになります。
これはですね、大きな章でいうと三つ目。
身体の感覚を蘇らせるという中の始めに、個性ということという章があって、その中で語られている内容になります。
個性とかオリジナリティとからしさとか、最近でいうとオーセンティシティみたいなものってだいぶ重要視というかされてきていると思うんですけれども、この内田さんの立場としては、そういう個性というような言葉をあまりにも軽々と使うのはどうかと思います。
実は結構危険な言葉なんだ、そんなことを話しています。
一文をすると、自分では個性的なものの見方と思っていることが、ある世代丸ごとに共有されている縛りであるということは、同世代や同類たちとつるんでいるだけでは絶対にわからないのです。
内田さんが言うところによると、こういうふうに自分が個性だと思っているものの多くがある共同体、それは世代的なものもあるかもしれないですし、地理的なものもあるかもしれないですし、様々だと思うんですが、そういう共同体の中で形成されてしまった一つのフレームワークに過ぎないという側面があるんじゃないか。
じゃあ自分は一体どんなフレームワークの中に閉じ込められているのかということに問いを立てるところから思考が始まっていく、そんなことを書かれています。
これはすごい確かにと思う経験が僕にもあって、社会人を何年かやった後にアメリカの大学院に留学をした経験があるんですけれども、その時一学年270人ですか。
いる中で日本人は一人だけだったんですよね。
そうなってくると、自分が喋ることが日本人としてそう喋っているのか、自分の個性として喋っているのか、わからなくなるみたいな経験が確かにあったなと思います。
日本にいる時は当たり前のように時間を守るとか、決まり事を守るみたいなことを当然自分の個性というか、自分はそういう人間だと思っていたものの、
全くそれが普通じゃない世界の中に入ってみると、それが自分の特性だったというよりは自分がいた日本という文化、カルチャーの中の特性で、
意外と他の人がそうでもなければ自分も別に時間も気にせず、約束も守らなくとも守られなくともそんなに気にならないみたいなことが起きたような気がしていてですね。
その時間や約束を守るべきかどうかというのは置いときつつも、そこは非常に面白かった出来事なんですよね。
本文中でも内田さんが言っているのは、自分と自分の同類たちを共同的に制約している縛りに気づくのに、一番効果的なアプローチは異文化との接触です。
こんなようなことも書かれています。
心耳をすまし身体の声を聞く
最後の切り口です。
信じをすます。これはですね、心に耳と書いて信じをすますという切り口になります。
これは先ほど少し触れたように、一番初めの章のタイトルでも信じをすますということが書いてあるんですが、詳しい解説がですね、終わり2という最後の章に書かれています。
少し長くなってしまうんですけれども、とても気に入った部分なのでご紹介をさせていただきます。
信じをすませて無性の声を聞く。
これは私の合気道の師である田田博史先生がよく口にされる言葉ですが、外部から到来する理解不能の声に注意深く耳を傾けること。
自分の身体の内側から発信される微細な身体信号をそっと聞き取ること。
これは武道に限らず、哲学に限らず、人間が生きていくときの基本的なマナーだと私は思います。
微かな信号を聞き取るために、そっと耳を傍立てるときに、人間の身体は一番柔らかく、一番軽く、一番透明になります。
これは本当です。
人間が一番無理なくリラックスしている状態というのは、誰もいないところで一人で佇んでいるときではなく、外部。
かっこ、己の身体はある種の外部です。から到来する声に静かに耳を傾けているときなのです。
茶をたてるのも、香を炊くのも、美味を味わうのも、音楽を聞くのも、書物を読むのも、ビジネスをするのも、
武術的な立ち合いの場で、相手の身体から発される気の流れを感知するのも、どれも目指しているのは同じ構えです。
それは聞くということです。
これが、この本で私が言いたかったことです。
非常にこの部分は、今やっているスタジオスティルネスという活動の思うところに近い部分でもあり、最後に引用させていただきました。
この済ますということは、頭で考えること以上に身体的に済ますということも関係してくる部分だと思うのですが、
それがこの本の中の他のパートでも、武道の話を引用したりしながら語られている本になっております。
ということで、今日は桜井敗佐研究所さんの「九喜法治茶・青烏龍」というお茶をいただきながら、
内田達也さんの書かれた「疲れすぎて眠れる夜のために」という一冊をご紹介しました。
ぜひフォローしていただけると嬉しいです。
それではまた。
17:58

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